緘黙の子がすぐ話し始める?

この週末、イギリスでは急に寒さがまして、夜間は-1度まで気温が下がるようになりました。外に出ると頬にあたる風が冷たい!本格的な冬が到来したという感じです。

ちょっと前のことになってしまいましたが、先月ロンドンを訪れていた長野大学の高木潤野先生とお会いする機会がありました。私は日本の情報にうといのですが、高木先生は大学で活発に緘黙児の支援活動を行われていて、近年発足した日本緘黙研究会の事務局長を務めておられるようです。

高木先生の緘黙支援サイト:信州かんもく相談室

http://shinshu-kanmoku.seesaa.net/

高木先生の取り組みについてお聞きした際、日本でもマギー・ジョンソンさんの支援セッションと同じような成果が出ているんだなと思いました。それは、環境さえ整えば、年が上の緘黙の子でも第三者に話し始めるのに、それほど時間はかからないということです。

高木先生の支援方法はとてもユニークで、支援チームには大学の学生たちが支援スタッフとして参加。それぞれの学生さんが、決まった子どもを担当し、継続的にお世話をするというシステムのようです。

「正確にデータを分析した結果ではない」ということですが、1~数回の支援セッションで担当の学生スタッフに話し始める子が半数くらいいるそう。昨年、緘黙の女子中学生3名と、担当の学生スタッフ3名と共にキャンプに行ったところ、夜子供たちだけにしたら初対面同士で話しはじめたとか。

キャンプに行く前から担当の学生スタッフとは話せていたことで、安心感が大きかったのかもしれませんね。また、自分と同じように学校で話せない同世代の子、ということで親近感がわいたのではないでしょうか?ちなみに、キャンプに参加した女子中学生3人は、初回から学生スタッフに話せた子と1年くらいかかった子がいたとか。

これに対して、マギーさんのティーンへの支援方法は、第三者の大人がメンター(指導者・助言者)として1対1で支援し、伴走者として緘黙克服の後押しをしていくというもの。たいていの場合、メンターの役割を担うのは、学校のTA(教員助手、または特別支援員)です。こちらでは、支援を受けた子全員が2、3週間で口をきく(詳しくは、『どうして緘黙のティーンが短期間で話し始めるのか?』を参照)という結果がでています。

年が上の子どもの場合、多分学校ではずっと話すことができず、何年も緘黙状態が続いている子が多いはず。ずーっと沈黙を守っていた子どもが、たった数回のセッションで話せるようになるのは何故なんでしょう?

これには、子どもの不安度が大きく関わっていると思います。大学生も学校のTAも、教師や医師ではなく、割と普通の人というところがミソなんじゃないかな…?緘黙児に「不安を感じる人・怖い人」のヒエラルキー表を作成させると、大体「一番怖い人」は担任の先生であることが多いんです。特に、権威を持つ大人に対して不安を感じる傾向が強いよう。高木先生も「女子学生には話せても、僕には話さないことも多い」と言われてましたが、大人の男性が怖いと感じる緘黙の女の子も多いみたいですね。

反対に、教師ではない学校スタッフに対する不安は、それほど強くないことが多いよう。日本だったら、保健室の先生とか用務員さんの方が普通の先生より不安度が低いと思います。高木先生の支援セッションでは、比較的年齢が近い大学生のお姉さんが相手なので、それほど不安を覚えないんじゃないかな…。それと、緘黙の子は人見知りが激しいことが多く、相性が合わない人とはずーっと話せないかもしれません。

また、支援セッションをする場所や環境もかなり影響してくると思います。自分の学校ではない安全と思える場所であれば、不安度は低いはず。また、自分の学校であっても、自分の教室ではない個室や外の安心できる場所だったり、放課後先生や生徒がいない環境であれば、不安度は変わってくるでしょう。知っている人に出遭わない場所・環境も不安度が低くなるので、キャンプというのはとてもいいアイデアですね。

支援セッションの頻度も重要で、頻繁にセッションを重ねると、支援者に対する親しみも強くなるよう。マギーさんは週に2回くらいの支援セッションができれば理想的としています。反対に、セッションの間が大きく空くと、振り出しに戻ってしまうことも…。せっかく担任に返事をするようになったのに、夏休み明けにまた話せなくなってしまったというケースもあるようです。

クラスには担任だけでTAがいない日本の学校では、緘黙の子にまで手が回らないというのが現状かもしれません。学校外の支援活動で話せるようになった子どもが、自分の学校で話せるように支援の輪を広げていくのは、なかなか難しい問題かと思います。でも、まずは不安度の低い学校外で自信を積み重ねていくことが、第一歩ではないでしょうか?

