場面緘黙と自閉症(その2)DMS-5 と ICD-11

今週は雨が降ったり・止んだりの肌寒い天気が続いています。雲の合間に陽が射して青空がのぞく時間もありますが、あたりはもうすっかり秋の空気。学校は始まったものの、まだ最終的な時間割が決まらず、ちょっと中途半端な日々です。

      久しぶりに訪れたハイゲートの森。うちの四季咲きのイングリシュローズは色も姿も儚げ

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さて、前回の続きです。

「現在の規定ではASDとSMの併存を診断できないのか?」という質問に対して、匿名で下記のような回答がありました。

DMS-5 (Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders  米国精神医学会が作成する精神疾患の診断・統計マニュアル第5版) においても、ICD-11 (International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems 世界保健機関WHOが作成する疾病及び関連保健問題の国際統計分類 第11版) においても、ASDとSMとが同時に診断することは可能です。ただし、そのためには子供の持つ発話の問題はASDが原因ではないことを確認する必要があります。

DMS-5よりSMの規定の抜粋

The disturbance is not better explained by a communication disorder (e.g. childhood-onset fluency disorder) and does not occur exclusively during the course of autism spectrum disorder, schizophrenia, or another psychotic disorder.

この障害はコミュニケーション障害(例えば、小児期発症流暢症)では説明がつかず、ASD、総合失調症、その他の精神障害の経過中のみに起こるものではない。

DMS-5より(どこに記されているか不明)

Neurodevelopmental disorders Individuals with an autism spectrum disorder, schizophrenia or another psychotic disorder, or severe intellectual disability may have problems in social communication and be unable to speak appropriately in social situations.

ASD、総合失調症、その他の精神障害を持つ神経発達障害の人、または重度の知的障害がある人の中には、社会的コミュニケーションに問題があったり、社会的状況で適切に話すことができなかったりするケースがある。

       ⇑  <上記に対する投稿者の意見>

でも、彼らにSMの症状がある場合、そのコミュニケーション上の問題は別の種類のものだから、ASDだからという理由ではうまく説明ができません。その問題は様々な場面(状況)を超えて持続する、もしくは会話の欠如ではなく会話の内容に関連するかのどちらかです。

ICD-11から

Boundary with Autism Spectrum Disorder and Disorders of Intellectual Development:

Some individuals affected by Autism Spectrum Disorder or Disorders of Intellectual Development exhibit impairments in language and social communication. However, unlike Selective Mutism, when language and social communications impairments are present in Autism Spectrum Disorder and Disorders of Intellectual Development, they are notable across environments and social situations.

ASDおよび知的発達障害との境界:

ASDや知的発達障害がある人の中には、言語や社会的コミュニケーションに問題を抱える人もいる。しかし、ASDや知的発達障害の人に言語や社会的コミュニケーションの障害がある場合は、SMとは異なり、その問題は環境や社会的状況を問わず現れる。

 ⇑   <上記に対する投稿者の意見>

そのため、ASDの子どもが場面緘黙になっている状況でのみ沈黙している場合は、SMとASDの両方を診断することが可能。反対に、彼らが常にコミュニケーションの問題を抱え、その原因がASDである場合はSMの診断はできません。ASDが除外セクションに記載されているのはこのためです(SMと診断する前に、言語の障害の原因としてのASDを除外する必要があるため)。子どもが安全と感じる状況では話し(例:家庭)、不安が強い状況では話さない(例:学校)のはSMに特有な性質で、ASDが原因ではないからです。

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DMS-5の「SMはASD等の経過中のみに起こるものではない」という言い回し、すごく解りにくくないですか? ASD経過中にも起こりうるし、そうじゃない時にも起こりうるということ?

追記:DSM-5では、ASDの経過中にSMが起こった場合、医学的にはASDが一次障害でSMは二次障害という位置づけ。そのため、一次障害のASDが上位診断となり、原則的に併存するSMは診断されないということだそう。

私は高機能ASD児を専門とする特別支援校に8年間勤務しているのですが、ティーンの生徒たちは言語能力が高く目立つ常同行動もないため、一見するとASDだとは分からない子が殆ど。グレーゾーンの子も入れると、学校などで問題が起きなければ、周囲が子どものASDに気づかないということも理解出来るんですよね…。

スレを立てた方の質問は、診察やテストの際にSM児が話さないから診断不可ということでしたが、子どもが家で話している映像を利用したら、少しは手助けになるかもしれないと思ったのでした。

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場面緘黙と自閉症(その1)

もう9月も半ばですね。今年は日本から友達が二人もやってきて、あっという間に夏休みが終わってしまいました。最後の最後に、この夏の課題だった遮光ブラインド作りに着手。やっと完成したんですが、ギリギリになるまで夏休みの宿題をやらなかった学生時代と同じ^^;  なんやかんやでブログをさぼってしまい、前の記事から1ヶ月近く空いてしまいました…。

