感覚過敏について-抑制的気質とHSP(その1&2の追記)

昨夜、今月(何日か不明)『あさイチ』で放送された「シリーズ発達障害」を動画サイトで偶然発見・視聴しました。番組では感覚過敏についてかなり突っ込んだ調査を行い、本人にはどう見えているか・聞こえているかを映像化。発達障害を持つ大人が増えてきたため、その実情がどんどん解明されてきているようです。

で、今朝チェックしてみたら、その動画は既に消されてなくなっていました~。なので、覚えていることだけ書き留めておこうと思います。

発達障害で感覚過敏を持つ大人20名ほど(だったと思う)を調べたところ、普通の人とは違うように見える・聞こえるだけでなく、それぞれ見え方・聞こえ方が微妙に異なっているということが解明されたとのこと。

ある視覚過敏の人は太陽や電灯の光がひとより眩しく感じられ、風景全体が白っぽく見えたり、中には光が強すぎて目が痛いという人も。また、ある聴覚過敏の人は周囲の全ての音が同じような音量で聞こえてくるため、相手の話が聞こえづらいと…。

彼らの現実をできるだけ忠実に再現した映像では、世界は雑多で混乱していて、曖昧模糊とした印象でした。情報量が多すぎて焦点をあわせるのが難しいという感じで――これでは疲れて不安になるのも無理はありません。

『抑制的気質とHSP(その2)』で、「感覚過敏というのは、外部から『入ってくる』刺激を適切に取捨選択し、注意を向けたり調節することが難しいこと」と書きました。

例えば、スーパーに行くと、人が話す声、店内放送、足音、蛍光灯や他の機器から出る雑音などが、洪水のように耳に押し寄せてくるという聴覚過敏の人もいました(だから、長く店内にいることができないと)。ASDの人は外部から「入ってくる」音を取捨選択できないため、全ての音が同時に身体に流れ込んでくるんだそう。

私たちは普段「入ってくる」音を無意識のうちに取捨選択しているといいます。自分にとって必要な音は聞こえやすく、そうでない音は聞こえにくくする機能が備わっているんですね――大勢の子どもの声の中から母親が自分の子どもの声を聞き分けることができるのも、この機能によるものでしょうか?

もうひとつ興味深かったのは、番組に登場したイギリス人研究者が、ASD(発達障害)の人は「慣れの機能」が働かないと説明していたこと。『抑制的気質とHSP(その1)』で、「私が接したASDの子ども達は、徐々に慣れるという感じではない」と書いたんですが、慣れるための機能が働いてなかったんですね…。

これって全員にいえることなのか、それとも特定のグループだけなのか?また、「慣れの機能」は慣れる・慣れないの2通りしかないのか、それとも段階的なものなのか?また、発達障害を持たない子の感覚過敏については、どうなんでしょう?

息子に「全ての音が同じような音量で一気に押し寄せてくる?」と訊いてみたところ、答えはNoでした。息子の「取捨選択の機能」は働いているようです。幼少の頃、人が大勢集まるザワザワした場所に慣れるのにかなり時間がかかったのは、「慣れの機能」が弱いということでしょうか?

ちなみに、今では人が大勢集まる場所も平気です。経験を積み重ねて「慣れた」ということもあるんでしょうね(それでも、同年代のティーンの集団に出会うと、ちょっとドキドキするそうですが…これは私も同じでした)。

そういえば、息子が小学校低学年の頃、主人とロンドン中心部にある大きな映画館に『スターウォーズ』を観に行ったら、音が大きすぎて途中で退出…そんなことが2回ほどあったと記憶しています。高学年になってからは大丈夫になったんですが、大音量に耐えられるようになったのは「慣れ」なのか、成長したからなのか、どうなんでしょう?

