息子の緘黙・幼児期5~6歳(その1) 祖父母の反応

息子の5歳の誕生日をかねて、夏休みに主人の実家に滞在した時のこと。驚いたことに、息子は祖父母に対しても緘黙になってしまったのです(経緯は『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その24)』をご参照ください)。

滑り台事件(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その7)』をご参照ください)以来、息子はそれまで話していた多くの人と話せなくなってしまいました。が、グラニー(祖母)にはまだ以前と同じように話せていたのです。

車を降りてグラニーに会った途端、息子は私の後ろに隠れました。それを見た義母は、「何恥ずかしがってるの?」「舌をどこかにおいてきちゃったの?」と、積極的に息子にアプローチ。

「緘黙児を安心させるため、話すことを強要しない」というのが、緘黙支援の第一原則です。が、マイペースな義母は、焦る私の心も知らず、どんどん息子に話しかけました。

でも、これが功をなしたのか、息子はポツポツと返事をするようになり、半日くらいで割と普通に会話できるように。反対に、1週間いたにもかかわらず、いつも通り(それ程息子に話しかけない)だったグランダディ(義父)には、殆ど口をきくことができず…。

以来、義両親宅に行く度に(2、3か月おきくらい)、最初は話せないけど、慣れるにつれてグラニーには徐々に話せるようになるというパターンが定着しました。

(実は、息子が私にも口をきけなかった想い出が。それは、6歳の息子を義両親にあずけ、2週間ほど単独で帰国した時のことでした。空港で再会し話しかけると、息子は困った顔をして無言!母親なのに~!車の中ですぐ返事をしはじめ、すぐ話せるようになりましたが、これには本当に驚きました)

時と人、場合によりますが、緘黙児の不安が和らぐまで辛抱強く待つよりも、話すようプッシュした方がいい時もあると思います。下手をすると症状が悪化することもあるので、判断はとても難しいですが。

緘黙克服はスモールステップで進むので時間がかかる上、繊細な子どもの心はアップダウンが激しくて、時にジェットコースターに乗っている気分になります。でも、「三歩進んで二歩さがる」のが普通だと思って、ゆっくり進みましょう。

ちなみに、1年に数回しか会わない義妹夫婦には、クリスマス休みなどで合流しても全く話せない状態が2年ほど続いたと記憶しています。以前は屈託なく接していたので、ものすごく驚かれました。

みんなで集まっているのに、話せる人と話せない人がいるというのは、親にとってすごく気がもめる状態ですよね…。

偏見は持ってもらいたくないし、誰にどこまで説明して理解してもらうかも、判断が難しいところです。

深い森の奥の『アリス』とオーナー夫妻

ここ3週間ほどの間に大切な人たちの訃報が続き、気持ちが沈んでいました。

アリスさんが旅立たれてすぐ、昨年出したクリスマスカードが「宛先不明」で日本から戻ってきて、いやな予感が…。宛先は帰国する際、できるだけ訪ねるようにしていた森の中のカフェ、『アリスの不思議のお店』でした。

オーナーの太田夫妻は殆どSNSをされておらず、ホームページもありませんでした。帰国の際に訪ねると、いつも温かく笑顔で迎えてくれたご夫妻。家族でも何度か訪れ、行くたびに息子の成長を喜んでくれたのに…。

岐阜県中津川市の山奥に佇む森のカフェ『アリスの不思議のお店』

インターネットで調べると、カフェはすでに営業を停止しているよう…。急いで電話とメールを入れましたが、どちらも不通…。

古い知り合いにメールで問い合わせたところ、何と太田氏が病気になり娘さんの嫁ぎ先に引っ越されたと――そして、昨年亡くなられたというのです。人づてに聞いたので連絡先は不明とのこと…。

すごくショックでした。信じられませんでした。

以前のエントリーでは触れませんでしたが、私は『アリス』が輸入雑貨店だった頃にアルバイトをしていて、オーナーの太田草吉さんには本当にお世話になったのです。私のイギリス行きを応援してくださり、店番をしながら色々語り合いました。おおらかで優しく博識で、ずばっと本質を衝くシャープさも。「草べさん」という愛称で、皆から頼りにされていました。

   画家のアトリエとして建てられたカフェ『アリス』は、木造りで天井が高く、広々とした居心地のいい空間。香り高いハーブティーとゆったり流れる時間が魅力でした

 

太田夫妻が心を込めて作る料理は、優しく奥行きのある味でした

  

    奥様が丹精された庭には、ハーブや四季折々の季節の花が。周囲の森に溶け込む自然な風情に心が和みます

5歳位だった息子を連れて里帰りした時は、緘黙で固まった息子にピアノを弾かせてくださり、すぐに馴染むことができました。「学校なんか1年くらい休んでも大丈夫。自信がついてから行けばいいよ」と草べさん。

