息子の緘黙・幼児期5~6歳(その5) 学校外でのスモールステップ

イギリスの秋はどんどん深まってきました。今年もあと2か月半で終わりかと思うと、時間が過ぎるのが本当に早いです。

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Cちゃんの誕生会に行ってから、学校外で随分人目を気にするようになり、緘黙が悪化してしまった息子(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その24)』をご参照ください)。

それまでは割と平気だった、学校外での社会的場面――買い物、外食、公共交通機関での移動など――を嫌がるようになりました。周囲をすごく意識するようになったのです。緘黙だけでなく、対人恐怖症というか社会不安も一挙に増大。

学校の支援のお陰で少~しずつ改善しつつあると思えた対人関係も、一気にどん底に…。

う~ん、どうやったら元の基準にまで戻せるものか…。ここでも、やはりスモールステップで場に慣れさせるCBT(認知行動療法)を試みました。

この時に役立ったのが日本でもお馴染みになったIKEAのカフェでした。その利点は、

  • 家から離れていて、知り合いに会う確率が0に近い
  • 大好きなミートボールが食べられる
  • 自分で好きな席を選べる
  • 周囲がガヤガヤしている

最初は嫌がっても、好きなものを食べている時は、食事に集中して周囲の目を気にしなくなりました。回を重ねる毎に、誰も見ていないことを徐々に実感できたよう。

バスや地下鉄にも頻繁に乗るようにしました。その時に息子が安心できるよう注意したのは、

  • 最初は知り合いに会わないよう、ちょっと遠くで練習してから徐々に近所へ
  • あまり混んでいない時間帯に利用
  • バスでは息子が窓側に、私が通路側に座るようにする
  • 声かけ「大丈夫」「怖くないよ」「よくできたね」を忘れずに

スーパーや息子の欲しいものがある玩具屋/文具店での買い物作戦も有効でした。注意点は、

  • まずは学校から離れたお店で
  • 好きなものをひとつ選ばせる
  • 嫌がらなかったら、レジまで持って行かせる
  • 様子を見ながら自分でお金を払わせる
  • 声かけを忘れずに
  • (全部クリアできたら、私の声に合わせて「ありがとう」と言わせてみる)

上記のようなスモールステップで、少しずつ少しずつ恐怖症が治っていったように思います。長い道のりですが、諦めずに根気よく。注意すべきは、緘黙児は間が空くと元に戻ってしまう習性があること。なるべく頻繁に行う必要があります。

私が実践したスモールステップは、息子ができそうなことを選んで、自分で考案したもの。緘黙児はひとりひとり違うので、その子に合うスモールステップを組み立ててください。自分の子を一番良く理解しているのは保護者だと思うので、プロに頼まなくても大丈夫です。

そして、ひとつできたら次はもう少し高めのステップにチャレンジさせます。できなかったら、ステップをもっと細かく修正して再チャレンジ。

常にできそうなステップを準備して、少しずつ自信をつけさせることが重要です。失敗して後退してしまうこともあるかと思いますが、その時はその時。怖がらずに親子でチャレンジしましょう!

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息子の緘黙・幼児期5~6歳(その4) 先生が僕を喋らせようとする!

1年生の教室と担任にも慣れてきたかなと思う頃、息子が帰宅するなり「TAの先生が僕を喋らせようとするから、ヤダ!」と訴えてきました。

何の事だろうと聞きだしてみると、息子は読本ができない(教室で声を出せない)ため、別室にてTAと1対1で読本を見てもらっているとのこと(息子ほかにも複数名いて、各15分位ずつ)。そのTAが息子に声を出させようとするので嫌だ、というのです。

あれっ? まずは、話すプレッシャーを無くして、子どもの不安を減少させることが緘黙支援の基本だよね??

前年にSENCo(特別支援コーディネーター)にSMiRAの資料を渡してあり、担任や他のスタッフにも息子が場面緘黙であることは通達されてるはず、と思い込んでいた私。が、どうもそうではないような…。そこで、担任にお願いして、TAとの読本セッションに私も参加させてもらうことにしました。

当日、息子と一緒に読本セッションに行き、TAに「どうして息子が話さないかご存知ですか?」と訊ねてみました。すると、即座に「知りません」と返事が…。

「学校内の連携ができてない~!」とショックを受けましたが、TAはパートタイムだし、担任と話す時間もあまりないのかも…と推測。子どもが本を読めるようにするのが彼女の役割なので、「声を出させるな」という注文は酷かも…。

とりあえず、簡単に場面緘黙の説明をし、話すようプレッシャーをかけないようお願いしました。

それから、その日の読本が始まったのですが、TAは即座に「声を出して読む」のではなく、「指さし」で単語や内容について訊ねるという形に変えました。私が隣にいて安心できていたためか、息子は指さしでTAの質問に答え始めました。

