2019年SMiRAコンファレンス(その3)ASDとは何か?

<自閉症スペクトラム障害(ASD)とは何か?>

「自閉症とは生涯にわたる発達の障害であり、他者とのコミュニケーションの仕方、関与の仕方、周囲の世界に対する感じ方に影響を与える(英国のASD支援団体National Autistic Societyより)

すべての自閉症者は共通する3つの特性を持つ TRIAD(三徴候)

• すべての自閉症者は、社会的なコミュニケーション、社会的な関わり、思考の柔軟性(想像力)に困難を抱えている
• すべての自閉症者は、感覚の違和(感覚過敏)を持つ
• 自閉症は広汎にわたる――その人が世界を見、関わり、経験する方法に影響を与える。それは恣意的にスイッチを入れたり、切ったりできるものではない。

クレアさんによる自閉症のアイスクリームサンデー・モデル

(ASDをアイスクリームサンデーに例え、実際に会場で作りながら説明してくれました)

  • アイスクリームの器:脳
  • 3種類のアイスクリーム: ASDの3つの特性
  • バニラ:社会的コミュニケーションの困難
  • ストロベリー:社会的な関わりの困難
  • チョコレート:思考の柔軟性の困難(想像力の欠如)
  • アイスクリーム全体にかけられたシロップ: 感覚の違和(感覚過敏)
  • ウエハース:*表出する行動・言動

アイスクリームは必ず3種類あることが定義。かけられたシロップの濃度や分量は人によって異なるが、行動・言動に影響を与える。

みく備考:

注意していただきたいのは、はっきり見えるのは*行動・言動 / ウエハース部分のみということ。感覚過敏 / シロップ部分は、本人も明確に説明できないため、保護者や周囲がよく観察し、対処法を考える必要があります。

ひとくくりにASD児・SM児といっても、各自それぞれ違います。私はここ5年ほど高機能ASDのティーンたちに日本語を教えているのですが、本当に個性も行動パターンも千差万別。ASDの3つの特性で判断といわれても、スペクトラム状になっていて明確な境界線がないため、解り難いと思います。

高機能自閉症専門の特別支援学校で会うティーンの中には、ぱっと見ただけだと「この子本当にASD?」と思える子も。ぴょんぴょん跳んだり、手をひらひらさせたりというような目に見えやすい常同行動がない子が多く、あっても中学生くらいになると目立たなくなる傾向にあるような…。

何度かやり取りすると、「あれっ?」と違和感が強くなり、その子独特の行動パターンが見えてくるという感じです。普通の公立校で学校生活や友人関係に支障をきたし、転校してくる子も多いよう。数は少ないですが、小学校高学年までASDと診断されなかったケースも。

幼少期にASDを疑われなかった子どもは、高機能(アスペルガー)でそれほど言葉に問題がない子が多いのではないでしょうか?学校でそれなりに順応できていれば、発見されにくいと思います。家族は一緒に暮らしている年月が長いため、子どものコミュニケーション方法や行動パターンに慣れてしまい、それを「個性」ととらえがち。「何か変だな」と思いながらも、問題が起こるまで受診しないことも多いのでは?

確かに、ASD児の行動パターンはその子の「個性」ですが、早く気付いて支援を受けることができれば、日常生活の困難さや生きづらさを改善できます。成長の過程で、自己肯定感や自尊心を培うことができないと、自己評価が下がってしまい、社会不安などの二次障害をおこしやすい――これはSM児にも言えることだと思います。

もし子どもが「グレイゾーン」や「ASDの傾向が強い」と言われた場合も、その子の生きづらさや苦手分野を認識し、その子に合う支援ができれば、随分違ってくると思います。

目標は子どもが「その子らしく」、自己肯定感を持って生きられるということじゃないでしょうか?

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2019年SMiRAコンファレンス

2019年SMiRAコンファレンス(その2)

2019年SMiRAコンファレンス(その2)SMとASD

講演1:場面緘黙と自閉症スペクトラム障害:コミュニケーションに影響を与える二つの症状:  類似点、相違点、重複部分 Selective Mutism and Autism Two conditions affecting communication: Similarities, differences and overlap

イングランド北西部のマンチェスター市に勤務する教育心理士のクレアさん

講演の一番バッターは、昨年のコンファレンスでも『SMとASDの併存(詳しくは『2018年SMiRAコンファレンス(その5)』をご参照ください)』というタイトルで短い報告をしてくれた教育心理学者のクレア・キャロルさん。今年はそのテーマをもっと掘り下げて、より詳しく説明してくれました(資料は、クレアさんが勤務するマンチェスター市のOne Educationスキームから)。

