母親も緘黙だった6歳の男の子のケース

BBCで放映された場面緘黙の番組の続きです。今回もBBCニュースYou-Tube チャンネルの映像『話すことへの恐怖症があります』をお借りして、最後の部分をご紹介します。

8:00~12:34までの、ダニエルのケースを御覧ください。

「ダニエルは6歳、場面緘黙です。彼のお母さんも子供の頃緘黙でした。」

記者アシュリー(A): ダニエル、話すのは難しい?

ダニエル(D): 頷く

A: 話さなきゃいけない時、怖くなる?

D: 頷く

A: いつか、自由にしゃべれるようになると思う?

D: 肩をすくめる

A: いつでも話せるようになりたい?

D: 頷く

ダニエルの母親、フラン(F): 学校に迎えに行ったら、今日したこととか、楽しかったこととか、学校での出来事を話してくれたわ。(背景にダニエルの話し声が聴こえる)。

先生には話せないの。しゃべれない人は多いけれど、友達には私(の緘黙時代)より多く話せるわね。私が小さかった頃は、まったく誰にも話せなかったから。当時は何故か解らなかったし、今でも解らない。誰かに話しかけられると、すごく返事をしたかったのにできなかった。どう頑張っても、やっぱり無理だった。先生も(場面緘黙を)知らなくて、ただの恥ずかしがり屋だと思われてたの。話さないことが問題になって、教室の外に出されたこともあったわ。質問にも答えられなかった。

あら、ダニエルはブランコを降りてしまったわ。クラスの女の子がブランコに乗ってきたから、声を聞かれるのが心配なのよ。私はダニエルが赤ちゃんの頃から、自分と同じだと気づいてたの。ベビーカーの中から私に向かって元気におしゃべりしてるのに、誰か知らない人が来て「こんにちは」って話しかけた途端、顔が石みたいに固まってしまうの。そして下を向いて、その人と視線を合わそうとしない。例え、くすぐっても、笑わせようとしても、表情は固まったまま…。

この子の気持ちは誰よりもよく解る。私も同じだったことは伝えたから知ってるし、「マミーも話せなかったけど、今は話せるから大丈夫」って言ってあるの。

A: 場面緘黙を知らない人は、ダニエルが頑固だから、もしくは注目されたくてわざと話さないと思うかもしれない。そういう人たちに何かいいたいことはある?

F:もしダニエルが話せたら—それはあの子が一番したいことよ。普通でいたいのよ。自分ではコントロールできないの。もしできるんだったら、黙ってなんかいないわ。皆と同じでいたいんだから。

<ダンス教室で>

F: ダンス教室には1年位かよってるの。踊ることが大好きなのよ。
最初は恐がって教室に入るのも嫌がったし、全くやりたがらなかった。でも、最初のレッスンの後、ダンスクラスが大好きになって、今では皆の前で踊るようにまでなってるの。以前はできなかったことよ。

ダンスの先生: 最初にダニエルに会った時、何か通じるものを感じたんです。すごくいい子よ。お母さんは彼が話さないのを心配してたけど、踊りは動きで自分を表現することでしょ。最初に来た時から、彼にとってここは我が家のようなもの。自分自身でいられる場所、自分を表現できる場所を見つけたんだと思うわ。彼が私達を見つけてくれて、本当に嬉しく思ってます。

12:35~ 150人に1人の子どもが場面緘黙です。共感的な支援で、ほとんどの子どもが回復します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ダニエル君の場合は、お母さんも小さいころ緘黙だったというケース。抑制的な気質が遺伝したんですね。親子揃って恥ずかしがり屋というパターンだと、子どもの気持ちを理解しやすいと思います。でも、子どもの抑制的な気質を理解できないという保護者の方もいるでしょう。

