息子の緘黙・幼児期5~6歳(その3)1年生に進学

雨続きの天気の中、イギリスの秋はだんだん深まってきました。雨の合間に太陽が顔をのぞかせると、いつの間にか樹の葉が紅葉しているのに気づかされます。さて、やっと息子の緘黙話の続きです。

真っ赤に紅葉したアメリカ蔦がある知人の庭には、毎日子ギツネが訪ねてきます

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息子の小学校では、クラスは持ち上がりで担任が1年毎に変わるシステムでした。う~ん、7年間ずーっと同じクラスってどうなの?クラスの中でのイメージや交友関係が固定し、息子は目立たない「おとなしい子」のまま卒業してしまうんじゃないか?――入学前はそんな風に疑問視していたのです。

その上、入学後すぐに場面緘黙を発症してしまい、「しゃべらない子」というイメージが固定化してしまう可能性も出てきた訳です(当時は必死だったので、そこまで考える余裕はなかったんですが)。

レセプションクラス(4~5歳)から1年生(5~6歳)にあがった息子の新しい担任は、一部の保護者から「厳しい」と評されていた女性教師。でも、いざ新学期が始まってみると、とても熱心できめ細かな指導をしてくれる先生だと判りました。

ちなみに、新担任の名前は前年の3学期の終わりに発表され、子ども達は夏休み前に何度か新しい教室に行って新担任と顔合わせするのです。不安が大きく新しい環境に慣れにくい子どもにとって、担任や教室が変わるのは大変なこと。こういう配慮があれば、子どもは安心できますね。

(日本では2年に1度クラス替えがあるから大変だなと思っていたら、1年毎に替える学校もあるようですね…。緘黙児にとっては負担が大きすぎるのでは?)

息子が新しい担任に馴染めるか心配でしたが、初日に下駄箱まで送っていくと、「マミーはここから来ないで」と、ひとりで教室に入って行きました(イギリスでは小2まで送り迎えは保護者の義務です)。この時、「あっ、こんな小さくても、親が立ち入れない自分の世界を持ってるんだな」と感じたことを鮮明に覚えています。クラスでは声が出ませんでしたが、登校を渋ることはありませんでした。

イギリスでは1年生からやっと時間割が定められ、徐々に授業に慣らしていきます。この学年では、読本が遅れている子どものために専用のTAをつけたり、ASDの子ども達のためにソーシャルグループ活動があったり。学校心理士に診てもらえたのも1年生の時。今思うと、この学年の支援が一番手厚かったと思います。

息子の学校での様子が知りたい――そう思った私はボランティアの仕事に手を上げました。1年生から体育で水泳が始まるため、着替えのヘルプをしたいと考えたのです。でも、息子に訊いてみたら、「それは嫌!」と断固拒否。多分、入学前にプール恐怖症になったため、自分が「できない」ところを見られたくなかったんでしょう。

その代わり、B君ママと一緒に週1回ITCのお手伝いをすることにしました。子どもを6人位ずつ順番にITCベイ(PCを並べた廊下)に連れて行き、PCを使ってゲームやお絵描きをするというもの。PCに馴染ませる目的の他に、担任とTAが教室に残った子ども達の算数と国語を丁寧に見る時間だったような…。

ボランティアの利点は、クラスの子ども達と接することができ、それぞれの個性や交友関係などが見えてくること。ここで仲良くなれば、家に遊びに来てくれるかもという下心もありました(^^;)

ITCベイに行く途中、子ども達は手を繋ぎたがったり、おしゃべりしたがったり。中には息子が話さないのを不思議がって、私に質問してくる子も。

「ねえ、〇〇君どうしてしゃべらないの?」

「すっごい恥ずかしがり屋で、学校では緊張しちゃうんだよ。〇〇ちゃん、大きなステージに立ってひとりで歌うことを想像してみて。すごく怖いよね?そういう感じになっちゃうんだって」

「ふーん」

「家ではおしゃべりなんだよ。今度遊びに来てね」

「うん」

訊かれる度こういう会話を繰り返していたんですが、みんな素直に納得してくれてたような…。質問してくるのは大体女の子ばかりで、やっぱり精神的な発育が早いんですね。

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息子の緘黙・幼児期5~6歳(その2)社会的な機会を増やす

