湖水地方の夏休み(おまけ)ブロンテ姉妹のハワース

11月もあと数日で終わりですね。今回で、やっと湖水地方の夏休み記事が終わりです。最後まで付き合ってくださった方、ありがとうございました。


 
シャーロット・ブロンテの肖像画

湖水地方でのホリデーを終えた後は、ヨークシャーを経由して帰途に就きました。リーズの北にあるハワースという小さな町で、19世紀の英国文学に大きな影響を与えたブロンテ姉妹が育った牧師館を見学し、何年かぶりにリーズに住む友達家族と会うためです。

湖水地方の南東にあるヨークシャーへ向かう途中には、『嵐が丘』に出てくるような荒涼としたヒースの原野が広がっていました。

  

   小高い丘の上にある牧師館(左)と兄弟のブランウェルが描いた3姉妹の肖像画。牧師館の隣には父親パトリックが牧師をしていた教会がある

牧師館は現在博物館になっていて、『ジェーンエア』を書いたシャーロット(1816~1855年)、『嵐が丘』のエミリー(1818~1848年)、『ワイルドフェル屋敷の住人』のアン(1820~1849年)の3姉妹が使った家具や所持品、原稿や日記、書簡などが展示されています。

ブロンテ牧師夫妻が6人の子どもを連れてこの牧師館に引っ越してきたのは1820年のこと。 その翌年に母親のマリアが死亡し、子ども達は伯母に育てられることに。

上の姉妹4人は聖職者の子女のための寄宿学校に入学しましたが、長女マリアと次女エリザベスが結核にかかり相次いで死亡。その昔『ジェーンエア』を白黒映画で初めて見た時、カソリック寄宿学校の過酷な生活描写に驚き、本を読んでまた驚いたんですが、実体験に基づいて書かれたよう…。当時ハワースでは人々の暮らしは貧しく、平均寿命がなんと25歳未満だったとか!生後6か月未満の乳児の死亡率は41%だったというから驚きます。

 シャーロッテが描いたアンの素描とアンが描いた風景画。右は姉妹が使っていた裁縫箱

上の子ども2人を続けて亡くしたパトリック牧師は、3女シャーロット、長男ブランウェル、4女エミリー、末っ子のアンを家庭で教育しました。3姉妹が描いた絵が複数展示されていましたが、皆なかなかの腕前。当時、貧しい牧師の娘は裕福な家に嫁ぐことは望めず、自立への唯一の道は教師や家庭教師になることだったそう。そのためには、美術や音楽も極める必要がありました。

     ピアノがあるパトリック牧師の書斎。若きブロンテ姉妹が作ったミニチュア本は、虫眼鏡がないと読めないほどの大きさ

外の世界から孤立して育ったこともあり、3姉妹と第4子で長男のブランウェルは非常に仲が良かったそう。子どものころから共同で空想の物語を創って遊び、次第に複雑な物語を書くようになったのです。芸術全般に優れていたブランウェルを父親も姉妹も天才とみなし、彼の将来に大きな期待を寄せていたとか。でも、彼はアルコールとアヘンに溺れ、大成することなく31歳でこの世を去りました。

  3姉妹がそれぞれの小説を書いた応接間兼ダイニングルーム。簡素であまり飾り気がありません

3姉妹は1846年に自費で詩集を出版。当時は女流作家が認められておらず、男性名のペンネームを使っていました。1847年に『嵐が丘』(エミリー29歳の時)と『ジェーンエア』(シャーロッテ31歳の時)が出版されて大きな話題に。翌年にはアンの2作目『ワイルドフェル屋敷の住人』(28歳の時)が出版され、人気を博しました。

          階段の踊り場にある大時計(左)と簡素なキッチン(中)。シャーロットのドレスから(右)から彼女がどんなに小柄だったか伝わってきます

でも、彼女たちの小説家としての活動はとても短いものでした。エミリー(享年30歳)とアン(享年29歳)は出版から時を経ず結核で死去。ひとり残されたシャーロットは結婚したものの翌年に38歳で亡くなり、父親のパトリックが子ども達より長生きする結果に。6人の子宝に恵まれながら、誰ひとりとして子孫を残せず、ブロンテ家は途絶えてしまったのです。

少ない人生経験からあれほどドラマチックな物語を生み出した彼女たちが、そろって薄命だったのは、ハワースの気候や当時の暮らしぶりも大きく影響していたんでしょうね…。

 当時の面影を残す目抜き通りの坂道。町の向こうは長閑な田園風景

小雨が降り出しそうな曇り空の下、カフェの中庭で友達一家とランチをしながら、色々語り合うことができました。しばらく見ないうちに、子ども達が大きく成長していてビックリ。コロナ禍はまだまだ続きそうですが、時間はどんどん流れていくので、うまく息抜きをしていけるといいですよね。

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湖水地方の夏休み(その5)洞窟探検 & 詩人ワーズワースの足跡を訪ねて

湖水地方の夏休み(その6)洞窟探検No2 & アンブルサイドの町

湖水地方の夏休み(その7)海辺でピクニック&ケンダル周辺

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SM H.E.L.P. サミット マギー・ジョンソンさんの講演(その1)

11月ももう半分過ぎてしまいましたね。イギリスでは冬時間に切り替わってから日暮れが早く、時間が経つのが本当に早い気がします。

     昨年は中止になった近隣の花火大会が今年は決行。燦めく光を求めて多くの人が集いました

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場面緘黙啓発月だった先月に開催されたSM H.E.L.Pサミットでは、ティーンと大人の場面緘黙がテーマでした。印象的だったのは、イギリスで緘黙治療の第一人者と言われるSLT(言語聴覚士)マギー・ジョンソンさんの講演。その内容を数回に分けてお伝えします。

