不安のメカニズム(その2)

何だかあっという間に2週間以上が過ぎてしまいました。年度末で仕事が忙しかったのと、やっと家のDIY内装を終え、家中の大掃除と片づけに追われていたからなんです。先週の月・火曜日に主人の従弟と初めて会う彼のお嫁さんが家に泊まりに来たんですが、階段のカーペット施工もギリギリセーフ。10日は親戚が6人集まって手巻き寿司を楽しむことができました。さて、不安のメカニズムの続きです。

不安の科学:不安が身体に及ぼす影響 (Country Living誌の記事をざっと訳したものです)

人が不安になるような状況に陥ると、自動的に「Fight or Flight(闘争か逃走)」と呼ばれる連鎖反応が起こる。この反応は神経系が引き起こすため、思考とは無関係に起こる。「自律システム」と呼ばれるこの部位は、交感神経系と副交感神経系との2つに分かれ相互に作用する(例えば、呼吸や心拍など)。不安が引き起こされる状況に陥ったとき、交感神経系が支配し始め、「闘争か逃走」の反応が始まる(これは時に「アドレナリンカスケード」と呼ばれる)。

まず、不安体験は人によってそれぞれ違うことを覚えておこう。以下に並べた症状すべてが出る人もいれば、全く症状がない人、もしくは何種類かの症状が重ねて出る人もいる。また、ここに列挙されていない特異な身体的症状が出ることもある。

1. 胸の痛みや心臓の動悸

  • 心臓発作の兆候だと思うかもしれないが、そうではない。不安を感じている、またはパニック発作を抱えている場合、「Fight or Flight(闘争か逃走)」に備えるため、心臓はより速く鼓動し体により多くの血液を送り込む。
  • この作用は過換気(不安による過呼吸)を引き起こし、酸素過多になることがある。これが、胸の痛みにつながる血管の収縮を引き起こす。
  • 不安によって引き起こされる胸の痛みは、胸の異なる部位で感じられることが多く、痛みは現れたり消えたりする。
  • アドレナリンの急激な上昇は、心臓を傷つけることはない。
  • もし心臓発作ではないかと疑ったとしても、恥じ入る必要はない。多数の人が心臓発作を起こしていると信じ、救急病院に行った報告がある。彼らはそこで問題が完全に心理的なものであると説明される。

2. 息切れ

  • 上記と同じことが、息切れや胸の圧迫感を感じる理由にも当てはまる。
  • また、呼吸することを意識しすぎて、過呼吸になり酸素を摂取しすぎることもある。

3. 肢体への影響や筋肉の痛み

  • 不安は様々な方法で肢体に影響を与える。まず、胸痛と同じ様に酸素を摂取しすぎると、筋肉に刺激や痛みを引き起こすことがある。また、痛みは以下の原因によって引き起こされる可能性がある。
  • ストレスの増加により引き起こされる筋肉の緊張:日常的にストレスを受けると、筋肉が固まって痛みの原因となることがある。
  • 姿勢:不安は人の姿勢にも影響を与える。体の保ち方、座り方、眠り方、歩き方などに影響を及ぼし、筋肉の感じ方を変えるかもしれない。これは身体全体が緊張状態にあるため、通常より動きが速くなったり、遅くなったりして、完全にリラックスできないからだ。
  • 生活の質の低下:不安なときは、身の回りの管理を怠りがちになる。健康的な食事や適度の運動、水分補給など、これらのすべてが肢体の感触に影響を与えうる。

4. 皮膚の痒みや痺れ/ふらつき

  • 不安になると、痺れや疼きのような感覚を覚えることもある。身体のどこでも発生する可能性があるが、顔、手、腕、足に感じることが最も一般的だ。これは「闘争か逃走」を支援する身体の最重要部に血液が急送されることにより起こる。あまり重要でない部位は血液が回らず、脆弱さや、麻痺、痺れを感じたりする。
  • この症状は過換気や酸素摂取量の増加によって、特に肢体や顔に起きることもある。

5. 体温:暑さ、発汗、震え

  • 「アドレナリンラッシュ」に起因する覚醒状態が体温の上昇につながる。体は冷やそうと反応するため、これが発汗に繋がる。
  • こうした発汗が、身体を寒く感じさせる。特にパニック発作の後、体が冷え始めると同時に過熱を防ぐため汗が流れるので、寒さや震えを感じやすい。

6. めまい

  • アドレナリンが増加しパニック状態になると、心臓がより強く鼓動するため血圧が上昇。この血圧の上昇が、ふわふわした感覚やめまいを感じさせる。

7. 頭痛

  • 不安やパニック発作により、ストレスが蓄積されて緊張型頭痛を引き起こす。鈍い痛みも鋭い痛みもあり、さまざまな部位で発生する。

8. 睡眠の問題

  • ストレスや緊張が蓄積すると、心配が絶え間なく続き、気持ちの切り替えができないため、睡眠が困難になることもある。最善の対処法は、心と体を落ち着かせるためにマインドフルネスや瞑想テクニックを試みること。
  • 一方、パニック発作や長びく不安は、身体的にも精神的にも人を疲労困憊させる。このような場合は、体の声に耳を傾け休むべきだ。

9. 胃の不快感

  • 「闘争か逃走」状態の間、血液の流れは必要ない部位――例えば胃から迂回する。このために、不安に襲われると頻繁に胃の中で「蝶」がはためくような感覚にみまわれる。
  • パニック状態になると、急にトイレに行きたくなることもよくあることだ。これは、「闘争か逃走」状態にある時、体がその動きを減速させるかもしれない不要な重量を取り除こうとするからである。
  • 胸の痛みが心臓発作だと誤解されるのと同様、胃に蝶がいるような感覚は嘔吐と誤解されることがある。

10. 聴覚の変化

  • 不安を感じ心臓の鼓動が速くなると、周囲の音に集中するのは難しいかもしれない。反対に、潜在的な危険を過度に警戒している場合は、普段は気にならないような音に非常に敏感になったりする。

11. 目のかすみ

  • アドレナリンラッシュの間は、視力がぼやけることも多い。これは、「闘争か逃走」に備えるため、より多くの光を取り込もうと瞳孔が拡張されるからだ。しかし、光をより多く取り入れることで、視界がぼやけることもある。目のかすみは、過換気によっても引き起こされることがある。

