悪化するコロナ禍とメンタルヘルス(4)

     先週うっすらと積もったロンドンの初雪。毎日どんより曇りの暗い日々なので、少しでも青空が見えるとほっとします。

1月も半ばをすぎました。でも、イギリスでは依然として変異種の感染がおさまりません。それでも、ピークで一日6万人近かった感染者が3万人台まで減っていたんですが…一昨日からまた4万人近くまで上昇し、今日はまた4万人超え! 毎日の死者数はずっと1000人を超えていて、本当に嫌になってしまいます。

私の住む北ロンドンの町では、今月頭と比べると感染者数は半分くらいまで減少。でも、どこか新しい地区で感染が増えているということですよね…一体、いつになったら落ち着くのか?!

今週から一日のワクチン接種数も発表されるようになり、今日で584万人が接種を済ませた旨。ちなみに、政府はひとりでも多くワクチンを接種するため、2回目の接種を6週間以上延長する政策を取っています。でも、1回の接種だけだと予防効果は50%くらいに落ちるらしい…。それに、効果が出るまでに数週間かかるとのこと。

ものすごくラッキーなことに、義父母は先週2回目のワクチン接種を済ませました(どうしてかは謎ですが)。ファイザー社のワクチンなので、数週間たてばコロナ菌への免疫は90%以上になる予定。ちょっと安心しています。

ちなみに、義母は2回とも3日間ほど風邪をひいたような状態になり、体がだるかったそう。なお、ワクチンに関する懐疑的なニュースも多いようですが、今のところイギリスでは重大な問題は起きていません(公表されないだけ?)私が知る限り、義父母を含めワクチン接種をした80歳以上の高齢者はみんな元気です。

でも、こんな状態なのでこの3度目のロックダウンがいつ終わるか、全くめどが立っていません。一応3月末までとしているようですが…2月末にはと言っていた学校再開にも疑問符がつく今日この頃…。

そんな中で、入院中だった超高齢のお隣のご主人が、院内でコロナに感染して亡くなられました。この5年間、頻繁に入退院を繰り返していたのですが、毎回なんとか回復して家の外で歩く練習をしていたのに…。

個室から4人部屋に移動した際、同室の他の患者さんから感染したとのこと。その人も別の病気で入院していて、入院前のPCR検査では陰性だったとか。

2回目のPCR検査で陽性に変わったため、同室の患者さん全員がPCR検査を受けたところ、お隣のご主人も陽性に…。その時は全く症状がなかったのに、1週間後に急に容体が悪化して呼吸できない状態に陥ったそう…。陽性と判明してから僅か10日ほどで亡くなられたのです。

そのニュースを聞いて、本当にやりきれない気持ちになりました。残された奥さんは、すでに1回目のワクチン接種を済ませていて、彼も入院していなかったらワクチンを受けられたはず…。

といっても、ワクチンが効くまで数週間かかるし、1回だけでは効果が低いので、感染は防げなかったかもしれませんが…。

2003年春に今の家に引っ越してきた時から親しくしていただいたので、本当に残念でなりません。ご冥福をお祈りしたいです。

暗い記事ですみません…。冬のイギリスはどんよりと暗い日が多く、一日に一度も太陽が顔を出さないことも珍しくないんです。気分もどんよりしてしまうし、メンタルヘルスには本当に良くないですよね。

もっと北国では、もっともっと日照量が少ないので、文句は言えませんが…。

早くコロナ禍がおさまるよう願わずにはいられません。

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悪化するコロナ禍とメンタルヘルス(その2)

悪化するコロナ禍とメンタルヘルス(その3)

悪化するコロナ禍とメンタルヘルス(その3)

 

新年、明けましておめでとうございます。

日本でも7日に1都3県への緊急事態宣言が出てしまい、全国的な感染拡大が心配されますね…。イギリスでは変異種によるコロナ感染が大蔓延する中、2021年が幕を開けました。

感染者の数はここ2週間連続で毎日5、6万人超え。死者数も増え続け、この3日間は毎日1000人を超えています。クリスマス前には1週間の感染者数が20人未満だったうちの地区も、あっという間に131人まで増加。人口2万6000人くらいの小さな町なのに、この数字?!

昨日、ロンドン市長が重大インシデント宣言を出し、「市内の感染は制御不能」と😢 医療崩壊が始まっていて、救急車で病院に運ばれても受け入れてもらえない可能性が出てきました。病院はコロナ患者であふれ、手術待ちだった患者も、救急の患者も、手術が受けられない状態になりつつあります。

現在ロンドンの感染率は30人にひとりだそうで、本当に怖い!もっと怖いのは、まだ感染ピークに達していないと言われていること…。

私が勤めているのは(パートタイム)私立の特別支援学校のアッパースクール(12~19歳)。高機能自閉症の子どもの専門校で、生徒達は公的に支援・保護が必要と認定されています。そのため、ロックダウンで普通の学校が閉鎖しても、開校し続けなければなりません(普通の学校もキーワーカーの子どものため限定的に開校)。

第一波のロックダウンでは、対面授業は親がキーワーカーの生徒と特に支援が必要な生徒のみに限定し、他はオンライン授業に切り替えました。でも、政府は今回どの学校にもより多くの生徒を学校に迎え入れるよう要求しているのです。

しかも、特別支援校に対する政策の詳細がいつまで経っても届かず!うちの学校の校長は若い女性なんですが、今週頭に生徒全員の登校を想定して準備を開始。学校での安全が保てるよう、週2回学校内でのコロナ検査が義務化されたとのこと。そして、検査するのは教職員の役目(担当者には2時間のオンライン研修あり)?!

