2018年SMiRAコンファレンス(その4)

場面緘黙のセラピー  SM Therapy

SMiRAのホームページを見ると、『場面緘黙の支援の求め先一覧』は1で、その後に2『SMのセラピー』、3『SMについて学ぶ』、4『SM情報』と続きます。この4つの情報があれば、子どもの場面緘黙を発見したばかりの保護者や大人の当事者が、すぐ行動を起こすことができそうです。

ただし、すぐ行動したからといって、緘黙克服は長期戦だし、学校や担任に当たり外れがあるので、速攻で支援を得られるという保証はありません。また、全部の項目をスルスルとクリアできる訳はなく、いっぱい壁に突き当たりながらの長旅になると予想されます。

それでも、まず家族が理解して周囲に支援を求める姿を見れば、子どもは心強いし、親子の信頼も深まるはず。学校や専門機関とのやり取りは、時間もストレスもかかりますが、とにかく早いスタートを切ることが肝心だと思います。

Info: Where to Get Help with Selective Mutism

SM児に対するセラピー(英国の場合)は、下記のプロセス(かなり簡略化されてます)を踏んで行われます。

  1. 家庭と学校でのSM教育
  2. 家庭、学校、その他の身近な場所で、子どもに対する大人の応答や行動を変える
  3. 子どもに場面緘黙について説明し、治療・克服方針を決める際にできるだけ子どもに関与させるようにする(子どもの意見を取り入れる)
  4. 『新SMマニュアル』に沿って、学校で*定期的な介入セッション(週3回が理想的)を行う。セッションは保護者(もしくは子どもが自由に話せる人)と学校のキーワーカーによって行い、子どもがキーワーカーに自由に話せるようになったら、保護者はセッションから退く。定期的なセッションを一貫した一貫して行えば、子どもがキーワーカーと話せるようになるまでに何か月もかかることはない
  5. 保護者はスモールステップ方式で、学校外でも話せるようにしていく
  6. より多くの場面・人と話せるようになるよう、機会を増やしていく(一般化)

注:4)の学校における定期的な介入セッションは、スライディング・イン法(Sliding In:SM児が自由に話せる人を架け橋に、徐々にキーワーカーに話せるようにしていく)ですが、他にシェイピング法(Shaping:徐々に声を出せるようにする)から始める方法もあります。

スライディング・イン法で、キーワーカーと自由に話せるようになったら、次はキーワーカーを介して話せる人を徐々に増やしていきます。その速度や人数などは、進行状況や子どもの状態によって異なるため、その子にとって現実可能なチャレンジを行うことが重要。

(みく注:3)子どもにSMについて説明する――保護者にとって子どもに緘黙のことを告げるかどうかは、悩むところだと思います。以前これについて書いたので、良かったらご参照ください(『告知するかしないか(その1)』

スライディング・イン法で、キーワーカーと自由に話せるようになったら、次はキーワーカーを介して話せる人を徐々に増やしていきます。その速度や人数などは、進行状況や子どもの状態によって異なるため、その子にとって現実可能なチャレンジを行うことが重要。

要となる 4) の学校でのセッションについてですが、これは日本ではすごく難しいですよね…。イギリスでも実際にやってくれる学校はそれ程多くなくて、途中でうやむやになったり、うまく進まないケースも耳にします。保護者が放課後の教室や校庭を借りて、自己流のセッションをするケースも。

また、一番下の欄に、「SMは子ども(人)が誰とでも不安なしに話せるようになった時、真に克服できたといえる」とあります。

これも以前も書きましたが、私自身は緘黙ではなかったものの、小さい頃はかなりの内弁慶で、小学校では常に緊張していました。特に、授業中に発言しなければならない時、緊張がマックスに。当時は、先生にため口をきける子が信じられなかったです。イギリスの小学校では、先生と生徒の距離が近いと感じますが、それでも全く不安なく話せるようになれるのかは疑問です――子どもの性格によると思うので。緊張はしても普通に受け答えできるようになったらOKじゃないかな?)

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2018年SMiRAコンファレンス(その1)

2018年SMiRAコンファレンス(その2)

2018年SMiRAコンファレンス(その3)

2018年SMiRAコンファレンス(その3)

「SMiRAによる『場面緘黙の支援の求め先一覧』の紹介」Introducing SMiRA’s “How to Get Help for SM” chart

次に登場したのは、SLTでSMiRA事務局メンバーのスザンナ・トンプソンさん。彼女はSMiRAのFBグループにおける常連アドバイザーで、とても頼りになる存在。でも、トレードマークのピンクの髪がブルーに変わっていて、一同ビックリ(笑)。日本では考えられないことですが、イギリスの学校には髪を派手な色に染めたり、入れ墨が見える服を着たりしている教育関係者がけっこういるんです(笑)。各学校によって方針は異なるものの、髪型、服装、宗教など本人の趣味や主張に対して寛容だなと思います。

