『校庭に東風吹いて』

ここ最近、日本でも少しずつ場面緘黙のメディア露出が増え、緘黙をテーマにした小説やテレビ番組も見かけるようになりました。『校庭に東風(こち)吹いて』は、2013年5月から10月まで赤旗新聞に連載された小説です。作者の柴垣文子さんは、32年間小学校教師をしていた経験を持つ作家。この作品では、学校での緘黙児の状況や学校側の事情などを、現場の教師の視点で描いています。

日本の学校でどのように緘黙児と向き合うべきか — その答えの多くがこの小説の中に標されているように思います。多くの発達障害児や不登校児を抱える学校の現状を考えると、理想的過ぎるかもしれません。でも、教師や学校関係者、教育関係者に、是非読んで参考にしてもらいたい本だと思います。

『校庭に東風吹いて』柴垣文子著 新日本出版社

物語は山間の小さな小学校にベテラン女教師、三木知世が転勤してくるところから始まります。三年のクラス担任になることを言い渡されますが、40人と大クラスなうえ重度の場面緘黙児がいるクラス…。前担任は中途退職、その後にクラスを任された講師も辞めていて、前途多難を予測させるスタートでした。

<小説からの抜粋>

P7 「自閉症と場面緘黙はちがいます。自閉症の子どもはなん人にも会っていますし、研究も進んでいます。場面緘黙症は研究が進んでいない上に、実践例も少ないんですよね。私は子どもと会ったことさえありません。転勤してすぐ担任はとても無理です」

20年の教師生活の中で一度も場面緘黙児に遭遇したことがない…。話し相手の校長も、この学校で初めて会ったと語っています。

小説の設定では郡内20校のうち緘黙児は2名。場面緘黙の発症確率は0.2~0.7%といわれているので、1000人に2~7人と考えると、ちょっと少ないかも…。でも、長いこと小学校の教員をしていた私の父も、私が息子の緘黙を告げるまで、「場面緘黙」という言葉を聞いたことはなく、緘黙児に巡りあったことがないと驚いていました。

緘黙には程度の差があり、学校で全く話せない子もいれば、先生の質問には答えられる子、仲良しの友達とだけなら少し話せる子など、本当に千差万別です。少し話せる子は「おとなしくて寡黙な子」と認識され、「緘黙」に数えられてないのかもしれませんね。この小説では、場面緘黙が悪化し固定化してしまった重篤なケースが描かれ、その症状や学校での様子、子どもを取り巻く環境について、詳しく描かれています。

P11 「学校で声を出せない。音読ができない、歌えない、絵を描かない、作文を書かない。インフルエンザで休んだあと、登校をしぶる、給食を食べない。手を引かなければ移動できない」

この小説に出てくる緘黙の少女ミチルの学校での様子は、「~できない」とナイナイばかり…。でも、そんな彼女には保育園時代からの友達、夏海がいて、ずっと学校でお世話をしてくれているのです。

P39 「二つのことを必ずしよう。蔵田ミチルに声をかけることと家を訪れて親から話を聞くことだ」

P40 安倍教師「ほかの親から不満が出るかもしれない。特別の訪問を問題にしたらどうしますか」

緘黙児への声掛けは、返事がなくても本当に大切です。子どもは無視されるのが一番辛いのです。また、担任の態度によって緘黙児に対する他の子どもたちの態度やクラスの雰囲気も違ってくるのではないでしょうか?先生が理解してくれてクラスに居場所があり、不安が低くなれば、症状の緩和や子どもの自己評価につながっていくと思います。

物語の中では、他の教師から「親が噂をしてますよ」、子どもから「ミチルちゃんとナッちゃんは先生と特別です」という言葉も…。担任がひとりの子どもと関わると、「特別扱い」とみなされがち。特別支援教育が根付いているイギリスでは、クラス担任の他にTA(教育補助員)もいるため、何らかの問題がある子どもには配慮が当り前という空気ができています。が、日本ではまだまだ難しそうですね。他の子ども達や保護者も関わってくるこのデリケートな問題を、どう乗り切ればいいのか — そのヒントもここにあります。

