ブルガリア黒海沿岸の春休み(その5)

イギリスは5月から例年になく好天の日が続き、気温もぐんぐん上昇。7月は観測史上2番目の暑さだったとか。既に8月に入ってしまいましたが、やっと「春休み」の最終回です。

……………………………………………………………………………………………………………………….

ポメリエで朝を迎え、その日はバスで「黒海の真珠」と呼ばれる海辺の町、ネセバルへ行くことに。3千年以上の歴史を持つこの町は、黒海沿岸に突き出た小さな半島にあります。旧市街地は1983年にユネスコの世界遺産リストに登録され、古代都市の遺跡があちこちに残っています。

まずはホテルの朝食で腹ごしらえ

ホテルの近くにあるバス停に行くと、ネセバル行きのバスの本数はまばら。11時発のバスを待つ間、歩いて15分ほどの塩博物館まで足を伸ばしましたが、この日はお休み…(後で判ったのですが、シーズンオフなのでバスも少なく、町の殆どの博物館は休館)。仕方ないので、近所にあったスーパーを探索して時間を潰したのでした。

   

    塩博物館の建物。浅瀬に浮かぶ白いラインは何?と思ったら、白い鳥がずらりととまっていました

        キャラメルみたいなパッケージ入りのターキッシュデライトは、ひと箱約65円と激安!

小型バスでガタガタ道を走ってネセバルに着くと、人出が多くてやっと「観光地」という雰囲気に。まずは、旧市街へと繰り出しました。

ネセバルの入口。驚くほど青い空が広がってました

 

聖ステファン教会跡とビザンチン様式のパントフラトール教会

 19世紀の典型的な木造住宅。ランチのサメのフライは、割と淡白な味

   

帰りのバスまでちょっと時間があったので、ひとりで写真撮影に繰り出したところ、夫と息子に大声で呼び戻されました。時間前ですが、ポモリエ行きのバスが来たとのこと。「あれ、このバス大型だし、料金も少し安い???」と不思議に思ったら、それには訳がありました。ポモリエも突き出た小さな半島の先っちょにある町なんですが、このバスは町の入口までしか行かないんです。

   とぼとぼ40分ほど歩いて、ホテル(ピンクの建物)に到着。携帯のグーグルマップがあって、本当に助かりました

ところで、ポモリエで泊まったのSt Georgeは、スパホテルというふれこみ。ホテル内にプール、ジム&サウナ各種があり、宿泊客は無料で利用可能とのこと。サロンでは黒海で有名な泥パックを安価で体験できるというので、楽しみにしていたんです。

結構疲れたので、夜は主人と二人で無料スパ体験。が、ずーっとつけっぱなしになっていたためか、5種類あるサウナはどれも熱すぎ!このままだと倒れるかもと思い、頑張る主人を残して私は主に12m程度のプールでパチャパチャ。結局、ソルトルームが一番寛げました。

翌日は黒海沿岸のホリデー最終日。ホテルをチェックアウトする前に、泥パック(フェイシャル)に挑戦してみました。温かい泥をハケで顔にベタベタ塗られ、簡易ベッドに横になって待つこと20分あまり。「こんな真っ黒な泥どうやって取り除くのかな?」と思っていたら、「はい、そこのシャワーで流して」と。固まった泥を一生懸命自分で落として、トリートメントは終了。

愛想のないエステシャンは泥を塗ってくれた後いなくなっちゃうし、美容のプロという雰囲気とはほど遠く…。最後に化粧水と名産のバラのクリームくらいつけてくれよ~、と思いつつ、「まあ、この料金だったらこんなものかな」とスゴスゴ部屋に戻りました。泥パックの効果は――良くわかりませんでした…。

この日はあいにくの曇り空で、町はすっぽりと霧に包まれていました。とにかく町を歩いてみようということで、ぐるっと1周してみたのですが、博物館もみーんなお休み。結局、ホテル近くのレストランで長~いランチタイムを過ごしました。

  

海にも霧がかかってぼんやりした風景。右は夏季のポモリエの海岸

    暇だし、これで最後ということもあって、とにかく食べました~。「巨大イカゲソ」を注文したら、燻製でした

イギリスと比べると物価が半分くらいなので、ブルガリアではすごく得した気分でした。空港でミネラルウォーターを買ったら、町で買っていた値段の4倍近くになっていて、カルチャーショック(笑)。

こうして私たち家族の黒海沿岸のホリデーは終わりました。今でもあの誰もいない海を恋しく想い出します。

<関連記事>

ブルガリア黒海沿岸の春休み(その1)

ブルガリア黒海沿岸の春休み(その2)

ブルガリア黒海沿岸の春休み(その3)

ブルガリア黒海沿岸の春休み(その4)

ブルガリア黒海沿岸の春休み(その4)

イギリスの公立学校は7月21日頃から夏休みに突入しました。授業がないので時間がいっぱい取れるはずだったのに、急な仕事が入ってしまい毎日バタバタ。春休みはすでに遠い思い出--ですが、自分の記録のために続きを書いておくことにします。

……………………………………………………………………………………………………………………..