場面緘黙との出会い

マギーさんが場面緘黙と出会ったのは偶然のことでした。SLT(言語療法士)の資格を取って初めて治療にあたったのが、話さない15歳の少年。保護者も周囲もどうしていいか判らず、少年は寄宿制の特別支援学校に入れられていたとか。唯一話せる相手、母親から切り離されてしまっていたのです。

新米SLTのマギーさんの仕事は、当時「選択性緘黙(Elective Mutism)」と呼ばれていた症状を持つこの少年を話せるようにすること。初めて聞く症状名――1976年当時はまだインターネットもなく、医学事典に載っていたのは「本人が話すことを拒否している」という説明。

(「選択制緘黙」は80年代前半にDSM-III(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)に初登場しましたが、話すことへの継続的な拒否(persistent refusal to speak)とされていました)。

少年は母親と連絡を取るために、寄宿舎の公衆電話を使わなければなりませんでした。そこには他の生徒や教師がいて、話したら声を聞かれてしまいます。彼は受話器をトントン叩いて音を出すことで、母親とコミュニケーションを取っていたそう。

マギーさんは「当時は何も知識がなくて、彼と向かい合って座っていたの。私の視線をまともに受けて、長い沈黙がどんなに苦しかったことか」と回想します。

ある日のこと、沈黙し続ける彼のほほにひとすじの涙が…。それを見て、マギーさんは「話すことを拒否してるんじゃない。わざと話さないんじゃない。専門書は間違っている!」と直感したそう。でも、どうしたら助けられるのか判りませんでした。

この少年は1年後に学校を去ったそうですが、その後彼が自殺を図ったことを知り、マギーさんは大きなショックを受けました。そして、この体験こそが彼女を場面緘黙の治療法を見出すミッションへと駆り立てたのです。

この少年との出会いがなかったら、マギーさんが世界に先駆けて多くの場面緘黙児や青年、成人を助けることはなかったと思うと、運命的なものを感じます。

次の緘黙ケースは、同じように寄宿学校に入れられた8歳の男の子。この時は、まず話すことへのプレッシャーを取り除き、非言語でコミュニケーションを取るよう指示しました。子どもが話したいと思っていること、何かが話す妨げをしていること、それは不安によるものらしいと気づいたからです。

教育心理士に相談し、自分の持つコミュニケーション法の知識と心理士の持つ不安の知識を掛け合わせて、スモールステップ方式の取り組みを考案。幸いにもこれが功をなし、少年は1年半でマギーさんと話せるように。そのあと6か月で誰とでも話せるようになりました。なによりも、彼が幸せそうになったことが本当に嬉しかったとか。それ以来、学校でもクリニックでも同様の対処法を使うことにしたそう。

この間アメリカでも場面緘黙の研究が進み、1994年に発表されたDSM-IVでは症状名が「場面緘黙(Selective Mutism)」と変更され、「ある場面では継続的に話せない」という記述に。それでも、どこから不安が来るのかはまだ謎でした。

(長いので、次回に続きます)

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第2回 SM H.E.L.P オンラインサミットから(その1)

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第2回 SM H.E.L.P オンラインサミットから(その3)

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湖水地方の夏休み(その7)海辺でピクニック & ケンダル周辺

すでに11月に入ってしまいましたね。イギリスでは冬時間に切りかわって時計を1時間進めたので、4時半をすぎるともう日暮れ。暗くて寒い冬の始まりですが、幸運にも秋晴れの日が続いています。いまだに夏休みの話題ですみません。

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ついに湖水地方のホリデー最後の日。せっかくアイリッシュ海の近くにいるので、北の海を見ておくことにしました。白羽の矢を立てたのは、ホリデーアパートから車で北西に15分ほどのところにある、アーンサイド&シルバーデール(Arnside & Silverdale)の海岸。英国の秀逸な自然美エリア(Area of Natural Beauty in England)指定地区ということで、風光明媚(?)な海岸でのんびりする予定でした。

   

ピクニック用のお弁当を作ってから、ゆっくり出発。途中、丘の上にそびえるアーンサイド城の廃墟に立ち寄ってから、海岸へに向かいました。

  干潮で水が引いた海岸に陸橋がくっきり。お弁当はお握らずとお握り

海を見渡すベンチに陣取ったまでは良かったのですが、いざピクニックを広げたら風が強くて寒っ…。いそいでお弁当を食べ終え、海岸沿いに並ぶお土産店やブティックをぶらぶら。

午後は湖水地方の入口といわれるケンダル地区へ。まずは中世に造られた要塞、シザー城(Sizergh Castle)を見学。現在ナショナルトラストが管理していますが、実は1239年から今日にいたるまで、由緒あるストリックランド家の住居なのです。

経済的な理由も大きいとはいえ、自宅に観光客がどっと押し寄せるなんて落ち着かないだろうなと思いつつ、屋敷内と広~いお庭を散策。池や野菜畑もありました。人手不足で敷地内のカフェがお休みだったので、お茶する場所を求めてケンダルの町中へ。

    イギリス最古の歴史を誇るコーヒー焙煎の老舗。古き良き外観と伝統的なコーヒー&紅茶缶が並ぶカウンター周り

ケンダルには湖がないせいか(?)、観光客はまばら。1819年からコーヒーを焙煎しているという地元の有名店、ファラー(Farrer)に入ることができました。コクのあるラテと温かいチェリーパイが美味しかったです。

ゆっくり寛いだあと、ケンダルの町を散策してから帰路に着きました。それまでアパートに面する運河を探索していなかったので、夕食後に運河に沿ってゆっくりお散歩。ナロウボートを借りて運河の旅をする人も多いのですが、私的にはちょっと…かな。

    運河の向こう側がホリデーアパート。久しぶりに夕日もお目見え

今回のホリデーは天気も思ったほどには悪くなくて(ほとんど毎日雨の予報だった)、まあまあ湖水地方を満喫できたかな…。また、天候の良い時期に再訪して、次は思い切り自然とハイキングを楽しみたいと思います。

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大人の緘黙ー緘黙啓発月の SM H.E.L.P.から 

沈黙  アンティジェ・ボーシン

家ではおしゃべりで、陽気で、声も大きいのに                                           人が大勢いる場所だと、声が小さくなって、引っ込み思案になってしまう                  学校やお店では黙ったまま                                                       この場面緘黙はいつか治るの?

