この子話せますか? 息子の緘黙・幼児期 4〜5歳(その2)

久々に「息子の緘黙」の続きです。

幼稚園の延長保育にも慣れてきて、卒園まであと3ヶ月あまり。お隣の小学校への入学も決まっていて、かなり落ち着いた状況でした。

でも、実は上手くいってると思っていたのは身内だけで、その頃息子は園でものすごく寡黙だったらしいのです。知らぬは家族とその周辺のみだったよう…。

当時、『サンダーバード』の実写版映画が流行って、再々々ブームが起きていました。人気バンドによる主題歌も大ヒット中。息子は声が出るトレーシーアイランドの玩具で、毎日ごっこ遊びに熱中。そのお陰で 英語もかなりスラスラ出てくるようになっていました。

イギリス人の子とも交友した方がいいと思い、入園時に乗り物遊びで仲良くなった子とママを自宅に招いたんです。その時、そのママから「ふうん、家では喋るんだね」と言われ、「???」。彼女はよくクラスで手伝いをしていたんですが、「あ、そうなんだ。園では大人しいんだ。私も保育園の頃はすごい内弁慶だったしな」位にしか思わなかったのです。

その後に、新しく同じクラスに入った日本人の女の子(母子ともに付き合いなし)のママに何気なく挨拶したら、「お宅の子、すごいユニークなんですって?」という謎の言葉が…。追いかけて質問するのも気が引け、大きなハテナマークを抱えることになったのでした。

あと、お迎えの時に延長保育の先生に、けっこう英語も話すようになったことを告げると、「園ではT君(親友)に代弁させることが多いので、自分でもっと発言するといい」と。後にT君のママ経由で、この先生が息子とT君を離した方がいいと言っていたことを聞きました。

1年3ヶ月の幼稚園生活の間、若い担任の先生からは特に何の助言もなく、まあまあ楽しくやってるんだとばかり…。その先生は1年終えた時点で退職し(海外に行くため)、新学期からは新しい担任になったばかりでした。

早生まれの息子は、新学期が始まる9月からではなく、1月から小学校に入学する予定でした。その1ヶ月ほど前、つまり卒園の1ヶ月前に、幼稚園で初めての懇談会が行われたのです。

担任が開口一番に言ったのは、「○○君、話せますか?」でした!

その時は主人も一緒だったのですが、二人とも驚いて「は?」という感じ。「もちろん話せます」と即座に答えたのですが、私は「内気で先生に何か言われない限り、言葉を返さないんだろうな」と捕えました。しかし、こういう大事なことはもっと早く言って欲しかった…。

息子は私がお迎えに行くと園内(教室の外)でもすぐに話し始めるので、そこまで寡黙だということには全く気付いてませんでした。それは、息子の親友&そのママも同じだったと思います。多分、大人のいないところでは、M君と普通に話していたんでしょう。

卒園の少し前に、1月から小学校にあがる早生まれの子のための卒園会みたいな催しがありました。10人くらいの子どもと保護者が集まって、担任が子どもの園での歩みを発表。ひとりづつ前に出て担任のところに行き、話す機会が設けられました。

恥かしいのか、全員が小さ目の声で先生の質問に答えていたという記憶があります。息子の番になってカメラを向けると、短かい言葉ですが、 ちゃんと聞こえる声で答えてました。なので、幼稚園では緘黙ではなかったと思ってます。

ちなみに、この幼稚園は自由主義で、子どもが好きな遊びを自主的にどんどんやらせ、遊びを通して学ばせるという方針。みんなで一緒に何かする時間は、読み聞かせをするストーリータイムくらいのもので、先生やスタッフの大人と話す時間はあまりなかったように思います。

今考えると、抑制的な気質が強い息子には、もっと家庭的で面倒見の良い、こじんまりした幼稚園の方が向いてました。でも、当時そんなことは全く思いつきもせず…。

小学校入学に一抹の不安を覚えた私たち夫婦は、小学校の校長に手紙を書くことにしたのでした。

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癇癪が悪化ー息子の緘黙・幼児期4~5歳(その1)

「思いやり」が育ってない?

以前も触れましたが、息子が生まれた2000年にイギリスの国営放送BBCで『Child of Our Time』というドキュメンタリー番組が始まりました。ロバート・ウィンストン教授の解説で、数年毎に2000年生まれの25人の子どもたちの成長を追うもの。周りのママ友達はみんなこの番組を観ていて、よく話題になったものです。

2003年に放映されたプログラムでは、3歳くらいになれば親に何かあったら心配するようになることを実証。例えば、母親が怪我したりしたら、3歳児でも心配して普通は「ママ大丈夫?」と言ってくれますよね?