すると、「まあ、ちゃんと解ってたのね!」とTAが感嘆しているではないですか!「グッドボーイ!」と何度も褒められ、息子もまんざらではなさそう――それまで、どれだけできない子と思われてたのか…(-_-;)

何も話さない子に対してTAも接し方が判らなかっただろうし、どうも緊張で身体が動かない緘動状態になっていたのでは、と疑われました。

話せないこと、普通に動けないことで誤解されることって、結構多いかもしれません。誰かが気付いて誤解を解いてくれればいいですが、先生たちも忙しいので、見過ごされてしまうこともあるかも…。

その後、息子は読本セッションに喜んで行くようになり、結果的には担任より先にこのTAに話すことができるようになったのです。

緘黙児に対する接し方については、自然に子どもに寄り添える先生もいれば、努力してるのに子どもが余計に固まってしまう先生もいますよね…。緘黙児は感性が鋭いので、相性が合うかどうかも大きく影響するかもしれません。うちの子もそうでしたが、緘黙児って人に対する好き嫌いが激しいような…。でも、親身になってくれる先生の思いは、絶対に子どもに通じると思います。

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雨続きの天気の中、イギリスの秋はだんだん深まってきました。雨の合間に太陽が顔をのぞかせると、いつの間にか樹の葉が紅葉しているのに気づかされます。さて、やっと息子の緘黙話の続きです。

真っ赤に紅葉したアメリカ蔦がある知人の庭には、毎日子ギツネが訪ねてきます

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息子の小学校では、クラスは持ち上がりで担任が1年毎に変わるシステムでした。う~ん、7年間ずーっと同じクラスってどうなの?クラスの中でのイメージや交友関係が固定し、息子は目立たない「おとなしい子」のまま卒業してしまうんじゃないか?――入学前はそんな風に疑問視していたのです。

その上、入学後すぐに場面緘黙を発症してしまい、「しゃべらない子」というイメージが固定化してしまう可能性も出てきた訳です(当時は必死だったので、そこまで考える余裕はなかったんですが)。

レセプションクラス(4~5歳)から1年生(5~6歳)にあがった息子の新しい担任は、一部の保護者から「厳しい」と評されていた女性教師。でも、いざ新学期が始まってみると、とても熱心できめ細かな指導をしてくれる先生だと判りました。

ちなみに、新担任の名前は前年の3学期の終わりに発表され、子ども達は夏休み前に何度か新しい教室に行って新担任と顔合わせするのです。不安が大きく新しい環境に慣れにくい子どもにとって、担任や教室が変わるのは大変なこと。こういう配慮があれば、子どもは安心できますね。

(日本では2年に1度クラス替えがあるから大変だなと思っていたら、1年毎に替える学校もあるようですね…。緘黙児にとっては負担が大きすぎるのでは?)

息子が新しい担任に馴染めるか心配でしたが、初日に下駄箱まで送っていくと、「マミーはここから来ないで」と、ひとりで教室に入って行きました(イギリスでは小2まで送り迎えは保護者の義務です)。この時、「あっ、こんな小さくても、親が立ち入れない自分の世界を持ってるんだな」と感じたことを鮮明に覚えています。クラスでは声が出ませんでしたが、登校を渋ることはありませんでした。

イギリスでは1年生からやっと時間割が定められ、徐々に授業に慣らしていきます。この学年では、読本が遅れている子どものために専用のTAをつけたり、ASDの子ども達のためにソーシャルグループ活動があったり。学校心理士に診てもらえたのも1年生の時。今思うと、この学年の支援が一番手厚かったと思います。

息子の学校での様子が知りたい――そう思った私はボランティアの仕事に手を上げました。1年生から体育で水泳が始まるため、着替えのヘルプをしたいと考えたのです。でも、息子に訊いてみたら、「それは嫌!」と断固拒否。多分、入学前にプール恐怖症になったため、自分が「できない」ところを見られたくなかったんでしょう。

その代わり、B君ママと一緒に週1回ITCのお手伝いをすることにしました。子どもを6人位ずつ順番にITCベイ(PCを並べた廊下)に連れて行き、PCを使ってゲームやお絵描きをするというもの。PCに馴染ませる目的の他に、担任とTAが教室に残った子ども達の算数と国語を丁寧に見る時間だったような…。

ボランティアの利点は、クラスの子ども達と接することができ、それぞれの個性や交友関係などが見えてくること。ここで仲良くなれば、家に遊びに来てくれるかもという下心もありました(^^;)

ITCベイに行く途中、子ども達は手を繋ぎたがったり、おしゃべりしたがったり。中には息子が話さないのを不思議がって、私に質問してくる子も。

「ねえ、〇〇君どうしてしゃべらないの?」

「すっごい恥ずかしがり屋で、学校では緊張しちゃうんだよ。〇〇ちゃん、大きなステージに立ってひとりで歌うことを想像してみて。すごく怖いよね?そういう感じになっちゃうんだって」

