イギリスでは10月が場面緘黙啓発月間です

 

イギリスでは場面緘黙を一般に広く知ってもらうため、毎年10月が啓発月間となっています。3年ほど前に始まり、期間中はTVや新聞・雑誌などメディアでのPRの他、イギリス各地でイベントや広報活動が行われます。

SMiRA 2015年キャンペーン公式ビデオ

イギリスの支援団体SMiRAでは、5月頃からキャンペーンの準備を始めていました。メインとなるのは、10月15日(木)に本拠地レスターのギルドホールで開催されるオープンイベント。私もお手伝いを兼ねて参加させていただく予定です。ロンドンでのイベントも調整中だそうで、10月末か11月頭になりそうとのこと。

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キャンペーン用の新しいロゴと啓発グッズ各種

啓発キャンペーン初日には、コーディネーターのリンジーさんと当事者の家族がBBC地方ラジオ局のインタビュー番組に出演(スタジオ録音?)する予定。この他にも、新聞・雑誌の特集やラジオ番組など、多くのメディアで取り上げられるようです。

携帯電話を使った支援キャンペーンも実施中。会員に呼びかけて、それぞれの地区の学校や関係施設へのリーフレット配布など、草の根的な活動にも力を入れています。無理することなく、できる人ができるところで協力するというスタンスがいいですね。私も何かしたいなと思って、公式ビデオに日本語字幕をつけさせてもらいました。

SMIRA3携帯電話キャンペーンでは、メッセージと支援金を募集中

ここ3年ほど、SMiRAの活動はFacebook中心になっていたんですが、さっきのぞいてみたら、サイトがリニューアルオープンしていました!ガラリと雰囲気が変わって、とても見やすくなったと思います。ティーン&成人用の新資料もあり、SLTマギー・ジョンソンさん著の段階的な克服法をダウンロードできます。

http://www.smira.org.uk/index.html

今月は色々なメディアで場面緘黙が取り上げられると思うので、見つけたら(ちょっと時間がかかるかもしれませんが)報告していくようにしますね。

 

9月ももう終わりですね

冷夏の年は、9月に学校が始まるくらいから天候が回復するパターンが多いのですが、今年はとても変わりやすい天候でした。ここ2週間ほど、日中よく晴れて気持ちのいい日が続き、夜になるとかなり冷え込むように。中秋の名月だった昨夜は、ロンドンでも満月がとてもきれいでした。10月の扉がもう目の前までやってきて、何だか焦っています。

ここのところ、週末ごとにロンドン中心部で人と会うことが重なり、しばらく行ってなかった観光スポットを再訪する機会にも恵まれました。

8月最後の土曜日は、夏の名残を思わせるような快晴。久しぶりに友達家族と待ち合わせて、テムズ河南岸のサウスバンクへ。まだ水遊びができるほど暖かく、おあつらえむきのお散歩日和でした。

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   まず川岸を少し散歩してから、サウスバンクセンターのルーフガーデンにあるカフェへ。この頃はまだオリーブの枝が茂り、ヒマワリが満開

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   気温は20度くらいでしたが、噴水遊びをしている人がいっぱい。みんな、ちゃんと着替えを持ってきたのかな…

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観覧車ロンドンアイやアクアリウムなどがあるテムズ河沿いの道は、人気の観光スポット。メリーゴーランドなどの乗り物もあり、大道芸人も大勢いました

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大きなシャボン玉に、子どもも大人も大喜び

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向こう岸には大時計ビッグベンと国会議事堂が見えます

9月中旬には、予期せず岐阜県の故郷にかかわる人たちと会う機会が2度もありました。ひとりは、知り合いの息子さんで、何とロンドンの一流ギャラリーで展示会をしたのです!もうひとりはイギリスの大学で勉強するため、単身で留学しているママさん。

お洒落なチェルシー地区にある有名ギャラリー、 Saatchi Gallery で展示会を行ったのは、東京で活動しているアートグループChim↑ Pom。”Prudential Eye Award 2015”という国際的な賞を受賞し、個展をする栄誉に預かったそう。でも、ドイツや東南アジアなど、すでに世界的な活動をしてるグループなんですね。

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おお、すごい行列!と思ったら、同時にコンテンポラリーアート販売展もあったからでした

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左のピカチュウを模したネズミと映像『スーパーラット』で一躍知られるようになったとか。壁の作品『Puzzle』は、各国で集めた写真やアイテムをパズルのように組み合わせたもの

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メンバーのひとり、同郷の水野俊紀さん。グループに美大出身者はいないそうで、観る側の視点を持ち続けながら、日常の気になることに向き合って作品作りをしているとか。社会問題も身近に感じさせてくれる視点とコンセプトがユニーク