4月8日はブルガリアの復活祭の日曜日でした。朝食は前日きれいに塗ったゆで卵、甘いパンと果物。この日は午前中にアパートを後にして、友人家族は私たちをポモリエのホテルまで送ってから、ソフィアに戻る予定でした。途中、友人(奥さん)の想い出の地だというバニャ村のカフェでランチして、自然保護地区になっているイラクリの海岸で数時間過ごそうという計画。でも、計画通りにいかないのが旅の醍醐味ですよね。

早めに荷造りし、フラットの片付けや掃除を始めた我々をしり目に、10時過ぎてからシャワーを浴びるブルガリア友…ムムム。最後にもう一度海岸まで下りて海に別れを告げ、車に乗り込んだのは既に正午近く。

「国道沿いに、元村一番のハンサム君が経営するカフェがあるの。ランチはそこよ」

そう言われて楽しみにしてたんです。なのに、行ってみたら復活祭のためかお休み…。女の子の憧れの的だった彼は、すごい美女と結婚し、めっちゃ可愛い娘に恵まれたそう。でも、二人とも中年太りで昔の面影は薄れてしまったとのこと。「彼らの過去を証明してるのが娘よ!」、ということで興味津々だったのに、ああ残念。

ちなみに、ブルガリアの女性は金髪碧眼のヨーロッパ系から黒髪茶眼のアジア系まで、本当に美女が多いんです、友人曰く、「オスマントルコ帝国時代にハーレムで美女を集めた名残り」なんだとか。

仕方ないので、もう1軒あるという村の中の小さなカフェ&雑貨店へ。そこに着くなり、彼女は昔馴染みとの抱擁+キス+昔話の嵐!小さい頃、毎年この村で夏を過ごしていたから、村人はみんな彼女のことを知ってるんだそう。

とっても長閑な村ですが、日本と同じで廃墟がチラホラ…

雑貨店で食料品を買い込み、車でイラクリの海岸にたどり着いた時には、既に午後2時を回っていました。昔(社会主義国だったころですね)は小一時間もかけて村の友だちや家族と海岸まで歩いて行ったとか。途中、アーモンドの樹林があって、両手いっぱいのアーモンドを食べながら歩いたといいます――社会主義が崩壊してアーモンド林は荒れ放題になってしまい、もうその面影も残っていませんでした。

イラクリは黒海沿岸部でまだ観光化が進んでいない数少ない海岸のひとつ。無料のキャンプ場がある他は、自然のままの海が残されているということでした。が、この日浜辺ではモダンなコンドミアムとバーを建設中。こうやって、どんどん開発が進んで、静かな海がなくなっていくんですね…。

とても天気が良かったのですが、復活祭のためもあるのか人影はまばら。早速砂浜に座って、パンとハム、チーズ、村人にもらった復活祭のゆで卵と野菜でピクニックを楽しみました。ここでも友人のストールが敷物に早変わりし、彼女が常に持ち歩いている大きなナイフが大活躍。ブルガリアのキュウリとトマトは、本当に瑞々しくて元気いっぱいの味です。

ゆったりとした河が海に流れ込んでいます

河の畔にはガマの穂が群生。河に手作りの舟をうかべて

浜辺で見つけた流木のオブジェ

  写真(下)の真ん中にある黒い星型のものは菱の実です。砂浜を歩いていた時、足の裏に鋭く尖った角がぐっさり刺さって、激痛!

食後は海や海に合流する河で遊んだり、砂浜で見つけた小石や貝でオブジェを作ったり、お喋りしたり。あっという間に時間が経ち、5時になってしまいました。でも、そろそろ腰をあげようとする私たちを尻目に、頑固なブルガリア友(運転手君)は粘る、粘る。

みんな根負けして、「まあ、いっか」と誰もいなくなった海で再び羽を伸ばしました。結局、彼らの車でホテルに着いたのは9時近くで、子供が寝てしまったため、一緒に夕飯を食べることもままならず。彼らはそのままソフィアへと向かい、家に辿り着いたのは、午前1時過ぎだったそう。

ポモリエのホテル前のプロムナードから見た夕焼けがきれいでした

<関連記事>

ブルガリア黒海沿岸の春休み(その1)

ブルガリア黒海沿岸の春休み(その2)

ブルガリア黒海沿岸の春休み(その3)

黒海沿岸の春休み(その3)

ブルガリアの首都ソフィア、プロヴディフについで大きいのが、黒海沿岸にある都市ヴァルナ。ホリデーアパートのあるビャラ(海の白い崖から「白」という地名がついたそう)から車で北へ45分くらいの距離です。ブルガスに比べると洗練された雰囲気なのですが、友達曰く「方言がキツイ」とのこと。その北郊外にあるアラジャ岩窟修道院(Aldadzha Monastrery)に行ってきました。