今回のコンファレンスで最も注目を集めた議題なので、複数回に分けてお伝えしたいと思います。

まずはクレアさんの紹介から。

クレアさんは2000年に教育心理士の仕事を始め、2004年に自閉症の専門家に。場面緘黙の研修を受けたのは2014年とのこと。

クレアさんの長男、グレッグ君(仮名17歳)は、SMとASDの両方を抱えています。ASDの診断は幼少の頃におりたものの、SMは10歳(2012年?)になるまで診断されなかったとか。

(イギリスでは2006年にTVで場面緘黙のドキュメンタリー番組が放送されてから、少しずつ場面緘黙が知られるようになりました。私の息子が2005年春にSMを発症した当時は、SENCOを含む学校関係者も全く知識がなかったのです)。

グレッグ君は家の外では話さなかったものの、学校では答えが明確な質問には、声を出して答えることができていたそう。クレアさんは「緘黙児は学校で全く話さない」と思い込んでおり、長年息子さんの緘黙に気付いてあげられなかったことを悔やんでいました。

当時は専門家の間でも場面緘黙のトレーニングは殆どなかったそうです。早期発見が重要なのに10歳まで診断されなかったことを後悔し、「誰にも同じ思いをして欲しくない」と。その思いが、このSM とASDの研究に繋がっているよう。

SMiRA委員会のメンバーは、自分の子どもがSMだった、または現在も当事者である方が殆ど。それだけに、研究や啓蒙活動にも熱が入るんだと思います。

講演の内容は:

  • 自閉症とは何か? 場面緘黙とは何か?
  • 何故この二つは混同されるのか?
  • 違いは何か?
  • 類似性は何か?
  • 重複する部分はあるのか?
  • 次にすべきこと

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2019年SMiRAコンファレンス(その1)

2019年SMiRAコンファレンス

今年もまた、SMiRAの定例コンファレンスが、SMiRAの本拠地レスターにて3月30日に開催されました。例年のように、全国から70名ほどの保護者や専門家が集結。今回は、特に場面緘黙の成人とLST(言語療法士)の参加者が多かったのが印象的でした。

   故アリス会長への追悼をのべる現会長のシャーリー・ランドック゠ホワイトさん(最後列に座っていたので、写真がブレててすみません)

<コンファレンスの内容>

  • SMiRA創始者、故アリス・スルーキン会長への追悼
  • 場面緘黙と自閉症スペクトラム障害 教育心理士&SMiRA委員会メンバー クレア・キャロルさん SM & ASD Two Conditions affecting Communication: similarities, differences and overlap
  • ノーサンプトン州における緘黙児支援 SLT(言語療法士) ベス・シェリーさん&ハリエット・ウィルスさん Supporting Children with Selective Mutism in Northamptonshire
  • 「教師に伝えて欲しいこと」 専科SLT リビー・ヒルさん “What would you have wanted me to tell your teachers?”
  • 当事者が緘黙を説明する手紙のテンプレート  ジェーン・サラザー 元当事者& SMトーキングサークル主催 SM Adjustment Templates
  • 大学生活を始めるにあたって Starting at University:
    • 選択肢、申請&インタビュー SMiRAチーム
    • 大学で受けられるサポート レスター大学・学生支援サービス シャロン・スタージェスさん
    • 実際の体験談 SMiRA会員

SMiRAは承認制の活発なFBページを運営していて、現在のところ50カ国以上の国から1万人近くが登録。毎日、相談の投稿にたくさんのコメントがついています。

最近の傾向として、ASDとSMを併発する子ども、緘黙のティーンに関する相談が増えているよう。今回のコンファレンスはその傾向を反映しているように感じました。

私は息子がSMを発症した2005年にSMiRA会員となり、2006年からできるだけコンファレンスに参加するようにしてきました。かつてはSM児とASD児を分けて考えるような風潮がありましたが、現在はSMとASDを併せ持つ子どもの存在が、周知の事実になってきているような。

イギリスでは各地区によって差はあるものの、最近では学齢期の緘黙児への支援方法は学校関連機関(小児・青少年のメンタルヘルスサービスを含む)に定着してきた感があります。そのため、まだ支援が行き届いていない分野での相談が増えているのかなと…。

また、場面緘黙が一般に知られるようになり、ASDの二次障害としてのSMが注目されるようになったのではないか?SMで医療機関を受診する人口が増え、その際にASDが疑われるケースが増えてきたのではないか?とも推測しています。