教師は対面とオンライン両方の授業の準備をしなくてはならない上、感染の危険を伴うコロナ検査まで…?! 校長はボランティアを募りましたが、連続して同じメンバーを使いたくないということで、人数が足りないよう…。

検査は30分で結果が判るという Lateral flow systemを使用。でも、PCR検査と比べると正確性に欠けるので、生徒や教職員に陽性が出た場合は、PCR検査キットを持って帰宅させ、結果がでるまで自宅待機…。こんな方法で、学校内の安全が保てるんでしょうか?!

幸いにもコロナ検査は私の授業がない日に実施予定。ボランティアしなくて済みそうで、ほっ。

でも、ボランティアに名乗りをあげたスタッフ仲間への罪悪感がじわじわ…。それでも、私はパートタイムだし、もしコロナに感染して休んでもお給料の補償もないし…。

変異種が出現してから、セカンダリースクール(12~16歳)の年齢の子どもの感染率が上昇しました。生徒と教職員80名あまりが学校に集まれば、それだけ感染のリスクは高い訳で。やっぱり怖い!

(追記:読み返してみたら情報不足に思えてきたので、付け足しです。(その2)にも書いたのですが、うちの学校はコロナ感染のため12月第2週からずっと学校を閉鎖していました。それもあって、教職員と生徒が感じる感染の恐怖はとてもリアル。さらに、政府は「教職員の感染率が一般と同じ」と言っていますが(きっとまだ未集計)、3つの地方行政局が「教職員の感染率は一般に比べて3倍高い」と先週発表したのです…)

政府は子どもの教育や学校での対面授業を第一にする方針。それだったら、現場で働く教職員に一刻も早くコロナワクチンを接種して欲しい!!

でも、現在のところ優先順位には入ってないんです…。

この1週間、感染対策のオンラインミーティング、学校のコロナ方針や保護者への手紙などの確認、検査を受けるための受諾書の記入・提出など、エクストラの雑務が倍増。それにも増して、不安とストレスでいっぱいになりました…。

主人に「怖い、怖い!」と訴えていたら、「行きたくなければ、行かなければいい」と冷た~い言葉。

私がぐちぐち言い続けるので、嫌になってるんでしょうが…。実際に「怖い」と口に出すことで、少し恐怖が和らぐということを理解して欲しい。

仕事は辞めたくない、でも、学校に行くのは真剣に怖い!

そうしたら、金曜日の午後になって、対面授業をリクエストしている生徒のリストが発表されました。前日に政府の詳しいガイダンスが届き、保護者の希望があれば、自宅でオンライン授業を受けられることになったそう。

登校希望の生徒は全体の1/4程度で、私が教えてる生徒達は全員自宅待機組!助かった~!

でも、ここまでで精神的に疲弊してしまい、もうクタクタ…。実際に学校勤務をしなければならない人達は、どんなに心が重いことか…。

コロナ関係の心配事を相談できるよう、学校側は電話カウンセリングサービスを準備してくれていましたが。

ガーディアン紙の記事によると、イギリスでは昨年6~9月の3か月間で600万人が抗うつ剤を処方されたとか。反対に、コロナ禍のせいで対面でのセラピーを受けた人が25万人減ったとのこと。

通常、早期にセラピーを受けることができれば、それほど悪化せずにすみ、薬は必要ないことも多いよう。また、薬の服用と対面でのセラピーを併用することで、効果が高まるというのが定説です。

リモートセラピーでも、電話セラピーでもいいので、この時期だからこそ増やして欲しいと思います。誰かに気持ちを伝えることができれば、少しは心が軽くなると思うので。

新年早々、私のぐちぐちにお付き合いくださって、ありがとうございました。皆さんも、お気をつけて。

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悪化するコロナ禍とメンタルヘルス(その1)

悪化するコロナ禍とメンタルヘルス(その2)

悪化するコロナ禍とメンタルヘルス(その2)

 

今年もあと1日で終わりですね。世界中がパンデミックに襲われるなんて、2020年の初めには誰が予測できたでしょう。

先回も書きましたが、南東イングランドではコロナの変異種が蔓延し、ロンドンでも猛威を振るい続けています。昨日、今日と一日の感染者が一気に5万人を超え、医療崩壊が危ぶまれています。春の第一波時の規模を超えたようで、もう未知との遭遇…。

今月初めまでは、身近でコロナに感染した人はいなかったんです。それが、ここ3週間位の間にどんどん身近に迫ってきたと、周囲の人は皆感じているよう。

ウォーキング仲間のママ友一家は幸いにもPCR検査で陰性でした。が、娘さんのクラスメイト複数名とその家族は陽性だったとか…。また、嘔吐と頭痛で寝込んだ友人の友人もコロナ陽性が判明し、セカンダリースクールに通う無症状の息子さんにも陽性反応が出たと…。