「ふーん」

「家ではおしゃべりなんだよ。今度遊びに来てね」

「うん」

訊かれる度こういう会話を繰り返していたんですが、みんな素直に納得してくれてたような…。質問してくるのは大体女の子ばかりで、やっぱり精神的な発育が早いんですね。

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緘黙児とイジメ

前回の投稿から、またあっという間に時間が経ってしまいました。その間、元緘黙の息子は生まれて初めて家を出て、大学の寮へ。イギリスの大学には入学式というものがなく、息子と荷物を車で寮の小部屋に送り届けて、それでお終い…。

空っぽになった自宅の息子の部屋を見ると、やっぱり淋しい~😢でも、少しずつ大学生活に順応できているようで、ほっとひと安心。イギリスでは18歳を過ぎると成人と見なされるため、大学で何かあっても本人の承諾がなければ家に連絡は来ません。まだまだ内気な彼が、大学生活を無事乗り切れるよう願っています。

  

 当日は和食のランチで送り出しました。自炊できない寮なので、イングリッシュフードの毎日に…

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さて、場面緘黙のために虐めを受けた――そういう話をよく聞きます。特に、交友関係が複雑になってくる小学校中高学年、中学校で多くなるような印象。

緘黙児って虐められやすいのでしょうか?

幸いなことに、息子の場合は緘黙が理由で虐められたことはなかったような。緘黙になったのは小学校に入学したばかりの4歳半で、学校での会話にだいたい支障がなくなったのが7、8歳のころ。低学年のうちに話せるようになったため、虐めに遭わなくて済んだのかもしれません。

今でも鮮明に覚えているのは、レセプションクラス(4~5歳)でお姉さん格の女の子達によく抱っこされていたこと。早生まれの息子は、クラスで最もおチビさんのひとり…。女の子は成長が早いし、きっとなにも喋らず動けない息子を不憫に思ったのでしょう。まるで赤ちゃんのような扱いに笑ってしまったのですが、虐められはしませんでした。いつも友達のB君にひっついて、守ってもらっていたようにも思います。

低学年くらいまでの子どもって、「変だな?」と思っても状況をそのまま受け入れてくれます。ある日、クラスの女の子を家で預かったところ、息子が普通に話しているのを見て最初は怪訝な顔に。でも、すぐに慣れてそれが当たり前のように接してくれました。素直というか、単純というか、許容力があるというか、緘黙治療の早期発見・介入が効果的なのは、周囲の子ども達のこういった特性に負うところが大きいのかも。

過去のブログで何度か触れましたが、子どもの発達において、よく「9歳の壁」という言葉が出てきます。9歳頃になると、子どもは物事をある程度対象化して認識できるようになり、自分と周囲を意識しはじめます。ちょうど小学校の中学年にあたり、自己肯定感や否定感が育ち始めるのはこの頃から。

緘黙児自身もですが、周囲のクラスメイト達も自我がどんどん発達して、周囲や集団の中の自分を意識するように。また、仲間意識が強くなるギャングエイジでもありますよね。特定のグループに仲間として受け入れてもらえるかが問題になってくると思います。

仲間意識を持つには、「話すこと」よりも、周囲とコミュニケーションが取れているか、親しい友達はいるかなど、子どものコミュ力によるところが大きいような気がします。また、緘黙の度合いや、他に不安障害の症状があるかどうかも問題になってきそう。緊張で固まって動けなければ、コミュニケーションどころじゃないですよね…。

また、学校の方針や雰囲気、担任の態度なども重要になってきそう。クラスの雰囲気がよければ、虐めも起こりにくいのではないでしょうか?

子どもが中学生になる頃には、思春期に入って自分の内面世界に気づき始め、自意識 と客観的事実との違いに悩んだり、葛藤したり。自己のアイデンティティーを確立し始める時期でもあります。周囲のみんなが生き方を模索しているため、排他的になりやすい年頃と言えそう。

前回、前々回のブログで取り上げた元緘黙のアーティスト、クリスティーナさんとパリス君は、セカンダリースクール(12~16歳)で初めて虐めに遭っています。

イギリスでは、小学校は小規模でとてもアットホームな雰囲気なのに対し、セカンダリースクール(12~16歳)では突然マンモス校になり、授業は大学のような移動教室式に。子どもは自立し始めることを期待され、小学校時代のきめ細かなケアに比べると、より事務的なものに変わるように思います。

小学校では登校拒否になったり、学校をドロップアウトしたりする子どもは殆どいません。でも、セカンダリースクールでその傾向が高まり、問題を起こして停学や退学になる子どもが増えます。二人が虐めに遭ったのは、こうした学校のシステムによるところもあると考えられます。

緘黙児は繊細で傷つきやすく、自己肯定感を育てるのが難しい傾向にあります。話せないうえに、自分に自信が持てないと、自意識過剰になって余計に友達やクラスと関われなくなることも…。

