ISU フィギュアスケート イギリス・シェフィールド杯

もう11月も後半ですね。しばらくブログをお休みしてしまいました。

私はずーっと昔からフィギュアスケートのファンなんですが、今年ISUグランプリシリーズの試合が、初めてイギリスで開催されることになりました。ロシアがドーピング事件と戦争で、中国がゼロコロナ政策で開催中止となり、急遽シェフィールドが立候補したのです。

イギリスでの国際大会ってめったにないので、先週末11~13日に観戦してきました。また、シェフィールドには主人の大学時代の友だち家族がいるので(お互いの結婚式に出席した後、私は今年春に再会(^^;)、泊めてもらって親交を温める目的も。

        グランプリシリーズが開催されたアイスシェフィールド(IceSheffield)

最終日は路線工事のためロンドンに戻るのに電車とバス乗り継ぎで5時間近くかかり、夕方7時からのエキシビションは観れず…。寒かったためか翌日から何年振りかの風邪をひき、ダウンしていました。最近、緘黙ブログが少ないと思いつつ、記念のためにフィギュア観戦のことを書き留めておこうと思います。

    赤丸急上昇中、アイスダンスのフィアー&ギブソン組(英)

イギリスで有名なスケーターといえば、思い浮かぶのはトービル&ディーンとかロビン・カズンズぐらい? ひと昔前という感じですが、最近アイスダンスのフィアー&ギブソン組がぐんぐん頭角を現してきて、今年は世界トップ5に入りそうな勢いです。

日本人選手で参戦したのは、女子シングルの三原舞依と男子シングルの佐藤俊、島田高志郎、壷井達也の4選手のみ。熱烈応援しているアイスダンスのかなだい組が来なくて残念でしたが、とにかくこの機会を逃す手はない。途中、お誘いしたスケオタ友が抜けてしまったものの、独りでも行く気満々(^^;

(国内のフィギュア人気が低いから、チケットは安いんじゃないか?! そう考えていた私は甘かった…イベント通し券は300ポンド(約5万円)+手数料。う~ん、さすが国際大会)

  

  私の席はジャッジ席の左側で1列目はカメラマン席。ジャッジがメモを取りながら、ボタンを押すところもバッチリ見えました。各試合の前に人の手で穴を埋めてから製氷車で氷を整えます。6分間練習は大迫力

で、実際に行ってみたら会場が小さい!1500人収容だそうで、TV画面で観る選手たちが3Dビジョンになって飛び出してくる様な感じ。臨床感と躍動感が半端なかったです。どういう訳か2列目の席に変更されたので、近くに来る選手たちの表情まで見えました。男子シングルで1位になったダニエル・グラッスル選手(伊)が、目の前で3Aを決めてニッコリ笑うと、左隣の若い英国人女子達から「キャーッ!!!」っと悲鳴が(^^;

友達宅が会場と正反対の方角だったのもあり、私は午前中の公式練習はパスして試合から見たのですが、TVで観るのと違って選手たちの体格や滑りが目の前。「こんな感じなんだ~」と発見がたくさんありました。例えば、小柄な選手が多かった女子シングル選手の中で、韓国のヨン・ユー選手はかなり大柄。彼女が滑るとゴーっという音が聞こえてびっくり。その反面、小柄で細い三原選手は丁寧な滑りで殆ど音がしませんでした。

この大会のハイライトは、まず男子シングルのデニス・バシリエフス選手(ラトビア)。ショートで3位につけた彼は、フリーの6分間練習では転びまくり。他の選手がジャンプを決める中、大柄なのですごく目立つ訳です。大丈夫かな~と思っていたら、試合では一度も転ぶことなく演技がどんどん盛り上がり、ジャンプやスピンを決めるたびに「ワーッ!」という大歓声と拍手。滑り終えた時には、皆立ち上がって大会初の総スタオベになっていました。2日目が終了した時点で手が痛かった(^^;

  

   ランビ先生も満足気。佐藤俊選手は丁寧な滑りで3位に

次のハイライトと総スタオベは三原舞依選手。演技前から凄い声援で、会場中に日の丸が。私は持参した小ぶりの旗を振っていたのですが、右側でひとりクールに観戦していた女性が特大の日の丸を取り出し、左隣の女子たちは💛マークの手描きバナーと特大日の丸で大声援。ありがとぉお💛

最終滑走で、しかも前のイザボー・レヴィト選手(米、15歳)が143点出したので、ひとつも失敗できない重大な局面。でも滑り出すと、柔らかさと優雅さの中に力強さも感じられました。技をひとつ決めるごとに大声援が飛び、最後のロングスパイラルで会場は大盛り上がり。こちらも盛大なスタオベとなりましたが、演技が終わって小走りする姿、キスクラで縫いぐるみの陰に隠れる姿が可愛かったです。

  

    なんとグランプリシリーズ初優勝だそう。本当におめでとう!来週のヘルシンキ杯でも上位に入って、是非ファイナルに行って欲しいです。

そして、イギリス人が大熱狂したのが、自国のフィアー&ギブソン!氷の上を飛んでいるような滑りで、応援ともども凄かったです。

表彰式ではロビン・カズンズから花束贈呈

今回、感心したのは英国人スケオタ達の応援。どの選手にも温かい拍手と声援はもちろん、各国の国旗や手描のバナー、縫いぐるみ(小さいのは会場で販売)の投げ入れも多かった。私の左隣は20代の女子3名ほどだったのですが、英国の他に日本、アメリカ、カナダ、ラトビア、ジョージア、スイスなど何種類もの特大国旗や手描きバナー、そして投げ入れ用のヌイグルミも毎日準備。

左隣の子はロマン・サドフスキー(カナダ)の大ファンだったようで、フリーで彼が登場した途端、「あー、気絶する!!!」と絶叫。が、残念ながらジャンプの失敗が多く、ショート1位から総合6位に。それでも、彼女は元気に他選手の応援を続けたのでした。偉い!

