息子の緘黙・学童期 6~7歳(その12)会食恐怖症ふたたび

早いものでもう2月!1月は学校の生徒たちの模擬試験の準備・実施・採点・通知と所得税の申請で、あっと言う間に過ぎ去ってしまいました。イギリスでは寒さが緩んで例年並みの気候なのですが、ふと気づくとあちこちに春の兆しが。

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さて、息子の緘黙話の続きです。

イギリスの小学校の給食は、通常のメニューの他にベジタリアンメニューを選択できるようになっています。これは本人の好みや家庭の主義、宗教的な理由を考慮してのこと。また、大抵はナッツアレルギーがある生徒のために、ナッツ類は使用されていません。

それは息子の学校でも同じでした。なのに「もしも」の事態を避けるためにと、担任からお弁当に切り替えるよう言われたのでした。

ちなみに、パックランチと呼ばれるイギリス人のお弁当は、大体サンドイッチとりんご等の果物、そして小袋入のスナック菓子(ポテトチップス等)と、すごく簡単。それに比べ、外国人の子ども達(息子の小学校には36か国以上の子どもが在籍)のお弁当は、国際色が豊かでした。

(実は、息子は学校給食が好きでした。というのも、チキンナゲットやフィッシュフィンガー、ピザなどファストフード^^;)やイギリス風のスィーツなど、普段は家で食べられないものが出てくるから。それにもまして、「皆と同じだから目立たない」というのが安心材料だったのかと)

私が作るお弁当はやはり日本式になってしまうのですが、お弁当を始めて割とすぐに食べてくる量が減りはじめました。

「あれ、どうしたの?全然食べてないね?好きなもの入れておいたのに?」

「…. 」

息子は帰宅するやいなやおやつを食べまくるので、お腹がへっているのは明らか。でも、お弁当を食べない理由は言いたがらないのです。

ある日のこと、

「マミー、お弁当におすし(海苔巻き)入れないで」と言われました。

「どうして? 嫌いじゃないでしょ?」

「…ん」

黙り込んでしまった息子が、やっと重い口を開いてぽつぽつ話しはじめたところによると、

「それ何? スシ?」

「私も食べたい!」

「見せて、見せて!」

「今日はどんなお弁当?」

日本式のお弁当が珍しいので、クラスの女の子たちが寄ってきて色々言うのだとか。それが嫌だと…。

多分、彼女たちに悪気は全然なくて、ただ珍しいだけだったんだろうと思います。いろいろ言われたのも毎日ではなくて、最初のうちだけだったのだろうと。

でも、抑制的気質で不安が強い息子にとって、それは驚くべき恐怖の体験だったのでしょう。

自意識過剰がマックスに達し、人目が気になって食べれなくなってしまったようです。

とにかく、人目につかず、目立たず、背景に溶け込んでいること――それが安心できる状態なので(^^;

これって人前でものが食べられない、会食恐怖症という症状ですね。

小学校にあがる前の夏休み(『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その23)』をご参照ください)に一度なったのですが、スモールステップで少しずつ改善。半年くらいで緩和していった過去がありました。でも、また?!

そのうちに治るだろうと楽観視はしていましたが、どうやったら少しでも食べてくれるのか悩む毎日。サンドイッチにしてみましたが、時すでに遅し😢 結局、さっと口に入れやすいようにピンポン玉くらいのお握りとか、ひと口大のおかず類を入れることにしたのでした。

結論からいうと、徐々に食べられるようになっていきましたが、完食してくる日は少なかったような…。この問題は、3年生になってジュニアスクールに移り、給食が再度OKになって解決されました。

抑制的な気質の息子は、不安が強く自意識過剰で、繊細で、人目を気にしすぎ――恐怖症になりやすい子なんだと改めて思いました。

場面緘黙も恐怖症に含めると、6歳までに場面緘黙、犬恐怖症、プール恐怖症、会食恐怖症を(そして多分社会不安も)経験。結果的にどれも治りましたが、子どもも親も大変です。

ちなみに、克服方法は緘黙治療と同じでCBT(認知行動療法)のエクスポージャー法なので、一度身に着ければ本人が自分で活用していけます。

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息子の緘黙・学童期 6~7歳(その11)ナッツアレルギーの診断

もう1月も終わりに近いですね。イギリスでは今週頭から寒さが緩み、例年並みの気温(最低気温が3、4度、最高気温が6~8度くらい)に戻りました。日本は今最強寒波が襲来中らしいので、みなさんどうぞお気をつけて。

    

冷え込みが厳しかった先週、公園の一部が凍ってスケート場化してました(^^;

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さて、息子の緘黙話の続きです。

2年生の1学期が始まって10月に入り、息子をアレルギー専門のクリニックがある大きな病院へ連れていきました。順番を待っている間、息子は待合室にある玩具コーナーへ。他の子ども達は好き勝手に遊んでいるのに、息子はすごくオドオドして、遠慮がちなのが気になって仕方ありませんでした。

待合室に問診票を持ってきてくれた若い医師に、「アレルギーの他に何か気になっていることは?」と訊かれ、つい「他の子と違う気がするんですが、ASDではないでしょうか?」と訊ねてみたのです。

この頃には日本でKnetが創設され、当時「場面緘黙と自閉症は関係が深いのでは?」という話題が多かったため(当時、イギリスでは無関係という説が主流)、「もしかしたら」と不安になっていたのした。

すると、その医師は息子を観察してくれて、「ぱっと見たところでは、ASDのようには見受けられません」と――変なところで一安心。

さて、アレルギーの方はというと、まず「プリックテスト」を行いました。これは皮膚に直接アレルゲン試薬を刺して反応を調べるもの。アレルギーがある場合は、すぐ皮膚に赤い斑点が現れます。

種類の異なるナッツや家ダニ(?)など10種類位をテストしたんですが、小さな腕の内側がみるみる赤い斑点だらけに!  決定的だな、と私にもすぐわかるほど😢

真っ赤に広がった大きな斑点が多かったのですが。薄くて小さいのも。結局、ピーナッツやヘーゼルナッツを筆頭に殆どのナッツに強いアレルギー反応が出て、さらに家ダニや埃も。どういう訳か、アーモンドとピスタチオは大丈夫でした。