やはり家庭や学校外で自信が持てる体験を積み重ね、自己肯定感を持つことが重要になってくるんじゃないでしょうか?家族との楽しいおしゃべり、熱中できる習い事、得意な趣味など、なんでもいいんです。勉強やスポーツ、音楽などができればクラスで認めてもらえる要因ともなるので、是非後押しをしてあげたいですよね。

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早期発見・治療の重要性

サキ君の動画について(その2)

最新の緘黙研究、『選択性緘黙への治療』を読んで(その4)

告知するかしないか(その3)

R.I.P. パリス・ラッパー君

元緘黙の息子は、ミレニアム――2000年生まれです。大学生活をスタートするにあたり、今月末に家を出て大学の寮に入る予定。緘黙は10歳前に克服できていた(と思う)のですが、シャイなところはいまだ変わらず…。ちゃんと自立できるか心配だし、ひとり息子なので、やっぱり淋しい~😢

ところで、イギリスの国営放送BBCでは、2000年生まれの子ども25人の成長を追う教育ドキュメンタリー番組『Child of Our Time』をシリーズで放映してきました(『「思いやり」が育ってない?』でも取り上げたので、ご参照ください)。息子と同じ年に生まれた彼らの成長ぶりを垣間見ることを、とても楽しみにしています。

家庭環境、肌の色、考え方・生き方が異なる25組の家族の中に、フォコメリア(あざらし肢症)を持って生まれたアーティスト、アリソン・ラッパー(Alison Lapper)さんと息子のパリス(Parys)君がいます。身体的な障害を抱えたシングルマザーのアリソンさんは、介護者に支えられながらパリス君を育ててきました。

アリソン・ラッパーさんと14歳のパリス君

2003年にはアーティストとしての功績が認められ、MBE(大英帝国)勲章を受勲。2005年には彼女をモデルにしたマーク・クィン作の巨大な彫像がトラファルガー広場に設置され、一躍有名人に。2013年のシリーズ10では、12歳になったパリス君とアリソンさんの仲睦まじい様子が紹介されました。

最新作のシリーズ11が放映されたのは2017年春のこと。急速に変化する時代に16歳になった彼らの日常、SNS重視の交友関係、将来を決める第一歩、全国共通試験GCSEのプレッシャーなど、10名ほどの子とその家族の様子を紹介。アリソンさんとパリス君はGCSE試験と将来についての意見を述べただけ。その数分にも満たない映像からは、彼らの状況は全く伝わって来ず…。パリス君の頬がこけている様に見え、なんだか元気がない印象を受けたのでした。

そして、先週の日曜日、ネットでBBCのサイトを見ていたら、「パリス・ラッパー君が突然死」というニュースが…。

ショックでした!どうして? まだ19歳の彼に、一体何があったの?!

徐々に明らかになってきたのは、ドラッグ・オーバードーズによる事故死…。セカンダリースクール(12~16歳)に進学してから、母親の障害のことで虐めにあい、鬱と不安障害に苦しむようになっていたと。アリソンさんの手におえなくなり、16歳の時にメンタルヘルス法によって強制入院させられたようです(多分、前の記事のクリスティーナさんと同じ)。

彼がいつ麻薬を摂取するようになったのか、ヘビーユーザーだったのかどうかは、定かではありません。退院後は親元を離れて暮らしていたようですが、行政による保護やケアが行き届かず、軌道修正をすることができなかったよう…。アリソンさんは今後同じようなケースが出ないよう、制度の改善を訴えています。

実は、パリス君は息子の友達に良く似ていて、気になる存在でした。行政が反対する中、自分で子育てをしたいと頑張ったアリソンさん。色々なものと戦いながら19年間育てた息子を亡くしてしまうなんて、どんなに耐え難く苦しいことか…。

事故が起こる3日ほど前、二人は一緒に楽しい時間を過ごしたばかりだったといいます。

この先、どんな素晴らしい未来が待っていたかもわからないのに--パリス君の冥福をお祈りしたいです。

 

元緘黙のアーティスト、クリスティーナさん(その3)

今回は、クリスティーナさんが場面緘黙を啓発するために作成した動画『場面緘黙ークリスティーナの物語(Selective Mutism Christina’s Story)』をご紹介します。

この動画では、緘黙になった原因、幼少期の想い出、学校での虐め、ついには入院するに至った経緯などを写真やイメージを交えながら解説。淡々とした語りですが、辛かった時期の心の叫びが聞こえてくるよう。どん底の精神状態から這い上がり、アートへの道を切り開いた彼女ゆえに、説得力があります。

 

クリスティーナさんの緘黙は、1歳の頃におきた両親の離婚や、家族間でのトラウマになるような経験が原因で発症したそう。早期発見と、母親と学校による手厚いサポートが功をなし、小学校時代はスポーツ好きの活発な少女だったとか。学業にも遅れはありませんでした。