今回の観戦で色々な人とおしゃべりしたのですが、海外に観戦に行くという強者も多くて、みんな詳しかったです。中でも、三原選手のファンが多くて、病気のことや昨年の全日本で北京オリンピックを逃したことを話をしたら、「ああ、近くに座ってる日本人ファンから聞いたわ」と(^^;

小規模な会場だったけど、温かい応援が嬉しいシェフィールドのMKジョン・ウィルソン杯でした。ちなみに、スポンサーのMK社とジョン・ウィルソン社はフィギュアスケートのブレードを製造する世界有数の企業なのだそう。ブレードはかつて鉄鋼業の街として有名だったシャフィールドの特産品のひとつなんですね。

ノルマンディの夏休み(その3)モネの家と庭を訪ねて

この旅のハイライトのひとつは、印象派画家クロード・モネ(1840~1926年)が晩年を過ごした家と庭園(Maison de Monet)を訪ねること。拠点としたオンフルールの町からジヴェルニー (Giverny)までは車で約120㎞。高速を使えば1時間半ということで、朝早めに出てパリ方面へと車を東に走らせました。

道中まったく混んでおらず、「これは楽勝!」と思ったのもつかの間。メインの駐車場はすでに満車で、オーバーフローの駐車場へ。「えっ、いつの間にこんなに沢山の車が?! 」という位混んでました~(^^;

チケットは事前に予約しておいたのですが、入口が判りづらくてモネ邸と庭の裏側にあるクロード・モネ通りをぐるりと一周するはめに。やっと入ってみると、家の前には長蛇の列が…。

クロード・モネの名前がついた通りと庭から見たモネ宅。邸宅見学は長蛇の列

20分くらい並んでやっと家に入ると、まず目に入ったのは家中の壁に飾ってある広重、北斎、歌麿の浮世絵の数々。1855年に開国した日本からヨーロッパへと、陶器、扇子、着物、美術品などが大量に流入。日本文化の一大ブームが起こりました。当時は、浮世絵(版画)が陶器や漆器の梱包材として使われており、これが画家たちの注目を浴びたのです。

遠近法を無視したような構図、大胆なフォルムや色使いは、全く新しい美の形・世界として多くの芸術家たちを刺激しました。モネもそのひとりで、30代の頃から浮世絵を集めはじめ、コレクションの総数は290点を超えるとか。モネの代表作である睡蓮は浮世絵の画法の影響を色濃く受けています。

   いたるところに浮世絵のコレクション(左)。アトリエには自らの作品の他、印象派画家の作品が。モネが息を引き取った2階の寝室にはセザンヌとルノワールが飾られて(右)

   薄いピンク系の外壁に鮮やかな緑の窓枠。キッチンはレモンイエローや水色などパステル系が使われていたのが印象的でした

家の前に広がる庭園(Le Clos Normand)は2.5エーカーの広さ。モネが丹精して改造し、広げていった庭には、色とりどりの四季の花々が咲き乱れ、40年間彼の作品のインスピレーションとなったのです。

 

  家屋からまっすぐ続く中央のアーチの両側に広々とした庭が。黄色やオレンジ系の夏の花を中心に、自然の風情そのままに咲き乱れる花々。バラもカモミールも画家の心を癒し、創作意欲をかきたてたんですね

フランスで感じたのは、イギリスとは光が違うなということ。どう表現したらいいのか難しいんですが、より透明で眩しい光。モネの庭の花々を、緑を、より鮮明に息づかせているように感じました。

モネといえば、まず最初に思い浮かべるのが『睡蓮』の絵ですよね。その睡蓮の咲く池のある庭(Le Jardin D’eau)は、道を隔てた向こう側にあります。清流の流れる小川沿いの小路を歩いて行くのですが、片側は竹林風でところどころに緑の橋が架かり、ここにも日本文化の影響が。

  竹林の脇を通って睡蓮の池へ。モネの絵に描かれた緑のお太鼓橋は人だらけ(^^;

モネが偶然通りかかって心惹かれ、定住地と決めてジヴェルニーに移り住んだ頃、モネの経済・精神状態は決して良くありませんでした。最愛の妻、カミーユが幼い子ども達を残して先立ち、パトロンのオシュデは破産という厳しい状態--まだ印象派が革新的と受け止められていた時代。でも、この頃からモネの作品は認められ始め、買い手がつくように。暮らしは安定し、庭師や家政婦などの使用人を雇えるようになっていったのです。

1983年に借りたスタジオ件自宅と小さな庭のついた果樹園を徐々に改装・改造し、1890年には買い取って、更にスタジオや生活スペースを増設。道を隔てて庭に隣接する土地を買い求め、小川を利用して有名な睡蓮の池造りにものり出します。モネは目を患いながらも、1899年から20年に渡って睡蓮や池の絵を描き続けました。

