決めつけないで(その2)

8月の半ばに、最近気になっている言葉”Judgement” と ”Judgemental” について書きました。今回はその続きです。

この夏、あるガーデンパーティで「それはちょっと”Judgemental” な(偏った)見解では?」と思うことがあったので、ここに記しておきたいと思います。

うちの息子には深刻な食物アレルギーがあり、食べ物には気をつけなければなりません。よそで何か食べる時は、本人が中身を確認し危なそうなものは避けています。この時はバイキング形式で、息子は確かめてから好きなものを取りました。その後、食後のコーヒータイムに主人と息子のいるテーブルで、「昔はアレルギーなんてなかったのに、どうして現代の子どもに多いのか」と話し出した人が。

その方曰く、原因は「殺菌のしすぎ。子どもを守りすぎ」とのこと。「哺乳瓶を煮沸消毒するなんて馬鹿げている」、「99%バクテリアを殺す殺菌剤なんて必要ない」と主張していました。

確かにそれはあると思います。新聞などでもよく目にするので、もう通説になっているかもしれません。でも、それはあくまで原因のひとつであって、他にも遺伝的な傾向とか、農薬や化学物質の使い過ぎとか、予防注射が免疫に与える影響とか、様々なものが複雑に組み合わさっていると思うのです…。

主人はというと、その人の意見に100% 賛同していました。主人の主義で、うちでは殺菌剤は使わないし、床に落ちたおもちゃを息子が舐めても「抵抗力がつく」と気にしないようにしてました。殆ど母乳だったので、哺乳瓶もあまり使ってません。それでも、息子はアレルギーになってしまいました(涙)。

ちなみに、うちの子がアレルギーになったのは3歳半を過ぎてからで、それまではアレルギー源となる食物も少しは食べさせてたんですよね…。突然反応するようになったので、許容量を超えて免疫反応が出始めたんじゃないかなと思っています。

実は、私の母が酷い花粉アレルギーで、私と兄も20歳を過ぎてから花粉アレルギーに。姪っ子2人も幼いころアトピーに苦しみました。一方、主人は敏感肌の家系で、赤ちゃんの時に日光浴をしていて酷い水膨れになり、それ以来真夏でも長袖、長ズボンを死守。うっかり日に焼けると、真っ赤になって後々すごく大変なのです。両親のそういう悪いところばかりが息子に遺伝してしまったようで、なんとも気の毒…。

「殺菌のしすぎ。子どもを守りすぎ」も一理ありますが、一般論だけでなくそれぞれの事情も考慮してもらえたらなあと思わずにいられませんでした。

もうひとつ、同じパーティーでの出来事。5か月の赤ちゃんを連れてきたカップルがいて、ランチタイム中はお昼寝をさせてました。目がパッチリ大きくて、髪が耳の後ろでくるんとカールしている可愛い男の子!彼がお昼寝から目覚め、みんなのところに連れてこられた時のことです。

女性陣の注目が赤ちゃんに集中し、代わりばんこに抱っこ大会に。私はママの隣に座っていたので、一番最初に抱かせてもらったんです。知らない家で知らない人達に囲まれているのに、彼はご機嫌でニコニコ。思わず、「まあ、寝起きなのに全く泣かないでエライね~!うちの子だったら大泣きだったよ」と漏らしてしまいました。(息子よゴメン、聞こえたかな…)。

すると、「社交的になるように、色々な集まりに連れて行ってるの。だから知らない人に慣れてるんだと思うわ」とママ。彼女は産休がもう残り少なく、赤ちゃんを預かってくれる託児所を探し回ってる最中とか。それもあって、赤ちゃんが人馴れするようにしてるんだなと思いました。

でも、それを聞いた別の女性が、「ひとりで子育てしてちゃダメ。小さい頃から集団の中で慣らさないから、引っ込み思案になっちゃうのよ」という主旨の意見を…。

思わず、自分の子育てを否定されたような気持ちになってしまいました… 。私としては、ママさんグループに参加したりと一生懸命子どもの社交性を育てようとしてきたつもりなのに――それでも、うちの子は未だに引っ込み思案です。

これについても、一般論はそうかもしれませんが、子どもは十人十色。HSP(Highly Sensitive Person)に生まれた子もいれば、非HSPに生まれた子もいる訳で、生まれ持った気質もかなり影響してるはず。うちの子をもっと、もっと集団の中に連れて行ってたら、積極的な性格になっていたとは思えないんです…。非HSPの人口が70%以上とマジョリティなので、どうしてもそちらの考え方が基準になってしまうんですよね。

急にアレルギー反応が出て、激しく嘔吐して、ぐったりする子どもを見たことがない人には、アレルギー源の食物を避けようとする姿勢が「大げさ」に見えるかもしれません。周りにアレルギーの人がいないと、想像したり、理解したりすることが難しいんですよね…。

残念ですが、場面緘黙も同じじゃないでしょうか?「話す」というあたりまえの行為ができないことを、「そうなんだ。大変だね」とすんなり受け入れてもらうのは結構難しいと思います。不安のために話せないと言われても、傍目にはそれほど不安そうには見えないことも多いし…。目に見える苦しい症状がある訳ではないので。

介入してもすぐに効果は出ず長期戦になることが多いし、クラス替えなどで症状が戻ってしまうこともあるし、緘黙児って傍からみると相当不思議ちゃんなのかもしれません。大人しくて授業やクラスの妨げにならないし、周囲が後回しにしがちなのも、今の学校制度を考えると仕方ない部分があるかなと…。

人間というのは、自分がその立場に立ってみないと、なかなか親身になれないものです。そのうえ、自分が話しかけてるのに反応がないと、「無視されてる」と否定的に捉えがち。だから、少しずつでも、困っていることを知ってもらうことが大切じゃないでしょうか?治療も長期戦ですが、周囲の理解を求めるのも気長に、長期戦でいきましょう。

イギリスでは10月が場面緘黙啓発期間になる予定なので、私も近くの学校にSMIRAのリーフレットを配布しようかなと思っています。

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