なお、支援セッションで成果があがらない子どもについては、多面的に原因を調べる必要がありそうです。言葉や発達の問題、深刻なレベルの社会不安などが背後に隠れている可能性も考えられるので。

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どうして緘黙のティーンが短期間で話し始めるのか?

BBCの最新データ

7月15日 (水) に放送されたBBC2の情報番組『Victoria Derbyshire』では、場面緘黙の最新データが提示されました。それによると、場面緘黙の出現率は下記のように推定されています。

  • 子ども(11歳まで?)       150人に1人(0.67%)
  • 青少年(12~19歳?)           1000人に1人(0.1%)
  • 若者(20~29歳?)                      2500人に1人(0.04%)
  • 大人(30歳から?)                       不明

この数字をみると、小学校を終える11歳頃までに、6、7人のうち1人を残して緘黙を克服(克服率は約85%)する計算。これってすごくないですか?

イギリスでは特別支援教育が根付いていて、学校での場面緘黙の教育もかなり進んでいるとは感じます。ただSMIRAの集会などでは、早期発見・介入はしているものの、各学校の方針や予算の問題があり、きちんと対応できていない学校も多いという印象。個人的には、この克服率はかなり高いのではという印象を受けました。

ただ、全般的に日本より学校の規則が緩いため、保護者が学校内でサポートしているケースも多く、それが高い克服率に結びついているのではないかと推測しています。小学校低学年(4~6歳)だったら、親が一緒だと不安がぐんと減り、環境次第(例:教室で2人きり、少人数)では学校で話せる子も多いはず。また、子どもの自意識もそれほど過剰でない年齢ではないでしょうか?放課後でなく、授業やランチタイムに親がボランティアとしてクラスに入ることができたら、進歩も速くなるのではと思います。

なお、ウエブマガジンの方では、イギリスの支援団体iSpekの創始者、カール・サットン氏による緘黙の大人のリサーチ(経験者を含む83名が参加)にも触れています。

それによると、大人が緘黙を克服するターニングポイントは22歳。緘黙の大人はうつ病や広場恐怖症など、他の不安障害を併発する可能性が大きいと示唆しています。

テレビ放送では、緘黙で苦しむ大人、サブリーナの言葉を借りて、場面緘黙を次のように紹介していました。

「場面緘黙の人生って、箱のなかに閉じ込められてるみたいな感じ。箱は透明だから外にいる人の姿も見えるし声も聞こえる。だけど、どんなに頑張っても出られないの。箱のなかで声の限りに叫んでも、誰にも聞こえない。怪我をしたり、怖くて助けを求めても、聞いてもらえないのよ」――これは、小さな頃から場面緘黙に苦しんできたある女性が、自分の状況を表現した言葉です。場面緘黙というのは、話すことへの恐怖症です

DSM(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)では、2013年から場面緘黙を不安障害と分類しています。この番組では更に踏み込んで「場面緘黙=恐怖症」と紹介。解説者として出演したSLTのアリソン・ウィンジェンズさん (『場面緘黙リソースマニュアル』の共著者)は、この分類や定義によって周囲の人に場面緘黙を理解してもらいやすくなったと語っていました。SMIRAやアリソンさん、マギーさん他の専門家が、これまで学会などに働きかけてきた成果ですね。

場面緘黙は話すことへの恐怖症が引き起こす症状であり、その背景には抑制的な気質やバイリンガル環境、言語や発達の問題などがある――アリソンさんは緘黙の引き金となった要因と緘黙を定着させている要因を見定めることが難しいと指摘していました。その2つの要因(複合的なケースも多い)を踏まえた上で、それぞれに合う方法で支援することが大切ということ。不安障害の治療に使われるCBT(認知行動療法)の有効性と、早期発見・介入の重要性も強調していました。

