息子の緘黙・幼児期4~5歳(その22)自分でやるしかない

3か月待ってやっと心理士に会えた--でも、実際のところ状況は何も変わりませんでした。はっきりしたのは、「場面緘黙」と認められても心理士からは治療を受けられないという事実…。あとは、順番がいつ来るか判らないSLT(言語療法士)を待つのみ。

2005年当時はイギリスでもまだ場面緘黙が広く知られておらず、治療の専門家もごく僅か。小児クリニックでは、ASD(自閉症スペクトラム)のスクリーニングや支援がメインなんだなという印象を受けました。

そうそう、クリニックでは「念のため聴覚テストを」と、アポを取ってくれました。これは、話さない理由は聴覚の問題でないことを確かめるためだったと思います。

確か、3ヶ月後くらいに順番が来たんですが、問診の際に息子がひとことも話さないのを見た検査士に、「お母さん、駄目でしょ!」と注意される羽目に。躾がなってないと思われたんでしょうね…。

焦って「場面緘黙なので話せないんです」と説明したところ、「なに言い訳してるの。ちゃんと話ささせなさい!」と説教されてしまいました~(彼女が場面緘黙を知っていたのかは疑問)。こういう場面ですぐ言い返せなくて、後で悔しい思いを引きずるんですよね…。

当時はこういう誤解も多く、また別の機会に説明しますが、クラスのママ友にも超誤解されていたことが後に判明したのでした。

残念ながら、現在でも専門機関に相談したり、心理士や専門家に会ったからといって、すぐ何かしてもらえるという訳ではないと思います。むしろ、待って待って、やっと専門家に診てもらった時が長期戦のスタートといえるかも…。

専門家は指導してくれるかもしれませんが、実際に子供にスモールステップを踏ませ、調整しながら見守っていくのは側にいる保護者(や学校関係者)なのです。

試行錯誤を繰り返しながら、親子で歩む緘黙克服への長い道のり。3歩進んで2歩下がるじゃないですが、途中で止まったり、後退してしまったりすることも珍しくありません。

待ってるだけでは事態は良くならないので、SMiRAの資料や本『Silent Children(日本語版は『場面緘黙へのアプローチ』)、当時発売されたばかりのヘルピング本『Helping your child with Selective Mutism』などを参考に、自分で取り組みを始めたのが2005年6月くらいから。プレイデートと同時に、なんちゃってCBT(認知行動療法の中のエクスポージャー療法)も始めました。

まずは、子どもが話せる人の地図(Talking Map)作りと不安度チェック(かんもくネットの資料13番をご利用ください http://kanmoku.org/handouts.html)から。

Talking Mapは子どもが話せる人の図です。家庭と公の場に分けて作ってみてください。

図やチャートを作って可視化することで、不安や緘黙の度合いがより具体的に見えてきます。人・場所・活動によって子どもの不安度がどのように違うか、できるだけ細かく調べてください。それを基に、一番不安の少ないところから自分の子に合う取り組みを考えましょう。

参考までに、息子のTalking Mapを貼りますね(クリックすると大きくなります)。

息子の場合、話せる友達が数人いて、彼らのママとも話せました(母親同士が親しいと、安心できるよう)。学校では校舎内では無言ですが、放課後の校庭で仲良しのT君と一緒だとしゃべれるという。まず立てた作戦は:

  • 先生や学校スタッフ(権威ある立場の人)に対して不安が強い → 子どもの方がアプローチしやすそう → プレイデートで話せるクラスメイトを徐々に増やしていく
  • 学校外でクラスメイトに会うと固まる → 「コンニチワ」「サヨナラ」の代わりに手を振る(必ず親が声を出して挨拶)
  • スーパーなどでは割と平気 → お店で好きなものを選ばせ、自分でお金を払わせる → 最初は親が大きな声で「ありがとう」を言い、次第に一緒に言えるようにする

ところで、息子の場合、幼稚園時代(初めての正式な公の場)から口数が少なかったんですが、滑り台事件を境に一気に緘黙・感動になりました。事件前に話せていた人たち(例えば祖父や私の友達など)とも、ふと気づくと話せなくなっていたのです…。

幼稚園に入る前は、近い親戚や私の友達から「社交的な子」とまで言われていたのに、この機を境に「全然しゃべらない子」という評価に。ショックでした~。

でも、人の評価は変わるもの。3年がかりで緘黙を克服した後は、「大人しい子」くらいに変わりました。自分たちが気に病むほど、人は気にしていないものだなあと実感。

蛇足ですが、この夏18歳になった息子はバンドでベースを弾いていて、頻繁にステージで演奏するようになりました。昔のことを思うと嘘のようですが、人間って変われるものです。

<関連記事>

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その1)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その2)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その3)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その4)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その5)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その6)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その7)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その8)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その9)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その10)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その11)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その12)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その13)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その14)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その15)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その16)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その17)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その18)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その19)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その20)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その21)

