PDA(病理的要求回避)とは?(その3)

イギリスでは先週末から天気が回復して、やっと通常の6月の気温に戻った感じです。一年で一番いい季節を楽しもうと日本からやってきた友達にとっては、雨降りの寒い日が続いて気の毒でした。

    ロンドンのキングスクロス駅近くにある生物学研究所、フランシス・クリック・インスティテュートで脳の研究をテーマにした『Hello Brain!』展を観てきました。現代神経科学の父、サンティアゴ・カハル(1852-1935年)による細密な脳細胞のスケッチや毛糸で編まれた脳細胞を見て不思議な気持ちに

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PDA(病理的要求回避)はASD(自閉症スペクトラム)のプロフィールのひとつ」と言われますが、標準的なASDの支援対策では機能しないことが多いといいます。

英国PDA協会が推奨するアプローチはPANDA:

P(Pick Battles)  やらせたいことを選ぶ

  • ルールは最小限に
  • こどもが選択しコントロールできるようにする
  • 理由を説明する
  • できないこともあると受け止める

A(Anxiety Management) 不安の管理

  • 低覚醒アプローチを使う
  • 不確実性を軽らす
  • 根底にある不安と社会的/ 感覚的な課題を確認する
  • 事前に考えて計画を立てる
  • メルトダウンはパニックアタックとして扱う:一貫したサポートを行い、先に進む

N (Negotiation & Collaboration)  交渉と協力

  • 冷静さを保つ
  • 課題を解決すべく積極的に協力し、交渉を行う
  • 公平性と信頼を主眼とする

D (Disguise & Manage Demands) 要求を隠して、管理

  • 要求は間接的に
  • 常に要求に対する許容範囲をモニターし、それに応じた要求をする
  • 子どもと一緒にやることが助けとなる

A (Adaptation)  臨機応変に

  • ユーモアや気晴らし、目新しさ、ロールプレイを試してみる
  • 柔軟な態度
  • プランBを立てておく
  • 十分な時間を与える
  • ギイブ&テイクの量的バランスを取る

では、具体的にはどうサポートしたらいいのでしょう?

例えば、部屋を片付けさせたい時:

<時間など選択肢を与える/ 柔軟な対応をする>

今部屋を片付けなさい  ⇒  今日は部屋を片付けてみようか? いつやってみる、今それとも後で?

★子どもが何かを要求してきたら、子どもと相談して小さなご褒美を与える

<間接的に言い換える:「~なさい」など直接的な要求は避ける>

部屋を片付けなさい ⇒ 何から片付けたらいいかな? 誰が早く片付けられるか競争しよう!

おもちゃを箱にしまいなさい ⇒ ゲームしようか? 何個おもちゃ箱に入るかな?

★要求されているのではなく、自分で選んでコントロールできるかのような言い方に換える

「色合わせ」をゲームにした具体例:

https://www.instagram.com/tv/Cbrk7S4pkrU/?utm_source=ig_web_copy_link

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PDA(病理的要求回避 Pathological Demand Avoidance)とは?

PDA(病理的要求回避 )とは?(その2)

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PDA(病理的要求回避)とは?(その2)

6月ももう10日を過ぎました。今年がもう半分過ぎようとしているんですね…時間が経つのが本当に早い!

     日本からやってきた旧友と南ロンドンのトゥイッケナムにある、ストロベリーヒルハウス (Strawberry Hill House & Garden)  に行ってきました。18世紀の英国ジョージアンゴシック様式の内装が壮観で、ヤンファンホイスムの有名な静物画も観られて幸運でした

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PDAという症状名は英国の発達心理学者、エリザベス・ニューソン(Elizabeth Newson 1929 – 2014)が1980年代に提案。2003年の論文(Newson et al., 2003)により、その存在がまず英国で認識されるようになりました。ちなみに、ニューソン夫妻の長男にこの症状があり、心理学者の両親が一緒に研究を続けた成果だとか。

現在のところ、PDAはアメリカ精神医学会が作成するDMS-5(精神疾患の診断・統計マニュアル)にも、世界保健機関(WHO)が作成するICD(国際的な診断基準)にも掲載されていません。それだけに、まだまだ研究が必要な疾患といえますね。

では、PDAとは具体的にどんな症状なのでしょう?