アリソンさんによると、引き金となる要因は毎日のささいな出来事であることも多いそう。場面緘黙になりやすい子どもは、リスクを冒したがらないタイプが多く、自意識過剰で用心深いため、入学など人生を変えるような出来事や、学校で誰かがしゃべらせようとすることなどは、子どもにとっては大きなショックだとも。

イギリスでは、10月が場面緘黙啓発月と指定され、1~17日まで全国で啓発キャンペーンが行われる予定です。私も今年はSMIRAのキャンペーンに参加する予定なので、おいおいその内容を紹介させていただきますね。

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BBCが大人の場面緘黙を紹介

緘黙を克服しつつある17歳

母親も緘黙だった6歳の男の子のケース

 

 

平等ってなに?

息子がイギリスの学校に入学して、つくづく日本と違うなぁと思うことが沢山あります。中でも全く違うと思ったのは、「平等の概念」でした。

個人主義の国というのもあると思うんですが、イギリスでは「人はみな平等」ではなく、「人は不平等に生まれつくから、できるだけ平等になるように」という考え方のように思えるんです。

イギリスは歴史的に移民を多く受け入れてきました。今でも海外からの移住者や移民が多いため、英語を母国語としない子どもが大勢います。ロンドンには特定の民族が集中する地区があり、英語を母国語とする白人の子が20%に満たない学校も!

例えば、息子が通っていた小学校では、EUが拡大したためか東欧からの転校生が目立っていました(特に、小5、6年ころ)。驚いたことに、両親がまだ経済的に自立できていない場合は、優先して学校に入れてもらえ、給食費やその他の経費が免除に!さらに、英語を母国語としない子どものために、特別な英語のクラスが設けられているんです。

こういった政策に反対しているイギリス人もいるし、移民が増えすぎて社会問題にはなっているものの、一般的には「仕方ない」という受け取め方のよう。クラスのママさん達の中で、文句を言ってる人はいませんでした。鷹揚というか、気にしないというか…。英語ができないんだから、支援するのは当たり前という感じ。

こういう状況なので、特別支援が必要な子どもや授業についていけない子に対しても、支援は当たり前というスタンスです。例えば、低学年のクラスにはTA(教育補助員)がいるんですが、TAはたいてい特別支援(SEN)が必要な子どもやできない子をアシスト。特別な小グループ活動をしたり、1対1の指導をすることもあり、その他の子を個別にアシストすることは殆どありません。

その一方で、”Gifted”と呼ばれる、高い能力を持つ子達が、特別な授業を受けることもあります。運動能力のある子どもを集めて強化チームを作り、地区の競技会に出場させたり、楽器が得意な子を集めてオーケストラを作ったり。

以前の記事にも書いたのですが、支援や強化をする子どもを選ぶプロセスについては、選ばれた子どもの保護者だけにしか通知されないことが多いんです。学校が毎週発行するスクールレターで、「陸上大会で○○君が優勝」、「学校のオーケストラが受賞」などという報告を見て、「えっ、そんな大会があったの?!」と初めて知ることに(笑)。

大雑把にいうと、特別上と特別下の子どもにはエクストラの支援が与えられ、真ん中のその他大勢は通常授業のみという状態…。

これって日本だったら考えられないと思うんですね。日本でいう「平等」って、どの子も同じように扱うことじゃないでしょうか?

例えば、子どもの友達が放課後特別に授業を受けているのに、自分の子は受けられなかったら、保護者は「あの子だけズルイ」と、思うのでは?

日本で学校に緘黙の支援をお願いしたら、「特別扱いはできません」と言われたという話を耳にしたことがあります。学校や担任に支援をお願いする時、「みなさんに悪いな」と遠慮される保護者もおられるのではないかと思います。

クラスに担任がひとりしかいないこともあり、特定の生徒により多くの時間を割くことが問題視される風潮があるような気がします。

日本の学校における緘黙治療の難しさは、こういったところにもあるような気がしています。イギリスの学校も千差万別で、受けられる緘黙支援はピンからキリまでなんですが…。先生に迷惑をかけるとか、他の保護者から迷惑に思われると気にしてしまうと、かなりやりにくいですよね。

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