息子の緘黙・幼児期5~6歳 (その7)1学期の個別指導プラン

どんよりと曇った日が続く中、ちょっと晴れ間が出たので久しぶりにハイゲートの森の向かい側にあるQueen’s Woodに行ってきました。枯葉の間から色々な茸がニョキニョキ生えていて、冬に向かう森の生態系を感じることができました。

   

………………………………………………………………………………………………………………………

前の記事で「学校の支援が最も手厚かったのが小学校1年生」と書きましたが、それだけ問題児だったということなのかも(^^;)

小学校では7年間ずーっと同じクラスだったためか、男子ママ友(7人のグループ)の団結は強く、今でも年に複数回集まる仲。先日も集まって昔話に花を咲かせていたら、教師をしているひとりが「あのクラス、担任泣かせだったと思う」と…。

それまで、「いいクラスだった」という意見で一致していたので、「どうして?」とみんなビックリ。

「だって、中等部になって落ち着いたけど結構暴れるASD児(Z君)がひとり、学習障害の女の子がひとり、何にも言わない子が二人(F君とうちの息子。最初は緘動もありました…)。途中で摂食障害になった子もいたし。その上、日本からの編入性(駐在員のお子さん)も多かったしね」

およよ…そういわれると、その通りですね。担任の先生方、当時は本当にお世話になりました。

さて、初めて担任が変わったこともあり、1年生の1学期は前年度のIEP(個別指導プラン)を継続。その内容は下記のようなものでした(通常IEPは1学期に1回更新します)。

2005年6月~10月までのIEP(Individual Educational Plan)

ターゲット1:学校内でひと言、もしくはジェスチャーやサインで自分の意思を伝える

  • 達成目標:10回以上
  • リソース&テクニック:はい/ いいえ の二者選択のQ&A/ 絵本/ 絵カードなど
  • 作戦: 簡単な答えを誘導するリソースを使用
  • 担任とTAへの提案:どのような形のコミュニケーションも奨励する

ターゲット2:自発的なコミュニケーションを促す

  • 達成目標:?回(タイプミスか数字ナシ)
  • リソース&テクニック:好きな玩具、興味のあるもの、ジェスチャー
  • 作戦:話しかけ、なんらかの返事を奨励する
  • 担任とTAへの提案:できたら必ず言葉をかけ、さらに後押しする

ターゲット3:大人+子ども数人による小グループで、インタラクティブなゲームを行う

  • 達成目標:8回
  • リソース&テクニック:小グループ活動/ ボールゲーム/ パラシュートゲーム/ 順番にできる活動/ 人形を使ったロールプレイ/ 「話す+聞く」ゲームなど
  • 作戦:SENCoが行う社会的スキル習得のための小グループ活動に毎週参加させる。
  • 担任とTAへの提案: 小グループで「話す+ 聞く」ゲームや順番に行うゲームを行う

このプランの作成時まだ場面緘黙は診断されておらず、SENCo(特別支援教育コーディネーター)と担任が息子の状態を見ながら計画したもの。レセプションクラス時代はまだ専門家が支援に加わっていなかったため、学校内のスタッフだけで支援するSchool Actionというカテゴリーになっています(現在は法律が変わり、IEPを作成しない学校もあるよう)。

一番最初のIEP(『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その13)学校での取り組み』をご参照ください)と比べると、徐々にターゲットをステップアップさせていることが判ります。

ところで、イギリスの小学校は校長(公募制)の方針によって校風や校則が随分違います。幸いなことに、息子の学校ではインクルージブ教育に力を入れていました。そのため、ASDを主に様々なSEN(特別支援のニーズ)のある子どもを積極的に受け入れていたのです。

障害の深刻さが認定されると、地区の教育委員会から学校に補助金が下ります(残念ながらSMだけでは無理)。そのため、他校よりTAが多く、設備も支援も整っていたと思います。ASD児が多かったせいで社会性を促すプログラムもあり、息子とF君もその中に加えてもらうことができました。

また、クラスのASD児、Z君に専用のTAがついていたので、Z君のグループに入れてもらい目を配ってもらえました。今考えると、すごくラッキーだったなと思います。

<関連記事>

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その1)祖父母の反応

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その2)社会的な機会を増やす

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その3)1年生に進学

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その4)先生が僕を喋らせようとする

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その5)学校外でのスモールステップ

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その6)もうひとりの緘黙児

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その6)もうひとりの緘黙児

昨日から11月に入り、今年もあと2か月を切りました。イギリスでは先週末に時計を1時間遅らせ冬時間に突入したため、午後4時半ころになるともう辺りは真っ暗。

久しぶりに森に行ったら、紅葉はもうピークを過ぎていました。落ち葉が地面いっぱいに積もって、歩くとカサカサ音がする季節です。

  