撮影当時(2017年)18歳だったアイザック・ラッセル君が発信するビデオ、『僕のPDA体験』を参考にしてみました。スカイプを通して母親の質問に答えるという形式ですが、これが大きな反響を呼んだため、情報源として公開に踏み切ったそう。当時、ラッセル君は若者専用のケアホームに住んでおり、そこにはASDとPDAを併せ持つ当別支援学校が併設されていました。

<抜粋要約>

● 一番不安を感じるのは、「自分ができない」と感じているのに、周囲から「こんなに簡単なことが何故できないの?」と全く理解されず、やるよう期待される時

● 例えば、精神的に調子が悪い日、靴を履かなければ外に出られる様に感じたとする。誰かに「靴なしで外出なんかできない」と言われても、靴を履くことは絶対に不可能。もちろん、そんな考えは不合理だと自分でも解っている。でも、反対に「絶対できない」という自分もいて、それを周囲に説明できないし、何故なのか自分で理解することも難しい

● 機能的な能力――朝起きて、ベッドから出て、朝ご飯を作って食べて、洗い物をして――こういった普通のことをする能力は当たり前に持っているし、やり方も知っている。時によってはちゃんとできるのに、殆どの場合はできない。ただ、できない。どうしてか説明するのは困難で、本当にフラストレーションがたまる

● 映画『インサイドヘッド』みたいに、脳のコントロールパネルに20人の僕(感情)がいて、例えばそのうちの1人が食べたり、飲んだりしたいと思っても、PDAの僕がハンドルを握っていたら、食べることは不可能

● 例えば、友達との外出。自分でも行きたいし、いいことだと解っている。だけど、どこからか「できない」という感情が介入してくる。これは疲れている時に特に顕著

● 要求は外からだけじゃない。毎日学校に行かなければ、顔や身体を洗わなければと意識しただけで、脳が「できない、できない」とパニックに陥る。最悪な自己破壊行為といえる

● もし誰か近寄ってきて「◯◯をしなさい」と要求したら、すぐパニックになって泣き出したり、パニックアタックを起こしたりする

● 大抵の場合は、まず回避から始まって徐々に不安が拡大していく。例えば、目が覚めて学校に行くことを意識すると、自然にタブレットに手が伸びる。天気や今日のスケジュール、SNSをチェックしたりする。これ以上回避できないところまでいくと、不安が広がって落ち込むことも多い。こうなると、絶対に学校には行けない。反面、すっとベッドから起きて学校に行ける日もあって、自分でも何故だか解らないから、本当にフラストレーションがたまる

● できない自分に対して、自分がいかに無価値か、これからずっとベッドから起き上がれないんじゃないかと絶望的な気持ちになる。自己嫌悪感がつのる

● できないことが続けば、ハードルはぐっと上がる。3日も学校に行けなかったりすると、「今日こそ行かなければ」と困難さが倍増してしまう。たとえ行けたとしても肯定的な気分にはなれず、もっと落ち込んだりする

PDAの子どもは登校拒否になることが多いという統計が出ています。本人は学校に行きたいくないのではなく、行けないのです。また、登校できたとしてもタスク拒否や癇癪を起こしたりすることが多く、学校で対策が立てられないため、停学になることも…。

一見するとコミュニケーション能力が高そうに見えるため、家族にも周囲にも誤解されやすそうですね。ASDの支援では対処できず、当事者は本当に生きづらいし、周囲も大変だと思います。

緘黙でかつPDAも抱えた子ども/人もいると言われています。もし、生活に支障が出るほど言うことを聞かず、癇癪ばかり起こしていると感じたら、ただの我が儘ではなくPDAの可能性があるかもしれません。

次回はPDAの対処法について書く予定です。

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PDA(病理的要求回避 Pathological Demand Avoidance)とは?

5月も今日で終わりです。何もしないうちに、またあっという間に時間が経ってしまいました。一時期は初夏の気候になって暑かったのですが、1週間ほど前からぐずぐずの天気に。今日は風が強い雨の一日で、冬に逆戻りした様な肌寒い一日でした。

   今年もまたリージェントパークのメアリー女王の薔薇園に行ってきました。生憎の雨の中、イングリッシュローズが静かに薫って

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イギリスではここ数年の間に、: PDA(Pathological Demand Avoidance 病理的要求回避)という症状名をよく耳にするようになりました。

PDAはASD(自閉症スペクトラム)のプロフィールのひとつと理解されていますが、その研究はまだ初期段階です。ただ、イギリスでは自閉症の診断時にPDAのアセスメントが追加されることも多くなってきているよう。

PDAの子ども/人は、社会的コミュニケーションの困難さや感覚過敏などASDの特徴を併せ持つといわれています。その上で、毎日すべき義務(タスク)を社会的な策略を駆使しながら、異常なまでに避けるというのが特徴。

英国PDA協会(Pathological Demand Avoidance Society)による定義は:

<自閉症スペクトラムのPDAプロフィール>

  • 現在「持続的な困難」と定義されるASDの特徴――社会的コミュニケーションと社会的な相互関係の困難さ、そして制限的で反復的な行動・活動・興味のパターンを――を併せ持つ
  • 多くの場合、一般とは異なる視覚・臭覚、触覚、聴覚、さらに飢えや渇きといった内的感覚などの感覚体験を覚えることが含まれる

上記に加え、下記のPDAプロフィールの多くの主要特性を備えている

  • 日常生活のあたり前の要求に抵抗し、回避する
  • 回避のいち手段として、社会的な策略を使う
  • 社交的に見えるものの、理解力に欠ける――予測よりもっと「社交的」に見えるかもしれない(例えば、より「従来型」に近いアイコンタクトや会話スキルなど)。しかし、これによって根底にある社会的コミュニケーションと社会的な相互関係の困難さが隠蔽されている可能性がある
  • 感情や気分の起伏が激しい
  • 時として極端なまでに、ロールプレイ、ふり、空想に没頭する
  • 多くの場合、度を超えて人に執着する――PDAの場合「反復的または限定的な興味」は社会的な性質のもので、実在または架空の人物が対象となる
  • 自己コントロールの必要性が高い――これは不安、または要求に直面した際の自動的な「脅威反応」によって引き起こされることが多い
  • 支援、子育て、教育における従来的なアプローチに反応しない傾向が強い

About autism & PDA

緘黙児のなかにもPDAを持つ子どもが?

緘黙児にとって「おはよう」や「いただきます」など、毎日の挨拶はとても難しいことです。当たり前のことだからこそ、話すことを期待されていると強く意識してしまう。だから、余計に緊張して言葉がでなくなると考えられます。

当たり前の挨拶をしない――緘黙を知らない人からすれば、「失礼な子」と誤解されてしまいますよね。

言うことが決まっているから簡単と思ってしまいがちですが、うちの息子も学校で声が出始めてから、朝の出欠確認に答えられるようになったのは随分後のことでした。

ただ、日常の挨拶ができないのは緘黙のせいではなく、PDAのケースもあるかもしれません。

イギリスのSLT(言語療法士)、リビー・ヒルさんは、緘黙児の中にもASDの特性を併せ持ち、PDAの症状を持つ子どもがいると警鐘を鳴らしています。

もしPDAの場合は、従来とは異なるアプローチが必要だからです。

(長くなってしまったので、次回に続きます)

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いよいよ今週末!場面緘黙の国際コンファレンス

今週末、5月11日(土)と12日(日)に英国バースのノーランド大学において、場面緘黙の国際コンファレンスが開催されます。

前回の記事で少し触れましたが、より詳しい内容が明らかになってきました。

11日(土)には、場面緘黙が各年齢の子ども、十代の若者、大人にどのような影響を与えるかについて、またそれぞれの年齢層にどのようなサポートの選択肢があるかについて、6つのプレゼンテーションが予定されています。

また、12 日(日)のプレゼンテーションは、音楽療法と動物療法の他、神経系への理解、個人とその嗜好への理解、家族の力関係の重要性への理解などがテーマになっています。

この国際コンファレンスを共催するSoundEmotiveとSM H.E.L.P.を代表する二人も講演する予定。

◎ジョアンナ・ターナーさん(Joanna Turner)

ジョアンナさんはイギリスのサマセット州をベースに活動する SoundEmotive の音楽療法士です。原始反射の統合(primitive reflex integration)、安全で健全なプロトコル(Safe and Sound Protocol-SSP) 、子供のためのヨガの研修も。娘さん2人が場面緘黙で、場面緘黙に対する認識を高め、緘黙に苦しむ全ての人を支援するためにイギリス全土で改善された治療経路が導入されるようキャンペーンを行っています。 SMIRA のコミッティーメンバーのひとり。

◎ケリー・メルホーン(Kelly Melhorn)さん

ケリーさんは米国 SM.H.E.L.P.の主催者。2018年に娘さんが場面緘黙の診断を受けて以来、場面緘黙の理解に専念してきた行動分析官士補佐です。2020年に SM.H.E.L.P.(家庭教育学習プログラム)を立ち上げ、場面緘黙に関する答えを探す人々に無料のオンライン・サミット、ポッドキャストなどを提供。場面緘黙の人を支援するためのアプローチとして、外部環境と内部環境の両方を変えるだけでなく、固定化してしまった「戦闘(fight)」「逃避(flight)」「フリーズ(freeze)」反応状態を引き起こす可能性がある原子反応の統合を目指しています。