どう考えてみても、セカンダリースクール(11~15歳)で変異種の感染が拡大しているとしか思えません。ちなみに、今月コロナで閉鎖したうちの学校も11~19歳のティーンが通うアッパースクールなので、1月から学校に行くのが恐怖です。

イギリス政府は第一波発生時には学校を全国的に閉鎖。そのため、多くの子ども達は2学期(春季)後半から3学期(夏季)を通して、全く学校に行けませんでした。オンライン授業に切り替えたとはいえ、裕福な私立校と貧困層が多く住む地区の公立校とでは、教育格差が大きかったよう。

私が勤める私立の特別支援学校では、各生徒が学校のラップトップを家に持ち帰り、比較的円滑にオンラインで授業を続行できました。が、公立校では兄弟で保護者のスマホを順番に使うしかなかった子ども達や、オンライン授業に参加しなった子ども達も多かったとききます。

更に、今春は高等学校・大学進学のための全国検定試験もキャンセルになりました。各学校で成績を付けたものの、従来の公平性や信憑性には疑問符が…。

それ故に、9月の新学期からは教育を重視して、学校だけは閉鎖しない方針だったのです。

秋には大学生の感染が拡大したため、大学2年に進級した息子が大学に足を運んだのはたった1回のみ。講義もゼミも全部オンラインですが、提出する課題は例年と同じ。人生で一番楽しめる時期なのに、大学で友達に会うこともできず下宿に缶詰状態で、気の毒でなりません。

と書いたところで、セカンダリースクールの学校再開を2週間遅らせることが正式に決まりました。ロンドンとイングランド南西部の多くの小学校も、1月4日からの開始をしばらく延期するそう。大学は春までオンライン授業のみ!?

(息子には悪いけれど、私は来週学校に行かなくてもいいようなので、少しほっとしています)

コロナ禍が受験期や就職活動期を直撃した世代が、ロスジェネになりませんように。

ある新聞記事では、「コロナ禍が私たちのメンタルヘルスに与える影響は計り知れない」と書かれていました。

道で人に会うと反射的に避け合う、買い物をする際に誰とも話さない…。これが長く続くことで、心理的な影響はかなり大きいと。

社会的な存在である人間が人を避け、友人付き合いもままならない――感染の恐怖に加えて、自分の世界がどんどん小さくなっていくような不安を誰もが抱えているのではないでしょうか?

また、コロナ禍が長引けば長引くほど企業やショップが潰れて失業者が増え、経済的な影響も大きくなってきます。

ひっくり返った日常と、一変してしまった世界…。

寒くて暗い季節にどんどん高まっていく不安。これからどうなっていくのか予測できない中、今日オックスフォード大学とアストロゼネカ社のワクチン使用が正式に許可されました。来週の月曜日(1月4日)から接種をスタートする予定だとか。

80歳以上の高齢者にはファイザー社のワクチン接種が進んでいます。義父母を含め、今のところ重篤な副作用は出ていないよう。コロナ最前線で戦っているNHS(国民保険サービス)のスタッフに、一刻も早くワクチンが行き渡りますように!

ワクチンがコロナ禍を沈めてくれる希望の光になることを願ってやみません。

2021年が希望を持てる年となります様に! 日本でもコロナ感染が拡大しつつあるようなので、みなさん健康にはくれぐれもお気をつけて。

悪化するコロナ禍とメンタルヘルス

 

日本でもニュースになっていると思いますが、急拡大しているコロナ変異種の感染を防ぐため、ロンドンを含むイングランド南東部が急遽ロックダウンされました。先週の土曜日に何の前触れもなく、いきなり…。

感染率が再び上昇してきて、みんな危ないなとは感じていました。だから、私の周りでもクリスマスに親戚や友人と集まるのをやめた人が多数。我が家でも金曜の夜、主人が実家に電話してキャンセルの提案をしたんです。

でも、「一回目のワクチン接種は済ませたし、感染対策を万全にするから来て」と押し切られ、土曜の朝も感染対策の話をしていました。そうしたら、午後4時にいきなり警戒レベル4(それまで3が最高)との発表が!

義父母のところは警戒レベル2なので、クリスマス当日のみ1家族だけゲストを招くことが可能です。でも、宿泊は不可のため義妹家族もキャンセルする羽目に…。二人とも落胆が大きかったよう。

科学者達はクリスマスの規制緩和(イギリス全土でクリスマス前後5日間限定で3世帯が合流可)は危険だと、ずっと警鐘を鳴らしていました。ウェールズとスコットランドの首長は、先週頭に方向転換。でも、ジョンソン首相は動きませんでした。それが、感染が急増してから、いきなり180度変更…。

新たな変異種はすでに9月半ばに発見され、じわじわ拡大していたんだとか。感染が止められなくなってからロックダウンしても遅すぎる!ジョンソン首相の政策はいつも後手後手。政府への信用は地に落ちています。きっと、世界もそう見てることでしょう…。

変異種の感染力は従来種の7割増とのこと!TVでハンコック保健相が「感染防止はお手上げ状態」と告白したのを観て、本当にぞっとしました(それでも、町にはいまだにマスクをしていない人がいるんです!)