睡蓮の池を後にして、お昼ご飯を食べる場所を物色。モネの作品がたくさんあるだろうと期待して、ランチもかねてジヴェルニー印象派美術館(Musée des Impressionnismes Giverny)へ。レストランが満席だったため、先に展示を観ることにしたんですが、モネの作品は睡蓮の池を描いた1点しかなくて、後は印象派の歴史とその後に焦点を当てた展示(また予習不足)…。シスリー、モーリス・ドニ、モネに大きな影響を受けた平松礼二等の作品などが飾られていました。

2時過ぎにレストランに戻ると、店内はガラガラ。主人と息子はエスカルゴに挑戦し、私はメインに牛肉のカルパッチョ、デザートに巨大な焼きプリンとラテを堪能しました。今回の旅行では一番美味しかったけれど、3人で1万4000円位と、やっぱりすごく高かったです😢 自動的に夜は自炊…。

<関連記事>

ノルマンディの夏休み(その1)樫の木の礼拝堂

ノルマンディの夏休み(その2)印象派の画家たちを魅了した風景

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 場面緘黙症へ
にほんブログ村

ノルマンディの夏休み(その2) 印象派の画家たちを魅了した風景

もう10月に入り、場面緘黙およびメンタルヘルス全般の啓発月になりました。が、夏休みの記憶がこれ以上薄れないうちに、まず旅行記を書きとめておこうと思います。

……………………………………………………………………………………………………………………….

ノルマンデイに着いて2日目。午前中は拠点としたオンフルール(Honfluer)の町を探索し、午後から北上してイギリス海峡を望む白亜の断崖とエトルタ(Étretat)の庭園を見に行くことに。どちらも風光明媚な観光地として知られ、モネやクールベなど印象派の画家たちが集った町です。

まずはオンフルール旧市街をぶらぶら。なにせ借りたアパートが旧市街のど真ん中だったので、名所は目と鼻の先。今回の旅行はどこに行っても観光客だらけでしたが、その殆どがパリなどの都会からバカンスに来ているフランス人でした。

バラのアーチが美しい公園の前を通って、オンフルールのシンボルとなっている旧港(Vieux Bassin)へ

16~18世紀の細長いタウンハウスに囲まれた旧港は、当時の面影がそのまま。石畳の港畔を歩いていると、まるで中世にタイムスリップしたかのよう。静かな水面に反映する建物やヨットの印影が美しく、モネらが好んで描いたというのも頷けます。モネの師匠だったブータンはこの町出身で、近くにブータン美術館も。

   フランス最古の木造教会、サント・カトリーヌ教会(Église Sainte-Catherine)。広場を挟んで教会の別棟となる木造の鐘楼(現在は博物館)が

次は15世紀に建てられた木造の教会、サント・カトリーヌへ。イギリスとの100年戦争で破壊された石造りの教会を、船大工たちが木造で建て直したもの。資材不足のため近隣の木材を使用し、当時の造船業の技術を駆使して建てたとか。その歴史ゆえ、教会内には船の模型がたくさんありました。

     2コース18ユーロ(現在約2,600円)のランチのお味はまあまあ。エイヒレのバター焼、大鍋に入ったムール貝の白ワイン蒸しは定番。ノルマンディはリンゴ酒シードルの産地で、メニューには必ずアップルパイが

せっかくなので旧港に面したレストランでランチ。当時は間口の大きさで税金の額が決まっていたため、幅が狭く縦に細長い(6、7階建て)タウンハウスが流行したのだとか。

昼食後、白亜の断崖があるエトルタへ。ここにはユニークなエトルタ庭園(Les Jardins D’Étretat)があり、楽しみにしていたのです。セーヌ河口に架けられたノルマンディ橋を渡り、車をとばしてエトルタの町の入口にさしかかると、なんと道路の両脇に路上駐車の車がびっしり(*_*;

海辺のリゾート地とは知ってましたが、こんなに混んでいるとは!(全く予習が足りませんでした(^^;)まだぜんぜん海岸が見えてないのに――なんだかいやな予感。有名な庭園らしいし、駐車場はあるよね?!

その願いも空しく、エトルタ庭園への路はなんと通行止め!仕方なく駐車スペースを探して町をはずれ、やっと車を停めることができました。坂道を25分くらい歩いて崖の上にある庭園へ。ここでも入場券を求める人の長蛇の列…事前に予約しておいて良かった~。

   生垣にいきなり巨大な顔(群)!うずまきのような生垣のデザインは渦潮や波など、ノルマンディの自然を表現したものだとか。庭に設けられたデッキから、アヴァルのアーチ(Porte d’Aval)が見えます

エトルタ庭園はもともと1903年に女優のマダム・テポーが画家モネの援助を得て創設。2016年に造園デザイナーのアレクサンドル・グリヴコが、忘れられていた庭園を樹木と彫刻が織りなす近未来的なコンセプトの庭に再生させました。庭園には15万本以上の植物が植えられ、そこかしこに前衛的な彫刻が。

     アモンの断崖から海を見下ろす礼拝堂とアヴァルのアーチの絶景。右はモネが1819年に描いた同アーチと帆船

エトルタの庭園の西側は小高い丘になっていて、その先は切り立ったアモンの断崖。ここから眺めるアヴァルのアーチ(Porte d’Aval)はまさに絶景!  海を臨む丘の上にはノートル・ダム・ドゥ・ラ・ガルド礼拝堂(Chapelle Notre-Dame-de-la-Garde)が。

予定では、19世紀からリゾート地として有名な海岸まで降りていくつもりだったんです。でも、反対方向に停めてある車まで歩いて戻ることを考えると、ちょっとしんどい…。ということで、絶景を思い切り堪能したあと帰路に着いたのでした。

<関連記事>

ノルマンディの夏休み(その1)