動画の3分20秒から、犬のコスチュームを着た6歳当時の写真が出てきます。当時は「吠えることでコミュニケーションを取ろうとした」「犬のふりをすることで話さないことを正当化していた」と…。友人の誕生パーティーで、他の女の子が全員プリンセスの衣装なのに、自分だけ犬だったことは、鮮明な記憶として残っているそう。

7歳の時に母親が再婚したため、スイスに移り住んで現地の学校へ。言葉の問題もあって初めて虐めを体験しますが、それでも友達ができ、不幸ではなかったということ。

イギリスに戻った後は、緘黙でも上手く新しい小学校馴染めたそう。でも、セカンダリースクール(12~16歳)に進学した頃から、思春期も重なって「自分はここに属していない」と大きな不安を抱えるように。12歳といえば、周囲も思春期の真っただ中で、異分子を排除しようとする傾向が強い年頃。クラスメイトは、話さず、自分たちに同調しない彼女を、異分子とみなしたんだと思います。

そんな不安に追い打ちをかけるように、一部教師の無理解も酷いものでした。ある教師は14歳の彼女をひとり教室に残し、「お前が教室にいると、腐った死体といるみたいだ」と言ったというのです…信じられない暴言!自信を打ち砕かれ、自己評価が地に落ちてしまったのも、無理はありません!

学校で固まってフリーズすることが増え、人とコミュニケーションを取ることが困難に。水を飲んだり食事をしたりすることも難しく、頭痛や腹痛に悩まされる日々。トイレに隠れることが多くなり、徐々に学校に行けなくなりました。

母親は言語療法士を含む多くのカウンセラーに助けを求めたものの、場面緘黙への理解も知識もなく、次から次へとたらい回しに。最終的に、行動に問題があって学校に行けない子どもが行く施設に案内されたとのこと…。

孤独と絶望を感じ、自暴自棄になり、普通の生活をすることが難しくなって、ついには病院の精神科に3か月入院(多分自分に危害を与える可能性があったためだと思われ、事態はかなり深刻だったよう)。ここでも緘黙を理解する専門家はいませんでしたが、精神を病む同世代の子ども達に共感し、自分を顧みることで、元気を取り戻すことができたと語っています。また、弟が生まれたことも大きな助けになりました。

学校に戻り、1年遅れで全国共通試験GCSEを受け、ほどほどの成績を取れたそう。その後、カルチャースクールのような場で、大人と一緒に水彩と油絵を学び、才能を開花させていったのです。一般的な手順を踏まずに大学入学を許可されたのは、彼女の才能あってのことでしょう。

「5年後に何をしていたい?」という質問に、15歳の彼女は「大学でアートを勉強したい」と答えたとか。その言葉通り、イーストアングリア大学でアートの修士コースまで進み、今夏は初の個展を開くまでに。

今緘黙で苦しんでいる子・人たちも、きっとクリスティーナさんのように苦しみから脱出できるはず。解ってくれる人たちは絶対どこかにいます。時間がかかるかもしれませんが、決して諦めないで。

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元緘黙のアーティスト、クリスティーナさん(その1)

元緘黙のアーティスト、kリスティーナさん(その2)

元緘黙のアーティスト、クリスティーナさん(その2)

前の記事を投稿してから3週間以上過ぎてしまい、何と今日で8月が終わりです。義父が入院して緊急手術を受けたため、義両親宅に介護に行ったりと落ち着きませんでした。ふと気づくと、もう風に秋の気配がする季節に…。

さて、先回に続きクリスティーナさんの話題です。まず、BBC Storiesに掲載された彼女のインタビュー記事をご紹介します。

WHAT I CAN’T SAY BY TALKING I CAN SAY WITH MY PAINTINGS.🎨.Christina, 24, London: "When I was three years old I stopped…

Posted by BBC Stories on Monday, 29 October 2018

 

WHAT I CAN’T SAY BY TALKING I CAN SAY WITH MY PAINTINGS.🎨
話せないことを、私は絵で表現できる

ロンドン出身のクリスティーナは、現在24歳:
3歳のとき、母と祖母以外の人と話すことをやめました。これは場面緘黙(SM)と呼ばれる症状で、家族間のトラウマを経験した後に発症しました。

場面緘黙は深刻な不安障害であり、特定の状況、もしくは特定の人と話すことができません。

セカンダリースクール(12~16歳)では、事態がひどく悪化しました。自己防衛ができなかったため、苛められたのです。活動への参加を強制する教師もいて、クラスの面前で侮辱されたように感じました。

よく授業を避けてトイレに隠れたものです。最終的には、1年以上学校を休むことを余儀なくされました。

その間、うつ病と不安に苦しみ、3ヶ月間入院しました。 そんなに落ち込んでしまったのは、場面緘黙を全く理解してもらえなかったからです。

私にとってはアートが治療であり、不安から解放してくれるもの。また、オンラインのFBグループでたくさんのサポートを得ることができ、ソーシャルメディアを通してボーイフレンドとも出会いました。SNSは、顔をつきあわせて(不安で)胃が痛くなるような思いをせずに人と知り合える、より簡単な方法といえるでしょう。