その他の講演者は、SMiRAやSM H.E.L.Pのコンファレンスやサミットでもお馴染みの専門家が多数。イギリスからは児童療法士のルーシー・ネイサンソンさん(Lucy Nathanson)、言語療法士のアンナ・ビアヴァティさん(Anna Biavati)、リビー・ヒルさん(Libby Hill)、アニタ・マッカーナンさん(Anita McKiernan)、スザンナ・トムソンさん(Susannah Thomson)。動物療法士のケリー・ベイカーさん(Kelly Baker)SMiRA委員会メンバーのクレア・ニールさん(Claire Neal)、そしてノーランド大学で学ぶ、場面緘黙経験者のジェス・ブリンさん(Jess Bryn)。アメリカからは言語聴覚士のジョリーン・フェルナルドさん(Joleen Fernald)が講演します。

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イギリスで場面緘黙の国際コンファレンスを開催

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イギリスで場面緘黙の国際コンファレンスを開催

4月も来週でもう終わりですね。私は3月末になんと9年ぶりに帰国し、15日間ほど滞在して関東・中部・関西と駆け足で回ってきました。以前からこの時期によく帰国していたのですが、今回あまりの天気の悪さにビックリ!私の中では、桜の季節は各地でお花見を楽しめ、青空の下満開の桜の花に祝福されながら新シーズンを迎えるというイメージだったんです…。が、無情の雨、雨、雨、雨。でも、久々に会った友人達が「菜種梅雨だよ」と口々に言っていたので、最近では春の長雨は普通? 天候不順で桜の開花が2週間遅れましたが、井の頭公園で咲き始めの桜を、京都の哲学の道と岐阜県の地元で満開の桜を楽しみ、上野公園でも夜桜を見る機会に恵まれました。

  

肌寒い天候に閉口したものの、雨の祇園の桜には独特の趣がありました

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さて、5月11・12日にイギリスのバースで場面緘黙の国際コンファレンスが開催される予定です。サマセット州をベースに音楽セラピーを提供するSoundEmotiveとアメリカのケリー・メルホーンさんが運営するSM H.E.L.P.が共催。

11日(土)は年齢別にみる場面緘黙、12日(日)は様々な治療方やセラピーを組み合わせた個別治療プランの立て方について。講演者は、主催者側の代表らに加え、イギリスで場面緘黙の治療を提供する専門家、SM経験者、保護者など。オンラインチケットも販売しています(詳しくは下記のリンクへ)。

https://www.soundemotive.com/smic2024

なお、このイベントの利益の10%はイギリスの場面緘黙支援団体、SMiRAに寄付される予定です。

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ベルリンの夏休みの思い出(その5)

もう3月も半ばに入りますね。ロンドンでは一重の桜が満開に近いんですが、天気は相変わらずぐずぐず。最高気温が12、3度くらいと、まだまだ肌寒いです。

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さて、やっとベルリンの夏休み最終回です。

私はその昔、ロンドンの英語学校で知り合った友達と、欧州7か国をコーチで周る格安ツアーに参加した経験があります。アムステルダムからベルギー経由でドイツに入り、ローレライの歌で有名なライン河下りをし、ハンブルグ駅の近くでフランクフルトを食べ、確かミュンヘンだったと思うのですが、何故か街の一角で見世物の熊を見た記憶が^^;

その旅行はイタリアがメインだったのもあって、ドイツについては記憶が曖昧。昨年夏休みにベルリンに行くことに決めたのは、ドイツという国をもっとよく知りたかったのと、ベルリンがアートの街と聞いていたから。美術館はもちろん、街にアートが溢れていると聞いてワクワクしていました。

 

    噂通り街の至る所にグラフィティやアートワークが。手軽な値段で作品が購入できるギャラリーも多数

     

  バウハウス博物館は閉館中で仮ショップに行ってきました。日曜日にはマウアーパーク(Mauerpark)の蚤の市とその周辺をぶらぶら

ベルリン美術館(Berlinische Galerie)

ここは地元の芸術家による1880~1980年の作品を常設展示(上階)する比較的新しい美術館。お目当ては1910年代に起きたベルリン・ダダイズムの作品たち。他に、新客観性派や東欧の前衛アートなどのレクションも。1階の広い展示スペースでは、現役アーティストのインスタレーションが飾られていました。

森鴎外記念館(Die Mori-Ōgai-Gedenkstätte der Humboldt-Universität zu Berlin)

国会議事堂のガラスドームを訪れた帰り、偶然に森鴎外の記念館を発見。1887年にドイツ留学した鴎外がベルリンで最初に下宿したアパートを、フンボルト大学(旧ベルリン大学)が記念館として運営しているそう。鴎外の寝室が再現され、当時の写真や書籍、手紙に加え、遺書も展示されていました。担当のドイツ人女性の日本語(敬語)がめっちゃ上手でびっくり。

森鴎外といえば著書『舞姫』が有名ですね。物語にはブランデンブルグ門からプロイセン王宮まで続く目抜き通り、ウンター・デン・リンデン(菩提樹の下)が登場するんですが、菩提樹の並木道は思ったほどロマンティックではなかったです^^;

ベルリンの美味しい食べ物?

