NYのグループ治療プログラム、『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』

SMiRAコンファレンスより。

児童セラピスト、ルーシー・ネイサンソンさん 「NYのグループ治療プログラム、『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』を体験して」

NYのChild Mind Instituteは、メンタルヘルスや学習における障害に苦しむ子ども達をサポートする独立した国の非営利団体。このブレイブバディズSMは、2009年に児童心理学者カーツ博士によって考案された、グループ緘黙治療プログラムです。

https://childmind.org/center/selective-mutism-service/

(このプログラムを経験したリリーちゃんと両親がビデオに登場しています)

(みく注:このサイトでは、1日もしくは2日間のプログラムを行っていると記されているので、ルーシーさんが参加したセッションは特別だったのかも…)

ロンドンに住む児童セラピストのルーシーさんが、この短期治療プログラムに参加。今回の講演では、彼女が実際にセラピストのひとりとして体験したことやその感想を伝えてくれました。

『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』の概要

  • 内容:行動療法を用いたグループセラピー
  • 対象:3~8歳
  • 期間:1日5時間、5日間継続(事前の導入セッションあり)
  • 場所:学校の教室を模した部屋

Brave Buddies は「勇敢な仲間たち」とでも訳せばいいんでしょうか?学校の教室を模した部屋で、授業のような形態を用いて行う小グループ治療プログラムです。緘黙が学校で起こっていることを考えると、疑似学校で治療プログラムを行うことは理にかなってますね。プログラム終了後、実際の学校で効果を持続できるよう、保護者の教育もあるとか。

プログラムを開始する前に行う活動:

  •  導入セッション
  •  ブレイブバディズ
  •  ペアレントトレーニング

セラピーに参加する子どもたち(薬を服用している子も含む)は導入セッションで合流。子どもたちが同じ部屋で遊んでいるところに、それぞれの子どもを担当するセラピストが徐々に入っていく。

  • セラピストはまずCDI (Child Directed Interaction 子ども主体のインタラクション)を用いる。側にいて、子どもの行動を声に出して説明し、模倣し、省みる(褒める)。
  • VDI (Vocalisation Directed Interaction 音声主体のインタラクション) を用いて、計画的に、意図的に声を出すよう促す。
  1. Yes, Noの2者選択ではなく、答えを言わなくてはならない質問やオープンエンドの質問を使用し言葉を導き出す。
  2. 答えを何秒か待ち、発語がなければ再び答えを促す。
  3. 質問例: ○○ちゃんは、赤い花がいい、それともピンクの花がいい?
  4. 子どもが「ピンク」と答えたら、セラピストは「○○ちゃんは、ピンクの花がいいんだね」と長い文章で繰り返す。
  5. セラピストの質問に答えられたら、後で玩具と交換できるブレイブバッジを与える

導入セッションでセラピストの質問に答えられるようになった子ども達は、次に5日間の集中プログラムへ。

学校と同じように、サークルタイムや工作の時間などを設ける。主任セラピストが加わり、全体の活動を引っ張っていく。

子どもたちは同じ部屋で活動するが、各自に担当セラピスト(導入セッションと同一)がつき、最初は1対1で対応。慣れてきたら、新たな主任セラピストが子どもたち(全体)に質問。子どもはまず自分の担当セラピストに答えを言う。次に、主任セラピストがひとりずつ子どもに質問し、子どもから直接答えを引き出す。答えることができたら、皆の前で褒める。

  • 教室のような部屋で何度も話す練習 <連続的なエクスポージャー法> → 実際に教室で話す練習へ
  • 担当セラピストを交代させる <「強化法」> → 話せる人の輪を広げる
  • より多くの人と話すことに焦点を当てる
  • 「忍耐への耐性」を積み上げることに焦点を当てる
  • 同じ質問をすることで不安を減らす
  • ペアレントトレーニングにより、保護者がセラピストになってエクスポージャー法を持続できるようにする

まとめと質疑の様子は次回お伝えする予定です。

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場面緘黙克服のために抵抗力 Resilience を高める

ナターシャ・デールさん(21歳)の緘黙克服

ナターシャ・デールさんの緘黙克服(その2)

 

ナターシャ・デールさんの緘黙克服(その2)

遅くなりましたが、ナターシャさんの講演の続きです。

実は、ナターシャさんがスピーチしている間、昨年のコンファレンスの講演者でSLTのリビー・ヒルさんが傍でずっと見守っていました。それで、リビーさんの支援を受けてるんだなと思ったんですが、彼女の話しの中には出てこず…。

また、18歳でカレッジに進学したことが緘黙を克服のきっかけとなったということでしたが、どんな支援を受けたのかイマイチ不明確…。

この辺りの詳細を知りたくて本人に連絡してみたら、すぐ返事をくれました。写真もお貸りできることになったので、ここに掲載しますね。

よく転校や進学によって環境が変わることで緘黙を克服・改善できた、という話を聞きます。自分が緘黙だということを周囲が知らない新たな場所で、勇気を出して話し始める人は多いよう。ナターシャさんの場合もそうでした。