12. 吹き出物やニキビ

  • 不安やストレスが吹き出物を誘発する理由は複数ある。
  • ストレスホルモンが増産され、皮脂の分泌が増えることがある。
  • 発汗が増すため、毛穴が詰まることがある。
  • 気持ちが落ち着かずイライラしているため、顔、首、肩など肌を触ることが多くなる。これによって手についた汚れが肌に移り、吹き出物が出やすくなる。
  1.  過剰な心配や杞憂
  • 不安な状態のとき、最悪のシナリオを思い描いてしまうのはよくあること。自分が狂ってしまうのではないかと恐れる人もいる。今までにないような不安やパニック状態に陥ったとき、この未知の感覚が脳を刺激し、その原因について過剰に心配しすぎることがある。

<不安の症状>

人は心配したりストレスを感じたりすると、多くの場合、身体的、心理的、行動的症状が出る。

最も一般的な身体症状:

  • 心拍数の増加
  • 筋肉の緊張の増加
  • 足の震え
  • 手足の痺れ
  • 過換気(過剰呼吸)
  • めまい
  • 呼吸困難
  • 頻尿感
  • 気分が悪くなる
  • 胸が苦しくなる
  • 緊張性頭痛
  • ホットフラッシュ
  • 発汗が増える
  • 口が渇く
  • 震え
  • 窒息感
  • 動悸

不安がもたらす最も一般的な心理的症状(思考または変化した認識):

  • 抑制力を失うかも/ おかしくなってしまうかもしれないと思う
  • 死んでしまうかもしれないと思う
  • 心臓発作を起こしているかもしれない/病気かもしれない/気分が悪い/脳腫瘍かもしれないと思う
  • 自分の不安を人に見透かされていると感じる
  • 物事がスピードアップ/スローダウンしているように感じる
  • 環境とその中の人たちから隔離されたように感じる
  • 逃げたい/ その状況から抜け出したいと思う
  • イライラして周囲のすべてが危険だと感じる

私たちが不安なときに行う最も一般的な行動は回避である。不安を引き起こす状況を避けることは、即時の救済をもたらすものの、それは短期的な解決策に過ぎない。その時は回避することが最良の策であるように見えるかもしれないが、次に同じような状況に直面したとき不安はまた戻ってくる。回避することは、「危険だ」というメッセージを心理的に強化するだけだ。回避することの問題点は、その状況に対する恐怖の実体や直面したときに何が起こるかを、実際に確かめられないことだ。

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「声が出なくなる(酷い時には体が動かなくなる)」という場面緘黙の症状は、一般的な不安の症状には入っていません。でも、人前で話すことへの不安・恐怖を回避するのが緘黙です。

最後の部分を読むと、回避を繰り返すことによって「人前で話すことは危険」というメッセージが強化され、よりいっそう話せなくなるということが理解できます。緘黙が強化され、固定してしまわないうちに、少しずつ実際に声を出してみて「な~んだ、思ったほど怖くないぞ」という体験を積み重ねていくことが大事なんだなと改めて思います。

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不安のメカニズム

 

不安のメカニズム

私は英国カントリー調の暮らしを紹介する『Country Living』という月刊誌が好きで、昨年から定期購読しています。購読者にはウエブ記事のリンクが送られてくるんですが、その中の『不安が身体に及ぼす影響』というタイトルが目に留まりました。

その記事はイギリスのチャリティ団体、Anxiety UKの資料をもとに書かれたもので、この団体のサイトに行ってみたところ、ものすごい情報量とサポート!(会員になると大量の資料にアクセスでき、セラピーが割引に!)

列記された不安の病名・症状名だけでも、社会不安障害やパニック障害から、予見不安症(Anticipatory anxiety)やアグロフォビア/広場恐怖症(Agoraphobia)まで30を超える数。知らない症状名もいっぱいあって、奥が深いなあと…。ちなみに、場面緘黙は『若者と不安(Young People & Anxiety)』のカテゴリーに入ってました。

Anxiety UK によると、最近のリサーチでは6人に1人の若者が何らかの不安の症状に悩まされる(もしくは、された)経験があるとのこと。

  • イギリスでは16-18歳の10人にひとりが何らかのメンタルヘルス症状を経験 (Green et al 2005)――これには引っ込み思案や母子分離不安、不眠傾向、テスト前不安といったものも含まれています。
  • メンタルヘルス問題の半分以上が14歳までに発症し、75%は18歳までに固有の症状が出る(Murphy and Fonagy 2012)
  • 不安の症状は成績、ストレスへの耐性、自信、モチベーション、交友関係に大きく影響する(Layard 2008)
  • 不安と鬱が最も多く、他の症状との併発率が高い(Green et al 2005)

記事を読んでみて、「え~っ!!」とうなってしまいました。

多くのメンタルヘルスの問題は児童・青春期に発症し、その後の人生に大きく影響するにも関わらず、本人が助けを求めるまで平均10年もかかるんだそう!ということは、10年もの年月を不安の症状に悩まされ続け、成人してから耐えられなくなって相談や受診をするということ?

10代・20代という人生の一番いい時期に一人もんもんと苦しみ続け、その間に症状が固定してしまったり、悪化してしまったり、さらに合併症や二次障害を発症してしまう可能性もあるのです…。

誰にも緘黙の相談ができずひとり苦しみ続け、高校や大学で自力で話せるようになった後、社会人になってから鬱病や社会不安障害で病院を訪れたという話をききます。小中学校で受診するケースでも、発症から数年経って学校での問題が大きくなった後というデータがでているよう…。

多感な年ごろの子ども達は、親に自分の問題を言いたがらないし、16、7歳になれば親も口を出せない雰囲気になってきますよね。自らネットで色々調べることができる反面、それが裏目に出てますます不安を増大させることもあるかも…。

子どもが何かおかしいなと感じたら、親は早期に介入したいですよね。でも、メンタルヘルスに関する世間の目は、まだまだ偏見に満ちているというのが現状。身体の病気は平気でも、心の病気となるとちょっと言いにくい雰囲気があります…。

でも、大人の世界で考えてみても、職場で虐めにあって鬱気味になったり、極度の緊張や不安で眠れなくなったり、疲れて体調がおかしくなったりというのは、本当に誰にでも起こりうることです。

私自身のことでいえば、2ヶ月ほど前に全く知らない人から急遽翻訳の仕事を頼まれ、生活のリズムがガタガタに…。引き受けた後に文字数がどんどん増えて、結局4倍くらの長さになってしまったのでした(私は頼まれると「イヤ」と言えない性格で、息子もその傾向が強いです)。

週末を挟んで4日間くらいで何とか終えたのですが、他の仕事もあるし、失敗してはいけないとめっちゃ緊張。毎日夜中の2時位まで頑張っていたら、疲れているのに眠れなくなって、不眠症気味になってしまいました~!ついでに胃腸の調子もおかしくなって、踏んだり蹴ったり。