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『広島!』の作品の一部。折り鶴の山は平和記念資料館から借りてきたもの。メンバーのエリイがひとつひとつの鶴を開き、それを展示会に来た人が再び折ることで、量は増やさずに祈りを2倍にするというコンセプトだそう

単身留学中の女性と会った日は、あいにくの土砂降りでした。ランチまで少し時間があったので、10年ぶりくらいにトラファルガー広場にあるナショナルギャラリーへ。古典画の中でも宗教画の大作が多く、長いこと足が遠のいていたのです。

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13世紀から1900年までの作品を2300点以上所蔵していて、センズベリー館にはルネサンス期の名画がいっぱい。ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母』と『聖アンナと聖母子と洗礼者聖ヨハネ』はとても見応えがあります。

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初期フランドル派の画家、ヤン・ファン・エイク『アルノルフィーニ夫妻像』。いつも思うのですが、この絵の男性ロシアのプーチン大統領に似てません?

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大移動して人気の印象派の部屋へ。名画がこんなに近くで観られて、しかも無料というのがイギリスの文化だなあと思います

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モネとルノワールは数点ずつあります。雨の日の『睡蓮』がなんだかとても心に残りました。

託児所体験 - 息子の緘黙・幼児期2~3歳(その5)

 

すっかり忘れていたんですが、息子は2歳8ヶ月から3歳になる頃まで1週間に2回ほど託児所に通っていました。そこは、仲良しの日本人のママ友が推薦してくれた、イギリス人女性が自宅で経営するモンテッソーリ式の小さな託児所。子供の数は多い時でも5、6人と聞いていたので、息子にはちょうどいいと思ったのです。

この頃、仕事が少し忙しくなったためもあったんですが、息子の性格を考えて入園前に英語環境に慣らしておきたかったんですね。チャイルドマインダーさんに預けた時は長続きしなかったので、幼稚園でちゃんと集団生活できるのか心配でした。

幸か不幸か、息子が通い始めた頃は特に人数が少なく、息子を含めて3人たらず。初日から泣かずに過ごすことができ、わりと早くお弁当持参で一日過ごせるように。モンテッソーリ式というのを特に意識した訳ではなく、先生が「この人なら任せても大丈夫」という姉御肌の女性だったのが決め手でした。

チャイルドマインダーさん宅と比べると、家も庭も広々としていて玩具も多く、とても良い環境。なによりも、ゆったりとした雰囲気が魅力でした。ある日迎えに行ったら、息子がりんごを手に持ってニコニコしながら出てきたのを今でも懐かしく思い出します。裏庭に大きなりんごの樹があって、この日はみんなでりんご拾いをしたんだとか。

今考えると、こういうのんびりした小さなところが息子には合ってたんでしょうね…。息子は人を選ぶ傾向が強く、多分この先生には気を許せたんだと思います。抑制的な気質の子どもにとって、人と環境は特に重要で、それによって緘黙になる可能性にも影響が出てきそうです。

ところで、イギリスの公立幼稚園は3歳から始まり、5歳になる歳に小学校にあがるまでの期間です。通常は1日に2時間半で、午前の部か午後の部かどちらか。延長保育の条件はかなり厳しく、毎日は預かってもらえません。しかも、午前の部からランチタイムを挟んで午後の部までなので、3時半くらいにはお迎えに行く必要があります。まあ、無料なのでその点はとても助かるんですが…。

なので、企業で働く女性が職場復帰するためには、私立の幼稚園・保育園や託児所かチャイルドマインダーに頼るしかありません。でも、これがかなり高額なのです。評判のいい園は1日1万円するところもあり、母親のお給料がまるまる保育代になってしまうケースも…。

ちなみに、イギリスではインファント(幼児部4~7歳)と呼ばれる小学校低学年までは、保護者か責任者が学校に子どもを迎えに行くことが義務づけられています。これは子どもの安全確保のためで、子どもだけの登下校は許されていません。(日本では、ひとりで電車通学する小学生もいるというと、すごく驚かれます)。ということで、子どもがジュニア(中等部8~12歳)にあがってから、フルタイムの仕事に戻る女性も多いのです。

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日本男児と台湾男児現る! - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その6)

 

その後息子は、ミニカー好きのS君とだんだん親しくなっていき、彼のママも時々私に声をかけてくれるようになりました。日本語を話せる研修生は2週間ほどしかいませんでしたが、英語環境にも慣れてきたよう。もう付き添いは全くいらないかなと思い始めた矢先、予期せぬ出来事が起こりました。