     

     秋風が吹き始めた中庭に咲く花々。ご近所さんにもらったナスタチウム(?)が巨大化して、あっという間に庭の一角を占拠してます😲

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私がこのブログを始めた2013年頃、イギリスでは場面緘黙(以降SMとします)と自閉症(以降ASDとします)の関連はほとんど取り沙汰されていませんでした。当時はSMとASDの併存という話題も非常に少なかったと記憶しています。その反面、日本では多くのSM児に発達障害が認められると言われていました。

当時、イギリスでは緘黙治療法が進んでいて、マギー・ジョンソンさんをはじめとする専門家たちや緘黙支援団体のSMiRAが全国的な活動を行っていました。そのイギリスで発達障害との関連について議論されていないのに、どうして日本では?と不思議に思っていたのです。

そこで、『日本では発達障害と見なされやすい(1-6)?』という記事で自分の見解を書いた訳です。

ところが、ここ5、6年ほどの間に随分様相が変わりました。SMiRAのFB掲示板でもSMとASDの併存についての話題がぐっと増えてきたのです。

今ではASDとSMが併存することは周知の事実。ただし、これはSM=ASD/ 発達障害ということでは決してありません。ただ、SMの背後に潜んでいるかもしれないASDや他の発達障害、言語の問題等の可能性を慎重に考慮すべきという姿勢になっていると思います。

最近、SMiRAのFB掲示板に特別支援教育の関係者から下記のような質問がありました。

質問者は複雑なニーズを持つ子どもたちを担当。彼女の職場では、子ども達が話さないために5/6歳で行ったASDの診断テストの評価をすることができなかったそうです。子ども達が10、11歳になった現在、心理士達はASDの評価を行うことに消極的なのだとか。その理由が、SMの診断基準ではASDは存在し得ないと規定されているため。両方の診断マニュアルによると、ASDとSMの両方を持つことができないというのです。それで、実際のところはどうなのかと。

この質問に対して多くの反響があり、当事者1人と29人の緘黙児の保護者が「子ども(自分)にはSMとASD両方の診断がおりている」と返答。更に、「SMだからASDの診断ができないというのはおかしい」という書き込みが多くありました。

保護者たちの回答から、子どもたちの診断パターンが2つに別れているのが分かりました。ひとつは幼児期にSMの診断がおりて、複数年後(長くて10年ほど)にASDの検査をして診断がおりたケース。もうひとつは、ASDの診断が先におり、数年後にSMの診断がおりたケースです。SMとASDの診断が同時におりたケースはなく、何故なのか気になっています。別々の専門機関で診断してもらう必要があるんでしょうか?

次回はアメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)DSM5と国際疾病統計マニュアル(ICD 11)におけるSMとASDの規定を比べてみたいと思います。

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ウィーンの旅・珍道中(その2)

滞在3日目は、ウィーンパスを思い切り活用して主に美術館巡りをする予定でした。まずベルヴェデーレ宮殿でクリムトの『接吻』を観てから、アルバティーン美術館で印象派絵画を。そこから歩いて、ホーフブルグ王宮内にある国立図書館へ。世界一美しいと言われるバロック様式の図書館は、大理石の円柱や天井画が見事。が、なんか既視感があるなと思ったら、昨年見たダブリン大学の図書館と酷似してました^^;

   宮殿内の美術館にはクリムトの『接吻』や風景画、他アーティストの作品が

 

   アルバティーン美術館では大好きなエルンストの作品も発見。豪華絢爛な図書館は高さ20m、蔵書は20万冊以上だそう

お次は、これも世界的に有名な国立オペラ座の劇場内ガイドツアーへ。30名ほどのグループだったんですが、最後にステージ前で写真撮影をしているうちに(他の人達からも頼まれた)、なんと取り残されてしまいました!! 残った6人で迷路のような廊下を右往左往し、10分位かかって外に出たのでした^^;

この時すでに午後1時半近く。オペラ座の前がホップオンバスの発着場なので、2つ先のミュージアムクォーターまではすぐ。と思いきや、友達のひとりが「このまま1周して観光スポットを全部網羅しよう」と言い出して…。

「え~っ、この暑いのに!!」と思ったものの、前日フェリーの船着き場に2人を引っ張っていったのは私…文句は言えません。プラスティックの屋根越しにガンガン陽の当たるダブルデッカーバスの2階で、耐えること1時間ちょっと(私だけ少し日陰になる席に座ったんですが^^;) それでも、暑い!暑すぎた!!