…………………………………………………………………………………………………………………………

息子の症状が場面緘黙であることが判明したのが2005年5月、それからは息子のことで無我夢中で周りがよく見えていませんでした。

2005年9月に息子が1年生になり、私もクラスボランティアを始めて少し落ち着いてくると、息子のクラスのことが見えるようになってきました。そして、「あれっ」と気付いたことが…。

どうやら、息子のクラスには、もうひとり緘黙児がいるみたい。

記憶を遡ると、息子がレセプションに入ったばかりの2005年1月後半(緘黙傾向はあったものの、まだ顕著ではなかった)、担任が放った謎の言葉がありました。

「大丈夫、もっと重症の子がいるから」…。(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その5)』をご参照ください)。

それが何のことかさっぱり解らないうちに、滑り台事件が起こって息子が緘黙・緘動状態に陥ってしまい、何とかしなきゃと必死だった日々。毎晩ネットを徘徊しているうちに「場面緘黙」という言葉に巡り合い、SMiRAに助けを求め、SENCoと担任に資料を渡して、緘黙の支援をお願いすることができたのです。

今考えると、息子への支援が最も手厚かったのが小学校1年生(幼児部4~5歳)の時でした。その理由は、学校の方針と予算によるものだったと思います。

支援の内容は:

  1. TAとの読本セッション(1対1 週1回15分ほど)(詳しくは『息子の緘黙・幼児期5~6歳(その4)』をご覧ください)
  2. ソーシャルグループへの参加(小グループ 週1回30分ほど)。ASD児のために社会性を育てる小グループに混ぜてもらい、少人数でゲームなどの活動をする
  3. クラスでの小グループ活動における配慮。学校外で話せる仲良しのB君と同じグループに、TAのいるグループにしてもらう

注:なお、1)と2)の活動は授業中に教室から別の部屋に連れ出して行われます。

新学年からこれらの支援が実施されるようになり、ふと気づけば息子と全く同じ支援を受けている男の子がいる…。それは、レセプションクラスに入ったばかりの時、担任が「もっと重症の子」と評した、同じ幼稚園出身のF君でした。

F君は身長が高く、内気ながら結構スポーツができる子でしたが、両親はともに外国人。息子もそうですが、やはりバイリンガル環境や文化の違いが緘黙の発症に影響していたものと推測されます(学校で使う言葉が母国語ではない場面、緘黙の発症率は通常より高い)

ある日のお迎え時間、F君のママが「あなたの子もTAと読本してるでしょ?」と、声をかけてくれました。短い立ち話で、支援が助かるね~と確認し合ったのです。

数日後、また話す機会があったので、「私はSMiRAの会員になって、緘黙の本や資料を持ってるから貸しましょうか?」と訊いてみたのです。そしたらすごく引かれて、「うちの子は違うから」と拒絶されたのでした…。

どうやら、SENCoは彼女に子どもの症状が緘黙だということを説明してない???ただの恥ずかしがり屋で、時間が経てば治ると言われていたようでした…(F君は早生まれの息子より半年前に入学し、その頃学校もSENCoも緘黙についての知識がない状態だったと思います)。

学校で全く話さず、息子と同じ支援を受けてるんだから、絶対緘黙だよ――そうは思ったものの、押し付ける訳にもいかず…。ちょっと凹みましたが、まあ人それぞれだし、とその後は傍観することにしたのでした。

でも、SMの知識があろうとなかろうと、F君ママも子どもの交友関係を大切にして、よく彼の友達を家に招いていたようです。

それが功をなしたのか、F君は息子より早くクラスで話せるようになりました(^^;) クラスに仲の良い友達がいて、休み時間にサッカーなどの遊びに必ず加わっていたことも、克服の助けになったんじゃないかなと思っています。

<関連記事>

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その1)祖父母の反応

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その2)社会的な機会を増やす

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その3)1年生に進学

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その4)先生が僕を喋らせようとする

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その5)学校外でのスモールステップ

場面緘黙とASD

日本は度重なる台風の影響で、豪雨による甚大な被害が出ているようですね…被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。世界中で今までにないような大災害が多発していて、いつ自分が被災してもおかしくないような状況になってきていると思います。

雨続きのロンドンでは秋がどんどん深まり、店先にはクリスマス飾りやカードが。まだそれほど寒くないけれど、近づいてくる冬の足音がきこるよう。

  

………………………………………………………………………………………………………………………….