 遠くから見るとこんな感じ(左)。崖に取り付けた階段を上って岩窟修道院へ

11~12世紀に確立された修道院は、その名の通り40メートルの断崖の洞窟を利用して造られたもの。2つのレベルに分かれていて、上層階には礼拝堂が、下層階には礼拝堂、修道士の個室、台所、食堂など20の部屋があるとか(全部は公開していないよう)。入場料は5レヴァ(約340円)でした。10年前訪ねたリラ修道院のように外国人料金を取られず、高感度大。

     上層階の礼拝堂の床には旅行者が投げたコインがいっぱい(左下)。天井と壁に当時のフレスコ画が残ってます。700メートルほど行った森の中にはカタコンベ(埋葬地+初期教会)も(右下)

狭いし、冬場はめっちゃ寒そう…こんな不便なところで自給自足しながら何十人もの僧が修業を積んでたんですね。村上春樹の『雨天炎天』では、ギリシアのアトス半島でダイハードな修行生活を送るギリシア正教徒が描かれているんですが、多分似たような感じだったんだろうなと想像しました。

それからヴァルナの海辺に移動して、持参したサンドイッチやチーズでピクニック。やっぱり定番のキュウリとトマトが美味しかったです。その後、観光スポットをブラブラ巡ってから帰途につきました。

  

    街のシンボル的存在、ブルガリア正教会の生神女就寝大聖堂(中は撮影不可でした)。シーガーデン近くは歩行者天国

    復活祭で閉館していた海洋博物館の灯台。アイスはやはりヨーグルト味が美味。右はヴァルナを中心に、世界の都市名が刻まれたプレートの地図

夕方アパートに帰りつくなり、「さあ、もう一度海に行くぞ」と走っていった息子と友達。私もお茶を飲んでから行こうと思っていたら、ほどなくして戻ってきました。「潮が満ちて海岸がなくなってた~!」とのこと。

  

窓からのぞいたら本当でした。残念

ところで、前日卵を2ダースも買いこんできて不思議に思っていたら、ブルガリアではゆで卵を着色して絵を描いたり、模様を入れたりするのがイースターの風習なんだとか(イギリスでも子どもが絵を描き、転がしてぶつけ合います)。「今夜茹でておくわ」というので見ると、何とデッカイ鍋で24個全部茹でるって…。「別の卵料理を食べたい人がいるかもよ?」と言ってみたんですが、聞く耳持たず。この後、マッシュポテトに卵を入れようとした夫が激おこでした…(共産主義の時代を経験したから、自己主張が激しくなったのでしょうか?)

 

   翌朝、植物性の染料で卵を着色。イラストレーターでもある彼女の作品はさすが!

<関連記事>

ブルガリア黒海沿岸の春休み(その1)

ブルガリア黒海沿岸の春休み(その2)

黒海沿岸の春休み(その2)

旅行3日目、首都ソフィアに住む友人家族が車でホテルまで来てくれました。「朝早く出て午前中に着く」とのことでしたが、到着はやっぱり2時過ぎ。10年前にソフィアで会った際、「彼が15分と言ったら1時間かかる」ことを体験学習したので、我々は近所のレストランでランチしながら待ったのでした。

頑固なダンナさんはIT関係、奥さんは編集の仕事をしていて、とっても可愛いひとり娘は6歳。2年ぶりの再会を喜び合った後、彼らの車に乗り込み、ブルガスの町で休息してから黒海沿いの1本道を北上しました。途中、大規模な道路の舗装工事をしていて、砂埃をあげながら20分ほどノロノロ運転…。スーパーで食料を買い込み、イザ海辺のリゾートタウン、ビャラ(Byala)?へ。

黒海のリゾート地は、町中から海岸までホテルやショップ、大規模なリゾートコンプレックスが立ち並んでいるんですが、オフシーズンなのでどこもゴーストタウンのようでした。

 Byala の海岸に建つホリデーアパート群

我々が借りた海辺の高級アパートも、30室以上はあると思うんですが、我々と管理人の他は誰もおらず…。実は、予約の際に4軒断られ、かなり高めのアパートを借りることになったのでした。(ホリデーアパートはブルガリア人のセカンドハウスだったり、ロシア人の投資だったり。オフシーズンは管理人もいない所が多く、短期に貸すのは割に合わないよう)

         

でも、ここが大当たり!玄関と同じフロアにあるんですが、切り立った崖の上に建っているため海側から見ると5階なんです。海岸までぐるっと回って2分と至近距離で、しかも人気がないため、殆どプライベートビーチの感覚!こんな贅沢、めったに味わえるものではないですよね。