これから順を追って公演の内容を報告していく予定ですが、特に注目が集まったクレア・キャロルさんの『SMとASD』について詳しく触れていきたいと思っています。

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その2)社会的な機会を増やす 

大切なことを書き忘れてしまったので、今回は『息子の緘黙・幼児期5~6歳』への付け足しです。

息子は、夏休み中の8月中旬に5歳の誕生日を迎えました。イギリスの学校は9月に始まるので、かなりの早生まれです(早生まれやひとりっ子の緘黙児、多いような気がしていますが、どこかに統計はないかな…)。

夏休み前半の3週間、学校で行われたサマークラブに参加させました(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その23)』をご参照ください)。

その後、誕生会事件が起こって、緘黙症状が大きく後退してしまった訳ですが、実はサマークラブでは進歩もあったのです。

参加した際、サマークラブの主催者やスタッフ(学校とは無関係)には息子が場面緘黙であることを告げませんでした。というか、当時はSelective Mutism という言葉自体が教育関係者にさえ知られておらず、どう切り出していいのか判らなかったのです。

(今だったら、短い場面緘黙の説明と息子の特徴を含む簡単な対処マニュアルを提出すると思います)

まあ、子ども達は各自好きな遊びを選べるし、親友のT君が一緒なので、大人には話さなくてもT君がいれば大丈夫だろうと、気楽に考えてました。まず第一の目標は、夏休み中に学校環境に触れさせ、新学期にそれほど抵抗なく教室に戻れるようにすること。嫌がらずに行ってくれれば、万々歳だったのです。

ただ、初日にスタッフに挨拶に行き、「ものすごい恥ずかしがり屋で、全くしゃべらないかもしれません」と忠告はしておきました。

このサマークラブはインド系のイギリス人によって経営されていたのですが、夏休みは時間が長く、子どもの数も多いので、アルバイトの若い女学生も数名。ラッキーなことに、その中のひとりが息子に目をかけてくれたのです。

今考えれば、いくらT君が一緒でも、抑制的な気質のうえ緘黙になってしまった息子が、初めての「場所」「人」「環境」に慣れるのは大変なこと。自由きままに動き回る子ども達の中で、息子はひとり固まっていたようでした。

見るに忍びなかったのでしょう。

彼女はものも言わない息子にこまめに話しかけ、遊びに誘ってくれたようでした。もちろん、緘黙に対する知識はなく、この「固まっている子」を何とかしなくちゃ、と自主的に対処してくれたんだと思います。

(クラブが終わって校庭に出てくると、普通に動けるし、私やT君ママには話すので、クラブの最中にどうしているのかは不明)

この彼女お陰で、息子は少しずつサマークラブに馴染んで動けるようになり、バスでの小旅行にも参加することができました。クラブが朝9時から午後3時頃までと長時間だったことも、場慣れするのに役立ったと思います。

息子は家でクラブのことを全く話さなかったので、中盤になって彼女に話しかけられるまで、そんなことは全く知らず…。

そして、最後の日に彼女にお礼を言いに行くと、

「実は、今週は言葉がポツポツ出るようになったの!」

「えっ、本当に?!」

「ええ、単語だけだけど。初めは口がきけないんだと思ってたから、嬉しかったわ」

「ありがとう~~~!!」

可愛い大学生のお姉さんに優しくしてもらって(息子はメンクイです)、不安が低減し、言葉が出るところまでいったんでしょう。

緘黙治療に必要なのは、継続的な温かい支援と根気と適度な励ましだなあ、と思います。

でも、その匙加減が難しいんですよね。

いつ、どんな時にどんな人が助けてくれるか、どんな機会に巡り合えるか判らないもの。親戚に会ったり、子どもが好きそうな習い事にチャレンジさせてみたり――緘黙児の社会的な機会を増やすことはとても重要だと思います。

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息子の緘黙・幼児期5~6歳(その1)

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その1) 祖父母の反応

息子の5歳の誕生日をかねて、夏休みに主人の実家に滞在した時のこと。驚いたことに、息子は祖父母に対しても緘黙になってしまったのです(経緯は『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その24)』をご参照ください)。

滑り台事件(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その7)』をご参照ください)以来、息子はそれまで話していた多くの人と話せなくなってしまいました。が、グラニー(祖母)にはまだ以前と同じように話せていたのです。

車を降りてグラニーに会った途端、息子は私の後ろに隠れました。それを見た義母は、「何恥ずかしがってるの?」「舌をどこかにおいてきちゃったの?」と、積極的に息子にアプローチ。

「緘黙児を安心させるため、話すことを強要しない」というのが、緘黙支援の第一原則です。が、マイペースな義母は、焦る私の心も知らず、どんどん息子に話しかけました。

でも、これが功をなしたのか、息子はポツポツと返事をするようになり、半日くらいで割と普通に会話できるように。反対に、1週間いたにもかかわらず、いつも通り(それ程息子に話しかけない)だったグランダディ(義父)には、殆ど口をきくことができず…。