アルツハイマーになった母を連れて、父の車でアリスを訪れたことも。お二人とも母に気を使いつつも、ごく普通に接してくださいました。美味しいケーキとハーブティーを堪能し、庭に出た時です。奥さんの美保さんがクリスマスローズをたくさん切って、「きれいでしょう?どうぞ」と母に持たせてくださったのです。

母の病が進行し頻繁に単独で帰国していた時期、山奥まで運転できず友達に頼んで『アリス』を訪れていました。ご夫妻の優しさに甘え、ほっとできる空間でした。

最後に訪れたのは、父を追って母も亡くなり、葬儀を済ませて実家にいた時。色々な問題を抱えて、とても落ち込んでいました。私が独りだと話すと、「アリスにおいで」と、草べさんが雪の中を迎えに来てくれたのです。

『アリス』のある森は雪が深く、冬の間は営業できません。シンシンと降り注ぐ雪の中、森の奥へ奥へと走る草べさんの車。ようやく『アリス』の温かな灯が見えた時、ほっとしたと同時に郷愁のようなものを感じました。

   

降り続いた雪がやみ、しんと静まりかえった午後

暖かな室内に

薪ストーブがパチパチ燃える音

甘いハーブティーの香り

大きな窓越しに雪景色の森を眺めながら

失ってしまった、それぞれの母親の想い出をぽつりぽつりと語り合った時間

 

今思えば、どれだけ『アリス』と太田さん夫妻に救われたことか。

それが、記憶の中の想い出になってしまうなんて、思いもしませんでした…。

もうあそこに戻ることはできないのだと思うと、淋しい気持ちでいっぱいです。

草べさん、本当にありがとう。どうぞ安らかにお眠りください。

(追記:この記事を書いている間に、草べさんの妹さんの連絡先を探し当て、電話で美保さんの住所を教えてもらいました。急いで書いた手紙の返事がくればいいなと、心から願っています)

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里山の秋

2月ももう終わり

【訃報】SMiRA創設者、アリス・スルーキンさん逝く

2月15日夜、SMiRA創設者で、一昨年前まで代表を務めていたアリス・スルーキンさん(Alice Sluckin)が亡くなりました。99歳でした。

アリスさんは、1992年にリンジー・ウィテントンさん(SMiRAコーディネーター)と支援団体SMiRA(Selective Mutism Information Research Association)を設立。場面緘黙の支援に情熱を注いで来られました。設立当時すでに精神医学ソーシャルワーカーの仕事を退いており、晩年を場面緘黙の子ども、大人、保護者たちの支援に捧げたといっても過言ではありません。

アリスさんと場面緘黙児たちとの出遭いは、緘黙が殆ど知られていなかった60年代に遡ります。夫君(Wladyslaw Sluckin )がレスター大学教授で心理学者という環境の中、心理学の原則を当てはめながら緘黙を研究し、論文を発表。場面緘黙治療のパイオニア的な存在となりました。

アリスさんとSMiRAのお陰で、イギリスではいち早く場面緘黙の支援・治療の方法が一般に浸透していきました。現在でも支援体制が整ったとはいえませんが、SLTのマギー・ジョンソンさん他、多くの専門家が誕生し、学校関係者の知識も豊富になっています。

私自身も、息子が緘黙になり闇の中にいた14年前、アドバイスや温かな激励をいただき、アリスさんには感謝してもしきれません。個人的にも懇意にさせていただき、昨夜リンジーさんから訃報を聞いて以来、心にぽっかり穴があいたように感じています。

2005年にSMiRAとアリスさんとの出遭いがあり、2006年に『場面緘黙ジャーナル』のフォーラムで心理士の角田けいこさんや緘黙児の保護者たちと出遭い、その翌年にK-netが誕生したのです。考えてみると、縁というのは本当に不思議ですね。

       2013年、SMiRA創設21周年記念パーティにて。緘黙経験者でミスイングランドのカースティ・ヘイズルウッドさんと

19歳の時に単独でチェコからイギリスに亡命したアリスさん(詳しくは『プラハの夏休み(その2)』をご参照下さい)。小柄ですがバイタリティーにあふれ、慈愛とユーモアに富む、本当に可愛らしい方でした。

アリスさんとの想い出は尽きませんが、2009年のSMiRAコンファレンスにKnet代表の角田さんと私を招待してくださり、会の後にレスターのご自宅に泊めてくださった時のことが鮮明に心に残っています。

当時79歳だったアリスさんは、すでに夫君を亡くされて一人暮らしでした(息子さん二人は独立)。閑静な住宅地にある家は、書籍だらけ。日当たりのいい居間には、ご家族の写真と鉢植えがたくさんありました。