2013年に『緘黙は発達障害なのか?』という記事を書いた頃、SMiRA掲示板ではASD(自閉症スペクトラム障害)の併存に関する話題は殆どありませんでした。当時は不安、言語やコミュニケーションに関する問題の併存については知られていましたが、ASDや発達障害との関連についてはそれ程着目されてなかったように思います。

それが、SMiRAのFBグループ内では、ここ3年あまりでASDを併存する緘黙児の割合が急増しているのです。

その理由を推測してみると、ASDとSMに対する全体的な知識が深まってきたからのように思えます。

1) 学校関係者や専門家、ASD児の保護者がSMという症状があることに気づいた結果

イギリスでは幼児期における自閉症のスクリーニングが定着していて、就学前(5歳になる前)にはASDの診断がおりていることが多い。以前はSMの症状があっても、その子が持つ自閉症状のうちのひとつ(一定の人や状況へのこだわり/ 他人への興味が薄いため、会話する気持ちの欠如/ 社会的な理解力の問題)と捉えていた。しかし、学校関係者や保護者がSMの知識を持つようになり、ASDの二次障害だと気付くようになった。

2) 子どもの緘黙に気づいた学校関係者、専門家、保護者がASDの併存を疑うケースが増えた結果

最近では、学校関係者や専門家の知識が豊富になったうえ、保護者の側からASDのアセスメントを要求することが増えている。

現在のところ、SMとASD併存率は明らかになっていません。が、2018年に教育心理学者のクレア・キャロルさんがSMiRAのFBグループを対象に行った非公式の調査では(対象者 364名)、SMとASD併存する子どもは、全体の約三分の一(34%)という比率になっていました(詳しくは下記を参照ください)。

もう一つ注目したいのは、最近になってASDと診断される女の子の数が急増していること。自閉症の名付け親、レオ・カナーの1943年の研究によれば、ASDの男女比は4対1。これに対して、2017年のルームズ他の研究だと、3対1の比率になっています。

私が働いている高機能ASD専門の特別支援学校では、これまで女生徒の人数は1割に満たないものでした。それが、今年9月の新学期から女子が急増! 日本語の生徒さんのクラス(15〜16歳)は、女子が3分の1以上に増えていてビックリ。

イギリスのNHS(国民保健サービス)によると、場面緘黙の発症率は140人の子どもにひとり。男女比は女子の方が多く、カナダの団体Anxiety Canadaによると、男女比は1対2となっています。

2018年のクレアさんの調査では、「SM とASDが併存」と診断されたのは、全体の34%(124名)、その中で診断に満足していると答えた98名について、男女比はきれいに1対1に分かれているのです。全体の男女比は公表されていないのですが、とても興味深い結果だと思います。

場面緘黙だからASDというのは決してありませんが、ASD児の中に二次障害として場面緘黙を発症する子が一定数いるのは、間違いないよう。…………………………………………………………………………………………………

2018年度、SMiRAのFBグループで行った調査から(詳しくは『2018年SMiRAコンファレンス(その5)』をご参照ください)

 1) 第一調査:参加者(大半は保護者)364名

SMのみ   66% (240名)  /  SM とASDが併存 34% (124名)

2) 第二調査(1) 対象:「SMのみ」の診断に納得している参加者(162名)

男女比:      男子 23%(37名) :  女子 77%(125名)

3) 第二調査(2)対象:「ASDとSMが併存」の診断に納得している参加者(98名)

男女比:      男子 50%(49名) : 女子 50%(49名)

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その5) 学校外でのスモールステップ

イギリスの秋はどんどん深まってきました。今年もあと2か月半で終わりかと思うと、時間が過ぎるのが本当に早いです。

………………………………………………………………………………………………………………………..

Cちゃんの誕生会に行ってから、学校外で随分人目を気にするようになり、緘黙が悪化してしまった息子(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その24)』をご参照ください)。

それまでは割と平気だった、学校外での社会的場面――買い物、外食、公共交通機関での移動など――を嫌がるようになりました。周囲をすごく意識するようになったのです。緘黙だけでなく、対人恐怖症というか社会不安も一挙に増大。

学校の支援のお陰で少~しずつ改善しつつあると思えた対人関係も、一気にどん底に…。

う~ん、どうやったら元の基準にまで戻せるものか…。ここでも、やはりスモールステップで場に慣れさせるCBT(認知行動療法)を試みました。

この時に役立ったのが日本でもお馴染みになったIKEAのカフェでした。その利点は、

  • 家から離れていて、知り合いに会う確率が0に近い
  • 大好きなミートボールが食べられる
  • 自分で好きな席を選べる
  • 周囲がガヤガヤしている

最初は嫌がっても、好きなものを食べている時は、食事に集中して周囲の目を気にしなくなりました。回を重ねる毎に、誰も見ていないことを徐々に実感できたよう。

バスや地下鉄にも頻繁に乗るようにしました。その時に息子が安心できるよう注意したのは、

  • 最初は知り合いに会わないよう、ちょっと遠くで練習してから徐々に近所へ
  • あまり混んでいない時間帯に利用
  • バスでは息子が窓側に、私が通路側に座るようにする
  • 声かけ「大丈夫」「怖くないよ」「よくできたね」を忘れずに