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 場面緘黙症へ
にほんブログ村

エリザベス女王を偲んで

ご存知のように、9月8日にエリザベス女王が亡くなられました。車で通勤中に「女王の健康状態が悪化、王族のメンバーがスコットランドのバルモラル城にかけつけている」とのニュースが流れてビックリ。そして、午後6時半頃に訃報が…。

  19日の国葬まで国中が喪に服します。街中に、インターネット上に、女王の死を悼むメッセージが溢れ、私が住む北ロンドン郊外でも電光掲示板に女王のお姿が

その2日前に、リズ・トラス氏を新首相に任命するニュース映像が流れたばかり。かなりお痩せになったなあと思いましたが、久しぶりにいつもの笑顔を見ることができたのに…。

今年6月に行われた即位70周年を記念する祝祭、プラチナジュビリーも記憶に新しく、訃報を聞いて大きな喪失感を覚えました。私は別に王室ファンではないので、それだけ大きな存在だったということですね。

エリザベス女王の長い治世が幕を閉じ、今ひとつの時代の終わりをひしひしと感じています。首相が変わり経済も悪化する中、イギリスはこれからどうなっちゃうのかなという不安も…。

  月曜日にロンドン中心部に行く用事ができ、バッキンガム宮殿まで行ってきました。グリーンパークを抜けて一方通行で宮殿前にたどりつくまで、途切れない人の波

チャーチルの時代から激変するイギリスで、唯一変わらない存在として国と王室を支えてきたエリザベス女王には尊敬の念しかありません。

私は人生の半分以上をイギリスで過ごしているのですが、ちょうど1990年代前半からチャールズ皇太子とダイアナ妃のスキャンダルが大々的に報じられ、王室の人気が急落した時期に居合わせました。

特に、ダイアナ元妃が急逝した際は、バルモラル城に籠っていた女王が批判の的に(王室メンバーは感情を表に出さないのが慣習、かつ女王はウィリアム王子とハリー王子を保護していた)。女王が国民の声に応えてバッキンガム宮殿に戻り、ダイアナ妃の追悼を述べた頃から事態が好転したように記憶しています。

  バッキンガム宮殿のゲートのみならず、近くの公園の樹木の根元にもたくさんの花束が。近隣の花店では花が売り切れ状態に

社会の変動だけでなく、子ども達が次々と巻き起こすスキャンダルが大きな心労だっただろうことは想像に難くありません。最近でもヘンリー王子夫妻の王室離脱、アンドリュー王子の児童買春スキャンダルなど、英王室を揺るがす事件が起きたものの、的確な対処の故か女王が国民の信頼を損なうことはありませんでした。優れた危機管理能力やバランス感覚をお持ちだったんでしょうね。

訃報の後で知ったのですが、幼いころは犬や馬たちに囲まれた田舎のレディーになるのが夢だったとか。ペットのコーギー犬をはじめ、競走馬のオーナーでもあった女王の乗馬好きは有名です。

            花束といっしょに敬意や感謝を表すたくさんのメッセージも。特に、熊のパディントンからみのものが多かったです

そもそも伯父のエドワード8世が退位しなかったら女王になることもなかった訳で、運命に逆らわず与えられた役割を全うされたんですね。21歳の時に「人生を国に尽くす」と宣言され、主体的にその言葉を守ってこられたんだと思います。

周囲の反対を覆して、13歳の時の初恋の相手だったフィリップ王子と結婚されたエピソードからは、忍耐強さや自分の意思を貫く強さが伝わってきます。

25歳で即位してから96歳まで、70年の在位は英国史上最長。世界的にも72年在位したルイ14世に次ぐ第2位だそう。母君のエリザベス王太后が101歳と長寿だったので、100歳まで頑張っていただきたいと願ってましたが…。

生涯現役という言葉がありますが、エリザベス女王はまさにそのお手本のよう。身体が衰弱していたはずなのに、最後の最後まで公務を行ったのがすごい!

そして、女王のユーモアのセンスも忘れられませんよね。ロンドンオリンピックでのジェームズ・ボンドとの共演、そしてプラチナジュビリーのパディントンとの共演は、女王からの贈りもののような気がしています。それまでは、クリスマスに放送される『女王のお言葉』で、真面目な面しか見えていなかったので。

どうぞ安らかにお眠りください。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 場面緘黙症へ
にほんブログ村

 

ノルマンディの夏休み(その1)

もう9月に入ってしまいましたね。イギリスは8月末からすっかり秋の気候に変わり、夜は冷えるので長袖が必要。急ぎのフリーの仕事が一段落したので、やっと夏休みの話題です。

この春からイギリスでは3年ぶりにコロナ規制が全て取り払われました。「もう面倒な証明書は要らないし、これが絶好のチャンス!」とばかりに、夏休みに海外に出る人が続出。我が家もフランス北西部のノルマンディ(Normandy)地方に行ってきました。

イギリスから車でフランスに渡るには、フェリーとユーロトンネル(汽車)の2つの方法があります。所要時間はフェリーだと1時間半、ユーロトンネルだと35分くらい。春休みにドーバー港が大混雑してニュースになったため、初めてユーロトンネルにチャレンジすることに。

まずロンドンから車でフォークストーン(Folkstone)まで行き、時間通りユーロシャトルに乗り込みました。夏休みが始まった頃は21時間遅れ(^^;という大混乱があったので、念のため食料と飲み物を持参。

