息子の緘黙・幼児期4~5歳  教室で動きません

その週の終り、担任といっしょにSENCO(特別支援コーディネ―ター)に会うことに。初めて会ったSENCOは(それまで存在すら知らなかった)、感じの良いフレンドリーな女性。カラフルなカーテンで仕切られたSENCOの部屋で、とてもリラックスした雰囲気のミーティングが行われました。

そこで息子の学校での様子が明らかになりました。なんと、ひとつのテーブルから動かず、言われた課題も全くやらないと。そして、全く言葉を発さないと

レセプションクラス(45歳)の教室には、複数の子どもが一緒に活動できる大きめのテーブルが4つ。数字や文字遊び、お絵かき、モデル作りなど、それぞれ異なる活動がセッティングされています。その他、変身コーナー(コスチュームがいっぱい)や木製のキッチンコーナー、PCコーナーなどが設けられ、教室の外には専用の小庭も。遊具もたくさんあって、水遊びや土遊びもできます。

この学年は小学校にあがるための準備コースのようなもので、遊びながら学ぶという方針。クラス全員がカーペットに座って、お話を聞いたり、アルファベットなどを学ぶ時間があり、毎日いくつかの課題をこなすことになっていました。

それなのに、一日中ほとんど動かず・しゃべらず、何もしていないらしいのです!そういえば、学校に行く途中までは結構おしゃべりなんですが、学校に近づくにつれて口数が少なくなり、ゲートを入ると話さなくなるような。それでも、放課後に教室から出てくると、私やT君ママとは普通に話し、T君といっしょに運動場で元気に遊んでました。

まずSENCOに訊かれたのは、息子の友人関係でした。幼稚園時代からの仲良しのT君がいると告げると、クラスが違うのにもかかわらず、なるべく授業中でも一緒に遊べるようにしましょうと。とにかく、小さいことでも何かできたら褒め、少しずつできるように支援するという対策が立てられました。

この頃、私はまだ小学校の制度にも、こういったミーティングにも慣れておらず、なにしろ初めてのことだらけ。息子がいつから動けなくなったのか、入学当時からずっと課題をやっていなかったのか、そして何が原因と思われるのか――重要なことを全く質問しませんでした

SENCOの口から場面緘黙という言葉は全く出ず。この時点で、すでに入学してから3週間以上が経っていました。もし最初から話してなかったのなら、担任はもっと前に警告してくれていたはずと思います(全く話さないのは、結構大きな問題なので)。だから、多分入学して2週間後に起こった滑り台事件が息子の緘黙のきっかけだったんじゃないか、と推測しています。

「どうかよろしくお願いします」と頭を下げ、複雑な思いで家に帰ったこの日。息子と私の、緘黙との戦いが始まったのでした。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その5)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その6)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その7)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その8)

息子の緘黙・幼児期4~5歳  SENCOに会ってください

息子の緘黙記の続きです。

事件が起こった翌週、息子をお迎えに行くと、ガラスの窓越しに担任からちょっと来てと合図が…。なんだろうと思い中に入っていくと、担任が申し訳無さそうな顔をして、こう言ったのです。

「○○君が学校生活に上手く適応できていないので(ハッキリ覚えてないんですが、こんな感じの言い方だったと思います)、SENCO(特別支援コーディネ―ター)に会ってください」

えっ、だってつい先週「友達ができました」って嬉しそうに伝えてくれましたよね?「大丈夫、やっとクラスに溶け込めそうです」って、言いましたよね??? えええっ~?! どういうこと??

何がなんだか訳がわからず、でもSpecial Needs”という言葉をきいて、ハンマーで頭を殴られたようなショックでした。

うちの子、特別学級なの?

今思えば、偏見そのものなのですが、自分が子どもだった頃の特殊学級のイメージが頭の中をぐるぐる回っていました。息子は、普通クラスについていけないの?

どうしよう?!

その時、詳しい状況の説明はなにもありませんでした。入学2週目からは通常の時間帯になり、担任と話す機会も少なくなって、息子が教室でどんな様子なのか全く知らず…。全然うまく馴染めてなかったのか??