スーパーや息子の欲しいものがある玩具屋/文具店での買い物作戦も有効でした。注意点は、

  • まずは学校から離れたお店で
  • 好きなものをひとつ選ばせる
  • 嫌がらなかったら、レジまで持って行かせる
  • 様子を見ながら自分でお金を払わせる
  • 声かけを忘れずに
  • (全部クリアできたら、私の声に合わせて「ありがとう」と言わせてみる)

上記のようなスモールステップで、少しずつ少しずつ恐怖症が治っていったように思います。長い道のりですが、諦めずに根気よく。注意すべきは、緘黙児は間が空くと元に戻ってしまう習性があること。なるべく頻繁に行う必要があります。

私が実践したスモールステップは、息子ができそうなことを選んで、自分で考案したもの。緘黙児はひとりひとり違うので、その子に合うスモールステップを組み立ててください。自分の子を一番良く理解しているのは保護者だと思うので、プロに頼まなくても大丈夫です。

そして、ひとつできたら次はもう少し高めのステップにチャレンジさせます。できなかったら、ステップをもっと細かく修正して再チャレンジ。

常にできそうなステップを準備して、少しずつ自信をつけさせることが重要です。失敗して後退してしまうこともあるかと思いますが、その時はその時。怖がらずに親子でチャレンジしましょう!

<関連記事>

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その1)祖父母の反応

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その2)社会的な機会を増やす

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その3)1年生に進学

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その4)先生が僕を喋らせようとする

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その4) 先生が僕を喋らせようとする!

1年生の教室と担任にも慣れてきたかなと思う頃、息子が帰宅するなり「TAの先生が僕を喋らせようとするから、ヤダ!」と訴えてきました。

何の事だろうと聞きだしてみると、息子は読本ができない(教室で声を出せない)ため、別室にてTAと1対1で読本を見てもらっているとのこと(息子ほかにも複数名いて、各15分位ずつ)。そのTAが息子に声を出させようとするので嫌だ、というのです。

あれっ? まずは、話すプレッシャーを無くして、子どもの不安を減少させることが緘黙支援の基本だよね??

前年にSENCo(特別支援コーディネーター)にSMiRAの資料を渡してあり、担任や他のスタッフにも息子が場面緘黙であることは通達されてるはず、と思い込んでいた私。が、どうもそうではないような…。そこで、担任にお願いして、TAとの読本セッションに私も参加させてもらうことにしました。

当日、息子と一緒に読本セッションに行き、TAに「どうして息子が話さないかご存知ですか?」と訊ねてみました。すると、即座に「知りません」と返事が…。

「学校内の連携ができてない~!」とショックを受けましたが、TAはパートタイムだし、担任と話す時間もあまりないのかも…と推測。子どもが本を読めるようにするのが彼女の役割なので、「声を出させるな」という注文は酷かも…。

とりあえず、簡単に場面緘黙の説明をし、話すようプレッシャーをかけないようお願いしました。

それから、その日の読本が始まったのですが、TAは即座に「声を出して読む」のではなく、「指さし」で単語や内容について訊ねるという形に変えました。私が隣にいて安心できていたためか、息子は指さしでTAの質問に答え始めました。

すると、「まあ、ちゃんと解ってたのね!」とTAが感嘆しているではないですか!「グッドボーイ!」と何度も褒められ、息子もまんざらではなさそう――それまで、どれだけできない子と思われてたのか…(-_-;)

何も話さない子に対してTAも接し方が判らなかっただろうし、どうも緊張で身体が動かない緘動状態になっていたのでは、と疑われました。

話せないこと、普通に動けないことで誤解されることって、結構多いかもしれません。誰かが気付いて誤解を解いてくれればいいですが、先生たちも忙しいので、見過ごされてしまうこともあるかも…。

その後、息子は読本セッションに喜んで行くようになり、結果的には担任より先にこのTAに話すことができるようになったのです。

緘黙児に対する接し方については、自然に子どもに寄り添える先生もいれば、努力してるのに子どもが余計に固まってしまう先生もいますよね…。緘黙児は感性が鋭いので、相性が合うかどうかも大きく影響するかもしれません。うちの子もそうでしたが、緘黙児って人に対する好き嫌いが激しいような…。でも、親身になってくれる先生の思いは、絶対に子どもに通じると思います。

<関連記事>

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その1)祖父母の反応

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その2)社会的な機会を増やす

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その3)1年生に進学

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その3)1年生に進学

雨続きの天気の中、イギリスの秋はだんだん深まってきました。雨の合間に太陽が顔をのぞかせると、いつの間にか樹の葉が紅葉しているのに気づかされます。さて、やっと息子の緘黙話の続きです。

真っ赤に紅葉したアメリカ蔦がある知人の庭には、毎日子ギツネが訪ねてきます

……………………………………………………………………………………………………………………..