すでにご高齢だったにもかかわらず、テキパキ動き回って会話も達者。夕食をご馳走になったんですが、アリスさんの食べるスピードの速いこと!食事に集中する姿に驚き、感動し、これが彼女のバイタリティの源なんだな、と思いました。翌日、私たちが作った具沢山のインスタントラーメンを、同じように「美味しいわ」と食べてくださり、また感激。

アリスさんは、2010年にその貢献を称えられ、OBE大英帝国勲章(Order of the British Empire)を受勲しています。受章者はバッキンガム宮殿に赴き、エリザベス女王から直接勲章を授かるのです。が、「衣装は?」「晴れ舞台よ!」と浮かれる周囲の興奮をよそに、アリスさんは何とチャリティショップで中古の洋服を購入。誰かのおさがりを身に着けて、女王様に謁見したのでした。

自然体で飾らない、彼女らしいエピソードなのですが、まだ続きがありました。昨年夏、99歳の誕生会に参加させていただいた時、ご子息が「母らしい」と、額縁ではなくチョコレートの空き箱に張り付けた受章時の記念写真を見せてくれたのです!

2010年代に入ってからは、SMiRAコンファレンスの昼食後、講演中にこっくり居眠りをする姿が頻繁に。今考えれば、90歳代だったので当然なのですが、保護者や専門家たちと歓談し、積極的に会に関わっておられました。

2015年SMiRAコンファレンスにて

2015年にプラハ旅行から帰った後、プラハのシナゴグ(ユダヤ教会堂)でホロコーストの犠牲になった子どもたちの遺品や日記を見た話をしました。「たった一人で亡命して、本当に大変でしたね」と声をかけると、「それはもう昔のことだから」と…。

アウシュビッツの強制収容所で家族全員を亡くしたアリスさんですが、一言も誰も責めようとはしませんでした。現在SMiRAは海外の支援団体と協力し合っていて、その中にはKnetはもちろん、ドイツの支援団体も含まれています。

後ろではなく、前を向いて生きていく――アリスさんの生きる力に尊敬の念を抱かずにはいられません。彼女の情熱が人々を動かし、場面緘黙を一般に広め、支援の輪を広げてきたのです。

2年ほど前、ケアを受けながらまだご自宅で独り暮らしを続けるアリスさんを訪たことがあります。ものすごく喜んでくれて、帰り際に私の手をぎゅっと握ってくださいました。その手の温かさを、今も忘れることができません。その温もりは、アリスさんの人柄そのもののように感じました。

アリスさん、本当にありがとうございました。

本当に温かくて、芯が強くて可愛らしい女性――誰からも愛されたアリスさんのご冥福を、心からお祈りいたします。

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その24) 大きく後退!

「大丈夫?」

カチコチに固まっている息子にかけよる私に、知らないママさんからこんな言葉が…。

「何を食べたいのか訊いても、返事しないのよ。他の子も待ってるし、困っちゃったわ」

「すみません…」

(押しの強そうなハキハキした外国人女性で、私自身も少々ビビってしまいました)

彼女の前の大きなテーブルには、料理やサンドイッチ、お菓子類など色々な食べ物や飲み物がいっぱい。子ども達はテーブルまで行って、大人に好きな物を言ってお皿に入れてもらうのです。

多分、T君と一緒に来たのはいいけれど、大人に声をかけられて返事ができず、固まったんだろうな…。

シマッタ~!!!

ずっと息子についててあげれば良かった、と後悔しても後の祭りでした。

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この一件があってから、息子に変化がありました。

それまではそれ程ではなかったのに、すごく人目を気にするようになったのです。

以前は平気だったのが、「見られてるから」と下記を嫌がるようになりました。

  • バスに乗る
  • 外食する

以前は楽しさの方が勝っていたためか、バスやカフェ・レストランの中では、人目を気にすることなく家族には普通に話せていたのです。突然のことに、「ええ~っ、どうして?!」とビックリしました。

でも、一番驚いたのは祖父母と話せなくなったこと。数か月ぶりに祖父母宅に行ったところ、顔をあわせた途端に息子は私の後ろに隠れたのです…。

『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その22)』に載せたTalking Mapを参照していただくと判るのですが、息子はグラニー(祖母)が大好き。赤ちゃん時代からグラニーには甘えまくりで、頻繁に会って親密な時間を過ごしてきました。それが、グラニーを前に言葉が出なくなるなんて。

その一方で、背が高くがっしりした紳士風のグランダディ(祖父)には、あまり自分から近寄らず、片言で返事をするという感じでした。それでも、全く話さないことはなかったのに…。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その23)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その23 夏休みの落とし穴!)