進学した農学系のカレッジはのんびりした雰囲気で、動物飼育のコースにはたくさんの動物がいたそう。動物たちに囲まれた環境、そして学校が1対1でTAをつけてくれたことが、ナターシャさんの不安を減少させました。緘動が和らいだのがターニングポイントとなったようです。

かわいい動物たちに話題が集まって、彼女が話さないことがそれほど注目されなかったのかも?それで、以前ほど自意識過剰にならなくて済んだのかもしれませんね。

まずは不安度が下がらないと話す練習もままならないので、環境を変えたことが大きなプラスとなったケースだと思います。そこからかなり努力して、現在までコツコツと緘黙を克服してきたそうです。

どういう縁なのかは判りませんが、ナタリーさんは昨年からリビー・ヒルさんの言語療法センターで働いているとか。そこで場面緘黙に対処できるよう、リビーさんからソーシャルシンキングのセッションを受けたそうです。場面緘黙に対するセラピーは、これが初めてだったということ。

それ以前に不安(多分、社会不安ですね)に関連するセラピーを何度か受けたそうですが、緘黙状態は改善しませんでした。多分、学校の環境が変わらなかったため 、不安を下げることができなかったんでしょう。それでも、誰かが気にかけてくれることは重要ですが…。

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<SMiRAコンファレンスより>

ナターシャさんの緘黙克服法

  • 実現可能な、毎日の小さなゴールを定める
  • 微笑みやジェスチャーも進歩の印とする
  • 家族や親戚に文書でメッセージを送ることから始め、徐々に難度をあげていく

ナターシャさんから家族への願い

もし私が話すようになっても、「よくやった」とか言わないで欲しい。普通のことなんだから褒めたりせずに、他の子と同じように扱って。

(みく注:ナターシャさんは完璧主義の傾向が強いので、他の子と違う扱いをされるのが嫌なんだろうと思われます。子どもによっては、褒めることでどんどん自信をつける子もいます。お子さんの性格を見極めたうえで対応してください)

今はまだ緘黙克服の道半ば。まだまだ、私が緘黙であることを理解して、支援をしてもらう必要があります。

緘黙に苦しむ子や成人は完全主義の傾向が強く、ものを詳細まで見たり、物事を詳細まで考えたりする傾向が強いと思います。だから、写真を撮ることに向いているんじゃないかな。

私にとっては、カメラを持って外に出ること、写真で自分を表現することが助けになりました。

緘黙の克服に取り組んで1年経った19歳の頃、不安が原因で脱毛症になったことも…。ネガティブな思考が頭に浮かぶこともしょっちゅうでした。

でも、「もしこうだったら」と悔やんだり、考え込んだりするのは時間の無駄。

幼いころからの写真やビデオを観返して、自分が誰なのか、何がしたいのか――欠落した部分を探し出そうとしました。自らの不安が作り出した私、ではなく本来の私を取り戻すために。

緘黙は今もまだ私の一部です。まだ不安になることもあって、自分の限界を学んでいるところです。

現在は特別支援の場で働いていて、殆どの人と話すことができます。たとえ何かうまくいかないことがあっても、それでいい、違う形でアプローチすればいい、と思えるようになりました。

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環境を変えるのはひとつの方法ですが、「学校を変えれば、緘黙を治せる」と安易に考えない方が懸命です。環境は変わっても、それが合わないこともあるし、特に人間関係は運に左右されることが多いので。また、「このチャンスに絶対話し始める」とハードルをあげすぎると、かえって落胆してしまい、逆効果になることも…。

ナターシャさんも言ってましたが、緘黙児・の人は完璧主義の傾向が強いです。「これができなきゃ駄目」と頑なにならず、失敗しても「まあいいか」と居直れることも大事。自分に優しく、マイペースでゆっくり一歩ずつ進むことが大切ではないでしょうか?

学校外で話せるようになった子どもが、どうしても学校だけで話せないというケースだったら、転校してみる価値はありそう。その際は、本人の意志を確かめてください。規模が小さい面倒見のよさそうな学校、子どもが得意なことを活かせそうな学校が見つかるといいですね。

緘黙の克服には時間がかかります。思い通りに進まないことも、うまくいかないこともあるでしょう。有能な専門家やセラピストにめぐりあえても、彼らはあくまで支援者。誰かが治してくれる訳ではなく、自分が努力して声を出し、話す練習をしていくしかないんです。

不安で緘動になっていた時期が長かったというナターシャさん。18歳からコツコツ頑張って、21歳の今、100人近くの聴衆の前でスピーチできるようになっています。本人はもちろん、ご家族も長いこと悩み苦しんできたんだろうなと思うと、本当に感慨深いものがあります。

