ワイト島の夏休み (その5)

イギリスでは9月に入って学校が再スタートしたのですが、ここ2週間あまりでコロナ感染率が急上昇。先週末から毎日4000人を超える感染者が出ていて、PCR検査システムはパンク状態…。私が働く特別支援学校も再開して今3週目…学校で感染者が出ないことを祈るのみ。さて、ワイト島の夏休みの続きです。

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この日は息子の誕生日。本人の希望で、カウズ(Cowes)のマリーナにあるスパニッシュレストランとヴィクトリア女王の夏の離宮だったオズボーンハウス見学を予約してありました。猛暑は続き、朝から温度がぐんぐん上昇。まずは、北部の港町カウズに行ってマリーナと町を探索。

快晴の海は青く水面がキラキラ輝いてきれい

12時に予約しておいたスパニッシュレストラン、フロントは若いお兄さん2人だけ?どんどんお客さんがやってきて、満席状態に。一番乗りで中庭の席に着きすぐ注文したものの、ドリンから食事が出てくるまでがとっても長かった…。

          息子とお任せタパスを注文。イベリコ豚と海老、ピリ辛のポテトとオリーブ。美味しかったです

オズボーンハウスの予約は2時だったのですが、コーヒーとデザートがまたまた来ない――待った挙句、頼んだデザートは切れていて、コーヒーマシーンも故障中とのこと…。

急いでレストランを出て駐車場まで走りました。カウズとイーストカウズはメディーナ河を隔てて隣同士。通常だったら、フローティングブリッジ(浮橋)と呼ばれる船に車ごと乗り込んで、ほんの数分で渡れるのです。でもコロナ禍のせいで、車の渡しは停止中!仕方なく、ニューポート経由で河の周辺をぐるりと回って25分かけて隣町のイーストカウズへ。かなり長い河なのに、大昔からある渡し舟の歴史を重んじてか、現在でも橋がひとつもないのです…。レストラン選びをした際、Gマップでは車で5分くらいだったのに…。

15分ほど遅刻したものの、無事オズボーンハウスに入場できました。この王宮は1845~1851年の間にイタリア・ルネサンス建築の宮殿を基礎として、ヴィクトリア女王(1819~1901年)のために建築。毎年、夏になると女王一家が滞在し、1861年に夫君のアルバート公が病死した後も頻繁に訪れていたそう。

 

ヴィクトリア女王といえば、世界に植民地を拡大した大英帝国の女王。歴史の教科書などでは、最愛の夫アルバートに先立たれ喪に付した、晩年期のどっしりした肖像画でお馴染み。でも、18歳という若さで即位した彼女は145cmと小柄で、21歳で結婚してから4男5女、9人の子どもを次々と儲けた若き女王だったのです。

オズボーンハウス1階にあるダーバーの大広間 (Darbar Room)は、ヨーロッパの王族をもてなす晩餐会や舞踏会が行われた場所。インド皇帝でもあった女王のステータスを象徴するように精巧なインド式装飾が施され、特に天井のプラスター装飾が圧巻。現地から職人を呼び寄せただけありますね。この他、インドの風景・人物画のコレクションも。

 

海を見渡すテラス。広大な庭園があり、女王一家が海水浴を楽しんだ王室専用ビーチまで歩いていけるのですが、暑すぎてパス。ティーブレイクは、アフタヌーンティーではなくアイスキャンディーとカフェラテにしました。

次は、宿泊先まで戻って水着に着替え、白い砂丘で有名なライドのビーチへ。午後遅かったためか潮が満ちてごく普通の砂浜という感じでしたが、人がまばらな海で気ままに泳ぐことができました。けっこう遠くまで泳いでも、浅瀬が続いていて海底に足がつくんです。砂丘だから?これだったら、子どもでも安心。

 

      イギリスで温かい海って初めてでした。地元の人達は海水が温まる午後遅くに泳ぎに行くよう

食べて、観て、泳いで--息子の20歳の誕生日は真夏の光いっぱいの一日となりました。

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