やっと美術館が集まるミュージアムクォーターで下車した時はもうクタクタ…。友達もやっぱり暑すぎたそうで、大失敗でした(バスは一方通行で循環してるので、途中で降りて引き返せない)。

まずは、世界最大のエゴンシーレ・コレクションを誇るレオポルド美術館に入ったのですが、ここでまたひと悶着。 私のパスが何故か作動せず…。なんとかゴネて入れてもらい、目的のシーレ作品群を観ることができました。他にも、クリムトやウィーン工房の工芸品なども展示されていて見どころいっぱいだったものの、もうグッタリ…。

    1階コンコースではローマ法王が回って踊るパフォーマンス(写真1枚め)が😲 シーラの作品群は風景画もお馴染みの色調と筆遣いでした

お隣の近代美術館mumokに行く前に、手前のカフェで軽食と冷たい飲み物で一息ついくと、もう動きたくな~い!友達が近代美術館に行っている間、ひとりで休憩してました^^;

  

夕方、予約してあった近くの人気レストランGlacis Beislへ。 緑がいっぱいのテラス席は雰囲気がすごく良かったんですが、うーんメニューが少ない…。伝統的なビーフグーラッシュを注文したら、味が濃くて野菜がぜんぜん入ってない….。その後、レオポルド美術館の屋上にあるテラスバーで夕陽を眺めてから帰途についたのでした。

最後の日の午前中は、オーストリアの画家・建築家、フンデルトヴァッサー(1928-2000)がデザイン・設計したクンストハウス博物館とカラフルな市営住宅のある地区へ。 残念ながら、博物館は改装中で入れませんでしたが、近隣地区で彫刻などの野外展示会を開催中。グレーを基調にした伝統的な街並みに、カラフルで遊び心あふれる建物が印象的でした。

   ガラスや金属、木材、陶器などの多様な素材遣いやミロの絵のような色遣い、曲線や不規則なラインが楽しい

ラテを飲んで一休みしてからトラムでホテルへ戻り、電車で空港へ。こうして私たちのウィーンの旅は終わりを告げたのでした。

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ウィーンの旅・珍道中(その1)

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ウィーンの旅・珍道中(その1)

学校が夏休みに入った7月21日から4日間、ウォーキング友達2人とオーストリアの首都、ウィーンに行ってきました。ウィーンを選んだのは行ったことがなかったのと、それほど暑くならないと思ったから。

  

イギリスでは7月に入ってから冷夏になったのですが、南ヨーロッパでは前代未聞の猛暑に!私達がウィーンに滞在した間は28〜34℃と、けっこう暑かったです

古都ウィーンは、神聖ローマ帝国の王位を継承し中世ヨーロッパで勢力を振るったハプスブルグ家の主要な居城都市。モーツアルトやベートーベンなどの音楽家、クリムトやシーレなどの画家が活躍した芸術の都でもありますね。

さて初日。空港からホテルまで電車で25分ほどのところ、なぜか駅名を間違えてかなり手前で下車^^; 周囲の人に聞きまくって、トラムで1時間ほど遅れてホテルへ。

 

ホテルのラウンジで遅いランチを食べて(このサンドと水で1,500円くらい!高っ!)から、再びトラムに乗って国立オペラ座へ。事前に予約しておいた街歩きツアー(無料)のガイドさんと合流。

彼女の案内でオペラ座からアルベルティーナ美術館(階段のパステル画が素敵だった)、スペイン式宮廷馬術学校、高級ブティックが集中するコールマルクトなどをそぞろ歩き。ちと疲れたので、1860年創業、宮殿の一部として使われていたという人気のカフェツェントラルへ。軽食を楽しみながらガイドさんと色々な話をしました。ウィーン生まれの彼女は建築家で、月に一度ガイドをしているのだとか。

 

    行列ができていたカフェツェントラル(写真左)は優雅な雰囲気。カイザーシュマーレン(Kaiserschmarrn 梅ソース添)というパンケーキの量が半端なかった!ケーキ類は重くて甘そうで、クリームがのったウィンナコーヒーともに触手が伸びませんでした…。日本でも有名な老舗カフェ、デメル(右)にも長い行列。ウィンドーにはお菓子作りをしているシェフの姿が

  

2日目は、ホテルでしっかり朝食を摂ったあと、まずは「ウィーンの胃袋」と称されるナッシュマルクトへ。 土曜日に立つ蚤の市も見て回りました。

ここから、ホップオン&オフバスに乗って世界遺産に指定されているショーンブルン宮殿に向かいました。 が、バスを降りたあとに大きなミス。 事前に購入しておいたウィーンパスで簡単に入場できると思いこみ、パス専用のチケットオフィスを通り過ぎて、宮殿の門をくぐり庭園(無料)で涼んだのでした。