アパートから海岸へと通じる階段と道

翌日は時間が過ぎるのも忘れて、海岸を思う存分散策。友だち夫婦の案内で、岩がゴロゴロしているワイルドな場所までどんどん歩きました。彼らは何度かこの地区に来たことがあって、観光マップにない場所をいっぱい知ってるのです。

海を向いて左側と右側の風景。真ん中は頑固ものの友人

左側を行くと岩場になっていて、自然の彫刻があっちにもこっちにも

友人(奥さん)曰く、「三つ胸岩」と「トンガリ崖」

知らない間に海辺で4時間ほど過ごし、アパートに戻ったら久しぶりに眩しい光を浴びたせいか頭痛が…。遅い昼食の後、6歳のSちゃんは長いお昼寝、男性陣は昨日のスーパーへ買い出し、女性二人はおしゃべりしてシャワーを浴び、のんびりダラダラの一日を過ごしました。

こういう気分になったのって、もしかして子どもの時以来かも…。時間も何も気にすることなく、なんの目的もなく過ごす一日って、実はものすごい贅沢なのかも。今現実に戻って、つくづくそう思います。

<関連記事>

ブルガリア黒海沿岸のホリデー(その1)

黒海沿岸の春休み(その1)

学校の春休みを利用して、4月3日から10日までブルガリアの黒海沿岸に家族旅行してきました。うち4日間は海辺のホリデーアパートを借り、ソフィアに住むブルガリア人一家と合流。「4月はまだオフシーズンで店は半分以上閉まってるし、まだ寒くて天気が悪いよ」--事前にそう言われて覚悟してたんですが、信じられないほどの好天に恵まれ、殆ど人気のない海岸でめっちゃノンビリできました。

 

まずは、曇り空のイギリスからハンガリーの格安航空会社Wizz Airで黒海沿岸のリゾート、ブルガスへ。夜ホテルに到着してレストランで食事したら、イギリスの物価の半分以下でした。後でわかったのですが、特にここは安くてお得感満載。

  

   夕食にポテトとチキンのグリル・チーズ焼き(約400円)を選んだら、ポテトグラタンでした。朝食に必ず出てくる大切りのキュウリとトマトは、元気いっぱいの味

ブルガスはブルガリアで4番目に大きい人口20万人ほどの都市ですが、オフシーズンのためか人はまばら。5月からの観光シーズンに備え、歩行者天国になっている目抜き通り周辺では大規模な道路工事中でした~。

     

   アレキサンドロフスカ通りにそびえ立つソヴィエト軍の記念碑。共産主義国(1946~1990年)だった名残が感じられます。右のアメリカンチャーチは厳かな雰囲気でした

街の観光スポットは、駅前のアレクサンドロフスカ通り(歩行者天国)周辺と公園(シーガーデン)のある海辺に集中しています。通りをブラブラ歩きながら、行き当たりばったりで教会や博物館巡り。民族学博物館で割引チケットを勧められ、3博物館で8レヴァ(約540円)を選ぶことに。「息子さんは子供料金2レヴァ(約140円)の方が得よ」と、すごく親切でした。

            

    聖キリル&聖メトディウス大聖堂に入ったら、衣装を着た子供たちが合唱中。ブルガリアのイースター(イギリスの2週間遅れ)の行事だったよう

民族学博物館では、トラキア、スラブ、ブルガリア文明から受け継がれたモチーフが共存する各地の民族衣装を見学。ヨーロッパとアジアが繋がる位置にあるため、東洋からの影響やオスマントルコ帝国時代の名残も。工夫を凝らしたお祭りのパン各種がユニークでした。

          

     左の衣装をつけた独身男性は「クケリ」と呼ばれ、立春前に村や町に繰り出して悪霊を退治するんだそう。右は悪霊を払うハーブの束。日本の節分と似てますね

     

   なかなか充実度が高かった考古学博物館。紀元前6世紀末の赤絵式と呼ばれる古代ギリシアの陶器類もありました。ガラス器は古代ローマ時代のもの?

アレキサンドロフスカ通りから海岸までは、歩いて5分ほど。海岸沿いに続く公園、シーガーデンの近くのレストランでランチを済ませ、午後は海岸と公園でのんびり。行きは市営バスで街に出ましたが、帰りは運動もかねて2つの公園を通り抜け、30分ほどかけてホテルまで歩きました。

      リゾート地の食事はギリシア風?グリルもしくは唐揚げの魚や肉に、ポテトなどを添えたシンプルな料理が多かったです

      

     黒海と呼ばれるだけあって、深緑っぽい海。桟橋を渡って展望台(?)まで行くと、柵には何か書かれた錠前がいっぱい。恋人たちが変わらぬ愛を誓って錠を締めて行くようです。空気が澄んでいるためか陽射しがまばゆい