そうそう、ナターシャさんの質疑の時に、最前列の端にいた元緘黙の女性が、「緊張するので前を向いたまま話しますね」と前置きしてから発言したのが印象的でした。自分の不安を減らすだけでなく、周りの理解も得られる不安への対処法ですね。

あと、午後の質疑の時間には、家族以外と何年も話したことがないという女性が、手を挙げて堂々と発言!「周囲が緘黙を理解してくれる人たちばかりだと、話すのがこんなに楽!」と本人も驚いてました。きっと、同年代のナターシャさんが頑張っているのを見て、触発されたんだろうと思います。

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ナターシャ・デールさん(21歳)の緘黙克服

 

イースター休暇

イギリスではイースター(復活祭)の祝日の前後に学校の春休みが2週間ほどあります。ちょっとややこしいのですが、イースターは「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」という決まりで、毎年日付が変わるんです。今年は4月16日で、先週の金曜日から月曜日までが4連休。ちょうど春休みの終わりと重なりました。

今年のイースターは、3年ぶりにバース南郊外の義妹夫婦宅に家族が集結。久しぶりに姪っ子と甥っ子に会ったらスラリと背が高くなっていて、特に足が長~い!残念ながら息子は私や父に似てしまい、ハーフなのに足が短くて可哀想…。ごめん!土曜日に着いて、その夜は子どもたちと一緒に巻きずし作りをしました。

イースター当日は、近くにあるナニー(Nunney)という村にイースターパレードを見に行くことに。実は、今回は義母が腰を痛めていて、あまり歩けない状態だったんです。でも、「なるべく近くに車を駐めれば、ほとんど歩かずに済むよ」と義弟。行ってみて、その言葉に納得--本当に小さな村なんです。

     ちょっと暗いですが、17世紀の馬車宿を改造したパブ/ホテルがある村の大通り(中)。パブの向かい側には中世の城の廃墟があります

運良く、大通りのパブ The George の駐車場に空きスペースをひとつ発見。そこからパレードが行われるという広場まで2分ほど歩くと、なにやらカラフルな帽子を被った人たちが集まっていました。広場の真ん中には、三角旗を飾り付けたトラクターと荷車が…。

川沿いにあるNunney村の広場

この村のイースターパレードというのは道を行進するのではなく、荷車の上にあがってイースター飾りを施したボンネット(帽子)を競い合うというもの。老若男女みんなそれぞれ個性的でしたが、今年はティーンの部の参加者はゼロ。「こんなの恥ずかしくてやってらんない」っていうお年頃なんですかね…。

  年齢別に荷車にあがってボンネットのできを競います。左は年少の部、右は5~7歳の部。

8~11歳の部では、ファッションショーよろしく荷台のうえでウォークも

 成人男性と女性の部。圧巻だったのは本物の花飾りとウサギをのせたこの方(中央)

イギリスらしくワンちゃんの部も!みんな凝ってる割にのんびりムード

パレードが終わった後は、川にプラスティックのアヒルを浮かべて順位を競うダックレース。残念ながら、私たちが着いた時にはアヒルは既に売り切れてました。

 川に浮かぶ500匹のアヒル。仲々流れないなと思ったら、ちゃんと流す係の人が

アヒルが橋の向こうに行ってしまうと、ダックレースの途中ですがここで解散という感じ。ぞろぞろ歩いてパブで喉を潤し、家路につきました。ランチの後、ダイニングテーブルの上は箱入りのイースターエッグ型のチョコレートの山。これでもかというほど食べましたが、全く食べきれず…。

夜はお決まりのローストディナー

イースターマンデー(復活祭の月曜日)のお楽しみは、ゆで卵に絵を描いてぶつけあう遊び。息子はもうとっくの昔に卒業しましたが、姪っ子と甥っ子は嬉しそうに興じてました。こうやって伝統が受け継がれていくんですね。

浅田真央さん、お疲れ様でした!

一昨日、どなたかがあげてくれた動画で、浅田真央さんの引退会見を観ることができました。白いジャケットを着て髪をひとつに束ねた真央さんは、清々しくてとても晴れやかな表情。もう心の整理が済んで前を向いてるんだなと思った反面、やはりこんな形で引退となったのが残念でなりません…。

その潔さは、とても彼女らしいのですが…。

長年日本フィギュア界を牽引し続けてきた国民的なスケーターにふさわしく、氷上で惜しまれながら競技人生を終えて欲しかった。

女子では歴代5人目となるトリプルアクセル(3A)をまだジュニア時代に成功させ、以来ずーっと跳び続けてきた真央さん。調子が悪い時も、「浅田真央の代名詞」と言われた3Aにずっとこだわり続けてきました。2012年くらいから腰痛に悩まされることが多くなり、昨年は左膝に故障を抱え、滑り込みができなかったとききます。