息子の小学校では、クラスは持ち上がりで担任が1年毎に変わるシステムでした。う~ん、7年間ずーっと同じクラスってどうなの?クラスの中でのイメージや交友関係が固定し、息子は目立たない「おとなしい子」のまま卒業してしまうんじゃないか?――入学前はそんな風に疑問視していたのです。

その上、入学後すぐに場面緘黙を発症してしまい、「しゃべらない子」というイメージが固定化してしまう可能性も出てきた訳です(当時は必死だったので、そこまで考える余裕はなかったんですが)。

レセプションクラス(4~5歳)から1年生(5~6歳)にあがった息子の新しい担任は、一部の保護者から「厳しい」と評されていた女性教師。でも、いざ新学期が始まってみると、とても熱心できめ細かな指導をしてくれる先生だと判りました。

ちなみに、新担任の名前は前年の3学期の終わりに発表され、子ども達は夏休み前に何度か新しい教室に行って新担任と顔合わせするのです。不安が大きく新しい環境に慣れにくい子どもにとって、担任や教室が変わるのは大変なこと。こういう配慮があれば、子どもは安心できますね。

(日本では2年に1度クラス替えがあるから大変だなと思っていたら、1年毎に替える学校もあるようですね…。緘黙児にとっては負担が大きすぎるのでは?)

息子が新しい担任に馴染めるか心配でしたが、初日に下駄箱まで送っていくと、「マミーはここから来ないで」と、ひとりで教室に入って行きました(イギリスでは小2まで送り迎えは保護者の義務です)。この時、「あっ、こんな小さくても、親が立ち入れない自分の世界を持ってるんだな」と感じたことを鮮明に覚えています。クラスでは声が出ませんでしたが、登校を渋ることはありませんでした。

イギリスでは1年生からやっと時間割が定められ、徐々に授業に慣らしていきます。この学年では、読本が遅れている子どものために専用のTAをつけたり、ASDの子ども達のためにソーシャルグループ活動があったり。学校心理士に診てもらえたのも1年生の時。今思うと、この学年の支援が一番手厚かったと思います。

息子の学校での様子が知りたい――そう思った私はボランティアの仕事に手を上げました。1年生から体育で水泳が始まるため、着替えのヘルプをしたいと考えたのです。でも、息子に訊いてみたら、「それは嫌!」と断固拒否。多分、入学前にプール恐怖症になったため、自分が「できない」ところを見られたくなかったんでしょう。

その代わり、B君ママと一緒に週1回ITCのお手伝いをすることにしました。子どもを6人位ずつ順番にITCベイ(PCを並べた廊下)に連れて行き、PCを使ってゲームやお絵描きをするというもの。PCに馴染ませる目的の他に、担任とTAが教室に残った子ども達の算数と国語を丁寧に見る時間だったような…。

ボランティアの利点は、クラスの子ども達と接することができ、それぞれの個性や交友関係などが見えてくること。ここで仲良くなれば、家に遊びに来てくれるかもという下心もありました(^^;)

ITCベイに行く途中、子ども達は手を繋ぎたがったり、おしゃべりしたがったり。中には息子が話さないのを不思議がって、私に質問してくる子も。

「ねえ、〇〇君どうしてしゃべらないの?」

「すっごい恥ずかしがり屋で、学校では緊張しちゃうんだよ。〇〇ちゃん、大きなステージに立ってひとりで歌うことを想像してみて。すごく怖いよね?そういう感じになっちゃうんだって」

「ふーん」

「家ではおしゃべりなんだよ。今度遊びに来てね」

「うん」

訊かれる度こういう会話を繰り返していたんですが、みんな素直に納得してくれてたような…。質問してくるのは大体女の子ばかりで、やっぱり精神的な発育が早いんですね。

<関連記事>

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その1)祖父母の反応

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その2)社会的な機会を増やす

緘黙児とイジメ

前回の投稿から、またあっという間に時間が経ってしまいました。その間、元緘黙の息子は生まれて初めて家を出て、大学の寮へ。イギリスの大学には入学式というものがなく、息子と荷物を車で寮の小部屋に送り届けて、それでお終い…。

空っぽになった自宅の息子の部屋を見ると、やっぱり淋しい~😢でも、少しずつ大学生活に順応できているようで、ほっとひと安心。イギリスでは18歳を過ぎると成人と見なされるため、大学で何かあっても本人の承諾がなければ家に連絡は来ません。まだまだ内気な彼が、大学生活を無事乗り切れるよう願っています。

  

 当日は和食のランチで送り出しました。自炊できない寮なので、イングリッシュフードの毎日に…

………………………………………………………………………………………………………………………..

さて、場面緘黙のために虐めを受けた――そういう話をよく聞きます。特に、交友関係が複雑になってくる小学校中高学年、中学校で多くなるような印象。

緘黙児って虐められやすいのでしょうか?