講演は題名の通り、SMiRAが作成した「イギリスではSM支援をどこに求めればいいか」をまとめたチャートの紹介でした。この表はSMiRAホームページで検索することができます。

http://www.selectivemutism.org.uk/info-where-to-get-help-with-selective-mutism/

自分または知っている誰かが、ある場面では自由におしゃべりできるのに、他の場面では全くできないと気付いた時:

1) まず最初にすべきこと  → 場面緘黙について学ぶ

(場面緘黙が疑われる場合、環境や対応の仕方を変え始めるのに診断は不要)

2) 次に、気づかないまま緘黙を持続させる原因となっている大人の行動を見分け、その行動を変える

3) どうやって・どこで支援を得られるか見つける

チャートでは、公的・私的な支援を求める前に、まず緘黙の知識をつけることからスタート。そして、周囲が応答や環境を変え始めることが先になっています。

これは、適切な支援を得られるまでに時間がかかるケースが多いためかな?今すぐできるのは家庭での対応を変えることですよね。家族が味方と解れば、SM児(人)は心強いはず。

イギリスでは、子ども(17歳まで)と成人(18歳以上)とで支援先が異なります。子どもの場合は、SMiRAの資料を持参して学校のSENCo(特別支援教育コーディネーター)に相談するのが第一歩。一方、成人の場合は、GP(主治医)を訪ね、SMもしくは社会不安の専門家に紹介してもらう手順。でも、大人の場面緘黙はまだそれほど認知されていないため、治療者確保が難しいかもと注意書きがあります。

表の右下は、専門家の支援を得られないケース。

その場合は、保護者と学校、もしくは本人主導で介入を行います。SM支援のトレーニングを受けたSLTや心理士の支援の有無にかかわらず、『新SMリソースマニュアル』を参考にした克服法は効果大とあります。

イギリスでは住む地区や通っている学校によって、支援体制の有無や支援の程度が全く異なります。現在、場面緘黙の認知度はかなり高くなっていますが、支援や治療が得られるかどうかは宝くじみたいなもの。まずは家庭でSM児(人)の問題を認知し、大人が対応を変え、周囲へも啓発していくことが大切といえそうです。

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2018年SMiRAコンファレンス(その1)

2018年SMiRAコンファレンス(その2)

2018年SMiRAコンファレンス(その2)

日本語の生徒さんと初めてのGCSE試験に取り組んでいる間に、すでに10日が過ぎてしまいました。イギリスは晴天が続き、今日は飛び切りの青空の下で、ハリー王子とメガンさんの結婚式が無事終了。式の時間帯に食料を買いに出たら、お店はガラガラで人通りもまばらでした(笑)。

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「恐怖の顔を変える Changing the Face of Fear」

2018年SMiRAコンファレンスの1番バッターは、SLT(言語療法士)でSMのための臨床ネットワーク団体事務局長のアナ・ビアバディ・スミスさん。

まず、「花という言葉から何をイメージしますか?」という質問からスタート。

「真っ赤なチューリップ」

「野に咲く白いデイジーの群」

など、会場からは様々な花のイメージが出ました。日本人だったら、季節がら桜の花を連想したかもしれません。

と、導入は楽しかったのですが、そこから脳科学の領域に突入。「ニューロプラスティシティ Neuroplasticity 神経の可塑性(かそせい)」という難しい言葉が飛び出し、頑張ってメモを取ったものの、進行が速すぎて後から見たらチンプンカンプン…。文章のつながりがおかしな部分もあると思いますが、どうぞご容赦ください。

簡単にいうと、以下の脳の働きに着目して「話すこと」への不安・恐怖のイメージを変えることができるというお話でした。

  • 同じ言葉でも人それぞれ持っているイメージが違う。
  • 人が言葉を発する(連想する)までには、イメージやそれにまつわる感情、そこにたどり着くまでの思考がある。
  • 人の行動や決定は意識的にコントロールされるだけでなく、無意識的な機能(潜在意識)による部分もかなり大きい(それまで蓄積された膨大な認識や体験が行動や決定の基盤となっている)。
  • 人にはそれぞれ「世界(外界?)」に対する自分のモデル(世界観?)があり、その「世界」の範囲内でものごとを理解しようとする。
  • 脳は適応可能な状態を維持し続ける → 人は誰でも脳を改善していく能力を備えている → 自助的な神経可塑性が備わっている。

周囲が子どもを「恥ずかしがり屋」「内気」とみなし、そう呼んでいると、子どもは自分がそうだと思い込んでしまう。大人のボディランゲージを読み取り、負のイメージを受け取ってしまう。その結果、塗り重ねた「自分は恥ずかしがり屋」という観念から抜け出すのが難しくなる。

また、不安が強い人・子どもは癖や習慣を持ちやすい傾向にある。

同じ思考や行動を何度か繰り返しているうちに、新しいシナプス(脳の神経細胞を繋ぐ回路)ができあがる。回を重ねることで回路が強化され、その思考や行動が癖になったり、習慣化してしまう。時に、習慣化した癖・行動はやめようと思っても、やめられないほど強くなることもある。