あっという間に1月も、もう終わりに近づいてきました。この新学期はどの生徒さんも情緒が少し不安定で(休み明け病ですね)、何かと問題が…。先週、近くのスーパーで買い物をしていたら、何年かぶりに息子の小学校(幼児部)時代のSENCo(特別支援コーディネーター)と遭遇。昔話に花が咲き、当時の記憶が蘇ってきました。

さて、久しぶりに息子の緘黙話の続きです。

レセプションクラスが終わる7月上旬には、教室での息子の緘動はかなり和らぎました。担任やTAの温かい見守りの中でなんとか課題や工作ができるようになり、B君とT君のおかげで毎日安心して過ごせていたと思います。

SMiRAの資料によると、緘黙児は長い休みの間に学校環境から遠ざかることで、進歩していた状態が元に戻ってしまう可能性が高いとのこと。抑制的な気質の子どもには新しい環境に慣れにくい特性があり、新学期に教室に戻る際も馴染むのに時間がかかるのです。

新学期からは1年生になって本格的な勉強が始まるし、担任も変わる予定(クラスは持ち上がり)…なんとか夏休み中も学校に行ける機会がないものか…。

そう思っていた時、夏休みのサマークラブのお知らせが!息子の少学校(幼児部)には、放課後子どもを預かってくれるプレイセンター(学童クラブのようなもの)があり、夏休み中にもプレイセンターを開催すると書いてありました。毎日学校の集会場と校庭を使って様々な活動を行い、バスでの小旅行の予定もあると。まさに渡りに船!

息子ひとりでは到底無理なのでT君ママに相談したところ、クラブが終わる8月中旬まで週2日参加させることになりました。ありがたや~!

サマークラブにはレセプション(5歳)から2年生(7歳)までの子どもが参加。知らない子がいっぱいいたのですが、T君のおかげで嫌がらずに通い始めました。前年の夏休みに同じようなサマープレイグループに参加した経験も役立ったかもしれません。

お弁当持参で9時に学校に送り届け、3時にお迎えに行くと、T君と一緒に楽しそうに校庭に出てきました。バスでの小旅行は最初渋っていたものの、ちゃんと行けて、割と楽しめた様子。

サマークラブの他に、B君や昔の友達と遊ぶ計画も立てました。でも、現実はうまくいかないもの…。夏休みは楽しく過ごせそうと思っていた矢先に、また落とし穴にはまったのでした。

それは、幼稚園に同じ日に入園した女の子、Sちゃん(詳しくは『稚園入園-息子の緘黙・幼児期3~4歳(その3)』を参照してください)の誕生会での出来事。T君とSちゃんは同じクラスで、別のクラスの息子も昔のよしみで招待してくれたのです。

(Sちゃんもすごい引っ込み思案で、園に慣れるのに時間がかかった子です。Sちゃんママは、娘の小学校入学と同時に小学校のミールタイムスーパーバイザー(給食の時間に校内や校庭で児童を見張る仕事)として働き始めました。彼女も心配だったんでしょうね。1月に入学した当時は、「入学してからまだクラスで口をきいてないのよ」とも…。

そんなSちゃんでしたが、順調に学校に慣れて、以前よりも活発になった様子。息子もみんなと同じクラスに入れていたら――と当時は思ったものです。ちなみに、Sちゃんは移民3世でした)。

Sちゃん宅は公園の近くの大きな家。ものすごく広い庭にテントを張り、エンターテイナーを呼んでの盛大な誕生会でした。子どもが30人くらい、付き添いやお手伝いで残っているママさんも10人くらいたと記憶しています。

(この頃になると、子どもの誕生会で会場に残る保護者はだんだん減っていきました。みんな送り迎えをするのみで、後はホストにお任せ。みんなどんどん自立してすごいな、とちょっと焦りがありました)。

この日、息子はT君と一緒だったのもあり、エンターテイナーの指示に従ってT君の隣で歌ったり、走ったり。これなら大丈夫だなと一安心しました。

そして、私は「もう少し自立させたいな」と欲を出してしまったのです。困ったら探しに来るだろうとタカをくくり、息子のいる裏庭を離れて、T君ママと家の中へ。

小一時間くらい経った後でしょうか。他のママさん達とお茶を飲みながら、久しぶりにゆっくり雑談していたら、「〇君のママ、来て!」とお呼びが。

急いで行ってみたら、食事やスナックを出している部屋で、息子がカチコチになってつっ立っていたのです…。

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お子さんはたんぽぽ、それとも蘭?

