バイリンガル緘黙児あるある

2月ももう半ばですね。相変わらず天気が悪い日が続くロンドンですが、鉛色の空の下、梅の花(?)が咲き始めています。

 

………………………………………………………………………………………………………………………..

うちの息子は日本人とイギリス人のハーフです。家庭では4歳半まで主に日本語を話していて、幼稚園や家庭外では英語を使っていました(75% 対 25%くらい)。英語は修学したら自然に身につくだろう、と楽観的に考えていたのです。

ちなみに、イギリス人の夫は大学で日本語を専攻したため、少々変ですが日本語が話せます。「息子をバイリンガルにしたいから、あなたは英語で話して」と何度も頼んだのですが、英語だと息子との自然な会話が難しく、ほとんど日本語に。

息子が2歳半のころ日本語をキープするため、日本人が多く住む地区(駐在員も併せて)に引っ越し、3歳の時に日本人児童が多い幼稚園に入れました。そこで日本人の友達ができ、「あー良かった」と一安心したのもつかの間…。

4歳半で小学校に入学した初日、息子が「僕の英語、みんなみたいに上手くない…」とポツリ(この時はまだ場面緘黙を発症していませんでした)。

学校には外国人が多く、クラスには渡英したばかりで全く英語が話せない子が複数人いたにもかかわらず、自信をなくして委縮する息子--「これはイカン」と180度方向転換することに!英語に自信が持てるよう、家庭でも英語中心に変えたのでした。

(この2週間後に息子が場面緘黙を発症(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳』をご参照ください)。学校で話せるようになるために、英語に統一した方がいいと決意を新たにしました。日本語が駄目になってしまっても仕方ない、まずは緘黙を治したいと考えたのです)

すると、夫はさっさと英語に切り替え。主な話し相手が私だったせいか、部分的に私の文法の弱点や日本語なまりの発音を身に着けてしまい、複雑な心境。しばらくすると、日本語の文章に英単語がたくさん混じるように。

そのせいで、小1の時に一緒に遊んでいた日本人男子のグループから、「〇〇の日本語は変!」とからかわれ、息子は「もう絶対に日本語しゃべらない!」と宣言😢 子どもって、本能的に「異質なもの」を鋭く嗅ぎ分け、排除しようとするところがありますよね…。

息子のためにとわざわざ日本人が多い学校を選んだのに、それがかえって仇になってしまいました。トホホ。

でも、場面緘黙になってから、日本語は私との秘密の言葉にもなったのです。私が傍にいれば小声で話せることも多く、周囲の様子をうかがいながら日本語で会話をしていました。周りの人には日本語が解らないので、安心できたよう。

周囲から見ると、自分たちに挨拶や返事をしないのに、母親にだけ外国語でコソコソ話すなんて、印象悪いですよね。当時は場面緘黙があまり一般に知られておらず、「恥ずかしがり屋で…ごめんなさい」と弁明することも少なくありませんでした。

ただ、どうしたいのかその場で息子の意向を確認したり、「じゃあ、ありがとうと言わなくてもいいから、頭だけ下げてごらん」とチャレンジさせたり。その場で言葉がけができて、褒めたり励ましたりもできるので、とっても便利。

子どもによって違うと思いますが、緘黙支援のツールとして利用しない手はないと思います。

<関連記事>

バイリンガルと緘黙(その1)

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その16)校庭で声が出た!

早いものでもう2月。今年は暖冬なので、晴れた日には早春の気配がそこかしこに感じられます。新型肺炎のニュースが毎日世界中を駆け巡っていますが、一刻も早い収束を願わずにはいられません。早くワクチンを開発できます様に!

  

…………………………………………………………………………………………………………………………..

