息子の緘黙・幼児期5~6歳(その8)初めて声が出た!

イギリスでは随分気温が下がってきて、いよいよ初冬に突入しつつあります。先週末は届け物があって、8週間ぶりにサリー州の大学の寮で暮らす息子に会ってきました。風邪もひかずに元気そうにしていて、まずは一安心。

片田舎の大学なためかキャンパス内も緑豊かで、夏はピクニックが楽しめそう

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前の記事でお伝えしたIEPの支援に加え、小学1年生の1学期には学校心理士とのセラピーセッションとSLT(言語療法士)による言語テストも受けることができました。

地区によって異なるのですが、私が住んでいる地区では学校心理士(NHS国民健康保険制度の一環)が公立の学校を順番に回ってくるシステム。ちょうど1学期に息子の学校に来ることになり、SENCoの推薦でセラピーを受けられることに。

人数に制限があるので、それだけ息子の状態が悪かったんでしょう…。この頃は緘動はなくなっていたものの、まだまだ不安が大きくTAの後押しが必要でした。

ある日、偶然学校でSENCoと会ったら、「〇〇君も心理士とセッションできるよう推薦しておいたわ」との報告が。その時は、私も心理士に会って話を聞けるものと思いこんでました。

そうしたら、確か9月末だったと思うのですが、知らないうちにセッションが終わっていたという…。

ある日お迎えに行ったら、担任がニコニコ顔で「今日、心理士とのプレイセラピーで初めて声が出ました」と教えてくれたのです!

「えーっ、本当ですか?!」

「初めて話した大人が私じゃなかったのは悔しいけどね」と担任。

この時初めて、新担任と喜びをシェアすることができました。誰かが一緒になって子どもを応援してくれるというのは、本当に心強いものだなと実感。

詳しい話を聞いてみると、心理士は息子が大好きな電車などの玩具で1時間ほど一緒に遊んでくれたとか。遊んでいるうちに徐々に緊張が解け、楽しくなってきて声が出たよう。

そういえば、息子は昔から優しいお姉さんがお気に入りで、甘えるのが上手でした。学校の先生や関係者ではない知らない女性だったからこそ、声が出たのでしょう。小さな部屋で心理士と二人っきり、というシチュエーションも成功要因だったと思います。

(実は、レセプション(4~5歳)時代にもたった一度だけ、教室で声を出したことがありました。仲良しのB君と一緒にいたところに、担任が来てB君にアルファベットの発音を質問したら、B君が答えに詰まったとか。そうしたら、息子が「S」とひと言。たまたま答えを知っていて、安心できる環境だったため、ついうっかり声が出ちゃったんですね。

この「つい、うっかり」は、まだ自意識が強くない低学年の頃に多く、それをきっかけに話し出す子もいます)

この時の状況を詳しく説明してもらう機会はなかったのですが、緘黙児とのセッションには、下記のようなテクニックを使えると思います。まずは、子どもに安心感を与えることが先決。

<最初は1対1で信頼関係(ラポート)を築く>

  • 他の人が出入りしない部屋(小さい方がベター)に、子どもが好きな玩具などをそろえて
  • 緘黙児は見られることに敏感なので、視線を合わせないように。対座するより同じ側に座る方がベター
  • 楽しい遊びを導入して、緊張をほぐす。子どもが何も言わなくても、子どもの気持ちを代弁しながら遊びを進めていく
  • 慣れてきたら、頷き、指さしやジェスチャーで応えられる質問をする(例 単語をいって絵カードを2枚から選ばせる)
  • はい/いいえの二者選択式の質問、答えが判っている質問をすれば、「知ってる」という安心感から声が出しやすい

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息子の緘黙・幼児期5~6歳 (その7)1学期の個別指導プラン

どんよりと曇った日が続く中、ちょっと晴れ間が出たので久しぶりにハイゲートの森の向かい側にあるQueen’s Woodに行ってきました。枯葉の間から色々な茸がニョキニョキ生えていて、冬に向かう森の生態系を感じることができました。