もしそうだったら、エレイン・アーロン著の『ひといちばい敏感な子(Highly Sensitive Child)』を読むことをお勧めします。超敏感な子どもの気質、行動、育て方、スモールステップ式の支援の仕方などについて詳しく書かれています。私はこの本を読んで、「これうちの子だ!HSCだったんだ」と安心し、同時に「育て方はかなり難しいな」と思いました。

私は、かつてから場面緘黙になる子(人)には、HSP(Highly Sensitive Person 日本語では「とても敏感な人」/『ささいなことでもすぐに動揺してしまうあなたへ』エレイン・アーロン著より)が多いのではないかと思っていました。アーロン女史は著書の中で、子どもの行動抑制的な気質を研究した発達心理学者、ケイガン(Jerome Kagan 1989) の研究を頻繁に引用していて、私は彼女のいうHSP=ケイガンの行動抑制的な子どもと捕らえています。

以前、『遺伝的な要因-動抑制的な気質』という記事の中で、ケイガンの研究について触れましたが、「行動抑制的な子ども」は全体の10~15%、HSC (Highly Sensitive Child) は全体の15~20%と、似たような数字です。緘黙児には行動抑制的な気質を持った子どもが多いと言われています。『ひといちばい敏感な子』に場面緘黙や緘黙児は出てきませんが、原本では確か入園後に数ヶ月間話さなかった子どもの例が複数あげられていたような…。今パラパラと見返してみたら、「ランダルがクラスで一言話すまでに6ヶ月かかった」、「アリスは入園してから4ヶ月話すことを拒否した」という行を発見。「話せなかった」とは書いてありませんが、やっぱり緘黙傾向のある子が多いんだと思いました。

子どもの好きなことを伸ばすことが奨励されますが、ダニエルはダンス教室でとても活き活きとしてますね。ダニエルには緘動はないようですが、家の他にも自分を表現できる場所があれば自己評価の向上にも繋がると思います。

おしまいに、最後の字幕には150人に1人の子どもが緘黙だけど、その殆どが回復するとありますね。早期発見・介入して、適切な支援をしていけば、子どもの緘黙は克服できるということだと思います。希望が持てますね。

<関連記事>

BBCが大人の場面緘黙を紹介

緘黙を克服しつつある17歳

 

緘黙を克服しつつある17歳

前回のBBCで放映された場面緘黙の番組の続きです。実は、テレビで取り上げたのはサブリーナさんのケースのみで、お借りして貼り付けている映像はBBC News のMagazine サイトで紹介されているものです。いつまでアップされてるか分らないので、消されない内に映像の続きを翻訳しました。(聞き取りづらい部分もあり、正確ではないかもしれませんが、その辺りはご容赦ください)。

今回は17歳のケイティさんのケースです。映像の5:47~7:59を御覧ください。

<ケイティの独白>

話さなきゃいけないというプレッシャーに押されて、やっても無駄だと思うこともあったわ。自分の感情を押し殺して、きまり悪さを完全にシャットアウトしてたの。しゃべらない状態のほうが幸せなんだって。

友達A:カレッジを終了したらどうするつもり?

ケイティ(K):大学に行って、できればテレビやラジオ制作を学びたいの。

「ケイティ・スミスには3歳の時から場面緘黙の症状がありました。今17歳でカレッジの最終学年。場面緘黙を克服しようと、大きなステップを踏みだしています」

友達B: 場面緘黙を克服して、たくさんの人と接するようになって自信をつけていくって、どんな感じ?

K:うーん、説明するのは難しいわ。えーと…。

友達B: 多くの人に助けられたと思ってる?それとも、自分で何とかしたの?家族とか友達とか、助けてくれる人はいっぱいいた?

K:えっと、実は7年生になってあなた達と出会った時期が――あなたやトーリア達と出会って、新しい友だちができたことが、大きな助けになったわ。

友達C: 友達関係が変わったことで自信がついたの?