1週間くらいでやっと普段のリズムに戻ったんですが、あのストレスがずーっと続いていたらと思うと、ちょっと怖い。不眠が続くと肉体的にも精神的にもシンドクなって、心のバランスが崩れてしまいますよね。これは息子の赤ちゃん時代の経験で身にしみたことですが、長く続くとホントに辛いです。

以前にも書きましたが、イギリスでは比較的簡単に様々なセラピーを受けることができます。ヒーリングパワーからCBTまで個人で仕事をしているセラピストが大勢いて、「ちょっとセラピーを受けてみようかな」と気軽に相談できる空気があります。私の周りでも「スピーチが上手くなるように睡眠療法を受けた」とか「別居する前に夫婦でカウンセリングを受けた」というような話がちらほら。

「問題があったらプロに相談してみる」というのが普通というか、民間のチャリティ団体など相談できる機関がけっこうあるように思います。特に、イギリスではNHS(国民健康保険)を使うと待ち時間が長い・医者や専門家の選択肢が少ない・自分で選べないため、プライベート治療やチャリティの支援が充実しているよう。最近では、Skypeなどを利用したネット経由の治療も定着しつつあります。

場面緘黙に関しては、プライベートの治療を提供するセラピストが増えてはいるものの、まだまだ数が少ないのが現状。料金が高いことや、学校との連携の問題がネックになっている状態です。

前置きが長くなってしまったので、不安のメカニズムの内容については次回に書きます。

 

抑制的気質とHSP(その4)- ASD児の共感力

イギリスでは1週間ほど最高気温が30度近くまで上がる真夏日が続き、先週の水曜日はなんと34度に!6月にこれほど気温があがったのは40年ぶりだそうです。この日は電車とバスを乗り継いでちょっと遠出をしたのですが、痛いくらいの陽射しと熱風にもうぐったり。こちらの公共交通機関にはエアコンなどついてないので(学校はエアコンどころか扇風機もなく、先日アイスを配ってました~)、夕方になるとドドっと疲れてしまっていました。

さて、時間があいてしまいましたが、『抑制気質とHSP』の続きです(前記事は『抑制的気質とHSP(その3)共感力ってなに?』)。今回はASD児の共感力について。

「ASD児は人に興味がない」といいますが、決してそうではないと思います。私が日本語を教えている特別支援校は、高機能自閉症/アスペの子(90%以上が9・10~18歳の男子)を対象としているのですが、どの子も例外なく母親が大好きで、強い絆を持っているよう。

また、ほとんどの子が友達関係を築いていて、休み時間に一緒に遊んだり、隣同士で座ったり。趣味が合う子同士が友達になり、カードゲームをするグループや校庭でサッカーなどの遊びをするグループができています(休み時間はスタッフが交代で生徒の見守りをするんですが、時間が空いているスタッフも遊びに参加。一緒にゲームをしながら、生徒の個性を知ったり、人間関係を深めることができて一石二鳥です)。

当たり前のことですが、ASD児にとっても学校での人間関係はものすごく大切。もしかしたら、「彼らは自分の世界に閉じこもっていれば幸せなんだ」と思っている方がいるかもしれませんが、全員がそうな訳ではありません。少なくとも、うちの学校の生徒さん達は違うし、以前公立の小学校で担当した高機能ではないASD児に関しても、学校生活を続けているうちに徐々に仲間意識が芽生えていったように思います。

ASD児同士の会話を聞いていると、友達の話をそれほど熱心に聞いていないと思われることも多いんですが、共通の話題で盛り上がったり、一緒に行動することを楽しんだりと、仲間意識を持っていることは間違いありません。それは共感力に繋がるものだと思うし、みんな友達を欲しがっているんです!

でも、中にはうまく友達関係を結べず、クラスの中で孤立しがちになって、社会不安や鬱に苦しむ子も…。ASDやADHDなど発達障害を持つ子・成人が、二次障害として社会不安や鬱病などを併発することは結構多いといいます。

仲間に入りたいのに、どう受け答えすればいいのか、どう行動すればいいのか判らない――。

話せるようになった緘黙の人が、同じような悩みを抱えるケースをよく耳にします。緘黙を克服しても、人とうまく話せない・社会に溶け込めないことを「緘黙の後遺症」と呼び、深刻な社交不安や社会不安に悩まされるケースも…。

話し言葉・言語・コミュニケーションの発達は18歳くらいまで続きます。子どもは実際の体験を通して対人コミュニケーションを学び、社会性を培っていくので、発達の大切な時期にこうした体験を積めないことは、かなりのハンデになり得ます。

ASDの人は脳の機能障害で、緘黙の人は体験不足で対人コミュニケーションが苦手――原因は違いますが、症状はほぼ同じですよね。両者とも自分の気持ちを伝えることが苦手と思われるので、原因をはっきり判別するのはかなり難しいのでは?

話をASD児に戻すと、よく耳にするのが「ASDの人は言われたことを額面通りに受けとめるので、冗談が通じない」という説。でも、私の生徒さんたちはジョークを飛ばすことも多く、受け取る側の反応もすばやい。あうんの呼吸というか、ちゃんと通じ合っているものがあるのです。これって共感性のひとつでは?(ちなみに、英語やその時学校で流行っていることなどの問題で、私の方がジョークを受け取り切れない場合が多いです)。

でも、考えてみると中学生以上の子ばかりなので、それまでの集団生活や社会学習の成果なのかも?ということは、学習すれば社会性とともに、共感性も少しずつ身につくということでしょうか(常識からは程遠い行動や思考もあるにはせよ)?

以前、小学部でTAの見習いをしていた時、「やっぱりASD児に思いやりの心はないんだろうか?」と思ったエピソードをご紹介しますね。

ある寒い冬の朝、TAのひとりが風邪をひいてひどい咳をしてたんです。クラスの子ども達はそんな彼女の様子にすぐ気づきました(なにか普段と違うことがあると、反応が早い)。共感力がある子どもなら、「大丈夫?」と心配するところですよね?