専門医によってナッツアレルギーが診断された後、アナフラキシーショックを避けるため、ピーナッツ類を食べることは禁止に。それにはナッツ類の痕跡がある食品も含まれていました。そして、エピペン(アドレナリン自己注射薬)を常時持ち歩くようにと。

アレルギーのことを学校に告げると、何とクラスにもう一人ナッツアレルギーの子がいました! 場面緘黙の子ももう一人いたし、35人のクラスで(6年まで持ち上がり)でこういう偶然もあるものか、と感心することしきり(それだけ場面緘黙やアレルギーが増えているのかもしれませんが)。

そして、規則で学校にもエピペンを置いてもらうことになったのですが、「責任が持てないので、給食は禁止にします。お弁当を持ってきてください」と言い渡されたのでした…。

次回に続きます。

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生後3ヶ月 — アトピー発症

息子の緘黙・学童期6~7歳(その8)ナッツアレルギー判明

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息子の緘黙・学童期 6~7歳(その10)ナッツアレルギー発覚

めっちゃ遅ればせながら、明けましておめでとうございます。2023年が曇り空で幕を開け、気ずいてみればもう20日過ぎ…。勤めている学校では今模擬試験の真っ最中なんですが、新学期早々からトラブルが多発して、毎日試験の準備とストレスでへとへとになっていました(^^;

   今年のおせち。冬休み後半は、夏にもやってきた日本の幼馴染と再会。美術館に行ったり、バレエを観たり、最後は月夜のテムズ河を散歩

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さて、久しぶりに息子の緘黙話です。書きそびれていたのですが、息子には重篤なナッツアレルギーがあり、現在でもアナフィラキシーショックに備えてエピペン(アドレナリン自己注射薬)を持ち歩いています。

ナッツアレルギーが判明したのは、小学2年生に上る前の夏休み。家族旅行で北イングランドのヨークシャーを旅行した際、ナッツ入のケーキを食べて初めてアレルギー症状が出ました。

数口食べたあと、急に顔色が悪くなり喉を抑えて苦しそう!慌ててオレンジジュースを飲ませたところ15分くらいで回復しましたが、そんな症状が出たのは初めてでした。

その後何事もなく元気になったので、そのまま旅行を続行。帰宅してからGP(主治医)に連れて行き、2年生の1学期が始まった後の10月にアレルギー専門の病院で診察してもらえることに。

実は、イギリスではナッツアレルギーになる子供が多いため、赤ちゃん時代から気をつけてはいたんです。1歳半を過ぎた頃、恐る恐るピーナッツバターを少し食べさせてみたら何ともなかったので、「あー良かった。ナッツアレルギーじゃなかった!」と安心した記憶が…。

それ以降、強いてナッツ類を食べさせるようなことはしていなかったと思うのですが(あまり覚えていない)、ナッツが入ったお菓子などを食べたことはあったかも。とにかく、アレルギー反応が出たことは一度もなかったのです。

赤ちゃん時代からアトピーだったので、頻繁に掃除したり、シーツ類も抗アレルギーのものを使ったり。そういった注意はしてたんですが…。

でも、3歳の頃に猫アレルギーが判明。主人が猫を飼っている友達のところに息子を連れて行った際、ネコが愛用しているクッションで遊んでいたんだとか。主人から「ちょっと顔が腫れた」という電話がかかってきたのですが、ごく軽い感じで言われたので「ふ~ん」とその場は聞き流したのでした。

でも、帰宅した息子の顔を見てびっくり!! 風船のように膨れていたのです!!  ひゃ~っ!!

「こんなに腫れちゃって、どうして病院に連れてかなかったの?!」

と主人を責めたものの、時はすでに日曜日の夕方…。少し経ったら腫れも引いたので、その日はそのまま。翌朝GPに電話したところ、「今腫れていないなら、連れてきても仕方ないから」と言われてしまったのでした。

猫アレルギーであることは間違いないと思ったものの、すごく不思議でした。

というのも、息子は赤ちゃん時代(0-2歳ごろまで)に猫を飼っている友達のところに毎週遊びに行っていたからです。いつも猫を抱っこしたり撫でたりしていたのに、当時アレルギー反応が出たことは一度もなかったのに…。アレルゲンへの耐性容量が限界に達して、反応が出るようになった?

それ以来というもの、猫がいるお宅に行くと、だいたいアレルギー反応が出るように…。症状は目がかゆくなったり、くしゃみや鼻水が出たり、酷い時は顔や白目(これは見ると怖い(^^;)が腫れたり。猫によって出る症状が違っていて、全くでない時も。成長するにつれて症状は軽減し、現在は顔が腫れたりすることはなくなりました。

成長するにつれて体質が変わっていくんでしょうか?

よく、アトピーのある子は成長するにつれてアレルギー疾患が変化する「アレルギーマーチ」を起こすと言われますが、多分息子もそのコースを歩んだんですね😢

アレルギーマーチの解説:https://www.erca.go.jp/yobou/zensoku/sukoyaka/43/feature/feature02.html

遺伝的な要因でいえば、私の母に花粉アレルギーがあって、私と兄も成人してから花粉アレルギーに。姪っ子2人も幼少の頃はアトピーに悩まされました。一方、主人は皮膚が弱くて、真夏でも日焼けしない様に長袖を着ているという(日焼けすると火傷みたいになってしまうので)。

これらの遺伝的な要因と環境要因が複雑に絡み合って、生涯アナフラキシーショックを警戒し続けなければならないほど重度のアレルギーが息子に出てしまったんでしょうね…。なんだか申し訳ない。

幸いなことに、喘息にはならなかったし、体はかなり丈夫な方なので(ちなみに、コロナの超濃厚接触者となりながら2度とも罹患せず)、その点はまあまあ安心。また、イギリスではナッツアレルギーが多いため、食品の成分表には太字で表示され、レストラン等のメニューにもナッツの使用が明記されていることが殆ど。本人が常に注意していて、一般にも知識が浸透しているので、その点は安心と言えるかも。