P44 そのとき、ミチルの手が動いた。動いたことを見落とすほどのかすかな動き。

P45 知世が聞くと、ミチルはうなずいて、おずおずとした感じで首飾りを差し出した。「ありがとう。すてきな手作りの飾りをもらえて、よかった」

緘黙児には抑制的な気質の子どもが多いといわれています。子どものちょっとしたしぐさや心の動きを汲み取り、声をかけてあげられれば、少しずつ信頼関係を育てることができます。感性の鋭い子どもは、けっこう大人の心を見抜いているもの。「どう扱えばいいのか判らない」と思っていると、それが子どもにも伝わってしまいます。少しでもいいところを見つけて目立たないように子どもに伝える、褒めてあげることを忘れずに。

上記の他にも、学校全体で子どもを見守るよう職員会議で提案したり、母親との交換ノートを始めるなど、緘黙支援の様々なアイデアやヒントが散りばめられています。また、場面緘黙だけにとどまらず、職員室の人間関係、不登校、老親の介護など様々な問題も。ひとつひとつの問題に、自分なりの答えを出しながら誠実に取り組んでいく主人公 -そこには未来を紡ぐ子どもたちや周囲への温かな愛情があふれています。緘黙関係者でなくても読んで欲しい、心温まる秀作だと思います。

なお、この小説は大阪教映社による映画化が決定していて、2016年春から制作を開始し、同年秋に公開が予定されています。とても楽しみですね。場面緘黙にたいする理解はまだまだ浸透しておらず、いまだに「家庭環境のせい」、「家でしゃべれるから大丈夫」、「成長すれば治る」といった根強い誤解も…。映画を通して、場面緘黙や緘黙児を取り巻く状況を多くの方に知ってもらい、理解が深まればいいなと思います。

映画『校庭に東風吹いて』へのリンクです。現在、映画製作への支援協力を募集中です。

http://www.kyoeisha.net/koutei/index.html

 

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その2)

前回のエントリーで書き忘れてしまったのですが、3歳児検診のチェック項目の「排泄」について。息子のトイレトレーニングがいつ完了したのか忘れてしまったものの、そんなに苦労した記憶はありません。幼稚園では子どもが自分でトイレに行くという規則があり、3歳の誕生日前にはちゃんとオムツが取れていたような…。夜だけオムツの期間が少しありましたが、それも割と早く卒業できました。オネショをしたことも数えるくらいしかなく、その点はとても楽だったと思います。

今考えてみると、昔から潔癖症のところがあり、濡れる感覚が嫌だったんじゃないかなと思いあたります。ちょっと袖口が濡れただけでもすごく気にする性格で、小学校4年生くらいまでは水に濡れる遊びを極力避けていました(プールは除く)。これではいかんと、家の庭で私と水鉄砲を打ち合う練習をし、めでたく濡れても大丈夫になりました~。

息子は赤ちゃん時代にアトピーに苦しんだこともあり、肌もとても敏感です。2歳になる前、友達にならって上半身裸で遊ばせたところ、それほど陽に当たってないのに背中がアセモだらけに…。3歳で里帰りした際も、9月中旬というのにアセモに悩まされました。

着るものについても色々難しく、襟がついている服は頑固に拒否。ずーっとコットン100%のTシャツ派だったため、ジュニアスクール(7~11歳)の制服がポロシャツと化学繊維100%のパンツと知って焦りました。が、一度着てみたらいたく気に入ってしまい、それ以来襟付きのシャツを好んで着るようになったのでした…。この激しい変化は一体何だったのか、とても不思議です。

味覚も鋭敏で、昔は食べられないものが結構ありました。が、14歳の今では、大根も、コンニャクも、アンコも大好きに。食べられないのはアボカドくらいのもので、同年代のイギリス人と比べたら味覚の幅がとても広いと思います(日本の食文化のおかげかも)。

それから、里帰り時には癇癪をおこすこともなく「社交的」といえるくらいだったんですが、帰りのヒースロー空港で忘れられない事件が起きました。長旅であまりにも疲れていたため、私がうっかりしていて、息子のお気に入りの玩具が入った小さなリュックをトローリーのフックにかけたまま…。自宅に戻って、「あれっ、リュックは?」と思い出した頃には、もう時すでに遅し。

翌日から、「マミー、地下鉄はどこ?」「ジャガーのオープンカーはどこ?」と息子の癇癪の嵐!! お気に入りのミニカーと電車をごっそり無くしてしまったため、途方にくれました—-買いなおそうと思っても、同じ模型が売ってなかった!