声がでないのは                                                                              わざとじゃないわ                                                                周囲に人がいるとき                                                                          音がでないの

突然、金縛りにあったように                                                                     固まってしまって                                                                               話せない                                                                                               行ける場所がない

見たり、聞いたりすることは簡単なのに                                   質問したり参加したりするのは、とても難しい                                でも、何度でもトライしてみて                                        無駄なことは絶対ないから

寛容でいてくれるだけでいい                                                                                      もしみんながそれを知ってくれたら                                       プレシャーなしに、仲間に入れて、人生の楽しみをわかちあってくれたら                                         成長するのに必要なのはそれだけ!

Silence
by Antje Bothin      https://antjebothin.wordpress.com/

Talkative at home, happy and loud
But quiet and withdrawn in a crowd
Silent at school and in the shop

Does this selective mutism ever stop?

 

It is not a choice
This hiding of the voice
When people are around
There is no sound.

 

Like a sudden freeze
Being in a tight squeeze
Unable to talk
Nowhere to walk.

 

Like a sudden freeze
Being in a tight squeeze
Unable to talk
Nowhere to walk.

 

Observing and listening is easy to do
But asking and joining in is hard to pursue
Keep trying and trying again
Nothing is ever in vain.

 

If  people only knew
That kindness is the thing to do
Inclusion, no pressure and some fun in life
Is all that is needed to thrive!

……………………………………………………………………………………………………………………………………

 左がアンティジェさん、右は主催者のケリーさん

上記の詩は、先週末に行われたSM H.E.L.Pサミットのスピーカーのひとり、アンティジェ・ボーシンさんが書いたもの。小学校就学時から場面緘黙に苦しみ、1人でこつこつと緘黙を克服してきた女性です。ドイツとイギリスの大学で学び、ビジネスエンジニアリングの学士号、メディアテクノロジー修士号、情報学博士号を取得。現在はフリーランスのライター、詩人、翻訳家、語学教師として活動し、現在初の小説を執筆中だそう。

いまなお場面緘黙と対峙しているというアンティジェさん。柔らかな口調で緘黙だった時代を静かに語り、今悩んでいる人たちにアドバイスをくれました。

どんな風に緘黙を克服してきたか:

最初の記憶は定かではないけれど、小学校に入学した後、クラスメイトとは全く話しませんでした。先生には単語で応えることができたけれど、挙手などは無理。3世代家族の家庭では、おしゃべりで学校とはまるで別人でした。

学校では大人しくてすごく内気な子と思われていました。「変わらなきゃ、もっとしゃべりなさい、手を挙げて」と言われ続けた学生時代…でも、どうやったらできるのか誰も教えてくれませんでした。

当時「場面緘黙」は全く知られておらず、「あなたが変なのよ。あなたが変わらなきゃダメ」というスタンス。

成績は良かったから、進学してもっと勉強したかったのに、「話さないから無理」という教師も。学びたい科目があって、どうしても勉強を続けたいというモチベがあったから、頑張れました(博士課程まで進んだのは社会人になってから)。

「場面緘黙」という症状名に遭遇したのは、20歳のころ。本を読んで知り、自分に当てはまるところが沢山あると感じました。「昔から自分が人と違うと気づいていて、皆と同じようになりたかった。家での自分を外で発揮したかったんです」

場面緘黙という言葉を知り、できれば親しい人に伝えられたらと思いました。でも、その前に自分で克服したいと考えて。

大学では発表やディスカッション、そして友人関係上どうしても話す必要がありました。怖かったけれど常に挑戦して、少しずつ少しずつ慣れていったんです。クラスで発表する時、声が小さいので「もう一度繰り返して」とよく言われました。

1対1なら会話はできたけど、どうしても声が出ない時は紙に書いて渡しました。質問に答えることはできても、自分から話を振ることが難しくて…。ボランティア活動に参加し、毎日自分に課題を与えて、スモールステップを始めました。初日は誰かに「こんにちは」と話しかけ、次の日は2人にという風に。話しかけやすいのは、やっぱりおとなし目の人でしたね。

一番苦手だったのは、グループでの会話やディスカッション。人が大勢いるところで話しているのを聞かれるのが怖い――いつも気がかりでした。1対1なら上手く話せるのに、誰かに聞かれていると思うと緊張してしまうんです。

今緘黙に苦しんでいる人たちへのアドバイス:

本でもビデオでもオンラインでもいい、色々調べてみて。緘黙は自分で克服できると思います。決して諦めないで、モチベを持ってポジティブに。少なくとも状況は良くなると信じてください。

自分の意見を主張できること(Being assertive)が、とても大切です。

私の場合はSNSで支援グループを発見したことも大きかった。自分だけじゃないと知ること、緘黙の体験を共有できることがとても重要だと思います。緘黙仲間同士でのオンラインチャットにも挑戦してみてください。

………………………………………………………………………………………………………………………………….