K: そう思うわ。家族は私がずっと緘黙だったことを知ってたから、変わってほしいと願ってたけど、もちろん強制するようなことはしなかった。進学してセカンダリーやカレッジに行ったら、新しい友人関係を築かなきゃいけないって思ってたから。

友達D: セカンダリースクールに入って、知らない子に話しかけるのはどんな気持ちだった? 人に評価されるよね?

K: そうね、偏見を持っていそうな、人気のある子達からは距離をおいたわ。あなた達がいてくれて本当に良かった。だって、あなた達だったら人をこうだって決め付るようなことはしないと判ってたの。

友達B: 私もちょっと変わった子だったし(笑)。

K: 変わった子が一番よね(笑)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

17歳のケイティが友達に囲まれておしゃべりしている様子を見る限り、青春真っ只なかの普通の高校生にしか見えません。前出のサブリーナと比べると、ものすごく対照的です。

「捕われた様に感じている」というサブリーナは見るからに固まっていて、文字を打ち込みながら眉間にしわをよせ、いつの間にかしかめっ面のような表情に…。彼女のボディランゲージからは、「逃げたい」、「見られたくない」、「隠れたい」というネガティブなメッセージを受けませんか? きっと、長い間沈黙を続けている間に、縮こまったようなオドオドした態度や姿勢が身についてしまったのではないかと…。 一方、友達と談笑しているケイティは、自然でオープンな印象。最初の独白部分で沈黙している彼女とは違う人みたいです。

ちょっと微笑むだけで、人が受ける印象は随分違うもの。オープンな感じだと、声をかけやすそうだなと思ってもらえます。その点でも、サブリーナはすごく損をしてるなと思わずにはいられません。場面緘黙が長引くと、弊害はより広範囲で大きなものになってしまう可能性を含んでいるのではないでしょうか?

詳細は判りませんが、ケイティは小学校の頃から両親や学校から支援を受けていたものと想像しています。学校からの支援はなかったにしろ、両親の場面緘黙への理解と支援があったのは確かですね。イギリスでも10年ほど前は緘黙が知られておらず、学校や教育関係者、心理士から適切な支援を受けられない状況でした。

ケイティは、セカンダリースクールに進学した7年生(12歳)の時、新しい友達を作ったことが大きな転機になったと語っています。進学したり、転校したりして新しく環境が変わると、周りは「自分がしゃべらない」ということを知らないから、話し始めるのが楽になると言われています。年が上の緘黙の子どもに有効な方法ですが、誰にでも効果的という訳ではありません。

ここで決め手になるのは、やはり自ら「話すんだ」という意志を持ってチャレンジすることでしょう。そのためには、それ以前にスモールステップを積み重ね、「新しい環境だったら話せる」という自信を持っていることが重要だと思います。学校で話さなくても、外で話せるとか、知らない人には話せるとか、親以外にも親密に話せる人がいるとか…。

また、話せなくても同年代の友達がいるということが、すごく重要になってきそうです。ずっと友達付き合いがないという場合、最初は話せても、どんな話題で、何を話をしたらいいのか見当がつかず、友達付き合いが難しくなるかもしれません。好きなことや趣味が話の糸口になったりするので、子どもが好きなことを尊重してあげるのも大切ですよね。

なお、新しい環境だったら絶対に大丈夫という保証はどこにもありません。もし、ケイティが新しい友達を作れなかったら、学校で嫌な体験をしていたら、徐々にまた沈黙の世界に戻ってしまっていたかも…。新しい環境が自分に合うか合わないかは、宝くじのようなものだと思います。でも、これは緘黙でなくても、誰にとっても同じですよね。

<関連記事>

BBCが大人の場面緘黙を紹介

 

BBCが大人の場面緘黙を紹介

先週、イギリスの国営放送BBCで場面緘黙が取り上げられました。『Victoria Derbyshire』という情報番組の中で紹介され、解説役にはSLTのアリソン・ウィンジェンズさん (『場面緘黙リソースマニュアル』の共著者) と緘黙経験者のコメディアン、ヘレン・キーンさんが登場。今回は大人の場面緘黙を紹介したことが特徴的といえます。