(みく注:場面緘黙の場合を当てはめてみると、最初は反射的に声を出せないことが多いのではないかと思います。次に同じような場面に遭遇した時、黙っていることで少し安心できた(無意識かもしれませんが)と感じる――「黙る」という不安・恐怖への対処法を繰り返していくうちに、それが強化され習慣化してしまう。自分も周囲もそれが「当たり前」になると、周りの反応が気になって声を出すことがますます難しくなります)。

しかし、これらのシナプスは固定化された回線ではないので、癖・習慣を変えていくことは可能。急に変えることは無理なので、スモールステップで少しずつ改善させる。それには、まず周囲が子どもへの見方を変え、態度を変えることが重要。

(みく注:まず、子どもが安心できる環境づくりをすることによって、周囲だけでなく、子ども自身の意識や考え方を変える → 子どもの心の準備ができたら、スモールステップに取り組む)

<スモールステップの注意点>

子どもが不安・恐怖を感じない「安全地帯」から少しだけ出て不安と向き合い、実現可能な目標を作ること。

その時に、子どもの学習タイプが役立つ。

  • 視覚優位型
  • 聴覚優位型
  • 体感優位型

学習タイプにリンクさせると、不安・恐怖のイメージを変えやすい。

まず、不安・恐怖がどんな風に見える/聞こえる/感じるかを探り、子どもの持つイメージ/音/フィーリングなどを変えていく。

不安・恐怖に名前をつけ、「脳の中の小部屋に怖がりのチャーリーが隠れてるのよ」と子どもに説明する。不安や恐怖は子ども自身ではなく、別の存在だと認識させる。その存在のイメージ/音/フィーリングなどを変えていく。

(みく注:緘黙の子どもは、「話すこと」以外にも、「トイレに行けない」「給食が食べられない」「体がうまく動かない」「人の目が気になる」など、他の不安・恐怖も抱えていることが多いです。これらに名前をつけて、絵を描いて可視化することも有効だと思います。

家庭でできることは、「できない部分」ではなく「できる部分を」に着目して、それを言葉にして伝える。例えば、「大人しい」の代わりに、「繊細でよく気が付く」など。人と比べず、その子の良さを見つけ、いいところを伸ばしていくこと。難しいですが、子どもがのびのびできる家庭環境を作れればベストですよね)

ちょっと尻切れトンボになってしまいましたが、主旨はこんな感じでした。脳の可塑性は生涯続くため、何歳になっても自分を変えることが可能とのこと。年齢を重ねると、より時間がかかるということですが、なんだか嬉しく思えました。私たちも、まだ変わることができるんですね。

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2018年SMiRAコンファレンス(その1)

2018年SMiRAコンファレンス(その1)

先月21日、イギリスのレスターで2018年SMiRAコンファレンスが開催されました。例年だと3月に行われるのですが、今年は大雪で延期になり4月に。全国から保護者、学校関係者、専門家など90名ほどが集まり、4つの講演と意見交換会で盛り上がりました。講演の内容は下記の通りです。

  • 「恐怖の顔を変える Changing the Face of Fear」 アナ・ビアバティ゠スミス SLT(言語療法士)&場面緘黙のための臨床ネットワーク事務局長
  • 「SMiRAによる、『場面緘黙の支援の求め先一覧』の紹介 Introducing SMiRA’s “How to Get Help for SM” chart 」スザンナ・トンプソン SLT
  • 「保護者そして教員の視点から見た場面緘黙 SM from a parent and teacher’s perspective」クレア・ニール 保護者&SMiRAコミッティメンバー
  • 「場面緘黙トーキングサークル―場面緘黙経験者による成人のためのサポート SM Talking Circles- Peer support for adults with lived experience of SM」 ジェーン・サラザー 元緘黙当事者

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昨年と変わったことは、会長のアリス・スルーキンさんがご高齢のため正式に退任され、シャーリー・ランドック゠ホワイトさんが会長に就任されたことでした。

前会長のアリスさんは、シニア精神医学ソーシャルワーカーとして働いていた1960年代後半に「話さない子どもたち」に遭遇し、いち早く場面緘黙を研究・支援してきたパイオニア的存在。事務局長であるリンジーさんの娘さんを治療した縁から、1992年に二人でSMiRA(Selective Mutism Information Research Association)を創設。緘黙児支援に尽力されてきました。(実は、2005年に電話でうちの息子を「緘黙」と診断していただき、個人的にも大変お世話になりました)。

今回会長になられたシャーリーさんは、長らくSMiRA役員会のメンバーとして活躍されてきた女性です。元農学研究科学者で現在はセカンダリースクールの教師。20代の緘黙の娘さんがいるため(最近になって良い支援者に巡り合い、現在自立するための準備中だとか)、保護者、教師の立場も理解し、総合的な視点でSMiRAを引っ張って行ってくれそうです。

<シャーリーさんの挨拶より>

場面緘黙を患う子どもは、140人にひとり。イギリス全国だと7万9000で、成人も入れるとかなりの数になります。何と、世界中に約1370万人のSM児がいる計算になるそう。(ただ、私は地域コミュニティの絆が強い国は、発症率が少ないんじゃないかと推測していますが…)。