治療のガイドは何もなく、支援者もいなかったため、ひとり手さぐりで挑戦しなければならなかったと振り返るアンティジェさん。「これを勉強したい」というモチベがあったからこそ、頑張れたんですね。ひとつでもいい、「これが好き」と言えるものを持つこと、発見することがとても重要なんだと再確認しました。

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湖水地方の夏休み(その6)洞窟探検No2 & アンブルサイドの町

もう10月もあとわずかになってしまいました。今月は場面緘黙啓蒙の月なので、SMiRAでもアメリカのSMH.E.L.P.でもオンライン講習会を開催中。今、ビデオを視聴しながら翻訳している最中なのですが、その前に湖水地方の夏休みの続きです。

旅行6日目の朝、よし雨は降ってない!この日は息子の誕生日で、メインはアンブルサイド(Ambleside)の町の東側にある別の洞窟/採石場跡(Little Langdale/ Cathedral Quarries)に行くことでした。大聖堂(Cathedral)と名がついているからには、ケンダル洞窟よりも大きいはずと期待大。

ネットの情報によると駐車がさらに困難らしい…また早めに出て、リトルラングデール(Little Langdale)の村に向いました。またまたえらい田舎で、村に到達する手前で道脇に車を停められるスペースを発見。もう5台ほど停まっていましたが、「村の中に駐車できるかも」と、淡い期待を抱いていざ村へ。

 

    村というより集落?通り道にパブがポツンと一軒

でも、細い1本道にパブが一軒、その先にあった複数軒の家を通り過ぎると、すでに村はずれ…。仕方なく引き返し、パブでランチの予約と駐車させてもらえないか頼んでみました。が、両方ともダメ。しかたなく、また引き返して道脇の最後のスペースに車を停めたのでした。再度、ぎりぎりセーフ!

洞窟への標識がないので携帯のナビを使おうと思ったら、田舎過ぎて圏外エリア…。仕方なく、まず家の前で工事をしていた人に道を訊ねました。

緑のなかの小路をどんどん進むものの、標識もなくてなんだか不安。途中、すれ違った単独ハイカーに方向を確認、その先の分岐路を過ぎたところでまた迷っていたら、前方にカップルが。洞窟に行くところというので、彼らの後をついていくことに。

  着いたのは採掘坑の入口?携帯の灯をかざしながらイザ中へ

洞窟というよりは採石用のトンネル? ヘッドライトを点けて先へ進むカップルの後を追いました。トンネルは腰をかがめないと歩けない高さで、足元には水があるし、まっ暗でけっこう怖い。10メートルほどのトンネルを潜り抜けて外に出ると、そこには切り立った高い崖が。水が滲み出ている崖下をこわごわ這い降りると、そこが大聖堂洞窟の入口でした。

 

洞窟の手前には巨大な岩の柱があって厳かな雰囲気、めっちゃ感激

洞窟を出たところでナショナルトラストの案内板を発見。どうやら、こっちが入口だったよう(;^_^A この地方では16世紀からスレートや銅の採掘が行われ、家屋の建設が盛んだった19世に全盛期を迎えたとか。スレートは現在でも屋根瓦や壁材に使われています。

驚いたのは、1929年にビアトリクスポターがこの採石場を買い取り、没後ナショナルトラストに寄付したという事実。湖水地方の自然や当時の姿を保護・保存するために、本当に幅広い活動をしていたんですね。

   

帰り道はその起源を17世紀に遡るスレートの石橋、スレーターズブリッジ(Slater’s Bridge 長さ4.6m)へ。先ほどのカップルに再会してまた道を教えてもらい、ちゃんと行き着くことができたのでした。

 

そこから村に戻って、ランチの予約ができなかったパブへ。どんなに混んでいるかと思ったら、私たちが最初のお客でした^^; 私は鹿肉のハンバーガー、息子は定番のフィッシュ&チップス、主人はシーザーサラダでひとまず乾杯。

    

ランチの後はウィンダミア湖の北側に位置するアンブルサンドの町へ移動。まずストックベック河(Stock Beck River)の上に建つ17世紀の家、ブリッジハウス(Bridge House 残念ながら現在非公開)を外から眺め、町の西側の丘にあるストックギルの滝(Stock Grylls Force)まで歩いて登りました。

かつてはこの滝を利用した水車小屋が12軒ほどあり、布の加工や製粉などの産業が栄えていたんだとか。滝があるストックギルの森には滝をぐるりと囲むようにフットパス(歩行者用の小路)が続いていて、家族連れで賑わっていました。

最後にビアトリクスポターの常設展示があるアーミット図書館&博物館(Armitt Library & Museum)へ。ほとんど来館者はおらず、ゆっくり回ることができました。

   精密なキノコの植物画(左)やヴィクトリア時代に出版された絵本を展示。写真右は1930年、ポターと小作人のトムストーリーが羊のコンペで優勝したときのもの。

ポターは自然科学全般に興味を持ち、化石の収集や昆虫採集などもしていたんだとか。中でも真菌学研究に没頭し、キノコの植物画コレクションをこの博物館に寄贈しています。湖水地方の不動産の購入に加え、農場主として伝統農法の保護にも尽力。絶滅の危機にあった地方原産のハードウィック種の羊の保護・飼育も行っていました。絵本作家として世界的に有名ですが、多方面で才能を発揮した逞しい女性だったんだなと感動しました。

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湖水地方の夏休み(その5)洞窟探検 & 詩人ワーズワースの足跡を訪ねて

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湖水地方の夏休み(その5) 洞窟探検&詩人ワーズワースの足跡を訪ねて

10月ももう半ばを過ぎてしまいましたが、まだ夏休みの旅行の続きです。

夏休み5日目も朝から雨になりそうな曇り空。この日は早めに出発し、ウィンダミア湖とグラスミア湖の間にある小さな湖、ライダル湖(Rydal Water)を目指しました。

目的は湖ではなく、その近くにあるライダル洞窟(Rydal Cave)。かつて建材に使うスレート(湖水地方の石造りの家はこの粘板石を使用)の採石場だった人口洞窟なんですが、早めに出たのは駐車スペースを確保するため。でも、アンブルサイドの町を通る道は一本しかなくて、やっぱり渋滞していました(;^_^A

草地の中の駐車場に車を乗り入れると、20台くらいしか停められない大きさ。樹の横にひとつだけスペースを見つけて停めたんですが、ぎりぎりセーフ!