BBCニュースのYou-Tubeチャンネルに「話すことへの恐怖症があります」というタイトルで映像(TV番組とは少々異なる)があがっていました。お借りして貼り付けます。すぐ消されないといいんですが…。

まずは、イギリスの地方の町に住む35歳のサブリーナさんの話から。

<サブリーナの独白>

意図して話さないと思われるのは悲しい。でも、自分で変えようと思っても変えられるものじゃないの。お祖母ちゃんには何でも話せたわ。なのに、お祖母ちゃんが脳卒中を起こした時、不安にかられて全く話せなくなってしまった…。それから、お婆ちゃんは亡くなってしまったけれど、それでも話せなくて、大好きとさえ言えなかったの。

映像では、BBCの記者、アシュリーがロッチデールという町に住むサブリーナの家を訪問します。

「現在35歳のサブリーナは、子どもの頃からずっと場面緘黙に苦しんできました。コミュニケーションは母親と電子機器に頼っています」

記者アシュリー(A): SM状態の時、どんな気持?

サブリーナ(S): 捕われた感じ。

A: 今、そういう風に感じてるの?

S: そう。何か訊かれると考えるのが難しくなる。

A: 子どもの頃のことを教えて。

S: 友達を作ったり、必要な時に助けを求めるというようなことが、本当に難しかった。

A: これまでずっと捕われたように感じてきた?

S: そう。

A: 場面緘黙だったせいで、友達を作ったり、ごく普通の生活を送ることにも努力しなければならない生活を、どう感じてきた?

S: やりたかったことを本当にたくさん逃してしまった…。

A: 場面緘黙が長く続くと、楽になるというより、むしろ困難が増すという印象を受けたんだけど、そうなのかな?

S: そう。今はさらに生きづらくなってる。

A: どうして今の方が難しいと思う?

S: 子どもの頃の方が親ができることが多いし、代弁してもらえるから。大人になると全部自分でやるのが当然と思われちゃうけど、私には無理。

母親のダイアンさん(D): 年を追うごとにどんどん症状が悪化して、不安に襲われるようになって…。だから、この娘は本当に辛い思いをしてるのよ。

A:緘黙状態になると、どうなるの?

D:すごく無口になって、内に籠ってしまうの。話しかけられて答えなければならなくなると、パニックに襲われるようになって。答えないから失礼だと思われるし…実際、そう言われるのを何回も聞いたわ。他にも無知だとか、色々ね…「こんんちは」って言われても、答えないから。でも、不安が本当に酷くなると、私にさえものを言うことができなくなるの。何年か前、何かですごく同様して電話をかけてきたんだけど、泣いてるだけで声を出すことができなかったことがあったわ。1時間位電話してたんだけど、全く言葉がでなくて。だから車に飛び乗って、ここまで慰めに来なければならなかった。

A: 1時間ずっと泣いてただけ?

D:そう、1時間泣き続けたの。私がどんな気持ちになったか想像できる?胸がつぶれそうだった。自分の子どもが親にもしゃべれないなんて、本当に辛い。

A:母親としてどう思う?サブリーナにずっと寄り添ってきて、母親として何かもっとしてあげられたと思う?

D:ええ。何であの時気づいてあげられなかったのか。何でもっとしてあげられなかったのかって、何度も自分を責めたわ。もし場面緘黙だということを知っていたら、支援を得られるようにもっと努力したと思う。適切な所に出向いて、助けを求めていたはずよ。でも、知らなかった。場面緘黙なんてきいたことがなかった。

夫と私はただの恥ずかしがり屋だと思ってたの。でも、成長してから場面緘黙だということが判って、母親失格という気持ちになったわ。夫も同じ。子どもが出すサインを受け止められなくて、親として失格だったって…。

A:今僕に話しかけられて、どんな気持ち?