すると、殆どの子が彼女のところに行って「なんで咳してるの?」と訊くんです。「風邪ひいちゃったの」というTAの答えに、「ふーん、そうか」と納得し、すーっとその場を離れる――それが何度も繰り返されました。

見かねて、「Miss Aは風邪をひいてすごく気分が悪いんだよ。こういう時は『大丈夫?』って声をかけてあげると嬉しいんだよ」と教えたら、みんな「ふーん」と返事してましたが――それを実行に移すには、まだまだ時間が必要だなと思ったのでした。

そういえば、先日小学部の先生が新入生を連れていたので名前を訊いたところ、後退りされました(笑)。それから、私にしかめっ面をして先生の後ろに隠れたという…担任にはよく懐いてました。

人は誰でも自分が一番大事です。普通だったら自然に社会の中での振る舞いを学んでいく訳ですが、ASD児の場合は生まれつき周囲の人の表情や場の空気を読めないため、「自己勝手」と思われる行動にでがち。でも、悪気は全くないんです。思ったことを正直にそのまま口にしてしまうので、摩擦を起こしやすいんですが、指摘されるとちゃんと反省し、学習しています。

社会的なルールを自然に身に着けることが困難なので、小学部では対人コミュニケーション技術をパターン学習させて、社会生活に対処できるよう支援しています。その過程で、スタッフや他の生徒たちとの人間関係が育まれ、学校生活を円滑に送れるようになっていく感じです。

緘黙の子どもや成人にも、安心して社会的な経験を積める場所や機会が設けられるといいのになと思います。多分、「言葉の教室」はそのひとつだと思うのですが、安心して集まれる小グループのようなものがあるといいですよね。

息子の場合は、クラスメートを家に招くことが緘黙の克服に加え、社会性を身につけることにも繋がりました。小3の頃から男子5人のグループに入れてもらって、放課後は持ち回りでそれぞれの家を行ったり、来たり。我が家には週に一度の割合で集まり、毎回5人分の夕食を作るのが習慣に。大変でしたが、他の子供たちのことを知ることができ、なにより息子はこの小グループで同世代の子達との密接な関わり方を学べたんじゃないかなと思っています。

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抑制的気質とHSP(その1)

抑制的気質とHSP(その2)

抑制的気質とHSP(その3)

感覚過敏について(その1&2の追記)

 

ジャコメッティ展と足元のアート

先々週、ハーフタームの中休みがあったので、友達とテートモダン美術館にアルベルト・ジャコメッティ(1901-1966年)展を観に行ってきました。スイス生まれのジャコメッティは、20世紀を代表する彫刻家のひとり。針金のように細長い人物像は、ひと目見ただけで彼の作品と解る独創的な造形です。

 

 入口の壁に投射された展示会のロゴデザイン。右は以前撮影した常設展示の作品

ジャコメッティは1920年代半ばにパリにアトリエを構え、キュービズムやシュールレアリズムに傾倒した後、第二次世界大戦後の1950年頃から独自の作風を確立。ピカソやサルトルなど第一線の芸術家や作家らと交わりながら、どんどん人間の本質に迫るミニマルな方向へと向かったよう。

興味深いなと思ったのは、助手でもあった弟のディエゴや妻のアネットなど、限定された一握りのモデルだけを使って作品を作り続けたこと。会場では晩年の制作風景とインタビュー映像が流されていたんですが、「向き合えば向き合うほど、本質に迫れば迫るほどわからなくなる」というようなことを言っていて、すごく興味深かったです。厳選した身近な人だけを対象に、時間と労力を積み重ねながら深く迫る――彼は一体何を見て、何を求めていたんでしょう?

全然知らなかったのですが、1955年から仏国立科学研究センターの研究員だった哲学者、矢内原伊作をモデルにと所望し、何度も滞在費を負担してパリに招待していたんだそうですね。(後に、矢内原はジャコメッティの生活や芸術をつぶさに観察した『完本 ジャコメッティ手帖』を出版しています。機会があったら是非読んでみたいです)。

 

  どことなくコクトーに似た風貌?右写真の左側の人物が矢内原伊作氏。ジャコメッティと20歳以上も年が離れた妻、アネットと関係を持っていたそうですが、彼の何に惹かれてモデルにしたんでしょう?

お茶をして一息ついてから、ドイツ生まれの写真家、ウオルフガング・ティルマンズ展も覗いてきました。1968年生まれ、音楽誌などでもお馴染みの写真家ですが、日常の何でもないシーンを切り取っただけのように見えるのに、妙にインパクト大。展示方法や構成にも工夫が凝してあって、現役アーティストの持つ熱や想いが伝わってきました。

     

テートモダン美術館に行くときは、たいていセントポール寺院をぐるっと周って、2000年に建設されたミレニアムブリッジを渡ります。以前息子と橋を渡った際、「この足元にあるのもアートだよ」と言うんです。

    

     左はセントポール寺院を背にして、テートモダン美術館を望む風景。右はテートモダンから見たセントポール寺院

「えっ?」と思ってよく見たら、金属製の床に何やら小さな絵(?)が! よく見ると、人の名前やら国旗やら、シンボルマークやらが描かれているのです(息子は昔から人が気づかないような細かいことに目がいきます)。ガムを踏みつけて金属の凸凹部分を埋め、その上に彩色したのかな?

誰が創っているのか判りませんが、この小さなガムアートが橋の上に点々と続いているのです。常にひっきりなしに人が行き交うので、座り込んで絵を描くのは難しいはず--ということは、早朝とか夜間の静かな時間帯に制作してるんでしょうか?

 

そういえば、2年ほど前に家の近くの大通りの歩道で、似たようなミニチュアの絵を描いているホームレス?/ 大道芸人の人がいました。傍らに置かれた帽子に小銭を入れる見物人も。もしかしたら、そういう大道芸人がテートモダンを訪れた旅行者を相手に、名前や日時を描き込んでお小遣いをかせいでいるのかもしれませんね。

  

誰も気づかなかったら、踏みつけられて消えていくだけのガムアート。目前に広がる巨大な美術館の建物や橋から見えるロンドンの風景に気を取られがちですが、ちょっと目線を変えただけで、こんな風に違う風景が見えてくることもあるんですね。

 

バラの季節がめぐってきました

ここ3週間あまり、マンチェスターとロンドンのテロ事件で、イギリスは騒然としています。テロリスト達の年齢が20、30代と若く、しかも英国籍を持つ移民2世が多いこと、若者や女性をターゲットにしたことなど、考えると気が滅入るばかり…。気候も晴天が続いた後に急に寒くなり、夜間はまた冷え込むようになりました。

我が家は郊外にありますが、主人はロンドン中心地で働いているし、私達も地下鉄で気軽に街に出られる距離。たまたま今週末、イングランド北部に住む友達とテムズ河南岸の散歩を楽む予定だったのですが、雲行きが怪しくなってきました。今後はテロの恐怖と隣り合わせで暮らさなきゃならないのかなと思うと、本当に気が重いです。