ベルリン名物といえばカリーヴルスト(Currywurst)ですね。フランクフルトの輪切りにカレー粉入のケチャップソースをかけてあるんですが、う~ん私は一度食べれば充分かな…。ある日、主人がビールを飲みたいというのでビアガーデンに行ってみたら、ランチタイムは山盛りのザワークフトを添えたバーガーとフランクフルト、薄いピザみたいなおつまみしかなくて、ちょっとガッカリ。ケーキ類もちと甘すぎ?

  

主人推薦のドイツ料理はこんな感じ。お肉とポテトの量が半端ない?! 野菜は? メゾネットのキッチンではサラダっぽいご飯ばかり作ってました^^;

        

ベルリンで一番美味しかったものといえば、なんと滞在先のアパートのお隣にあったDump Lingという名の中華料理店。シンプルな内装に品数限定のシンプルなメニューだったんですが、これが美味!! 滞在中に2度食べに行きました。

これでベルリンの夏休みは終了です。最後までお付き合いしてくださった方、ありがとうございました。

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ベルリンの夏休みの思い出(その1)

ベルリンの夏休みの思い出(その2)

ベルリンの夏休みの思い出(その3)

ベルリンの夏休みの思い出(その4)

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ベルリンの夏休みの思い出(その4)

春の足音が聞こえてきても、なかなか油断できない2月と3月。早春の花が咲き乱れるイギリスですが、再び寒波がやってくるよう。さて、またまたベルリンの夏休みの思い出の続きです。

パドル蒸気船でシュプレー河下り

シュプレー河では複数のクルーズ会社が多様なツアーを企画しています。私達が乗ったのは、船後尾に大きな赤い車輪がついた古風なパドルスチームボート。ベルビュー宮殿(Bellevue Palace)近くから出発し、博物館島の北東を通ってイーストサイドギャラリーの壁沿いにオーバーバウム橋の前まで航行しました。

ボートからはベルリンを代表する新旧さまざまな建物を見ることができました。中でも、2020年に史上初のスマート商業ビルの一つとして登場した近未来的なキューブベルリン(Cube Berline)は圧巻。アイスキューブのような外観にまず驚いたのですが、このハイテクビルでは、プロセス全てをAIで制御しているのだとか。また、国会議事堂やシュプレー川の中州にある世界遺産、博物館島の伝統的な建物郡も大迫力でした。

博物館島(Museumsinsel)で博物館めぐり

ユネスコの世界遺産に指定されている博物館島には、ベルリン美術館(Staatliche Museen zu Berlin)を構成する5つの博物館・美術館が集結。私達は事前に1日入場券を購入し、ミッテ地区の滞在先から徒歩で博物館島へ。旧博物館、新博物館、旧ナショナルギャラリー、ボーデ博物館、ペルガモン博物館があるのですが、見どころが多すぎて旧博物館はパス…。

     旧ナショナルギャラリーではクリムト展を観覧(左から2番目)。島の先端に位置する豪奢なボーデ博物館(写真右3つ)は、遅い時間だったためかほとんど貸切状態!写真に写っていない新博物館は特にエジプト文明エリアが有名で、『ネフェルティティの胸像』を観るために早足で周りました^^;

ハイライトはペルガモン博物館(Pergamon Museum)

5館の中で最も入場者が多いのがペルガモン博物館。何と現地から輸送した古代遺跡を館内でパズルの様に組み立てて再構築し、展示しているのです^^; あまりのスケールの大きさにもうビックリ!大英博物館も大英帝国の時代に各国から収集(略奪?)した文化財を展示しているのですが、ここは規模が違う!ペルガモン博物館は去年10月から改修工事のために14年間の予定で閉館したので、見学できてとてもラッキーでした。

左から、青と金のタイルが鮮やかな古代バビロニアの『イシュタル門(The Ishtar Gate 紀元前568年)』と輸送されてきたタイルの仕分け作業。別館では古代都市ペルガモンを再現した360度のパノラマ映像が観られます。写真右は『ミトレスの市場門 (Market Gate of Miletus 紀元前120年)』