そこからライダル湖へと続く路を歩き、湖が見えてきたところで山側の小径へ。10分ほどで洞窟の入口にたどり着きました。

 

ライダル湖の南側の丘をハイキング

  入口にはかなりの人。洞窟内には水が溜まっていて、飛び石が敷いてあります

ライダル湖の岸辺を散歩してから駐車場に戻ると、空きスペースを探す車が複数台ウロウロ。見知らぬ親子連れにスペースを譲ったら、ものすごく感謝されました。この辺りからポツポツと雨が降り出し、グラスミア湖(Grasmere Water)の北畔に位置するグラスミア(Grasmere)の町に着いた頃には本降りに。ちなみに、町の大駐車場にはたっぷりスペースがありました(笑)。

グラスミアは英国ロマン派の詩人、ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth)1770~1850年)ゆかりの地。1799年、まだ無名だった29歳の時に妹ドロシー(Dorothy Wordsworth 1771~1855年)と町はずれにあるダヴコテッジ(Dove Cottage)に居を構え、ここに住んだ9年間で多くの代表作を生み出しています。

実は、15年以上前に一度訪れたことがあり、今回はワーズワースが晩年までを家族と過ごした屋敷、ライダルマウント(Rydal Mount)を訪問すべきか迷いました。でも、私のダヴコテッジの記憶は、ワーズワースの洋服や寝台を見て「当時のイギリス人は随分小柄だったんだな」と感心したことのみ….。それで、やっぱりもう一度見ておきたいと思ったのでした。

まだ12時前だったので、早くテーブルを確保しようと目についた目抜き通りのカフェへ。グラスミアの町を流れるロセイ川に面するテラス席があったのですが、案内されたのは室内のテーブルでした(このグラスミアティーガーデンズは結構有名なことが後から判明)。

 

温かいスープ&パンのランチとアップルパイ(味は普通)を食べてから、雨のなか水仙の庭(Wordsworth Daffodils Garden)やロセイ川沿いの散歩道をそぞろ歩き。それから、ワーズワースと妻が眠る聖オズワルド教会の墓地へ。

 

すると、墓地の入口になにやら長蛇の列が…。ワーズワースのお墓(写真右、左端)を詣るために並んでいるのかと思ったら、有名なジンジャーブレッドを求める行列でした(写真左)。ヴィクトリア時代のお菓子職人、セーラ・ネルソンが1854年に創業したこのお店では、当時のメイド衣装を着たスタッフがホームメイドのお菓子を販売。でも、私は生姜のお菓子があまり好きではないのでパス(;^_^A

次に、予約してあったダヴコテッジのツアーに参加。現在、ダヴコテッジはワーズワースのグラスミア(Wordsworth’s Grasmere)という組織が管理していて、ワーズワース博物館とツアーが込みになっています。

総勢12人くらい(マスク着用)が集まり、ガイドさんの話とビデオを観てから、コテッジ内へ。ダヴ(Dove)とは野生の鳩のことですが、灰色の石造りの家並みが続く通りでこの家だけが白塗。ガイドさんの説明によると、かつてはパブだったそうで遠くからでも目立つように白く塗ったのだとか。

 

かつてはパブだったという白いコテッジ。室内は当時の灯を再現して薄暗い

ワーズワースといえば、「子どもは大人の父(The Child is father of the man)」という節が出てくる『虹(The Rainbow)』が有名でしょうか?湖水地方の自然をこよなく愛し、「人が見出すことのできる最も美しい場所」と称賛した彼は、友人サミュエル・コールリッジと共に、自然を賛美する情熱的・感情的な詩で、英国文学史に新風を巻き起こしました。

 

ワーズワースを語るうえで、忘れてはならないのが妹、ドロシーの存在。自らも日記や詩を綴りながら、生涯結婚することなく献身的に兄を支え続けたのです。彼女の作品は死後出版され、その才能を認めらることになりました。

 

   ワーズワースと妹ドロシーが書き物をした書斎のテーブル。2階のドアから直接庭に出られる

庭はなだらかな斜面になっていて、上まで登ると東屋があり、ワーズワースはここで緑美しい丘や湖、町を眺めながら詩作に耽ったといいます。この日は残念ながら遠くの風景は雨にけぶって見えませんでした。

短大時代にゼミでワーズワースの詩を学んだ際、『水仙(雲になって独り彷徨う)Daffodils(I Wandered Lonely as a Cloud)』を暗記した遠い日の想い出…。イギリスに来て、早春の光の中に群れ咲くラッパ水仙を見て、「ああ、これが黄金のラッパ水仙か!」と感激したのを覚えています。できたら春にグラスミア湖畔に群れ咲く水仙を見てみたいです。

      雨に濡れてひっそり静まり返ったよそ宅の庭

そぼ降る小雨の中、当時の面影を残す町並みをゆっくり散策してから、帰途に着きました。

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10月は場面緘黙の啓発月間です

早いもので今年もすでに3か月を切りましたね。秋も深まってきて、朝夕は暖房を入れるようになりました。イギリスではマスクをしない人が増えてきて、コロナ感染者の数は一向に減らず…。毎日の感染者数は3万~4万人と高いままで、冬に突入したら一体どうなっちゃうんだろうと不安です。