私が勤める学校でコロナ感染者が出てから2週間半――その間にウォーキング仲間の中学生の娘さんのBFが陽性になり、家族全員が隔離してPCR検査。別の友達もその友達が突然嘔吐・頭痛に襲われ、念のためPCR検査…。幸い、全員陰性でしたが、いよいよ感染が身近に迫ってきた感じです。

警戒レベル4だと、必需品の買いだしと運動以外の外出は禁止。でも、一緒に住んでいる家族以外に、ひとりの人と外で会うことができます。が、その際もマスクと2mの距離を保つことが必須。今までも大変だったのに、更に厳しい状況に突入してしまいました…。

現在のところ、クリスマス翌日にイングランド全域の3度目のロックダウンが囁かれています。専門家たちは4月になるまでは過酷な状況が続くだろうと。

この急な政策変更で、クリスマス前のかきいれ時だった商店やサービスは大打撃。クリスマス用に仕入れた商品やストックが無駄になってしまいました。ただでさえ大変な年だったのに、その心情や経済状況を思うとやり切れません。

また、この緊急処置でクリスマスを独りぼっちで過ごさなければならない人が大量に出現。寒くて暗いイギリスの冬、明るいニュースや希望が全く見えない中、クリスマスだけが唯一の楽しみだったのに…。

長びくコロナ禍で人々の心がすでに疲弊しているところへ、もっと強力な変異種の出現。みんなの心が折れてしまわないか本当に心配です。心が疲弊していると、人のことを思いやることが難しくなりますよね…。

先週、最後の生徒のオンライン授業を終えて少しクリスマスの話をしたら、

「私が親族にコロナを感染させないか心配なの」と言うのです…。

12歳の女の子でも、楽しみなはずのクリスマスを前に大きな不安を抱えている――大人も子どもも同じように不安の渦の中。例え子どもが何も言わなくても、心のケアを怠らないことが重要だと思いました。

政府は教育に重きをおいて、9月の新学期から学校閉鎖をせずにやってきました。でも、殆どの地区の学校でコロナ感染による一部閉鎖が日常茶飯事になっているのです。子ども達は毎日不安の中で学校に通っている訳ですが、友達や先生と会えることが心のケアにも繋がっているし…。

こんな状況で多感な時期を過ごさなければならない子どもたち。この体験がトラウマになったり、将来に影響することがなければいいのですが…。

今まさに、メンタルヘルスケアの必要性をひしひしと感じています。イギリス人にとっては1年最大の祝日であるクリスマス。今年は集うことが難しいけれど、誰もが美味しいものを好きなだけ食べて、温かく気持ちよく過ごせるよう願っています。

皆さんも良いクリスマスを。

    息子が3歳の時、幼稚園で作ってくれたクリスマス飾り。あれからもう17年。大学から帰省した息子がいるだけで、我が家はぱっと明るくなりました

ワイト島の夏休み (その7)

のんびり夏休みを思い返しているうちに、9月も今日で終わり。季節はすっかり秋で、夜の冷え込みも激しくなり、そろそろ暖房が必須になってきそう。その間に、イギリスのコロナ感染率は上昇し続け、昨日・今日と7000人超え…😢ワイト島の夏休み記事もこれで終わりです。

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ワイト島の夏休みの最終日。午後2時半のフェリーを予約しておいたので、午前中は島の最南端にあるセントキャサリンズ・ポイントでハイキングする計画でした。岬の白い灯台を出発点に、ドラマチックな風景を見ながら丘陵を登り、14世紀に建てられた礼拝堂のあるセントキャサリンズ灯台の廃墟まで歩くつもりだったのです。

が、天候が崩れて雨になるかもというので、急遽予定を変更。ホリデー4日目の午後、「悪魔の煙突」に行く途中で通った旧シャンクリン村に行くことにしました。

 

  前日発表された新種の恐竜は、昨年シャンクリンの海岸で一般人が発見したとか。混んでるかもと思ったのですが、天気が悪いので人はまばら。

海岸をブラブラ歩いてから、先日見かけた旧ヴィレッジへ。途中、アンモナイトなどの化石を販売しているお店があって、ちょっと感動。行きついた駐車場はほぼ満杯だったのですが、一番奥に一つだけ開いたスペースを発見できました。

   かやぶき屋根とクリーム色やピンクの壁が可愛らしい旧目抜き通り

  上の写真のクリーム色の建物、ペンシル・コテッジ(カフェ&ショップ)の中庭で蟹サンド他を注文。後方のカニの模型にはテーブル番号が書いてあります

カフェの横の道を下ったところに、島最古の観光スポットと言われる美しい渓谷、Shanklin Chineがあるのですが、時間がなくて残念ながらパス。貼ってあったポスターによると殆ど毎日赤リスが出現するらしく(まあ、そう書いてあるところが多いんですが)、ああ見たかったな…。息子と一緒にその近くの森林を歩いてみたものの、赤リスとの遭遇は幻に終わりました。

ランチを食べた後は、急ぎ足でお土産探し。一軒に入るごとに並んで手を消毒…このコロナ禍、一体いつまで続くんでしょう?