息子によると、今苦手な音は猫よけの超音波の音で、耳が痛いからどうしても駄目だそう。また、「会話してる時、ラジオやPCで誰かが話す声が聴こえてくると、そっちに耳がいってしまい、すごく気が散る」ということ。その割には、好きな音楽を大音量でかけながら宿題してます――自分の好きな音楽はバックグランドミュージックだから、全く気にならないんだそうです。

よく考えると、誰でも苦手な音ってありますよね?ASD児の中には、赤ちゃんの泣き声や運動会のピストルの音が駄目な子がいますが、苦手なだけではなく、耐えられなくてパニックになってしまうところが問題なんですよね。他の子は大丈夫なので、周りから理解されにくいのが辛いところです。

とにかく、この番組を観て思ったのは、「慣れの機能」が働いていない子に対しては、徐々に慣らすという方法は不適切だということです。例えば、運動会のピストルの音が駄目な子に対しては、「何度も経験させて慣れさせる」方法は苦痛でしかないでしょう。イヤーマフを使用するなど、子どもの負担を減らす工夫をした方がストレスが少なくてすみます。

大人だったら苦手な状況を避けて調整することが可能でも、子どもの場合はそうもいきません。特に、学校生活では「みんなと同じことをする」が基準になっています。まずは、子どもの苦手や何に困っているか、どの程度困っているのかを知ることが一番大切かなと思います。そして、どうしても駄目なものは、学校と保護者が相談して対処法を決められるといいですよね。

改善させようと頑張りすぎると、「できない」という思いが大きくなったり、コンプレックスやストレスになってしまうことも――要注意ですね。それよりは、できる方法を見つけていく方が、子どもにとって楽だし自信もつけられると思います。

反面、「慣れの機能」が作動している場合は、時間をかけて慣れさせる方が将来的にもいいですよね。だからこそ、子どもの感覚過敏がどの程度なのか、「慣れる」ことは可能かどうか、見極めることが大切。それができるのは、子どもに一番近い存在である母親じゃないでしょうか?子ども自身はどんな風に苦手なのか表現できないことが多いので、「嫌」の度合いを測るのは結構難しそう。そういう時には、母親の直感がものをいうかもしれません。

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抑制的気質とHSP(その1)

抑制的気質とHSP(その2)

 

 

 

抑制的気質とHSP(その3)共感力ってなに?

エレイン・アーロン博士の著書『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ(Highly Sensitive Person)』が2000年に翻訳出版され、日本でもHSPという言葉が広く知られるようになりました(詳しくは『抑制的気質とHSP(その1)』をご参照ください)。タイトルを直訳すると「とても繊細な人」ですが、ただ感覚が繊細なだけではHSPではないのです。

HSPの4つの特性は:

*緑の部分はブログ『いつも空が見えるから』https://susumu-akashi.com/2016/10/hsp/#i から引用させていただきました。

アーロン博士は、たとえ感覚が敏感であっても上記の4つの特性がすべて揃わなければHSPではないと明言しています。感覚過敏を持ち合わせていることが多いASD児に関しては、共感力が低いため、HSPとは区別しています(感覚過敏については『抑制的気質とHSP(その2)』をご参照ください)。

(YUKIさんのブログ『いつも空が見えるから』では、ASDだから「共感力がない」という説は誤りであるということを詳しく説明しています。実は、私もASDの子どもたちと接してみて、彼らには共感力も思いやりもある、と感じていました。これについては、次回書こうと思っています)

では、共感力(共感能力)とは一体なんでしょうか?辞書をひいてみると、「他者の感情を理解する能力」とあります。

息子は抑制的な気質の割に、特に4歳くらいまでは特定の人に限ってとても甘え上手でした。可愛がってくれそうな人(自分に好意を持ってくれそうな人)をぱっと見分けて近づき、甘えて抱っこしてもらったり、得意なことを披露したり。その一方で、相性が悪そうな人には絶対に近づかないという…。

3歳のころ、日本人女性にベビーシッターを頼んだことがあったんですが、私が仕事から帰ってきても、息子は知らん顔!その人に甘えてもたれかかり、すっかり2人の世界に浸っていたのです。なんと、彼女が帰ったら泣いちゃったんですよね(苦笑)。

小学校の頃は、「あの人は僕のこと嫌い」とか「先生は今日怒ってた(機嫌が悪かった)」などと、家でよく私に言ってました。「そんなこと言うもんじゃないよ」「ぱっと見ただけでは解らないでしょ」と注意はしてたものの、心の中では「当たってるかも(自分に好意的ではなさそうな人にわざわざ近づかなくても、という意味で)」と思ったりして…。