        雨上がりにみかけた二重の虹と玄関のステンドグラスの光

さて、10月は場面緘黙(メンタルヘルス全般)の啓発月間。イギリスのチャリティ支援団体SMiRAでは、オンライン講習会を複数開催中です。

10月2日に行われた第一回目の講習会は、SLT(言語聴覚士)のスザンナ・トンプソンさんによる『場面緘黙の案内(An Introduction to Selective Mutism)』。参加者は保護者、専門家、学校関係者、緘黙経験者など30名ほど。最初に録音された講習ビデオを観て、その後に質疑応答という形式でした。

ビデオを観ている間に質問があればタイプしていき、ビデオが終わった時点でスザンナさんが質問に応答。質問者とのやり取りは少なかったものの、全部の質問にテキパキと答えてくれました。

まだ緘黙歴が短い園児や小学生を対象とした講習会でしたが、その中で興味深かった点をご紹介します。

1) 園や学校での緘黙教育を徹底する

まずは園や学校スタッフ全員に場面緘黙を知ってもらい、子どもに対して誰もが一貫した対応をすることが重要。緘黙児は緊張すると、固まったり、無表情になったり、下を向いたり、視線を避けたりと様々。中には、笑顔に見えたり、ニヤニヤしているように見えたりする子も。緊張と不安に対する反応はそれぞれ違うことを理解し、まず緊張をやわらげることを考える。

緘黙をいち早くキャッチし、すぐに保護者に知らせて支援を始めることが大切。発見が早ければ早いほど、回復も早い。

2) 専門家との関わり

SLTや小児心理士など、専門家が子どもと1対1でセッションを行う必要はない。これは緘黙状態がまだ固定していないため。専門家は主に保護者や学校にアドバイスし、緘黙を理解させ支援の指示をする。まずは子どもを取り囲む環境を変え、「話す」プレッシャーを取り除けば、改善は早い。

専門家がいなくても、周囲の理解と協力があればマギー・ジョンソンさんとアリソン・ウィンジェンズさん共著の『場面緘黙リソーズマニュアル(Selective Mutism Resource Manual)』で充分対応できるとのこと。(学校の別室で保護者やキーワーカーが子どもと週3回、10~15分ほどの『スライディング・イン』法セッションを行うことを奨励)。

3)  子どもに自信をつけさせ、自己評価をあげる

どうせ答えないからと、とばしたりせず常に参加させること。できるだけ時間をあたえ、頷きなどでも応えられたら、言葉がけを忘れずに(褒められるのを嫌がる子も多いので、さりげなく)。

子どもは目立つことや他の子と違うことを嫌がる。保護者と子どもと取り決めをしておき、子どもが一番やりやすい方法(カード、秘密のシグナルなど、性格や年齢によって異なる)でコミュニケーションを取れるようにする。常にスモールステップで進むことが大切。

また、保護者や友達が緘黙児のために代弁するのは良くない(話さなくてもいい状態に慣れてしまうため、緘黙を強化する原因になる)。常に話す/ コミュニケーションを取れる機会を与え続けること。

4)トイレの問題

園や学校でトイレに行けない緘黙児は多い。カードや秘密の合図を使える子どももいるが、全員に有効という訳ではない。まず覚えておきたいのは、緘黙児は自分から行動を起こすのが難しいということ。

一番いいのは、先生がクラス全員にトイレタイムを促したり、二人一組でトイレに行かせたりする方法。みんながやれば不安は下がるし、誰かと一緒だったら行きやすいかもしれない。

それぞれの子どもによって違うので、まず何が不安なのか子どもに確認する必要がある(大人が思ってもみないことを不安に感じている子も)。どうしたら一番楽か子どもと話し合って対策を決めると良い。

スザンナさんは園児から大人まで場面緘黙に苦しむ多くの人たちの治療にあたっていますが、やはり早期発見・介入することが最重要と強調していました。現場に緘黙の知識があれば、専門家が関わらなくても改善は早いのです。学校側の支援体制も問題ですが、保護者も気づいた時点でいち早くアクションを起こすことが大事です。

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湖水地方の夏休み(その4) ピーターラビットを探して

ホリデー4日目のハイライトは、『ピーターラビット』本の著者、ビアトリクスポター(1866 –1943)が仕事場として使った17世紀のファームハウス、ヒルトップと絵本の原画を展示しているホークスヘッド村のギャラリーを訪問すること。予報が雨だったので事前にチケットを予約しておいたのですが、運よくいいお天気に恵まれました。

湖水地方西部の田舎道をどんどん進み、「え~っ、こんな裏道から行けるの?」と心配になるような細~い道を通って(ナビが近道を選んだ?)、絵本の舞台にもなったニアソーリー(Near Sawrey)という小さな村に到着。ナショナルトラストの駐車場に車を停め、チケット売場に寄ってから歩いてすぐのヒルトップへ。

  

     ヒルトップへの標識とニアソーリー村。バス停には「ピーターラビットに注意?」の標識が

  写真左の庭から家へと進みます。途中、ミツバチが密集している花があったのですが、ポターが養蜂用に植えた木(中)だそう(名前は不明)。ファームハウスを下りたところには菜園が

良家の子女としてロンドンで生まれ育ったポター

『ピーターラビットのお話』が出版されたのは1902年、ポターが36歳の時のこと。幼少期からスコットランドの自然の中で休暇を過ごし、16歳の時に湖水地方を訪れてその魅力にとりつかれたポター。39歳の年に絵本の印税と叔母の遺産でヒルトップを購入しますが、まだまだ未婚女性の自立が難しかった時代。当初は小作人の家族を住まわせて管理を任せていたとか。