さて宮殿内へと思った時点で、入場チケットはどこで入手するの?! と3人ともパニック! バスの停留所まで逆戻りしてチケットを発行してもらった時には、なんと2時間半待ち…。宮殿訪問の後にクリムトのアトリエを訪ねて、ドナウ河で遊覧船に乗る予定だったのに…。

この宮殿、1688年の第一案ではヴェルサイユ宮殿を凌駕するものを建てる気まんまんだったものの、ハプスブルグ家の財政難によって縮小。18世紀に完成し、1762年には鏡の間で当時7歳だったモーツアルトがマリアテレジアの前でピアノを演奏したとか。

この後、ドナウ河で遊覧船に乗るためにバスで船着場に向かうも、最後の船に間に合わず…というか船着場とガイドとでは発着スケジュールが違ってた…。

 

気を取り直して、友達がガイドブックで見つけたというアート&クラフトマーケットへ。さんざん迷ったあげく辿り着いたら、その住所にマーケットはなし。でも、雰囲気のある路地にレストランが並んでいたので、そこでウィーン名物、シュニッエルを食べることができました。お味はーーう~ん、まあまあでした^^;

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緘黙だった教え子のAちゃんが卒業しました

もう2週間が過ぎようとしていますが、7月に教え子のひとり、Aちゃんが卒業していきました。 私が勤務している学校は、高機能ASD(自閉症スペクトラム障害)の子どもを専門とする特別支援学校。Aちゃんは高等部で日本語のGCSE(国家試験)コースを選択したので、3年間の付き合いでした。

 

        最後の授業の日にAちゃんにもらったカード、とても嬉しかったです。右は彼女が作った日本語すごろくのイラストの一部

このAちゃんが場面緘黙(だった?)と知ったのは、なんと教え始めて1年ほど経ってからのこと(詳しくは『教え子が緘黙だった!!』をご参照下さい)。

私の授業では何ら問題がなかったので、彼女が緘黙だということに全く気づかなかったのでした^^;  ただ、いつも声が出るまで少し間があくのが気になっていました。

声を出そうと緊張しているのは解っていたため、5秒くらい待つことにしていました。日本語を選択している生徒は1つのクラスに片手で数えられる程。だから時間をかけられたんですね^^;

Aちゃんの最初のクラスはなぜか寺子屋スタイルで、一時期レベルが違う生徒4人が一緒に授業をしていたことも。が、Aちゃんが黙ってしまったことは一度もありませんでした。

その理由は小人数で安心度が高かったためか、自分の知識に自信があったためか?それとも、負けず嫌いの一面が影響したのか…。

負けず嫌いといえば、日本語3年目の生徒と一緒に会話の練習をした際、Aちゃんの声のほうが大きかったのが印象的でした(習ったばかりの箇所だったので、自信もあったはず)。

GCSEのクラスに変わってからは、もうひとりの生徒に負けじと自主的に応えることも多くなっていったのです。

日本では、よく場面緘黙時に英語を習わせるといい、と言いますよね?外国語の方が母国語より話しやすいと感じる緘黙児は多いようです。考えてみれば、語学学習の初期は、復唱や回答が決まっていることがほとんど。自分で答えを考えて言うよりは随分楽です。

この3年間でAちゃんに変化がありました。質問をふると、応える時に微笑むことが多くなり、応えた後もニコニコしているのです。応える時の間もほとんどなくなり、応えるスピードも上がりました。

(まあ、これは試験用の「会話」の練習をした成果かもしれませんが)

外国語のGCSE(国家試験)で試されるのは、「会話」「読解」「聞き取り」「作文」の能力。「自分」「将来の希望」「地域・旅行」など5つのテーマがあって、自からの意見を表明することが重要になってきます。

だから、彼女の趣味がPCゲームで K&J-ポップのファンであることや、将来の夢など、授業で聞き出して、それをテーマに会話の練習をすることも多かったんです。興味のあることを話すのは、誰でも楽しいですよね?

Aちゃんの唯一の欠点といえば、欠席がものすごく多かったこと(ストレスに弱い?)。試験前後もかなり休んで焦ったのですが、勉強は家で続けていたよう。なんとか無事に試験を終えることができました。

そして、卒業間近になって彼女のTAから連絡がありました。

卒業式の日にAちゃんを送り出す祝辞を述べなければならないのに、言うことが見つからないというのです…。

「クラスでは何も話さないし、褒めるべきことが何もないから、良いところを教えてほしい」と。

えーっ、良いところはいっぱいあるのに!