それでも、人生は続いていく ”Life goes on” ですよね。

今年の5月はものすごく天気が良く、土曜日の森の中のウォーキングコースは緑が鮮やか。少し早めのバラの季節も到来しました。

   

白い野草が咲き誇る緑の散歩道。右は新しい校舎に行く途中で咲いていた白バラ

うちの庭のイングリッシュローズももう満開に近い感じです。一昨日の強風を伴う雨で随分散ってしまったのですが、もう次の蕾たちが待機中。残念ながらアーチの左側に植えていたClaire Austin が枯れてしまい、新しく植え替えたものの成長が悪いです…。このコーナーは陽当りが悪いためか、どの花もイマイチ。アケビの蔓だけが唯一めっちゃ元気に伸びまくっているので、もしかしたらアケビの根が原因かも(でも、バラのところまでは伸びてなかった…)。

   前庭の Mary Rose は今年も元気に咲いてくれました。でも、鉢植えにしているWinchester Cathedral は花のサイズが半分に…どうしたらいいものか…

どちらも同じ株から咲いたClaire Austin なのに、微妙に色味が違います

    ずっと植えっぱなしの植物も一斉に開花。2年前に植えた鉢植えのジャスミンはぐんぐん育って花までジャンボに。紫色のルビナスは昨年植えて、今年初めて花が咲きました

どんな時代でも季節はめぐり、花々は無言で咲いて私達の心を慰め、豊かにしてくれますよね。

 

 

感覚過敏について-抑制的気質とHSP(その1&2の追記)

昨夜、今月(何日か不明)『あさイチ』で放送された「シリーズ発達障害」を動画サイトで偶然発見・視聴しました。番組では感覚過敏についてかなり突っ込んだ調査を行い、本人にはどう見えているか・聞こえているかを映像化。発達障害を持つ大人が増えてきたため、その実情がどんどん解明されてきているようです。

で、今朝チェックしてみたら、その動画は既に消されてなくなっていました~。なので、覚えていることだけ書き留めておこうと思います。

発達障害で感覚過敏を持つ大人20名ほど(だったと思う)を調べたところ、普通の人とは違うように見える・聞こえるだけでなく、それぞれ見え方・聞こえ方が微妙に異なっているということが解明されたとのこと。

ある視覚過敏の人は太陽や電灯の光がひとより眩しく感じられ、風景全体が白っぽく見えたり、中には光が強すぎて目が痛いという人も。また、ある聴覚過敏の人は周囲の全ての音が同じような音量で聞こえてくるため、相手の話が聞こえづらいと…。

彼らの現実をできるだけ忠実に再現した映像では、世界は雑多で混乱していて、曖昧模糊とした印象でした。情報量が多すぎて焦点をあわせるのが難しいという感じで――これでは疲れて不安になるのも無理はありません。

『抑制的気質とHSP(その2)』で、「感覚過敏というのは、外部から『入ってくる』刺激を適切に取捨選択し、注意を向けたり調節することが難しいこと」と書きました。

例えば、スーパーに行くと、人が話す声、店内放送、足音、蛍光灯や他の機器から出る雑音などが、洪水のように耳に押し寄せてくるという聴覚過敏の人もいました(だから、長く店内にいることができないと)。ASDの人は外部から「入ってくる」音を取捨選択できないため、全ての音が同時に身体に流れ込んでくるんだそう。

私たちは普段「入ってくる」音を無意識のうちに取捨選択しているといいます。自分にとって必要な音は聞こえやすく、そうでない音は聞こえにくくする機能が備わっているんですね――大勢の子どもの声の中から母親が自分の子どもの声を聞き分けることができるのも、この機能によるものでしょうか?

もうひとつ興味深かったのは、番組に登場したイギリス人研究者が、ASD(発達障害)の人は「慣れの機能」が働かないと説明していたこと。『抑制的気質とHSP(その1)』で、「私が接したASDの子ども達は、徐々に慣れるという感じではない」と書いたんですが、慣れるための機能が働いてなかったんですね…。

これって全員にいえることなのか、それとも特定のグループだけなのか?また、「慣れの機能」は慣れる・慣れないの2通りしかないのか、それとも段階的なものなのか?また、発達障害を持たない子の感覚過敏については、どうなんでしょう?

息子に「全ての音が同じような音量で一気に押し寄せてくる?」と訊いてみたところ、答えはNoでした。息子の「取捨選択の機能」は働いているようです。幼少の頃、人が大勢集まるザワザワした場所に慣れるのにかなり時間がかかったのは、「慣れの機能」が弱いということでしょうか?

ちなみに、今では人が大勢集まる場所も平気です。経験を積み重ねて「慣れた」ということもあるんでしょうね(それでも、同年代のティーンの集団に出会うと、ちょっとドキドキするそうですが…これは私も同じでした)。

そういえば、息子が小学校低学年の頃、主人とロンドン中心部にある大きな映画館に『スターウォーズ』を観に行ったら、音が大きすぎて途中で退出…そんなことが2回ほどあったと記憶しています。高学年になってからは大丈夫になったんですが、大音量に耐えられるようになったのは「慣れ」なのか、成長したからなのか、どうなんでしょう?

息子によると、今苦手な音は猫よけの超音波の音で、耳が痛いからどうしても駄目だそう。また、「会話してる時、ラジオやPCで誰かが話す声が聴こえてくると、そっちに耳がいってしまい、すごく気が散る」ということ。その割には、好きな音楽を大音量でかけながら宿題してます――自分の好きな音楽はバックグランドミュージックだから、全く気にならないんだそうです。

よく考えると、誰でも苦手な音ってありますよね?ASD児の中には、赤ちゃんの泣き声や運動会のピストルの音が駄目な子がいますが、苦手なだけではなく、耐えられなくてパニックになってしまうところが問題なんですよね。他の子は大丈夫なので、周りから理解されにくいのが辛いところです。

とにかく、この番組を観て思ったのは、「慣れの機能」が働いていない子に対しては、徐々に慣らすという方法は不適切だということです。例えば、運動会のピストルの音が駄目な子に対しては、「何度も経験させて慣れさせる」方法は苦痛でしかないでしょう。イヤーマフを使用するなど、子どもの負担を減らす工夫をした方がストレスが少なくてすみます。

大人だったら苦手な状況を避けて調整することが可能でも、子どもの場合はそうもいきません。特に、学校生活では「みんなと同じことをする」が基準になっています。まずは、子どもの苦手や何に困っているか、どの程度困っているのかを知ることが一番大切かなと思います。そして、どうしても駄目なものは、学校と保護者が相談して対処法を決められるといいですよね。

改善させようと頑張りすぎると、「できない」という思いが大きくなったり、コンプレックスやストレスになってしまうことも――要注意ですね。それよりは、できる方法を見つけていく方が、子どもにとって楽だし自信もつけられると思います。

反面、「慣れの機能」が作動している場合は、時間をかけて慣れさせる方が将来的にもいいですよね。だからこそ、子どもの感覚過敏がどの程度なのか、「慣れる」ことは可能かどうか、見極めることが大切。それができるのは、子どもに一番近い存在である母親じゃないでしょうか?子ども自身はどんな風に苦手なのか表現できないことが多いので、「嫌」の度合いを測るのは結構難しそう。そういう時には、母親の直感がものをいうかもしれません。

<関連記事>

抑制的気質とHSP(その1)

抑制的気質とHSP(その2)

 

 

 

抑制的気質とHSP(その3)共感力ってなに?