でも、それまで息子が「大丈夫?」と言ってくれたことはありませんでした。じゃあ、息子には人の気持ちが解らないのかな、思いやりが育ってないのかな、とめっちゃ不安になったのを覚えています。

が、ある日そうではないことが判明しました。何が原因だったか覚えてないのですが、私と主人がケンカ(口論)していた時のこと。息子は主人が私を虐めてると思ったのでしょう。泣きながら主人の脚にくらいついて、「ダメ!」と抗議してくれました。

あっ、息子が私のことを心配してくれている――その時の感激は今でも忘れられません。

その後、普段は丈夫な主人が風邪をひいて寝込んだことがありました。息子の様子をうかがうと、主人の側に近づこうともせず、何だか避けているような…。それに、いつもより私に纏わりついてくるんです。どうして?

二人になった時「どうしたの?」と訊いてみたら、「ダディ、違う人になったみたいで恐い」と言うのです。そういわれてみると、主人は体調が悪いためかブスっとして口数も少なく、ネガティブな雰囲気を撒き散らしていました(笑)。息子はいつもと違う主人の様子を敏感に感じ取り、怖がっていたんですね。

それから徐々に、どうやら息子は細かいところまで色々気づいているけれど、自分の気持を口や行動に出すのは苦手なんだなということが解ってきました。

DVDで一緒に『ムーミン』の映画を観た時、息子は登場人物たちがスニフの臆病な行動をからかう場面にものすごく反応して、「かわいそう…」と。変なところで反応するな、とその時は不思議に思ったんですが、息子にはスニフの気持ちが良く解ったみたい。

また、私にだけ癇癪を起こすことが多いのは、どうも「マミーは自分のことは何でも解ってくれているはず」との思い込みがあったよう。息子が小3くらいの時にそれに気づき、「マミーはあなたじゃないから、頭の中で何を考えているかは解らない。ちゃんと言葉で説明してね」と話すようにしました。私のこと、一心同体だと思ってたフシがあります。

息子が自分の意見や気持ちを口にする様になったのは、小学校の高学年になった頃からだったでしょうか。私が息子の友達に言った言葉や何気なくとった行動を、後からたしなめられたりすることも…。とても友達思いのところがあることに気付かされました。

そして、今年16歳になった息子は、人の気持ちを考えすぎて、なかなか「No」と言えません。そんなに自分が我慢せず、もっと自分勝手でもいいのに、と思う今日このごろです。

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息子が初めて育てた世界で一番小さい(?)トマト

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「ごめんなさい」がいえなくて

「ごめんなさい」がいえなくて

たいていの緘黙児は、例え話せる人にでも「こんにちは」や「さようなら」などの挨拶がなかなかできません。親しい間柄でも「ありがとう」の言葉が出にくいようです。何か間違いをしたとき、家族にでさえ「ごめんなさい」と言えないことが多いかもしれません。

その理由を考えてみると、これらは日常の挨拶や習慣の言葉で、「言うのが当たり前」だからじゃないでしょうか?

子どもが、「この子はこう言うハズ」と予期している相手の空気をいつも感じているとしたら、結構なプレッシャーじゃないかと思うのです。多分、子ども自身は「ここで言わなきゃいけない」と明確に意識してる訳じゃなく、漠然と場の空気を感じてるだけだと思うんですが。

また、一度言えなくて注意されたとすると、次はその記憶が手伝って余計言えなくなるということもあるかもしれません。

子育てをする上で、特に母親は子どもの行儀作法をしっかりしつけたいと願うものです。子どもが小さい頃、「ありがとうは?」「ちゃんとバイバイしようね!」などと、頻繁に促してませんでしたか?

私は――やってました。今思えば、息子には細かいところまでかなりガミガミ言ってたと思います…。新米母親だったし、ちゃんとしつけなきゃと一生懸命でした。超敏感な子どもの性格なんかお構いなしに。

緘黙の子どもの中には、感覚過敏がある子が多いという統計がでています。今はそれほどでもないですが、うちの息子もそうでした。触覚、聴覚、嗅覚、味覚などが、めっちゃ鋭い。それだけでなく、周囲の反応や雰囲気、場の空気に対して、とても敏感に反応することが多かったように記憶しています。観察力もけっこう鋭い。(この特性は場面緘黙がASDと混同されてしまう理由のひとつと思うのですが、それはおいておきます)。

この周りの空気を感じ取る敏感さが、緘黙児が挨拶できない要因のひとつになってると思うんです。それと、息子についていえば、頑固というか、すごく意固地なところがありました。

親が「○○しなさい」というのは当たり前とはいえ、今思うとうちの子にとってはガミガミ言うのがすごくマイナスだったような…。やらせようとすると、「やらせられる」と敏感に感じとって、意固地になってやりたがらない。幼児のプレイグループでは、私は子ども達に何かやらせるのが結構うまかったんです。他の子はみんなやってるのに、自分の息子だけやらないという…。