「囁き声から → 小さくても普通の声」への移行は、なかなか進みませんでした。イギリスの支援団体SMiRAの情報では、「囁き声だと声帯を動かさないため、癖にならないよう長く続けるのは良くない」とのこと。どうしたら普通の声を出せるようになるのか悩んだ時期です。

2006年が明けて2学期に入ってからも、状況はそれほど変わらず。それでも、囁けるクラスメートの数が徐々に増え、家でも切れて怒ることが少なくなり、随分落ち着いてきたように記憶しています。

放課後は同じクラスのB君とS君とのプレイデートを続け、幼稚園時代からの親友T君とも頻繁に遊んでいました。T君家族は2学期が終わったら日本に帰国する予定でしたが、この頃クラスの日本人男子グループも交えて遊ぶように。

放課後の校庭ではT君と一緒なら声を出せていたものの、グループ(4、5人)になるとやはり息子は遠慮がち。彼らの幼い弟妹の方がずっとグループに馴染んでいるように見え、歯がゆい思いをしました。

(ところで、この頃には2~3歳の頃仲良くしてもらっていた日本人の友達も既に帰国。言葉には出しませんでしたが、突然仲良しがいなくなってしまうのは、子ども心にも痛手が大きかったよう)

イギリスの小学校では普段の授業でも小グループ活動が多く、特に幼児部 (Infant School 4〜7歳)では教室に各生徒の机はなく6人掛けのテーブルを並べたレイアウト。これは不安が軽減されて声を出しやすい環境ですね。ちなみに、イギリスの公立小学校って教科書(共同)もノートも筆記用具も学校に置いてあるので、カバンの中身といえば水筒と課題図書くらい…(^^;)

息子の場合は、仲良しのB君と一緒のテーブルに座らせてもらい、安心度アップ。大抵ASD児のZ君と彼のTAも同じテーブルにいて、このTAが息子の支援も担当してくれてました。解らないことがあっても自分から訊けませんが、グループにTAがいれば声をかけてもらえるので、学習面でも大助かり。

初めてクラスメイトの前で普通の声が出せたのは、2学期も終わるころ。春になって陽気が良くなり、校庭で小グループ活動をしていた時でした。指導者は担任ではなく、警察官の彼女の旦那様。みんなで日向ぼっこしながら、警察の仕事に関する話を聞いたり、おしゃべりしたりという授業だったよう。

日の当たる校庭での楽しい時間、人当たりのいい担任のご主人、子どもが憧れる警察官の仕事など、ポジティブな要因が重なった結果でしょうか?息子の場合、担任よりTAや他の大人の方が話しやすい、教室内より校庭の方が気持ちが楽、という条件もありました。知り合いだけど話せない大人より、知らないけれど親しみが持てる人の方がハードルが低かったんでしょう。

別に声を出そうと決意していたわけではなく、ついポロリと普通の声が出てしまったものと思われます。以前も書きましたが、幼少期はまだ緘黙が固定化しておらず、子どもの自意識もそれほど強くないため、この「ついポロリ」が多く、そのために快復も早いのではないかと思います。

(注:先に息子がプレイセラピーを受け、その時初めて教室で大人と話せたこと書きました(詳しくは『息子の緘黙・幼児期5~6歳(その8)初めて声が出た!』をご参照ください)。通常、場面緘黙の治療に使われるのはCBT(認知行動療法)で、プレイセラピーではありません。息子はレセプション時代に緘動があり、クラスの活動で支障がでる程だったため、プレイセラピーは不安の軽減のためでした)

<関連記事>

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その1)祖父母の反応

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その2)社会的な機会を増やす

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その3)1年生に進学

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その4)先生が僕を喋らせようとする

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その5)学校外でのスモールステップ

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その6)もうひとりの緘黙児

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その7)1学期の個別指導プラン

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その8)初めて声が出た!

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その9)教室内で囁き始める

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その10)S君宅に招かれる

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その11)初めての言語テスト

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その12)誤解されてた!

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その13)目からウロコ

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その14)誕生会とF君の涙

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その15)個別指導プランNo2