エレイン・アーロン博士の著書『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ(Highly Sensitive Person)』が2000年に翻訳出版され、日本でもHSPという言葉が広く知られるようになりました(詳しくは『抑制的気質とHSP(その1)』をご参照ください)。タイトルを直訳すると「とても繊細な人」ですが、ただ感覚が繊細なだけではHSPではないのです。

HSPの4つの特性は:

*緑の部分はブログ『いつも空が見えるから』https://susumu-akashi.com/2016/10/hsp/#i から引用させていただきました。

アーロン博士は、たとえ感覚が敏感であっても上記の4つの特性がすべて揃わなければHSPではないと明言しています。感覚過敏を持ち合わせていることが多いASD児に関しては、共感力が低いため、HSPとは区別しています(感覚過敏については『抑制的気質とHSP(その2)』をご参照ください)。

(YUKIさんのブログ『いつも空が見えるから』では、ASDだから「共感力がない」という説は誤りであるということを詳しく説明しています。実は、私もASDの子どもたちと接してみて、彼らには共感力も思いやりもある、と感じていました。これについては、次回書こうと思っています)

では、共感力(共感能力)とは一体なんでしょうか?辞書をひいてみると、「他者の感情を理解する能力」とあります。

息子は抑制的な気質の割に、特に4歳くらいまでは特定の人に限ってとても甘え上手でした。可愛がってくれそうな人(自分に好意を持ってくれそうな人)をぱっと見分けて近づき、甘えて抱っこしてもらったり、得意なことを披露したり。その一方で、相性が悪そうな人には絶対に近づかないという…。

3歳のころ、日本人女性にベビーシッターを頼んだことがあったんですが、私が仕事から帰ってきても、息子は知らん顔!その人に甘えてもたれかかり、すっかり2人の世界に浸っていたのです。なんと、彼女が帰ったら泣いちゃったんですよね(苦笑)。

小学校の頃は、「あの人は僕のこと嫌い」とか「先生は今日怒ってた(機嫌が悪かった)」などと、家でよく私に言ってました。「そんなこと言うもんじゃないよ」「ぱっと見ただけでは解らないでしょ」と注意はしてたものの、心の中では「当たってるかも(自分に好意的ではなさそうな人にわざわざ近づかなくても、という意味で)」と思ったりして…。

人見知りなのに、何故か親近感を持てそうな人には自分から近づいていく--同じ波長の人を見極める直感力が鋭かったように思います。

そして、場の空気を敏感に感じ取ってしまうため、マイナスになる部分が多くありました…。例えば、先生が「キャンディーあげるからおいで」というと(小学校で時々あった)、クラス全員が先生(キャンディー)めがけて殺到します。そういう時、その空気、というか雰囲気?に圧倒されて、息子は動けないのです。で、一番最後になってしまい、その頃にはもうキャンディーはなくなっているという…。「僕も欲しかったのに」と、後から涙目になってました。

また、誰かの機嫌が悪かったり、悪さをする子がいる時なんかは、すぐ察して近づかないようにするんです。あとは、誰かが怒られていると、自分が怒られたように気になるようでした。高学年になってからは、人に何気なくいわれた言葉や自分が人にしてしまったことを気にして、もんもんと悩んで眠れなくなったり――多分、相手は覚えてもなかったんじゃないかな。

私は息子が小学校高学年になるまで、思いやり(共感力?)が育ってないのでは(『「思いやり」が育ってない?』をご参照ください)と気になってました。あまえん坊の割に、図工で作る母&父の日カードなんかはホントに言葉が少ない(他の子の半分以下)。どういう訳か、こちらが聞かない限り学校での出来事や自分の気持を言わない子で、何かの拍子にポツポツ話し出すという感じだったんです。

でも、緘黙が改善し、遊び仲間ができ、学校生活が楽しくなってきた頃から、徐々に自分の気持や友達のことなどを話すようになりました。

小5の頃(10歳)家に遊びに来た友達のひとりに私が声をかけたんですが、後で「○○君にそれを言ったら駄目だよ」と叱られました。理由もちゃんと話してくれて、その言葉を言ったら彼が傷つくと…。

「え~っ、この子にはこんな友達思いの面があったんだ!」とビックリ。こと友達のことになると、きめ細かく配慮してたような…。その反面、どうも身内に対しては「やってくれて当然」と思っていたようなフシがあります。

それが、今では私が落ち込んでいたり、怒ってたりすると、真っ先に気づいて言葉をかけてくれるのが息子なんです。その上、とても冷静沈着で論理的なアドバイスをくれたりして…。

息子の共感力は成長とともに育ったんでしょうか?それとも、共感力というのは生まれつき備わる資質に影響されるんでしょうか--謎です。

もしかしたら、息子は緘黙から開放されて、少し余裕を持って人のことが見られるようになったんでしょうか?それまでは、それどころじゃない不安の渦の中にいたのかもしれません…。

以前は思いやり=共感力と思っていたんですが、「思いやり」って行動や声に出さないと気ずかれにくいですよね。ただ感じたり、思ったりしてるだけでは、人には伝わらない――でも、言わない・言えないHSPっ子は案外いるのかもしれません。

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抑制的気質とHSP(その1)

抑制的気質とHSP(その2)

 

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その11)自宅での様子

PCのファイルを整理していたら、懐かしい映像が出てきました。確か、2005年の夏に窓の修理をしたときのものだったと思います。

当時、5歳くらい(5歳の誕生日前か後か不明)だった息子は、ビデオカメラで色々撮影するのが大好きでした。この時は居間の古いサッシュウインドー(うちは100年位前のエドワード王朝時代に建てられたテラスドハウスです)を修復していて、床やソファはダストシートで覆われ、修理機器やら掃除機がどーんと陣取っています。