緘黙児とイジメ

前回の投稿から、またあっという間に時間が経ってしまいました。その間、元緘黙の息子は生まれて初めて家を出て、大学の寮へ。イギリスの大学には入学式というものがなく、息子と荷物を車で寮の小部屋に送り届けて、それでお終い…。

空っぽになった自宅の息子の部屋を見ると、やっぱり淋しい~😢でも、少しずつ大学生活に順応できているようで、ほっとひと安心。イギリスでは18歳を過ぎると成人と見なされるため、大学で何かあっても本人の承諾がなければ家に連絡は来ません。まだまだ内気な彼が、大学生活を無事乗り切れるよう願っています。

  

 当日は和食のランチで送り出しました。自炊できない寮なので、イングリッシュフードの毎日に…

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さて、場面緘黙のために虐めを受けた――そういう話をよく聞きます。特に、交友関係が複雑になってくる小学校中高学年、中学校で多くなるような印象。

緘黙児って虐められやすいのでしょうか?

幸いなことに、息子の場合は緘黙が理由で虐められたことはなかったような。緘黙になったのは小学校に入学したばかりの4歳半で、学校での会話にだいたい支障がなくなったのが7、8歳のころ。低学年のうちに話せるようになったため、虐めに遭わなくて済んだのかもしれません。

今でも鮮明に覚えているのは、レセプションクラス(4~5歳)でお姉さん格の女の子達によく抱っこされていたこと。早生まれの息子は、クラスで最もおチビさんのひとり…。女の子は成長が早いし、きっとなにも喋らず動けない息子を不憫に思ったのでしょう。まるで赤ちゃんのような扱いに笑ってしまったのですが、虐められはしませんでした。いつも友達のB君にひっついて、守ってもらっていたようにも思います。

低学年くらいまでの子どもって、「変だな?」と思っても状況をそのまま受け入れてくれます。ある日、クラスの女の子を家で預かったところ、息子が普通に話しているのを見て最初は怪訝な顔に。でも、すぐに慣れてそれが当たり前のように接してくれました。素直というか、単純というか、許容力があるというか、緘黙治療の早期発見・介入が効果的なのは、周囲の子ども達のこういった特性に負うところが大きいのかも。

過去のブログで何度か触れましたが、子どもの発達において、よく「9歳の壁」という言葉が出てきます。9歳頃になると、子どもは物事をある程度対象化して認識できるようになり、自分と周囲を意識しはじめます。ちょうど小学校の中学年にあたり、自己肯定感や否定感が育ち始めるのはこの頃から。

緘黙児自身もですが、周囲のクラスメイト達も自我がどんどん発達して、周囲や集団の中の自分を意識するように。また、仲間意識が強くなるギャングエイジでもありますよね。特定のグループに仲間として受け入れてもらえるかが問題になってくると思います。

仲間意識を持つには、「話すこと」よりも、周囲とコミュニケーションが取れているか、親しい友達はいるかなど、子どものコミュ力によるところが大きいような気がします。また、緘黙の度合いや、他に不安障害の症状があるかどうかも問題になってきそう。緊張で固まって動けなければ、コミュニケーションどころじゃないですよね…。

また、学校の方針や雰囲気、担任の態度なども重要になってきそう。クラスの雰囲気がよければ、虐めも起こりにくいのではないでしょうか?

子どもが中学生になる頃には、思春期に入って自分の内面世界に気づき始め、自意識 と客観的事実との違いに悩んだり、葛藤したり。自己のアイデンティティーを確立し始める時期でもあります。周囲のみんなが生き方を模索しているため、排他的になりやすい年頃と言えそう。

前回、前々回のブログで取り上げた元緘黙のアーティスト、クリスティーナさんとパリス君は、セカンダリースクール(12~16歳)で初めて虐めに遭っています。

イギリスでは、小学校は小規模でとてもアットホームな雰囲気なのに対し、セカンダリースクール(12~16歳)では突然マンモス校になり、授業は大学のような移動教室式に。子どもは自立し始めることを期待され、小学校時代のきめ細かなケアに比べると、より事務的なものに変わるように思います。