カウズの波止場では「出発が遅れます」と連絡があり、私だけ車を降りて近くのショップをウロウロ。その間に家族が乗った車は私を残して搭乗!残された私は、大謝りに謝って徒歩客用の搭乗口から乗せてもらったのでした(恥)。こうして2020年の我が家の夏の旅は、ドタバタのうちに終わりを告げたのです。でも、コロナ禍の合間に夏休みを取れて、本当に良かった!ちなみに、ワイト島の感染率は第二波来襲中の今も低いままで、ほっとしています。

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ワイト島の夏休み(その2)

ワイト島の夏休み(その3)

ワイト島の夏休み(その4)

ワイト島の夏休み(その5)

ワイト島の夏休み(その6)

 

ワイト島の夏休み(その6)

イギリスは先週半ばから天候が崩れ、秋晴れの汗ばむくらいの気候から雨模様の日々に。最低気温は10度を割り、夜間は暖房が必要なくらいになってきました。だんだん日が短くなっていく中、コロナ感染は大学寮を中心に拡大してここ3日間は毎日6000人を超える勢い…。コロナ感染も心配だけど、今年末にはEU離脱なのに未だEUとの交渉がまとまらず…イギリス経済は一体どうなってしまうのか、不安が募ります。

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ホリデー6日目はやっと猛暑が去り、通常運転のイギリスの天候に。一転して肌寒い曇り空の下、東部にあるベンブリッジ(Bembridge)の海岸まで行ってみました。ワイト島はヨーロッパ内で恐竜の化石が最も豊富な場所のひとつで、ペンブリッジの東に位置するサンダウンという町には恐竜博物館があります。実は、前日に1億1500万年前の白亜紀に生息していたという新種の恐竜(長さ4m)が発見されたと報じられたばかり。

   

   橋の向こうにあるのは、ベンブリッジの救命ボートステーション。波が全くない湖のような水面――気圧の関係かと思うのですが、凪の海って初めてでした

救命ボートステーションの南側の海岸をてくてく歩いていくと、昨日のライドの砂浜とは全く異なる風景。幾何学模様のような割れ目のある岩が延々と続き、火山活動でできた古代の地層なんだろうなと想像できました。ワイト島自体が白亜紀の堆積物で形成されているそうで、古代にはイングランドと地続きだったそう。この場所を恐竜が闊歩してたのかと思うと、とっても不思議。

   他の海岸では見られなかった貝殻もちらほら。浜辺にはバケツを片手に何か採っているらしい人が結構いましたが、何を採っていたのかは不明

ベンブリッジを後にして、ガーリック農場と島一番のアート&クラフトセンターと宣伝されるアレトンバーンズを覗いてみましたが、うーん今一つ。シーフードを求めて、再びライドの海岸沿いのレストランへ。

今にも雨が降り出しそうでしたが、車で移動中にパラパラ降ったくらい。テラス席で長時間待ってシーフードにありつけました。看板には蟹とロブスター(食材がある時に限る)と書かれていたものの、残念ながらロブスターはなし。

  

ランチの後は、ライドの西側にあるクア修道院へ。ファームショップとティーガーデンが再開したと知り、ちょっとわくわく。赤リスが住む森もあり、今度こそ遭えるかもと期待が膨らみました。

12世紀に設立したクア修道院はカソリックの聖ベネディクト会に属し、ゲストハウス、ビジターセンター、ショップ、アートギャラリーを併設する他、1エーカー(約0.8k㎡)の広大な敷地に農場や果樹園、牧草地や森林があります。農場では野菜と果物の栽培の他、養豚、養鶏、養蜂を行っていて、ファームショップで生産物や加工品(ジャムやチャツネなど)を販売。ホームメイドのケーキや軽食が楽しめるティーガーデンも。市民農園も設けていて、一般の人も野菜造りを楽しめるよう。ウィキによれば12人に満たない修道僧とボランティアで経営・維持を行っているとか。

小さな子ども連れの家族が多く、とってものんびりした雰囲気で、しかも無料。観光客のみでなく、地元の家族連れが敷地内でピクニックやウォーキングを楽しんだり、お茶を飲みにやってくるスポットのよう。赤レンガの壁に囲まれたウォールドガーデンの外側には養豚場があり、豚の母子3家族がそれぞれのピッグペン(ドーム型の豚小屋)で平和そうに暮らしていました。1匹の母豚に子豚が12匹くらいと、子だくさん。

 

1912年に新築した修道院は、ベルギー製の煉瓦を用い、フレンチビザンチンとムーア建築様式を組み合わせた造り。イギリスではあまり見かけないスタイルで、聖堂内はステンドグラス他の装飾が殆どありません。

林を抜けたところに、12世紀から16世紀まで続いた旧修道院跡と、旧修道院の石材を使って19世紀に建てられたクアアビーハウスがあります。後者は英国艦隊の提督だったコッチレン伯爵の邸宅で、娘はヴィクトリア女王の末娘、ベアトリス王女の侍女だったとか。

  ベアトリス王女がハネムーンを過ごし、ヴィクトリア女王も時おり訪れたというクアアビーハウス。誰が飾ったのか、ウサギの置物が…

ファームショップに入る際に名前と連絡先を記入し(コロナ感染に備え)、自家製のハチミツを購入。ティーガーデンで手作りケーキとラテをいただきました。庭園内に良く赤リスが出現するというので粘りましたが、やってきたのはコマドリだけ…。

   コロナ感染防止のためとはいえ、紙コップとバッグ入のケーキはちょっと味気ない?