でも、ナッツアレルギーが判明したことで、学校である問題が起きることとなりました。その話を次回したいと思っています。

 

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やっぱりコロナは油断大敵

2022年も残すところ2日となりました。結局、クリスマスは独り家で隔離生活を送り、3日前にやっと陰性となりました。一昨日は、友達と彼女の犬と雨のハムステッドヒースを散歩。昨日は久しぶりに太陽が顔を出したので、義両親のところから戻ってきた家族と一緒にハイゲートの森とマズウエルヒルの街を歩いてきました。

久しぶりに吸う外の空気、風景がありがたかったです

日本では第8派で感染者が増えているようで、とても心配ですね。もう検査をしていないイギリスでも、詳細は不明ながら多分増えていると思います。中国で感染爆発がおきていることを考えると、オミクロンの変異種が出現するのではないかと脅威。

それでなくても、世界中で経済不安や自然災害の被害が多発しているのに。この上、また中国から新たに強力な変異種が出てきたら、再び世界的な危機になるのでは…。でも、イギリス政府は水際対策を強化してなくて、またまた同じ轍を踏むのではとすごく心配です。

私が初めて体験したコロナは殆ど症状もなく、めっちゃ軽いものでした。でも、一緒にでかけた友達を感染させてしまい、罪悪感でいっぱいです…。

完全に陰性になるまで7日間、3日間はすごく薄い線でした

誰かの参考になるかもしれないので、ここに記録しておこうと思います。

12月19日(月): 午前中は全く普段通りで、お昼を食べてからテートモダン美術館で友達と合流するために外出。まずはウエストエンドにある日本食スーパーへ。お正月用のお餅(1kg)やら、お好み焼き粉やをら買い込み、結構な重さ…。

雨のなか地下鉄を乗り継いでバンクサイドにある美術館へ。荷物が重かったので、なんかちょっと疲れたな~と感じてました。やってきた友達も疲れ気味だったので、まずはカフェでコーヒータイム。休憩して元気が出てきたところで、お目当てのセザンヌ展を観たのです。

その後、ラウンジで休憩しておしゃべりしたのですが、その時に咳が出始めました。「あれっ?! どうして急に」とは思ったのですが、私は喉が弱くて花粉や埃アレルギーもあるので、喉が痛くなったり咳がでたりは珍しくないんです。

「もしかして、コロナじゃないの?」

「えっ、違うよ!」

そんな会話をして、地下鉄の中ではマスクをして帰宅。この頃から、「あれ少しお腹が変?」と感じていたのですが、ラテのミルクが合わなかったのかなと呑気に思ってました。

その2週間ほど前に夫が酷い風邪をひいて1週間ほど具合が悪く、引き続き息子も調子が悪かったのですが、ふたりともコロナは陰性。それをもらっちゃったのかなと…。

息子が作った夕食を食べて寛いでいると、別の友人から「ついにコロナになちゃったから、水曜日は会えない」とお知らせが(彼女も初めて感染)。

そこで、少し心配になって検査してみたら――えーっ、陽性???!!!

そんなバカな?!

だって、だって、今は咳も殆ど出てないし、熱もないし、疲れてもいないし――なんだか狐につままれたような気分。

でも、結構くっきりと陽性のラインが出たのでした…。

慌てて、息子に告げ、一緒に美術館に行った友達に電話。息子は「もう絶対に染ってる」といいつつ検査したら、陰性。ほっ。

「ああ、私も絶対に感染する」と言う友達に対しては、「お願い、どうか伝染らないで~!!!」と祈るばかり。

仕事から帰ってきた夫も陰性。クリスマスイヴまであと6日という微妙なタイミングでした。

思い起こせば、前の週はイギリス全体が強い寒気に襲われ、根雪が残っていた期間。だから、仕事以外は極力出歩かないようにしていたはず。でも、5日前に学校の文化祭があって、混み合う講堂に20分位いたな…。生徒たちは体調悪そうじゃなかったし、3日前に一緒にウォーキングしたママ友2人も元気だったし。買い物の時はマスクしてたし…一体、どこで?!

12月20日(火)~23日(金): 時折たん絡みの咳が出るくらいで、一向に具合は悪くならず。家族3人が家の中でマスクをして、私は寝室と物置のような極小のスタディに籠もりきり。夫と息子は同時に同じ部屋にいない様にして、バスルームも分けました(屋根裏部屋の息子の部屋にバスルーム付けて正解)。

12月22日(木): 友達とは毎日のように電話していたのですが、3日後にとうとう陽性に!! 独り暮らしの彼女はXmasはお母さんのところに行く予定(イギリスのXmasは日本のお正月と同じ感じです)だったので、二人のクリスマスを台無しにしてしまいました…。本当に、本当に申し訳なかったです m(__)m

12月24日(土)クリスマスイヴ:  うちの家族は陰性だったので、まだうっすらと陽性の私を残してノーサンプトン州の義両親宅へ。持病もある高齢の義両親に染したらそれこそ大変なので、陰性でも行かないつもりでした。

やっと自分でキッチンに立ってご飯とお味噌汁などを作り、ふーっと一息ついたのでした^^; 夫と息子の料理、美味しかったけどさすがに日本食が食べたくなりました。

12月24日(日)クリスマス:  午前中は海賊版のライストで全日本フィギュア選手権を観戦し、しっかりローストディナーを料理。友達からもらった贈り物をあけて、独りクリスマスを楽しんだのでした。また、ウォーキング友達が家に寄ってくれて、2階の窓からおしゃべりも。すごく有り難かったです。

そんな感じで私はのんびり家で寛いだのですが、感染させてしまった友達の具合が悪化し、発熱・悪寒・頭痛・吐き気・咳・倦怠感などフルコースだったそう。4日間ほど寝込んだとか…。

もう罪悪感しかないです…。

私と同日にコロナになった友達は、そこまで酷くはならなかったものの、それでも発熱・倦怠感・咳・肺の痛み(1日のみ)があって4日間はしんどかったと言っていました。

一体どこで感染して、どうしてこんなに軽症だったのか、不思議でならないです。

でも、自分は軽症や無症状でも、もし誰かに感染させてしまったら、その人も同じように軽症とは限らないということを身をもって体験しました。特に、持病がある人や高齢者には要注意。これからは、もっと気をつけてこまめに検査しようと思っています。

ちなみに、私はワクチンを4回受けましたが、それでも症状が重くなるケースが多々あるようです。

イギリスではコロナだけでなく、酷い風邪やインフルエンザも同時に流行っているので、コロナ同時に罹患するという可能性もあるかと…。

皆さん、身体にはくれぐれも気をつけて、良いお年をお迎えください。

追記: 感染させてしまった友達も昨日やっと陰性になり、今日お母さんのところに出かけていきました! 本当に良かったと思う反面、申し訳なさは減らず…ずーっと悔いが残るでしょう。

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場面緘黙は遺伝する?