そして、何故かその前の週に起こった滑り台事件のことは、私の頭から全く抜け落ちていたのです(担任もそれについては一言も…)。あの事件が大きく関与していたに違いないことは、後になってから気づいたのでした。

ガビーンとショックを受け、子どもが寝てから主人に訴えたものの、彼はあまり動じない性格というか、ズレてるというか…。「学校は弱肉強食のジャングルだからな」って、はぁ?(主人は親の仕事の関係で8歳から寄宿学校に入れられた人です)。「まずは、SENCOと話すのが先決じゃないか」と…。かわいい息子のことなのに、何故そんなに冷静でいられるのか、私には理解できませんでした。

(主人は非HSPなので、繊細な息子の気持ちやリアクションがよく理解できないよう。あまり立ち入らずに見守って、彼なりのやり方で愛情を注いでいるのですが、時にすごく「冷たい」と感じ、昔は随分腹を立てたものです)

まあ今だからこそ言えますが、すごく心配性の私と何でも結構アバウトな主人(自分のこと以外は?)の組み合わせだからこそ、そこまで深刻にならずに済んでいるのかもしれません。二人とも心配症だったら、心配や落ち込みも二倍以上になってしまいそうなので、これでバランスが取れているのかも…。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その4)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その5)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その6)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その7)

 

 

緘黙児とHSP

場面緘黙の遺伝的な要因として、行動抑制的な気質があげられます。以前にも書きましたが、私は息子が ”とても敏感な人 HSP (Highly Sensitive Person)” に生まれてついた、と思っています。 

赤ちゃん時代は大泣きするし、幼少時も敏感で繊細すぎて「どうして他の子みたいにパッと行動できないの?」とヤキモキすることが多々ありました。16歳になった今でも、まだまだシャイなところが多く、「面倒なヤツ」と思うこともしばしば (でもその半面、優しくて思いやりがあって、なかなか頼りになるヤツでもあるのです)。

HSP (Highly Sensitive Person) という言葉・概念は、アメリカの心理学者エレイン・アーロンによって考案されました。彼女が1996年に出版した” The Highly Sensitive Person” には、HSPとは何か、またHSPが抱える生きづらさや人生への対処法について書かれています。

日本では2000年に翻訳本『ささいなことに動揺してしまうあなたへ』が出版され、大ヒットしたので、ご存じの方も多いのでは?彼女自身がHSPで、大勢のHSPの体験を例にして書かれているため、説得力があり、とても参考になります。

HSPは生まれつき感覚処理感受性(SPS: Sensory Processing Sensitivity)が通常より高いため、ささいな事に対して傷つきやすい性質を持つとしています。また、通常では気にならないほどの感覚刺激に対して、興奮しやすいという特性もあると。

アーロン女史は、この本の中で子どもの行動抑制的な気質を研究したアメリカの発達心理学者、ジェローム・ケイガン(Jerome Kagan 1989) を引用。自らが研究する「敏感さ」は、彼が研究してきた特徴と同じであり、「HSP=行動抑制的な人(子ども)」としています(ケイガンによると行動抑制的な子どもは全体の10-15%)。

(ただし、ケイガンがこの特徴を主に「inhibited 臆病」と呼ぶことに賛成しかねると。子どもは怖がっているのではなく、周囲で起こっていることを処理しているだけかもしれないと反論しています)

地球の全人口の15-20%が敏感な精神を持つ、ということは人類の5分の1がHSP。この確率の高さからも、HSPは病気/ 障害 (disorder)ではなく、正常だと断定しています。ただ、人類の5分の4は非HSPで、その中でHSPはマイノリティー。多数派の非HSPによって常識や価値が決められてきた世界で、感受性が高すぎることが「欠点」と捉えられる傾向が強い…だから、生きづらさを感じてしまうんだと。

敏感さの程度や反応の仕方は人によってさまざまで、スペクトラム状になっているものと推測されます。そのうえ、環境要因が大きく影響してくるため、HSPの子どもには、どんな風に接したらいいのか、どんな風に育てればいいのかが異なってきます。

非HSPにはスパルタ式のやり方が有効かもしれませんが、HSPの心は折れてしまうかも。過保護といわれようが、子どもが自己肯定感を持てるよう、かなり注意して育てる必要があるように思います。この本には色々な事例が載っていて、総括的に書かれているので、すごく参考になると思います。

また、同著者の『ひといちばい敏感な子 (Highly Sensitive Child)』は、HSPの子どもを持つ保護者のために書かれていて、緘黙児を持つ親御さんにはお勧め。私はまだ日本語版を持っていないのですが、5年位前に図書館でこの本に出会った時は、目からウロコでした。そして、「もっと早くに出会ってれば」と心底思いました。