近年、イギリスでは財政赤字のため、国民医療(NHS)に費やされる国家予算がどんどんカットされています。学校における特別支援教育に対する援助も厳しい状況になってきているのが現状。

そのため、学校や公共機関からの支援を待つのではなく、保護者が学校での介入・対策に積極的に働きかけ、関わることを強調していました。

その際、武器となるのが2016年に改定された『場面緘黙リソースマニュアル(The Selective Mutism Resource Manual)』です。

約500ページに及ぶこの実用書は、緘黙治療の第一人者といわれるSLTのマギー・ジョンソンさんとアリソン・ウィンジェンズさんが最新の知見と治療体験をもとに共著。2001年に初版が出版されて以来、イギリスでは緘黙治療のバイブルと呼ばれ、専門家や学校関係者に高い評価を受けてきました。

改訂版では、最新の情報に加え幅広い克服方法がステップ・バイ・ステップで説明されていて、実践に役立つ情報が満載。マニュアルを購入すると、ウエブ上で膨大な資料にアクセスできる仕組み。(イギリスの学校・教育システムに合わせた実用書なので、日本の学校で活用できるかは不明ですが)

まず保護者がマニュアルを勉強して、介入・支援をリードしていく――難しいことですが、専門家による治療に頼らなくても、理論さえ正確に理解できていれば、自分の子どもの特質を一番よく知っている保護者と現場スタッフで、緘黙支援に取り組めるということ。もちろん、マギーさん著によるSMiRA資料やFBでの意見交換なども頼りにできる場です。「臆せずに、自分の子どものために行動を起こして」と、保護者の後押しをしてくれる挨拶でした。

★お断り:コンファレンスでは講演資料は配布されず、私が取ったメモを頼りに書き起こしています。間違った箇所があるかもしれませんので、どうぞご了承ください。

黒海沿岸の春休み(その3)

ブルガリアの首都ソフィア、プロヴディフについで大きいのが、黒海沿岸にある都市ヴァルナ。ホリデーアパートのあるビャラ(海の白い崖から「白」という地名がついたそう)から車で北へ45分くらいの距離です。ブルガスに比べると洗練された雰囲気なのですが、友達曰く「方言がキツイ」とのこと。その北郊外にあるアラジャ岩窟修道院(Aldadzha Monastrery)に行ってきました。

 遠くから見るとこんな感じ(左)。崖に取り付けた階段を上って岩窟修道院へ

11~12世紀に確立された修道院は、その名の通り40メートルの断崖の洞窟を利用して造られたもの。2つのレベルに分かれていて、上層階には礼拝堂が、下層階には礼拝堂、修道士の個室、台所、食堂など20の部屋があるとか(全部は公開していないよう)。入場料は5レヴァ(約340円)でした。10年前訪ねたリラ修道院のように外国人料金を取られず、高感度大。

     上層階の礼拝堂の床には旅行者が投げたコインがいっぱい(左下)。天井と壁に当時のフレスコ画が残ってます。700メートルほど行った森の中にはカタコンベ(埋葬地+初期教会)も(右下)

狭いし、冬場はめっちゃ寒そう…こんな不便なところで自給自足しながら何十人もの僧が修業を積んでたんですね。村上春樹の『雨天炎天』では、ギリシアのアトス半島でダイハードな修行生活を送るギリシア正教徒が描かれているんですが、多分似たような感じだったんだろうなと想像しました。

それからヴァルナの海辺に移動して、持参したサンドイッチやチーズでピクニック。やっぱり定番のキュウリとトマトが美味しかったです。その後、観光スポットをブラブラ巡ってから帰途につきました。

  

    街のシンボル的存在、ブルガリア正教会の生神女就寝大聖堂(中は撮影不可でした)。シーガーデン近くは歩行者天国

    復活祭で閉館していた海洋博物館の灯台。アイスはやはりヨーグルト味が美味。右はヴァルナを中心に、世界の都市名が刻まれたプレートの地図

夕方アパートに帰りつくなり、「さあ、もう一度海に行くぞ」と走っていった息子と友達。私もお茶を飲んでから行こうと思っていたら、ほどなくして戻ってきました。「潮が満ちて海岸がなくなってた~!」とのこと。

  

窓からのぞいたら本当でした。残念

ところで、前日卵を2ダースも買いこんできて不思議に思っていたら、ブルガリアではゆで卵を着色して絵を描いたり、模様を入れたりするのがイースターの風習なんだとか(イギリスでも子どもが絵を描き、転がしてぶつけ合います)。「今夜茹でておくわ」というので見ると、何とデッカイ鍋で24個全部茹でるって…。「別の卵料理を食べたい人がいるかもよ?」と言ってみたんですが、聞く耳持たず。この後、マッシュポテトに卵を入れようとした夫が激おこでした…(共産主義の時代を経験したから、自己主張が激しくなったのでしょうか?)

 

   翌朝、植物性の染料で卵を着色。イラストレーターでもある彼女の作品はさすが!