     列車の中にトイレはあるものの、歩き回ったりは禁止。お昼のサンドイッチは車に乗ったまま動く列車の中で

カレーに着いてから、今回の旅の拠点となるオンフルールの町を目指して南西に下りました。行けども行けどもトウモロコシ畑と刈入れを終えた牧草地ばかり。日曜日だったためか、時折通り過ぎる村のレストランやお店は全部閉ってる?! 焦って唯一開いていたアラブ系のミニスーパーを見つけて買い物したんですが、高っ!(◎_◎

オンフルールまでは3時間弱でしたが、その近くで寄り道。アルヴィル=ベルフォス(Allouville-Bellefosse)という村(コミューン?)にあるサン・カンタン教会に行くためです。この教会の敷地内に17世紀に造られた樫の木の礼拝堂があって、その写真を見た瞬間から「絶対行くぞ!」と決めてました(なお、家族は行き先を調べるのが面倒らしく、私の選択がそのまま反映されるのです)。

牧草地がえんえんと続く田舎道をひた走りながら、一体こんなところにあの奇妙なムーミン屋敷みたいな大木があるのかなと、少々不安に…。そうしたら、あった~! ありました!!

 

  教会の片隅にエントツの様な木の家(?)が…フランス最古というこの樫の樹は、中が空洞になっていて礼拝堂が2つあるのです

   1696年に落雷で空洞になった樫の木(当時の樹齢500年?)に礼拝堂を建造。この「アルヴィルの大樫」は樹齢800~1200年と想定され、フランス歴史的記念物に指定されているとか。瓦のような部分は樹を保護するためのこけら葺き。根元近くの礼拝堂が Notre-Dame-de-la-Paix

  樹をぐるりと囲む螺旋階段を上がり、第2の礼拝堂 Chambre de l’Ermiteへ。中には木彫りのキリスト像が

   18世紀の木版画に描かれた「アルヴィルの大樫」(左)。成長してる?! 猛暑の中、緑の葉が生い茂り青いドングリがたわわに実っていて、元気なのにひと安心。人口1200人弱という可愛らしい村(右)

歴史的記念物といっても、柵がある訳でもなく、監視カメラが設置されている訳でもなく、誰でも勝手に見学できるのです。私たちがいた間、バイクでカップルがやってきた他は、地元の人も通りかからず…。帰りに開いていた近くのデリで買い物して、イギリス海峡にセーヌ河が流れ込む河口の港町、オンフルールへ。

人口8000人足らずというオンフルールの町に着いてみると、人気の観光地だということが判明。予約したアパートは旧市街地のどまん中と書いてあったのですが、まあそれほど人通りはないだろうとタカをくくっていました。が、カフェ&レストラン街のどまん中(^^;

また、出発の3週間くらい前までは雨降りの肌寒い気候になるという予報だったのがどんどん変わって、旅行中は1週間ずーっと真夏日という。この夏2度目の熱波襲来の時季に当たってしまったのでした…。

    夕方7時ごろ到着したのですが、まだまだ青空。古い灯台の近くの無料駐車場からアパートまで歩いて8分くらい

   ブティックやレストランが建ち並ぶ石畳の賑やかな通り。途中に次の通りへと続く細い坂道が。中世から残る木組みの家々が可愛らしい

 アパートはこの通りの雑貨店の2階。ベッドルームはホテル風の内装で、居心地もなかなかでした

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 場面緘黙症へ
にほんブログ村

ニューヨーク!ニューヨーク !(その6)

お久しぶりです。6月に入ってから何故かとても多忙になってしまい、なかなかブログの更新ができないでいました。やっとNYC旅行記のおしまいの記事です。

…………………………………………………………………………………………………………………………..

滞在最終日

NYC最終日は雨模様の天気。NYCに来てはじめて傘を使うことに。午前中はアンディーウォーホル展を観るため、地下鉄でブルックリン美術館(Brooklyn Museum)へ。

  

    ブルックリン美術館(左)で開催されていたウォーホル展。自身と母親ジュリアの肖像画(右)。ジュリアは1952年にNYに移り住み20年ほど息子の世話をし続けたとか

『黙示録(Revelation)』と題されたこの展示会は、ポップアートの旗手として知られるウォーホルが実は敬虔なカソリック教徒だったことに焦点を当て、それが彼の作品に与えた影響を探るもの。ゲイであることを公言し、ポップカルチャーのカリスマ的存在だった彼が、礼拝のため定期的に教会を訪れていたと知り、すごく驚きました。

また、小学生のころ虚弱だった彼を育み、アートを推奨し、成人してからも支え続けたのは、母親のジュリアでした。その影響は計り知れないものがあります。

ウォーホルの両親は旧チェコからの移民で、アンディ(1987年没)は1928年に米国ペンシルバニア州で3人兄弟の末っ子として誕生。ルテニア東方典礼カソリック教徒の家庭で育ち、一家の中で初めて大学(カーネギー工科大学)に進学した。コマーシャルアートを学んだ後、1949年にニューヨークに移住。『ヴォーグ』や『ハーパーズバザー』など、雑誌のイラストや広告を手掛けるように。

          

    1928年8月に生まれ、洗礼を受けた(左)。1955年の作品、『二つの頭と握られた手(Two Heads and clasped hands)』は繊細なタッチ

1960年にコマーシャルアートからファインアートに転向。翌年、33歳の時にキャンベルスープ缶やドル紙幣を描いた作品を発表し、ポップアートブームの先駆けに。1962年からはトレードマークともいえる、シルクスクリーンプリントを使って作品を量産するスタイルを確立。マリリンモンローやジャッキーケネディなど有名人の肖像をはじめ、大衆的で話題性のあるモチーフが注目を集めた。