場面緘黙の影響はいまだにあります。アポに臨む、お店に行く、電話をかけるといった行為で、パニックに陥ることもありますが、徐々に少なくなってきました。また、場面緘黙の良い面を見るようにすることを学んでいます。

場面緘黙は、私にもっと敏感で、共感的で、観察力のある人になること、そしてより力強いアートを生み出すことを教えてくれたと確信しています。

私は言葉で話せないことを、絵で表現することができます。私の話を共有することで、誰かの助けとなり、場面緘黙の認識を高めることができたら嬉しいです。

今場面緘黙に苦しんでいる人には、自分を表現する術を見つけ、同じ志を持つ人たちに出会うことを勧めたいです。

FBには、自分と同じように苦しんでいる人たちと話せるグループがたくさんあります。あなたは独りじゃありません。

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元緘黙のアーティスト、クリスティーナさん(その1)

元緘黙のアーティスト、クリスティーナさん(その1)

昨日、夏休み中の息子と一緒に、テムズ河南岸のサザックにあるギャラリーに行ってきました。今年のSMiRAコンファレンスでプレゼンをした、元緘黙のアーティスト、クリスティーナ・キム=シムズさん(24歳)の初の個展『Liberation Through Nature(自然を通しての解放)』を観るためです。

 

   個展のポスターと受付をするクリスティーナさん(右)と友人のナターシャさん(左)

クリスティーナさんは、今年イーストアングリア大学でアートの修士課を卒業予定。繊細なタッチの油絵の多くは、森や公園、野原、海岸などの自然の中に、黒いシルエットの人物像を描いたもの。彼女の描く風景は写実的でありながらも色彩や明暗が強調され、はっと目を見張るような強い印象を放っています。

絵の中の人物はクリスティーナさん自身だったり、男性だったり――どの人物もこちらに背を向け、たったひとりで自然の風景の中にいます。黒いシルエットが放つ孤独な影を、自然の雄大さ、静けさ、美しさが優しく包みこんでいるかのよう。

人物像に自らを投影することで、自分もその風景の中に入って、光や風、空気感、季節が語りかけてくる言葉を聞いているような気持ちになります。

どの作品でも、人物像は光のさす方向を向いていて、不安からの解放や癒しを求めるクリスティーナさんの葛藤や心情がうかがえるような気がしました。

クリスティーナさん自身の言葉から:

 I want to reflect a narrative of the mental dialogue between human and landscape. I hope this dialogue might enhance the importance of our natural environment, our personal engagement with it and the benefits it can bring to our wellbeing.

「人間と風景の間に交される精神的な対話の物語を反映したいのです。この対話を描くことで、私たちに自然環境の大切さ、自然との個人的な関わり合い、そして自然が私たちの健康や精神にもたらす恩恵の重要性を強調できたら」

*           *            *

クリスティーナさんとナターシャさん(心理学専攻)は、同じ大学で学びならが互いに支え合ってきました。ふたりとも十代後半から緘黙を克服し始め、現在に至っています。まだ完全に克服したとはいえず、時には家から出られない日もあるとか。でも、スモールステップで小さな自信を積み重ね、着実に未来に向かって歩いているよう。

SMiRAコンファレンスでは話す機会がなかったのですが、人が多かったこともあり、ふたりとも緊張していたように見えました。今回は静かなギャラリーに私たちだけ。ふたりとも微笑みを絶やさず、ごく自然によどみなく話してくれました。

実は、息子が9月から大学に入るために家を出る予定で、ふたりにアドバイスをお願いしたんです。息子は社会的な不安がまだまだ強く、自分を出せないところがあるので。そうしたら、無理に周囲と歩調をあわせず、マイペースでやっていれば気の合う子が見つかるはず、と励ましてくれました。

静かな口調ですが、しっかり自分の意見を述べるふたりに対し、息子の方が緊張して言葉が少なかったです(笑)。

この個展、多くの方に見てもらえますように。クリスティーナさんのアーティストとしての更なる飛躍が楽しみです。

クリスティーナさんのサイト:www.christinaartist.com

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SMiRAコンファレンス(その12)

Cちゃんのこと

この春、緘黙のティーン、Cちゃんと接する機会が何度かありました。カレッジに通うアニメ好きの18歳の女の子です。

父親か母親が傍にいれば、第三者の前でも言葉が出るし、こちらの質問には筆談でスラスラ答えられる――でも、直接話せる人は両親と異父兄弟ふたり、友達ひとりしかいません。

両親はCちゃんが小学校低学年の頃に離婚し、その後ふたりとも再婚しています。Cちゃんは母親に引き取られましたが、週末や休みには父親の家に泊まりに行ったりと、頻繁に会っているそう。