   

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前の記事で「学校の支援が最も手厚かったのが小学校1年生」と書きましたが、それだけ問題児だったということなのかも(^^;)

小学校では7年間ずーっと同じクラスだったためか、男子ママ友(7人のグループ)の団結は強く、今でも年に複数回集まる仲。先日も集まって昔話に花を咲かせていたら、教師をしているひとりが「あのクラス、担任泣かせだったと思う」と…。

それまで、「いいクラスだった」という意見で一致していたので、「どうして?」とみんなビックリ。

「だって、中等部になって落ち着いたけど結構暴れるASD児(Z君)がひとり、学習障害の女の子がひとり、何にも言わない子が二人(F君とうちの息子。最初は緘動もありました…)。途中で摂食障害になった子もいたし。その上、日本からの編入性(駐在員のお子さん)も多かったしね」

およよ…そういわれると、その通りですね。担任の先生方、当時は本当にお世話になりました。

さて、初めて担任が変わったこともあり、1年生の1学期は前年度のIEP(個別指導プラン)を継続。その内容は下記のようなものでした(通常IEPは1学期に1回更新します)。

2005年6月~10月までのIEP(Individual Educational Plan)

ターゲット1:学校内でひと言、もしくはジェスチャーやサインで自分の意思を伝える

  • 達成目標:10回以上
  • リソース&テクニック:はい/ いいえ の二者選択のQ&A/ 絵本/ 絵カードなど
  • 作戦: 簡単な答えを誘導するリソースを使用
  • 担任とTAへの提案:どのような形のコミュニケーションも奨励する

ターゲット2:自発的なコミュニケーションを促す

  • 達成目標:?回(タイプミスか数字ナシ)
  • リソース&テクニック:好きな玩具、興味のあるもの、ジェスチャー
  • 作戦:話しかけ、なんらかの返事を奨励する
  • 担任とTAへの提案:できたら必ず言葉をかけ、さらに後押しする

ターゲット3:大人+子ども数人による小グループで、インタラクティブなゲームを行う

  • 達成目標:8回
  • リソース&テクニック:小グループ活動/ ボールゲーム/ パラシュートゲーム/ 順番にできる活動/ 人形を使ったロールプレイ/ 「話す+聞く」ゲームなど
  • 作戦:SENCoが行う社会的スキル習得のための小グループ活動に毎週参加させる。
  • 担任とTAへの提案: 小グループで「話す+ 聞く」ゲームや順番に行うゲームを行う

このプランの作成時まだ場面緘黙は診断されておらず、SENCo(特別支援教育コーディネーター)と担任が息子の状態を見ながら計画したもの。レセプションクラス時代はまだ専門家が支援に加わっていなかったため、学校内のスタッフだけで支援するSchool Actionというカテゴリーになっています(現在は法律が変わり、IEPを作成しない学校もあるよう)。

一番最初のIEP(『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その13)学校での取り組み』をご参照ください)と比べると、徐々にターゲットをステップアップさせていることが判ります。

ところで、イギリスの小学校は校長(公募制)の方針によって校風や校則が随分違います。幸いなことに、息子の学校ではインクルージブ教育に力を入れていました。そのため、ASDを主に様々なSEN(特別支援のニーズ)のある子どもを積極的に受け入れていたのです。

障害の深刻さが認定されると、地区の教育委員会から学校に補助金が下ります(残念ながらSMだけでは無理)。そのため、他校よりTAが多く、設備も支援も整っていたと思います。ASD児が多かったせいで社会性を促すプログラムもあり、息子とF君もその中に加えてもらうことができました。

また、クラスのASD児、Z君に専用のTAがついていたので、Z君のグループに入れてもらい目を配ってもらえました。今考えると、すごくラッキーだったなと思います。

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昨日から11月に入り、今年もあと2か月を切りました。イギリスでは先週末に時計を1時間遅らせ冬時間に突入したため、午後4時半ころになるともう辺りは真っ暗。