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ブルガリア黒海沿岸の春休み(その1)

ブルガリア黒海沿岸の春休み(その2)

黒海沿岸の春休み(その2)

旅行3日目、首都ソフィアに住む友人家族が車でホテルまで来てくれました。「朝早く出て午前中に着く」とのことでしたが、到着はやっぱり2時過ぎ。10年前にソフィアで会った際、「彼が15分と言ったら1時間かかる」ことを体験学習したので、我々は近所のレストランでランチしながら待ったのでした。

頑固なダンナさんはIT関係、奥さんは編集の仕事をしていて、とっても可愛いひとり娘は6歳。2年ぶりの再会を喜び合った後、彼らの車に乗り込み、ブルガスの町で休息してから黒海沿いの1本道を北上しました。途中、大規模な道路の舗装工事をしていて、砂埃をあげながら20分ほどノロノロ運転…。スーパーで食料を買い込み、イザ海辺のリゾートタウン、ビャラ(Byala)?へ。

黒海のリゾート地は、町中から海岸までホテルやショップ、大規模なリゾートコンプレックスが立ち並んでいるんですが、オフシーズンなのでどこもゴーストタウンのようでした。

 Byala の海岸に建つホリデーアパート群

我々が借りた海辺の高級アパートも、30室以上はあると思うんですが、我々と管理人の他は誰もおらず…。実は、予約の際に4軒断られ、かなり高めのアパートを借りることになったのでした。(ホリデーアパートはブルガリア人のセカンドハウスだったり、ロシア人の投資だったり。オフシーズンは管理人もいない所が多く、短期に貸すのは割に合わないよう)

         

でも、ここが大当たり!玄関と同じフロアにあるんですが、切り立った崖の上に建っているため海側から見ると5階なんです。海岸までぐるっと回って2分と至近距離で、しかも人気がないため、殆どプライベートビーチの感覚!こんな贅沢、めったに味わえるものではないですよね。

アパートから海岸へと通じる階段と道

翌日は時間が過ぎるのも忘れて、海岸を思う存分散策。友だち夫婦の案内で、岩がゴロゴロしているワイルドな場所までどんどん歩きました。彼らは何度かこの地区に来たことがあって、観光マップにない場所をいっぱい知ってるのです。

海を向いて左側と右側の風景。真ん中は頑固ものの友人

左側を行くと岩場になっていて、自然の彫刻があっちにもこっちにも

友人(奥さん)曰く、「三つ胸岩」と「トンガリ崖」

知らない間に海辺で4時間ほど過ごし、アパートに戻ったら久しぶりに眩しい光を浴びたせいか頭痛が…。遅い昼食の後、6歳のSちゃんは長いお昼寝、男性陣は昨日のスーパーへ買い出し、女性二人はおしゃべりしてシャワーを浴び、のんびりダラダラの一日を過ごしました。

こういう気分になったのって、もしかして子どもの時以来かも…。時間も何も気にすることなく、なんの目的もなく過ごす一日って、実はものすごい贅沢なのかも。今現実に戻って、つくづくそう思います。

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ブルガリア黒海沿岸のホリデー(その1)

黒海沿岸の春休み(その1)

学校の春休みを利用して、4月3日から10日までブルガリアの黒海沿岸に家族旅行してきました。うち4日間は海辺のホリデーアパートを借り、ソフィアに住むブルガリア人一家と合流。「4月はまだオフシーズンで店は半分以上閉まってるし、まだ寒くて天気が悪いよ」--事前にそう言われて覚悟してたんですが、信じられないほどの好天に恵まれ、殆ど人気のない海岸でめっちゃノンビリできました。

 

まずは、曇り空のイギリスからハンガリーの格安航空会社Wizz Airで黒海沿岸のリゾート、ブルガスへ。夜ホテルに到着してレストランで食事したら、イギリスの物価の半分以下でした。後でわかったのですが、特にここは安くてお得感満載。

  

   夕食にポテトとチキンのグリル・チーズ焼き(約400円)を選んだら、ポテトグラタンでした。朝食に必ず出てくる大切りのキュウリとトマトは、元気いっぱいの味

ブルガスはブルガリアで4番目に大きい人口20万人ほどの都市ですが、オフシーズンのためか人はまばら。5月からの観光シーズンに備え、歩行者天国になっている目抜き通り周辺では大規模な道路工事中でした~。

     

   アレキサンドロフスカ通りにそびえ立つソヴィエト軍の記念碑。共産主義国(1946~1990年)だった名残が感じられます。右のアメリカンチャーチは厳かな雰囲気でした

街の観光スポットは、駅前のアレクサンドロフスカ通り(歩行者天国)周辺と公園(シーガーデン)のある海辺に集中しています。通りをブラブラ歩きながら、行き当たりばったりで教会や博物館巡り。民族学博物館で割引チケットを勧められ、3博物館で8レヴァ(約540円)を選ぶことに。「息子さんは子供料金2レヴァ(約140円)の方が得よ」と、すごく親切でした。

            

    聖キリル&聖メトディウス大聖堂に入ったら、衣装を着た子供たちが合唱中。ブルガリアのイースター(イギリスの2週間遅れ)の行事だったよう

民族学博物館では、トラキア、スラブ、ブルガリア文明から受け継がれたモチーフが共存する各地の民族衣装を見学。ヨーロッパとアジアが繋がる位置にあるため、東洋からの影響やオスマントルコ帝国時代の名残も。工夫を凝らしたお祭りのパン各種がユニークでした。

          

     左の衣装をつけた独身男性は「クケリ」と呼ばれ、立春前に村や町に繰り出して悪霊を退治するんだそう。右は悪霊を払うハーブの束。日本の節分と似てますね

     

   なかなか充実度が高かった考古学博物館。紀元前6世紀末の赤絵式と呼ばれる古代ギリシアの陶器類もありました。ガラス器は古代ローマ時代のもの?

