Cちゃんのこと

この春、緘黙のティーン、Cちゃんと接する機会が何度かありました。カレッジに通うアニメ好きの18歳の女の子です。

父親か母親が傍にいれば、第三者の前でも言葉が出るし、こちらの質問には筆談でスラスラ答えられる――でも、直接話せる人は両親と異父兄弟ふたり、友達ひとりしかいません。

両親はCちゃんが小学校低学年の頃に離婚し、その後ふたりとも再婚しています。Cちゃんは母親に引き取られましたが、週末や休みには父親の家に泊まりに行ったりと、頻繁に会っているそう。

義父とは10年以上も一緒に暮らしている訳ですが、直接話したことは一度もないとか。また、慕っている義母とは、知り合って3年以上になるのにやはり直接は話せません(実の親とは目の前で話しているだけに、自分には話してくれない義娘への感情は複雑ですよね…)。

Cちゃんが緘黙になったのは、小学校に入学した5歳のとき。父親によると、学校では手厚い支援を受けてきていて、クラスに自分が話しているビデオを観てもらい、少し言葉が出かけた次期もあったそう。

でも、セカンダリースクール進学(12歳)やカレッジ進学(16歳)など、学校やクラスが変わる度に元に戻ってしまうことを繰り返したとか。

カレッジでも席順を考慮してもらったり、TAをつけてもらったりと、話せないけれど安心できる学校生活を送れていたよう。イギリスでは夏休み明けの9月から新学年が始まるのですが、来期からは新たなコースで勉強し始めるということでした。

一度Cちゃんと待ち合わせて家に来てもらったことがありました。最初は緊張していましたが、好きなアニメのゲームをしているうちに笑い声が出ました。Cちゃんと筆談で色々話をしてみて、その時に感じたことを書きとめておきます。

1) 年齢にそぐわない幼さと食の細さ

Cちゃんは平均的な18歳の女の子と比べると、体格が小さく年齢よりも随分幼く見えました。この年齢だと、お化粧やネイルをしてる子が多いんですが、化粧っ気は全くなし。服装も地味なジャージ姿で、友達とお洒落やファッションの会話をするのは難しそうだなと感じてしまいました…。

彼女の希望でチキンナゲットとポテトをテイクアウトしたのですが、もともと量が少ないのに2/3ほどしか食べませんでした。スムージーを勧めたところ、バナナと苺はOKだったものの、ブルーベリーとラズベリーはNG。これも半分以上残し、お水も殆ど飲みませんでした。

きいてみたら、普段から水分はあまりとらないと…。トイレに行くのを避けるため、水分を摂らないようにしてきた結果ではないか?と思い当りました。嫌なことがあると腹痛になるということで、とても繊細な子だなと感じました。

2) 家庭でのサポートは?

小学校低学年の時に両親が離婚して、一緒に住んでいた母親が割とすぐに再婚し、弟が二人生まれました。幼い弟たちの世話に追われ、母親は手いっぱいだったようです。事情はよく判りませんが、家庭での緘黙支援はあまりなかったよう。

父親によると、感覚過敏のためか好き嫌いが激しく、食べられるものが極端に偏っているとか。彼女が頑固だったせいもあるのか、極力好きなものしか食べないという生活をしてきたようです。

 

学校では早くから緘黙を察知して支援体制を整えてくれたそうですが、もしかしたら「話さなくてもいい状況」に慣れてしまった恐れがあります。また、家庭との連携や家庭での支援不足が緘黙を固定させる要因のひとつになったのかも。また、多感な時期に両親が離婚して新しい家族ができたことで、家でのびのびしたり、自己主張したり、思い切り甘えたりすることができなかった可能性もあるのかなと…。

話せる友達が同じカレッジにいるそうですが、違うコースで学んでいるため、一緒にいられる時間があまりない、と淋しそうでした。友達はどんどん新しい友人関係を築いていて、置いて行かれる気がするとも…。父親によると、一緒に遊びに行ったりできる友達がいないということで、将来をとても心配していました。

でも、オンラインでやり取りしている外国人の友達がいるとのこと。オンラインでもSNSでもいいので、誰かと繋がれるといいですよね。好きなアニメが今後の突破口になるかもと思い、何かイベントに参加してみたらと勧めてみました。その後どうなったのか、気になっています。長い夏休み、楽しめてるといいんですが…。

SMiRAのFBページでも、友達付き合いがなく外出できないでいるティーンが大勢いるようです。年齢があがってくると、家族と外出することを嫌がる子もいますよね。そんな子たちが出遭える機会があればいいのにな、と心から思います。

緘黙のカテゴリーはひとつだけ

イギリスで緘黙治療といえば、言語療法士のマギー・ジョンソンさんとアリソン・ウィンジェンズさんが共著した『場面緘黙リソースマニュアル(The Selective Mutism Resource Manual)』なくしては語れません。