人見知りなのに、何故か親近感を持てそうな人には自分から近づいていく--同じ波長の人を見極める直感力が鋭かったように思います。

そして、場の空気を敏感に感じ取ってしまうため、マイナスになる部分が多くありました…。例えば、先生が「キャンディーあげるからおいで」というと(小学校で時々あった)、クラス全員が先生(キャンディー)めがけて殺到します。そういう時、その空気、というか雰囲気?に圧倒されて、息子は動けないのです。で、一番最後になってしまい、その頃にはもうキャンディーはなくなっているという…。「僕も欲しかったのに」と、後から涙目になってました。

また、誰かの機嫌が悪かったり、悪さをする子がいる時なんかは、すぐ察して近づかないようにするんです。あとは、誰かが怒られていると、自分が怒られたように気になるようでした。高学年になってからは、人に何気なくいわれた言葉や自分が人にしてしまったことを気にして、もんもんと悩んで眠れなくなったり――多分、相手は覚えてもなかったんじゃないかな。

私は息子が小学校高学年になるまで、思いやり(共感力?)が育ってないのでは(『「思いやり」が育ってない?』をご参照ください)と気になってました。あまえん坊の割に、図工で作る母&父の日カードなんかはホントに言葉が少ない(他の子の半分以下)。どういう訳か、こちらが聞かない限り学校での出来事や自分の気持を言わない子で、何かの拍子にポツポツ話し出すという感じだったんです。

でも、緘黙が改善し、遊び仲間ができ、学校生活が楽しくなってきた頃から、徐々に自分の気持や友達のことなどを話すようになりました。

小5の頃(10歳)家に遊びに来た友達のひとりに私が声をかけたんですが、後で「○○君にそれを言ったら駄目だよ」と叱られました。理由もちゃんと話してくれて、その言葉を言ったら彼が傷つくと…。

「え~っ、この子にはこんな友達思いの面があったんだ!」とビックリ。こと友達のことになると、きめ細かく配慮してたような…。その反面、どうも身内に対しては「やってくれて当然」と思っていたようなフシがあります。

それが、今では私が落ち込んでいたり、怒ってたりすると、真っ先に気づいて言葉をかけてくれるのが息子なんです。その上、とても冷静沈着で論理的なアドバイスをくれたりして…。

息子の共感力は成長とともに育ったんでしょうか?それとも、共感力というのは生まれつき備わる資質に影響されるんでしょうか--謎です。

もしかしたら、息子は緘黙から開放されて、少し余裕を持って人のことが見られるようになったんでしょうか?それまでは、それどころじゃない不安の渦の中にいたのかもしれません…。

以前は思いやり=共感力と思っていたんですが、「思いやり」って行動や声に出さないと気ずかれにくいですよね。ただ感じたり、思ったりしてるだけでは、人には伝わらない――でも、言わない・言えないHSPっ子は案外いるのかもしれません。

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抑制的気質とHSP(その1)

抑制的気質とHSP(その2)

 

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その11)自宅での様子

PCのファイルを整理していたら、懐かしい映像が出てきました。確か、2005年の夏に窓の修理をしたときのものだったと思います。

当時、5歳くらい(5歳の誕生日前か後か不明)だった息子は、ビデオカメラで色々撮影するのが大好きでした。この時は居間の古いサッシュウインドー(うちは100年位前のエドワード王朝時代に建てられたテラスドハウスです)を修復していて、床やソファはダストシートで覆われ、修理機器やら掃除機がどーんと陣取っています。

確か、修理の職人さんたちがランチタイムの休憩中で、誰もいない間に撮影したように記憶しています。

なんか落ち着きがないですね。幼少の頃はかなりオシャベリな子どもで、一緒にいるとうるさい位でした。(今はこの映像からは想像もつかないくらい落ち着いてます)。声のトーンが人一倍高くて、本当にうるさいですよね…。

息子は4歳半で小学校のレセプションクラスに入学。就学3週間目に混み合う滑り台から落ちるという事件に遭遇し、それがきっかけで場面緘黙になりました(事故直後は緘動も)。幼稚園では寡黙でしたが、大人がいないところでは日本人の親友と日本語で普通に話していたよう。