S: 怖い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

長年話さない状態が続いたために、緘黙が固定化してしまったケースです…。それだけでなく、他の社会不安の症状も悪化して、パニック障害なども併発しているよう。彼女や家族の心中を思うと、いたたまれない気持ちになります。早期発見と早期介入の重要さを再確認するとともに、緘黙を抱える大人への理解が広まり、治療法が確立されるよう願います。次回は動画の続きを訳していこうと思ってます。

 

17回目の結婚記念日

イギリスでは4月下旬から連続して、チェルシーフラワーショー、ロイヤルアスコット競馬、ウィンブルドン、ヘンリーレガッタといった社交イベントが目白押し。“The Season”と呼ばれるこの社交シーズンは、もともとイギリス王室がロンドンに滞在する時期に、王侯貴族と上流階級の人々が華やかな社交行事を楽しんだもの。もちろん、今では一般人もお金を出せば参加できます。

イギリスの春・夏は気候がよく学年末の時期でもあるため、ウエディングやパーティ、BBQ、学校関係の行事も目立って多くなります。社交カレンダーとは縁のない我が家でも、ここのところ何かと忙しい日々が続きました。

先週の土曜日、7月18日は私達夫婦の17回めの結婚記念日でした。あれからもう17年も経ってしまったのかと思うと嘘みたいですが、息子の背丈はとっくに私を追い越し、この夏15歳になるんですよね…。時間が経つのが本当に早いです。

せっかくの記念日だし、日本から友達が来ているので、結婚式を挙げた北ロンドンのハムステッドで午後を過ごすことに。ハムステッドは森林公園、ハムステッドヒースの西側にある高級住宅街。名作映画『メリーポピンズ』のロケ地(バンクス家の邸宅)でもあり、精神分析学者のフロイトや詩人キーツが住んでいた家が博物館として公開されています。

駅から離れた場所だったらまあ駐車できるだろうと車で出かけたら、住宅街全体がしっかり駐車規制されてました…。以前はもっと緩かったはずなんですが、大失敗。「全く、車で行こうなんて何考えてるんだ!」と夫と息子に非難されつつ、何度も同じ場所をぐるぐる周って有料スペースを探すこと20分。お隣の駅に近い場所にやっと車を停めて、式場だったBurgh House へ。

IMG_20150718_173633

Burgh Houseは1704年に建築されたクィーンアン様式の邸宅で、現在は地元の歴史館として無料公開されています。ウッドパネルを施した広間でウエディングやコンサートが行われ、階下にはカフェが。庭にもあちこちにテーブルが並んでいます

IMG_20150718_173556IMG_20150718_163410

当日はウエディングが行われていて、ドアが閉まっていました。私達の時はこのドアが開いていて、庭に出たらウエディングゲストの他に一般客も…

IMG_20150718_171459~2IMG_20150718_171533

庭の一番奥まった席で緑に囲まれてお茶をしていたら、山鳩がやってきました

ハイストリートのお店はどんどん様変わりしていますが、路地を少し入ると昔ながらの家並み。ハムステッドは、かつてのヴィレッジの面影が色濃く残る魅力的なエリアです。

IMG_20150718_173936IMG_20150718_174035

それほど大きくないものの緑あふれる素敵な住宅がいっぱい。ロンドナーが住んでみたいと憧れるエリアのひとつというのも頷けます

IMG_20150718_174159IMG_20150718_174226

フラスクウォークという石畳の路地にあるJudy Greens Garden Storeはいつ見ても素敵

6時に友達と待ち合わせ、地元カムデンで醸造しているビールとモダンな英国料理が評判のガストロパブ The  Horseshoe へ。目抜き通りヒースストリートにある人気のパブですが、時間が早かったためレストランへは一番乗り。ゆったりと落ち着いて話ができました。