そして、いまだクラスで話せてなかったということがショックでした…。

2年前、彼女が緘黙であることを偶然耳にした時、1対1なら話すけどグループ活動やクラスでは声が出せていないと聞いて、

「まずは一番仲の良い子とスライディングイン法をしてみれば」と提案し、その後も、時々クラスでの様子を訊ねたりはしていたのですが…。

でも、私には生徒のケアをする役割は与えられていないし、講師の分際で口出しすることも憚られ…。そして、カリキュラムの遂行や細かな授業計画・各生徒の学習状況報告の要求に追われて、いっぱいいっぱいの状況。

もっと何かしてあげられなかったのかと、今とても悔やまれます。

殆どの卒業生たちは9月から学校近くのカレッジに通うんですが、Aちゃんは自宅に近いカレッジに1人で電車通学する予定。

知っている人が誰もいない全く新しい環境で、Aちゃんが希望に満ちた新たなスタートを切れます様に!!

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教え子が緘黙だった!!

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息子の緘黙・近況報告

一昨日、息子の大学の卒業式に行ってきました。当日はあいにくの雨で最高気温が19度と肌寒く、薄手のコートを着ていって大正解。イギリスでは6月に例年より大幅に暑くなり、7月に入ってから通常運転に。一方、南ヨーロッパは40度超えの猛暑に襲われていて、まだ雨のほうがマシかなと思ってしまった私でした^^;

   

実は、イギリスの公立学校って日本のような入学・卒業式のようなフォーマルな式典ってほとんどないんです。校長がちょっと挨拶して、保護者が普段着で集まるような感じで。息子の小学校(5~11歳)とセカンダリースクール(12~16歳)では入学式もなし…。

だから、学士のガウンと帽子を纏って、格式ある卒業式に出席するのは息子の人生初。私達親にとってもフォーマルな装いで式に参加というのは初めて^^; だから、感激もひとしおでした。日本のように大切な区切り区切りで正式な式典を行うのって、人生の折り目を実感できてとてもいいと思います。

  

息子の大学はヴィクトリア女王が開校したイギリス初の女子大(現在は共学)で、ロイヤルの名がついています。そのためか、卒業式では4名の近衛兵がトランペットを演奏してビックリ。大学がある町のお隣がウィンザーなので、ウィンザー城から出張してきたものと思われます。

  

息子たちの学年は運が悪く、コロナ禍と大学生活がもろに重なってしまいました。専攻がコンピューターサイエンス科だったためか、授業はいち早くオンラインに。対面授業を充分に経験しないままの卒業となったのですが、今度は大学職員のストで卒業試験の採点が式典に間に合わず…。なので、成績が出る前に式を済ませることになったのでした^^;

それでも、小学校低学年のころは緘黙のため学校ではほとんど話せなかった息子が、こうして無事に大学を卒業するのか(多分)と思うと感無量。

 

息子が場面緘黙症を発症したのは小学校入学してすぐのこと(4歳6ヶ月、詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳  滑り台事件おこる』をご参照ください)。それからSMiRA(英国の場面緘黙支援団体)の助けをかりて、スモールステップのサポートを続けました。

緘黙を克服することができたかなと思えたのは、友達グループが固定し、出席の返事ができるようになり、教室でみんなの前で話せるようになった小学4年生の頃から。

でも、昨日本人に訊いてみたら、「小学校時代の幼馴染たちと別れ、新しい学校で自分から話しかけて友達を作れるようになった16歳ころかな」と言っていました。

色々なことを考慮して、「違う学校でもいい」という息子の意見を却下して、幼馴染たちと一緒のセカンダリスクールに進学させた私達。偶然にも同じクラスで5年間を過ごすことになったのですが、新しい友だちを積極的に作っていく彼らに引け目を感じていたよう(一緒にいたので、息子も仲間に入れてもらっていた様ですが)。

もしかしたら、親が先回りしすぎちゃったのかも…。

人前で話したり、必要な時に自発的に話すことはできても、息子の引っ込み思案な性格は今でも変わっていないような気がしています。自意識過剰で人目を気にしすぎるところも。

息子の交際範囲がちょっと狭いのが気になるところ――といっても、私の交際範囲もかなり狭いので人のことは言えませんが…。

どこで独り立ちさせるか親としては難しいところですが、親元を離れて地方の大学に行ったことで、自分なりに人間関係を築き、料理や洗濯もできるようになりました。でも、卒業後は当分ロンドンの我が家で暮らすことになりそうです。

イギリスは今物価の上昇が激しく大不況に見舞われているため、就職したら独立して部屋やフラットを借りるという通常のパターンは大崩れ。特にロンドンは家賃が高騰しているので、よっぽどサラリーが良くないと独立できません。昨年、息子より早く卒業した小学校時代の友達も、実はみんな実家にUターンしているのです。

