息子の緘黙・幼児期4~5歳(その17)「場面緘黙」だ!

ご無沙汰しています。今日で8月が終わり、明日からもう9月…。イギリスでは2週間ほど前から朝夕の気温が下がり、秋の気配が感じられます。「夏休みにはもう少しブログを書こう」と決心していたのですが、思いがけず仕事が入り、その上外出する機会も多かったので、すっかり怠けてしまいました…。

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さて、息子の症状が場面緘黙だと判ったのは、私がネットを徘徊し始めて3ヶ月ほど経った頃でした。最初は、ダイニングルームでの耳塞ぎからASDを疑い(詳しくは『その13』をご参照ください)、ASD児の保護者達が綴るブログを次々と訪問していました。

でも、こだわりや感覚過敏については似た部分があるものの、やっぱり違う…(今考えれば、「耳を塞ぐ」や「アスペルガー」で検索していたので、「学校で話せない」にヒットするはずはなく)。それでも、子どもひとりひとりの成長や保護者の苦悩、努力、喜びに心を動かされ、夢中になって夜半まで読みふけってました。

そんな中で出遭ったのが、確か小学校3年生くらいの男の子のお母さんが書いているブログでした。小さい頃から極度の恥ずかしがり屋で、家ではものすごくおしゃべりなのに、外に出ると別人のようになり、全く話せず動きも限定されてしまう――「うちの子に似てる!」と思いながら読み続けていくうちに、ついに「場面緘黙」という言葉に遭遇したのです!

場面緘黙――それまで一度も聞いたことがない言葉。急いで検索してみたところ、富重さんが運営する『場面緘黙ジャーナル』など一握りのSM関連サイトにたどり着きました。家では普通に話せるのに、学校など公の場では話せない――息子の症状はこれだ!ちゃんと名前があったんだ!

向き合うべき問題がクリアになったことが本当に嬉しく、「息子だけじゃなかった」と安心できたのを、今でもはっきり覚えています。英語ではSelective Mutismだということも判明し、検索の結果SMiRAのサイトにも行きつきました。今から13年も前の、2005年5月のことです。

勇気を出してSMiRAに電話してみたら、創設者のひとりであるリンジーさんが応えてくれました。その後、会長のアリスさんが電話をくださり、私の説明に「それは場面緘黙ね」と判定してくれたのです。色々アドバイスもいただき、とても心強かったです。

かつて精神医学ソーシャルワーカーだったアリスさんは、60年代にいち早く「家の外で話さない子ども」に遭遇し、場面緘黙とその治療法を研究してきた先駆者です。当時はイギリスでもSMがまだ広く認識されておらず、学校はもちろんSENCoでさえ知りませんでした。

そんな中、ネットの普及によって(当時はまだダイヤルアップ方式で接続に電話料金が必要でした)、全く面識のない人たちのサイトやブログから知識を得たり、助けてもらったことを本当に感謝しているのです。私のこのブログも、どこかで誰かの役に立つことがあったら嬉しいと思っています。

(蛇足ですが、「場面緘黙」に遭遇したブログのお子さんは、どういう訳か検診の時に突然ハイになってしまい、発達障害(ADHD)と診断されたとか…。あるASD児の母親のブログと彼女のブログが繋がっていたため、偶然発見することができたのです)

こうして、やっと判明した場面緘黙のことを知るために、まずはSMiRAの資料をプリントアウトし、SMiRAとレスター大学が出版した『Silent Children(日本版では『場面緘黙へのアプローチ』を購入。アメリカのSM支援サイトや日本の緘黙サイトを覗いたりしながら、息子の緘黙克服への支援が始まったのです。

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ブルガリア黒海沿岸の春休み(その5)

イギリスは5月から例年になく好天の日が続き、気温もぐんぐん上昇。7月は観測史上2番目の暑さだったとか。既に8月に入ってしまいましたが、やっと「春休み」の最終回です。