IMG_20150718_185453

メインはウサギ肉のマスタードソース焼き。2人前からオーダーできるので、友達とシェアしたんですが美味でした

IMG_20150718_175825IMG_20150718_180239

食事を終えた夜8時ころ。まだ明るいので腹ごなしに静かな路地をぶらぶら散歩していると、ふと時間のない世界に迷い込んだような不思議な感覚になりました

スモールステップで自信をつける

7月も中旬を過ぎ、そろそろ3学期が終わって夏休みに入る時期です。私が行っている特別支援校(フリースクール)では、先週の金曜日が終業式でした。日本語を教えている子(ここではS君とします)は、社会不安が強く集団や集団行動が苦手。外出やショッピングを好まないと聞いていますが、1対1だとおしゃべりで人懐っこく、授業では何の問題もありません。でも、抑制的な気質を持っているのは明確で、息子に似たところも多いのです。

今学期の目標のひとつは、最後の授業で日本のスーパーに行き、習った日本語を使ってみることでした。そのことは学期の初めに説明してあって、ここ2週間ほど買い物に必要な初級の会話を練習してきたんです。S君の素振りや態度からは、お店に行くことへの不安は全く感じられませんでした。

が、当日になって、いきなりシャットダウンモードに…。最初に会話のおさらいをしたところまでは平気だったのに、いざ出発という段階になって、突然机に顔を伏せてしまったのです。

今まで少し塞ぎこむことはあっても、体を動かしたりゲームをしたりすることで気分を切り替え、授業が終わる頃には上向きになっていました。でも、こんな状態は初めて…。どうしようかなと思いつつ、「話したくなければ話さなくてもいいから、お店まで行ってみよう」と何とか説得。一緒に学校を出ることに成功しました。

歩きながらずっと下を向いていたものの、S君が私を拒否している様子はありません。さりげなく何が嫌なのか訊いてみたところ、「お店に入るのが苦手」、「店員と向き合うのがイヤ」とのこと。

少しずつ練習すれば慣れることができると話し、近くの大型スーパーに自分で支払えるセルフチェックアウトがあるのを思い出して、「まず、そこで練習してみる?」と訊ねてみました。が、答えは「No」。とにかく、日本のスーパーまで行ってみることにしました。

途中、ふと思いついて、マギー・ジョンソンさんの『年齢が上の子の支援』の記事に出てきたサキ君のことを話してみたのです。学校で声を出すのが怖くて9年間ずーっと沈黙していた15歳のサキ君。彼が一大決心して、学校で話し始めようと決めた際、まず最初にしたのは小さな成功体験を積み重ねて自信をつけることだったと。それほど怖くないことから始めて、少しずつ少しずつ怖いと思う状況に慣れていき、「できる」と自分で思えた時に、一番怖かった「学校で話す」ことにスモールステップで挑戦し始めたことを手短に話しました。

S君は何も言わずに私の話を聞いていました。その後、S君が好きな食べものや日本のスーパーで何を買いたいかなど、会話しながら目的地へ。S君のボディランゲージは徐々にリラックスしてきたようでした。

が、目的地についた途端、顔がこわばって体が硬くなったのが判り、彼の緊張が伝わってきました。お店に入って、まず「お菓子はどこですか?」と店員さんに質問する予定だったのですが、そんなの無理。お菓子のコーナーに連れて行って、英語で説明しながら「これはどう?」と色々訊きましたが、首を横にふるばかり…。緊張を和らげようと、お店をぐるっと周りながら私も買い物を始めました。

ドリンクのコーナーに来た時です。S君の視線がファンタグレープに釘付けに!「これイギリスでは売ってないんだ。2本買う」とすぐ手を伸ばしました。一緒にレジ近くまで行き、私は「麦茶を買ってくるね~」と言って外へ。その時、背後で突然「オハヨウゴザイマス」というS君の声が聞こえました!!