小学校では親友とクラスが分かれてしまい、初日から自分の英語力に引けめを感じていました。それまでは日本語中心の生活をしていたのですが、緘黙になってしまったこともあり、英語に切り替えることに。すると、あっという間に英語の生活に変わってしまいました~(涙)。

緘黙を悪化させないために土曜日の日本語学校に入れることを断念したのですが、今でもちょっと後悔しているのです…。私が教えればいいやと思っていたものの、聞く・話すはよくても書くのが大嫌いで――結局漢字をやってる途中で放り出してしまいました。

話がそれてしまいましたが、自宅で撮影した映像を担任や医師などに見せて、子どもの普段の様子を知ってもらうことは結構重要だと思います(私の場合は、映像でなく録音した声を聞いてもらったんですが)。学校や家の外でのイメージとは全く違う本当の姿を見てもらうことで、子どもがいかに緊張しているか、親がどんなに心配しているかを解ってもらえるのではないでしょうか?口で説明するよりも説得力があるのは確かです。

また、学校ではできない本読みや楽器の演奏、唱歌などを、映像を見て評価してもらうという方法もあります。今や携帯で簡単にビデオを撮って送信できる時代なので、それを活用しない手はありません。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その2)

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その6)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その7)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その8)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その9)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その10)

抑制的気質とHSP(その2)

かなり時間が経ってしまったのですが、3月9日に投稿した『抑制的気質とHSP(その1)』の続きです。

まずは感覚過敏についての続きを。

ここ5年間ほどASDの子どもやティーンと関わってみて、彼らは感覚過敏によって受ける不快感(刺激)を統制する機能が弱いというか、いわゆる健常児に比べると、不安や感情のコントロールがより難しいように感じます。

例えば、息子が小さかった頃に室内遊技場に連れて行くと、初めての時は1時間くらい私にくっついて全く離れず—でもだんだんと慣れて、こわごわ遊び始め、さあ帰ろうという頃に乗ってくるという。それでも、何度か回を重ねるとさすがに慣れて、すっと好きな遊具にむかって行けるようになりました。

ASD児の中にはこの「慣れる」が大変難しく、拒否反応やパニックを起こす子が多いような…。息子も時間がかかりましたが、もっと多くの時間と工夫が必要となりそう。ずーっと拒否し続けて、「これはやらない」「できない」が増えてしまい、日常生活や人間関係に影響してしまうことも多いです。(ASD児でもそれほど感覚過敏・鈍感がない子もいて、それぞれ特性が違うので、ひとまとめにはできないのでご注意ください)。

この「やらない、できない」ことが多く、体験の積み重ねができないことが、年齢相応の常識が身につかない要因のひとつかもしれません。みんなセカンダリー(12歳から)になってくると落ち着いてはくるものの、大人っぽいことをいう割に、情緒的にものすごく幼かったり、年齢相応のことができなかったり、受け流すことができなかったりと、アンバランスさが目立ちます。

前回、リンクを貼らせていただいた『リタリコ発達ナビ』のサイトの、「感覚過敏」のページにこんな記述がありました(お借りします)。

https://h-navi.jp/column/article/35025696

感覚の過度な偏りと発達障害には密接な関係があります。その中でも、自閉症スペクトラム障害(ASD)では、幼いころから感覚の偏りが見られることが多いといわれています。

発達障害のある子どもは、刺激に対して適切な感情を生じさせる機能に特性があると考えられています。そのため本来は有害でない刺激に対して過度な恐怖、不安の感情をもつことがあります。また、適切に外部の刺激を取捨選択し、注意を向けたり調整することが難しいために、発達障害のない子どもに比べて、過剰に反応をしてしまうのです。その結果、新しい活動を避けるようになってしまったり、多動傾向になったり、パニックになったり、周囲に対する不安感が強くなったりします。

そして、子どもの場合には、そのような不安を適切な方法で表現できないために、癇癪(かんしゃく)や自傷行為などの問題行動につながりやすい傾向にあります。また、逆に感覚の鈍感さがあるときの行動の一つとして見られるのが、手をふらふらする、首をふるなど、「常同行動(自己刺激行動)」と呼ばれる行為です。これは、感覚刺激を求めたり、不安を紛らわせたりするための、自己調整の行動ではないかと考えられています。

緑の部分は『リタリコ発達ナビ』から引用させていただきました。

下線や太字の部分、納得できるものがあります。感覚過敏というのは、外部から「入ってくる」刺激を適切に取捨選択し、注意を向けたり調節することが難しいこと――うまく調整できないから不安になり、周囲に合わせられないから更に不安が増すという悪循環になってるのかな…。

例えば、大きな音がした時、びっくりして泣き出す子とパニックになってしまう子の間には、「入ってくる」刺激に違いがあるんでしょうか?