新年、明けましておめでとうございます。こんな辺境のブログを訪れてくれる方々、ありがとうございます。なかなか思うように更新できず、息子の緘黙記も停滞しているのですが、今年もどうぞよろしくお願いします。

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昨年の暮れ、12月30日のTimes紙日曜版を読んでいたら、教育セクションにあった『あなたのお子さんはたんぽぽ、それとも蘭?』という記事が目にとまりました。

これは、1月24日に出版されるアメリカの児童心理学者、トーマス・ボイス博士(Dr Thomas Boyce)の著書『蘭とたんぽぽ(The Orchid and the Dandelion)』を紹介したもの。ボイス博士は、カリフォルニア大学の小児発達行動医学部長で、カナダの最新医学研究所で小児脳発達プログラムの共同監督も務めています。

彼によれば、子どもの5人にひとりは「蘭」。周囲の環境に鋭敏に反応し、病気になったり挫折しやすい傾向を持つ…ただし、適切に養育されれば最高レベルで成功できる素養を持つとのこと。

対して、それ以外の80-85%の子どもは「たんぽぽ」で、雑草のようなタフな精神と抵抗力を持ち、 どんな家庭や学校環境でも伸びることができるという学説。

あれっ、このパーセンテージ、どこかで聞いたことがある⁉

そうです。場面緘黙になる要因として知られる、行動抑制的な気質に生まれつく子ども10〜15%と、ほぼ重なるのです。この有名な学説は、同じくアメリカの発達心理学者、J ケイガン(J Kalan)博士によるもの。

ケイガン博士の説は『ささいなことで動揺してしまうあなたへ』の著者、エレイン・アーロン氏の著書の中で何度も引用しています。

アーロン女子は『敏感すぎる子どもHighly Sensitive Child(HSC)』の中で、「HSCはありえないストレス下に置かれなければ、精神的に病むことはない。その90%は、ケイガン博士が唱えるように、常に行動抑制的で不安に悩む成人にはならない」と記しています。

が、それに反してボイス博士は、「子どもの15-20%は『蘭』で、『子どもの集団に見られる、すべての身体的および心理的な病気の大部分を経時的に経験する』」と述べているのです。

「『ラン』の子どもは往々に泣き虫で、シャイで過敏であり、周囲の環境に対して脆弱で過敏に反応するため、より共感的な養育・教育が必要となる。適切な支援がなければ、病気になったり、薬物に依存したり、犯罪に手を染めたり、精神を患う傾向が強くなる」とも。

ひょえ~、こんな風に言い切られると怖いです…。ケイガン博士やアーロン女子と比べると、悲観的ですよね…。

でも、ボイス博士の研究のきっかけは、自身の家族なのです。なぜ他の子と同様に成功する能力を持ち合わせた子が病気に屈してしまうのか――転校をきっかけに苦しい日々を送るようになった妹、メアリーを真近で見てきて、興味を持つようになったといいます。

メアリーは、他の子どもなら踏み越えていくだろう困難にぶつかってレールから脱線していき、52歳という年齢で自らの命を絶ったのだそう。

彼は、二人の子ども時代は何ら違うところはなかったと回想しています。1950年代にカリフォルニアの中流家庭に生まれ、両者ともに頭脳明晰。しかし、スタンフォード大学とハーバード大学というアメリカ最高峰の大学2校で学位を取得したものの、内向的だったメアリーは徐々に精神を病み絶望感にさいなまれたといいます。

記事より:

「蘭」の子どもは生まれつき特別に繊細で、この繊細さはソックスの皺を気にするというような身体への刺激に対する過剰反応によって、幼い頃に発見されることもある。

↑ これって、ASD児やSM児によくある感覚過敏のことですよね…。

彼らはストレスに対して顕著な反応を示し、内向的であることや、学校で仲間外れになったり虐められたりすることにより敏感だ。

↑ 同じストレス、虐めや仲間外れでも、「蘭」の子と「たんぽぽ」の子では受け止め方や衝撃度が異なるということ?「蘭」はより傷つきやすく、回復が難しい・時間がかかるということなんだろうと思います。

また、「多くの保護者に『蘭』の子と『たんぽぽ』の子が一人ずつ生まれるだろう」とも。

↑ 実は、彼の子ども二人もこのパターンなんだそう。でも、ボイス博士の妹が「蘭」であったことを考えると、彼の家系には「蘭」のDNAが流れているので、「蘭」の子が生まれる確率が高いように思います。

彼の説によると、人口の1/5は「蘭」に生まれついていることになり、35人のクラスに5~6名は超繊細な「蘭」の子がいることになります。けれど、その子たちが全員辛い人生を送るようになる訳じゃないですよね。

私はシャイで敏感な子どもでも、徐々に鍛えられて強くたくましく生きることができると信じてます。実は、自分も「蘭」の部類だったと思うのですが、時を経て面の皮が随分厚くなってます(^^;)