もうクリスマスが目前ですね。それなのに、私はここに来て初めてコロナに感染してしまいました~(^^;  月曜日の午後、友達とテート美術館にセザンヌ展を観に行って、そこで咳が出始めて何だか疲れたな~と…。帰宅後、しばらく会っていない友達から「とうとう感染しました」と連絡が。そこで心配になってテストしてみたら、陽性!!(2週間前に主人が、その後息子が酷い風邪をひいたものの、二人ともコロナ陰性だったので油断してました!!)一緒に出掛けた友達に感染させたかもと、罪の意識でいっぱいです…。昨日からは殆ど症状もないのですが、家の中で家族3人が隔離生活中です。我が家のクリスマスはどうなることやらですが、皆さん、素敵なクリスマスを。

   隔離生活で外に出られないので、クリスマスの飾りつけを終えてて良かった…。

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先の3つの記事では、大人になるまで緘黙や不安障害などをひきずり、生まれた娘2人も場面緘黙になったというエイブリーさんについて書きました。

以前にも何度か話題にしたと思うのですが(随分昔のことなので思い出せない(^^;)、親子そろって場面緘黙になったという話は時々ききます。

でも、それは場面緘黙が遺伝する訳ではなく抑制的な気質が遺伝して、環境などの影響で子どもにも緘黙症状が出ているのだと思います。

(そういう私も場面緘黙ではありませんでしたが、高校時代まで「内弁慶・恥ずかしがり屋」と言われ続けていました。学校をはじめ公の場では借りてきた猫状態。その一方で、安心できる場所(家やその近所)ではかなり自を出せていたのです。知りあいが誰もいない他県の大学に入ったことが、自分の殻を破るきっかけとなりました)

元緘黙の大人がよく「緘黙の後遺症」として挙げるのが、人付き合いなど社会性の問題。抑制的な気質の人は引っ込み思案なことが多く、新しいことに挑戦するのに苦手意識があります。また、新しい状況に慣れるのに時間がかかるという特性も。

話せるようになっても、とまどっている内に人の輪の中に入れなくなってしまうこともあるかと思います。そして、一度できた輪の中に入っていくのは結構難しい…。自意識過剰で人の目が気になる上に、自分から働きかけることが苦手なんですね。

緘黙は克服したのに人との関係を築くのが難しい――特に、2人以上のグループでの何気ないおしゃべりが難しいという人が多いのです。仕事だったら、ある程度話題が限られてきますが、普段のおしゃべりは話題が流動的。人数や関係性などによって、何を言い・どんな反応をするか瞬時に決めなければならず、よく考えると複雑極まる対応をしなければならない訳です。

特に、日本では角を立てないために曖昧な表現を使うことが多く、「場の空気を読んで、求められている反応をする」必要性がすごく大きい。また、人の気持ちを配慮する「気配り」の文化があるため、反応が鈍いと誤解されてしまう傾向も。

緘黙児は学校で話せない・思うように行動できない子が殆どですが、社会性が発達する成長期に緘黙になると、社会的な経験を積むことが難しくなります。学校や社会の中で色々な体験をして、どんどん経験を積み重ねて自信をつけていく時期なのに、その体験がすっぽり抜けてしまうからです。

大人とのやり取りもそうですが、同年齢や年が違う友だちとの交流は特に重要。というのも、話し言葉やコミュニケーションに関しても、体験しながら習得していくものだからです。

話し言葉・言語・コミュニケーションの発達は、高校生になってからも続きます。どんどん語彙が増え、文章が長くなり、内容も複雑化していきます。こうしたスキルは、比喩や隠喩を含め、実際に使って相手の反応を見ながら学んでいくもの。ゼスチャーも同じことです。

輪の中で・輪の近くで、見て・聞いて・自分で使ってみて、成功と失敗を重ねながら習得していくのです。十分な会話の練習ができなければ、自信を持って言葉やゼスチャーを使うことはません。

学校で話せない緘黙児にとっては、家庭はもちろんですが、学校外の友達、親戚関係、習い事のサークルなど、なんでもいいので同年代の子どもとの繋がりを持つことが大切かと思います。学校の外で「話せる自分」がいれば、自信や自尊心にも繋がると思うので。また、兄弟・姉妹がいる子は色々話せる間柄だと助かるし、両親とも十分な会話ができれば安心ですよね。

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SM H.E.L.P. 2022年10月サミット(その4・エイブリーさん)保護者も変わる

イギリスは先週から寒気に包まれ、今日は最低気温がマイナス5度、最高気温が2度という経験したことのない寒さです。ロンドンでは日曜日の夜から初雪が降り始め、あたり一面真っ白に。気温が低いので雪が溶けず、踏み固められてアイスバーンに…。10センチ雪が積もったくらいで、交通が麻痺したり、学校が休みになったりというパニックに加え、郵便局・看護師・鉄道などのストで国が機能してない?!

