ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その6)

9月に入って新学期が始まった途端に次々と問題が持ちあがり、その一方で日本から急ぎの仕事も入っていて、本当にあっという間に1か月が過ぎ去ってしまいました。ブログの更新もままならぬ内に、今日からもう10月(って、まだ深夜ですが)!

8月のホリデーはもうずいぶん昔のことのよう…。もういい加減にこの話題に終止符を打たないとですね。

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ホリデーの最終日は、再びブライトンの東側にあるルイス近郊へ。まず訪れたのは、ブルームズベリーグループの主格だったヴァージニア・ウルフ夫妻の田舎の隠れ家、モンクスハウス。彼らは1919年にこの17世紀のコテッジを入手、週末はロンドンの喧騒を離れここで過ごすことが多かったようです。

 

 ロドメルという小さな村にあるモンクスハウスはナショナル・トラストの所有

入口は門から右にぐるっと回った中庭側あります

ヴァージニアの姉、ヴァネッサ・ベルが住んでいたチャールストン・ハウスにも近く、ここもブルームズベリーグループの仲間たちで賑わいました。でも、ロンドンからルイスまで鉄道で移動した後、駅から舗装されていない田舎道を車で走るのは結構大変だったとか。モンクハウスからチャールストンハウスまでは徒歩で2時間半弱ですが、姉妹は頻繁に行き来していたといいます。

ヴァージニアの彫像や肖像画が飾られた居間は、当時の面影が偲ばれて

ヴァージニアは次々と小説を発表して高い評価を受けますが、第二次世界大戦中の重苦しい空気の中、ロンドンの自宅が空襲で壊滅。モンクハウスに移住した後、うつ病が悪化して幻聴に悩まされ、執筆活動ができない状態に。1941年の春、愛する夫に遺書を残し自宅近くのウーズ川で入水自殺してしまいました。

      

もうすぐ朗読があるということで中庭へ出てみると、家と比較して随分広い!奥の方は果樹園になっていて、その向こうに村の教会の塔が見えました。シシングハースト城のヴィタの庭に似せたのか、庭を部屋のように区切ってそれぞれ違う仕立て。ちなみに、ヴィタとは別れた後もずっと友人であり続けたそう。

        

ヴァージニアが夏の間仕事をしたという東屋

     

 

      訪問客も巻き込んでボランテイアの男性がヴァージニア作品を朗読。右は夫レナード・ウルフの墓碑。二人の遺骨は楡の木元の下に埋葬されています

この後、主人の大学時代の友達と奥さんに会うため、アンティークの町といわれるルイスの中心地へ。早目に着いてルイス城を見学する計画を立てていたのですが、なんだか空が暗くなり雲行きが怪しくなってきました。

     

       今から1000年ほど前、イギリスを征服したノルマン公、ウィリアム1世の部下が建てた石造りの城。2つの丘に2つの天守閣を設け城壁で繋げた珍しい構造。

  

廃墟になった天守閣からは町が一望できますが、今にも降り出しそうな気配

たまたまウエディングの準備中だったのですが、お天気持つかな…

       

    場内はまだ結婚式の飾りつけ続行中でした。城門前ではウエディングゲスト達に遭遇

     

    待ち合わせのカフェBillsに向かう途中、土曜日のマーケットや素敵なアンティークショップを通過。町並みも可愛い。温かいエルダフラワードリンクが来たところで、ついに大粒の雨が!結婚式大丈夫だったかな?!

ということで、ホリデーの記事はこれでお終いです。最後までお付き合いくださった方、ありがとうございます。

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ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その5)

 

ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その5)

今回の旅行の目的のひとつは、名高いシシングハースト城と庭園を訪れることでした。主人の大学の同級生にプロのガーデナーがいて、「ケントで一番美しい庭」と推薦してくれたのです。

最初の印象は「あれっ?お城っぽくないなあ」というもの。もともと中世の豪族のマナーハウスだったそうですが、15世紀に所有者だったベイカー家が建物を増築し、爵位を授かってから「城」と呼ばれるようになったようです。16世紀には、敷地は2.8k㎡にも及ぶ広大なディアパークに。でも、エリザベス1世が200人のお供やゲストを引き連れて3日間滞在した際、費用が嵩みすぎて家が傾いてしまったんだとか…。

   メインハウス、タワー、図書庫の他、エリザベス王朝時代の厩舎やファームハウスなど、広大な敷地内は小さな村みたいです

その後、18世紀には牢獄として使用された時期もありましたが、次第に忘れ去られ廃墟に。その廃墟と土地を1930年に購入したのが、詩人で作家のヴィタ・サックヴィル・ウエストと貴族で外交官だったハロルド・ニコルソン(後に政治家)夫婦でした。