ある朝、息子のお絵描きを見守っていた時のことです。私たちの近くに初めて見る東洋人の母子がやってきました。「あれ、日本人?」と思って挨拶をすると、「渡英したばかりです。どうぞよろしく」と、若くておしゃれなママさん。

「あ~、やっと日本人の子に巡り会えた~!」と嬉しかったのですが、お子さんはツヤツヤの黒髪が日本人形みたいに可愛らしい女の子。内心がっかりしていると、「男の子です。Tといいます」と言われ、もうビック!。え~っ、可愛すぎる。

同じ日本人のよしみか、息子とT君はすぐ打ち解けた雰囲気に。それまで教室で小さくなっていたのが、緊張が溶けて少しリラックスしてきたように見えました。当時は「園生活に慣れて仲良しもできたから」と思っていたのですが、今考えるとやはり言葉の問題が絡んでますよね…。

もともと、この幼稚園を希望した理由のひとつは、駐在員のお子さんが複数人いると聞いていたからでした。日本人もいる幼稚園だったら、英語環境の中で日本語もキープできて一石二鳥と思ったのです。でも、蓋を開けてみるとクラスに日本人はおらず、なかなか馴染めず――やっとのことで英語だけの環境に慣れてきたところだったので、少々複雑な心境でした。

T君は息子と同じでちょっと繊細な感じの子。それに加え、何といっても異国での初めての幼稚園生活です。最初はやはりママがいないと不安そうでした。でも、息子と双子のようにくっついて行動しているためか、慣れるのは随分早かったように思います。母親同士も親しくなり、1週間くらいして「もう付き添いはいいよね」と話していた時、またまた新人君が!

今度は台湾人の男の子M君。T君と同じで、M君も全く英語ができず――しかも、3歳になったばかりでした。活発な感じでしたがママから離れられず、まだ赤ちゃんの妹を抱っこしたママはつきっきりで辛そう…。同じアジア人だし、新人さん友の会ということで、声をかけてM君も息子たちと一緒に遊ばせました。

それからすぐ、私はT君のママと一緒にとうとう付き添いを卒業。教室の前で子どもとバイバイして帰宅できるようになり、近くのカフェでお茶を飲む余裕もできました~。M君ママも誘って幼稚園の帰りに一緒に出かけたり、お互いの家を行き来したりと、やっと園生活をエンジョイできるようになったのでした。

蛇足ですが、M君のママが2週間ほど赤ちゃん連れで付き添いをしていたところ、保育士さんに「お母さん、もう帰ってください」と言われたとか。M君はお母さんが帰った途端、大泣きして大暴れ!が、翌日から大泣き・大暴れを受け止めてくれた保育士さんが大好きになり、ママがいなくても全く平気になったのです。

何で私にはそういう提案がなかったのかな――と少々羨ましくもあったのですが、多分息子が入園した当時は新しく入った児童が多くて手一杯だったのでしょう。それとも、息子の性格を見抜いて、「この子は母親が付いてたほうがいい」と判断したんでしょうか?いずれにしても、息子はM君のようにはいかなかったろうなと思います。

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母子登園卒業へあと一歩 - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その5) 

 

いつまで続くのかと不安だった母子登園でしたが、4週間を過ぎた頃からずっと傍にいなくても大丈夫になってきました。初めは「マミーは○○に行くからね。すぐ戻ってくるよ」と告げると、目で私の姿を追っていたのですが、徐々に慣れてきてひとりで落ち着いて遊べるように。朝一緒に教室に入って短時間付き添えば、あとは終わりまでOKという感じ。

もうひとりのママさんも同じようなペースで進行していて、一緒にペアレントルームでの待機に成功。「もうそろそろ付き添いも卒業だね」と安堵の笑顔を交わしたのです。

ところで、それまで担任からは何の提言もありませんでした。毎日「後片付けご苦労様」とは言われるものの、子どもに関する話はなし。今だったら解るんですが、こちらでは自分から相談しないと、「この人は別に困ってないんだ」と思われてしまう傾向が強いんですね…。まだ心配なので最初の15分ほど付き添いたい旨を告げると、簡単に承諾してくれました。

11月も半ばを過ぎ、やっと一時帰宅できるようになった私。でも、園まで徒歩15分はかかるので、途中で買い物をして、洗濯などしていると、すぐお迎えの時間…。時間には厳しい園だったので、焦って迎えに行ってました。無料でありがたいけれど、2時間半の保育って短すぎ!