アーロン女史もいうように、どのように支援しながら養育・教育するかが、将来の鍵となるよう。

私たちも、通常よりも育てにくく、周囲からの配慮が必要な「蘭」の子の保護者。責任重大だなあと改めて思いますが、周囲の環境などはコントロールできない部分が大きいです。保護者も、メゲずに柔軟に対処していけるといいなと思います。

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アイスランドの夏休み(その9)

今年も残すところあと1日。今回、やっとアイスランドの夏休みを完結できそうです。時間が空いてしまいましたが、お陰でまたあの独特の空気や風景を想い出すことができました。皆さん、良いお年をお迎えください。

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9日目(最終日):エイラルバッキ村経由して帰国

最終日は、コテッジの近くにあるナラロス灯台 (Knarraros) に寄ってから、西隣のエイラルバッキ村 (Eyrarbakki) の民族博物館を見学。そこから空港に向かい、午後遅い飛行機で帰途に着くという予定。

 

     灯台に行く途中、アイルランド産の馬が地面に寝ている場面に遭遇。馬の顔がとっても表情豊か

 

      1939年に建設された灯台はアイスランドで初のコンクリート製灯台。この辺りの海岸は砂浜ではなく、湖の畔のように草地になっていました。

 

 

ストックスエイリの町の一本道を走っていたら、なにやら 写真撮影をしているグループに遭遇。車を降りてみると、かつて漁師が使っていた草屋根の宿泊小屋がありました。

横からみると、ただの草の山にしか見えません

中は6人分のベッドが。冬の海へも漁に出かけたのかな…

そこから西隣にある海沿いの村、エイラルバッキへ。ここはアイスランドでも最も古い移住地のひとつで、デンマークからの移民が住み着いた場所。海岸には細かな砂利の浜があり、波に洗われた小さなガラス片が太陽の光にキラキラ輝いていました。

砂利の海岸と北欧風のカラフルな家が並ぶ小さな目抜き通り

村の教会の隣に、なんとも可愛らしい民族博物館が。18世紀に建てられたデンマークの商人の家に当時の調度品や写真が展示され、その豊かな暮らしぶりを偲ぶことができます。こんな寒い国にやってきて、家族はどう感じたのかな…。敷地内には小さな海洋博物館もあり、入場料1000ISK (約940円) で両方見学できます。

居間と屋根裏の子供部屋

    キッチンにはお茶のセットが置いてあって、親切な係員さんが「自由に飲んで」とコーヒーを注いでくれました

鳥の剥製や卵のコレクションを集めたEgg House

その後、博物館の向かい側にあるこの村に唯一のレストラン、Red House でランチをすることに。村のカフェと思って入ったら、テーブルに生花が飾られたきちんとしたレストランでした。若手のシェフが腕を振るうモダンなメニューは、普段の2倍以上の値段!注文してから、なかなか料理が出てこなくて、飛行機の時間が~と焦りました。そして、付合わせのブルガー小麦がなかったことに、後で気付いたのでした…。

    この魚料理は今回アイスランドで食べた中ではピカイチ。お金と時間がある方にはお勧めです

焦りながらも美味しいただき、エイラルバッキ村を後にして一路空港へ。途中、ブルーラグーンの発電所&温泉施設の近くを通りました。

空港内ではガソリンスタンドが軒並み休止中で焦りまくり、チェックインでは追加料金を取られ、ヘトヘトになって飛行機に乗り込みました。大量に残ったコインでコーヒーを買おうと思ったら、「キャッシュレス」と断られガッカリ…。

息子の成人と結婚20周年の旅は、ドタバタのうちに幕を閉じたのでした。あの透明な空気と鏡のような水、そして人を寄せ付けない雄大な自然を、また見られたらいいなと思います。

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アイスランドの夏休み(その6)

アイスランドの夏休み(その7)

アイスランドの夏休み(その8)

アイスランドの夏休み(その8)

今年も残すところあと3日となりました。クリスマスは地方で主人の家族と過ごし、ロンドンで新年を迎えるのが恒例。が、息子は大晦日に友達と泊りがけで出かける予定で、どんどん親離れしていく様が頼もしくもあり、淋しくもある今日この頃です。

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8日目:温泉プールでゆったり

この日は遠くへは行かず、近場でのんびりしようという計画。午前中はセルフォスの北西の地熱地帯にある町、クヴェラゲルジ(Hveragerdi) を探索。午後は事前に予約しておいたフルジール(Fludir)の天然温泉プール、シークレットラグーンに行ってきました。