イギリスでは日本のように在学中に就職活動を行い、卒業前に就職先が決まっているということはめったにありません。息子の友達の殆どはまだアルバイト生活で、本格的な就職を後回しにしているのが現状。

息子がこれからどうするのか不安ではありますが、自分で考えて進んでいってくれたらと願うばかりです。

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息子の緘黙・学童期6~7歳(その20)  プール恐怖症と水泳のステップ

あっという間に6月が終わり、すでに今年も後半に入りました。時間が経つのが異常に早く感じられる今日このごろ…。

  今年は6月中旬の花の見頃にリージェントパークの薔薇園に行くことができました

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またまた、息子の緘黙話しの続きです。

小学校入学直前にプール恐怖症になった息子(詳しくは『息子の緘黙・幼児期(4~5歳)プール恐怖症になる』をご参照ください)。体育のカリキュラムの一環として、水泳の授業が始まったのは1年生(5~6歳)から。

小学校幼児部(Infant 5~7歳)では、保護者がボランティアで着替えなどを支援するシステム。心配だったためボランティアに立候補しようとと思ったのですが、意外にも本人が「絶対やだ!」と拒否。その代わり、2年間パソコンの授業のヘルプで週1回1時間ほど学校に行っていました。

息子の小学校にあったこの保護者ボランティア制度は、子どもが学校でどんな風に過ごしているか垣間見ることができる絶好のチャンス。また、クラスの子ども達の行動や性格、息子とどう接しているかなども判るので、とても有益でした。

息子は水泳の授業には欠かさず参加していましたが、それについては家で何も言わないのです。だから、一体授業中どうしているのか全く不明…。

水泳のヘルパーをしているママさん達とはあまり付き合いがなかったため、息子の様子を探ることも憚られ…。水泳の先生(常勤ではなかった)からも、担任からも、何も言われないまま2年が経ってしまったのでした。

それでも、水に恐怖を感じているだろうこと、泳げていないだろうことは判っていました。だから、なんとか恐怖症を和らげようと、地元のプールに行こうと誘うんですが…これがなかなか。主人に頼んでやっと出かけてもすぐ帰ってきてしまうので、私が粘って水に慣らすしかないーー自分が泳がないのにプールに入るのは嫌でしたが、仕方ありません^^;

なかなか進歩がなくてもんもんとした時期が長かったのですが、水が怖くなくなるにはどうしたらいいのか? 色々考えて準備したのは以下の小道具でした:

  • ゴーグル
  • プールが楽しくなるような絵本

毎晩寝る前に本を読んであげる習慣だったので、子どもがお父さんと一緒にプールで泳ぐ練習をする絵本を借りてきました。これは水を怖れていた子どもが、だんだん水に慣れて楽しく泳げるようになる様子を描いたもの。

それから、ゴーグルを購入して、まずはお風呂で顔を水につける練習を開始。これは平気だった様で、すぐ顔を水につけて口から泡をブクブクして遊ぶように。自信がついたのか、「プールに行きたい」と初めて自分から言いだしたのでした!やった!!

次にプールに行った時、絵本のシーンを真似して手を引っ張ってもらって泳ぐ練習をしてみました(本当は絵本の様に主人にやってもらいたかった^^;)。いつもより積極的に取り組んでくれて、いっぱい誉めることができました。

このプールは時間帯によって波を立てるんですが、この日は浮き輪をつけて自ら一番強い波が来る場所へ。ゴーグルをつけているだけでこんなに大胆になれるんだ、とビックリしました。もしかして、目に水が入るのが怖かった?!

また、帰る間際になって、水がザーザー出ているところへ行き、何度も頭から水をかぶって大はしゃぎ。それまでには考えられない変化でした。

この日はゴーグルをずっとつけていたので、「ゴーグルがあれば大丈夫」と感じていたのは確か。小道具一つでこんなに変化があったのは驚きでした。

とは言っても、別にすぐ泳げるようになった訳ではなく、授業で「◯◯m泳げました」という証明書をもらってくることはありませんでした。もしかしたら、もらえてない子は息子だけだったかも^^;

それでも、緘黙と同様にスモールステップで少しでも前進できたのは、親にとっては大きな喜びだったのでした。

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息子の緘黙・幼児期(4~5歳)プール恐怖症になる

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その25)水泳の授業

息子の緘黙・学童期6~7歳(その1)小学2年の心構え

息子の緘黙・学童期6~7歳(その2)進歩の停滞

息子の緘黙・学童期6~7歳(その3)2年生1学期の指導プラン

息子の緘黙・学童期6~7歳(その4)小2の放課後の教室

息子の緘黙・学童期6~7歳(その5)持ってる先生と持ってない先生

息子の緘黙・学童期6~7歳(その6)特別扱いはしません

息子の緘黙・学童期6~7歳(その7)校庭の友情ベンチ

息子の緘黙・学童期6~7歳(その8)B君、ありがとう!