午後だったし、練習では「こんにちは」だったのですが、そんなこと問題じゃないですよね。「ヤッター!」と思いつつ麦茶を持って中に入ると、支払いを終えたS君はささっと外に出て行きました。店員さんにこっそり「今の男の子、何を言いました?」とチェック。他には「アリガトウ」ぐらいだった模様。

帰り道、S君は緊張が溶けたのかものすごく饒舌になりました。「日本語で言えたね!」と褒めると、すごく嬉しそうにどんなに緊張してたか話してくれました。きっとサキ君に負けたくないという気持ちもあったんでしょう…。

来る途中でミカンが好きなのを発見したので、学校に帰る前に八百屋さんにも寄ってミカンを選んでもらい、代金を渡して払ってもらいました。店を出ようとしたら、目の前で商品が床に落ちるというハプニングが…。S君はさっと商品を拾って「はい、どうぞ」と店員さんに渡し、お礼を言われてました。

その時点ではショップに入るのが苦手な子には全く見えず、学校を出る前のあの拒否反応は一体何だったのかという位の変わりようにビックリ。成功体験を重ねて、自信がついたんですね。

2013年からDSM(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)で場面緘黙が不安障害のひとつと定義されましたが、本当にそうだなと思いました。これからお店に行ったり、買い物したりという経験をしない時期が長くなると、きっとまた不安がムクムクと頭をもたげてくるんでしょう。とにかく、成功体験を積み重ねることが大事。S君には、夏休み中もいっぱい外出して色々な体験をして欲しいなと願っています。

 

 

幼稚園入園 - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その3)

10月も半ばに入り、いよいよ息子が幼稚園に入園する日がやってきました。入園といっても、こちらでは日本のような式典はなく(小、中学校もなかった…式服不要です)、ただ母子で登園しただけ。それも、この日入園したのは息子と女の子の2人のみでした。

というのは、息子の幼稚園では9月から誕生日順に1週間に数名ずつクラスに加えていくというシステム(1/3程度は持ち上がり)。息子は8月中旬に3歳を迎えたばかりの「早生まれ」なので、39人中で一番最後だったのでした。

(小学校は4歳から始まるのですが、小学校でも早生まれの子は時期をずらせて入学させる方針だったため、幼稚園(1学年のみ)では3歳児と早生まれの4歳児を混ぜたクラスでした。預かってくれる時間は2時間半。午前中に2クラス、午後に2クラスを設け、規模は大きい方でした)

イギリスでは同じ公立の幼稚園でも、それぞれの園によって経営方針が全く違います。息子の園はかなり自由な校風で、クラス全体でする活動といえば歌、お遊戯、読み聞かせの時間くらい。あとは、子どもの主体性に任せて好きな活動(遊び)をさせて個性を伸ばすという方針でした。

これって、極端にいうと外遊びが好きな子はずーっと外に出っぱなし、お絵描きが好きな子はひとりで何枚も描いてるし、おままごとコーナーはいつも同じ顔ぶれ…。息子はといえば、やっぱりミニカーと電車のコーナーに張り付いてました(笑)。

とても評判のいい幼稚園でしたが、今考えてみると人見知りの激しい息子には向いていなかったと思います。当時は「子どもの個性にあった学校を探そう」なんて考えたこともなく、周囲の勧めで「ここ」と単純に決め、入園できてラッキーと感じてました…。いつだったか、息子が小5くらいの頃にビデオで日本の保育園の様子を観て、「日本の幼稚園って先生と一緒に色々やるんだ。僕もこういうところが良かったな…」と漏らしていました。

さて、話を初日に戻すと、若い担任の先生との簡単な挨拶のあと、私ともうひとりのママさんには次のような選択肢が与えられました。

  1. 子どもを置いて即帰る
  2. カーテンで仕切られたペアレントルームで待機
  3. 教室内で子どもと一緒に遊ぶ・近くで見ている

多くの保護者は2を選択し、子どもはたいてい2日~1週間くらいでクラスに慣れて、母親がいなくても大丈夫になるということ。が、うちのお向かいに住む3つ年上の女の子が入園した際は、ナニーさんが6ヶ月付ききりだったという話も聞いていました…。一方、初日から保護者と引き離す私立の園もあり、吐くまで泣いた3歳児が1週間ですっかり慣れたという話も。