ところで、公園の木の枝先には、赤白の糸で作られた紐ブレスレット(?)がたくさん結ばれていました。ブルガリア人の友人に訊いたら、「マルテニッツアМартеница」のお守りで、2月頭から3月1日まで露店やショップで大量に販売するそう。3月1日はマルテニッツアの祝日で、春の始まりに幸運と健康を祈って、赤白の人形を胸につけたり、ブレスを手首に巻いたり。そして、果樹の花が咲く時期に、木の枝に結び付けるんだとか。

  

最近はナイロン製の輸入ものが増え、ビーズや金属・プラスティック製のチャーム付のものが流行中――伝統的には毛糸などの天然素材で作り、木に結び付けたお守りは鳥が巣作りに利用することも。「環境にやさしい風習だったのに、ちょっと残念」と漏らしてました。こんなところにも、商業主義の波が押し寄せてるんですね…。

急ぎ足の3月

もう3月も半ばを過ぎてしまいましたね。なんだか「今年は特に時間が過ぎるのが早いなあ」と思っていたら、先週15歳の生徒さんからも同じセリフが…。こんな若い子が同じ感覚?! きっと加速度は私の方が数倍大きいんでしょうけど。

もうラッパ水仙が咲き始めていますが、今週末はまた雪が積もりました!

今月に入って、どういう訳かエージェントの方の仕事で問題が続き、ストレスいっぱい。そんな中、誕生日がやってきて、続いて母の日が過ぎていきました。気分を変えようと、誕生日の午後は、友達とギャラリーに行き、夕方もうひとりの友だちとドリンクして、夜は家族とコベントガーデンで晩御飯。でも、同じレストランの違う支店に行ってしまい、落ち合えるまで雨の中を歩き回ったという…。

花は誕生日前日に自分で購入。夫と息子からは当日チョコレートとカードが

       午前中に授業を終え、Hayward Galleryでまずアンドレアス・グルスキーの写真展を鑑賞

  

小雨が降る中、テムズ河岸で砂の彫刻を制作する人が

      Tate Galleryで始まったばかりのピカソ展。50歳だった1932年の作品群と同年の個展の出店作(青の時代を含む)が集められていました。1週間で複数の作品を仕上げる、その情熱とエネルギーは圧倒的

Mothering Sundayと呼ばれるイギリスの母の日は、復活祭の3週間前の日曜日(今年は3月11日)に当ります。毎年日付が違うのですが、最近ではスーパーに母の日コーナー(花束やギフト)が設けられようになり、「あっ、そうだった」と気づくのです(ちなみに、イギリスではカーネーションを贈る習慣は全くありません)。

 

といっても、うちの家族はイベントや記念日が嫌いで、放っておくと何も起こりません。だから、いつも私が事前に計画を立てているという…。で、先週の日曜日は乗り気でない家族を引き連れて、ケントにあるナショナルトラスト所有のノールハウス(Knole House)に行ってきました。

(息子が小さい頃、祖父母からナショナルトラストの生涯会員カードを贈られ、2人分の入場料は無料なんです。このメンバー料金は年々上昇し続けていて、今や24万円くらい!息子も成長して一緒に行動する機会が減ってきたので、今のうちに彼のカードを最大限利用したいと思っている母なのでした)

        15世紀にカンタベリー大司教、トーマス・ブーシェの住まいとして造られたノール邸。正面に見えるのはゲートハウスですが、四方が建物でぐるりと囲まれ、中にも建物があります

ノールハウスは、昨年夏に訪れたシシングハースト城&庭園(『ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その5)』をご参照ください)の持ち主、詩人で作家のヴィタ・サックヴィル=ウェストの生家。サックヴィル男爵家の一人娘だったヴィタはこの英国最大の邸宅をこよなく愛しましたが、男系子孫という相続条件により、父親の死後に継承を許されませんでした。(ちなみに、ヴァージニア・ウルフの小説『オーランド』の主人公が住む家は、この邸宅がモデルにしているそう)

      1,000エーカー(4km2)の広大な緑地公園には狩猟用のディアパークも。現在でもダマシカや日本シカが500頭ほど生息

そのため、シシングハーストにノール邸を再現しようとしたといわれています。でも、ヴィタの美意識や郷愁がそこかしこに感じられるロマンティックなシシングハーストの方が好み、という人は多いのではないでしょうか?