発達障害の感覚過敏に反して、アーロン女子はHSPの感覚過敏は、敏感性感覚処理 (sensory processing sensitivity)で、「入ってくる」刺激の取捨選択には問題ないけれど、感受性が高いために「受け取った」刺激をより深く処理してしまうことだと言っています。

これは、大きな音がした時、ただ音に驚くだけでなく、「何が起きたの?」「ママは?」「怖い」「〇〇ちゃんが泣いてる」など周囲の空気を読んだり、想像したりすることで、不安が増してしまうとうこと?

刺激をより深く処理するためにはより時間がかかるだろうし、色々考えるとより自衛的になると考えられるので、行動抑制的になるというのは解かるような気がします。

まとめてみると、取捨選択機能がうまく働かない(感覚統合障害(sensory integration disorder))ため、「通常」とされている範囲よりも多くの刺激が「入ってきて」しまうのが感覚過敏。対して、刺激を取捨選択して「受け取る」のはOKだけど、「通常」よりも深く処理するのが敏感性感覚処理 (sensory processing sensitivity)ですね。いずれにしても、世間一般が「通常」と考える範囲を超えた処理をしているため、注意とケアが必要になるということかな。

またまた素朴な疑問なんですが、この2つの特質を同時に持ち合わせていることってないんでしょうか?

また、この2つの特性についても、多分ASDの定義(『イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その3)』をご参照ください)と同じように、明確に境界線を引けるものではないような気がするのです。境界線の内側が「正常」で外側が「障害」ではなく、スペクトラム状(連続体)になっていて、グレーの部分が大きいような…。

生まれ持った気質と環境に影響を受けながら成長・発達していくうえで、少し凸凹があってもうまく適応できれば性格とか個性で済んでしまうケースも多いんじゃないかな?子どもが生きづらさを抱え込んでしまわないように、自分である程度調整できるようになるように、うまく支援してあげたいですよね。

次回は「共感性」について考えてみたいと思います。

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緘黙児とHSP

抑制的気質とHSP(その1)

 

NYのグループ治療プログラム『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』(その2)

SMiRAコンファレンスより、児童セラピスト、ルーシー・ネイサンソンさんの講演の続きです。

NYのグループ治療プログラム、『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』を経験して

<まとめ>

  • 場面緘黙を1週間で完全に克服することは不可能
  • このプログラムは治療プロセスの一部
  • 殆どの子どもは継続的な介入が必要
  • 克服するには長い時間がかかる
  • この集中治療により、子どもは話すきっかけを得、成果を積み重ねていくことができる

ひとつ注意していただきたいのは、この講演はルーシーさんが体験した範囲内での話だということ。決して『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』の全容ではありません。治療プログラム終了後、学校での支援にどう繋げていくのか、どの程度の子どもが学校で話せるようになるのか、などの詳細は不明です(Child Mind Instituteが考案した特別プログラムなので、外部に漏れないようにしている部分もあるのかも)。

ルーシーさん自身は、「もし自分がこのプログラムを取り入れるとしたら、全部取り入れずに一部だけ使い、他の治療法と組み合わせると思う」と言ってました。

質疑応答では、以下のような質問がありました。

1) 緘黙児全員が導入セッションで声を出せるようになるのか?

ルーシーさんが担当した子は声を出せたそうですが、全員が話せたかは不明とのこと。もし話せない子がいるとしたら、その子は本番には進めないんでしょうか?

2) この集中プログラムの後、学校で話し始める確率はどのくらいか?