どんな時も言い訳せず、可能な限り最高の演技を目指すアスリート魂がすごい! 頑固すぎると言われることも多かったですが、そのひたむきさ、真っ直ぐさを本当に尊敬します。

オリンピックの金メダルを獲得することはできませんでしたが、バンクーバーでもソチでも、女子シングルでは彼女の演技が一番心に残っています。

2010年バンクーバーオリンピックの前年、真央さんは絶不調だったんですよね…。シニアにあがって初めてグランプリファイナル出場を逃し、オリンピックに出場できるかどうかは、全日本選手権にかかってました(ちなみに、グランプリシリーズでは、3Aは6回中1回しか成功してません)。

日本中のファンが固唾を呑んで見守る中、全日本のショートプログラム『仮面舞踏会』では、躊躇なく3Aに挑んできました。演技を終えたあとのキラキラ笑顔が本当にまぶしかったです。(この時の3Aは解説が「大丈夫」と言ってますが、回転不足と判定され減点でした)

バンクーバーオリンピックの伝説のフリープログラムでは、ご存知のようにミスが出てしまいましたが、それを補って余りあるほどドラマチックな演技。妖精のようなイメージが強い真央さんですが、ここでは戦う阿修羅王のよう。特に、スパイラルは鬼気迫るものがありました。

  ラフマニノフが19歳の時に作曲した『鐘』は、迫りくる大火への警鐘の鐘だそう。1つの試合で初めて3Aを3回成功させ、ギネス記録となりました

2014年ソチオリンピックのフリー演技は、今後もフィギュア史で語り継がれていくんじゃないでしょうか?金メダル候補だったのに、ショートプログラムではまさかの16位。引退会見では「もう日本に帰れないと思った」と言ってましたが、想像を絶する落胆とプレッシャーだったと思います。それを跳ねのけてのあの演技!本当に感動しました!(一緒にTVを観ていた息子とグラニーが、私の力の入れようにビビッてました)

そして、演技し終わった時の涙と笑顔…。こんなドラマをオリンピックで2回も繰り返すなんて、やはり持ってる人です。

  2度めのオリンピックに再びラフマニノフを選んだタラソワさん。彼女の選曲と振り付けは、真央さんの新たな魅力と可能性を引き出したように思います。この二人が引きおこす化学反応は特別でした

(ところで、このプログラム、8回の3回転ジャンプを組み込んだ女子フィギュア史上最高の難度だったんです。合計142.71は自身の最高得点でしたが、私は「えっ、低い」と思いました。2つのジャンプで回転不足判定があって減点されてますが、技術点の基礎点は1位。でもGOE(出来栄え点)が少なく、芸術点といわれる演技構成点は5位だったんですよね…で、フリーの順位は3位。バンクーバーの後、佐藤コーチについてスケーティングもジャンプも1から見直し、滑りは格段に美しくなったと思います。でも、その努力が点数に反映されていない…。

「最終グループで滑ったら、もっと演技構成点が出た」と評論家がいってましたが、それって変じゃないですか?そして、ジャンプの判定もいまどき目視だけって時代遅れでは? 毎年のようにルールが変わり、見た目と点数が乖離してることも多いので、フィギュア観戦はモヤモヤ感が消えません)

実は、私は天才少女と呼ばれていた頃の真央さんには、あまり興味がなかったんです。昔からフィギュアを観るのは大好きでしたが、渡英してからはフィギュアのTV放送なんてなくて。忘れかけていた頃にトリノオリンピックを観て、再びフィギュア熱を取り戻したのでした。インターネットがあって、本当に良かったです。

その後帰国するたびにフィギュアの大会をテレビ観戦する機会に恵まれたんですが、男子を中心に観てたんです。ある冬(2008年かな)、真央さんが黒い衣装を着て『仮面舞踏会』を踊っているのを観て、「あの真央ちゃんが、こんなすごいプログラムをやってるんだ!」と驚かされました。

以来、割とのめり込まずに傍観してきたつもりなんですが、やっぱり唯一無二の存在だったなあと。ふわりと軽いジャンプと所作の美しさ、演技のどこを切り取っても美しく、とにかく気品がありました。常に前を向き、努力する天才でした。何といっても、スケートが大好きという気持ちが伝わってきて、彼女の生き様を見せてもらっているようでした。

彼女のほどのスケーターは、今後なかなか現れないと思います。淋しいけれど、ひとつの時代が終わりを告げたんですね。

真央さん、今まで本当にご苦労様でした。感動と勇気を与えてくれてありがとう!