売れっ子の絵本作家となったポターは足しげく湖水地方に通い、ヒルトップだけでなく家畜や農地、土地や建物を次々と購入。この頃からナショナルトラストを支援し、湖水地方の自然環境や歴史的な遺産の保護に乗り出したのです。

47歳の時にこの地方の弁護士と結婚し、晴れてニアソーリー村に移住。近くのカッスルコテージに夫と住む傍ら、ヒルトップの2階に創作のための仕事場を構えました。

     『こねこのトムのおはなし』に登場した玄関ポーチ。応接間の暖炉と寝室の天蓋付きベッド

階段の踊り場からは村が見渡せます

    2階には『2ひきのわるいねずみのおはなし』の挿絵に使われたドールハウスや当時の陶器人形が飾られた部屋も。オリジナルグッズの特許を取るなど、ビジネスの才覚もあったんですね

ポターはまた農場主としての才覚も発揮し、伝統的な自然農法や農地の管理・保存に力を注ぐように。視力の低下もあって創作活動を断念したとされていますが、村での暮らしにすっかり慣れて農業に傾倒していったよう。家庭教師の教育を受け、庭仕事すらしたことがない箱入り娘だったことを思うと、本当にたくましいですね。

ポターが77歳で亡くなった後、16の農場と農家や家畜、4000エーカーを超える土地は彼女の遺志によりナショナル・トラストに遺贈されました。

ヒルトップを出て、ニアソーリーの村をぶらぶら散策。絵本に描かれたパブや石垣に嵌められた赤い郵便ポストなどがあって、感慨深かったです。ある家の前で手作りケーキの無人販売をしていたので、おやつに購入してホークスヘッドに行く途中立ち寄ったエスウェイト湖で食べました。

ポターが散歩したり、魚釣りをしたエスウェイト湖(Esthwaite Water)

ニアソーリーからホークスヘッド(Hawkshead)までは車で5分ほど。村の入口に手書きで「駐車場」と書かれた看板を見つけて車を乗り入れると、そこは地元の小学校(笑)。夏休み中に駐車場を開放して、お金を稼いでいるんですね(設置した料金箱に現金を入れるしくみ)。

ビアトリクスポター・ギャラリーの予約は午後だったので、まずは詩人のウィリアム・ワーズワースが寄宿したグラマースクールへ。室内の見学はせず、学生だったワーズワースがよく散歩したという教会と墓地を散策(学校に隣接)。

    今は博物館となっているホークスヘッド・グラマースクールと教会。村のアイスクリームショップには長蛇の列が

人口600人ほどのホークスヘッドはニアソーリーに比べると随分大きくて、古い石畳の通りにショップやレストランが連立しています。とはいえ、歩いてすぐ回れる大きさですが…。観光客があふれていましたが、時間制のためもあってかギャラリーはガラガラ。

 

ポターの夫、ウィリアム・ヒーリスの弁護士事務所があった建物がギャラリー。数は多くないですが、原画や手紙、写真などが飾られています。葉書大の原画は緻密なタッチや色使いが素晴らしかったです。

   

  ナショナルトラストの創始者で、湖水地方の自然保護に努めたハードウィック・ローンズリー司祭と。充実した表情がうかがえる晩年の肖像画

ホークスヘッドを後にして、次はポターが1882年に初めて湖水地方を訪れた時に宿泊したという、レイカッスル(Wray Castle)へ。城の中をぐるっと見学し(一部のみ公開)、ウィンダミア湖へと続く散歩コースを歩きました。

    ウィンダミア湖畔にたたずむネオゴシック様式の城。若き日のポターはここで湖水地方に魅了されたんですね

天気にも恵まれ、とっても得をした気分になった一日。ホリデーアパートの窓からはきれいな夕焼けが見えました。

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湖水地方の夏休み(その3) ウィンダミア湖で島巡り

9月もすでに半ばを過ぎてしまいましたね。秋が深まる前に、駆け足で夏休みの記録を綴っておきます。

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ホリデー3日目は、イングランド北東部に住む友達と合流。イングランド最大、そして湖水地方で一番大きい自然湖、ウィンダミア湖(Windermere 長さ約18km、幅約1.6km)でクルーズ船に乗りました。

私たちが選んだのは湖にうかぶ島を周回するコースで、発着は湖畔の町ボウネス(Bowness on Windermere)。天気は今ひとつでしたが、とにかく雨が降っていないのがありがたかったです。

これと同じクルーズ船で出発、所要時間は45分

   沖には無人のボートがたくさん浮かんでいました。どうやってボートまでたどり着くのか?

クルーズ船をおりた後は、景色がいいという湖沿いの小道をハイキング。やっと湖水地方らしい活動ができました~。

 

    やたら水鳥が多く、白鳥もカモもめっちゃ人懐こい。土産物店では水鳥用の餌を販売しています

 

 切り株になにやら金属が…と思ったら記念にコインが差し込んであるんです!

ショップやレストランが立ち並ぶボウネスの町中までいったものの、前日と同じく席が取れない!今回の旅行は天候が読めなくて細かな予定が組めず、事前にレストランの予約を入れてなかったんですが、こんなにも大変だとは…。

で、やっと入れたカフェの席はカウンター前の小さなテーブル。他のテーブルは空制ながら、予約のカードが立てられていました。

  

  息子が注文したピザとチキンがどーんと入った私のシーザーサラダ。なかなか美味でした

ランチの後は、高台にあるアーツ・アンド・クラフツ建築の館、ブラックウェル邸へ。腹ごなしに50分ほどかけて歩いて行ったのですが、登り坂なのでけっこうキツかったです。

 

 うまく撮れなかったので、外観とメインホールの写真をお借りしました

この屋敷は1898年から1900年にかけてアーツアンドクラフツ運動で知られる建築家、ベイリースコットによって、マンチェスターの大富豪の別荘として建てられたもの。屋敷からはウィンダミア湖が見渡せます。