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ワイト島の夏休み(その2)

ワイト島の夏休み(その3)

ワイト島の夏休み(その4)

ワイト島の夏休み(その5)

ワイト島の夏休み (その5)

イギリスでは9月に入って学校が再スタートしたのですが、ここ2週間あまりでコロナ感染率が急上昇。先週末から毎日4000人を超える感染者が出ていて、PCR検査システムはパンク状態…。私が働く特別支援学校も再開して今3週目…学校で感染者が出ないことを祈るのみ。さて、ワイト島の夏休みの続きです。

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この日は息子の誕生日。本人の希望で、カウズ(Cowes)のマリーナにあるスパニッシュレストランとヴィクトリア女王の夏の離宮だったオズボーンハウス見学を予約してありました。猛暑は続き、朝から温度がぐんぐん上昇。まずは、北部の港町カウズに行ってマリーナと町を探索。

快晴の海は青く水面がキラキラ輝いてきれい

12時に予約しておいたスパニッシュレストラン、フロントは若いお兄さん2人だけ?どんどんお客さんがやってきて、満席状態に。一番乗りで中庭の席に着きすぐ注文したものの、ドリンから食事が出てくるまでがとっても長かった…。

          息子とお任せタパスを注文。イベリコ豚と海老、ピリ辛のポテトとオリーブ。美味しかったです

オズボーンハウスの予約は2時だったのですが、コーヒーとデザートがまたまた来ない――待った挙句、頼んだデザートは切れていて、コーヒーマシーンも故障中とのこと…。

急いでレストランを出て駐車場まで走りました。カウズとイーストカウズはメディーナ河を隔てて隣同士。通常だったら、フローティングブリッジ(浮橋)と呼ばれる船に車ごと乗り込んで、ほんの数分で渡れるのです。でもコロナ禍のせいで、車の渡しは停止中!仕方なく、ニューポート経由で河の周辺をぐるりと回って25分かけて隣町のイーストカウズへ。かなり長い河なのに、大昔からある渡し舟の歴史を重んじてか、現在でも橋がひとつもないのです…。レストラン選びをした際、Gマップでは車で5分くらいだったのに…。

15分ほど遅刻したものの、無事オズボーンハウスに入場できました。この王宮は1845~1851年の間にイタリア・ルネサンス建築の宮殿を基礎として、ヴィクトリア女王(1819~1901年)のために建築。毎年、夏になると女王一家が滞在し、1861年に夫君のアルバート公が病死した後も頻繁に訪れていたそう。

 

ヴィクトリア女王といえば、世界に植民地を拡大した大英帝国の女王。歴史の教科書などでは、最愛の夫アルバートに先立たれ喪に付した、晩年期のどっしりした肖像画でお馴染み。でも、18歳という若さで即位した彼女は145cmと小柄で、21歳で結婚してから4男5女、9人の子どもを次々と儲けた若き女王だったのです。

オズボーンハウス1階にあるダーバーの大広間 (Darbar Room)は、ヨーロッパの王族をもてなす晩餐会や舞踏会が行われた場所。インド皇帝でもあった女王のステータスを象徴するように精巧なインド式装飾が施され、特に天井のプラスター装飾が圧巻。現地から職人を呼び寄せただけありますね。この他、インドの風景・人物画のコレクションも。

 

海を見渡すテラス。広大な庭園があり、女王一家が海水浴を楽しんだ王室専用ビーチまで歩いていけるのですが、暑すぎてパス。ティーブレイクは、アフタヌーンティーではなくアイスキャンディーとカフェラテにしました。

次は、宿泊先まで戻って水着に着替え、白い砂丘で有名なライドのビーチへ。午後遅かったためか潮が満ちてごく普通の砂浜という感じでしたが、人がまばらな海で気ままに泳ぐことができました。けっこう遠くまで泳いでも、浅瀬が続いていて海底に足がつくんです。砂丘だから?これだったら、子どもでも安心。

 

      イギリスで温かい海って初めてでした。地元の人達は海水が温まる午後遅くに泳ぎに行くよう

食べて、観て、泳いで--息子の20歳の誕生日は真夏の光いっぱいの一日となりました。

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ワイト島の夏休み(その4)

ワイト島の夏休み(その4)

ホリデー4日目は、11時にカリスブルック城(Carisbrook Castle)見学を予約してありました。それまで時間があったので、まずニューポートの波止場にあるアートセンター、Quay Artsへ。個人作家による陶芸品やジュエリー、カードなどが並ぶショップで、自分用のお土産(絵本とネックレス)を購入。

   

カリスブルック城では入場待ちの列ができていましたが、それほど待たずに入れました。小高い丘の上にあるこの城は、1066年にノルマン軍がイギリスを征服した後に要塞として建設。以降、島の権力と防衛の中心部として増築・改装を繰り返して現在の規模に。清教徒革命で逃亡してきたチャールズ1世が監禁されたことで有名です。

城壁から見下ろすカリスブルックの町

  

矢印に沿ってマスクを着けたり外したりしながら、一方通行で見学。途中、あまり暑いので庭園の木陰のベンチで一休みしてから、城壁に登って城の外の風景を眺めつつぐるりと1周しました。

次は中世の街並みが残る可愛らしい村、ゴッスヒル(Godshill) を目指して南へ。ここには1920&30年代のゴッズヒルとシャンクリン(Shanklin)の村を模した、古き良き時代を忍ばせるモデルヴィレッジがあり、前日に急遽予約しておいたのです。近くのパブでフィッシュ&チップスのランチを済ませ、午後の太陽が照りつけるなかいざ入園。細部まで良くできた造りに感動!