オランジェリーから見た中庭の風景とクラシックなストーブ

ヴィタによれば、英国最大の邸宅ノール邸は「カレンダー・ハウス」と呼ばれていたそう。1週間を象徴する7つの中庭、1年の週数を象徴する52の階段、そして日数を象徴する365室の部屋――「でも、それを誰か確かめた人がいるかは知らないわ」という言葉を残しています。

中庭には大司教が15世紀に建てたというブーシュ・タワーが

実際には、365室には足りないそうですが、1,000エーカー(4km2)という広大な森林公園に囲まれたカントリーハウスは、一家族が住むには巨大すぎるサイズ。人件費、光熱費、食費だけでもとんでもない金額だったんだろうなと、庶民の私は想像してしまいます。

季節外れだから混み合わずゆっくり観れると踏んで出かけたんですが、実は3月末まで本館の方は修復作業をしていて、見学不可でした~!ちゃんと調べずに出かけたので、拝観料が£3.50(約520円)と言われるまで気づかなかったという…。結局、内観はゲートハウス内しか見学できなかったのですが、興味があるのがヴィタの時代なので、ボランティアの係員さんの説明がきけて面白かったです。

     1930年代には、作家や芸術家などが集ったそう。ゲートハウス内の内装はその当時を再現

ヴィタの従弟で、作家&音楽評論家だった5代目男爵、エドワード・サックヴィル=ウェストが1926~1940年に住んでいた寝室等も公開。でも、写真撮影はXでした。彼もゲイだったそうですが結構だらしなかったらしく、ヴィタはエディの暮らしぶりや服装に批判的だったとか。

公園内は無料のためか、天気がすぐれないのに家族連れで大賑わい。ディアパークのシカ達は、かなり近づいても全く逃げようとせず、随分人馴れしてました。カフェでランチをしたらここもいっぱいで、早めに帰宅することに。

ショップ内には今月末にやってくる復活祭のチョコがいっぱい

3月頭に予定されていたSMiRAの定例会は、雪のため4月21日に延期になりました。今月に入ってから2回も寒波に襲われ、春が行ったり来たりという感じです。

クリスマスまであと2日

今年もクリスマスまであと僅かとなりました。ここのところ、クリスマス会や忘年会が続いたうえ、カード書きと家族&親戚へのプレゼント選びに追われる日々…。やっと9人分のプレゼント(各自複数個)を買い揃えてラッピングを終え、恒例のクッキーも焼き、ほっと一息ついたところです。

    今年最後の授業は水曜日に終了。教室の近くにある森の樹木はすっかり葉を落として冬の様相。

家々のドアには、それぞれ趣向を凝らしたリースが飾られて

   フルーツを使った香り高いクリスマス飾り。赤ワインにオレンジなどの柑橘類やスパイスを入れた暖かいモルドワインが出回る時期です

年の瀬を迎える12月はどこの国でも慌ただしいと思うのですが、イギリスではクリスマス前がそのピーク。海外でクリスマスホリデーを過ごす人も多く、美術館などの観光スポットがひっそりする時期でもあるのです。ゆっくり鑑賞できるうえ、ショップもカフェも人がまばら。プレゼント選びもできるので、一石二鳥です。

      

クリスマス飾りが施されたテート・ブリテンの正面玄関

昨年も出かけたのですが、冬休みに入った息子に付き合ってもらい、テムズ河南岸にあるテート・ブリテンへ。彫刻家、レイチェル・ホワイトレッドの個展と普仏戦争を逃れてロンドンに亡命したフランス印象派アーティスト達の作品展(1870~1904年にイギリスで制作されたもの)を観てきました。

レイチェル・ホワイトレッド(1963年~)のインスタレーション

その昔―イーストエンドでハウスシェアをしていたのですが、1993年に地区開発のため近所にあった一連のテラスドハウスが壊された際、1軒だけ残した家を利用して彫刻を造ったのがこのアーティストでした。作品『家』は、家の内側に液体コンクリートを流し込んで型を取り、外側にある家自体を全部取り壊したもの。当時、賛否両論を呼んで大きな話題に。ガランとした空間に巨大なコンクリートの箱を積み上げたような家がポツンと立っていたのが印象的でした。

    何だかガランとしていますが、準備中の荷物みたいなのが彼女の作品です

今日は、仕事納めをした友人と南ロンドンにあるダリッジピクチャーギャラリーまで足を伸ばしました。お目当ては、かのムーミンを生み出したトーベ・ヤンソン展。本当はイラストレーターではなく、画家を目指していたんですね…。小規模な展示会でしたが、複数の自画像やムーミンの原画、ムーミンが生まれるきっかけとなった第二次世界大戦中の雑誌の表紙絵など、貴重な作品を観ることができました。

ボケボケですいません…

会場は撮影禁止だったので、廊下にあったステッカーを撮影

イギリス人の友人も大のムーミン好きで、ショップで何を買おうかと迷うことしきり。私は自分へのクリスマスプレゼントに、絵本と塗り絵付きの日記帳を購入しました。

     追記:購入した絵本と日記帳とトランプ。青い表紙の絵本『誰がトッフルを慰めるの?(Who Will Comfort Toffle?)』は、ムーミン谷を背景になかなか周囲になじめない孤独な少年、トッフル を描いた物語です。なかなか自分に自信が持てないお子さんに読んであげるといいかもしれません。

それでは、みなさん素敵なクリスマスをお過ごしください。

 

 