      壁や暖炉回り、ウィリアムモリス柄の壁紙やカーテン、家具・調度品、ステンドグラスなど、アーツアンドクラフツの装飾や工芸デザインが随所に

ちょうど、”House of the setting Sun” と題し19世紀に海を渡ってきた日本の着物、帯、浮世絵などの展示会も開催中。日本の工芸やデザインがアーツアンドクラフツ運動に与えた影響も少なくなかったよう。

その他、雰囲気が全然あってませんでしたが、子供向けにこの屋敷の妖怪の絵探しトレイルも(『妖怪ウォッチ』と提携して描いてもらったらしい)。

屋敷をぐるっと見て回った後、館内のカフェでお茶しながら長~いおしゃべり。コロナ禍でなかなか遠方の友達と会う機会がなかったので、顔を見ながら話せたのが嬉しかったです。

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教え子が緘黙だった!!

すでに9月も半ば。イギリスでは冷夏で8月から秋っぽい気候だったのですが、9月に入ってから晴れの日がまた少し戻ってきた感じです。

      先日、1年以上ぶり(?)にロンドン市内のアートギャラリーに行ってきました。Camden Art Centre はコロナ対策も万全。平日で人も少なく、雰囲気のいいカフェの庭でのんびり

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先週から新学年が始まり、まだ夏休みボケの頭をひきずりながら、日本語の授業を再開させました。私が働いているのは、高機能ASD(自閉症スペクトラム障害)の子ども(7歳~19歳)を専門とする私立の特別支援学校の高等学部です。

うちの学校は3年前までは場面緘黙の生徒は一人もいなかった(ハズ)のですが、今日初めてスタッフルームに長居し(昨学年はコロナ禍で人が集まる場所を避けていた)、現在場面緘黙の女性徒が二人いることが判明! しかも、私が教えているAちゃんも場面緘黙だったというのです!(◎_◎;)

えええ〜っ!!! 1年も教えてきたのに、全然気がつかなかった︎!!

灯台下暗しとは、このことですね…(;^_^A

Aちゃんは昨年10月に転入してきて日本語を専攻することになったんですが、担任から彼女のパスポート(生徒の特性を記載した書類)を送ってきたり、事前に問題を指摘してくれることもなく…。授業をやってみて、パスポートを見る必要はないと判断した私 (;^_^A

(うちの学校では、ほとんどの生徒がASDの他に複数の併存障害(ADHD、特定の不安障害、読字障害などの学習障害、話し言葉・言語・コミュニケーションの問題など)を抱えていて、セラピーと薬物療法を並行して行っている子が多いです)。

日本語3年目の男子生徒と彼女を同じ時間内で教えることになり、一方を教えている間、もう片方は書く課題をひとりで行うという寺子屋形式に。

Aちゃんは初めから返事も復唱もできていました。

ロックダウンで学校閉鎖になった時期も、普通にオンライン授業(どの生徒も自分の画像はオフ。普段の授業よりリーディングとQ&Aが増加)をしてましたが、全く問題はなかったし。

いや、緘黙だったとは〜!!!!

そういえば、最初の授業で日本語の挨拶を復唱させた時から、声が出るまでに少し時間がかかっていました。今でも、必ずワンテンポ遅れます。

が、私は「この子は緊張し~なんだな」と思ってたんですね。気長に待っていれば言葉は出てくるし、「これを言うぞ」という決意が全身からうかがわれるので(;^_^A どうしても言葉が出ない時は、単語やフレーズが思いつかないんだなと思って、ヒントを出して応えを促してました…。

あややや〜。知らなかったとはいえ、「言わせる」姿勢を貫いてきてしまった訳です(まあ、その方が彼女にとってはプラスでしたね、きっと)。

思えば、Aちゃんは応えても、応えなくても、頷きをすることがクセのようになっています。(前の学校では、言葉がでないとき頷いて返事をしていたのでしょう)。

多分、Aちゃん自身が転校することで、「自分を変えたい」「絶対に話したい」と決心していたんだと思います。クラスメイトより2歳ほど年上なので、元の学校(多分、公立のマンモス校)で色々あったんだろうなと。今度、担任かTAに詳細を聞いてみようと思っています。

ちなみに、もう一人の子(女生徒が増えて来たのはここ3、4年くらいのことです)は、現在16歳で緘黙の期間が随分長かったとか。でも、うちの学校に来てからは話しているそう。

彼女もAちゃんも1対1だったら大丈夫とのこと。二人とも、グループ活動になると緊張して声が出なくなるようです。

まずは一番仲の良い子とスライディングイン法をしてみて、と提案しておきました。(これからは、時間がある時にスタッフルームをのぞいて、もっと人とのコミュニケーションを増やそうと反省)

やはり、学校がかなり小規模でクラスの人数が少ないことが決め手になっているよう。イギリスの公立セカンダリースクール(12〜16歳)はマンモス校が殆どなので。また、TAの人数が多く、生徒ひとりひとりへのサポートが徹底していることも大きいと思います。

(若くて生徒に年齢が近いTAが多い(大学の修士課に進む前に1年休学して働いているなど)ことが、ASDの生徒のコミュニケーションや社会的スキルの向上にものすごく役立っているはず)。

そういえば、夏休み前に時間の関係で男子生徒と一緒に会話の練習をしたことも。男子生徒の方が知識も慣れも豊富なのですが、Aちゃんは臆さずにしっかり(いつもより?)大きな声で答えていました。「あっ、負けず嫌いの面があるんだな」とちょっと驚いたのですが、もっとこういう機会を増やしていければいいな、と思っている次第です。

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