初雪が積もった我が家の小さな中庭に、キツネがやってきました

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エイブリーさん自身の変化

特筆したいのは、娘たちの支援を続けるうちに、エイブリーさん自身にも変化が訪れたこと。子どもが進歩するにつれ、自分も変わらなければと強く感じるようになったそう。

子どもに自信をつけさせるためには:

  • 自分がもっと自由で幸せを感じ、人間関係を充実させて自信を持つ
  • 娘のお手本になる

自分がやっていないことを、子どもにやらせるのは難しいと実感し、上記の2つが必要だと感じたのです。

成人してからも社会不安や場面緘黙を引きずっていたエイブリーさん。何度もセラピーにかかりましたが、なかなか改善しなかったそう。でも、スモールステップで常に小さな挑戦を続けることで、自分自身を変え、社会不安を乗り越えることができたとか。自らの深層心理を見つめ、新しい挑戦に飛び込むのは簡単ではありませんでしたが、最終的には公衆の前でスピーチしたいとまで思うように。

そして、努力を続けた結果、ついに「こうありたい」と思うような人生に切り替えることができたといいます。

社会不安を克服するトレーニングを始めて、自分を愛すること、自分の声を持つこと、自信や自尊心を育てることができるようになったそう。

現在、エイブリーさんは「サンシャイン・マインドセット」というビジネスを立ち上げ、他の保護者や子ども達が内なる光を探し当てる支援をしています(セラピストではなく、米国のICF(International Coaching Federation)の資格を持つコーチ)。

https://sunshine-mindset.com/

エイブリーさんからの言葉

ネガティブに「私は内気だから」「できない」と言っていると、脳はそれを信じてしまいます。まず、「できる」「大声で叫べる」と思うこと。ネガティブな思考からポジティブな思考へと変えること。楽しいと思えた時、それが自信につながるんです。

小さな子どもにとっても、それは同じ。「大丈夫、〇〇ちゃんは勇気があるんだから」と口に出して言うことで、子どもは変わっていけます。

みく感想:

「子育て」は「親育て」といいますが、エイブリーさんはこの言葉通り、自分を変えて満足できる人生を得たようです。社会不安が強かった彼女が、学校や医療関係者に自分からアプローチすることは、どんなに勇気がいったことか。でも、娘たちの支援を勝ち取るために、必死で強くなっていったんでしょうね。小さな成功を積み重ねることで、母と子が少しずつ自信をつけていく姿が見えるようです。

緘黙児の保護者は自らも抑制的な気質の人が多いと思うので、自分から働きかけることが本当に難しい…。でも、子どものためと思えば、結構できてしまうもの。私も試行錯誤の末に色々鍛えられて、強くなれたような気がしています。理解されるのが難しくても諦めずに粘っていれば、なんとか道が開けてくるはず。頑張ってください。

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SM H.E.L.P. 2022年10月サミット(その3)

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SM H.E.L.P. 2022年10月サミット(その3・エイブリーさん)親子の緘黙

イギリスでは12月に入って急に冷え込んできました。夕方4時頃になるともう薄暗くて、長~い冬の到来という感じです。光熱費や食料品、ガソリン代などが高騰していて、鉄道、郵便局、医療スタッフや救急車まで、クリスマスにかけてストが目白押し…人々の暮らしがどうなってしまうのか、本当に心配です。

散歩する公園のカフェに温かな光を灯すクリスマスツリーや飾り

<エイブリーさんが行った支援>

長女:4歳ころには緘黙などの症状があるのに気づくが、診断がおりたのは6歳。特に、社会性の問題が顕著だった

次女:2歳半~3歳くらいの時から兆候があり、入園の際に極端な母子分離不安が判明

<小児科・ソーシャルワーカーとの取り組み>

長女の症状に気づいてからすぐリサーチを始め、「場面緘黙」という症状名を発見。小児科医に連絡し、病院を通してソーシャルワーカーと2年ほど取り組みを続けた。しかし、少し進歩したところで、「娘さんは私には話すから場面緘黙じゃない。外でも一言二言話せるから、もう私のサポートは必要ない」と支援を打ち切られた。

<心理士との取り組み>

元主人が長女の学芸会をひとりで観に行き、娘の状態を危惧。「全然動かなくて無表情だった。絶対に何かおかしい」と、心理士を受診することを提案。

心理士とCBTを中心にしたセラピーを続けることで、少しずつ改善。誕生会などではしゃべれないが、先生に質問されたら小さな声で短く答えられるように。

それから次女が誕生。入園したあと、何もせず、何も食べられず、他の子達と一緒に座ることさえできない状態だった。

心理士に相談したところ、長女の症状の他に、社会恐怖や全般性不安障害も。より深刻で、園にいる間は全くしゃべらず、わずかに口を動かすだけ。そこからのスタートだった。

<学校での取り組み>

学校や園でもできる限りの支援を求めた。長女は小学校1年生から、次女は幼稚園からIEP(個人支援プラン)を作成してもらうことに成功。オハイオ州ではIEPのある子どもに予算がつくため、これが大きな転換点に。次女は幼稚園で週に3回TA(教育補助員)がつき、心理学者と相談して決めたゴールを目標に、スモールステップの取り組みを実施した。

保護者は子どもの学校での様子が全く分からないから、学校とのコミュニケーションは大切。子どもの可能性を違う視点で見ることもできる。

<心理士からのアドバイス>

・就学前に担任に会う

・教室内でその時々のゴールを子どもに確認させる

・学校と家庭間のコミュニケーションを密に

<講習会などへの参加>

場面緘黙の講習会にも積極的に参加。学んだ知識や情報をもとに、より効果的な治療法を探って、心理士の治療と並行して取り組んだ。NYで開催しているBrave Buddy’sにも参加した。

次に、娘たちを連れて1週間のSMキャンプに参加。母子分離不安がある次女は最初は嫌がったが、常にオープンに話していたことで心の準備はできていたと考えている。

長女にはキャンプの効果大で、初めてなのに全ての挑戦をクリアできた。その反面、次女には難関だったが、その後も諦めずに3年ぐらい参加した結果か、囁き声で話せるように。

SMキャンプには保護者の講習会もあり、緘黙への理解、取り組みを継続することの重要性、各ステップの実施、不安がどのように機能するか、していい事いけないことなどを学習。不安を抱える保護者にとって、緘黙は改善できるという希望を持てた。キャンプ終了後に普段の生活で何をすればいいのか学べたのも収穫。

成功のモメンタム(勢い)を継続させるため、高額だったが心理士を2人に増やした。場面緘黙を専門とする心理士と月に1度オンラインで話し(母親のみ)、取り組みや対処法を細かく計画。もう一人の心理士に取り組みを実践してもらう方法で、数年間続けた。