幸いなことに、息子の場合は緘黙が理由で虐められたことはなかったような。緘黙になったのは小学校に入学したばかりの4歳半で、学校での会話にだいたい支障がなくなったのが7、8歳のころ。低学年のうちに話せるようになったため、虐めに遭わなくて済んだのかもしれません。

今でも鮮明に覚えているのは、レセプションクラス(4~5歳)でお姉さん格の女の子達によく抱っこされていたこと。早生まれの息子は、クラスで最もおチビさんのひとり…。女の子は成長が早いし、きっとなにも喋らず動けない息子を不憫に思ったのでしょう。まるで赤ちゃんのような扱いに笑ってしまったのですが、虐められはしませんでした。いつも友達のB君にひっついて、守ってもらっていたようにも思います。

低学年くらいまでの子どもって、「変だな?」と思っても状況をそのまま受け入れてくれます。ある日、クラスの女の子を家で預かったところ、息子が普通に話しているのを見て最初は怪訝な顔に。でも、すぐに慣れてそれが当たり前のように接してくれました。素直というか、単純というか、許容力があるというか、緘黙治療の早期発見・介入が効果的なのは、周囲の子ども達のこういった特性に負うところが大きいのかも。

過去のブログで何度か触れましたが、子どもの発達において、よく「9歳の壁」という言葉が出てきます。9歳頃になると、子どもは物事をある程度対象化して認識できるようになり、自分と周囲を意識しはじめます。ちょうど小学校の中学年にあたり、自己肯定感や否定感が育ち始めるのはこの頃から。

緘黙児自身もですが、周囲のクラスメイト達も自我がどんどん発達して、周囲や集団の中の自分を意識するように。また、仲間意識が強くなるギャングエイジでもありますよね。特定のグループに仲間として受け入れてもらえるかが問題になってくると思います。

仲間意識を持つには、「話すこと」よりも、周囲とコミュニケーションが取れているか、親しい友達はいるかなど、子どものコミュ力によるところが大きいような気がします。また、緘黙の度合いや、他に不安障害の症状があるかどうかも問題になってきそう。緊張で固まって動けなければ、コミュニケーションどころじゃないですよね…。

また、学校の方針や雰囲気、担任の態度なども重要になってきそう。クラスの雰囲気がよければ、虐めも起こりにくいのではないでしょうか?

子どもが中学生になる頃には、思春期に入って自分の内面世界に気づき始め、自意識 と客観的事実との違いに悩んだり、葛藤したり。自己のアイデンティティーを確立し始める時期でもあります。周囲のみんなが生き方を模索しているため、排他的になりやすい年頃と言えそう。

前回、前々回のブログで取り上げた元緘黙のアーティスト、クリスティーナさんとパリス君は、セカンダリースクール(12~16歳)で初めて虐めに遭っています。

イギリスでは、小学校は小規模でとてもアットホームな雰囲気なのに対し、セカンダリースクール(12~16歳)では突然マンモス校になり、授業は大学のような移動教室式に。子どもは自立し始めることを期待され、小学校時代のきめ細かなケアに比べると、より事務的なものに変わるように思います。

小学校では登校拒否になったり、学校をドロップアウトしたりする子どもは殆どいません。でも、セカンダリースクールでその傾向が高まり、問題を起こして停学や退学になる子どもが増えます。二人が虐めに遭ったのは、こうした学校のシステムによるところもあると考えられます。

緘黙児は繊細で傷つきやすく、自己肯定感を育てるのが難しい傾向にあります。話せないうえに、自分に自信が持てないと、自意識過剰になって余計に友達やクラスと関われなくなることも…。

やはり家庭や学校外で自信が持てる体験を積み重ね、自己肯定感を持つことが重要になってくるんじゃないでしょうか?家族との楽しいおしゃべり、熱中できる習い事、得意な趣味など、なんでもいいんです。勉強やスポーツ、音楽などができればクラスで認めてもらえる要因ともなるので、是非後押しをしてあげたいですよね。

<関連記事>

早期発見・治療の重要性

サキ君の動画について(その2)

最新の緘黙研究、『選択性緘黙への治療』を読んで(その4)

告知するかしないか(その3)

R.I.P. パリス・ラッパー君

元緘黙の息子は、ミレニアム――2000年生まれです。大学生活をスタートするにあたり、今月末に家を出て大学の寮に入る予定。緘黙は10歳前に克服できていた(と思う)のですが、シャイなところはいまだ変わらず…。ちゃんと自立できるか心配だし、ひとり息子なので、やっぱり淋しい~😢

ところで、イギリスの国営放送BBCでは、2000年生まれの子ども25人の成長を追う教育ドキュメンタリー番組『Child of Our Time』をシリーズで放映してきました(『「思いやり」が育ってない?』でも取り上げたので、ご参照ください)。息子と同じ年に生まれた彼らの成長ぶりを垣間見ることを、とても楽しみにしています。