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ポメリエで朝を迎え、その日はバスで「黒海の真珠」と呼ばれる海辺の町、ネセバルへ行くことに。3千年以上の歴史を持つこの町は、黒海沿岸に突き出た小さな半島にあります。旧市街地は1983年にユネスコの世界遺産リストに登録され、古代都市の遺跡があちこちに残っています。

まずはホテルの朝食で腹ごしらえ

ホテルの近くにあるバス停に行くと、ネセバル行きのバスの本数はまばら。11時発のバスを待つ間、歩いて15分ほどの塩博物館まで足を伸ばしましたが、この日はお休み…(後で判ったのですが、シーズンオフなのでバスも少なく、町の殆どの博物館は休館)。仕方ないので、近所にあったスーパーを探索して時間を潰したのでした。

   

    塩博物館の建物。浅瀬に浮かぶ白いラインは何?と思ったら、白い鳥がずらりととまっていました

        キャラメルみたいなパッケージ入りのターキッシュデライトは、ひと箱約65円と激安!

小型バスでガタガタ道を走ってネセバルに着くと、人出が多くてやっと「観光地」という雰囲気に。まずは、旧市街へと繰り出しました。

ネセバルの入口。驚くほど青い空が広がってました

 

聖ステファン教会跡とビザンチン様式のパントフラトール教会

 19世紀の典型的な木造住宅。ランチのサメのフライは、割と淡白な味

   

帰りのバスまでちょっと時間があったので、ひとりで写真撮影に繰り出したところ、夫と息子に大声で呼び戻されました。時間前ですが、ポモリエ行きのバスが来たとのこと。「あれ、このバス大型だし、料金も少し安い???」と不思議に思ったら、それには訳がありました。ポモリエも突き出た小さな半島の先っちょにある町なんですが、このバスは町の入口までしか行かないんです。

   とぼとぼ40分ほど歩いて、ホテル(ピンクの建物)に到着。携帯のグーグルマップがあって、本当に助かりました

ところで、ポモリエで泊まったのSt Georgeは、スパホテルというふれこみ。ホテル内にプール、ジム&サウナ各種があり、宿泊客は無料で利用可能とのこと。サロンでは黒海で有名な泥パックを安価で体験できるというので、楽しみにしていたんです。

結構疲れたので、夜は主人と二人で無料スパ体験。が、ずーっとつけっぱなしになっていたためか、5種類あるサウナはどれも熱すぎ!このままだと倒れるかもと思い、頑張る主人を残して私は主に12m程度のプールでパチャパチャ。結局、ソルトルームが一番寛げました。

翌日は黒海沿岸のホリデー最終日。ホテルをチェックアウトする前に、泥パック(フェイシャル)に挑戦してみました。温かい泥をハケで顔にベタベタ塗られ、簡易ベッドに横になって待つこと20分あまり。「こんな真っ黒な泥どうやって取り除くのかな?」と思っていたら、「はい、そこのシャワーで流して」と。固まった泥を一生懸命自分で落として、トリートメントは終了。

愛想のないエステシャンは泥を塗ってくれた後いなくなっちゃうし、美容のプロという雰囲気とはほど遠く…。最後に化粧水と名産のバラのクリームくらいつけてくれよ~、と思いつつ、「まあ、この料金だったらこんなものかな」とスゴスゴ部屋に戻りました。泥パックの効果は――良くわかりませんでした…。

この日はあいにくの曇り空で、町はすっぽりと霧に包まれていました。とにかく町を歩いてみようということで、ぐるっと1周してみたのですが、博物館もみーんなお休み。結局、ホテル近くのレストランで長~いランチタイムを過ごしました。

  

海にも霧がかかってぼんやりした風景。右は夏季のポモリエの海岸

    暇だし、これで最後ということもあって、とにかく食べました~。「巨大イカゲソ」を注文したら、燻製でした

イギリスと比べると物価が半分くらいなので、ブルガリアではすごく得した気分でした。空港でミネラルウォーターを買ったら、町で買っていた値段の4倍近くになっていて、カルチャーショック(笑)。

こうして私たち家族の黒海沿岸のホリデーは終わりました。今でもあの誰もいない海を恋しく想い出します。

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