1964年にはNYにスタジオ、「ファクトリー(The Factory)」を設立し、『チェルシーガールズ』に代表される実験的な映画や音楽のプロデュースなど多様な芸術の制作に携わる。ファクトリーは新進アーティストのみならず、ミックジャガーやルーリードといったミュージシャン、作家のカポーティ、俳優やモデルなどが集まる社交場となった。1965年には伝説のバンド、ヴェルヴェットアンダーグランド(The Velvet Underground)のデビューアルバムをプロデュース。ウォーホルがロック音楽に与えた影響も大きい。「将来には誰でも15分間は有名人になれる」という言葉を流行らせたのもこの頃。                    60年代のトランスジェンダーのアイコンで、ウォーホール映画のスター俳優だったキャンディダーリン。ファクトリーには当時のセレブが集って制作にも関わったが、モデルや俳優への報酬をケチることで有名だったとか

 

      1970年代の『スカル(Skull)』シリーズの作品(左)。60年代初頭から死をテーマにしたり、光と影を強調する作風を用いた。中央と右は1981~1982年に制作した『銃』『ナイフ』『十字架』シリーズ

40歳の時、ファクトリーの常連だった過激派フェミニスト、ヴァレリー・ソラナス(Valerie Solanas)に襲撃され生死の境をさまよう。1970~80年代にかけては、社交界や政界からもシルクスクリーンの肖像を依頼する人が絶えなかった。代表的な作品は、中国共産党の毛沢東など。80年代にはバスキアやクレメンテらの若手アーティストと交流し、共同制作を行っている。1987年に胆嚢の手術を受けた後、心不全で亡くなった。

  

   1985~1986年、バスキアとのコラボ作品『10個のパンチバッグ(最後の晩餐)(Ten Punchbag (Last Supper)』、ウォーホルはダヴィンチの『最後の晩餐』のキリストを手描きしている。同年作、『あなたは違う?(Are You “Different”?』は宗教的な広告を手描きでトレースしたもの

      

    1985年作、ラファエルの絵をモチーフにした『ラファエル/ 聖母―$6.99 (Rapheal Madonna-$6.99)』。消費社会においては聖なるものも俗物化・商品化?

     

      死去する1年前、1986年に制作された『最後の晩餐(The Last Supper)』はダヴィンチの作品がモチーフ。同じ題材で100以上のパターンの作品を発表している

信心深い家庭で育てられたウォーホルが、アメリカの資本主義社会が象徴する大量生産の時代の寵児になったこと。人間らしい感情を取り払った、コピー機が生み出すような派手な色彩のセンセーショナルなアートが時代の象徴になったこと――その巡りあわせも不思議ですよね。

ということで、ウォーホル展を堪能した後、最後にもう一度NYC在住の友だちと食事をして夜8時ごろ帰路の旅路についたのでした。

<関連記事>

ニューヨーク !  ニューヨーク ! (その1)

ニューヨーク! ニューヨーク!(その2)

ニューヨーク! ニューヨーク!(その3)

ニューヨーク!ニューヨーク!(その4)

ニューヨーク!ニューヨーク!(その5)

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

ニューヨーク!ニューヨーク !(その5)

滞在6日目

この日は朝9時半にNYC在住の友達とグランドセントラル駅で待ち合わせ。まず地下鉄でBrooklyn Bridge City Hall駅まで行き、快晴の空のしたブルックリン橋を歩いてマンハッタン島からブルックリンへと渡りました。1883年に開通したブルックリン橋は、鋼鉄ワイヤーを使用した世界最初の吊り橋なんだとか。

        

       天気がいいと風景も気分も全然違いますね。徒歩で30分ほどですが、NYCの絶景を眺めながらのウォーキングなので、それほど長く感じませんでした

ブルックリンに到着したあとは、橋の袂にあるダンボ(DUMBO Down Under the Manhattan Bridge Overpass)地区でコーヒーブレイク。イースト河沿にの倉庫街を改造したお洒落なレストランやショップが並びます。友達が連れて行ってくれたのは、エンパイアドアーズ(Empire Doors)という建物内のタイムアウトマーケットNYという人気スポットでした。

    

 ブルックリン橋のアーチ型鉄柱の向こうに見えるのはエンパイヤステートビル(写真中)。トレンディなエンパイアドアーズNYC

ダンボからCourt St駅まで歩き、そこから電車でニューヨーカーが避暑に訪れるというコニーアイランド(Coney Island)へ。高層ビル群から住宅地へと風景が変わっていき、着いたところは大きな遊園地がある海岸でした。

   遊園地「ルナパーク」はまだ閉鎖中(左)。4月上旬とは思えない上天気

海岸沿いにまたまた3駅ほど歩いて、Brighton Beachというエリアのロシア料理店へ(コニーアイランドにはロシアからの移民が多く、ロシア料理店がひしめいているのです)。そこで昔ロンドンで出会ったもうひとりの知人と感激の再会!最初に会った時はみんなシングルだったのに、今や彼女も私も成人男子の母親になっているというーーう~ん、時間が経つのがなんと早いこと!