ある日お迎えに行くと、担任から保育士の研修中というイギリス人女性を紹介されました。聞けば、彼女は最近まで日本に住んでいて、日本語が話せるとのこと。「○○君(息子の名)はなかなかクラスに馴染めなかったけれど、この人が日本語で話してくれるから色々スムーズにできるようになったのよ」と。

それまで私は、外では英語、家庭では日本語を話していれば、自然にバイリンガルになるだろう、なんて気楽に構えてました。息子の母国語の問題とか、全く気にしてなかったのです。この頃、息子の話し言葉は日本語90%、英語10%程度でしたが、英語も聴く方は殆どできてたので、あとは自然に習得できるだろうと――なんと楽観的だったことか…。

今思えば、私から離れていきなり英語だけの環境に放り出され、かなりのストレスだったに違いありません。この頃から、家での癇癪が酷くなりつつあったのですが、成長過程でよくあることなのかな、くらいに思っていました。

幼稚園が始まる前に里帰りした際、教員だった父が「この子はイギリス人なんだから、ちゃんと英語で生活させないと…」と、日本語ばかり話している息子のことを心配していました。それを私は、「大丈夫だよ。周りが英語環境だから、英語は自然に身につくから。それより日本語をしっかりキープしないと」なんて呑気に言ってたのです…。

考えてみれば、あまりにも慎重で繊細すぎる性格の息子のこと。知らない人の前で、慣れない英語を平気で話すようになるはずもなく…。家で慣らしておけば良かったんでしょうが、主人は「英語で話して」という私のリクエストなど全くおかまいなし。日本語でないと息子との会話が成り立たないので、ずっとちょっと変な日本語で話してました。

そういえば、この頃息子を寝かしつけるのは私しかダメで、主人がやろうとすると「マミーがいい!」と泣くのです…。これではマズイと思い、毎日父子タイムを設けて、スキンシップを増やすようにしてました。しかし、お天気のいい週末にボールを持たせて2人を公園に送り出しても、少しボールを蹴って、アイスクリームを食べて、すぐ帰ってきちゃうんですよね…。

余談ですが、IT関係の仕事をしている主人はスポーツに全く興味がなく、ワールドカップもウィンブルドンも観ません。5年ほど前、会社の忘年会で当てたアーセナルの試合チケットも、息子が「寒いから行かない」というので、友人父子に譲ったという…。ということで、スポーツ少年にしたいなんていう思いは、最初から全然なかったのでした。

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たまごの謎

9月に入って息子の学校が始まると同時に、秋もどんどん深まってきました。夏休み最後の週末に主人の実家に行ってきたんですが、そこでなんとも不思議なものを見ることに…。

夕飯にスパニッシュオムレツを作ろうと、卵のパックを開けた時です。6つある中のひとつに目が釘付け――なんですか、この卵?!

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表面がクレーターのようにデコボコ――まるで恐竜の卵みたい!よく見たら、もうひとつ表面がザラザラしてちょっと割れてるのも。今まで数えきれないほど卵料理を作ってきましたが、こんな卵を見たのは生まれて初めてでした。

これらはファームショップで購入した農家直売の Free range の卵です。多分、スーパーだったら規格外で棚に並ばないと思うのですが、直売だから農家の判断で普通にパック詰めしちゃったんでしょう。

それにしても、卵といえばつるんとした表面と滑らかな曲線が特徴なのに、これはあまりに違いすぎる…。森茉莉さんがエッセイ集『貧乏サヴァラン』の中で、卵の形を「《平和》という感じがする」と記述していて、その通りだなと思っていたんですが、この卵は平和というよりも不気味…。

聞くところによると、若い雌鶏の卵は少し細長かったり、いびつだったり、黄身が2つになる二黃卵になったりするんだそう。(昔、農家の庭先に「卵売ります」という看板を見つけ、そこで買った半ダースの卵が全て二黃卵でビックリ)。このデコボコ卵も新米の鶏が産んだ可能性が大きいですね。こういうのって、養鶏場ではよくあることなんでしょうか?

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この春日本で出会った細長い卵

ちなみに、イギリスでは大きく分けて3種類の鶏卵を販売。卵を産ませる環境によって、値段や品質が異なります。安い順に、狭い檻の中に大量の鶏をつめこむ Battery-farmed、次に放し飼いにする Free-range、一番高いのは放し飼いで有機栽培の餌のみ与える Organic。サルモネラ菌が怖いので、生で食べても安心なのは有機卵だけ。

それから、こちらでは茶色の卵が普通で、白い卵は殆ど見かけません。かなり前に、有名な女性料理家、ディリア・スミスがTVの料理番組で白い卵を使って一躍話題になりました。