小学校では登校拒否になったり、学校をドロップアウトしたりする子どもは殆どいません。でも、セカンダリースクールでその傾向が高まり、問題を起こして停学や退学になる子どもが増えます。二人が虐めに遭ったのは、こうした学校のシステムによるところもあると考えられます。

緘黙児は繊細で傷つきやすく、自己肯定感を育てるのが難しい傾向にあります。話せないうえに、自分に自信が持てないと、自意識過剰になって余計に友達やクラスと関われなくなることも…。

やはり家庭や学校外で自信が持てる体験を積み重ね、自己肯定感を持つことが重要になってくるんじゃないでしょうか?家族との楽しいおしゃべり、熱中できる習い事、得意な趣味など、なんでもいいんです。勉強やスポーツ、音楽などができればクラスで認めてもらえる要因ともなるので、是非後押しをしてあげたいですよね。

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早期発見・治療の重要性

サキ君の動画について(その2)

最新の緘黙研究、『選択性緘黙への治療』を読んで(その4)

告知するかしないか(その3)

R.I.P. パリス・ラッパー君

元緘黙の息子は、ミレニアム――2000年生まれです。大学生活をスタートするにあたり、今月末に家を出て大学の寮に入る予定。緘黙は10歳前に克服できていた(と思う)のですが、シャイなところはいまだ変わらず…。ちゃんと自立できるか心配だし、ひとり息子なので、やっぱり淋しい~😢

ところで、イギリスの国営放送BBCでは、2000年生まれの子ども25人の成長を追う教育ドキュメンタリー番組『Child of Our Time』をシリーズで放映してきました(『「思いやり」が育ってない?』でも取り上げたので、ご参照ください)。息子と同じ年に生まれた彼らの成長ぶりを垣間見ることを、とても楽しみにしています。

家庭環境、肌の色、考え方・生き方が異なる25組の家族の中に、フォコメリア(あざらし肢症)を持って生まれたアーティスト、アリソン・ラッパー(Alison Lapper)さんと息子のパリス(Parys)君がいます。身体的な障害を抱えたシングルマザーのアリソンさんは、介護者に支えられながらパリス君を育ててきました。

アリソン・ラッパーさんと14歳のパリス君

2003年にはアーティストとしての功績が認められ、MBE(大英帝国)勲章を受勲。2005年には彼女をモデルにしたマーク・クィン作の巨大な彫像がトラファルガー広場に設置され、一躍有名人に。2013年のシリーズ10では、12歳になったパリス君とアリソンさんの仲睦まじい様子が紹介されました。

最新作のシリーズ11が放映されたのは2017年春のこと。急速に変化する時代に16歳になった彼らの日常、SNS重視の交友関係、将来を決める第一歩、全国共通試験GCSEのプレッシャーなど、10名ほどの子とその家族の様子を紹介。アリソンさんとパリス君はGCSE試験と将来についての意見を述べただけ。その数分にも満たない映像からは、彼らの状況は全く伝わって来ず…。パリス君の頬がこけている様に見え、なんだか元気がない印象を受けたのでした。

そして、先週の日曜日、ネットでBBCのサイトを見ていたら、「パリス・ラッパー君が突然死」というニュースが…。

ショックでした!どうして? まだ19歳の彼に、一体何があったの?!

徐々に明らかになってきたのは、ドラッグ・オーバードーズによる事故死…。セカンダリースクール(12~16歳)に進学してから、母親の障害のことで虐めにあい、鬱と不安障害に苦しむようになっていたと。アリソンさんの手におえなくなり、16歳の時にメンタルヘルス法によって強制入院させられたようです(多分、前の記事のクリスティーナさんと同じ)。

彼がいつ麻薬を摂取するようになったのか、ヘビーユーザーだったのかどうかは、定かではありません。退院後は親元を離れて暮らしていたようですが、行政による保護やケアが行き届かず、軌道修正をすることができなかったよう…。アリソンさんは今後同じようなケースが出ないよう、制度の改善を訴えています。

実は、パリス君は息子の友達に良く似ていて、気になる存在でした。行政が反対する中、自分で子育てをしたいと頑張ったアリソンさん。色々なものと戦いながら19年間育てた息子を亡くしてしまうなんて、どんなに耐え難く苦しいことか…。