4館を周っただけでも、疲れ果てた一日でした。

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ベルリンの夏休みの思い出(その1)

ベルリンの夏休みの思い出(その2)

ベルリンの夏休みの思い出(その3)

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ベルリンの夏休みの思い出(その3)

バレンタインデーも終わり、2月も半ばを過ぎました。ロンドンの街は早春の花が咲き始め、空気にも春の香りが。

さて、昨年のベルリンの夏休みの思い出の続きです。今回は戦争関連ではない観光ハイライトをご紹介します。

うちは家族旅行する際はホテルではなく、だいたいキッチン付のコテッジやアパートを借ります。その土地に住んでいるような感覚で、地元の専門店やスーパーなどで食材を買って料理するのが楽しみの一つ。

今回はベルリン中心部のミッテ区にあるメゾネット(2階層のアパート)を借りました。エレベーターがない4階建住宅の最上階ということで躊躇したものの、2LDKの他に広いスペースやバルコニーがあるのに惹かれて決めたのです。

   入口はお洒落なブティックやカフェ、レストランが並ぶ大通り。気になっていた路面電車の線路は現在使用されておらず、交通量も少ない静かな環境でした。

とはいえ、4階までの階段は想像以上に大変^^;  更に、初日に階下で大音響の音楽が鳴り響き、注意する羽目に…でも、家族それぞれ好きなことができ、暑い中、扇風機が2台置いてあって快適でした。

最寄り駅はアレキサンダープラッツとハッケシャー・マルクト駅。後者は駅周辺にレストランが並び果物などの露店もあって良い雰囲気。

  ハッケシャー・マルクト駅の北側には、お洒落なカフェやブティックが立ち並ぶアール・ヌーヴォー建築の中庭集合住宅街、ハッケシェ・ヘーフェ(Hackesche Hofe)があります

ベルリンの街を展望できるスポット

戦勝記念塔(Siegessäule)

ブランデンブルク門の西側に位置し、総面積210ヘクタールを誇るベルリン最大の公園、ティーアガルテン(Tiergarten)。公園内のロータリーにそびえ立つのが、頂上に黄金の勝利の女神像が輝く戦勝記念塔です。デンマーク戦争の勝利を記念して1872年に完成した、首都ベルリンのシンボルマーク。285段の螺旋階段を登って展望台へ。森の緑の向こうにブランデンブルグ門や街の遠景が。

ベルリン大聖堂(Berliner Dom)

世界遺産となっている博物館島に位置するベルリン大聖堂は、ネオバロック様式の壮麗な佇まい。ホーエンツォレルン王家の記念教会で、ターコイズブルーのドームまでの高さは約114m。階段を270段上り、ドームの周囲をぐるりと周って街を眺めることができます。内部の装飾やステンドグラスも必見。

ドイツ連邦議会国会議事堂(Reichstags)の屋上ガラスドーム

元ネオゴシック様式の建物を1999年に英国人建築家、ノーマン・フォスターの案で修復。事前予約が必須ですが、ガラス張りの屋上ドームは必見。ドームの階段を登りながら会議の様子を見たり、ベルリンの街を360度展望することができます。ガラス張りにすることで開かれた国会と会議の透明性を象徴しているのだとか。

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ベルリンの夏休みの思い出(その1)

ベルリンの夏休みの思い出(その2)

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ベルリンの夏休みの思い出(その2)

1月もそろそろ終わりですね。すべきことが多くあるのに、あっという間に時間が過ぎていってしまう…かなり焦っています。

さて、ベルリンの夏休みの思い出の続きです。

この旅行で訪ねてみたかった場所のひとつが、強制収容所跡でした。歴史の時間に学んだこと、アムステルダムで訪ねたアンネフランクの家、プラハで訪れたユダヤ博物館、映画で描かれたホロコースト…。そして、SMiRAの創始者でチェコからひとりイギリスに亡命された、故アリス・スルーキンさんとの会話ーーご家族はアウシュビッツ強制収容所で亡くなられました。

また、小さい頃読んだ『アンネの日記』や息子に買い与えた『The Boy in the Striped Pyjamas(縞模様のパジャマの少年)』が強く心に残っていて、ベルリン近郊に追悼博物館があると知り、是非行ってみたいと思ったのです。

ザクセンハウゼン強制収容所(Konzentrationslager Sachsenhausen)