アレキサンドロフスカ通りから海岸までは、歩いて5分ほど。海岸沿いに続く公園、シーガーデンの近くのレストランでランチを済ませ、午後は海岸と公園でのんびり。行きは市営バスで街に出ましたが、帰りは運動もかねて2つの公園を通り抜け、30分ほどかけてホテルまで歩きました。

      リゾート地の食事はギリシア風?グリルもしくは唐揚げの魚や肉に、ポテトなどを添えたシンプルな料理が多かったです

      

     黒海と呼ばれるだけあって、深緑っぽい海。桟橋を渡って展望台(?)まで行くと、柵には何か書かれた錠前がいっぱい。恋人たちが変わらぬ愛を誓って錠を締めて行くようです。空気が澄んでいるためか陽射しがまばゆい

ところで、公園の木の枝先には、赤白の糸で作られた紐ブレスレット(?)がたくさん結ばれていました。ブルガリア人の友人に訊いたら、「マルテニッツアМартеница」のお守りで、2月頭から3月1日まで露店やショップで大量に販売するそう。3月1日はマルテニッツアの祝日で、春の始まりに幸運と健康を祈って、赤白の人形を胸につけたり、ブレスを手首に巻いたり。そして、果樹の花が咲く時期に、木の枝に結び付けるんだとか。

  

最近はナイロン製の輸入ものが増え、ビーズや金属・プラスティック製のチャーム付のものが流行中――伝統的には毛糸などの天然素材で作り、木に結び付けたお守りは鳥が巣作りに利用することも。「環境にやさしい風習だったのに、ちょっと残念」と漏らしてました。こんなところにも、商業主義の波が押し寄せてるんですね…。

急ぎ足の3月

もう3月も半ばを過ぎてしまいましたね。なんだか「今年は特に時間が過ぎるのが早いなあ」と思っていたら、先週15歳の生徒さんからも同じセリフが…。こんな若い子が同じ感覚?! きっと加速度は私の方が数倍大きいんでしょうけど。

もうラッパ水仙が咲き始めていますが、今週末はまた雪が積もりました!

今月に入って、どういう訳かエージェントの方の仕事で問題が続き、ストレスいっぱい。そんな中、誕生日がやってきて、続いて母の日が過ぎていきました。気分を変えようと、誕生日の午後は、友達とギャラリーに行き、夕方もうひとりの友だちとドリンクして、夜は家族とコベントガーデンで晩御飯。でも、同じレストランの違う支店に行ってしまい、落ち合えるまで雨の中を歩き回ったという…。

花は誕生日前日に自分で購入。夫と息子からは当日チョコレートとカードが

       午前中に授業を終え、Hayward Galleryでまずアンドレアス・グルスキーの写真展を鑑賞

  

小雨が降る中、テムズ河岸で砂の彫刻を制作する人が

      Tate Galleryで始まったばかりのピカソ展。50歳だった1932年の作品群と同年の個展の出店作(青の時代を含む)が集められていました。1週間で複数の作品を仕上げる、その情熱とエネルギーは圧倒的

Mothering Sundayと呼ばれるイギリスの母の日は、復活祭の3週間前の日曜日(今年は3月11日)に当ります。毎年日付が違うのですが、最近ではスーパーに母の日コーナー(花束やギフト)が設けられようになり、「あっ、そうだった」と気づくのです(ちなみに、イギリスではカーネーションを贈る習慣は全くありません)。

 

といっても、うちの家族はイベントや記念日が嫌いで、放っておくと何も起こりません。だから、いつも私が事前に計画を立てているという…。で、先週の日曜日は乗り気でない家族を引き連れて、ケントにあるナショナルトラスト所有のノールハウス(Knole House)に行ってきました。

(息子が小さい頃、祖父母からナショナルトラストの生涯会員カードを贈られ、2人分の入場料は無料なんです。このメンバー料金は年々上昇し続けていて、今や24万円くらい!息子も成長して一緒に行動する機会が減ってきたので、今のうちに彼のカードを最大限利用したいと思っている母なのでした)

        15世紀にカンタベリー大司教、トーマス・ブーシェの住まいとして造られたノール邸。正面に見えるのはゲートハウスですが、四方が建物でぐるりと囲まれ、中にも建物があります

ノールハウスは、昨年夏に訪れたシシングハースト城&庭園(『ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その5)』をご参照ください)の持ち主、詩人で作家のヴィタ・サックヴィル=ウェストの生家。サックヴィル男爵家の一人娘だったヴィタはこの英国最大の邸宅をこよなく愛しましたが、男系子孫という相続条件により、父親の死後に継承を許されませんでした。(ちなみに、ヴァージニア・ウルフの小説『オーランド』の主人公が住む家は、この邸宅がモデルにしているそう)

      1,000エーカー(4km2)の広大な緑地公園には狩猟用のディアパークも。現在でもダマシカや日本シカが500頭ほど生息

そのため、シシングハーストにノール邸を再現しようとしたといわれています。でも、ヴィタの美意識や郷愁がそこかしこに感じられるロマンティックなシシングハーストの方が好み、という人は多いのではないでしょうか?