以来、義両親宅に行く度に(2、3か月おきくらい)、最初は話せないけど、慣れるにつれてグラニーには徐々に話せるようになるというパターンが定着しました。

(実は、息子が私にも口をきけなかった想い出が。それは、6歳の息子を義両親にあずけ、2週間ほど単独で帰国した時のことでした。空港で再会し話しかけると、息子は困った顔をして無言!母親なのに~!車の中ですぐ返事をしはじめ、すぐ話せるようになりましたが、これには本当に驚きました)

時と人、場合によりますが、緘黙児の不安が和らぐまで辛抱強く待つよりも、話すようプッシュした方がいい時もあると思います。下手をすると症状が悪化することもあるので、判断はとても難しいですが。

緘黙克服はスモールステップで進むので時間がかかる上、繊細な子どもの心はアップダウンが激しくて、時にジェットコースターに乗っている気分になります。でも、「三歩進んで二歩さがる」のが普通だと思って、ゆっくり進みましょう。

ちなみに、1年に数回しか会わない義妹夫婦には、クリスマス休みなどで合流しても全く話せない状態が2年ほど続いたと記憶しています。以前は屈託なく接していたので、ものすごく驚かれました。

みんなで集まっているのに、話せる人と話せない人がいるというのは、親にとってすごく気がもめる状態ですよね…。

偏見は持ってもらいたくないし、誰にどこまで説明して理解してもらうかも、判断が難しいところです。

深い森の奥の『アリス』とオーナー夫妻

ここ3週間ほどの間に大切な人たちの訃報が続き、気持ちが沈んでいました。

アリスさんが旅立たれてすぐ、昨年出したクリスマスカードが「宛先不明」で日本から戻ってきて、いやな予感が…。宛先は帰国する際、できるだけ訪ねるようにしていた森の中のカフェ、『アリスの不思議のお店』でした。

オーナーの太田夫妻は殆どSNSをされておらず、ホームページもありませんでした。帰国の際に訪ねると、いつも温かく笑顔で迎えてくれたご夫妻。家族でも何度か訪れ、行くたびに息子の成長を喜んでくれたのに…。

岐阜県中津川市の山奥に佇む森のカフェ『アリスの不思議のお店』

インターネットで調べると、カフェはすでに営業を停止しているよう…。急いで電話とメールを入れましたが、どちらも不通…。

古い知り合いにメールで問い合わせたところ、何と太田氏が病気になり娘さんの嫁ぎ先に引っ越されたと――そして、昨年亡くなられたというのです。人づてに聞いたので連絡先は不明とのこと…。

すごくショックでした。信じられませんでした。

以前のエントリーでは触れませんでしたが、私は『アリス』が輸入雑貨店だった頃にアルバイトをしていて、オーナーの太田草吉さんには本当にお世話になったのです。私のイギリス行きを応援してくださり、店番をしながら色々語り合いました。おおらかで優しく博識で、ずばっと本質を衝くシャープさも。「草べさん」という愛称で、皆から頼りにされていました。

   画家のアトリエとして建てられたカフェ『アリス』は、木造りで天井が高く、広々とした居心地のいい空間。香り高いハーブティーとゆったり流れる時間が魅力でした

 

太田夫妻が心を込めて作る料理は、優しく奥行きのある味でした

  

    奥様が丹精された庭には、ハーブや四季折々の季節の花が。周囲の森に溶け込む自然な風情に心が和みます

5歳位だった息子を連れて里帰りした時は、緘黙で固まった息子にピアノを弾かせてくださり、すぐに馴染むことができました。「学校なんか1年くらい休んでも大丈夫。自信がついてから行けばいいよ」と草べさん。

アルツハイマーになった母を連れて、父の車でアリスを訪れたことも。お二人とも母に気を使いつつも、ごく普通に接してくださいました。美味しいケーキとハーブティーを堪能し、庭に出た時です。奥さんの美保さんがクリスマスローズをたくさん切って、「きれいでしょう?どうぞ」と母に持たせてくださったのです。

母の病が進行し頻繁に単独で帰国していた時期、山奥まで運転できず友達に頼んで『アリス』を訪れていました。ご夫妻の優しさに甘え、ほっとできる空間でした。

最後に訪れたのは、父を追って母も亡くなり、葬儀を済ませて実家にいた時。色々な問題を抱えて、とても落ち込んでいました。私が独りだと話すと、「アリスにおいで」と、草べさんが雪の中を迎えに来てくれたのです。