クリスマスの季節再び

早いもので、今年も残すところあと一ヶ月を切りました。クリスマスが近づくにつれ、ロンドンの街全体が心浮き立つ雰囲気に包まれます。年の瀬で気ばかり焦るのですが、クリスマスの飾りつけもカードも、贈り物の購入もまだスタート地点に立ったまま…。

先週、友達に誘われて久しぶりにロンドン中心部のオックスフォード・ストリートに行ってきました。デパートが立ち並ぶこの通りは、ロンドンで最も賑わうショッピングストリートのひとつ。いつ行ってもすごい人混みなので、用事がある時以外は避ける場所です。

 

  各デパートがクリスマス商戦を競い、ウィンドーを覗くのが楽しみ

待ち合わせは庶民的なデパート、ジョン・ルイスの屋上。ルーフトップガーデンにクリスマス飾りを施したログキャビンが出現し、ドリンクや食事を楽しめるのです。私は初めて行ったのですが、繁華街のデパートの屋上とは思えない、ほのぼのとしたムードでした。

 

ジョン・ルイス店内のクリスマスデコレーション

   

4時半を回って辺りが薄暗くなると、電飾が輝いてなかなか幻想的。メインのカフェに入り、ホットチョコレートで乾杯しました。カフェの外壁は透明のプラスティックで覆っただけなので、風が吹く度に冷たい隙間風が…。防寒対策のブランケットがあって大助かりでした。平日だったためか空いていて、「カウントダウンに入ると混むから、今のうち」と日付を決めた友達の狙い通り。久しぶりのおしゃべりを楽しむことができました。

   すっかり暗くなった大通り。節約のためか昨年のクリスマスライトを再利用

  

リージェント通りの天使のイルミネーションも昨年と同じ

クリスマスまであと20日あまり…仕事や用事をはやく済ませて、クリスマスホリデーをゆったりと過ごしたいものです。

ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その6)

9月に入って新学期が始まった途端に次々と問題が持ちあがり、その一方で日本から急ぎの仕事も入っていて、本当にあっという間に1か月が過ぎ去ってしまいました。ブログの更新もままならぬ内に、今日からもう10月(って、まだ深夜ですが)!

8月のホリデーはもうずいぶん昔のことのよう…。もういい加減にこの話題に終止符を打たないとですね。

…………………………………………………………………………………………………………………………..

ホリデーの最終日は、再びブライトンの東側にあるルイス近郊へ。まず訪れたのは、ブルームズベリーグループの主格だったヴァージニア・ウルフ夫妻の田舎の隠れ家、モンクスハウス。彼らは1919年にこの17世紀のコテッジを入手、週末はロンドンの喧騒を離れここで過ごすことが多かったようです。

 

 ロドメルという小さな村にあるモンクスハウスはナショナル・トラストの所有

入口は門から右にぐるっと回った中庭側あります

ヴァージニアの姉、ヴァネッサ・ベルが住んでいたチャールストン・ハウスにも近く、ここもブルームズベリーグループの仲間たちで賑わいました。でも、ロンドンからルイスまで鉄道で移動した後、駅から舗装されていない田舎道を車で走るのは結構大変だったとか。モンクハウスからチャールストンハウスまでは徒歩で2時間半弱ですが、姉妹は頻繁に行き来していたといいます。

ヴァージニアの彫像や肖像画が飾られた居間は、当時の面影が偲ばれて

ヴァージニアは次々と小説を発表して高い評価を受けますが、第二次世界大戦中の重苦しい空気の中、ロンドンの自宅が空襲で壊滅。モンクハウスに移住した後、うつ病が悪化して幻聴に悩まされ、執筆活動ができない状態に。1941年の春、愛する夫に遺書を残し自宅近くのウーズ川で入水自殺してしまいました。

      

もうすぐ朗読があるということで中庭へ出てみると、家と比較して随分広い!奥の方は果樹園になっていて、その向こうに村の教会の塔が見えました。シシングハースト城のヴィタの庭に似せたのか、庭を部屋のように区切ってそれぞれ違う仕立て。ちなみに、ヴィタとは別れた後もずっと友人であり続けたそう。

        

ヴァージニアが夏の間仕事をしたという東屋

     

 

      訪問客も巻き込んでボランテイアの男性がヴァージニア作品を朗読。右は夫レナード・ウルフの墓碑。二人の遺骨は楡の木元の下に埋葬されています

この後、主人の大学時代の友達と奥さんに会うため、アンティークの町といわれるルイスの中心地へ。早目に着いてルイス城を見学する計画を立てていたのですが、なんだか空が暗くなり雲行きが怪しくなってきました。

     

       今から1000年ほど前、イギリスを征服したノルマン公、ウィリアム1世の部下が建てた石造りの城。2つの丘に2つの天守閣を設け城壁で繋げた珍しい構造。

  

廃墟になった天守閣からは町が一望できますが、今にも降り出しそうな気配

たまたまウエディングの準備中だったのですが、お天気持つかな…

       

    場内はまだ結婚式の飾りつけ続行中でした。城門前ではウエディングゲスト達に遭遇

     

    待ち合わせのカフェBillsに向かう途中、土曜日のマーケットや素敵なアンティークショップを通過。町並みも可愛い。温かいエルダフラワードリンクが来たところで、ついに大粒の雨が!結婚式大丈夫だったかな?!