確か、修理の職人さんたちがランチタイムの休憩中で、誰もいない間に撮影したように記憶しています。

なんか落ち着きがないですね。幼少の頃はかなりオシャベリな子どもで、一緒にいるとうるさい位でした。(今はこの映像からは想像もつかないくらい落ち着いてます)。声のトーンが人一倍高くて、本当にうるさいですよね…。

息子は4歳半で小学校のレセプションクラスに入学。就学3週間目に混み合う滑り台から落ちるという事件に遭遇し、それがきっかけで場面緘黙になりました(事故直後は緘動も)。幼稚園では寡黙でしたが、大人がいないところでは日本人の親友と日本語で普通に話していたよう。

小学校では親友とクラスが分かれてしまい、初日から自分の英語力に引けめを感じていました。それまでは日本語中心の生活をしていたのですが、緘黙になってしまったこともあり、英語に切り替えることに。すると、あっという間に英語の生活に変わってしまいました~(涙)。

緘黙を悪化させないために土曜日の日本語学校に入れることを断念したのですが、今でもちょっと後悔しているのです…。私が教えればいいやと思っていたものの、聞く・話すはよくても書くのが大嫌いで――結局漢字をやってる途中で放り出してしまいました。

話がそれてしまいましたが、自宅で撮影した映像を担任や医師などに見せて、子どもの普段の様子を知ってもらうことは結構重要だと思います(私の場合は、映像でなく録音した声を聞いてもらったんですが)。学校や家の外でのイメージとは全く違う本当の姿を見てもらうことで、子どもがいかに緊張しているか、親がどんなに心配しているかを解ってもらえるのではないでしょうか?口で説明するよりも説得力があるのは確かです。

また、学校ではできない本読みや楽器の演奏、唱歌などを、映像を見て評価してもらうという方法もあります。今や携帯で簡単にビデオを撮って送信できる時代なので、それを活用しない手はありません。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その1)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その2)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その3)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その4)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その5)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その6)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その7)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その8)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その9)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その10)

抑制的気質とHSP(その2)

かなり時間が経ってしまったのですが、3月9日に投稿した『抑制的気質とHSP(その1)』の続きです。

まずは感覚過敏についての続きを。

ここ5年間ほどASDの子どもやティーンと関わってみて、彼らは感覚過敏によって受ける不快感(刺激)を統制する機能が弱いというか、いわゆる健常児に比べると、不安や感情のコントロールがより難しいように感じます。

例えば、息子が小さかった頃に室内遊技場に連れて行くと、初めての時は1時間くらい私にくっついて全く離れず—でもだんだんと慣れて、こわごわ遊び始め、さあ帰ろうという頃に乗ってくるという。それでも、何度か回を重ねるとさすがに慣れて、すっと好きな遊具にむかって行けるようになりました。

ASD児の中にはこの「慣れる」が大変難しく、拒否反応やパニックを起こす子が多いような…。息子も時間がかかりましたが、もっと多くの時間と工夫が必要となりそう。ずーっと拒否し続けて、「これはやらない」「できない」が増えてしまい、日常生活や人間関係に影響してしまうことも多いです。(ASD児でもそれほど感覚過敏・鈍感がない子もいて、それぞれ特性が違うので、ひとまとめにはできないのでご注意ください)。

この「やらない、できない」ことが多く、体験の積み重ねができないことが、年齢相応の常識が身につかない要因のひとつかもしれません。みんなセカンダリー(12歳から)になってくると落ち着いてはくるものの、大人っぽいことをいう割に、情緒的にものすごく幼かったり、年齢相応のことができなかったり、受け流すことができなかったりと、アンバランスさが目立ちます。

前回、リンクを貼らせていただいた『リタリコ発達ナビ』のサイトの、「感覚過敏」のページにこんな記述がありました(お借りします)。

https://h-navi.jp/column/article/35025696

感覚の過度な偏りと発達障害には密接な関係があります。その中でも、自閉症スペクトラム障害(ASD)では、幼いころから感覚の偏りが見られることが多いといわれています。

発達障害のある子どもは、刺激に対して適切な感情を生じさせる機能に特性があると考えられています。そのため本来は有害でない刺激に対して過度な恐怖、不安の感情をもつことがあります。また、適切に外部の刺激を取捨選択し、注意を向けたり調整することが難しいために、発達障害のない子どもに比べて、過剰に反応をしてしまうのです。その結果、新しい活動を避けるようになってしまったり、多動傾向になったり、パニックになったり、周囲に対する不安感が強くなったりします。

そして、子どもの場合には、そのような不安を適切な方法で表現できないために、癇癪(かんしゃく)や自傷行為などの問題行動につながりやすい傾向にあります。また、逆に感覚の鈍感さがあるときの行動の一つとして見られるのが、手をふらふらする、首をふるなど、「常同行動(自己刺激行動)」と呼ばれる行為です。これは、感覚刺激を求めたり、不安を紛らわせたりするための、自己調整の行動ではないかと考えられています。

緑の部分は『リタリコ発達ナビ』から引用させていただきました。

下線や太字の部分、納得できるものがあります。感覚過敏というのは、外部から「入ってくる」刺激を適切に取捨選択し、注意を向けたり調節することが難しいこと――うまく調整できないから不安になり、周囲に合わせられないから更に不安が増すという悪循環になってるのかな…。

例えば、大きな音がした時、びっくりして泣き出す子とパニックになってしまう子の間には、「入ってくる」刺激に違いがあるんでしょうか?

発達障害の感覚過敏に反して、アーロン女子はHSPの感覚過敏は、敏感性感覚処理 (sensory processing sensitivity)で、「入ってくる」刺激の取捨選択には問題ないけれど、感受性が高いために「受け取った」刺激をより深く処理してしまうことだと言っています。

これは、大きな音がした時、ただ音に驚くだけでなく、「何が起きたの?」「ママは?」「怖い」「〇〇ちゃんが泣いてる」など周囲の空気を読んだり、想像したりすることで、不安が増してしまうとうこと?

刺激をより深く処理するためにはより時間がかかるだろうし、色々考えるとより自衛的になると考えられるので、行動抑制的になるというのは解かるような気がします。

まとめてみると、取捨選択機能がうまく働かない(感覚統合障害(sensory integration disorder))ため、「通常」とされている範囲よりも多くの刺激が「入ってきて」しまうのが感覚過敏。対して、刺激を取捨選択して「受け取る」のはOKだけど、「通常」よりも深く処理するのが敏感性感覚処理 (sensory processing sensitivity)ですね。いずれにしても、世間一般が「通常」と考える範囲を超えた処理をしているため、注意とケアが必要になるということかな。

またまた素朴な疑問なんですが、この2つの特質を同時に持ち合わせていることってないんでしょうか?