まず様子を見てからと思っていましたが、案の定息子は私の側を離れそうにない…。そりゃそうですよね。初めて来た場所で(オープンデーの日は水疱瘡で参加できなかった)、知らない子ばかりだし、性格を考えても臆するのは当たり前。なるべくクラスの子たちと馴染めるよう、近くにあったおままごとコーナーで他の子にも声をかけながら息子と遊びました。

もう一組の新人母娘はというと、やはり教室で一緒に遊んでいました。とても大人しく繊細そうな子で、ママにべったり。私も高齢出産でしたが、このママさんは私よりもっと年上の感じ…。帰り道で一緒になって色々話をしたところ、何と彼女には14歳の双子(娘と息子)がいて、その子たちが入園した際に早く慣れさせようとして大失敗したとか。

泣く子どもたちを置いてさっと家に帰っていたらしのですが、双子はいつまでたっても園に馴染むことができず、家でも情緒不安定になったそうです。その時随分苦労したので、今回の末っ子ちゃんは、自分から離れる気になるまでとことん付き合うと決めているそうでした。

その話を聞いてビビった私は、「じゃあ、私も自然に離れるまで付き合おう!」と決心したのでした。

<関連記事>

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その1)

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その2)

 

バラの季節もそろそろ終りです

あっという間に今年も半分終わり、7月に突入してしまいました。イギリスのバラの季節は6月ですが、今月に入って最後の花を咲かせている樹も。イギリスの住宅にはたいてい前庭があって、それぞれの家庭で植えた花やハンギングバスケットが道行く人たちの目を楽しませてくれます。

実は、所属しているTAのエージェントに頼まれて、この春からエージェントが経営するフリースクールで日本語を教え始めました。以前、通信教育で日本語の教え方の初級講座を学んだものの、いざやってみるとすごく難しい…。でも、アニメおたくのティーン君を相手に、週1回の授業を楽しんでいます。学校へ向かう道すがらお馴染みになったバラたちも、もうそろそろ見納めかな。

IMG_20150626_121748IMG_20150619_143636

3階建の住居の壁にしなだれかかるように生い茂る白いモッコウ薔薇

IMG_20150626_121817

うちの狭い庭では無理だろうと断念したんですが、こんなにも成長しちゃうんですね。やっぱり買わなくて正解でした(笑)

IMG_20150703_121927

淡いピンクが浮かぶ上品な白のクォーターカップ咲き

IMG_20150522_121932IMG_20150618_183704

完璧なクォーターロゼット咲き?と発色が美しい一重の小輪

我が家のバラはピンク系、赤系が終わって、白バラのClaire Austin が花盛りです。でも、茎が伸びる前にちゃんと剪定しなかったため、長い茎が伸び放題。パーゴラの上部だけに花が集中してしまいました…。四季咲きなので、花が終わったら短く切り込んで、9月にはもう少しバランスよく花がつくようにできればと思ってます。

IMG_6578IMG_6498

蕾をつける前に茎がやたら長く延びるため、どう処理すればいいのかが悩みの種

IMG_6500IMG_6557

今年はというか、去年もでしたが、どのバラもひとつの茎に蕾がたくさんつきました。ひと枝だけでもブーケみたいで、お得感があります

IMG_6574IMG_6576

前庭のMary Rose にもたくさんの蕾がつき、一気に咲きました

IMG_6603IMG_6619

    こちらはフルーティな香りの Abraham Darby。中輪のはずが大輪でしかもブーケ状に咲くので、重くて支えるのが大変です

IMG_6416

庭のバラはあまり花持ちがよくないため、惜しみなく切っては活けて楽しんでいます