オランジェリーから見た中庭の風景とクラシックなストーブ

ヴィタによれば、英国最大の邸宅ノール邸は「カレンダー・ハウス」と呼ばれていたそう。1週間を象徴する7つの中庭、1年の週数を象徴する52の階段、そして日数を象徴する365室の部屋――「でも、それを誰か確かめた人がいるかは知らないわ」という言葉を残しています。

中庭には大司教が15世紀に建てたというブーシュ・タワーが

実際には、365室には足りないそうですが、1,000エーカー(4km2)という広大な森林公園に囲まれたカントリーハウスは、一家族が住むには巨大すぎるサイズ。人件費、光熱費、食費だけでもとんでもない金額だったんだろうなと、庶民の私は想像してしまいます。

季節外れだから混み合わずゆっくり観れると踏んで出かけたんですが、実は3月末まで本館の方は修復作業をしていて、見学不可でした~!ちゃんと調べずに出かけたので、拝観料が£3.50(約520円)と言われるまで気づかなかったという…。結局、内観はゲートハウス内しか見学できなかったのですが、興味があるのがヴィタの時代なので、ボランティアの係員さんの説明がきけて面白かったです。

     1930年代には、作家や芸術家などが集ったそう。ゲートハウス内の内装はその当時を再現

ヴィタの従弟で、作家&音楽評論家だった5代目男爵、エドワード・サックヴィル=ウェストが1926~1940年に住んでいた寝室等も公開。でも、写真撮影はXでした。彼もゲイだったそうですが結構だらしなかったらしく、ヴィタはエディの暮らしぶりや服装に批判的だったとか。

公園内は無料のためか、天気がすぐれないのに家族連れで大賑わい。ディアパークのシカ達は、かなり近づいても全く逃げようとせず、随分人馴れしてました。カフェでランチをしたらここもいっぱいで、早めに帰宅することに。

ショップ内には今月末にやってくる復活祭のチョコがいっぱい

3月頭に予定されていたSMiRAの定例会は、雪のため4月21日に延期になりました。今月に入ってから2回も寒波に襲われ、春が行ったり来たりという感じです。

どきどきコテージと減感作療法

先週イギリスを含むヨーロッパは、シベリアからの大寒波にすっぽり包まれていました。ロンドンでは水曜日から本格的に雪が降り始め、それほどの積雪はなかったものの、とにかく零下の気温が継続。主人曰く「冷蔵庫の方が暖かい」という感じで、交通はマヒするし、私の学校も休校に…。

少し雪が積もったくらいでどうして混乱するかというと、イギリスではスノータイヤやチェーンがないんです…(例年雪が少なく、道路がデコボコになるのを防ぐため?)でも、スコットランドではかなりの豪雪となり、軍隊が出動して医療スタッフを病院に運んだり、不通になった道路の雪かきをしたり。大寒波にハリケーンが加わったウェールズでは、農家の人たちがトラクターで救助作業に当たったそう。

そんな中、主人と息子はいつも通り通勤・通学し、私だけ木・金と休みでした。先週はどういう訳か人に会う約束が多く、今日はSMiRAの定例会の予定だったんですが、全部キャンセルに…。雪道を運転するのが怖いので、ピラテスのクラスも休んでずっと家に籠ってました。

すごく楽しみにしていたんですが、こういう時もありますよね。気を取り直して、バナナケーキを焼き、大きな鍋いっぱいに野菜スープを煮、小豆とラベンダーのホットアイマスクを作りました。

      水曜の午後は息子のアレルギーチェックでパディントンの病院へ。駅の前を流れる運河も凍結。少々不格好ですが、ホットアイマスクを2個作りました

さて、先回の記事を書いた際、イギリスで放送されたTV番組のことを思い出したので追記します。

もう10年以上前になりますが、イギリスの国営放送BBCで『The House of Tiny Tearaways』というシリーズ番組がありました。様々な問題を抱える子どもとその家族3組が、同じ家で6日のあいだ衣食住を共にし、凄腕心理士のタニアさんの指導のもと、問題を解決していくという内容。

その中で、3歳半の緘黙の少年、チャーリーとその家族が出演。初めはみんなの前で全く声を出せませんでしたが、お母さんをかけ橋役にスモールステップを踏み、最終日には両親がいないところでも他の家族と話せるように!