また、この2つの特性についても、多分ASDの定義(『イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その3)』をご参照ください)と同じように、明確に境界線を引けるものではないような気がするのです。境界線の内側が「正常」で外側が「障害」ではなく、スペクトラム状(連続体)になっていて、グレーの部分が大きいような…。

生まれ持った気質と環境に影響を受けながら成長・発達していくうえで、少し凸凹があってもうまく適応できれば性格とか個性で済んでしまうケースも多いんじゃないかな?子どもが生きづらさを抱え込んでしまわないように、自分である程度調整できるようになるように、うまく支援してあげたいですよね。

次回は「共感性」について考えてみたいと思います。

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緘黙児とHSP

抑制的気質とHSP(その1)

 

NYのグループ治療プログラム『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』(その2)

SMiRAコンファレンスより、児童セラピスト、ルーシー・ネイサンソンさんの講演の続きです。

NYのグループ治療プログラム、『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』を経験して

<まとめ>

  • 場面緘黙を1週間で完全に克服することは不可能
  • このプログラムは治療プロセスの一部
  • 殆どの子どもは継続的な介入が必要
  • 克服するには長い時間がかかる
  • この集中治療により、子どもは話すきっかけを得、成果を積み重ねていくことができる

ひとつ注意していただきたいのは、この講演はルーシーさんが体験した範囲内での話だということ。決して『ブレイブバディズSM(Brave Buddies SM)』の全容ではありません。治療プログラム終了後、学校での支援にどう繋げていくのか、どの程度の子どもが学校で話せるようになるのか、などの詳細は不明です(Child Mind Instituteが考案した特別プログラムなので、外部に漏れないようにしている部分もあるのかも)。

ルーシーさん自身は、「もし自分がこのプログラムを取り入れるとしたら、全部取り入れずに一部だけ使い、他の治療法と組み合わせると思う」と言ってました。

質疑応答では、以下のような質問がありました。

1) 緘黙児全員が導入セッションで声を出せるようになるのか?

ルーシーさんが担当した子は声を出せたそうですが、全員が話せたかは不明とのこと。もし話せない子がいるとしたら、その子は本番には進めないんでしょうか?

2) この集中プログラムの後、学校で話し始める確率はどのくらいか?

これも不明。学校への支援に繋ぐためペアレントトレーニングが行われますが、学校がトレーニング通りの支援に協力してくれるかどうか――実際にやってもないと判りませんよね…。

3) 参加料金はどのくらい?

これも不明でした。が、アメリカは医療費が高いことで有名なので、もし医療保健がない・効かない場合は、一体どんな額になるんでしょう…?

4) 集中プログラムでは子どもの答えに対して、セラピストが長い文章で答えを反復する方法だが、慣れてくればもっと自由に会話できるようになるのか?

残念ながらこちらも不明。治療中に子どもがセラピストになついて、自由な会話ができるようになる、という感じではないみたいでした。……………………………………………………………………………………………………

今回のコンファレンスには、イギリスの緘黙治療の第一人者といわれるマギー・ジョンソンさんなど、多くのSM専門家が参加していました。専門家からは、セラピストが子どもの答えを反復するやり方ついて、「最初はいいとしても、ずっと続けるのはどうか?徐々に自由な受け答えができるようにしていく必要があるのでは?」という意見が多かったです。「長い目で見ると、短期間で発語を促す方法より、自発的な発語を促す長期的なスモールステップ方式の方がいいと思う」という人も。

イギリスはアメリカと比べると保守的な傾向が強く、薬の服用や発語を強制することに対しては否定的な意見が多いです。ただ、緘黙状態が長引けば長引くほど、同じ環境での自発的な発語は難しくなってきます。転校や進学をきっかけに、本人が頑張って話し始めるケースは多いですが、話し始めるきっかけって意外と少ない…。そういう意味では、きっかけを作ってくれるこの治療プログラムは貴重かなと。

あと、「自由な会話」ができるようにならなければ緘黙を克服したことにはならない、という意見もありましたが、これについてはちょっと疑問が…。

私は小さい頃とても内弁慶で、小・中・校を通して「大人しい子」と評されてました。授業中に当てられたりすると、緊張して必要最低限のことしか言えないことが多かったです。休み時間に友達とお喋りするのと、授業中やみんなの前で発言するのとでは、全く別の自分がいました。自由に会話ができる人って、本当に限定された数人だけ…。今だに自分の気持を上手く伝えられなくて、後になって「こう言えば良かった」「どうしてあんなこと言っちゃったのかな」と反省することも多いし…。

教室など多くの人に見られる公の場で自由に会話することは、緘黙の子・人でなくても難しいと思うんです。(イギリスの小学校とかだとグループで活動することが多いので、話しやすい雰囲気ではありますが)。だから、もう少しハードルを低くして、公の場では質問に答えたり、自分の意見を言えるようになればOKじゃないかな…。

ただ、たとえ口下手であっても、気の置けない友人や親族には、自分の興味のあることや得意なことだったら、安心して話せるんじゃないでしょうか?楽しく話せる人や場所があれば、それが自信に繋がります。だから、好きなことや趣味を持つことは本当に重要だと思うんです。親にすれば、子どもがネットゲームやアニメ、アイドルグループなどに夢中になれば心配になるもの。でも、親から見てどんなくだらないことでも、楽しみを持つことが生きる力になると思うんです。そして、それが行動を起こすきっかけになるかもしれません。

好きなアーティストのファンクラブに入ったり、ネットゲームでオンライン上の仲間を作ったり――そこから次なる発展があるかも。人間って「好きなこと」にはめっちゃパワーを出せると思うので。

話が反れてしまいましたが、この集中治療プログラム、もし息子が緘黙だった頃にアクセスできていたら…う~ん、参加させるかどうか悩むところですね。1対1ではなくて、知らない子どもや大人たちと一緒、しかもその中で話さなくてはいけない――結構プレッシャーが大きいかも。やってみる価値はあると思うのですが、やはり子どもの反応次第でしょうか。

治療プログラムではなくても、子どもがやりたそうな習い事をさせてみるとか、友達を誘って出かけてみるとか、まず楽しめるきっかけを作るのがいいかもしれませんね。

(おまけ)

昨日、イチゴを食べようと思って洗っていたら、「あれっ?」。イチゴのさきっぽ(ヘタじゃない方)に何やら緑のものが…。

ツブツブの種が集中してる実の一番先から発芽してました~!生まれて初めて見ました

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