   メインのビーフストラガノフと4人でシェアしたチーズケーキ。お味は…まあまあ。近くに世界一有名?!といわれるホットドッグ屋さん、ネイサンズが

 

昔話に花を咲かせながら夕方まで海辺をブラブラ。とても楽しい一日だったけど、さすがに歩き疲れました。グランドセントラル駅の近くでお握り屋さんを発見したので、夜は梅のお握り、ギョウザ、苺大福とみかんをテイクアウト。NYCで食べた中で最も美味しかった食事のひとつかも…。

<関連記事>

ニューヨーク !  ニューヨーク ! (その1)

ニューヨーク! ニューヨーク!(その2)

ニューヨーク! ニューヨーク!(その3)

ニューヨーク!ニューヨーク!(その4)

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

ニューヨーク!ニューヨーク !(その4)

滞在5日目

この日はゆっくり起きて朝食をすませ、マンハッタンの西側にある屋内マーケット、チェルシーマーケット(Chelsea Market)へ。かつて精肉工場や倉庫などが並んでいたため「ミートパッキングディストリクト (Meat Packing District)」と呼ばれるこのエリアは、現在も再開発中なのだそう。

友だちに「街を観たいから地下鉄を使わずに歩こうよ」と言われ、この日もまた歩く、歩く、歩く。彼女の記録によると、私たちは毎日2万歩以上(約14km?)歩いてたようです(^^;

  

    グルメ、ファッション、アクセサリー、お土産品など60件以上の店が並ぶマーケット。でも、それほど規模が大きい訳でも、珍しいものがある訳でもなく、ちと期待外れでした。

マーケットを後にして、ハドソン河にちょこんと突き出た出島、リトルアイランド(Little Island)に立ち寄ってから、古い高架鉄道の跡を利用して造られた空中公園、ハイライン(The High Line 写真右)を散策。まだ4月始めの寒い時期でパンデミック中だったためか、緑も花も全くない上、ショップやカフェも閉っていて、なんだかうらぶれた感が…これが夏だったら随分違っていたんだろうなと思うんですが。

エンパイア(Empire)というダイナーで遅いランチ。私の注文したサラダがとても斬新で美味しかったです。1/4位に切ったアイスバーグレタスの上にアボカド、クルトン、トライトマト、ベーコン、ピクルドオニオン、カッテージチーズなどがてんこ盛りになっていて、ナイフが突き刺さってた…(;^_^A ダイナーの後ろの壁画がヘタウマ風というか、インパクトがありました(どうしてこの4人?!)

  

この後、地下鉄に乗ってまたNYC在住の友達を訪ね、彼女のお部屋でゆっくりおしゃべり。日が暮れてから近くのギリシア料理店で夕ご飯を食べました。大きなサーモンと食後はアップルシナモンティー。う~ん、食事はロンドンの方が美味しいような…。ちょっと外れのゆるい日となりました。

<関連記事>

ニューヨーク !  ニューヨーク ! (その1)

ニューヨーク! ニューヨーク!(その2)

ニューヨーク! ニューヨーク!(その3)

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

ニューヨーク!ニューヨーク !(その3)

滞在4日目

この日、午前中はそれぞれ単独行動することに。私はモマニューヨーク近代美術館(Museum of Modern Art)へ、友達はメトロポリタン美術館(The Metropolitan Museum of Art )へ。初めてひとりで地下鉄に乗り、割とすんなり美術館にたどりつけました。

フロアマップをもらおうと思ったら紙の地図がナイ! NYCではすでにペーパーレス文化が根付いてる?! コードをスキャンして携帯でマップを見ながら、まずは5階の常設展フロア(1880-1940年代)へ。

実家にあった美術図鑑シリーズでおなじみの印象派やシュールレアリズムなどの名画がいっぱい。ゴッホの『星月夜』やシャガールの『私と村』、マグリットの『偽りの鏡』など、懐かしい友達に会ったような感覚で、たっぷり堪能できました。ただ、エルンストの絵がある部屋が展示準備中のため立入り禁止だったのが、残念無念…。

       

   4階の常設展フロア(1940-1970年代)には、ウォーホルの『キャンベルスープ缶』やポロック、草間彌生らの作品も。

  

   カフェでズッキーニとバジルのパスタを注文し、ラテを飲んで寛いでからギフトショップへ。ティファニーでは何も買えなかったので、ここでお土産をゲット

2時半にグーゲンハイム美術館(The Guggenheim museum)前で友達と待ち合わせしていたので、1時45分ころ51stの地下鉄駅へ。アップタウン方面のホームで最初に来た電車に乗り、余裕で着けるハズだったのですが…。

ふと気づくと、何だかスピードが速い?! あれっ、これって各駅停車?! あわてて1つ目の駅で降りると、プラットホーム名は Court Sq-23st…。23stって、間違えてダウンタウン方面に乗っちゃった???

反対方向のプラットホームに行こうと思っても、ホームが見当たらない…。

一旦駅の外に出てグーグルマップでマンハッタンの地図を睨みながら23stの4、5、6系統の駅を探してウロウロ。なんだか様子が違うなぁ――なんかアジア系の人が増えてる? 近くにいた赤ちゃん連れのカップルに道をたずねたところ、

「あなたの見ているのはマンハッタンの地図だけど、ここはクィーンズよ!」

どうやらマンハッタン島から出ちゃったらしい!!! Court Sqという最寄り駅を教えてもらい、走ってプラットホームへ。電光掲示板しかない地下鉄駅とは違い、ちゃんと進行方向の各駅名が記されてました。なんと、R系統に乗ってクィーンズまで来ちゃったんですね…そういえば前日、NYC在住の友達に気をつける様言われたばかりでした(^^;

急いで友達に連絡を入れたところ、すぐ返事が来てひと安心(私は米国用、ロム専用のシムカードを使っていたのですが、友達はwifiなしだと携帯が使用できない状態だったので)。