今後も笑顔で前に進んでいきたいという彼女に、心からエールを送りたいです。

ナターシャ・デールさん (21歳)の緘黙克服

SMiRAコンファレンス2017年の講演内容の続きです。

ナターシャ・デールさん 『SM–My Recovery 場面緘黙――私の回復』

次に登場したのは、ここ4年間でかなり緘黙を克服しつつある21歳のナターシャさん。7歳の頃から緘黙に苦しみ、学校では緘動で動けなかった時期も長かったそうです。緘黙克服への道を歩み始めたのは18歳と、年齢的にはかなり遅い時期。

緘黙期間が長いと社会不安障害やパニック障害、OCDなどを併発する可能性も高くなり、克服はより難しくなるといわれます。でも、ナターシャさんは現在ほとんどの人と話せるようになっているとか。年齢が上の人たちにとって、とても励みになるんじゃないでしょうか。

今回のSMiRAコンファレンスは満席に近く、参加者は90名を超えていたと思います。後ろの方に座っていたナターシャさんが、かなり緊張した様子で登壇した時、大丈夫かなと少々心配になりました。が、原稿を棒読みしている感じは否めなかったものの、しっかり聞こえる声でひと安心。ナターシャさんがスピーチを終えると、会場は温かい拍手に包まれました。

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<スピーチの内容>

場面緘黙だった時は、まるで2人の私がいるみたいでした――学校での私ナターシャと、家での私タッシュ。

学校では緘黙が私を支配し、常に大きな不安に押しつぶされそうでした。体が硬くなって姿勢が悪くなり、たびたび腹痛に襲われて…。世界から自分が隔離されてるような感覚だったんです。

家では不安から開放され、本当に安堵しましたが、ものすごい疲労感も…。

緘黙が私の人生を支配し、私には何の主導権もなかったんです。いつも誰か理解してくれる人が側にいてくれれば、と願っていました。

私が緘黙を克服し始めたのは18歳の時。もちろん、それ以前にも一生懸命話そうと試みましたが、そうできる環境じゃなかったんです。

学校は騒がしくて、そのために不安が増しました。学校スタッフは緘黙についての教育を受けてなくて、緘黙のアセスメントもIEP(Individual Educational Plan 個別教育支援計画)もなかったんです。

もしも、席順を配慮してもらえていたら――

体育や音楽やドイツ語などの授業、ランチを食べる学校のカンティーン(全生徒用の大食堂)など、何らかの配慮をしてもらえていたら――もう少し楽になっていたかもしれません。

転機が訪れたのは、18歳になってカレッジに進学し、動物飼育のコースを始めた時。

5年ぶりに家族以外の人と話せました。動物がいて、微笑んだりジェスチャーを使えることが多かったのが功をなしたと思う――今考えると、アニマルセラピーですね。

でも、話せたからといって、誇らしくは感じなかったし、決して楽しい経験ではなかった…。

とにかく、話そうと試みる回数を増やすにつれて、徐々に話すことが楽になっていきました。

母がウサギを飼わせてくれたこともすごく助けになりました。ブランブルという名前をつけて親しんだことが、ポジティブな効果を生みました。

毎日庭に出て、ブランブルに話しかけてたんです。

あと、TVのコメディ番組からも学ぶことも多かったかな――人生にはポジティブな面もあるって。時には、自分の失敗を笑い飛ばすことも大切だって。

自分の他にも緘黙に苦しむ人が大勢いると知り、自分の話を共有しようという自信が持てました。私だけじゃなかったんだと。

それで、昨年7月にFBに『Selective Mutism Recovery–Natasha’s Story 場面緘黙からの回復--ナターシャの話』を開設したんです。

追記:ナターシャさんの現在のブログは『I am not Shy:I have Selective Mutism』でした。リンク先を追加しますね。

https://www.facebook.com/Iamnotshyblog/

https://iamnotshyblog.wordpress.com/

それまで色々なタイプのセラピーを受けました。でも、殆どのセラピストは私のこと、緘黙のことを理解していなかったと思います。

それでも、セラピーを受けたことで不安を減らすことができ、自分の夢を追うことができました。

ずっと何かを成し得たいと思いつづけてきて、最終的にはカウンセラーになることが目標なんです。

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このスピーチは当時のメモを見ながら書きだしたのですが、抜けている箇所や誤解している箇所もあるかもしれませんのでご了承ください。

長くなってしまったので、続きは次回ご紹介しますね。

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春の海

学校のイースターホリデーが始まった先週末、主人の友達の誕生会に呼ばれて、家族でブライトンまで行ってきました。過去3回ほど行ったことがあるのですが、いずれも結婚する前のこと。街のシンボルとして有名なパビリオン内を見学したことがなかったので、今度こそと楽しみにしてました。

ブライトンの象徴ともいえるロイヤル・パビリオン

運良く好天に恵まれ、そぞろ歩きにちょうどいいくらいの暖かさ。土曜日だったので、歩行者天国でマーケットも開かれてました。

可愛いらしいショップがたくさんあって寄りたかったのですが、男性陣は目もくれず…カフェを探してどんどん先に行ってしまうんです

お昼はイタリアンカフェでお得な3コースランチ。前菜のエビのカクテルはすごいボリュームでした。メインは久しぶりにカルボナーラのパスタを食べたのですが、こちらもたっぷりした量。