『アリス』のある森は雪が深く、冬の間は営業できません。シンシンと降り注ぐ雪の中、森の奥へ奥へと走る草べさんの車。ようやく『アリス』の温かな灯が見えた時、ほっとしたと同時に郷愁のようなものを感じました。

   

降り続いた雪がやみ、しんと静まりかえった午後

暖かな室内に

薪ストーブがパチパチ燃える音

甘いハーブティーの香り

大きな窓越しに雪景色の森を眺めながら

失ってしまった、それぞれの母親の想い出をぽつりぽつりと語り合った時間

 

今思えば、どれだけ『アリス』と太田さん夫妻に救われたことか。

それが、記憶の中の想い出になってしまうなんて、思いもしませんでした…。

もうあそこに戻ることはできないのだと思うと、淋しい気持ちでいっぱいです。

草べさん、本当にありがとう。どうぞ安らかにお眠りください。

(追記:この記事を書いている間に、草べさんの妹さんの連絡先を探し当て、電話で美保さんの住所を教えてもらいました。急いで書いた手紙の返事がくればいいなと、心から願っています)

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里山の秋

2月ももう終わり

【訃報】SMiRA創設者、アリス・スルーキンさん逝く

2月15日夜、SMiRA創設者で、一昨年前まで代表を務めていたアリス・スルーキンさん(Alice Sluckin)が亡くなりました。99歳でした。

アリスさんは、1992年にリンジー・ウィテントンさん(SMiRAコーディネーター)と支援団体SMiRA(Selective Mutism Information Research Association)を設立。場面緘黙の支援に情熱を注いで来られました。設立当時すでに精神医学ソーシャルワーカーの仕事を退いており、晩年を場面緘黙の子ども、大人、保護者たちの支援に捧げたといっても過言ではありません。

アリスさんと場面緘黙児たちとの出遭いは、緘黙が殆ど知られていなかった60年代に遡ります。夫君(Wladyslaw Sluckin )がレスター大学教授で心理学者という環境の中、心理学の原則を当てはめながら緘黙を研究し、論文を発表。場面緘黙治療のパイオニア的な存在となりました。

アリスさんとSMiRAのお陰で、イギリスではいち早く場面緘黙の支援・治療の方法が一般に浸透していきました。現在でも支援体制が整ったとはいえませんが、SLTのマギー・ジョンソンさん他、多くの専門家が誕生し、学校関係者の知識も豊富になっています。

私自身も、息子が緘黙になり闇の中にいた14年前、アドバイスや温かな激励をいただき、アリスさんには感謝してもしきれません。個人的にも懇意にさせていただき、昨夜リンジーさんから訃報を聞いて以来、心にぽっかり穴があいたように感じています。

2005年にSMiRAとアリスさんとの出遭いがあり、2006年に『場面緘黙ジャーナル』のフォーラムで心理士の角田けいこさんや緘黙児の保護者たちと出遭い、その翌年にK-netが誕生したのです。考えてみると、縁というのは本当に不思議ですね。

       2013年、SMiRA創設21周年記念パーティにて。緘黙経験者でミスイングランドのカースティ・ヘイズルウッドさんと

19歳の時に単独でチェコからイギリスに亡命したアリスさん(詳しくは『プラハの夏休み(その2)』をご参照下さい)。小柄ですがバイタリティーにあふれ、慈愛とユーモアに富む、本当に可愛らしい方でした。

アリスさんとの想い出は尽きませんが、2009年のSMiRAコンファレンスにKnet代表の角田さんと私を招待してくださり、会の後にレスターのご自宅に泊めてくださった時のことが鮮明に心に残っています。

当時89歳だったアリスさんは、すでに夫君を亡くされて一人暮らしでした(息子さん二人は独立)。閑静な住宅地にある家は、書籍だらけ。日当たりのいい居間には、ご家族の写真と鉢植えがたくさんありました。

すでにご高齢だったにもかかわらず、テキパキ動き回って会話も達者。夕食をご馳走になったんですが、アリスさんの食べるスピードの速いこと!食事に集中する姿に驚き、感動し、これが彼女のバイタリティの源なんだな、と思いました。翌日、私たちが作った具沢山のインスタントラーメンを、同じように「美味しいわ」と食べてくださり、また感激。

アリスさんは、2010年にその貢献を称えられ、OBE大英帝国勲章(Order of the British Empire)を受勲しています。受章者はバッキンガム宮殿に赴き、エリザベス女王から直接勲章を授かるのです。が、「衣装は?」「晴れ舞台よ!」と浮かれる周囲の興奮をよそに、アリスさんは何とチャリティショップで中古の洋服を購入。誰かのおさがりを身に着けて、女王様に謁見したのでした。

自然体で飾らない、彼女らしいエピソードなのですが、まだ続きがありました。昨年夏、99歳の誕生会に参加させていただいた時、ご子息が「母らしい」と、額縁ではなくチョコレートの空き箱に張り付けた受章時の記念写真を見せてくれたのです!