<専門家を味方につけること>

母子で取り組みをしていると、母と子の関係がセラピストと緘黙児の関係に変わってしまうことがある。だから、第三者の心理士がいるのはとても大切。その上に、学校関係者と専門家を含めたチームを作ることができれば、異なる場所(家と学校)での子どもの状態や進歩を確認できる。

<薬の服用について>

薬は最後の手段にして、まずできることを全部やってみた。次女の場合はSMキャンプを数年続けたが、心理士に「話す時だけでなく、通常でも不安が強い」と言われ(ASDの可能性も考えている)、服用に踏み切ることに。プロザックを低量から開始。

服用3日目に「私、話してる。どうしてこんなに話せるの?ママ、友達に言って」と、娘から言ってきた(この状態は継続した訳ではなかったよう)。これが、自分から友達に電話する挑戦を後押しすることに。

自分が「声を出せる」「話せる」と解った時、「自分はできるんだ」と考え方が変わり、自信が持てる。色々治療を試してみて、超えられない不安の壁があると解ったら、薬を試してみてもいいのではと思う。

(またまた次回に続きます)

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SM H.E.L.P. 2022年10月サミット

SM H.E.L.P.2020年10月サミット(その2)

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SM H.E.L.P. 2022年10月サミット(その2・エイブリーさん)親子の緘黙

天気が変わりやすい灰色の日々が続くイギリス。時どき青空が見えると、本当にほっとします。

    勤務先は小高い丘の上。母と小学生の子ども達による通勤路の街路樹アートはまだまだ続く

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さて、SM H.E.L.P.の秋サミットの続きです。

講演者: アメリカ在住のエイブリー(Avery Sunshine)さん。緘黙体験者で2人の娘の緘黙を支援しているうちに、自らの緘黙の過去を断ち切り理想としていた自分になることに成功。現在、他の子ども達や保護者が内なる太陽を見つけられるよう支援を行っている。エイブリーさんのサイト:sunshine mindset

<成人しても緘黙に苦しんできた>

私は人生のほとんどを社会不安、分離不安、場面緘黙に悩まされてきました。そんな私が変わったのは、幼い娘たち2人に同じ兆候があると気づいたとき。娘たちには自分とは違う未来を歩んで欲しい――勇気を奮い起こしてサポートしている内に自分自身も変わることができたんです。今では、かつて理想としていた人生を送れています。

<場面緘黙と社会不安>

私は幼少の頃から、極端に内気で不安の強い子どもでした。それは大人になってからも変わらなかったわ。これらの症状は場面緘黙の人なら誰でも持っているという訳ではないけれど、重なる部分も多いのでは?

<場面緘黙と社会不安の違い>

場面緘黙と社会不安との違いは、SMは話すこと・口語でのコミュニケーションに対する恐怖症。一方、社会不安は自分がいつも舞台の上にいるような気持ち――常に人に見られていて、どう判断されることへの恐れです。この2つが併存していることは多いのではないでしょうか?

<幼少期の思い出>

小さい頃は社会不安が大きくて、両親としか話せなかった。自分から友達を作れなかったから、母が友達を連れてきてくれたけど、すごく孤独でした。

中学では虐めにあって「ミュート(唖)」と呼ばれて…。特にひとりに虐めのターゲットにされて、髪にガムをつけられたり、持っている本を落とされたり。どうしていいか判らず、とにかく忙しいふりをしていたの。ひとりで座ったり、誰かのグループに入ったりする勇気がなかったから、用事もないのに学校の公衆電話から母親の職場に電話したり…。すごく大変だった。

高校では少しマシになったけど、個人発表やグループプロジェクトが苦痛で。1000%正しいと解っていても、挙手できない。個人の発表が迫ってくると、仮病で学校を休むすこともしばしば。課外活動を見学に来た母が、誰にも話をせず・かかわらず、何もしない私を見て狼狽していたのを覚えています。

<子どもの心情を理解して>

保護者や教師たちが子どもの心情を理解することは本当に大切。「恥ずかしがり屋なだけ。成長したら治るから大丈夫」と客観視するのは危険です。子どもは心の中で多くの葛藤を抱えている。独りぼっちでいたくないのに、自分からグループに混じることはできない――どうしたら輪の中にいるよう見えるのか、絶えず心配し心を痛めていました。それなのに、傍からは「平気そうだから大丈夫」とみられてしまう。誰かに判ってもらえるだけで、全然違うと思います。

<子どもが抱えている違和感>

「私はみんなとどこか違う。どこがいけないの?」と自分でも判ってました。実は、私の家庭は機能不全で健全ではなかったから、家族からのサポートや手引きを受けるのは無理だったの。「もし支援を受けられていたら、自分の人生はどう変わっていたんだろう」とよく思います。

娘たちが生まれるまでは、自分はこんな家庭で育ったからこんな風なんだと思い込んでいた――娘たちが私と同じパターンの行動を取るようになるまで。その時点で、やっと自分が場面緘黙で不安障害と分離不安も抱えていたことを発見したの。私が娘たちに注いでいる愛情や支援が、私の両親にはまったくなかった。大きな困難を抱えていたのに…。支援や支援チームがあるかないかとでは、子どもの未来が全く変わってくると思います。

(長いので次回に続きます)

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ISU フィギュアスケート イギリス・シェフィールド杯

もう11月も後半ですね。しばらくブログをお休みしてしまいました。

私はずーっと昔からフィギュアスケートのファンなんですが、今年ISUグランプリシリーズの試合が、初めてイギリスで開催されることになりました。ロシアがドーピング事件と戦争で、中国がゼロコロナ政策で開催中止となり、急遽シェフィールドが立候補したのです。

イギリスでの国際大会ってめったにないので、先週末11~13日に観戦してきました。また、シェフィールドには主人の大学時代の友だち家族がいるので(お互いの結婚式に出席した後、私は今年春に再会(^^;)、泊めてもらって親交を温める目的も。

        グランプリシリーズが開催されたアイスシェフィールド(IceSheffield)