義父とは10年以上も一緒に暮らしている訳ですが、直接話したことは一度もないとか。また、慕っている義母とは、知り合って3年以上になるのにやはり直接は話せません(実の親とは目の前で話しているだけに、自分には話してくれない義娘への感情は複雑ですよね…)。

Cちゃんが緘黙になったのは、小学校に入学した5歳のとき。父親によると、学校では手厚い支援を受けてきていて、クラスに自分が話しているビデオを観てもらい、少し言葉が出かけた次期もあったそう。

でも、セカンダリースクール進学(12歳)やカレッジ進学(16歳)など、学校やクラスが変わる度に元に戻ってしまうことを繰り返したとか。

カレッジでも席順を考慮してもらったり、TAをつけてもらったりと、話せないけれど安心できる学校生活を送れていたよう。イギリスでは夏休み明けの9月から新学年が始まるのですが、来期からは新たなコースで勉強し始めるということでした。

一度Cちゃんと待ち合わせて家に来てもらったことがありました。最初は緊張していましたが、好きなアニメのゲームをしているうちに笑い声が出ました。Cちゃんと筆談で色々話をしてみて、その時に感じたことを書きとめておきます。

1) 年齢にそぐわない幼さと食の細さ

Cちゃんは平均的な18歳の女の子と比べると、体格が小さく年齢よりも随分幼く見えました。この年齢だと、お化粧やネイルをしてる子が多いんですが、化粧っ気は全くなし。服装も地味なジャージ姿で、友達とお洒落やファッションの会話をするのは難しそうだなと感じてしまいました…。

彼女の希望でチキンナゲットとポテトをテイクアウトしたのですが、もともと量が少ないのに2/3ほどしか食べませんでした。スムージーを勧めたところ、バナナと苺はOKだったものの、ブルーベリーとラズベリーはNG。これも半分以上残し、お水も殆ど飲みませんでした。

きいてみたら、普段から水分はあまりとらないと…。トイレに行くのを避けるため、水分を摂らないようにしてきた結果ではないか?と思い当りました。嫌なことがあると腹痛になるということで、とても繊細な子だなと感じました。

2) 家庭でのサポートは?

小学校低学年の時に両親が離婚して、一緒に住んでいた母親が割とすぐに再婚し、弟が二人生まれました。幼い弟たちの世話に追われ、母親は手いっぱいだったようです。事情はよく判りませんが、家庭での緘黙支援はあまりなかったよう。

父親によると、感覚過敏のためか好き嫌いが激しく、食べられるものが極端に偏っているとか。彼女が頑固だったせいもあるのか、極力好きなものしか食べないという生活をしてきたようです。

 

学校では早くから緘黙を察知して支援体制を整えてくれたそうですが、もしかしたら「話さなくてもいい状況」に慣れてしまった恐れがあります。また、家庭との連携や家庭での支援不足が緘黙を固定させる要因のひとつになったのかも。また、多感な時期に両親が離婚して新しい家族ができたことで、家でのびのびしたり、自己主張したり、思い切り甘えたりすることができなかった可能性もあるのかなと…。

話せる友達が同じカレッジにいるそうですが、違うコースで学んでいるため、一緒にいられる時間があまりない、と淋しそうでした。友達はどんどん新しい友人関係を築いていて、置いて行かれる気がするとも…。父親によると、一緒に遊びに行ったりできる友達がいないということで、将来をとても心配していました。

でも、オンラインでやり取りしている外国人の友達がいるとのこと。オンラインでもSNSでもいいので、誰かと繋がれるといいですよね。好きなアニメが今後の突破口になるかもと思い、何かイベントに参加してみたらと勧めてみました。その後どうなったのか、気になっています。長い夏休み、楽しめてるといいんですが…。

SMiRAのFBページでも、友達付き合いがなく外出できないでいるティーンが大勢いるようです。年齢があがってくると、家族と外出することを嫌がる子もいますよね。そんな子たちが出遭える機会があればいいのにな、と心から思います。

緘黙のカテゴリーはひとつだけ

イギリスで緘黙治療といえば、言語療法士のマギー・ジョンソンさんとアリソン・ウィンジェンズさんが共著した『場面緘黙リソースマニュアル(The Selective Mutism Resource Manual)』なくしては語れません。

2001年に出版されて以来、その実用性が高く評価され、緘黙治療のバイブルと呼ばれてきました(詳しくは『緘場面緘黙とは?(その3)』をご参照ください)。実際の取り組みで得た知見やエビデンスをベースに、子どもの不安を軽減する多様な手法を体系化して掲載。2016年10月に出版された第二版では、ティーンや成人にまで範囲を広げ、多くの資料を追加しています。

実は、この第二版から場面緘黙のカテゴリーが変わりました。そのことを書かなくちゃというのは頭の隅にあったのですが、既に二年以上が過ぎてしまったという…(^^;)