2010年代に入ってからは、SMiRAコンファレンスの昼食後、講演中にこっくり居眠りをする姿が頻繁に。今考えれば、90歳代だったので当然なのですが、保護者や専門家たちと歓談し、積極的に会に関わっておられました。

2015年SMiRAコンファレンスにて

2015年にプラハ旅行から帰った後、プラハのシナゴグ(ユダヤ教会堂)でホロコーストの犠牲になった子どもたちの遺品や日記を見た話をしました。「たった一人で亡命して、本当に大変でしたね」と声をかけると、「それはもう昔のことだから」と…。

アウシュビッツの強制収容所で家族全員を亡くしたアリスさんですが、一言も誰も責めようとはしませんでした。現在SMiRAは海外の支援団体と協力し合っていて、その中にはKnetはもちろん、ドイツの支援団体も含まれています。

後ろではなく、前を向いて生きていく――アリスさんの生きる力に尊敬の念を抱かずにはいられません。彼女の情熱が人々を動かし、場面緘黙を一般に広め、支援の輪を広げてきたのです。

2年ほど前、ケアを受けながらまだご自宅で独り暮らしを続けるアリスさんを訪たことがあります。ものすごく喜んでくれて、帰り際に私の手をぎゅっと握ってくださいました。その手の温かさを、今も忘れることができません。その温もりは、アリスさんの人柄そのもののように感じました。

アリスさん、本当にありがとうございました。

本当に温かくて、芯が強くて可愛らしい女性――誰からも愛されたアリスさんのご冥福を、心からお祈りいたします。

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その24) 大きく後退!

「大丈夫?」

カチコチに固まっている息子にかけよる私に、知らないママさんからこんな言葉が…。

「何を食べたいのか訊いても、返事しないのよ。他の子も待ってるし、困っちゃったわ」

「すみません…」

(押しの強そうなハキハキした外国人女性で、私自身も少々ビビってしまいました)

彼女の前の大きなテーブルには、料理やサンドイッチ、お菓子類など色々な食べ物や飲み物がいっぱい。子ども達はテーブルまで行って、大人に好きな物を言ってお皿に入れてもらうのです。

多分、T君と一緒に来たのはいいけれど、大人に声をかけられて返事ができず、固まったんだろうな…。

シマッタ~!!!

ずっと息子についててあげれば良かった、と後悔しても後の祭りでした。

……………………………………………… 。…………………………………………………

この一件があってから、息子に変化がありました。

それまではそれ程ではなかったのに、すごく人目を気にするようになったのです。

以前は平気だったのが、「見られてるから」と下記を嫌がるようになりました。

  • バスに乗る
  • 外食する

以前は楽しさの方が勝っていたためか、バスやカフェ・レストランの中では、人目を気にすることなく家族には普通に話せていたのです。突然のことに、「ええ~っ、どうして?!」とビックリしました。

でも、一番驚いたのは祖父母と話せなくなったこと。数か月ぶりに祖父母宅に行ったところ、顔をあわせた途端に息子は私の後ろに隠れたのです…。

『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その22)』に載せたTalking Mapを参照していただくと判るのですが、息子はグラニー(祖母)が大好き。赤ちゃん時代からグラニーには甘えまくりで、頻繁に会って親密な時間を過ごしてきました。それが、グラニーを前に言葉が出なくなるなんて。

その一方で、背が高くがっしりした紳士風のグランダディ(祖父)には、あまり自分から近寄らず、片言で返事をするという感じでした。それでも、全く話さないことはなかったのに…。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その1)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その2)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その3)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その4)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その5)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その6)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その7)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その8)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その9)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その10)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その11)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その12)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その13)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その14)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その15)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その16)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その17)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その18)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その19)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その20)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その21)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その22)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その23)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その23 夏休みの落とし穴!)