息子が4歳か5歳の頃だったと思うんですが、ある日何かの拍子にコップに入っていたジュースを大量にこぼしてしまったことがありました。私が「あ~、こぼれちゃた!」と大声を出し、慌ててキッチンペーパーを持ってきて拭いている間、息子は何もしないんです。「ホラ、一緒に拭いて」と言っても、動かない。

あれっと思って見ると、その場で固まってました。こぼしてしまったショックから全然立ち直ってなくて――こぼしてしまった自分に唖然としている感じ。私の態度や場の空気が急に変わって、「怒られる」と思ったのもあったかもしれません。

「あ、この子は私が思ってるより、もっともっと繊細だったんだな」と気付きました。

片付けてから、「こぼれちゃったのは仕方ないね。こういう時はすぐ『ゴメンナサイ』っていおうね」とゆっくり話しました。それまでは、息子の状態をしっかり見ずに、「ゴメンナサイは?」「駄目じゃない」と叱っていたかも…。

このことがあってから、私は小さいことでも頻繁に「ありがとう」や「ごめんね」を言うようにしました。主人に対しても、息子に対しても。そうしたら、これらの言葉に対する息子の抵抗が、徐々になくなっていったような気がします。

「押し付けられた」と感じると意固地になっちゃうし、プレッシャーと感じると殻に閉じこもってしまう――息子の小さい頃はそんな難しさがありました。

敏感な子どもには、その子どもに合ったしつけや対応の仕方が必要かもしれません。

 

声を出す練習を!

場面緘黙の人は、自分から話しかけるのが苦手です。でも、自分から言葉を発しないと、話す機会がかなり減ってしまいます。学校で話せない分、家で家族と話せているでしょうか?

中学生にもなると、親と話すのはかったるいかもしれません。干渉されたくない気持ちも強いでしょう。でも、兄弟姉妹とは気軽にオシャベリできていますか?学校外でもあまり話さないでいると、だんだん自分が話せないような気持になってしまいませんか?

私は緘黙ではありませんでしたが、ものすごい恥ずかしがり屋でした。特に、小学校の頃は授業中に発言するのが怖ろしく、緊張して声が小さくなりがちでした。先生に、「もう少し大きな声で」と言われると、余計恥ずかしくて、声がくぐもってしまうことも…。休み時間に親友と話している時は普通なのに、先生が近づいて来たりすると、途端に小声になったり。今思うと、意識しないうちに、身体が緊張してしまっていたのかな…。

緊張すると、音量の調整をするのが難しくなるような気がするんです。シャイな人にとって、適切な音量でハッキリ発音することって、結構難しいんじゃないでしょうか?私は大人になって随分面の皮が厚くなりましたが、まだたまに「えっ、聞こえない」と言われてアセルことも。

緘黙になる人は不安が強いため、あまり話さないでいると、人に話しかけるのが余計に怖くなる傾向があるよう。話しかけるタイミングとか、音量とか--自信がないので、うまくできないような気持ちに陥ってしまうのです。

少しずつ自信を回復するには、やはり実際に声を出して話す必要があると思います。家でも黙っていることが多い人は、なるべく意識して声を出してください。勉強してる時は声を出して暗記したり、教科書や本を音読したり、歌でもいいんです。

あと、声を出す練習に、携帯やPCの音声操作アプリが使えます。私が知ってるのは、iPhoneとiPadのSiriとOK Googleくらいですが、もっとありますよね?これらのアプリを操作するには、ハッキリものを言わなければなりません。自分が言った言葉が即座に文字化されるので、目で確認できます。特に、Siriは返事が返ってくるので、会話の練習にはちょうどいいのでは?なかなか面白い返事がかえってきたりして、結構楽しめます。 

アプリで話すことに慣れてきたら、次はあまり家の近くじゃない、気軽に入れるお店(コンビニ、本屋、ドラッグストア等)に行って、頑張って店員さんに話しかけてみましょう。「すみません」「○○はどこにありますか?」「ありがとう」という感じで。

これを何度か繰り返し、自信がついてきたら、もう少し長い質問をしてみたり、言葉を増やしてみてください。駅に行って観光地までの行き方を訊ねるとか、電化製品のお店で新しい製品について訊ねるとか、図書館で本を推薦してもらうとか。

知らない人に何かを訊ねるのは、知っている人より気楽だと思うのですが、人によってそれぞれです。まずは自分が一番楽な人・方法を探してみてください。(良かったら、サキ君のビデオを参照してくださいね https://www.youtube.com/watch?v=lA4-GSJxUac)。

今は誰もが携帯やPCを持ち、電話でオシャベリすることも減ってしまいました。でも、リアルで会話をすることは、本当に大切だと思います。

もちろん、SNSで友達などとメッセージのやり取りをすることも大切。コミュニケーションの手段を色々使いこなして、少しずつ緘黙を克服していけるといいですね。