家庭環境、肌の色、考え方・生き方が異なる25組の家族の中に、フォコメリア(あざらし肢症)を持って生まれたアーティスト、アリソン・ラッパー(Alison Lapper)さんと息子のパリス(Parys)君がいます。身体的な障害を抱えたシングルマザーのアリソンさんは、介護者に支えられながらパリス君を育ててきました。

アリソン・ラッパーさんと14歳のパリス君

2003年にはアーティストとしての功績が認められ、MBE(大英帝国)勲章を受勲。2005年には彼女をモデルにしたマーク・クィン作の巨大な彫像がトラファルガー広場に設置され、一躍有名人に。2013年のシリーズ10では、12歳になったパリス君とアリソンさんの仲睦まじい様子が紹介されました。

最新作のシリーズ11が放映されたのは2017年春のこと。急速に変化する時代に16歳になった彼らの日常、SNS重視の交友関係、将来を決める第一歩、全国共通試験GCSEのプレッシャーなど、10名ほどの子とその家族の様子を紹介。アリソンさんとパリス君はGCSE試験と将来についての意見を述べただけ。その数分にも満たない映像からは、彼らの状況は全く伝わって来ず…。パリス君の頬がこけている様に見え、なんだか元気がない印象を受けたのでした。

そして、先週の日曜日、ネットでBBCのサイトを見ていたら、「パリス・ラッパー君が突然死」というニュースが…。

ショックでした!どうして? まだ19歳の彼に、一体何があったの?!

徐々に明らかになってきたのは、ドラッグ・オーバードーズによる事故死…。セカンダリースクール(12~16歳)に進学してから、母親の障害のことで虐めにあい、鬱と不安障害に苦しむようになっていたと。アリソンさんの手におえなくなり、16歳の時にメンタルヘルス法によって強制入院させられたようです(多分、前の記事のクリスティーナさんと同じ)。

彼がいつ麻薬を摂取するようになったのか、ヘビーユーザーだったのかどうかは、定かではありません。退院後は親元を離れて暮らしていたようですが、行政による保護やケアが行き届かず、軌道修正をすることができなかったよう…。アリソンさんは今後同じようなケースが出ないよう、制度の改善を訴えています。

実は、パリス君は息子の友達に良く似ていて、気になる存在でした。行政が反対する中、自分で子育てをしたいと頑張ったアリソンさん。色々なものと戦いながら19年間育てた息子を亡くしてしまうなんて、どんなに耐え難く苦しいことか…。

事故が起こる3日ほど前、二人は一緒に楽しい時間を過ごしたばかりだったといいます。

この先、どんな素晴らしい未来が待っていたかもわからないのに--パリス君の冥福をお祈りしたいです。

 

元緘黙のアーティスト、クリスティーナさん(その3)

今回は、クリスティーナさんが場面緘黙を啓発するために作成した動画『場面緘黙ークリスティーナの物語(Selective Mutism Christina’s Story)』をご紹介します。

この動画では、緘黙になった原因、幼少期の想い出、学校での虐め、ついには入院するに至った経緯などを写真やイメージを交えながら解説。淡々とした語りですが、辛かった時期の心の叫びが聞こえてくるよう。どん底の精神状態から這い上がり、アートへの道を切り開いた彼女ゆえに、説得力があります。

 

クリスティーナさんの緘黙は、1歳の頃におきた両親の離婚や、家族間でのトラウマになるような経験が原因で発症したそう。早期発見と、母親と学校による手厚いサポートが功をなし、小学校時代はスポーツ好きの活発な少女だったとか。学業にも遅れはありませんでした。

動画の3分20秒から、犬のコスチュームを着た6歳当時の写真が出てきます。当時は「吠えることでコミュニケーションを取ろうとした」「犬のふりをすることで話さないことを正当化していた」と…。友人の誕生パーティーで、他の女の子が全員プリンセスの衣装なのに、自分だけ犬だったことは、鮮明な記憶として残っているそう。

7歳の時に母親が再婚したため、スイスに移り住んで現地の学校へ。言葉の問題もあって初めて虐めを体験しますが、それでも友達ができ、不幸ではなかったということ。

イギリスに戻った後は、緘黙でも上手く新しい小学校馴染めたそう。でも、セカンダリースクール(12~16歳)に進学した頃から、思春期も重なって「自分はここに属していない」と大きな不安を抱えるように。12歳といえば、周囲も思春期の真っただ中で、異分子を排除しようとする傾向が強い年頃。クラスメイトは、話さず、自分たちに同調しない彼女を、異分子とみなしたんだと思います。

そんな不安に追い打ちをかけるように、一部教師の無理解も酷いものでした。ある教師は14歳の彼女をひとり教室に残し、「お前が教室にいると、腐った死体といるみたいだ」と言ったというのです…信じられない暴言!自信を打ち砕かれ、自己評価が地に落ちてしまったのも、無理はありません!