あっという間に1月も、もう終わりに近づいてきました。この新学期はどの生徒さんも情緒が少し不安定で(休み明け病ですね)、何かと問題が…。先週、近くのスーパーで買い物をしていたら、何年かぶりに息子の小学校(幼児部)時代のSENCo(特別支援コーディネーター)と遭遇。昔話に花が咲き、当時の記憶が蘇ってきました。

さて、久しぶりに息子の緘黙話の続きです。

レセプションクラスが終わる7月上旬には、教室での息子の緘動はかなり和らぎました。担任やTAの温かい見守りの中でなんとか課題や工作ができるようになり、B君とT君のおかげで毎日安心して過ごせていたと思います。

SMiRAの資料によると、緘黙児は長い休みの間に学校環境から遠ざかることで、進歩していた状態が元に戻ってしまう可能性が高いとのこと。抑制的な気質の子どもには新しい環境に慣れにくい特性があり、新学期に教室に戻る際も馴染むのに時間がかかるのです。

新学期からは1年生になって本格的な勉強が始まるし、担任も変わる予定(クラスは持ち上がり)…なんとか夏休み中も学校に行ける機会がないものか…。

そう思っていた時、夏休みのサマークラブのお知らせが!息子の少学校(幼児部)には、放課後子どもを預かってくれるプレイセンター(学童クラブのようなもの)があり、夏休み中にもプレイセンターを開催すると書いてありました。毎日学校の集会場と校庭を使って様々な活動を行い、バスでの小旅行の予定もあると。まさに渡りに船!

息子ひとりでは到底無理なのでT君ママに相談したところ、クラブが終わる8月中旬まで週2日参加させることになりました。ありがたや~!

サマークラブにはレセプション(5歳)から2年生(7歳)までの子どもが参加。知らない子がいっぱいいたのですが、T君のおかげで嫌がらずに通い始めました。前年の夏休みに同じようなサマープレイグループに参加した経験も役立ったかもしれません。

お弁当持参で9時に学校に送り届け、3時にお迎えに行くと、T君と一緒に楽しそうに校庭に出てきました。バスでの小旅行は最初渋っていたものの、ちゃんと行けて、割と楽しめた様子。

サマークラブの他に、B君や昔の友達と遊ぶ計画も立てました。でも、現実はうまくいかないもの…。夏休みは楽しく過ごせそうと思っていた矢先に、また落とし穴にはまったのでした。

それは、幼稚園に同じ日に入園した女の子、Sちゃん(詳しくは『稚園入園-息子の緘黙・幼児期3~4歳(その3)』を参照してください)の誕生会での出来事。T君とSちゃんは同じクラスで、別のクラスの息子も昔のよしみで招待してくれたのです。

(Sちゃんもすごい引っ込み思案で、園に慣れるのに時間がかかった子です。Sちゃんママは、娘の小学校入学と同時に小学校のミールタイムスーパーバイザー(給食の時間に校内や校庭で児童を見張る仕事)として働き始めました。彼女も心配だったんでしょうね。1月に入学した当時は、「入学してからまだクラスで口をきいてないのよ」とも…。

そんなSちゃんでしたが、順調に学校に慣れて、以前よりも活発になった様子。息子もみんなと同じクラスに入れていたら――と当時は思ったものです。ちなみに、Sちゃんは移民3世でした)。

Sちゃん宅は公園の近くの大きな家。ものすごく広い庭にテントを張り、エンターテイナーを呼んでの盛大な誕生会でした。子どもが30人くらい、付き添いやお手伝いで残っているママさんも10人くらいたと記憶しています。

(この頃になると、子どもの誕生会で会場に残る保護者はだんだん減っていきました。みんな送り迎えをするのみで、後はホストにお任せ。みんなどんどん自立してすごいな、とちょっと焦りがありました)。

この日、息子はT君と一緒だったのもあり、エンターテイナーの指示に従ってT君の隣で歌ったり、走ったり。これなら大丈夫だなと一安心しました。

そして、私は「もう少し自立させたいな」と欲を出してしまったのです。困ったら探しに来るだろうとタカをくくり、息子のいる裏庭を離れて、T君ママと家の中へ。

小一時間くらい経った後でしょうか。他のママさん達とお茶を飲みながら、久しぶりにゆっくり雑談していたら、「〇君のママ、来て!」とお呼びが。

急いで行ってみたら、食事やスナックを出している部屋で、息子がカチコチになってつっ立っていたのです…。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その1)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その2)

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お子さんはたんぽぽ、それとも蘭?