クヴェラゲルジの地熱地帯では、普通の川に熱湯が流れていてお湯につかれるという情報をゲット。詳しく調べる時間がなかったので、ハイキングがてら探検してみることに。町の駐車場に車を停めて、当てずっぽうに公園から山の方へ歩いて行くと、そこかしこから白い蒸気が上がっていました。

    小規模な地熱発電施設がいくつもありました

    肝心の温泉川は見つからず、小川の温かい水に足を浸してお茶を濁すことに…

町に戻って、地熱料理を味わえるというレストランKjot & Kunstに入ってみました。が、地熱で調理したというミートボールはIKEAのとそんなに変わらず…。やはり値段の割にぱっとしない味なのでした。

 

レストランの外に地熱料理窯があって、期待大だったのですが…

ミートボールセット(左)とお代わり自由のバイキングランチ(お得)

気を取り直して、次はゴールデンサークルのルート中央あたりに位置するフルジールという名の小さな町へ。ここにはアイスランド最古の天然温泉プール、秘密のラグーン (Secret Lagoon 入場料2,800ISK 約2,700円) があります。ブルーラグーンの方が世界的に有名ですが、大幅に値上がりしていたのと(入場料は1ドリンク付9,900ISK 約9,400円)、前回硫黄が強くてアレルギーが出たため、こちらを選択。時間より随分早く着いてしまったのですが、快く入れてくれました。

水温はぬるいくらいなのですが、プールの端に熱湯が沸き出ている箇所があってそこは火傷しそうな熱さ。プールの周囲をぐるりと歩けるようになっていて、小さな間欠泉から熱湯が噴き出る様も見られます。プールに浸かりながらアルコールを飲んでる人が大勢いたんですが、すぐ酔いが回りそう…。

危険な熱さですね…

プールの隣を流れる川の土手には「100度!注意」の標識あり

長湯してすっかり温まリ、帰り道にケリド火山湖 (Kerid Crater) に立ち寄りました。以前来た時と変わったのは、料金場ができていて500ISK(約500円)支払うとパンフレットがもらえたこと。以前は無料だったのですが、今回の旅行では至る所で観光化が進み本当に混んでいました。20年前はホテルもろくになくて、地元民が経営するB&Bに泊ったんです。

   深いグリーンの水をたたえる湖と赤土の斜面のコントラストがきれい。クレーターの上と湖の淵辺を歩けます

アイスランド最後の夜、湖に沈む美しい夕日を堪能しました

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アイスランドの夏休み(その5)

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アイスランドの夏休み(その7)

アイスランドの夏休み(その7)

明日はもうクリスマス・イヴですが、まだ夏休みの話題が続きます…。

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7日目:雨の中の滝巡り

今年、ヨーロッパは例年になくいい天候に恵まれました。でも、アイスランドでは悪天候が続き、私たちの旅行期間も殆ど雨という予報。が、ラッキーなことに実際に雨に降られたのはこの日だけでした。

     ギザギザの岩山を背に、同じ造りのコテッジが並ぶHörgslandの宿泊施設。今回の旅行では、ウォーキングシューズが大活躍

朝はゆっくり起きて、11時頃に西へ向けて出発。ヴィーク村のドライブインでランチブレイクを取ったついでに、海辺へ。前日、ディルホゥラエイ半島(Dyrholaey)から見た奇石群がもっと近くに見えました。

ヴィークを出発して40分ほどで、次の目的地スコゥガフォスの滝 (Skogafoss) に到着。先回の旅行で特に記憶に残った滝ですが、新たに滝口まで登る階段ができていました。で、いざ登り始めたら、これがかなり急でキツかった!主人と息子は息切れしている私を尻目にどんどん先に行ってしまうし、後ろがつっかえているので止まれないしで…辛かったです!

  

  滝の左側の山麓は牛が草を食むのどかな風景。右側の丘に滝口への階段が

   

急勾配の坂を登りきると、滝口の様子と上流の川が見られます

滝幅約25m、落差約60mと、滝の多いアイスランドでも最大規模

次は25分ほど西へ車を走らせ、セリャラントスフォス の滝(Seljalandsfoss)へ。この滝も落差も60m程度ですが、スコゥガフォスより水量が少なく、滝の裏側をぐるっと周れるのが特徴。

  一時雨が止んで、滝の向こうに少しだけ青空が

     

   右側から岩を踏み分けて回ります。防水ジャケットを着ていても、水しぶきでびしょぬれ。薄着だった息子は後で風邪をひいてしまいました

ヘトラ (Hella)の町でガソリンスタンドに寄ったついでに、近くのカフェで一休み。看板にArt Caféとあったので期待して入ってみると、なかなか良い感じ。店内ではハンドメイドの陶芸品を販売してました。

     カフェオレもケーキ(これで900円もする!)も美味しかったけれど、ケーキのデコレーションが古っ(笑)