事故が起こる3日ほど前、二人は一緒に楽しい時間を過ごしたばかりだったといいます。

この先、どんな素晴らしい未来が待っていたかもわからないのに--パリス君の冥福をお祈りしたいです。

 

元緘黙のアーティスト、クリスティーナさん(その3)

今回は、クリスティーナさんが場面緘黙を啓発するために作成した動画『場面緘黙ークリスティーナの物語(Selective Mutism Christina’s Story)』をご紹介します。

この動画では、緘黙になった原因、幼少期の想い出、学校での虐め、ついには入院するに至った経緯などを写真やイメージを交えながら解説。淡々とした語りですが、辛かった時期の心の叫びが聞こえてくるよう。どん底の精神状態から這い上がり、アートへの道を切り開いた彼女ゆえに、説得力があります。

 

クリスティーナさんの緘黙は、1歳の頃におきた両親の離婚や、家族間でのトラウマになるような経験が原因で発症したそう。早期発見と、母親と学校による手厚いサポートが功をなし、小学校時代はスポーツ好きの活発な少女だったとか。学業にも遅れはありませんでした。

動画の3分20秒から、犬のコスチュームを着た6歳当時の写真が出てきます。当時は「吠えることでコミュニケーションを取ろうとした」「犬のふりをすることで話さないことを正当化していた」と…。友人の誕生パーティーで、他の女の子が全員プリンセスの衣装なのに、自分だけ犬だったことは、鮮明な記憶として残っているそう。

7歳の時に母親が再婚したため、スイスに移り住んで現地の学校へ。言葉の問題もあって初めて虐めを体験しますが、それでも友達ができ、不幸ではなかったということ。

イギリスに戻った後は、緘黙でも上手く新しい小学校馴染めたそう。でも、セカンダリースクール(12~16歳)に進学した頃から、思春期も重なって「自分はここに属していない」と大きな不安を抱えるように。12歳といえば、周囲も思春期の真っただ中で、異分子を排除しようとする傾向が強い年頃。クラスメイトは、話さず、自分たちに同調しない彼女を、異分子とみなしたんだと思います。

そんな不安に追い打ちをかけるように、一部教師の無理解も酷いものでした。ある教師は14歳の彼女をひとり教室に残し、「お前が教室にいると、腐った死体といるみたいだ」と言ったというのです…信じられない暴言!自信を打ち砕かれ、自己評価が地に落ちてしまったのも、無理はありません!

学校で固まってフリーズすることが増え、人とコミュニケーションを取ることが困難に。水を飲んだり食事をしたりすることも難しく、頭痛や腹痛に悩まされる日々。トイレに隠れることが多くなり、徐々に学校に行けなくなりました。

母親は言語療法士を含む多くのカウンセラーに助けを求めたものの、場面緘黙への理解も知識もなく、次から次へとたらい回しに。最終的に、行動に問題があって学校に行けない子どもが行く施設に案内されたとのこと…。

孤独と絶望を感じ、自暴自棄になり、普通の生活をすることが難しくなって、ついには病院の精神科に3か月入院(多分自分に危害を与える可能性があったためだと思われ、事態はかなり深刻だったよう)。ここでも緘黙を理解する専門家はいませんでしたが、精神を病む同世代の子ども達に共感し、自分を顧みることで、元気を取り戻すことができたと語っています。また、弟が生まれたことも大きな助けになりました。

学校に戻り、1年遅れで全国共通試験GCSEを受け、ほどほどの成績を取れたそう。その後、カルチャースクールのような場で、大人と一緒に水彩と油絵を学び、才能を開花させていったのです。一般的な手順を踏まずに大学入学を許可されたのは、彼女の才能あってのことでしょう。

「5年後に何をしていたい?」という質問に、15歳の彼女は「大学でアートを勉強したい」と答えたとか。その言葉通り、イーストアングリア大学でアートの修士コースまで進み、今夏は初の個展を開くまでに。

今緘黙で苦しんでいる子・人たちも、きっとクリスティーナさんのように苦しみから脱出できるはず。解ってくれる人たちは絶対どこかにいます。時間がかかるかもしれませんが、決して諦めないで。

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元緘黙のアーティスト、クリスティーナさん(その1)

元緘黙のアーティスト、kリスティーナさん(その2)