久しぶりに森に行ったら、紅葉はもうピークを過ぎていました。落ち葉が地面いっぱいに積もって、歩くとカサカサ音がする季節です。

  

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息子の症状が場面緘黙であることが判明したのが2005年5月、それからは息子のことで無我夢中で周りがよく見えていませんでした。

2005年9月に息子が1年生になり、私もクラスボランティアを始めて少し落ち着いてくると、息子のクラスのことが見えるようになってきました。そして、「あれっ」と気付いたことが…。

どうやら、息子のクラスには、もうひとり緘黙児がいるみたい。

記憶を遡ると、息子がレセプションに入ったばかりの2005年1月後半(緘黙傾向はあったものの、まだ顕著ではなかった)、担任が放った謎の言葉がありました。

「大丈夫、もっと重症の子がいるから」…。(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その5)』をご参照ください)。

それが何のことかさっぱり解らないうちに、滑り台事件が起こって息子が緘黙・緘動状態に陥ってしまい、何とかしなきゃと必死だった日々。毎晩ネットを徘徊しているうちに「場面緘黙」という言葉に巡り合い、SMiRAに助けを求め、SENCoと担任に資料を渡して、緘黙の支援をお願いすることができたのです。

今考えると、息子への支援が最も手厚かったのが小学校1年生(幼児部4~5歳)の時でした。その理由は、学校の方針と予算によるものだったと思います。

支援の内容は:

  1. TAとの読本セッション(1対1 週1回15分ほど)(詳しくは『息子の緘黙・幼児期5~6歳(その4)』をご覧ください)
  2. ソーシャルグループへの参加(小グループ 週1回30分ほど)。ASD児のために社会性を育てる小グループに混ぜてもらい、少人数でゲームなどの活動をする
  3. クラスでの小グループ活動における配慮。学校外で話せる仲良しのB君と同じグループに、TAのいるグループにしてもらう

注:なお、1)と2)の活動は授業中に教室から別の部屋に連れ出して行われます。

新学年からこれらの支援が実施されるようになり、ふと気づけば息子と全く同じ支援を受けている男の子がいる…。それは、レセプションクラスに入ったばかりの時、担任が「もっと重症の子」と評した、同じ幼稚園出身のF君でした。

F君は身長が高く、内気ながら結構スポーツができる子でしたが、両親はともに外国人。息子もそうですが、やはりバイリンガル環境や文化の違いが緘黙の発症に影響していたものと推測されます(学校で使う言葉が母国語ではない場面、緘黙の発症率は通常より高い)

ある日のお迎え時間、F君のママが「あなたの子もTAと読本してるでしょ?」と、声をかけてくれました。短い立ち話で、支援が助かるね~と確認し合ったのです。

数日後、また話す機会があったので、「私はSMiRAの会員になって、緘黙の本や資料を持ってるから貸しましょうか?」と訊いてみたのです。そしたらすごく引かれて、「うちの子は違うから」と拒絶されたのでした…。

どうやら、SENCoは彼女に子どもの症状が緘黙だということを説明してない???ただの恥ずかしがり屋で、時間が経てば治ると言われていたようでした…(F君は早生まれの息子より半年前に入学し、その頃学校もSENCoも緘黙についての知識がない状態だったと思います)。

学校で全く話さず、息子と同じ支援を受けてるんだから、絶対緘黙だよ――そうは思ったものの、押し付ける訳にもいかず…。ちょっと凹みましたが、まあ人それぞれだし、とその後は傍観することにしたのでした。

でも、SMの知識があろうとなかろうと、F君ママも子どもの交友関係を大切にして、よく彼の友達を家に招いていたようです。

それが功をなしたのか、F君は息子より早くクラスで話せるようになりました(^^;) クラスに仲の良い友達がいて、休み時間にサッカーなどの遊びに必ず加わっていたことも、克服の助けになったんじゃないかなと思っています。

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