克服方法はSLTのマギー・ジョンソンさんとアリソン・ウィンジェンズさんの共著『Selective Mutism Resource Manual』を元に、マギーさんが提案・助言したもの。スモールステップで克服していく様子を実際に映像で観ることができ(今映像が見当たらないんですが)、すごく参考になりました。

緘黙児(人)の問題は新しい状況に慣れにくいことですが、一定時期を同じ家、同じメンバー(20名以下)で過ごすことが、減感作療法(Desensitisation)となるようです。

日本では緘黙には病院治療が効果的(イギリスにはありません)といわれています。これも、一定期間同じ環境・人・場面が継続することで、減感作療法desensitisationをしているんだと思います。それほど大きくない病棟で、同じ顔ぶれの医師、看護師などのスタッフと、毎日少しずつ「コミュニケーションを取る・話す」ステップを踏んでいく訳ですね。

病院という環境ではなく、どきどきコテージみたいな環境でこれができるといいなと思います。また、親戚の家に泊まりに行ったり、来てもらったりするのも同じ効果が期待できますね。後は、どうやってその人にあったステップを踏んでいけばいいのかかな。

緘黙克服に大きなプレッシャーはNGですが、常に小さなプレッシャー(挑戦)に立ち向かうことが必須です。経験からいって、抑制的な気質の子どもは挑戦を止めてそのまま時間が経つと、以前の状態に戻ってしまう傾向が強い。言葉が出始めていたのに、途中で夏休みが入ったことで、また元に戻ってしまったというような例が多いんです。プレッシャーとは感じないまでも、CBTの感覚で「今日はこれに挑戦してみよう」という目標を持ち、コツコツ実行し続けていくことが大切だと思います。

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2月も今日で終わりです。ラッパ水仙の一番花が咲き、春の兆しが感じられるようになったと思ったら、シベリアからの大寒気が。先週から最低気温が氷点下の日が続いています。今朝はロンドンも雪景色となり、午後は大雪警報…でも、こういう日に限って外出しなければならない用事がいっぱいという…。

1月下旬に放送されたNHK『バリバラ』の『どきどきコテージ』(前・後編)を観ることができました。

場面緘黙と吃音に悩む全国の若者たちに声をかけ、「コミュニケーションは苦手だけど人と関わりたい」と集まった男女8名。場面緘黙の女性と吃音の男性各4名が、三重県の海辺の町にあるどきどきコテージで2日間を一緒に過ごします。

昨年の場面緘黙特集に出演したユリエさんとサナさんも参加。吃音を抱える男性4名のうち、特に症状が顕著なトモヒロ君が、ムードメーカー的な役割を果たしていました。

1日目は顔合わせと自己紹介、そして2手に分かれての活動。写真が好きで緘黙の本も出版しているエリさんのグループは写真撮影に、もう一つのグループは横並びで釣りに挑戦。が、無言の女性たちに男性たちはどうやって対応していいのか分からず、まだまだぎこちない雰囲気…。

4人という小グループ、「カメラ」という媒体を通じたコミュニケーション、「横並び」という位置関係――こういった作戦いいですね!

緘黙の人は直接顔を見ながらのコミュニケーションが苦手です。人に感情を見られるのが怖くて、自分の気持ちを顔に出せず無表情になってしまう…。反応が薄いため、相手はどうしていいか判らず、「自分とやり取りしたくないんだ」という誤解を与えがち。

ワンクッション置いたコミュニケーションからスタートすれば、安心できますよね。そこから徐々に慣れて、少しずつ顔を見ながらのコミュニケーションに移行できればいいと思います。

1日目の夜、夕食を囲んで和やかな雰囲気にと思いきや、女性たちはとても緊張した様子。緘黙児(人)は人前でものを食べることが苦手なことが多いんですが、症状がひどい場合は「会食恐怖症」(せせらぎメンタルクリニックのサイトで詳しく説明されていました eseragi-mentalclinic.com/deipnophobia/」)だと思います。

イギリスでは場面緘黙を恐怖症のひとつとして捉える考え方が主流になっていますが、会食恐怖症も恐怖症のひとつ。CBTのスモールステップで少しずつ克服していく方法は、場面緘黙の治療法と同じです。

1日目の夜、男性たちはエリさんの本を読むなどして、場面緘黙についてより深く理解します。翌日は、筆記、カメラを通じてなど様々なコミュニケーションを許容し、女性たちのアシスト役に。

写真が好きなエリさんは、自らの写真アルバムを皆に見せ、筆談のスピードも分量もアップ。1日目に自分から話せなくて輪の中に入れなかったマイさんは、「一緒に言おう」と協力してくれた男子のおかげで一歩を踏み出すことができました。ユリエさんとサナさんも自分なりのペースと工夫で参加。

2日目は水族館へ。ここでも二手に分かれて行動しましたが、魚という媒体を通してのコミュニケーションはかなり和んだいい雰囲気に。最後に一緒にピザを作って食べる過程も、前日よりスムーズでグループとしての一体感ができていました。女性たちを気遣う男性たちの目が、とても温かかったです。

1泊2日はちょっと短いかなという気がするので、彼らが今後も個人的なお付き合いをしていけたらいいですね。

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