最終日は路線工事のためロンドンに戻るのに電車とバス乗り継ぎで5時間近くかかり、夕方7時からのエキシビションは観れず…。寒かったためか翌日から何年振りかの風邪をひき、ダウンしていました。最近、緘黙ブログが少ないと思いつつ、記念のためにフィギュア観戦のことを書き留めておこうと思います。

    赤丸急上昇中、アイスダンスのフィアー&ギブソン組(英)

イギリスで有名なスケーターといえば、思い浮かぶのはトービル&ディーンとかロビン・カズンズぐらい? ひと昔前という感じですが、最近アイスダンスのフィアー&ギブソン組がぐんぐん頭角を現してきて、今年は世界トップ5に入りそうな勢いです。

日本人選手で参戦したのは、女子シングルの三原舞依と男子シングルの佐藤俊、島田高志郎、壷井達也の4選手のみ。熱烈応援しているアイスダンスのかなだい組が来なくて残念でしたが、とにかくこの機会を逃す手はない。途中、お誘いしたスケオタ友が抜けてしまったものの、独りでも行く気満々(^^;

(国内のフィギュア人気が低いから、チケットは安いんじゃないか?! そう考えていた私は甘かった…イベント通し券は300ポンド(約5万円)+手数料。う~ん、さすが国際大会)

  

  私の席はジャッジ席の左側で1列目はカメラマン席。ジャッジがメモを取りながら、ボタンを押すところもバッチリ見えました。各試合の前に人の手で穴を埋めてから製氷車で氷を整えます。6分間練習は大迫力

で、実際に行ってみたら会場が小さい!1500人収容だそうで、TV画面で観る選手たちが3Dビジョンになって飛び出してくる様な感じ。臨床感と躍動感が半端なかったです。どういう訳か2列目の席に変更されたので、近くに来る選手たちの表情まで見えました。男子シングルで1位になったダニエル・グラッスル選手(伊)が、目の前で3Aを決めてニッコリ笑うと、左隣の若い英国人女子達から「キャーッ!!!」っと悲鳴が(^^;

友達宅が会場と正反対の方角だったのもあり、私は午前中の公式練習はパスして試合から見たのですが、TVで観るのと違って選手たちの体格や滑りが目の前。「こんな感じなんだ~」と発見がたくさんありました。例えば、小柄な選手が多かった女子シングル選手の中で、韓国のヨン・ユー選手はかなり大柄。彼女が滑るとゴーっという音が聞こえてびっくり。その反面、小柄で細い三原選手は丁寧な滑りで殆ど音がしませんでした。

この大会のハイライトは、まず男子シングルのデニス・バシリエフス選手(ラトビア)。ショートで3位につけた彼は、フリーの6分間練習では転びまくり。他の選手がジャンプを決める中、大柄なのですごく目立つ訳です。大丈夫かな~と思っていたら、試合では一度も転ぶことなく演技がどんどん盛り上がり、ジャンプやスピンを決めるたびに「ワーッ!」という大歓声と拍手。滑り終えた時には、皆立ち上がって大会初の総スタオベになっていました。2日目が終了した時点で手が痛かった(^^;

  

   ランビ先生も満足気。佐藤俊選手は丁寧な滑りで3位に

次のハイライトと総スタオベは三原舞依選手。演技前から凄い声援で、会場中に日の丸が。私は持参した小ぶりの旗を振っていたのですが、右側でひとりクールに観戦していた女性が特大の日の丸を取り出し、左隣の女子たちは💛マークの手描きバナーと特大日の丸で大声援。ありがとぉお💛

最終滑走で、しかも前のイザボー・レヴィト選手(米、15歳)が143点出したので、ひとつも失敗できない重大な局面。でも滑り出すと、柔らかさと優雅さの中に力強さも感じられました。技をひとつ決めるごとに大声援が飛び、最後のロングスパイラルで会場は大盛り上がり。こちらも盛大なスタオベとなりましたが、演技が終わって小走りする姿、キスクラで縫いぐるみの陰に隠れる姿が可愛かったです。

  

    なんとグランプリシリーズ初優勝だそう。本当におめでとう!来週のヘルシンキ杯でも上位に入って、是非ファイナルに行って欲しいです。

そして、イギリス人が大熱狂したのが、自国のフィアー&ギブソン!氷の上を飛んでいるような滑りで、応援ともども凄かったです。

表彰式ではロビン・カズンズから花束贈呈

今回、感心したのは英国人スケオタ達の応援。どの選手にも温かい拍手と声援はもちろん、各国の国旗や手描のバナー、縫いぐるみ(小さいのは会場で販売)の投げ入れも多かった。私の左隣は20代の女子3名ほどだったのですが、英国の他に日本、アメリカ、カナダ、ラトビア、ジョージア、スイスなど何種類もの特大国旗や手描きバナー、そして投げ入れ用のヌイグルミも毎日準備。

左隣の子はロマン・サドフスキー(カナダ)の大ファンだったようで、フリーで彼が登場した途端、「あー、気絶する!!!」と絶叫。が、残念ながらジャンプの失敗が多く、ショート1位から総合6位に。それでも、彼女は元気に他選手の応援を続けたのでした。偉い!

今回の観戦で色々な人とおしゃべりしたのですが、海外に観戦に行くという強者も多くて、みんな詳しかったです。中でも、三原選手のファンが多くて、病気のことや昨年の全日本で北京オリンピックを逃したことを話をしたら、「ああ、近くに座ってる日本人ファンから聞いたわ」と(^^;

小規模な会場だったけど、温かい応援が嬉しいシェフィールドのMKジョン・ウィルソン杯でした。ちなみに、スポンサーのMK社とジョン・ウィルソン社はフィギュアスケートのブレードを製造する世界有数の企業なのだそう。ブレードはかつて鉄鋼業の街として有名だったシャフィールドの特産品のひとつなんですね。

SM H.E.L.P. 2022年10月サミット

今日はイギリスの緘黙支援団体、SMiRA(Selecive Mutism Information & Research Association )の30周年記念日です㊗ どうもおめでとうございます🎊