新年、明けましておめでとうございます。こんな辺境のブログを訪れてくれる方々、ありがとうございます。なかなか思うように更新できず、息子の緘黙記も停滞しているのですが、今年もどうぞよろしくお願いします。

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昨年の暮れ、12月30日のTimes紙日曜版を読んでいたら、教育セクションにあった『あなたのお子さんはたんぽぽ、それとも蘭?』という記事が目にとまりました。

これは、1月24日に出版されるアメリカの児童心理学者、トーマス・ボイス博士(Dr Thomas Boyce)の著書『蘭とたんぽぽ(The Orchid and the Dandelion)』を紹介したもの。ボイス博士は、カリフォルニア大学の小児発達行動医学部長で、カナダの最新医学研究所で小児脳発達プログラムの共同監督も務めています。

彼によれば、子どもの5人にひとりは「蘭」。周囲の環境に鋭敏に反応し、病気になったり挫折しやすい傾向を持つ…ただし、適切に養育されれば最高レベルで成功できる素養を持つとのこと。

対して、それ以外の80-85%の子どもは「たんぽぽ」で、雑草のようなタフな精神と抵抗力を持ち、 どんな家庭や学校環境でも伸びることができるという学説。

あれっ、このパーセンテージ、どこかで聞いたことがある⁉

そうです。場面緘黙になる要因として知られる、行動抑制的な気質に生まれつく子ども10〜15%と、ほぼ重なるのです。この有名な学説は、同じくアメリカの発達心理学者、J ケイガン(J Kalan)博士によるもの。

ケイガン博士の説は『ささいなことで動揺してしまうあなたへ』の著者、エレイン・アーロン氏の著書の中で何度も引用しています。

アーロン女子は『敏感すぎる子どもHighly Sensitive Child(HSC)』の中で、「HSCはありえないストレス下に置かれなければ、精神的に病むことはない。その90%は、ケイガン博士が唱えるように、常に行動抑制的で不安に悩む成人にはならない」と記しています。

が、それに反してボイス博士は、「子どもの15-20%は『蘭』で、『子どもの集団に見られる、すべての身体的および心理的な病気の大部分を経時的に経験する』」と述べているのです。

「『ラン』の子どもは往々に泣き虫で、シャイで過敏であり、周囲の環境に対して脆弱で過敏に反応するため、より共感的な養育・教育が必要となる。適切な支援がなければ、病気になったり、薬物に依存したり、犯罪に手を染めたり、精神を患う傾向が強くなる」とも。

ひょえ~、こんな風に言い切られると怖いです…。ケイガン博士やアーロン女子と比べると、悲観的ですよね…。

でも、ボイス博士の研究のきっかけは、自身の家族なのです。なぜ他の子と同様に成功する能力を持ち合わせた子が病気に屈してしまうのか――転校をきっかけに苦しい日々を送るようになった妹、メアリーを真近で見てきて、興味を持つようになったといいます。

メアリーは、他の子どもなら踏み越えていくだろう困難にぶつかってレールから脱線していき、52歳という年齢で自らの命を絶ったのだそう。

彼は、二人の子ども時代は何ら違うところはなかったと回想しています。1950年代にカリフォルニアの中流家庭に生まれ、両者ともに頭脳明晰。しかし、スタンフォード大学とハーバード大学というアメリカ最高峰の大学2校で学位を取得したものの、内向的だったメアリーは徐々に精神を病み絶望感にさいなまれたといいます。

記事より:

「蘭」の子どもは生まれつき特別に繊細で、この繊細さはソックスの皺を気にするというような身体への刺激に対する過剰反応によって、幼い頃に発見されることもある。

↑ これって、ASD児やSM児によくある感覚過敏のことですよね…。

彼らはストレスに対して顕著な反応を示し、内向的であることや、学校で仲間外れになったり虐められたりすることにより敏感だ。

↑ 同じストレス、虐めや仲間外れでも、「蘭」の子と「たんぽぽ」の子では受け止め方や衝撃度が異なるということ?「蘭」はより傷つきやすく、回復が難しい・時間がかかるということなんだろうと思います。

また、「多くの保護者に『蘭』の子と『たんぽぽ』の子が一人ずつ生まれるだろう」とも。

↑ 実は、彼の子ども二人もこのパターンなんだそう。でも、ボイス博士の妹が「蘭」であったことを考えると、彼の家系には「蘭」のDNAが流れているので、「蘭」の子が生まれる確率が高いように思います。

彼の説によると、人口の1/5は「蘭」に生まれついていることになり、35人のクラスに5~6名は超繊細な「蘭」の子がいることになります。けれど、その子たちが全員辛い人生を送るようになる訳じゃないですよね。

私はシャイで敏感な子どもでも、徐々に鍛えられて強くたくましく生きることができると信じてます。実は、自分も「蘭」の部類だったと思うのですが、時を経て面の皮が随分厚くなってます(^^;)

アーロン女史もいうように、どのように支援しながら養育・教育するかが、将来の鍵となるよう。

私たちも、通常よりも育てにくく、周囲からの配慮が必要な「蘭」の子の保護者。責任重大だなあと改めて思いますが、周囲の環境などはコントロールできない部分が大きいです。保護者も、メゲずに柔軟に対処していけるといいなと思います。

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