アイスランドの夏休み(その2)

2日目:レイキャビク市内観光

旅行2日目は、観光スポットや公共プール、市内バスなどが無料・割引になるレイキャビク・シティカード(24時間で約3,500円)を購入。なにせ物価がめっちゃ高いので、まともに払っていたらお財布が持たないのです。カードを利用して午前中は徒歩で市内観光、午後からは北東部沖にあるヴィーズエイ島(Viðey) へのボートトリップを楽しみました。

 

       街の中心部にあるチョルトニン湖の岸辺。空気が澄んでいるためか、どこに行っても川や湖の水面が鏡のよう

チョルトニン湖岸の市庁舎でカードを購入し、いざ出発。まずは近くにあったナショナルギャラリーに一番乗り。入口には大きなバスケットが置かれていて、その中には伝統的な室内履用の靴下が。主人と息子はこの分厚い毛糸靴下に履き替えて、館内を歩きました。

    自国アーティストの作品が中心ですが、ムンクの「病める子」にも遭遇

次は、レイキャビックのランドマーク、ハットルグリムス教会(Hallgrimskirkja) へ。j近代的なコンクリートの教会は41年かけて1986年に完成したもの。有名な大型パイプオルガンがあり、74.5mある塔はアイスランドで最も高い建造物です。でも、20年前は気軽に階段を上れたのに(無料)、現在は最上階の展望台までエレベーター+人の列+有料…で、断念。

  

繁華街をブラブラ歩き、お昼ご飯にフィッシュ&チップスを食べた後、20世紀初頭に建てられた白亜の館カルチャーハウス(The Culture House)と古い倉庫を改造したアートギャラリー(Hafnarhús)へ。

       

    デンマーク人の建築家、ヨハネス ニールセン (Johanes Nielsen)が建てたネオクラシック様式のカルチャーハウスは、かつて国立博物館だったとか。展示はそれほどではないけれど、建物自体が美しかったです

  

    Hafnarhúsでは、ポップアーティスト、エロを筆頭に、自国作家のコンテンポラリーアート作品が中心

         

   実は、作品よりも港が見える休憩スペースで飲んだ無料のコーヒーに感激。通常コーヒーは500円弱ですが、スイーツを足すと1,000円を軽く超えちゃう…イギリス以上の物価の高さなのでした

    

レイキャビクの街歩きは徒歩でじゅうぶん。壁のグラフィッティが芸術的でした

ヴィーズエイ島(Viðey)へ

オールドハーバーから、フェリーに乗ってヴィーズエイ島へと出発。港には大きな客船が多数停泊していて、北欧周遊旅行の拠点のひとつになっているよう。途中、鱗のように輝く全面ガラス張りのコンサートホール、ハルパ(Harpa)ともうひとつの船着き場に寄りました。所要時間は20分ほど。

  多数の豪華客船が湾内を行き来。小さな黄色い灯台の背後には半円の緑のマウンドがあって登っている人たちの姿が見えました

    2007年に登場したハルパ(Harpa)。アイスランドの海岸でよく見られる六角形状の岩群、バサルトロックを模ったデザインが独特

  ヴィーズエイ島が見えてきました。古い小さな教会と黒い屋根のレトロなレストラン、ヴィーズエイハウスがあります

 

  色遣いが可愛らしい教会内。青空の下、地図を片手にぶらぶら散策。午後の遠足にちょうどいいサイズの島です

総面積約1.7k㎡のこの小島は西部と東部に分かれて、150種以上の植物が茂る緑豊かな野鳥の天国です。私たちは1940年代まで漁村があったという東部を散策。小さな小学校(レプリカ?)には、村人達や漁獲した魚を干す風景など、当時の生活をしのばせる写真が。緑の草地に廃墟になった家の跡が点在していて、ちょっと物悲しい気持ちになりました。

晴天だったためか、どこまでも青い海がきれいでした

海辺を散策した後、違う道から船着き場の方に戻ろうとしたんですが、途中から小径が消失…。野草が生い茂っているのはデコボコの大地で、どんどん足場が悪くなってしまい、途中で引き返すことに。

ヴィーズエイハウスから少し北東に行くと、オノ・ヨーコさんが造ったイマジンピースタワーが。ジョン・レノンの誕生日10月9日から彼の命日12月8日まで、白い井戸を模ったモニュメントから天空に向けてライトアップ。暗い夜空に光の塔が映し出されるのだとか。

バイバイ、ヴィーズエイ島

ところで、最終のフェリーで街に戻ったらハルパ内を見学しようと張り切っていたんですが、男性陣に「スーパーが閉まっちゃう!」と止められ、結局行けずじまい…。レストランの夕食が高いので、今回は節約のためスーパーへの依存度大。地元の人達の暮らしぶりが想像できるので、旅先でスーパーをのぞくのは大好きです。

<関連記事>

アイスランドの夏休み(その1)