 

      原寸の10分の1のサイズ。教会では音楽が流れ結婚式が行われていました。あえて難をいうと、建物や木々はすごく精巧なのに人物モデルがちょっと雑…

   モデルヴィレッジの中に、更なるミニサイズの村があったり、ウィンドターバインの上にサンタがいたりとユーモアいっぱい

今回の旅行では事前の天気予報が外れ、猛暑が長引くこと5日目…。どこにもクーラーはなく、ひたすら暑い。でも、コロナ禍の合間にやっと可能になった旅なので、暑さに負ける訳にはいきません。次は、南海岸のヴェントナー(Ventor)までドライブ。ここにDevil’s Chimney(悪魔の煙突)と呼ばれる、岩の裂け目を通る階段があると知り、実際に見てみたかったのです。

あった~!

サテナビが案内してくれたのは、カフェの駐車場。とにかく車を止めて辺りを見渡すと、右側にpublic path (公共散歩道)のサインが。崖を降りるハシゴの様な木の階段を下って行くと、巨大な岩の裂け目へと続いていました!

感激している私をおいて、主人と息子はどんどん急な階段を降り、下へ下へと移動していきます。岩の裂け目から出ると、また木製の階段が登場。実はこの手造りのデコボコ階段、400段もあるんだそう。岩癖を出たところで小さい子ども連れの家族とすれ違ったのですが、ママだけが息切れしてました…下リはいいけど、上りは辛そう…。

階段が終わると、今度は細い山路。時々下方に海を見ながら40分くらいで、ほとんど人がいない小石の海岸にたどり着きました。なんとか日陰を見つけて、冷たい麦茶とスィーツで休憩。直径2~3cmくらい小石の浜を歩いて浅瀬を歩いたのですが、裸足だったので足の裏がイテテ…でも、水が冷たくて気持ちよかったです。

帰り道、やっぱり私だけゼイゼイ息切れしながら、来た路を引き返し、無事に400段の急階段を上り終えたのでした。あー疲れた。でも、充実した一日でした。

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ワイト島の夏休み(その3)

ワイト島の夏休み(その3)

ホリデー3日目も猛暑の予報でしたが、すでに島の西先端にある白亜の崖、ニードルズ(The Needles) にある観光アトラクションのチケットを購入済…。朝早く出発して、この日のハイライトである断崖から浜辺まで降りるリフトに乗り込みました。

     アラム湾の先にある岬がニードルズ。白亜の断崖の先には離れ小島のような3つの白い岩礁。針のようにギザギザ尖っているのでニードルズ(needles針)の名に。その先端に現在廃墟の灯台が。ニードルズを臨む海岸へはリフト(片道£3約420円)もしくは徒歩で

駐車場で大きめのクーラーバッグを持ってリフトに乗ってもいいか訊ねたところ、「無理」と言われ、ピクニックマットとタオルの入ったバッグのみ持参。マスクを着けていざ乗ってみると、なるほど狭い。そして、地面まで遠い!下に見える高い樹々の枝には、強風で吹き飛んだと思われる帽子が多数引っかかってました。でも、それより目立っていたのが、イギリスで定番になっている青いサージカルマスク――どうやって顔から飛んだんでしょう?

    樹々の緑が途切れた途端、いきなり視界が開けて目の前は空と海!切り立った断崖を急角度で降りていくのですが、これがかなり高い!リフトが簡易すぎて怖いうえ、強風で揺れたらと想像してしまい余計怖かったです。

海岸に着いてみると、何やら行列が。船着き場があって、フェリーかホーバークラフトでニードルズ岩礁の近くまで行けるのです。私たちも早速並んでフェリー(写真左と右 ひとり£7.50(約1050円))に乗り込みました。船内でもマスク&社会的距離は必須

   島に最接近するも、残念ながら逆光…フェリーから見るアラム湾の断崖は、様々な色彩が混じりあってカラフルです

ちなみに、ナショナルトラストが管理するニードルズの白い崖までは駐車場から遊歩道を歩いて20分ほど。19世紀から1945年まで使われていた新旧の軍事要塞基地 Battery(旧は有料)があり、大砲や見張り台、地下室などを見学できます。私は軍事関連にはあまり興味がなかったので予約せず、炎天下を歩くのもパス。

     

12時過ぎにニードルズを後にして、行きに見かけた『この先にティールーム有』の看板を目印に横道へ。行ってみたら大きな庭のあるパブでした。早い時間(イギリス人のランチタイムは1時から)だったためか、予約なしで庭の席に案内してもらえました。

  ワイト島はシーフードで有名ですが、主人が頼んだロブスターは残念ながら材料切れ?イギリスの蟹料理は蟹肉と蟹みそが混ぜてあって、日本のなべ料理の蟹が恋しい…

政府の政策で、8月中(月~水)は『Eat Out, Help Out (外食して応援)』レストラン・カフェで外食すると、食事とソフトドリンクが半額に(最高ひとり£10(約1500円)まで政府が代払)。参加店の表示はなかったのですが、お会計の時に割引されていてラッキー!