故会長のアリスさんとコーディネーターのリンジーさんがSMiRAを創設してくれたお陰で、我が家を含めどれだけ多くの家族が助けられたか。

関係者の皆さんの努力に、本当に頭が下がります。長い間ありがとうございます。

秋も深まってきて、日暮れがどんどん早くなってきました

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10月は場面緘黙の啓発月なのでSMiRAでもオンライン講習会などを開催しているのですが、時間が取れないでいました。やっと先週末にSM H.E.L.P.の秋サミットを視聴できたので、紹介させていただきます。

今秋のサミットでは場面緘黙の経験者や保護者らが自らの体験や支援状況、取り組みなどを語ってくれました。絵本や活動本を出版したり、セッションなどを提供している人も多く、現在子どもの緘黙と格闘している保護者にはとても励みになると思います。

講演者: アメリカ在住のヴェロニカ(Veronica DeStefano)さん。3人の子どもの母親で次女のルーシーちゃんが緘黙

ルーシーは他の子とどこか違う――そう気付いたのは、ルーシーが3歳のころ。幼稚園に通い始めて1年の間、「すごく静かで、全然話さない」と言われ続けたとか。最初は「とてもシャイだけど、今に慣れるわ」と答えていましたが、結局最後まで慣れることはなかったのです。

全く応答しないため園ではアセスメントも図工もできず、自宅に送られてくることに。話せないだけでなく、行動の抑制もあり、ルーシーが園で何を学び、何ができるのか全く見当がつかない状態でした。

「本当に不思議だったわ。家では姉弟の中でも一番賑やかで、ものおじせず声も大きいの。頑固なところもあるわね。園に入るのを楽しみにしてたのに、園と家では全く別人のようで…」

4歳検診の際に医師に1年間ずっと園で話さなかったことを告げると、「それは内気なだけじゃない、違う症状です」といわれました。

幸運なことに、そのクリニックで働く同僚の息子が場面緘黙と診断されたばかりだったとか。医師は同僚に意見を聞き、同じ症状だと確認。ヴェロニカさんは場面緘黙に関する情報や専門家・セラピストのリストを入手することができたのです。

すぐに行動を起こし、デンバーの不安障害センターを訪問。そこで正式に診断が下り、翌月には娘と一緒にSMキッズキャンプに参加したそう。

キッズキャンプで出会った専門家の協力を得て、園での支援体制を整えることができ、家でもスモールステップでの取り組みを始めました。

ルーシーは順調に進歩し続け、現在はレストランで注文したり、クラスでの発表もできるように。支援チームができたことで先生とクラスメイトの理解も得られ、友達もできたということ。ただ、7歳になった現在、学年が上がって新しい校舎、新しい支援チームと環境が変わり、家で癇癪を起こすことも。始めて学校に行きたくないと言い始めたとか。

SM H.E.L.P. 主催者のケリーさんとのQ&Aから

<場面緘黙の知名度はまだまだ低い>

「ルーシーはいつも隅っこにいて、誰とも遊ぼうとしない」と教諭にいわれ、不安が募った。医師から「場面緘黙」という症状名を聞くまで、誰も知らなくて…。ネットを検索すると多くの情報やビデオが出てくるのに、何故教諭や医師が知らなかったのか疑問に思った。

<SMと恥ずかしがり屋の違い>

極端にシャイな子でも最終的には人や環境に慣れて、遊びに加わったり、話したりするようになると思う。でも緘黙児は違う。いつまで経っても慣れることができず、不安が強いまま。特に、顔の表情が違うと思う――恐怖のためか無表情でその場にいたくないのが明白に感じ取れた。

<SMキッズキャンプ>

キャンプに参加した時は最年少。1日8時間のセッションで、色々なことにチャレンジさせてくれた。例えば、犬と猫とどちらが好きか他の子達にステッカーで答えてもらったり、1ドルショップで買い物をしたり。チャレンジブックにたくさんのステッカーをもらえて、それが自信に繋がった。今でも時々眺めて「こんなに頑張れたんだね」と話すそう。キャンプでは途中で疲れてスタッフの膝で寝てしまったことも。

保護者のミーティングでは主催者が長時間の質疑応答に応えてくれ、とても有意義だった。また、ここで出会った専門家が園に来て緘黙についての講習を行ったことで、支援体制を整えることができた。

<家庭での取り組み>

短時間の間にキャンプで学んだエクスポージャー法を、帰宅してからさっそく日常生活で実行。それが大きなターニング・ポイントとなった。

例えば、レストランに行ったら「注文を取りに来た時、あの小さい女の子に水がいいか、レモネードがいいか訊いてくれる?」と事前にウエイトレスに耳打ちするなど。常時、何ができそうかを考えて計画を立てる。娘の前で「この子の名前を訊いてくれる?」と訊ねるのは自身も恥ずかしいけれど、母親が勇気を出している姿を見せることも大切という。

<IEPと支援体制の重要性>

園や学校に緘黙の知識をつけてもらえるよう働きかけることは本当に重要。関わるスタッフ全員にルーシーのニーズを知ってもらえ、学校全体で対処できるようになる。特に、IEP(個別教育支援プラン)を作ってもらえたことが大きかったと思う。

<著書:『ルーシー・レモンと勇気のシャボン玉』>

ヴェロニカさんは自らの体験を生かして緘黙支援本『ルーシー・レモンと勇気のシャボン玉』シリーズを3冊出版。1冊目は子どもにも判りやすく緘黙を、2冊目はエクスポージャー法を説明。3冊目はエクスポージャー法にスモールステップで挑戦する実践的な内容。

Lucy Lemon and the Brave Bubbles      

Lucy Lemon’s Brave Bubble Pop!

Lucy Lemon’s Brave Bubble Activity Book

 

 

 

みく感想:

やはり緘黙治療には早期発見・治療が必須だと思い知らされます。診断後すぐにSMキッズキャンプに参加したり、専門家と学校との懸け橋になるなど、ヴェロニカさんの行動力には脱帽です。アメリカでも、イギリスでもそうですが、まだまだ緘黙支援が得にくい地区もあり、保護者も大変。抑制的な傾向のある人も多いと思うのですが、保護者もスモールステップで勇気を出していきたいですね。

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