私は外国で子育てをするにあたり、「しっかりしつけないと」という思いが強く、「○○しちゃ駄目」と言うことが多かったように思います。自分自身にも完全主義の傾向があり、父親がかなり厳格だったためか、「とにかく、やってみる」「一度始めたら最後まで」と意固地になってたような…。主人は放任主義というか、「やりたくないなら、しょうがない」という態度なので、つい私のほうが厳しくなっちゃうんですよね。

息子は新しいことをさせようとすると、かなり長い間手を出さないで見ている傾向が強かったのですが、私の気持ちをビンビン感じ取って、「押し付けられる」「やらなきゃ」と息苦しかったと思います。もっと大らかに見守ってあげていれば、と今は大反省。息子の敏感さを肯定的に捉えて、もっともっと褒めて育ててあげていればよかったなと思うのです。

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遺伝的な要因ー行動抑制的な気質

抑制的な気質(1)

母親も緘黙だった6歳の男の子のケース

 

息子の緘黙・幼児期4~5歳  滑り台事件おこる

もう2月に入ってしまいましたね。うちの屋根裏部屋の工事は、後は窓を入れるだけ(なかなか入荷しません)という段階までこぎつけました。やっと終わる~と喜んでいるものの、次は自分たちで内装ペイントをしなければなりません。

さて、息子の緘黙記の続きです。

まあまあいい小学校生活のスタートが切れたかも、と少しほっとした次の週。たまたま仕事で外出していた日、家に帰ると留守番電話にメッセージが(当時のイギリスではまだ携帯電話がそれほど普及してなくて、私は持っていませんでした)。

メッセージは学校からで、「○○君がお昼休みにケガをしました。すぐ迎えに来てください」というもの。

すでに1時間ほど経過していましたが、急いで学校へ。すると、怯えた様子の息子が担任に連れられてきました。唇の横や手に小さな擦り傷があり、服にも点々と乾いた血が…。でも、それ以外に大したケガはないようでした。

「大丈夫?痛くない?」と訊くと、コクンと頷いたので、ちょっと安心。

先生によると、給食の後に校庭で滑り台から落ちたとのこと。一度に大勢の子どもが滑り台に登ったため、押しくらまんじゅう状態になったらしいのです。

お昼休みは学校職員が休憩する時間なので、その間は別に雇われているスタッフが子どもたちを監視します。が、校庭に出てくる子どもの人数が多いので、この事件を防げなかったようでした。

「本当に申し訳なかったわ。監視する大人の数が少なすぎるのよね」と担任。でも、側にいた学校職員は「まあ、よくあることだから」と…。

「えっ、よくあることなの? 運悪く頭を打ったりしたら、危ないじゃない」と思いましたが、当時の私はまだ新米保護者。学校に対して抗議するなんてことは、思いもよりませんでした。

その日は息子の手を引いて、いつもより早い時間に帰宅しました。帰宅途中、そして家で何が起こったのか訊きだそうとしたのですが、そのことに触れると息子は口を噤んでしまうのです…。でも、いつもと変わらずお気に入りの玩具で遊び、ご飯もちゃんと食べ、オシャベリもしてたので、それほど深刻には考えませんでした。

翌日、息子はいつも通り登校。お迎えの時間にT君のママに会うと、やっと事件の全容が見えてきました。息子のT君が詳しく話てくれたそう。

親友のT君とはクラスが別になってしまいましたが、お昼休みにはいつも一緒に遊んでいて、前日もT君と滑り台で遊んでいたのでした。滑り台の上に大勢の子どもがあがったところで、どういう訳かぎゅうぎゅう押し合いになったというのです。

最年少で力も弱く、多分押されるままになってた息子は、はずみで落っこちてしまったんでしょう…。落ちた後、滑り台の下でひとり、声も出さずに泣いてたんだとか…。T君が大人を呼びに行ってくれて、やっと発見してもらったと…(これは学校の管理不届きですよね)。

かわいそうに、どんなに怖かったことか…。

でも、校庭に出てきた息子は、いつもと変わらずおやつを受け取ると、T君と一緒に校庭にかけ出していきました。その後も、別段変わったところはなく、普通に過ごしているように見えました。私は、ちょっと成長したな、と思ったのです。

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