人出が足りなくて時間がかかったので(どのレストランも同様でした)、かなりゆっくり休憩できました。午後はワイト島特定自然保護区(島の半分くらいが保護区ですが)で、景観が美しいというニュータウンを目指して北東に移動(ちなみに、ワイト島は車だと1時間弱で1周できます)。ナショナルトラストが管理する中世の港があるというので、炎天下の土手径をてくてく。

  木製の狭い橋を渡って中世の港へ。入江の近くの塩性湿地には蟹や魚、昆虫が生息

午前中はそれほどでもなかったのですが、午後は毎日アイスクリームを3個以上食べていた小学校時代の日本の夏を思わせる暑さ(31-3度くらい?)。ボートで海へ漕ぎ出すこともできましたが、誰も言い出さず…。貸しボート屋さんの脇にあった唯一の日陰のベンチに陣取って、冷えた麦茶と抹茶どらやきで一服――日本人でよかったと思える瞬間でした。今回の旅行ではクーラーバッグに入れた保冷剤2個と凍らせたミネラルウォーター2本、そしてサーモス水筒が保冷力を発揮してくれました。

       とにかく暑い!中世の港はいかにものんびりした感じ。目前の川には体長30cmを超える魚がいっぱい

夜になってもなかなか気温が下がらず、しかも田園地区だったせいか、やぶ蚊(?)が大量発生。日本の蚊より小さくて、羽音がしない!なぜか私と息子だけ20~30か所ほど刺され、痒いのなんの。持参した虫よけスプレーも途中で買った痒み止クリームも全然効きませんでした…。日本の製品は凄いです。

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ワイト島の夏休み(その1)

ワイト島の夏休み(その2)

ワイト島の夏休み(その2)

ホリデーの2日目も猛暑になるというので、午前中は涼しい森の中でウォーキング+ピクニックをすることに。西部にある島最大の森、ブライストーン森林 ( Brighstone Forest)へと車を走らせて駐車場から森へ。

森の中は涼しくて快適でした

実は、ワイト島の住人だった19世紀の詩人、アルフレッド・テニソンに因んだウォーキングコース、テニソントレイル(全22km)を少し歩こうと思っていたのですが、海岸へと続くのは真昼の太陽がさんさんと照りつける一本路。「暑そう、木陰も少なそう…自転車でないと無理」と、さっさと諦めて傍らの日陰でピクニックを楽しんだのでした。

午後3時にナショナルトラストのモティストーン庭園(Mottistone Gardens & Manor)を予約しておいたので、近くにあるブライストーンの村を散策。炎天のもと赤リス(キタリス:ビアトリス・ポッターの物語に登場するのはこの在来種)が住むという林を探しました。1950年以降、イギリスではアメリカからやってきた外来種の灰色リスが激増。かつて350万匹いたという在来種の赤リスは現在は13万匹ほどに。ワイト島は赤リスの生息地のひとつなので、滞在中に一目見たいと熱望していたのです。

でも、汗だくになって目的の林に行きつくも、鳥の声も、生物が動く気配もまったくなし…。かやぶき屋根の家が点在する可愛らしい村でアフタヌーンティーをと計画していたのですが、日曜だったのでカフェは2時で閉店。仕方なく、村の雑貨店でアイスクリームを買って、ベンチで食べたのでした。

    かやぶき屋根の建物は村の図書館

車でモティストーン庭園(Mottistone Gardens & Manor)に移動し、名前を確認してもらって庭へ。その歴史を16世紀に遡るという屋敷は通常から公開しておらず、ティールームもショップもお休み。でも、美しい庭をそぞろ歩くだけで癒されました。

  野草が乱れ咲くワイルドフラワーバンクの向こうは広い芝地で、デッキチェアがあちこちに。息子と主人は庭を探索せずに草の上に寝転がってお昼寝

観光地は7月に営業再開許可がでたのですが、夏のハイシーズンにもかかわらず、ナショナルトラストの観光スポットで開いているのは半分くらい。ちなみに、イングリッシュヘリテージと私営のアトラクションは、コロナ感染防止対策を徹底しつつ、頑張って営業しているようでした。どこも矢印に沿って一方通行で回覧するシステムで、ショップでもレストランでも入口で手をアルコ-ル消毒、トイレは複数あっても一度にひとり使用が原則でした。

次は、波乗りができるという南西部の海岸、コンプトン湾(Compton Bay)へ。大勢の人が押しかけているかと思いきや、割とすいていました。ぼーっと海を眺めたり、素足で波打ち際を歩いたり。夕方の海風が心地よかったです。

            

誰が作ったのか、アーティステイックな砂の城

宿泊先のキャラバンに戻る途中、島の北部にあるパークハースト森林公園に立ち寄って、再び赤リス探し。針葉樹の森に住むという赤リスは灰色リスのように人慣れせず、夜明けか夕暮れに出没するとのこと。誰もいない静かな森でしたが、やはり遭えず――薄暗くなる頃でないとダメなのかな…。

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