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       知人が誤って冷凍してしまった卵を、殻を割って解凍中の写真。ちゃんと元に戻って、普通に卵焼きができました

話を戻すと、このデコボコ卵はオムレツには使わず、その後どうなったのかは不明…。でも、夕飯の時にみんなに見せたら大受け。それぞれの反応が違っていて面白かったです。

「これを産むのは苦しかったに違いない」と、義母の思いは卵を産んだ鶏の方に。私は「こういう卵から、どんなヒヨコが生まれるの?」と、そっちの方に興味が(まあ無精卵なので無理ですが…)。男性陣はというと、「見たことない!珍しいね」で終わっていました。

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ところで、中国では人造偽卵が出回っているという話…。先日、息子が教えてくれて、一緒に見た映像です。

 

母子登園の日々 - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その4)

 

入園の翌日から、私ともうひとりのママの付き添い幼稚園生活が始まりました。午前中のクラス(公立幼稚園は2時間半のみ)に参加して、子どもたちと一緒に遊んだり、お世話したりする毎日。息子を遊ばせているとよってくる子が結構いるので、保育士助手みたいになっちゃうという…。

息子たちの前に入園した子どもたちは、もうママがいなくても平気らしく、始業後も残っている母親は我々だけ。「よし、息子が独立(?)するまで頑張るぞ」と腰を据えて待つことにしたものの、「いつになるかな…」と一抹の不安がありました。

めいめい好き勝手に遊んでいる40人ほどの子どもたちの面倒を見るのは、若くて可愛らしい担任と3、4人の保育士。ダウン症の子がひとりいて、1人はその子の加配のような感じでした。広い教室内には様々なコーナーがあり、園庭にも自由に出られます。保育士1人は必ず園庭で見守りをしているため、残りの先生達が各コーナーで子どもの相手をしますが、先生のいないコーナーもいっぱいあるのです。

子ども達の近くにいると、「これやって」とか「トイレ行きたい」とか頼まれることが多く、忙しい先生たちの手を煩わせないよう、訊きながら適当に対処してました。そのうちに慣れてきて、お絵描きコーナーでは、「エプロンしてきてね~」「手を洗いに行こうね」と指導しちゃったり――3、4歳児なので、みんな本当に可愛いかったです。

息子のお気に入りは、何と言ってもミニカー&電車コーナー。道路の絵が描かれたカーペットと駐車場セットでミニカーを走らせ、飽きると次は木製の電車セットの出番です。毎日線路を組み立てていたので、今でも私の得意技のひとつ。このコーナーには大抵S君がいて、息子とS君は徐々に打ち解けていきました。

おままごとコーナーには、いつも私を待っていてくれるO君が。初日に彼が作った朝ごはんを褒めて「美味しいね~」と食べる真似をしたら、それ以来毎日作ってくれるようになったのでした――嬉しい!でも、息子そっちのけで「ねえねえ、見て!見て!」とぐいぐい手を引っ張られ、ちょっと困る…。

日本でもそうなのかもしれませんが、イギリスの幼稚園(3歳~4歳)や小学校のレセプションクラス(4、5歳)では、本格的な遊具を揃えている印象です。おままごとコーナーには幼児の背丈に合う木製の台所セットが設置され、調理器具や台所用品の玩具も本物に近い感じ。ゴム製や木製の食品各種が山ほど用意されていて、中には握り寿司やイタリアンや中華料理の模型なども。

そうそう、息子の幼稚園には工具コーナーまであり、幼児サイズですが金槌やノコギリ、クギなど本物の工具が。担任に「ケガしたりしないんですか?」と質問したら、「取り扱い方をきちんと教えてるから、今まで事故が起こったことはない」とのことでした。ちなみに、この園では子どもにあまり切れないナイフを持たせて、野菜スープの材料を切らせたことも。子どもたちは調理実習が大好きでした。

PCテーブルでは幼児向けゲームを楽めるんですが、「えっ、こんな小さいのにもうパソコンゲーム?」と最初は驚きました。仮装の衣装もカラフルで種類が多く、「こんなのあるんだ~」と感心。男の子にはやっぱり、スパイダーマンとかスーパーヒーローが人気でした。でも、息子は結局一度もトライすることなく…。

毎日授業(?)の終わりには、全員がカーペットに座って絵本の読み聞かせや歌、ダンスなどをする時間がありました。最初は息子と一緒にカーペットに座っていたのですが、そのうちに慣れてひとりで座っていられるようになり、私ともうひとりのママはお片付けタイムです。一応、子どもに片付けさせるのですが、そこはまだ幼児のこと。残っている玩具を所定の場所にしまい、最後はだいたい床に落ちた砂(何故か室内に砂遊びのテーブルがおいてある)を掃き集めるのが日課でした。