  エビのカクテルとスライスしたバナナに甘いトフィーと生クリームをたっぷり加えたバノフィーパイ(右)。1972年にイギリスで発明されたスィーツなんだとか

腹ごしらえした後、ロイヤル・パビリオンへ。元々は18世紀後半にまだ皇太子だったジョージ4世が建てた別荘だったそう。その後、海水浴が流行しブライトンの街はファッショナブルな保養地に発展。国王になったジョージ4世は、1815年に建築家ジョージ・ナッシュに依頼して、手狭になった別荘を現在のオリエンタル趣味の離宮へと大改装させました。

外観はインド・イスラム風ですが、内装はシノワズリ趣味で豪華絢爛。そこかしこに龍のモチーフがあしらわれ、これでもか(笑)というほど金襴の飾りが--当時の東洋に対する興味と憧れに満ちています。あと、召使たちが通る長い廊下が延々と続いているのが興味深かったです。

     天井が高くて明るいキッチン。蓮の花を模った巨大シャンデリアが見事な宴会室へと続きます

ヴィクトリア女王は狭くてプライバシーが守れないという理由で、1850年にこの離宮をブライトン市に売却しています。当時、殆どの家具はロンドンに移されたそうですが、後になってシャンデリアや壁紙などを戻したんだとか。第一次世界大戦時には、イギリス軍として戦い負傷したインド人兵士たちのための病院として利用。インド風の外観から親しみを感じてもらえると考えたそうなのですが、中は中国風でビックリだったかも…。

次はパビリオン内にあるブライトン博物館を見学。陶器、20世紀の家具調度、古代エジプト文明、パフォーミングアートなど、雑多なコレクションが。主人の友だちによると、昔は無料だったそう。

この後、観光客のメッカでもあるブライトンピアーへ。天気がいいので家族連れや若者でいっぱい。ピアーの一番先は遊園地になっていて、ジェットコースターやメリーゴーランドなども。こんなところに造り付けちゃって、安全面は大丈夫なのかな…。

 

ブライトンの海岸は砂浜でなく小石の浜です

  日暮れにホテルのカフェで少し休んで、徒歩で丘の上にある友達宅へ

翌日の朝は、まずサウスダウンズ・ヘリテージセンターに向かいました。展示とかは少なくて、巨大なガ―デンセンターとカフェという感じ。気候が良くなったのでガーデニングを始める人が多いのか、巨大な駐車場が結構いっぱい。

白い蔓バラのクレア・オースティンが枯れてしまったので、代りをゲット

お昼過ぎにブライトンマリーナで主人の友達家族と合流。白い絶壁に沿ってぶらぶら散歩し、先端近くにある小さなカフェでランチとおしゃべりを楽しみました。

その後、ブライトンの北側にあるエドワード王朝時代の屋敷、プレストンマナーに寄りました。閉館時間に近かったためか、ビジターは私たちだけ。他に誰もいなくて、規模も小さかったためか、誰かの家に招かれたような親密な雰囲気。当時の上流家族の暮らしが、肌で伝わってくるようでした。

 

メインの寝室の向こう側には、夜中でもすぐアテンドできるようメイド長の部屋がありました。他のメイド達の部屋は屋根裏に、バトラーを始めとする男性召使いの部屋は中地下にあったそう。地下室では、洗濯やアイロンかけ、靴の手入れ、食事の支度などが行われ、各室で用事がある時は、地下でベルが鳴るという仕組み。

家族の優雅な生活を支えるため、召使いたちが頑張ってたんでしょうね…。

場面緘黙克服のために抵抗力(Resilience)を高める

2017年SMiRAコンファレンスより

SLT(言語療法士)アニータ・マッキアナンさんの講演『場面緘黙克服のために抵抗力(Resilience)を高める』

実は、当日地下鉄工事のため予定していた電車に乗り遅れ、講演会が始まってから会場入りした私。すでに満席に近くて、空いている席がなかなか見当たらず…。昨年より参加者が増えたという印象でした。

やっと見つけた席につくと、既にSMiRAコーディネーターのリンジーさんの挨拶が終わり、アニータさんの講演が進行中。

講演者のアニータさん(右)

現代のカウンセリングの基礎である、来談者中心療法(Client-Centered Therapy)を創始した、アメリカの臨床心理学者、カール・ロジャーズの「Actualizing  Tendency (自己現実の性質)」について話しているところでした。

あとで調べたら、これは「人間には有機体として自己実現する力が自然に備わっている」という説。アニータさんは、緘黙の克服には生まれつき備わっている困難に抗う力、Resilienceを高めることが重要と考え、その方法を話してくれました。

 

<アニータさんによる場面緘黙の説明>

    子どもが初めて場面緘黙になった時:

     怖い体験  →   Fight or Flight(戦うか逃げるか)の本能的な反応 

                           ↓    

              脳からの信号により 喉がしまったような状態に                                                                                                                                                                ↓  

                  同じような恐怖に襲われそうになると、無意識のうちに同じ反応がおきる

               ★この反応が繰り返されることで、緘黙が定着

高い所に行くと足がすくんでしまう高所恐怖症などと同じように、場面緘黙の場合は話さなければならない状況になると、喉がしまったような状態になって声を出すことができない。この反応は無意識のうちに起こるので、本人にはどうしてそうなるのか判らない。

克服法:Graded Exposure(認知行動療法CBTによる段階的な暴露法)

何故話せないのかを本人に説明。スモールステップで少しずつ話す恐怖に立ち向かい、意識的に恐怖を克服していく(アニータさん自身、緘黙ではありませんでしたが、幼少の頃から複数の恐怖症を抱え、それをひとつずつ克服したとか。経験者故に話に説得力がありました)。

<緘黙の克服に重要な3つのキー>

  1. Resilience     抵抗力
  2. Self-Efficacy    自己効力感
  3. Healthy Coping   健全な対処 

1)Resilience 抵抗力を高める

SM児は学校で話せないこと、家庭外で友達や大人と円滑なコミュニケーションを取れないことで、集団やグループの中で孤立しやすく、弱い立場におかれやすい。学校生活が負担になることも多く、長期間の緘黙が人間関係に大きく影響することも。こういった負の状況に負けない抵抗力をつけることが重要。(「反発力」や「回復力」と訳すことが多いようですが、ここでは「抵抗力」という言葉を使いますね)

・肯定的な人間関係 → 家族、親戚、友人など、子どもを囲む社会的なネットワーク作り/ SM児にとって暖かい家庭環境・人間関係があることが必須

 ・感情面での支援     →   ひとりでも信頼できる人がいると、子どもの心境は全く違ってくる/ 友達や愛情を注げるペットを持つことも大きな支援となる

2) Self-Efficacy 自己効力感を育てる

「自己効力感」とは、簡単にいうと自己に対する信頼感や有能感のこと。何か問題がおきた時、「対処できる」「大丈夫」と思えること。自己効力感を育てることにより子どもの自己評価があがり、行動を起こすことができる。

・自分で問題を解決する機会を持たせる → 子どもが自分のアイデアを持てるようにする(親はサポーター役)

・役割や責任を持たせる → 自分のことは自分で

・自分の価値観を持ち、自己防衛できるよう奨励していく

・子どもの興味や才能を伸ばす  → 得意なことや好きなことが、話すことや対人恐怖のバリアを破るきっかけになる

3) Healthy Coping   健全な対処法を身につける

問題に対して健全な対処をするためには、自分の感情を理解してコントロールできることが必要。ネガティブな感情やストレスも人生の一部として受け入れ、自分なりの対処法を身につける。

・大人が模範を見せていく → 理知的な問題解決、問題に立ち向かい、ストレスに耐える姿など

・子どもの視野を広げる → ポジティブな行動や考え方を奨励し、間違いは認め、柔軟性のある対応を

・自分の感情について話せる環境づくり

・大人が自分の人生体験について話す機会を持つ

・緘黙を恐怖症と捉える → 恐怖症は無意識のうちに定着する不合理な思考 → 思考は変えられる → 克服可能

・不安になった時のために、自分なりの対処法を見つけ出す → 呼吸法やマインドフルネスなど、自分にあったものを

★緘黙児は自分の感情について話したがらない傾向が強いので、絵本などを使い誰でも不安になる時があることを理解させる

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3つのキーの他にも、ポジティブな学校環境、助けを求める勇気を持つことなど、いろいろな提案がありました。が、ひとつアニータさんが強調していたのは、「助けを待っているだけではダメ」ということ。イギリスでは緘黙支援が充実していると思われがちですが、参加した保護者たちの多くは「支援不足」を訴えていました。

学校が支援プログラムを準備してくれるといっても、やはり限度があります。政府は各セクターの予算カットを強要していて、特別支援に関しても見直されているのが現状…。場面緘黙のみでは行政からの予算はおりないため、どうしても後回しにされがちなのです。

また、「やっと専門家に会えた」と思っても、専門家が緘黙を治してくれるというものではありません。専門家の提案にそって支援プログラムを遂行していくのは、結局のところ家族が中心。イギリスでも保護者が中心となって、学校に働きかけて協力関係を築き、専門家も巻き込んでスモールステップで克服していくという感じです。それには、本人の努力も不可欠です。

アニータさんは、日常の「小さな機会」を見逃さないようにとアドバイス。例えば、赤ちゃんが産まれたばかりの同級生の家族がいたら、同級生の学校の送り迎えを引き受けたり、近所の子を自宅に招いて遊ぶ機会を設けたり、職場の同僚の家族と出かける機会をもつなど。