ベルリン中央駅から北へ、電車とバスを乗り継いで1時間強。元ザクセンハウゼン強制収容所(1936~1945年)は追悼博物館として残されています。45年4月にソ連軍とポーランド軍によって解放されたこの広大な博物館も無料で、敷地の地図(無料)とオーディオガイド(€3.5)を借りて周りました。

白い司令塔を通って中に入ると、有刺鉄線がはられた壁と監視棟に囲まれた広大な敷地に、ぽつんぽつんと簡素なバラックが。中央奥にそびえ立つのは40mの記念碑ですが、それもひどく小さく見えました。殺伐とした風景の中、見学者たちはグループで言葉少なめに移動していました。

ここはアウシュビッツのように大量殺人を目的とした収容所ではなかったそうですが、9年間で20万人を収容。確認されているだけで2万3000人が強制労働、飢餓や病気、虐殺実験などで命を落としたそう…。その中には、ユダヤ人だけでなく、ロマなどの少数民族、反ナチス政治犯、同性愛者、犯罪者なども含まれていたといいます。

まず左側にあった診療バラックから見学。ここでは人体実験や女性囚人の不妊手術などが行われていたとか…。囚人たちの医療記録、彼らが描いた絵・手紙などが展示されていました。

中央にある「囚人のキッチン」がメインの展示室になっていて、1936~1945年までの収容所の様子を垣間見ることができます。印象に残ったのは囚人が着ていた青い縞のパジャマ。ゴワゴワした布地に、名前ではなく番号と印(ユダヤ人、同性愛者などの)が…人としての名前を剥ぎ取られ、人格も性格も喜びも悲しみも剥奪されてしまったんだなと…。右から2番目の写真(下)は食事として出されたパンを少しずつ貯めて作った作品(靴と花)です。

正面左側の壁の向こう側には、写真左から処刑場や遺灰の埋葬地。火葬場跡に建てられた白い建物は追悼施設となっていて、当時の設備が残され、資料が並んでいます。

全部を見て回ることはできませんでしたが、負の歴史の重みにどどっと疲れました。でも行って、自分の目で確かめることができて良かったと思います。あってはいけない現実がちゃんと存在していて、いつまたどこで現実となるか分からないから。昨日までお隣さんだった、友達だった、同僚だった人が、社会の空気の変化である日突然「忌むべき存在」となってしまう…そういうことが起こるのが戦争なんだと思います。

カイザー・ヴィルヘルム記念教会(Kaiser Wilhelm Gedächtnis Kirche)

ベルリン西部のショッピング街の近くに、1943年に空撃された教会堂と鐘楼が記念碑としてそのまま残されています。1961年には右隣にカイザー・ヴィルヘルム新教会堂を建設。2万以上のガラス窓を組み合わせた青いガラスの壁で知られています。また、新教会前のブライトシャイト広場では、2016年末に催されていたクリスマスマーケットにトラックが突っ込み、12人が死亡、50人が重軽傷を負うテロ事件が発生。広場への階段には追悼碑が設けられ、私達が訪れた時もロウソクが手向けられていました。

ポツダム会議が行われたツェツィーリエンホーフ宮殿(Schloss Cecilienhof)

1945年7月中旬~8月初頭までソ連の占領下だったポツダムのツェツィーリエンホーフ宮殿に、イギリスのチャーチル首相とアメリカのトルーマン大統領、ソ連のスターリン書記長が集合。意外にも、この宮殿はカントリーハウスの様な素朴な造り。トピアリーを配した中庭は広くはありませんが、可愛らしい雰囲気でした。ポツダム会議が行われたのは天井の高い大広間で、その両隣には各国首脳が泊まった部屋が。天気が良かったので、敷地の外の草原でピクニックランチを楽しみました。

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ベルリンの夏休みの思い出(その1)

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ベルリンの夏休みの思い出(その1)

遅まきながら、明けましておめでとうございます。元旦はゆっくり起きて、さてお雑煮でも作ろうかとのんびり構えていたら、能登半島大地震のニュースが!2日には海保機との衝突事故でJAL機が炎上している映像がトップニュース!日本では新年早々大変な年になってしまいましたね…亡くなった方々のご冥福をお祈りします。また、被災された方々、負傷された方々、家族を亡くされた方々に心からお見舞い申し上げます。

昨年の夏は家族旅行でベルリンに行ったのですが、旅行記を書いていなかったので、学校の冬休みに想い出して書き始めました。年が明けても、ウクライナ戦争もパレスチナ・イスラエル戦争(イスラエルのガザでの戦闘)も止まることを知らず…温暖化で地球が悲鳴をあげているのに、人間同士が憎み合って戦い合ってどうするのか…。ちょっと重い内容ですが、ベルリンの街に数多く残されているナチス恐怖政治や冷戦時代の爪痕をまず紹介させてください。