息子は泣くことはありませんでしたが、私がペアレンツルームに行こうとするとついてきてしまうんです。もうひとりのママも同じだったようで、仕方なく一緒に相手をしていました。彼女がいてくれたおかげで、それほどメゲずにに母子登園を続けることができたと思います。

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息子の緘黙・幼児期3~4歳(その2)

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決めつけないで(その2)

8月の半ばに、最近気になっている言葉”Judgement” と ”Judgemental” について書きました。今回はその続きです。

この夏、あるガーデンパーティで「それはちょっと”Judgemental” な(偏った)見解では?」と思うことがあったので、ここに記しておきたいと思います。

うちの息子には深刻な食物アレルギーがあり、食べ物には気をつけなければなりません。よそで何か食べる時は、本人が中身を確認し危なそうなものは避けています。この時はバイキング形式で、息子は確かめてから好きなものを取りました。その後、食後のコーヒータイムに主人と息子のいるテーブルで、「昔はアレルギーなんてなかったのに、どうして現代の子どもに多いのか」と話し出した人が。

その方曰く、原因は「殺菌のしすぎ。子どもを守りすぎ」とのこと。「哺乳瓶を煮沸消毒するなんて馬鹿げている」、「99%バクテリアを殺す殺菌剤なんて必要ない」と主張していました。

確かにそれはあると思います。新聞などでもよく目にするので、もう通説になっているかもしれません。でも、それはあくまで原因のひとつであって、他にも遺伝的な傾向とか、農薬や化学物質の使い過ぎとか、予防注射が免疫に与える影響とか、様々なものが複雑に組み合わさっていると思うのです…。

主人はというと、その人の意見に100% 賛同していました。主人の主義で、うちでは殺菌剤は使わないし、床に落ちたおもちゃを息子が舐めても「抵抗力がつく」と気にしないようにしてました。殆ど母乳だったので、哺乳瓶もあまり使ってません。それでも、息子はアレルギーになってしまいました(涙)。

ちなみに、うちの子がアレルギーになったのは3歳半を過ぎてからで、それまではアレルギー源となる食物も少しは食べさせてたんですよね…。突然反応するようになったので、許容量を超えて免疫反応が出始めたんじゃないかなと思っています。

実は、私の母が酷い花粉アレルギーで、私と兄も20歳を過ぎてから花粉アレルギーに。姪っ子2人も幼いころアトピーに苦しみました。一方、主人は敏感肌の家系で、赤ちゃんの時に日光浴をしていて酷い水膨れになり、それ以来真夏でも長袖、長ズボンを死守。うっかり日に焼けると、真っ赤になって後々すごく大変なのです。両親のそういう悪いところばかりが息子に遺伝してしまったようで、なんとも気の毒…。

「殺菌のしすぎ。子どもを守りすぎ」も一理ありますが、一般論だけでなくそれぞれの事情も考慮してもらえたらなあと思わずにいられませんでした。

もうひとつ、同じパーティーでの出来事。5か月の赤ちゃんを連れてきたカップルがいて、ランチタイム中はお昼寝をさせてました。目がパッチリ大きくて、髪が耳の後ろでくるんとカールしている可愛い男の子!彼がお昼寝から目覚め、みんなのところに連れてこられた時のことです。

女性陣の注目が赤ちゃんに集中し、代わりばんこに抱っこ大会に。私はママの隣に座っていたので、一番最初に抱かせてもらったんです。知らない家で知らない人達に囲まれているのに、彼はご機嫌でニコニコ。思わず、「まあ、寝起きなのに全く泣かないでエライね~!うちの子だったら大泣きだったよ」と漏らしてしまいました。(息子よゴメン、聞こえたかな…)。

すると、「社交的になるように、色々な集まりに連れて行ってるの。だから知らない人に慣れてるんだと思うわ」とママ。彼女は産休がもう残り少なく、赤ちゃんを預かってくれる託児所を探し回ってる最中とか。それもあって、赤ちゃんが人馴れするようにしてるんだなと思いました。

でも、それを聞いた別の女性が、「ひとりで子育てしてちゃダメ。小さい頃から集団の中で慣らさないから、引っ込み思案になっちゃうのよ」という主旨の意見を…。

思わず、自分の子育てを否定されたような気持ちになってしまいました… 。私としては、ママさんグループに参加したりと一生懸命子どもの社交性を育てようとしてきたつもりなのに――それでも、うちの子は未だに引っ込み思案です。

