抑制的気質とHSP(その2)

かなり時間が経ってしまったのですが、3月9日に投稿した『抑制的気質とHSP(その1)』の続きです。

まずは感覚過敏についての続きを。

ここ5年間ほどASDの子どもやティーンと関わってみて、彼らは感覚過敏によって受ける不快感(刺激)を統制する機能が弱いというか、いわゆる健常児に比べると、不安や感情のコントロールがより難しいように感じます。

例えば、息子が小さかった頃に室内遊技場に連れて行くと、初めての時は1時間くらい私にくっついて全く離れず—でもだんだんと慣れて、こわごわ遊び始め、さあ帰ろうという頃に乗ってくるという。それでも、何度か回を重ねるとさすがに慣れて、すっと好きな遊具にむかって行けるようになりました。

ASD児の中にはこの「慣れる」が大変難しく、拒否反応やパニックを起こす子が多いような…。息子も時間がかかりましたが、もっと多くの時間と工夫が必要となりそう。ずーっと拒否し続けて、「これはやらない」「できない」が増えてしまい、日常生活や人間関係に影響してしまうことも多いです。(ASD児でもそれほど感覚過敏・鈍感がない子もいて、それぞれ特性が違うので、ひとまとめにはできないのでご注意ください)。

この「やらない、できない」ことが多く、体験の積み重ねができないことが、年齢相応の常識が身につかない要因のひとつかもしれません。みんなセカンダリー(12歳から)になってくると落ち着いてはくるものの、大人っぽいことをいう割に、情緒的にものすごく幼かったり、年齢相応のことができなかったり、受け流すことができなかったりと、アンバランスさが目立ちます。

前回、リンクを貼らせていただいた『リタリコ発達ナビ』のサイトの、「感覚過敏」のページにこんな記述がありました(お借りします)。

https://h-navi.jp/column/article/35025696

感覚の過度な偏りと発達障害には密接な関係があります。その中でも、自閉症スペクトラム障害(ASD)では、幼いころから感覚の偏りが見られることが多いといわれています。

発達障害のある子どもは、刺激に対して適切な感情を生じさせる機能に特性があると考えられています。そのため本来は有害でない刺激に対して過度な恐怖、不安の感情をもつことがあります。また、適切に外部の刺激を取捨選択し、注意を向けたり調整することが難しいために、発達障害のない子どもに比べて、過剰に反応をしてしまうのです。その結果、新しい活動を避けるようになってしまったり、多動傾向になったり、パニックになったり、周囲に対する不安感が強くなったりします。

そして、子どもの場合には、そのような不安を適切な方法で表現できないために、癇癪(かんしゃく)や自傷行為などの問題行動につながりやすい傾向にあります。また、逆に感覚の鈍感さがあるときの行動の一つとして見られるのが、手をふらふらする、首をふるなど、「常同行動(自己刺激行動)」と呼ばれる行為です。これは、感覚刺激を求めたり、不安を紛らわせたりするための、自己調整の行動ではないかと考えられています。

緑の部分は『リタリコ発達ナビ』から引用させていただきました。

下線や太字の部分、納得できるものがあります。感覚過敏というのは、外部から「入ってくる」刺激を適切に取捨選択し、注意を向けたり調節することが難しいこと――うまく調整できないから不安になり、周囲に合わせられないから更に不安が増すという悪循環になってるのかな…。

例えば、大きな音がした時、びっくりして泣き出す子とパニックになってしまう子の間には、「入ってくる」刺激に違いがあるんでしょうか?

発達障害の感覚過敏に反して、アーロン女子はHSPの感覚過敏は、敏感性感覚処理 (sensory processing sensitivity)で、「入ってくる」刺激の取捨選択には問題ないけれど、感受性が高いために「受け取った」刺激をより深く処理してしまうことだと言っています。

これは、大きな音がした時、ただ音に驚くだけでなく、「何が起きたの?」「ママは?」「怖い」「〇〇ちゃんが泣いてる」など周囲の空気を読んだり、想像したりすることで、不安が増してしまうとうこと?

刺激をより深く処理するためにはより時間がかかるだろうし、色々考えるとより自衛的になると考えられるので、行動抑制的になるというのは解かるような気がします。

まとめてみると、取捨選択機能がうまく働かない(感覚統合障害(sensory integration disorder))ため、「通常」とされている範囲よりも多くの刺激が「入ってきて」しまうのが感覚過敏。対して、刺激を取捨選択して「受け取る」のはOKだけど、「通常」よりも深く処理するのが敏感性感覚処理 (sensory processing sensitivity)ですね。いずれにしても、世間一般が「通常」と考える範囲を超えた処理をしているため、注意とケアが必要になるということかな。

またまた素朴な疑問なんですが、この2つの特質を同時に持ち合わせていることってないんでしょうか?

また、この2つの特性についても、多分ASDの定義(『イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その3)』をご参照ください)と同じように、明確に境界線を引けるものではないような気がするのです。境界線の内側が「正常」で外側が「障害」ではなく、スペクトラム状(連続体)になっていて、グレーの部分が大きいような…。

生まれ持った気質と環境に影響を受けながら成長・発達していくうえで、少し凸凹があってもうまく適応できれば性格とか個性で済んでしまうケースも多いんじゃないかな?子どもが生きづらさを抱え込んでしまわないように、自分である程度調整できるようになるように、うまく支援してあげたいですよね。

次回は「共感性」について考えてみたいと思います。

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