隣町まで行ってやっとロンドンの地下鉄を手に入れると、即座に「ユナイテッドエアラインの青い電車は?」と突っ込んでくるので、困り果てました…。その責めとツッコミは半年以上続き、「いつまで覚えてるんだ~!3歳児ってこんなに記憶力がいいの?(これらの玩具限定)」とゲッソリしたものでした。

「働く車」から始まって、息子は本物に近い作りのミニカーや電車模型に夢中でした。一応『トーマス』も好きでしたが、小さな頃からトーマスシリーズよりも、本物の地下鉄や電車の模型を欲しがるのです(トレーン社のNゲージ鉄道模型のコレクションはまだ手放していません)。

幼稚園に通う道すがら、遠くにある車の形を見てメーカー名と車種名を言い当てるのが日課という…とてもマニアックな子どもでした。そのおかげで、車に全く無知だった私も、少し車種名が判るように。仲の良かった日本人の友だちはトミカに入れ込んでいて、息子よりもっと知識が豊富だったような。彼は国旗を見て国名を言い当てるのも大得意で、地理が苦手な私は舌を巻いたものです。

子どもってすごい!好きってすごい!

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その1)

 

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その1)

 

息子の3歳の誕生日は夏らしい好天に恵まれました。自宅の小さな中庭に遊具を並べ、気心のしれた友達7、8人とママ達を招いて午後の誕生会。リラックスして楽しい時間を過ごすことができました。

9月から新年度が始まると、一番仲良しだった日本人の友達がフルタイムで幼稚園に通いはじめ、平日いっしょに遊べなくなってしまいました。プレイグループには引き続き週3回ほど通ったものの、親しい子たちが入園してゴッソリ抜けてしまい、遊び相手不足に…。

イギリスでは公立の幼稚園は3歳から、小学校は4歳から(学年内に5歳になる子ども対象)です。なので、息子自身も入園する年齢だったのですが、息子の幼稚園は誕生日が早い順から1週間に2名ずつ入れていくという方針。8月中旬生まれの息子の番が来るのは、10月中旬と一番最後なのでした。

入園までの時間がぽっかり空いてしまったため、9月のはじめに予定されていた3歳時検診を済ませた後、私と息子だけで1年半ぶりに日本に里帰りすることに。

3歳児検診ってどんなことしたんだっけ、と母子手帳を調べてみると…

  1. 粗大運動
  2. 微細運動
  3. ことば/言語
  4. 行動
  5. 排泄

発達のチェックポイントは上記の5項目。優しそうな女性の小児医さんに誘導されて、歩いたり、ホップしたり、丸などの形を真似して描いたり。個室だし、私が一緒で安心できたのか、臆することなくすんなりこなした記憶があります。手帳には、すべて年齢に見合った発達に○がつけられていました。

ことばの発達については、当時息子は90%くらい日本語で話してたんですよね…。検査では医師の質問を私が和訳して息子に訊き、その答えを英訳して伝えるという。この年齢だと3語以上の文章で話す時期ですが、「こんなんでちゃんと判るの?」と疑問に思いました。

でも、私が心配していたのは言葉の発達よりも、息子の引っ込み思案な性格でした。新しい環境に慣れにくく、新しいことにチェレンジするのを躊躇し、慣れた玩具や遊びを好む傾向が強くなっていたからです。女医さんの「何か困っていることはある?」という問いかけに、こんなに引っ込み思案で大丈夫なのか相談しました。

その頃、BBCテレビで『Child of Our Time』という人気番組シリーズを放送していました。2000年にスタートしたこの番組は、ミレニアムに誕生した25人の子どもの成長を、20年かけて追跡調査していくというもの。子どもの性格や社交性にスポットを当てた回で、専門家が「幼児期に形成された性格や社交性が大人になっても続く」というようなことを話していたため、「この子はずーっと引っ込み思案のまま?」と、めちゃくちゃ気になっていたのです。