これも不明。学校への支援に繋ぐためペアレントトレーニングが行われますが、学校がトレーニング通りの支援に協力してくれるかどうか――実際にやってもないと判りませんよね…。

3) 参加料金はどのくらい?

これも不明でした。が、アメリカは医療費が高いことで有名なので、もし医療保健がない・効かない場合は、一体どんな額になるんでしょう…?

4) 集中プログラムでは子どもの答えに対して、セラピストが長い文章で答えを反復する方法だが、慣れてくればもっと自由に会話できるようになるのか?

残念ながらこちらも不明。治療中に子どもがセラピストになついて、自由な会話ができるようになる、という感じではないみたいでした。……………………………………………………………………………………………………

今回のコンファレンスには、イギリスの緘黙治療の第一人者といわれるマギー・ジョンソンさんなど、多くのSM専門家が参加していました。専門家からは、セラピストが子どもの答えを反復するやり方ついて、「最初はいいとしても、ずっと続けるのはどうか?徐々に自由な受け答えができるようにしていく必要があるのでは?」という意見が多かったです。「長い目で見ると、短期間で発語を促す方法より、自発的な発語を促す長期的なスモールステップ方式の方がいいと思う」という人も。

イギリスはアメリカと比べると保守的な傾向が強く、薬の服用や発語を強制することに対しては否定的な意見が多いです。ただ、緘黙状態が長引けば長引くほど、同じ環境での自発的な発語は難しくなってきます。転校や進学をきっかけに、本人が頑張って話し始めるケースは多いですが、話し始めるきっかけって意外と少ない…。そういう意味では、きっかけを作ってくれるこの治療プログラムは貴重かなと。

あと、「自由な会話」ができるようにならなければ緘黙を克服したことにはならない、という意見もありましたが、これについてはちょっと疑問が…。

私は小さい頃とても内弁慶で、小・中・校を通して「大人しい子」と評されてました。授業中に当てられたりすると、緊張して必要最低限のことしか言えないことが多かったです。休み時間に友達とお喋りするのと、授業中やみんなの前で発言するのとでは、全く別の自分がいました。自由に会話ができる人って、本当に限定された数人だけ…。今だに自分の気持を上手く伝えられなくて、後になって「こう言えば良かった」「どうしてあんなこと言っちゃったのかな」と反省することも多いし…。

教室など多くの人に見られる公の場で自由に会話することは、緘黙の子・人でなくても難しいと思うんです。(イギリスの小学校とかだとグループで活動することが多いので、話しやすい雰囲気ではありますが)。だから、もう少しハードルを低くして、公の場では質問に答えたり、自分の意見を言えるようになればOKじゃないかな…。

ただ、たとえ口下手であっても、気の置けない友人や親族には、自分の興味のあることや得意なことだったら、安心して話せるんじゃないでしょうか?楽しく話せる人や場所があれば、それが自信に繋がります。だから、好きなことや趣味を持つことは本当に重要だと思うんです。親にすれば、子どもがネットゲームやアニメ、アイドルグループなどに夢中になれば心配になるもの。でも、親から見てどんなくだらないことでも、楽しみを持つことが生きる力になると思うんです。そして、それが行動を起こすきっかけになるかもしれません。

好きなアーティストのファンクラブに入ったり、ネットゲームでオンライン上の仲間を作ったり――そこから次なる発展があるかも。人間って「好きなこと」にはめっちゃパワーを出せると思うので。

話が反れてしまいましたが、この集中治療プログラム、もし息子が緘黙だった頃にアクセスできていたら…う~ん、参加させるかどうか悩むところですね。1対1ではなくて、知らない子どもや大人たちと一緒、しかもその中で話さなくてはいけない――結構プレッシャーが大きいかも。やってみる価値はあると思うのですが、やはり子どもの反応次第でしょうか。

治療プログラムではなくても、子どもがやりたそうな習い事をさせてみるとか、友達を誘って出かけてみるとか、まず楽しめるきっかけを作るのがいいかもしれませんね。

(おまけ)

昨日、イチゴを食べようと思って洗っていたら、「あれっ?」。イチゴのさきっぽ(ヘタじゃない方)に何やら緑のものが…。

ツブツブの種が集中してる実の一番先から発芽してました~!生まれて初めて見ました

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