アニータさんが担当した子どもの母親は、友達の送り迎えをかって出たとか。初めは何も話せないので、お母さんが間に立って会話を盛り上げていましたが、子どもは徐々に声がでるようになり、友達とも話せるように!以前は通学の際に緊張が強かったそうですが、学校にいくまでの時間を楽しく過ごせるようになったということです(注:子どもの気持ち次第なので、無理強いは禁物です)。

緘黙児にとっては、ほんの小さな変化が大きなステップアップとなります。そのため、保護者には家庭や職場でのソーシャルネットワーク作りを奨励していました。

保護者もシャイな方が多いかもしれませんが、できる範囲で頑張りましょう。小学校高学年になると親の出る幕は少なくなってしまうから、低学年までが頑張りどころかもしれませんね。でも、日本の小学校だと集団登下校だし、他の保護者と会う機会が少ないかな…。

次回は、場面緘黙を克服中のナターシャ・デールさんの講演について書く予定です。

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SMiRAの2017年コンファレンス

 

SMIRAの2017年コンファレンス

学期末でバタバタしていて随分遅れてしまったのですが、3月18日(土)に、イギリスの場面緘黙支援団体SMIRAの定例総会に行ってきました。

今年も全国各地から緘黙児の家族、言語療法士を中心とする専門家やTA(教育補助員)などが集まり、参加者は90名ほど。昨年10月に『場面緘黙リソースマニュアル第2版』を出版したSLT(言語療法士)のマギー・ジョンソンさんとアリソン・ウィンジェンズさん、昨年の講演者でアニマルセラピストのリビー・ヒルさん、BBCに出演した緘黙克服中の成人女性、サブリーナさんなど、錚々たる顔ぶれが揃い、活発に意見が交わされました。

SMiRAコーディネーターのリンジーさん(左)と役員のヴィッキーさん

今年の講演プログラムは:

  • 場面緘黙克服のために抵抗力(Resilience)を高める SLT(言語療法士)アニータ・マッキアナンさん
  • 私の回復体験 ナターシャ・デールさん(21歳)
  • NYの治療プログラム “Brave Buddies” 参加体験 児童セラピスト ルーシー・ナサンソンさん
  • ディスカッション
  • 1月に亡くなった緘黙児、ケイティ・ラフちゃん(7歳)の追悼イベント(希望者のみ)

今回講演した二人のセラピストは、いずれもプライベートでSM治療を行っています。NHS(国民保健サービス)に頼る場合は、長い順番待ちがあるうえセラピストや専門家を選ぶことはできません。また、地区によってサービスにバラつきがあり、宝くじに例えられることも…。

最近イギリスでは、オンラインで言語やコミュニケーションの治療を受けられるプログラム等も出現。料金はかかりますが、プライベート治療の選択肢が随分増えたように思います。

コンファレンスでは資料が配布されなかったため、手書きのメモしかないのですが、講演の概要は追ってKnet会員掲示板と稚ブログで紹介していく予定です(大幅に遅れててすみません)。

追記:

コンファレンスが終了した後、会場となった教会ホールの向かい側にある公園で、ケイティ・ラフちゃんの追悼イベントが行われました。

春の花が一斉に咲き始め日増しに春めいてきていましたが、この日は朝から灰色の曇が垂れ込め、肌寒い気候に逆戻り。どんよりとした曇り空の下、ケイティちゃんの冥福を祈って、自由の象徴ともいえる白い鳩を空に放ちました。

 

イギリス北部の都市、ヨークに住む7歳のケイティちゃんがナイフで殺害されるという痛ましい事件が起きたのは、今年1月のこと。犯人がまだ15歳の少女だったという事実が明かされ、全国的なニュースになりました。

ケイティちゃんが場面緘黙だったこと、SMiRAとの関わりがあったことで、SMiRA役員や関係者、保護者や当事者のメンバーたちの間に大きな衝撃が走りました…。

はにかんだ笑顔が本当に可愛い女の子――ケイティちゃんは緘黙ではあったけれど、みんなと一緒に外遊びをするのが大好きで、友達も多かったといいます。いつもは自宅の庭で遊んでいたそうですが、彼女が発見されたのは自宅のすぐ近くの公園…。

もしかしたら、話せないケイティちゃんを無理やり誘い出したのかも…、叫びたくても「助けて」の声が出なかったのかも…。どんなに怖かったことか――そう考えると本当に切ないし、ご家族の気持ちを思うとやり切れないです。

娘を悲劇の少女としてではなく、自分たち家族を幸福にしてくれた茶目っ気ある美しい少女として覚えていて欲しい――そんなご両親の思いに敬意を払いたいです。

ケイティちゃんのご冥福を心からお祈りします。

https://www.theguardian.com/uk-news/2017/feb/13/funeral-seven-year-old-katie-rough-archbishop-of-york-sentamu