2001年に出版されて以来、その実用性が高く評価され、緘黙治療のバイブルと呼ばれてきました(詳しくは『場面緘黙とは?(その3)』をご参照ください)。実際の取り組みで得た知見やエビデンスをベースに、子どもの不安を軽減する多様な手法を体系化して掲載。2016年10月に出版された第二版では、ティーンや成人にまで範囲を広げ、多くの資料を追加しています。

実は、この第二版から場面緘黙のカテゴリーが変わりました。そのことを書かなくちゃというのは頭の隅にあったのですが、既に二年以上が過ぎてしまったという…(^^;)

2001年の初版では、「場面緘黙の要素を持つ引っ込み思案」から「年齢があがってから発症する場面緘黙」まで5つのカテゴリーがありました。それが、2016年の第二版からはひとつに統一されたのです。

SAD(社会不安障害)、ASD(自閉症スペクトラム障害)、言語関連の障害などを併発するケースも、年齢があがってから発症するケースも、全て同じ場面緘黙と捉える考え方です(注:トラウマが原因の緘黙(Traumatic Mutism)は除外)。早期発見・介入が治療の鍵になることは、以前と変わりません。

興味深いのは、カテゴリーはひとつに統一されたものの、認識されやすい場面緘黙(High-profile selective mutism*)と 認識されにくい場面緘黙(Low-profile selective mutism*)が新たに追加されたこと。(*High-profileとLow-profileの翻訳に関して、ぴったりくる訳が見つからないので、「ハイプロフィール」「ロープロフィール」とカタカナ表記の方がいいかもしれません)。

SMiRAのウエブサイトからダウンロードできる資料『ハンドアウト3 大人しい子?それとも緘黙?(Handout 3  “Quiet Child or Selective Mutism?”)』からその部分を抜粋しますね。

http://www.selectivemutism.org.uk/info-quiet-child-or-selective-mutism/

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<大人しい子どもは、どの時点で場面緘黙と判断されるか?>

緘黙児はひとりひとり違いますが、以下の共通点がある

★特定の人とは自由に話せるのに、それ以外の人とは話せない(よく2重人格といわれる)

★話せる状況と話せない状況の明確なパターンがある

★発話が期待されるイベントへの参加に回避的、または消極的

★自由に話すことの困難さが理解されないと、大きな苦痛を感じる

<認識されやすい緘黙児と認識されにくい緘黙児>

認識されやすい場面緘黙(High-profile selective mutism)

これらの子どもや若者たちは、特定の人々とは全く話しません。会話パターンのコントラストが明確なため、簡単に場面緘黙と認識できます。例えば、教育の現場では子どもとは話すのに、大人とは話さない。校庭では友達と自由に話すのに、他の人に聞こえる室では話さない、といった具合に。また、良く会う親戚とは話すのに、あまり会わない親戚とは話さないなど。通常は、他人に聞こえないところだと、すぐさま両親と話します。

いったん緘黙だと認識されれば、この子たちの沈黙は不安のためコミュニケーションが難しいからだと理解されます。

認識されにくい場面緘黙Low-profile selective mutism

これらの子どもや若者たちは、促されると少しは話すので、大人は「恥ずかしがり屋」「大人しい」または「反抗的」と捉えがち。認識されやすい緘黙児と同様に、話すことが強い不安を引き起こすのに、それを理解されにくいのです。彼らは期待に応えようとする思いが強く、なんとか言葉を絞り出します。実のところ、話さない結果への不安が、話す恐怖に勝るために声が出るのですが、このバランスは微妙で、話題に自信がある時しか作用しません。学校では出席の返事をしたり、要求に応じて音読したり、シンプルな問いに答えたりすることがあるかもしれません。しかし、普段より声は小さく、アイコンタクトも減ります。トイレなど必然の要求を発したり、指示に従って短いメッセージを伝えたりすることもあるかもしれません。しかし、親しい友達や家族を除いては、相互的な会話をすることはなく、自分からは話しかけません。「(して)ください」や「ありがとう」といった、何でもない依頼や挨拶が非常に難しいのです。いじめや病気を報告したり、助けや許可を求めたり、自ら説明したりできないことを解ってもらえるまで、彼らは危険にさらされます。困難に気付かれず、自分を守る発言ができないため、支援どころか懲戒されてしまうかもしれません。

もっと大きな声で話しなさい、もっと貢献しなさいと繰り返し奨励することは、更に子どもを苦しめるだけです。彼らの困難を誤って把握し続けると、ますます話さなくなり、不登校が多くなり、どんどん自信を失っていく可能性があります。

認識されやすい場面緘黙の子どもが適切なサポートを受けると、最初は質問には答えるけれど自分から会話を始めることはない――認識されにくい場面緘黙の子どもの症状と似た感じになります。

場面緘黙の子どもや若者を支援する際、認知しやすい緘黙も認知しにくい緘黙も、不安のないコミュニケーションと活動参加を可能にするために、同じ支援が必要です。まずは、 話すことに対する全てのプレッシャーを取り除いてください。その後、各自のペースで段階的に話すことへの恐怖と向き合わせます。 重要なのは、場面緘黙が本人の性格ではないことを説明し、自覚させることです。 場面緘黙は、彼らが幼少の頃に経験した「恐れ(例えば、暗闇や花火のように)」のように、乗り越えることができるものだと。

<関連記事>

緘場面緘黙とは?(その3)

合理的な配慮とは?