2001年の初版では、「場面緘黙の要素を持つ引っ込み思案」から「年齢があがってから発症する場面緘黙」まで5つのカテゴリーがありました。それが、2016年の第二版からはひとつに統一されたのです。

SAD(社会不安障害)、ASD(自閉症スペクトラム障害)、言語関連の障害などを併発するケースも、年齢があがってから発症するケースも、全て同じ場面緘黙と捉える考え方です(注:トラウマが原因の緘黙(Traumatic Mutism)は除外)。早期発見・介入が治療の鍵になることは、以前と変わりません。

興味深いのは、カテゴリーはひとつに統一されたものの、認識されやすい場面緘黙(High-profile selective mutism*)と 認識されにくい場面緘黙(Low-profile selective mutism*)が新たに追加されたこと。(*High-profileとLow-profileの翻訳に関して、ぴったりくる訳が見つからないので、「ハイプロフィール」「ロープロフィール」とカタカナ表記の方がいいかもしれません)。

SMiRAのウエブサイトからダウンロードできる資料『ハンドアウト3 大人しい子?それとも緘黙?(Handout 3  “Quiet Child or Selective Mutism?”)』からその部分を抜粋しますね。

http://www.selectivemutism.org.uk/info-quiet-child-or-selective-mutism/

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<大人しい子どもは、どの時点で場面緘黙と判断されるか?>

緘黙児はひとりひとり違いますが、以下の共通点がある

★特定の人とは自由に話せるのに、それ以外の人とは話せない(よく2重人格といわれる)

★話せる状況と話せない状況の明確なパターンがある

★発話が期待されるイベントへの参加に回避的、または消極的

★自由に話すことの困難さが理解されないと、大きな苦痛を感じる

<認識されやすい緘黙児と認識されにくい緘黙児>

認識されやすい場面緘黙(High-profile selective mutism)

これらの子どもや若者たちは、特定の人々とは全く話しません。会話パターンのコントラストが明確なため、簡単に場面緘黙と認識できます。例えば、教育の現場では子どもとは話すのに、大人とは話さない。校庭では友達と自由に話すのに、他の人に聞こえる室では話さない、といった具合に。また、良く会う親戚とは話すのに、あまり会わない親戚とは話さないなど。通常は、他人に聞こえないところだと、すぐさま両親と話します。

いったん緘黙だと認識されれば、この子たちの沈黙は不安のためコミュニケーションが難しいからだと理解されます。

認識されにくい場面緘黙Low-profile selective mutism

これらの子どもや若者たちは、促されると少しは話すので、大人は「恥ずかしがり屋」「大人しい」または「反抗的」と捉えがち。認識されやすい緘黙児と同様に、話すことが強い不安を引き起こすのに、それを理解されにくいのです。彼らは期待に応えようとする思いが強く、なんとか言葉を絞り出します。実のところ、話さない結果への不安が、話す恐怖に勝るために声が出るのですが、このバランスは微妙で、話題に自信がある時しか作用しません。学校では出席の返事をしたり、要求に応じて音読したり、シンプルな問いに答えたりすることがあるかもしれません。しかし、普段より声は小さく、アイコンタクトも減ります。トイレなど必然の要求を発したり、指示に従って短いメッセージを伝えたりすることもあるかもしれません。しかし、親しい友達や家族を除いては、相互的な会話をすることはなく、自分からは話しかけません。「(して)ください」や「ありがとう」といった、何でもない依頼や挨拶が非常に難しいのです。いじめや病気を報告したり、助けや許可を求めたり、自ら説明したりできないことを解ってもらえるまで、彼らは危険にさらされます。困難に気付かれず、自分を守る発言ができないため、支援どころか懲戒されてしまうかもしれません。

もっと大きな声で話しなさい、もっと貢献しなさいと繰り返し奨励することは、更に子どもを苦しめるだけです。彼らの困難を誤って把握し続けると、ますます話さなくなり、不登校が多くなり、どんどん自信を失っていく可能性があります。

認識されやすい場面緘黙の子どもが適切なサポートを受けると、最初は質問には答えるけれど自分から会話を始めることはない――認識されにくい場面緘黙の子どもの症状と似た感じになります。

場面緘黙の子どもや若者を支援する際、認知しやすい緘黙も認知しにくい緘黙も、不安のないコミュニケーションと活動参加を可能にするために、同じ支援が必要です。まずは、 話すことに対する全てのプレッシャーを取り除いてください。その後、各自のペースで段階的に話すことへの恐怖と向き合わせます。 重要なのは、場面緘黙が本人の性格ではないことを説明し、自覚させることです。 場面緘黙は、彼らが幼少の頃に経験した「恐れ(例えば、暗闇や花火のように)」のように、乗り越えることができるものだと。

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緘場面緘黙とは?(その3)