ということで、ホリデーの記事はこれでお終いです。最後までお付き合いくださった方、ありがとうございます。

<関連記事>

ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その1)

ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その2)

ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その3)

ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その4)

ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その5)

 

ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その5)

今回の旅行の目的のひとつは、名高いシシングハースト城と庭園を訪れることでした。主人の大学の同級生にプロのガーデナーがいて、「ケントで一番美しい庭」と推薦してくれたのです。

最初の印象は「あれっ?お城っぽくないなあ」というもの。もともと中世の豪族のマナーハウスだったそうですが、15世紀に所有者だったベイカー家が建物を増築し、爵位を授かってから「城」と呼ばれるようになったようです。16世紀には、敷地は2.8k㎡にも及ぶ広大なディアパークに。でも、エリザベス1世が200人のお供やゲストを引き連れて3日間滞在した際、費用が嵩みすぎて家が傾いてしまったんだとか…。

   メインハウス、タワー、図書庫の他、エリザベス王朝時代の厩舎やファームハウスなど、広大な敷地内は小さな村みたいです

その後、18世紀には牢獄として使用された時期もありましたが、次第に忘れ去られ廃墟に。その廃墟と土地を1930年に購入したのが、詩人で作家のヴィタ・サックヴィル・ウエストと貴族で外交官だったハロルド・ニコルソン(後に政治家)夫婦でした。

ヴィタはサックヴィル男爵家の一人娘として、英国最大の邸宅ノールで生まれ育ちました。が、男子でなかったため爵位と財産を引き継ぐことはできず…。シシングハーストに懐かしいノールを再建しようとしたといわれています。ロマンティックな趣のある建物や庭園には、彼女の郷愁が宿っているのかも。

   

  邸宅へと向かうゲートの中にはダリアの花が。二人が最初にキャンプした塔

とはいえ、暖房設備も何もない雨風吹きさらしの廃墟。当初は、寒さに震えつつ塔の中でキャンプしながら、屋敷の修理や庭造りに打ち込んだとか。

    (左から)階段を上る途中の窓に青いカラス器のコレクション。当時のまま保たれているヴィタの書斎。ウルフ夫妻の出版社、ホガースプレスで使用していた印刷機も

タワーにはヴィタの書斎や展示があるのですが、そこにあったヴィタとハロルドの交友関係図を見てビックリ。オープンマリッジを公言していた二人の恋多きこと(同性多し)!特に、ヴィタのレズビアンの恋人は10人以上も…。

その中で特に有名なのが、作家のヴァージニア・ウルフです(1920年代末から10年ほど)。ウルフはヴィタをモデルに『オーランド』を書いたことを、初めて知りました。私が最初に読んだウルフの作品が『オーランド』でした。

1992年にサリー・ポッター監督によって映画化された『オーランド』は、すごく記憶に残っています。主人公のオーランドを演じたのがティルダ・スウィントン。彼女はデレク・ジャーマン監督(今回の旅行で終の棲家と墓地を訪れました)に見出され、彼の作品には欠かせない存在でした。どこか人間離れした中性的な風貌が、オーランド役にぴったりだと思ったものです。

ヴィタとハロルドがデザインした、色やテーマの異なる個別の部屋を垣根やレンガの壁で巧妙につなげた庭園は、当時の画期的なデザイン。その頃、ヴィタが担当していた『オブザーバー』紙のガーデンコラムが大人気を博し、シシングハーストの庭も一気に知られるように。特に、白い花だけを配したホワイトガーデンが大流行したそう。

  

  塔の上から見下ろしたホワイトガーデンと咲いていた白い花々

   

  

バラの季節に訪れることができなくて残念…

庭を見て回っている途中で家族とはぐれてしまったのですが、その分ゆっくり堪能できました。彼らの一番の楽しみは、コテッジに戻ってソファに腰を落ち着け、PCをしたり(主人は地元ビールやサイダーを味わいながら)TVを観たり(受信料を払うのを止めたので家では観られない)することだったよう。二人とも私の趣味につきあってくれて、ありがたいことです。

ゲートをくぐって帰ろうとしたら、白いハトがやってきました

    ギフトショップで白いカボチャ、パティソンを2ポンド(約300円)で購入。見かけは芸術的ですが、カボチャというより瓜の感じで、カレーに入れたら今ひとつでした

 

<関連記事>

ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その1)

ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その2)

ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その3)

ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その4)