ゆっくり休んだ後、更に西へと車を走らせ、セルフォスの南にある海岸の村、ストックスエイリ(Stokkseyri)へ。今回の旅行で最後の宿となるのはAirBnBで探したコテッジ。人気のない村を通り抜け、農場の奥の無舗装の道に入ると、そこにはなんとも不思議な光景が…。

   道の両側に、牛骨、オレンジのボールブイ、古錆びた農具などのディスプレイ…この先にはキャンプ場もあるらしいのですが、うーむ…

   コテッジというよりは小屋みたいですが、内装はIKEA風でWifiも完備。すぐ側に湖がありました

   夕食はスーパーで調達した食材で作ったパスタ。フレンチビーンズは冷凍のを使用

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アイスランドの夏休み(その6)

アイスランドの夏休み(その6)

ロンドンの学校は今週の土曜日からクリスマス休みに入りますが、まだまだ夏休みの話題ですみません。今年中には何とか終わらせたいと考えてます。

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6日目:憧れのダイアモンドビーチを目指して

旅行6日目は、アイスランド最大の氷河、ヴァトナヨークトル(Vatnajökull)とその南東側にあるヨークルスアゥルロゥン氷河湖 (Jökulsárlón) が最終目的地。セルフォスからは1号線で東へ約320kmほど。まずは近くにあったスーパーKronanで食料を買い込み、いざ出発。少し行くと、先回の旅行でも見た”Björk”への道標が。

有名な滝をいくつかやり過ごし、アイスランド最南端のディルホゥラエイ半島(Dyrholaey)へ。ここは風光明媚で知られ、灯台のある断崖はアイスランド南岸の絶景を眺められるスポット。ハイキングコースが沢山あって、黒い砂浜のビーチを歩いたり、海にそびえる溶岩の奇石群や柱状節理の崖を真近に見たりできます。でも、この日はめちゃめちゃ風が強く、ハイキングする気にはとてもなれず…。

   ツノメドリなど野鳥の楽園らしいのですが、吹きすさぶ風にその姿は全く見えず。灯台から20分ほど崖の上を歩きましたが、風が強くて寒すぎ…

 岬の先端にある穴の開いた岩、ディルホゥラエイ(アイルランド語で「扉の穴」)

遠くに見えるのはヴィークの海岸に突き出た溶岩の奇石群

あまりの寒さに、早々と車に引き上げました。サーモス水筒(イギリスから持参)の温かいコーヒーが大重宝。自然しかないアイスランドの観光スポットでは売店もないところが殆どなんです。

アイスランド最南端の村、ヴィークのドライブインで昼食を摂り、更に東に車を走らせていくと、遂にヴァトナヨークトル(Vatnajökull)が見えてきました!

 

氷河がこちらにむかって雪崩れてくるようで大迫力!

氷河は何世紀もかけて雪が圧縮され厚い氷の塊になったもの。永続的でありながら、氷自体の重さによってゆっくりと移動しているのです。移動するに従って形を変え、クレバスや割れ目、氷河洞窟などが形成することも。

ヨークルスアゥルロン氷河湖に向かう道は、時折左側に氷河を見ながらのドライブ。そして突然視界が開けてきて、氷山や氷塊がいくつも浮かぶ氷河湖が目に飛び込んできました。先回も来ましたが、自然への畏敬を抱かずにはいられない、何度見ても神秘的な光景です。

遠くに見える氷河が解けてできた氷河湖。氷の色は真っ白ではなく、蒼や緑の様々なバリエーションがありました。きっと天気によっても色が変わるんだと思います

雄大な風景の中、アザラシが数頭泳いでました

今回、どうしても行きたいと思っていたのが、ヨークルスアゥルロン氷河湖の水が海へとそそぐ海岸。湖から歩いて数分ですが、20年前はまだ観光スポットになっておらず、名前もついていませんでした。その名は、ダイアモンドビーチ。

氷河湖から海に流れ着いた氷塊が、黒い砂浜の上に打ち上げられ、波に洗われて様々な形や大きさに変化。形に。氷がキラキラ輝くため、ダイアモンドビーチと呼ばれるようになったのだとか。

まさに氷の芸術…もしかして何百年も前にできた氷?

帰りがけに車を止め、あまり知られていない小さな氷河湖も見学しました。

この日の宿泊先は、氷河湖とヴィーク村の中間点にあるHörgsland。1号線を114kmほど西へ引き返さねばなりませんでした。というのも、ヴァトナヨークトル周辺には殆ど人が住めない場所で、宿泊施設が少ない・高額・満室だったから。

ずーっとハンドルを握っていた主人はヘトヘト。この夜はイギリスから持参したうどんを食べてバタンキューでした。

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