息子の緘黙・学童期6~7歳(その9)同世代ということ

息子の緘黙・学童期6~7歳(その10)ナッツアレルギー発覚

息子の緘黙・学童期6~7歳(その11)ナッツアレルギーの診断

息子の緘黙・学童期6~7歳(その12)会食恐怖症再び

息子の緘黙・学童期6~7歳(その13)楽器のレッスンを開始

息子の緘黙・学童期6~7歳(その14)安心できる人と空間

息子の緘黙・学童期6~7歳(その15)自転車の練習

息子の緘黙・学童期6~7歳(その16)祖父母との関係

息子の緘黙・学童期6~7歳(その17)自意識過剰と気おくれ

息子の緘黙・学童期6~7歳(その18)2年生1学期のIEPの評価

息子の緘黙・学童期6~7歳(その19) 小2 2つ目のIEP

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パリの空の下セーヌは流れる(その3)

3日目はまた同じカフェで同じ朝食を摂り、それからパリ西南部にあるヴァンヴ蚤の市へ。緑の木立の下に小さなストールがずらりと並び、和やかな雰囲気。ここではアクセサリーをいくつか購入。掘り出し物は、鎖が一箇所切れたみさきパールとシルバーの2連ネックレス10€でした。友達は繊細なフレンチレースのブレッドケースを購入。

     なんだか素人っぽい雰囲気の店主が多くて、掘り出し物に期待できそう。ランチは駅前のベーカリーでコーヒーとバゲットサンド

そこから地下鉄に乗って、モンマルトルに向かったのですが、ここでハプニング第3段!アベス駅につく手前で乗ってきた男女3人組が、なんとな~く怪しい雰囲気。私達は席に座らず立っていたのですが、女性の一人が私の後ろにぴったりくっついて、空席に座ろうとしないんです。そして、彼女の手が何故か私の背中に触れてる?!

ドアの近くに立っていた友達が、座っている女性になにやら警告を受けている様子。  はっと思って、後ろを振り向くとリュックの口が全開!!! えええ~っ、耳元に近いのにジッパーを開ける音が全く聞こえず、開けられたのにまったく気づかず!!

とっさに「キャッ」と叫んだら、私に張り付いてた女性はさっと席に座って知らん顔。睨んでいるうちに目的駅に着いたので降りたら、その3人組も降りて次の車両に乗り込んでいったのでした――被害者がでなかったことを祈ります…。

モンマルトルに来た目的のひとつは、高台にあるサクレクール寺院に行くこと。この日は快晴の日曜日で人が多く、陽射しが強くて気温が27度まで上昇。今まで3回行った中で最も混んでました。

    寺院を後にして、テルトル広場を通り抜け、木陰のカフェで一休み。丘を下りながらピカソの初期アトリエなどをぶらぶら散策

ハプニング第4段は、ホテルに荷物を取りに行く途中で立ち寄ったスーパーで起こりました。水を買おうと中腰になったところ、あれっ鼻血!!!

実は、私は1年以上前から鼻血に悩まされていて、パリ旅行の1週間ほど前に鼻の血管を硝酸銀で焼く処置を受けたのです。これでもう鼻血が止まると思いきや、医師にあと2回の処置が必要と言われました。その上、もっと酷くなることもあると…。

まさにその通り、以前より出血多量!!  きゃ~、どうしよう!!! 困っていると、親切な店員さんが従業員室に誘導してくれました。助かった~。

それからホテルに戻ったのですが、トイレで再び出血…。そんなこんなで、予定より少し遅れてパリ北駅に向かうことに…。

また鼻血が出たらどうしようと気が気ではありませんでしたが、無事にロンドンの我が家に戻ることができました~。なんだかハプニング続きの旅でしたが、でもやっぱりパリは素敵でした~。今もお土産を眺めては、あの素敵で自由な空間を想い出しています。

   

パリ土産はギャラリーラファイエットのエコバッグ、マカロン、立体カードなど

         星の王子様のトレイには、凱旋門のお土産屋さんで買ったパリチャームのブレスレットと蚤の市で見つけたアクセサリーたち

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ノルマンディの夏休み(その3)モネの家と庭を訪ねて

パリの空の下セーヌは流れる(その1)

パリの空の下セーヌは流れる(その2)

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パリの空の下セーヌは流れる(その2)

パリ2日目は近所のカフェで朝食を摂ってからまずは凱旋門へ。今回、初めて上まで登りました。次に、シャンゼリゼ通りを歩いて、老舗デパート、ギャラリー・ラファイアットの支店をのぞいてみました。