  

約束の時間より20分ほど遅れてグーゲンハイム美術館にたどりつき、すぐ館内で友達に会うことができました(思っていたよりかなり小規模)。

当日の特別展示会はヴァシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)。螺旋状になった回廊に飾られた絵を最上階から下へと見て回りました。一部の部屋では英アーティスト、ギリアン・ウエアリングの作品展も。

美術館巡りで少々疲れたので、いったんホテルに戻って休憩。夜はカーネギーホールにピアノリサイタルを聴きに行く予定(本当はデヴィッドバーン主演の『アメリカンユートピア』を観たかったのですが、チケットが取れず…)。が、何度やってもカード支払いのところで却下され、オンライン予約ができない…。仕方ないので会場で当日券を買うことに。

NYC3回目の友達がなぜかタイムズスクエア近辺で迷ってしまい、時間が…。「もう間に合わないから止めよう」という彼女をせかし、開演時間の8時ぎりぎりにやっと会場にたどり着きました。

ものすごく運がいいことに、まだ並んでいる人がパラパラ。素早くコロナのワクチン接種証明書とIDチェックを済ませ、大急ぎで窓口へ。

「ああ、もう最上階の席しか空いてないわね…そうだ、あなた達、学生でしょ?」

「????」

一瞬訳が分からずポカンとしている私を横目に、友達がすかさず「そうです」と返答。

「学生割引で一人$10ずつね」

本来なら$39のチケットが$10に!! 超ラッキー!

中年女性の旅行者を哀れに思ったのか、それとももう最後だからオマケしてくれたのか…?!

エレベーターで最上階まで登り、そこから更に階段を駆け上がって、ちょっと怖いくらい急な傾斜のバルコニー席にたどりつきました。

    

天井にいちばん近いバルコニー席

2分くらいして演奏者、マルク=アンドレ・アムラン(Marc-Andre Hamelin)が登場。クラシックに明るくない私はピアニストについて全く無知なのですが、超絶技巧作品や知られざる作品の演奏で有名なのだとか。

実は、本来ならハンガリー出身のピアニスト、サー・アンドラーシュ・シフのソロリサイタルの予定でしたが、怪我のため中止に。急遽アンドレ・アムラン氏がピンチヒッターで登場することになったらしいです。

演目もモーツアルトのピアノソナタ数曲から、バッハのウッタームベルグ ・ソナタ第2番、ベートーベンのピアノソナタ第3番と29番に変更。驚いたことに、2時間以上の演奏とアンコールのあいだ、楽譜なしだったんです!

演奏も素晴らしかったけど、ステージの真ん中でたったひとり黙々とピアノを弾く姿に感服しました。

こうしてNYC滞在4日目の夜が更けていったのでした。

<関連記事>

ニューヨーク !  ニューヨーク ! (その1)

ニューヨーク! ニューヨーク!(その2)

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

ニューヨーク!ニューヨーク!(その2)

3日目

この日はゆっくり始動することにしたので、ホテルでもらった20ドルのバウチャーで朝食を注文。ホテル内には飲食施設がないため、テイクアウトのサービスです。

朝食が届くまでの間(45分)に、ホテルの近辺で見つけたカフェへ。最初、ラテを買ったらすごく美味しくて、NYC滞在中に3回も行きました。

    4月中旬の復活祭にむけて、あちこちにイースターの飾りが。自然災害援助のチャリティをしているレストランもイースター仕様(左)

   注文した朝ご飯はこの紙袋で部屋まで配達してくれます。ジュースとミカンは前日Whole Foodで購入したもの。トーストとスクランブルエッグとバーガー?で$15+税金(¥2000以上)って高っ!  バウチャーがなかったら注文してない(^^;

朝ご飯のあと友達と合流し、まずはロックフェラーセンター(Rockefeller Centre) の展望台へ。天気は今ひとつでしたが、今度は朝のNYCを眺めることができました。

  

  エンパイアステートビルの向こうに見えるのはハドソン河(左)。前日行ったセントラルパークも一望できました(右)

  通路でちょっと迷って外に出ると、目の前に地球を支える力強いアトラウ像が。その向こうには超高層ビル群の谷間に聖パトリック教会が佇んでいました

その後、カフェで昼食を済ませて再びニューヨーカーの友達のアパートへ。彼女の案内でイースト河の船着き場まで10分ほど歩き、通勤用のフェリーに乗り込みました。

金融街の船着き場でフェリーを降りて、ウォールストリートを通り、ワールドトレードセンターの9/11メモリアル&博物館前へ。

  入館しなかったので、メモリアルは外から撮影(左)。隣にあるオキュラス(Oculus)はショッピングセンターと駅がある超モダンな建物。恐竜の骨を思わせる造りが興味深かったです

オキュラスでお茶をしてから友達に別れを告げ、私達はスタットン島への無料通勤フェリー乗り場へ。

   夕暮れ時になってから日が射してきたので、夕日に染まる自由の女神を見ることができました

この後、地下鉄でリトルイタリアまで行ってホームメイドのパスタを堪能しました。パンデミックのせいで道路沿に簡易飲食スペースを設けているレストランが多く、ちょっと寒いけどフェアリーライトやキャンドルの灯でなかなかいい雰囲気。ニューヨーカーの友達とNYC3回目の友達のおかげで、お得な観光ができて感謝、感謝でした。

<関連記事>

ニューヨーク !  ニューヨーク ! (その1)

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村