うろ覚えなのですが、女医さんからは心配し過ぎないなよう言われたような。母子手帳の備考のところには、「大人しいけれど、能力はちゃんと持っている」とあり、その後に「社会的には引っ込み思案」との記述…。ちなみに、当時から痩せぽっちで体重は14キロ弱でした。

さあ、次は日本まで飛行機の長旅です!息子の初めての里帰り(息子の緘黙・幼児期1~2(その3))では、スチュワーデスさんに驚かれ、他の乗客に「可哀想なくらい泣いてたね~」と声をかけられるほど超大泣き…。今回は主人はいないし、私一人でどうしたものかと、乗る前から戦々恐々としていました。

息子のお気に入りの玩具、お菓子、絵本、食料品など、思いつくものを全部バッグに詰めこみ、イザ搭乗。すると、成長したためなのか、驚くほどスンナリと順応(?)できたのです。

まずは、キッズセットを持ってきてくれたスチュワーデスさんに笑顔で挨拶し、褒められるという幸先のいいスタート。もらった玩具で遊んだり、持参した絵本を読んだり、アニメ映画を観たり。キッズミールもちゃんと食べることができました。1歳半の時のように、機内を行ったり来たりすることはなかったのですが、よく喋って何だかハイテンションだったような…。静かになったなと思ったら、いつの間にか眠ていて、嬉しい驚き!(以前はこういう状況ではウトウトするだけでちゃんと眠れず、疲れて泣き叫ぶというパターンだった)

着陸時にはやはり耳が痛くなって泣きましたが、予め飴を舐めさせておいたためか、先回と比べたらもう楽勝という感じ!着陸後に、何故かはしゃいで足で前の席をぐいぐい押すというエピソードも。その席に座っていた年配の女性にお詫びすると、「(子どもは)おひとり?」と訊かれ、「はい、そうです」と答えたら、「やっぱりね」と言われてしまいました…。ひとりっ子なので甘やかしていると思われたんでしょうね。

故郷で初めて会った人達にもとても愛想が良く、3歳になって成長したんだなと感激。ただひとつ気になったのは、教師をしていた父親に「この子は日本語ばかりだけれど、幼稚園で困るんじゃないか?ちゃんとイギリス人として英語で育てたほうがいい」と言われたことでした。

私は幼稚園に入ったら英語ばかりだから、自然に話すようになる。そんな環境で日本語をキープできるよう、幼稚園でも日本人の友だちができるといいな、などと気楽に考えていたのでした。

 

電話を使った緘黙克服プログラム

 

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』は、今回でやっと終わりです。最後に、ティーン&大人のための電話を使った実用的なプログラムが紹介されています。このプログラムだったら、支援者は祖父母や叔父叔母といった親しい親戚や友達でも大丈夫そう。2010年にイギリスで放送されたBBCのドキュメンタリー番組『My Child Won’t Speak』では、マギーさんのアドバイスにより、緘黙の少女レッドと祖父の間で行われ、かなりの成果をあげていました(番組内では直接話すまでには至りませんでしたが)。試してみる価値は大いにあると思います。

《緘黙に苦しむ小学校中・高学年&ティーンへの支援》

場面緘黙アドバイザリーサービス 言語療法士マギー・ジョンソン著/ ケント州コミュニティヘルスNHSトラスト

内容の著作権はマギーさんに属しますので、この記事の転記や引用は固くお断りします。なお、年が上の子どもへの支援は、緘黙支援のバイブルと呼ばれるマギーさんとアリソン・ウィンジェンズさんの著書『場面緘黙リソースマニュアル(Selective Mutism Resource Manual Speechmark社)』の第二版(2015年春/夏出版予定)に新項目として掲載される予定です。

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その16)