 

    カフェの朝食(左)。ランチは階下のお洒落なフードコートでベトナム料理をチョイス。生野菜とお酢ベースのソースが胃に優しい

ランチの後は、比較的新しい観光スポット、オテル・ドゥラ・マリーヌ(海軍の館)を見学。コンコルド広場に面したこの美術館は、元は王室の家具調度品の保管場所だったとか。その後、迷いながらフレンチマスタードで有名なマイユブティックへ。

   

奥に行くほど豪華絢爛になるオテル・ドゥラ・マリーヌ

そこからオペラハウスの前を通って、その歴史を19世紀まで遡る老舗デパート、ギャラリー・ラファイアット本館へ。まず屋上に登ってパリの景観を眺めてからお土産を物色しました。

      

     ネオビザンチン様式のドーム型天井が見事な建物は、1912年にオープン。左はオペラハウス

そこからパリで一番古い橋ポンヌフを渡って、シテ島へ。サント・シャペル教会の見事なステンドグラスを堪能してからマリー・アントワネットが投獄されていたコンシェルジェへ行ったのですが、特別展示会をしていて牢獄は見られず…。

      

       地下鉄ポンヌフ駅を降りて地上にあがると、草間彌生の巨大人形が登場(ルイヴィトンとのコラボ)

     

サント・シャペル教会の外観とステンドグラス

夜はホテルの近くの酒屋さん&ブラッサリーで不思議な青魚料理を食べました。後で調べてみたら、どうやらダツという名の魚の酢漬け? この後ホテルに戻ってバタンキューでした。

      

     お客さんがボトル持参でワインやビールを買いに来るお店。違う魚料理を注文したら売り切れでこのチョイスに

3日目は次に続きます。

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ノルマンディの夏休み(その3)モネの家と庭を訪ねて

パリの空の下セーヌは流れる(その1)

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パリの空の下セーヌは流れる(その1)

3年ぶりにイギリスに戻ってきた友達の希望で、先週末パリに行ってきました。前回パリに行ったのは確か息子が小学校高学年のころだったと思うので、10数年ぶり?!

ロンドンからパリまでは英仏海峡トンネルを走るユーロスターで2時間15分ぐらい。発着駅のセントパンクラス駅はうちから地下鉄で30分ほどの距離なので、飛行機よりずっと気楽。とはいえ、チケットが超値上がりしていて驚きました!

      

   今回泊ったのはパリ北駅の北側、国際色豊かな下町風の通りに佇む小綺麗なブティックホテルでした

友達がホテルのレセプションにあった除菌液を使った際、ちょっとした事件(2号)が起こりました^^;

この除菌液、長いこと誰も使ってなかったのか、ポンプの口が固まってたんですね――友達がポンプを押した途端、なぜか液が対角線上に飛んで受付のお姉さんの目を直撃!!

彼女は急いで目を洗いに行ったんですが、怒り沸騰で顧客サービスはどこへやら…。ドアをバターンと閉め、大声で文句を言いながらお手洗いに駆け込みました。しばらくして戻ってきたので、「大丈夫?」と声をかけたら、「No!!!」とすごい剣幕。

でも、目は開いてたし、病院へ行くほどでもなさそうな…。大謝りに謝ったものの無視。彼女が代わりのスタッフを見つけてくるまで、それから30分ほど説明もなくずっと待たされたのでした。

(ちなみに、前日友達の具合が悪くなり、夜10時すぎに熱を出すという事件(1号)も勃発…もう絶対に行けないと、色々考えて眠れず^^;)

やっと別の人に荷物を預け、大通りのブラッサリーでランチしてから、オルセー美術館とオランジェリー美術館へ。その後、チュイルリー公園とセーヌ河畔を散歩してから、友達の体調を考えてホテルに戻りました。

   ランチはサーモンのカルパッチョ。オルセー美術館ではルノワール、ロートレック、モネ、ドガ、ゴッホなど印象派の名画を鑑賞

    オランジェリー美術館といえば、モネの睡蓮の大作(縦2m x 横4.3m)にぐるりと囲まれた2部屋が圧巻。ベンチに腰掛けて池の水に映る光や陰影を眺めていると、とても落ち着いた気持ちに。昨年夏にジヴェルニーのモネの家と睡蓮の池を訪れていたので、感激もひとしおでした

   他にも、ルノワール、ピカソ、ユトリロ、モジリアニなどの名作がいっぱい

印象派の後にマチスを観たら、すごくモダンで新鮮でした

私達は事前にミュージアムパスを購入していったのですが、オランジェリー美術館は予約(無料で時間指定)しておいたので、長蛇の列に並ばずに済みました。

2、3日目は次に続きます。

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