今週の日曜日は参議院選挙の投票日ですね。私はロンドン在住ですが、先週の金曜日に日本大使館に行って在外投票をしてきました。

その前に、動画で各政党のマニフェストを確認していたら、「合理的な配慮をお願いします」と、聞き覚えのある言葉が--れいわ新選組を立ち上げた山本太郎さんが、重度障害を持つ候補者ふたりと記者会見をした際に出てきた言葉でした。

こんな風に公の場で言葉を聞いたり、配慮の様子を見たりできると、「合理的な配慮」というコンセプトが一般に浸透しやすいかもしれないなと思いました。

さて、今年のSMiRAコンファレンスでは、緘黙のティーンや成人の大学進学にスポットがあたりました。イギリスの大学では障害や病気がある学生の支援サービスが設置され、対象となる生徒は”Reasonable Adjustments(合理的な配慮)”を受けられます。

イギリスでは平等法(2010年)と児童家庭法(2014年)により、緘黙児が他の子と同じように学校教育を受ける権利が保障されています。とはいえ、地区や学校によって受けられる配慮はまちまち。というのも、各学校によって状況(方針や予算)が異なるからです。

だから、”Reasonable adjustments”というのは「合理的な配慮」というよりも、「(状況に合う)妥当な配慮」と考えた方がいいのかなと解釈しています。

イギリスでは、政府や地方行政の予算がどんどん削られているため、支援や配慮を受けるのが難しくなっているのが現状。そのため、保護者や本人が声をあげないと、見過ごされてしまうことも…。何も言わなくても積極的に動いてくれる学校もあれば、動きが鈍い学校もあり、本当に宝くじのような感じです。

日本の法律については、高木潤野氏著の『学校における場面緘黙への対応』(学苑社)の第2章(学校生活における配慮や工夫)に詳しく書かれています。

P45 (2)場面緘黙は「障害」か

発達障害支援法によれば、「発達障害」とは自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であって、その症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう。

場面緘黙はこの「その他」に該当することから、発達障害支援法において定義される「発達障害」に含まれる(場面緘黙は学校教育において「情緒障害」に分類される)。

P43 2014年に批准した障害者権利条約の第二十四条(教育)

c) 個人に必要とされる合理的配慮が提供されること

P45 配慮や対応にあたって

その時その時で直面しているさまざまな問題を、その子の気持ちに寄り添って丁寧に聴き取り、解決方法を考えることが大切である。

場面緘黙が「障害」なのかどうか――家庭では普通に話しているし、「治る」症状であることを考慮に入れると、「障害」と受け入れがたい気がしますよね。ただ、場面緘黙のために、他の生徒と同じように教育を受けられない/ 学校生活が送れないのであれば、配慮が必要です。

法律で守られている権利があるならば、子どもを守るためにその権利を行使したいというのが親心。子どもの将来がかかっていれば、なおさらですよね。

SM治療の先駆者と言われるマギー・ジョンソンさんは、「早期に対応しないと、深刻な結果を招く恐れがあります」(動画『うちの子は話さない』11:30から)」と警鐘を鳴らしています。

子ども自身が「助けて」と言えないがゆえに、「合理的な配慮」を受けられるかどうかは、保護者の頑張りにかかってくるかもしれません。特に、今学校では問題を抱える子どもが増加傾向にあり、担任は多忙を極めています。必要だと思ったら、保護者が勇気を出して、柔軟な姿勢で配慮をお願いしてみましょう。

上手くいく時も、いかない時もあると思います。でも、やらないよりやった方が絶対にいいし、後悔も残らないはず。ダメだった時は次の作戦を立てて、焦らず気長に。ネット上でもいいので、相談できる相手やグループがあるといいですね。

10年後のレッド

先日、BBCのウエブサイトを見ていたら、見覚えのある名前が――10年前に緘黙のドキュメンタリー番組『My Child Won’t Talk(うちの子は話さない)』に出演した少女のひとり、レッドちゃんでした。https://www.bbc.co.uk/news/stories-48557674

     あの幼かった少女が、あっという間に成長してもう大学生なんですね(サイドの剃り上げにビックリ!メタルファンなんだ~)

記事の冒頭部分の翻訳:

19歳のレッドはメタル系音楽のファンで、メイクアップアーティストを目指す大学生。子ども時代の彼女は、家でだけおしゃべりで活発な女の子でした――が、家の外ではまったく違っていたのです。

ノーサンプトン州ケタリングにあるセカンダリースクール(12~16歳)の見学日。来期新入生の子ども達とゲームをしていた先生は、近くにいた女の子にも参加するよう声をかけました。

11歳のレッド・エリザベス・ジョリーは、肩をすくめて「OK」と応え、仲間に加わりました。その様子を見て、思わず視線を交わす両親。レッド自身はというと、「普通の子がやることをするだけ」と自分にいいきかせ、落ち着こうと努めていたのです。帰宅後、母親のキャリーさんはFBを更新し、「娘のことが本当に誇らしい」と書き込みました。

この短い「OK」が、レッドが家の外で何年も守り続けてきた沈黙を破る突破口となったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話せる人が8人しかいなかった小学生時代

レッドが緘黙になったのは幼稚園のころ。最初は、誰もいない教室でなら先生と話をすることができていました。でも、先生が変わるとそれも一切なくなり、11歳で「OK」と発するまで、園や学校ではひとことも口をきかなかったのです。

緘黙だった頃のことを「周囲がガラスの壁で遮断されていて、それを外から眺めているような感じだった」と振り返るレッド。知らない顔や「話すだろう」という周囲の期待が、大きな不安を引き起こしました――体は固まり、脳は過剰反応と停止の繰り返し…。

これではパニック状態に近いので、話すどころじゃないですよね?(でも、人からはそういう風に見えないことが多いのが辛いところ…)。学校でフラストレーションがたまり、帰宅してから泣いたり、叫んだりした記憶が強く残っているそう。

現在のレッドは静かながらも自信を持って話し、笑顔も多く出ています。セカンダリースクール入学後、少しずつ自信をつけて先生に応えられるようになり、話せる友達のサークルを広げていきました。まだ不安になる傾向は消えませんが、人前での発表も、知らない人との会話も問題ありません。

現在も話せない人

一見すると場面緘黙を克服したかのようにみえる彼女ですが、実はいまだに話せない人も。母方の祖父を含む、親戚の何人かがそうです。

BBCのドキュメンタリーでは、この祖父と話すことを目標に、携帯電話を使った試みを実行。番組内では上手くいっているようにみえました。この試みは番組放送後も続けたそうですが、いつの間にか止まってしまったよう。

話せない理由は不明ですが、祖父とは今後も話せないだろうと感じているよう…。周囲と自分の「話せるようになるだろう」という期待が重すぎたのかもしれませんね。頑張りすぎて、かえってトラウマになってしまったのかも…。

彼女は少しびっこをひいて歩きます。これは12歳の時に膝を脱臼した影響だとか。当初、不安のため病院で誰にも足を触らせず、医者の問いにも応えず、治療を拒否。やっとのことで、鎮静剤を打ってMRIスキャンにこぎつけ、2回の手術を決行。学校を5か月間休むことになりました。この時期、家族の心労はピークに達し、ストレスのため父親が休職を余儀なくされたとか…。

うちの息子もそうですが、緘黙克服といっても、生まれ持った不安気質が変わる訳ではないようです(人によって異なると思いますが)。でも、自分に合った対処法を身に着けていくことで、耐性がつき、生きることが楽になるのは確かだと思います。

それから、彼女が母親の変化について語っているのも興味深いところ。「かつて母は常に私のことを心配していたけれど、それがなくなった」と。ちゃんと解ってるんですね。子どもの緘黙克服を支援し、自立を後押しし、タイミングよく徐々に手を放すことができたら最高だなと思います。

<関連記事>

緘黙のドキュメンタリー

緘黙のドキュメンタリー

イギリスではこれまでに場面緘黙のドキュメンタリーが複数制作されています。国営放送のBBCでも、2009年に『My Child Won’t Speak(うちの子は話さない)』を制作。これは、3人の少女の緘黙克服への道を追いかけたもの。

それぞれの心の葛藤や家族たちの心境がとてもよく描けていて、秀逸な番組だと思いました。また、架け橋となるキーワーカーを軸に、新しい人に少しずつ話せるようにする「スライディング・イン(Sliding In)法」や、クラスメートに緘黙のことを告げる貴重な映像も含まれています。

実は、2010年に日本語に訳してサブタイトルを入れ、内輪で公開したのです。それ以後、すっかり忘れていたのですが、先日出演者のひとりのレッドちゃんがBBCニュースで取り上げらているのを発見。久しぶりにこのドキュメンタリーのことを思い出し、再度新しい映像を入手し、日本語のサブタイトルを修正して、ツベにUPしました。

もしかしたら、すぐ消されてしまうかもしれないので、良かったら早めにご覧ください。