これについても、一般論はそうかもしれませんが、子どもは十人十色。HSP(Highly Sensitive Person)に生まれた子もいれば、非HSPに生まれた子もいる訳で、生まれ持った気質もかなり影響してるはず。うちの子をもっと、もっと集団の中に連れて行ってたら、積極的な性格になっていたとは思えないんです…。非HSPの人口が70%以上とマジョリティなので、どうしてもそちらの考え方が基準になってしまうんですよね。

急にアレルギー反応が出て、激しく嘔吐して、ぐったりする子どもを見たことがない人には、アレルギー源の食物を避けようとする姿勢が「大げさ」に見えるかもしれません。周りにアレルギーの人がいないと、想像したり、理解したりすることが難しいんですよね…。

残念ですが、場面緘黙も同じじゃないでしょうか?「話す」というあたりまえの行為ができないことを、「そうなんだ。大変だね」とすんなり受け入れてもらうのは結構難しいと思います。不安のために話せないと言われても、傍目にはそれほど不安そうには見えないことも多いし…。目に見える苦しい症状がある訳ではないので。

介入してもすぐに効果は出ず長期戦になることが多いし、クラス替えなどで症状が戻ってしまうこともあるし、緘黙児って傍からみると相当不思議ちゃんなのかもしれません。大人しくて授業やクラスの妨げにならないし、周囲が後回しにしがちなのも、今の学校制度を考えると仕方ない部分があるかなと…。

人間というのは、自分がその立場に立ってみないと、なかなか親身になれないものです。そのうえ、自分が話しかけてるのに反応がないと、「無視されてる」と否定的に捉えがち。だから、少しずつでも、困っていることを知ってもらうことが大切じゃないでしょうか?治療も長期戦ですが、周囲の理解を求めるのも気長に、長期戦でいきましょう。

イギリスでは10月が場面緘黙啓発期間になる予定なので、私も近くの学校にSMIRAのリーフレットを配布しようかなと思っています。

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決めつけないで

 

プラハの夏休み(その5)

今日は8月最後の日。学校の夏休みは今週末までですが、金曜日には職員会もあるし、雨続きでもうすっかり秋の気候--今年の夏は肌寒いまま終わってしまったような…。今ではその猛暑が嘘のようなプラハの夏休みの記録は、今回でお終いです。

プラハ滞在5日目は、カレル橋の袂にある大複合建築、クレメンティナム(Klementinum) の見学から。入口がすご~く判りにくくて、やっと探り当てたら、入口のある中庭は巷の雑踏がウソのような静けさ。私たちと一緒に30分毎のツアーに参加したのは、わずか20名弱でした。

クレメンティナムの前身は11世紀に建てられた聖クレメント教会。中世にドミニコ会の修道院として使われた後、16世紀にイエズス会の神学校となり、17世紀には大学に昇格。18世紀には、オーストリア女大公マリア・テレジア(マリー・アントワネットの母君)のもと、2ヘクタールの敷地に天文塔、大学、図書館を有するヨーロッパ有数の大複合施設となったそう。

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 中庭から見た天文塔の外観(左)と鏡の礼拝堂。礼拝堂にはパイプオルガンがあり、毎晩のようにコンサートが行われているようでした

上階に行く際「エレベーターが必要な方?」というガイドの問いかけに、手を挙げた人は誰もいませんでした--が、実はひとりずつしか登れない狭い螺旋階段しかないんです!年配の方にはかなり危険!2階にはフレスコ画が美しいバロック様式の図書館があり、神学書を中心に2万冊ほどの蔵書と中世の地球儀や天文儀の貴重なコレクションが。

残念ながら入場も撮影も禁止だったんですが、画像を見つけたのでよろしかったらどうぞ。https://en.wikipedia.org/wiki/Clementinum#/media/File:Clementinum_library2.jpg

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    天文塔からの風景。塔に登る階段も1段1段が高くて、しかも下が丸見えなので、手摺につかまらないと怖い…

さて、次はモルダヴ河の西岸河にあるカフカ博物館へ。ここはミュシャ美術館と提携していて、一方の入場券を購入すると、もう一方が半額になるシステム(どちらも小規模なので、そのくらいでちょうどいい値段です)。ミュシャ美術館は前日訪れたんですが、ついでに書いておきますね。

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アールヌーボーの旗手として知られるアルフォンス・ミュシャ(1860-1939年) といえば、美麗な女性を描いた装飾的なポスターや商業デザインで有名。女優サラ・ベルナールの舞台ポスターを描いて大ブレークしましたが、実はピンチヒッターとして依頼された仕事だったとか。