話すことへの恐怖を克服する6つの戦略

  • 新たなスタートを切る(転校や進学、新しい習い事を始めるなど新たな環境へ)
  • 認知行動療法(CBT)
  • 不安の生理学を理解する – 心拍数を減少させるための深呼吸、硬い姿勢から力を抜き、身体の緊張を緩める体操など
  • スライディングイン手法  (話せる人とのセッションに、段階を踏んでひとりずつ話せない人を加えていく手法: 親戚にも効果があります!)
  • 子どもからのパーソナルメッセージでクラスメイトや同級生の理解を仰ぐ – 音声録音やビデオ、手紙などを使用
  • コミュニティ内で見知らぬ人と話すことを目標にする(子どもの不安度とリンクさせて) — 人がいるところで聴こえるように話したり、電話で話すプログラムから始めること

みく注: 緘黙を克服していく・支援していく前に、まず長期戦になることを肝に命じておきましょう。長年話せなかったのだから、やっと声がでるようになっても、クラスメイトとの会話のスピードや話題にうまく乗れないかもしれません。例えば、楽器をやったことがないのに、いきなり曲を演奏できないのと同じことです。とにかくメゲずに、自分のペースでコツコツと進むことが大切かと思います。学校では話せなくても、普段から安心できる場面でたくさん話をしたり、何かにチャレンジしたりするよう心がけましょう。家族は、子どもの好きなこと、やりたいことなど、安心して楽しく過ごせる時間を過ごせるように協力できるといいですね。

抑制的な気質の子どもはひとつの環境に慣れるのに時間がかかります。例えば、夏休みあけはクラスの空気にすぐ馴染めないかもしれません。そんな時には、進歩するどころか後退することもあり得ます。また、人の何気ない言葉や行動にひどく傷つき、元に戻ってしまったように見えることもあるかもしれません。そういう時のために、頼りになる支援者がずっと見守ってくれると心強いですよね。ただ、日本の学校にはTAがいないため、誰に支援者になってもらえばいいのか、難しい問題だと思います。児相や病院でも、毎週プログラムを組んで規則的なセッションするのは難しそうだし…。ひとつの手としては、家庭教師的な存在に家に来てもらい、一緒に勉強しながら少しずつ話せるようにしていくというのがあるかもしれません。

緘黙のティーンと大人のためのプログラム: コミュニケーションに対する自信を培う

見知らぬ人と話す:第一段階

  1.   電話で 自動音声に応答する
  2.   電話で 実際の人物に話す
  3.   実際に 顔を合わせて話す

このスモールステップを使ったプログラムで、緘黙の大人が私(支援者)と顔を合わせて会話できるようになりました。更に、プログラムを推し進めた結果、初めて地元の人と話すことにも成功しています。

1) 支援者の携帯電話にメッセージを残す

  • それほど不安にならずにできるようになるまで練習する
  • 「こんにちは」など一言 → 文章を読む → 一日の出来事を話す と徐々に難度をあげていく
  • 私(支援者)は聞いていないので安心すること

2) 電話の自動録音プログラムを用いて、実際に相互的な会話の練習をする

  • 不安(と呼吸数)を抑える傍ら、会話を繰り返して話すスピードや声の大きさを改善していく

3) 支援者が聞いていることを知りながら、支援者の携帯電話にメッセージを残す練習

4) 事前に決めた時間内にメッセージを残し、メッセージを話し終えた時点で支援者が電話に出て、そのメッセージについて質問をする練習

5) 4)の質問に応えることができたら、支援者はあと2、3問の質問を追加する

6) 5)の後、緘黙の子ども・大人が支援者に質問をする

7) 事前の打ち合せなしで5)~6)を繰り返す

8) 数週間おいて7)を試す

9) 実際に会う — 子どもが支援者に写真を見せ、支援者がそれについて質問する

10)他の人と1)~9)までを繰り返す(回数を重ねるごとに容易になる:「こんにちは」から始めても、時間をかけずにメッセージを残し、顔を突き合わせて話せるようになる

みく注:残念ながら、いただいた資料には第一段階の説明しかありません。でも、これだけでも顔を合わせて話すいい練習になると思います。

関連記事:

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その1)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その2)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その3)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その4)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その5)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その6)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その7)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その8)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その9)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その10)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その11)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その12)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その13)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その14)

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その15)