学校で固まってフリーズすることが増え、人とコミュニケーションを取ることが困難に。水を飲んだり食事をしたりすることも難しく、頭痛や腹痛に悩まされる日々。トイレに隠れることが多くなり、徐々に学校に行けなくなりました。

母親は言語療法士を含む多くのカウンセラーに助けを求めたものの、場面緘黙への理解も知識もなく、次から次へとたらい回しに。最終的に、行動に問題があって学校に行けない子どもが行く施設に案内されたとのこと…。

孤独と絶望を感じ、自暴自棄になり、普通の生活をすることが難しくなって、ついには病院の精神科に3か月入院(多分自分に危害を与える可能性があったためだと思われ、事態はかなり深刻だったよう)。ここでも緘黙を理解する専門家はいませんでしたが、精神を病む同世代の子ども達に共感し、自分を顧みることで、元気を取り戻すことができたと語っています。また、弟が生まれたことも大きな助けになりました。

学校に戻り、1年遅れで全国共通試験GCSEを受け、ほどほどの成績を取れたそう。その後、カルチャースクールのような場で、大人と一緒に水彩と油絵を学び、才能を開花させていったのです。一般的な手順を踏まずに大学入学を許可されたのは、彼女の才能あってのことでしょう。

「5年後に何をしていたい?」という質問に、15歳の彼女は「大学でアートを勉強したい」と答えたとか。その言葉通り、イーストアングリア大学でアートの修士コースまで進み、今夏は初の個展を開くまでに。

今緘黙で苦しんでいる子・人たちも、きっとクリスティーナさんのように苦しみから脱出できるはず。解ってくれる人たちは絶対どこかにいます。時間がかかるかもしれませんが、決して諦めないで。

<関連記事>

元緘黙のアーティスト、クリスティーナさん(その1)

元緘黙のアーティスト、kリスティーナさん(その2)

元緘黙のアーティスト、クリスティーナさん(その2)

前の記事を投稿してから3週間以上過ぎてしまい、何と今日で8月が終わりです。義父が入院して緊急手術を受けたため、義両親宅に介護に行ったりと落ち着きませんでした。ふと気づくと、もう風に秋の気配がする季節に…。

さて、先回に続きクリスティーナさんの話題です。まず、BBC Storiesに掲載された彼女のインタビュー記事をご紹介します。

WHAT I CAN’T SAY BY TALKING I CAN SAY WITH MY PAINTINGS.🎨.Christina, 24, London: "When I was three years old I stopped…

Posted by BBC Stories on Monday, 29 October 2018

 

WHAT I CAN’T SAY BY TALKING I CAN SAY WITH MY PAINTINGS.🎨
話せないことを、私は絵で表現できる

ロンドン出身のクリスティーナは、現在24歳:
3歳のとき、母と祖母以外の人と話すことをやめました。これは場面緘黙(SM)と呼ばれる症状で、家族間のトラウマを経験した後に発症しました。

場面緘黙は深刻な不安障害であり、特定の状況、もしくは特定の人と話すことができません。

セカンダリースクール(12~16歳)では、事態がひどく悪化しました。自己防衛ができなかったため、苛められたのです。活動への参加を強制する教師もいて、クラスの面前で侮辱されたように感じました。

よく授業を避けてトイレに隠れたものです。最終的には、1年以上学校を休むことを余儀なくされました。

その間、うつ病と不安に苦しみ、3ヶ月間入院しました。 そんなに落ち込んでしまったのは、場面緘黙を全く理解してもらえなかったからです。

私にとってはアートが治療であり、不安から解放してくれるもの。また、オンラインのFBグループでたくさんのサポートを得ることができ、ソーシャルメディアを通してボーイフレンドとも出会いました。SNSは、顔をつきあわせて(不安で)胃が痛くなるような思いをせずに人と知り合える、より簡単な方法といえるでしょう。

場面緘黙の影響はいまだにあります。アポに臨む、お店に行く、電話をかけるといった行為で、パニックに陥ることもありますが、徐々に少なくなってきました。また、場面緘黙の良い面を見るようにすることを学んでいます。

場面緘黙は、私にもっと敏感で、共感的で、観察力のある人になること、そしてより力強いアートを生み出すことを教えてくれたと確信しています。

私は言葉で話せないことを、絵で表現することができます。私の話を共有することで、誰かの助けとなり、場面緘黙の認識を高めることができたら嬉しいです。

今場面緘黙に苦しんでいる人には、自分を表現する術を見つけ、同じ志を持つ人たちに出会うことを勧めたいです。

FBには、自分と同じように苦しんでいる人たちと話せるグループがたくさんあります。あなたは独りじゃありません。

<関連記事>

元緘黙のアーティスト、クリスティーナさん(その1)