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戦争の過ちを繰り返さない精神

ドイツといえば、すぐ頭に浮かぶのはナチス政権とホロコースト(1933年~1945年 欧州のユダヤ人迫害・虐殺)ですよね? 首都ベルリンにはホロコーストの歴史や記憶を後世に伝える数々の慰霊碑や記念碑があります。学生や旅行者に学んでもらうためか、殆どが入場無料なのに感心しました。

ベルリンに着いた夕方は、まず冷戦時代に東西ドイツを隔てたベルリンの壁(1961~1989年)を観に、壁博物館(The Wall Museum)とイーストサイドギャラリーへ。博物館では当時の様子を写真パネルや映像で説明。西ドイツは英米仏の、東ドイツはソ連の支配下に置かれていたのは知っていましたが、東から西へと逃亡した約200名もの人たちが射殺されたとは知りませんでした…。

シュプレー河(Spree)にかかる赤煉瓦造りのオーバーバウム橋(Oberbaumbrücke)は東西ドイツを隔てる境界線でした。河沿いのミューレン通り(Mühlenstraße)に約1.3km続くイーストサイドギャラリーは、壁崩壊後の1990年に21カ国、118人のアーティストによって壁に描かれた作品が並ぶ世界最長のオープンギャラリー。特に有名なのはソ連のブレジネフ書記長と東ドイツ国家評議会議長ホーネッカーの『独裁者のキス』ですね。シュプレー河岸は市民の憩いの場となっていて、沈んでいく夕日が綺麗でした。右端は橋から見た元東ドイツの風景。

翌日は有名なブランデンブルク門((Brandenburger Tor)から出発する無料ツアーに参加。事前に予約しておいたのですが、勝手に観光名所巡りだろうと思い込んでいたのです^^;

すると、まず案内されたのが「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(Denkmal fur die ermordeten Juden Europas)」でした。約2万㎡の敷地に、高さの異なる灰色のコンクリートブロック 2,711基がグリッド状に並ぶモノクロの光景。曇り空の下、石碑の間の狭い通路を歩いていると、なんともいえない閉塞感を覚えました。

  

    左からブランデンブルク門と自由に歩き回ったり、腰掛けたりできる記念碑。記念碑の向こう側に見えるのは国会議事堂のガラスドーム

場所が特定できないのですが、次に行ったのはロシア様式の住宅街の中にある草の茂った駐車場。ガイド氏から、「ここはヒットラーとエヴァ・ブラウンが自決した総督地下壕の跡地」と説明されてびっくり。観光地化しないため、記念碑も看板も付けずにいるんだとか。次に、元ドイツ航空省本部で現在は財務省の建物、デトレフローヴェッダーハウス(Detlev-Rohwedder-Haus)へ。建物の前には第二次世界大戦時の巨大なモノクロ写真を配した記念碑が、回廊の壁にはロシアのプロパガンダ絵画が。

                    

    左から、デトレフローヴェッダーハウスと、チェックポイント・チャーリー(東西の境界線に置かれていた国境検問所)

ツアーの最終地は敷地がベルリンの壁と面する情報センター「テロのトポグラフィー(Dokumentationszentrum Topographie des Terrors)」。ナチス政治の中枢施設の跡地に、その恐怖政治の歴史を伝える情報センターが解説されたのは2010年のこと。センター内外に写真や文書で当時の記録が残されています。

ガイドの説明によると、壁の西側は西ドイツ政府の建物で、東からの逃亡者のため、就業後にトイレの窓からロープがたらされていたそう。壁沿いに歩いてみたら、壁に穴が空いて鉄骨がむき出しになっている箇所がいくつか…。ここで熱く語ってくれた南米出身のガイド氏に20ユーロお支払いして解散。センターを見学する前に、近くのチェックポイント・チャーリーに寄ってランチとコーヒー。ヘビーな内容に備えました^^;

   

     初日の夜は疲れ果てて、壁博物館の隣のレストランでバーガーを食べました^^; 中央はベルリン名物のカリーヴルスト(カレーパウダーをかけたソーセージ)。最寄り駅の果物屋台でビタミン補強

う~ん、ベルリンに着いて約1日半、予期せずなかなかヘビーな内容!でも、ナチス政権の責任を問うだけではなく、ドイツ国民がそのプロパガンダや勢いに同調してしまったことを反省し、自国の負の歴史に正面から向き合っているんだなと感じました。ここまで徹底してるとは驚きでした。

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