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ミュシャの生涯を綴った映像を観て、祖国チェコや自分のルーツに対する愛着の深さを初めて知りました。パリやアメリカで商業的な成功をおさめた後祖国に戻り、20年かけて油彩画の連作『スラヴ叙事詩』を制作し、市庁舎の内装など精力的に行っています。チェコスロバキア共和国成立の際には、無償で紙幣や切手などのデザインを請け負ったそう。

余談ですが、パリ時代の白黒写真の中に、ミュシャのアトリエでポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンがオルガンを弾いているユーモラスな写真(1893-4年撮影)を発見。上着からシャツがはみ出し、ズボンも靴も履いてないんです。気のおけない間柄だったんでしょうね…ポスト印象派と後のアールヌーボーの巨匠の共同生活って、なんだか不思議な感じがしました。その5年前、ゴーギャンがアルルでゴッホと共同生活した際は、ゴッホの壮絶な耳切り事件が起きてしまったんですよね…ゴッホは全く売れない画家のまま1890年に死没。現在のゴッホへの評価を思うと、やるせない気持ちになります。

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話を元に戻して。カフカ博物館へはカレル橋の雑踏を避けてその北側にある橋を渡って行きましたが、とにかく暑い!でも、館内では外の光を遮断し、展示は全て薄暗がりの中。

プラハの裕福なユダヤ人家庭に生まれたカフカ(1883-1924年)は、少数派だった支配階級の言語、ドイツ語で教育を受けました。そのため、ドイツ文化にもユダヤ文化にも馴染めず、文学や芸術を解さない父親との軋轢もあり、自らを異端と感じていたそう。プラハ大学で法律を学んだ後、保険局員として働きながら執筆活動に励みましたが、無理がたたって肺結核にかかり41歳になる前に短い生涯を閉じています。

ここでカフカがものすごい心配症だったことを知り、彼もHSP(Highly Sensitive Person) だったんだ~と、とっても親近感を覚えました。人前ではいたって物静かで目立たず、聞き役に回っていたとか。カフカが安全ヘルメットの発明者だって知ってました?! 仕事で諸企業の生涯危険度の査定・分類、これに対する訴訟の処理を担当していたため、出張や工場視察が多かったらしいのですが、万一のことを考えて常に軍用ヘルメットを被っていたんだそう。事故防止のマニュアル作成の実績もあるのです。心配症で神経細やかで几帳面でもあったのかな?

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とっても立派なギフトショップ。ミュシャアイテムも揃ってました

カフカが深く関わった女性は4人いたようですが、最初に婚約したフェリーツェとは、結婚したら執筆活動ができなくなるかもという不安が募り、婚約を破棄…。この女性にはめちゃくちゃ酷ですが、ああそういう面倒な性格だったんだと、何となく納得してしまいました。(フェリーツェとは再婚約したのですが、その時は肺結核に侵されていることが発覚して、再び婚約破棄--うわ~2回も辛酸を舐めたんですね…)。

カフカといえば、学生時代に『変身』を読んで鮮烈な印象を受けた記憶があるものの、その後ずーっとその存在を忘れてました。村上春樹の『海辺のカフカ』を読んで、彼のことを思い出した方も多かったのでは?主人公の少年はカラスと呼ばれてるんですが、カフカはチェコ語で「子ガラス」という意味。ちなみに、カフカの著作『田舎の婚礼準備』では、主人公ラバン(Raban)がドイツ語の「カラス(Rabe)」を思わせる名前です。

” ある朝、グレゴール・ザムザが、落ち着かない夢から目ざめてみると、彼は自分がベッドのなかで、大きな毒虫に変わっているのに気がついた。(『カフカ:変身 世界の文学セレクション36』辻ひかる訳)”

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展示されていたカフカ自筆のイラスト。独特の味がありますね。

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カフカの小説は不条理で非現実的な世界で知られていますが、その作風から”カフカエスク” (Kafkaesque「カフカ風」「カフカ的」)という言葉が生まれています。カフカの出生地であることを意識してか、小綺麗なプラハの街を歩いていると、カフカエスクな彫刻やオブジェとの「あれっ」という出会いが…。

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最後の大道芸人さんは別ですが、予期してないところにこういう不思議な光景が見られます

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  最後の夜は、モルダヴ河で足漕ぎボートに乗って夕涼み。むっとした暑さが嘘のように河辺の涼風が心地よかったです

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9時を過ぎると、ボートにカンテラを灯してくれます

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ボートを降りた後に遭遇したこのオブジェも、相当不思議な光景でした

あれっ、書いてる内に日付が変わって9月に突入してしまいました。最後までお付き合い下さった方、長いことありがとうございます。

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