ヴィタはサックヴィル男爵家の一人娘として、英国最大の邸宅ノールで生まれ育ちました。が、男子でなかったため爵位と財産を引き継ぐことはできず…。シシングハーストに懐かしいノールを再建しようとしたといわれています。ロマンティックな趣のある建物や庭園には、彼女の郷愁が宿っているのかも。

   

  邸宅へと向かうゲートの中にはダリアの花が。二人が最初にキャンプした塔

とはいえ、暖房設備も何もない雨風吹きさらしの廃墟。当初は、寒さに震えつつ塔の中でキャンプしながら、屋敷の修理や庭造りに打ち込んだとか。

    (左から)階段を上る途中の窓に青いカラス器のコレクション。当時のまま保たれているヴィタの書斎。ウルフ夫妻の出版社、ホガースプレスで使用していた印刷機も

タワーにはヴィタの書斎や展示があるのですが、そこにあったヴィタとハロルドの交友関係図を見てビックリ。オープンマリッジを公言していた二人の恋多きこと(同性多し)!特に、ヴィタのレズビアンの恋人は10人以上も…。

その中で特に有名なのが、作家のヴァージニア・ウルフです(1920年代末から10年ほど)。ウルフはヴィタをモデルに『オーランド』を書いたことを、初めて知りました。私が最初に読んだウルフの作品が『オーランド』でした。

1992年にサリー・ポッター監督によって映画化された『オーランド』は、すごく記憶に残っています。主人公のオーランドを演じたのがティルダ・スウィントン。彼女はデレク・ジャーマン監督(今回の旅行で終の棲家と墓地を訪れました)に見出され、彼の作品には欠かせない存在でした。どこか人間離れした中性的な風貌が、オーランド役にぴったりだと思ったものです。

ヴィタとハロルドがデザインした、色やテーマの異なる個別の部屋を垣根やレンガの壁で巧妙につなげた庭園は、当時の画期的なデザイン。その頃、ヴィタが担当していた『オブザーバー』紙のガーデンコラムが大人気を博し、シシングハーストの庭も一気に知られるように。特に、白い花だけを配したホワイトガーデンが大流行したそう。

  

  塔の上から見下ろしたホワイトガーデンと咲いていた白い花々

   

  

バラの季節に訪れることができなくて残念…

庭を見て回っている途中で家族とはぐれてしまったのですが、その分ゆっくり堪能できました。彼らの一番の楽しみは、コテッジに戻ってソファに腰を落ち着け、PCをしたり(主人は地元ビールやサイダーを味わいながら)TVを観たり(受信料を払うのを止めたので家では観られない)することだったよう。二人とも私の趣味につきあってくれて、ありがたいことです。

ゲートをくぐって帰ろうとしたら、白いハトがやってきました

    ギフトショップで白いカボチャ、パティソンを2ポンド(約300円)で購入。見かけは芸術的ですが、カボチャというより瓜の感じで、カレーに入れたら今ひとつでした

 

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来週から新学期が始まるのですが、まだまだ夏休みの話題です。なんとか今週末までには書き終えたいと思ってます。

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雨降りの木曜日には近隣の港町、ヘイスティングスへ。ここは1066年にヘイスティングスの戦い(実際の戦場は近くのバトルという町)でノルウェー軍がイギリス軍を破り、ウィリアム1世がノルマン王朝を築くことになった歴史的な町。ずっと昔、女友達二人と訪れた懐かしい思い出が。

クリフレールで崖を登って聖クレメンツ洞窟へ

その時、密輸業者がお酒やタバコを隠した洞窟やお城などは見たので、今回は港の東側にあるジャーウッド・ギャラリーへ。お目当ては、『チャーリーとチョコレート工場』などロアルド・ダールの児童文学の挿絵で知られるクエンティン・ブレイク展。(ちなみに、ダールは主人の母校の卒業生なんです)。

全然知らなかったんですが、クエンティン・ブレイクはヘイスティングスの住人で、ギャラリーから歩いてすぐのところに家があるんだとか。今回展示されている作品は、ここ6ヶ月くらいの間に描きあげたそう。

 

“The Only Way To Travel”と題し、100点あまりの作品を展示

          常設展示は20・21世紀のイギリスのアーティストの作品

ギャラリーの窓から見た港の風景

港にはその朝獲った魚を販売する小さな店がいっぱい。ランチは全員シーフードを注文。でも、マッシュポテトを乗せて焼いたフィッシュパイだと思って注文したら、まんまシーフードグラタンでした。美味しかったです。

イギリスにはお城が山ほどあるのですが、中でも堀に囲まれた14世紀の古城、ボディアム城はその美しい佇まいが人気。廃墟ながらその景観は未だに健在で、おとぎ話に出てくるお城そのもの。

 でも、どうしてお堀の中はでっかい黒鯉だらけ!?

   

別の日、ボディアム・ボートステーションからフェリーでロザー川を上って再びお城まで行きました。最初、主人と息子はカヤックに挑戦する予定だったのですが、根性無しの二人は「フェリーに乗ろう!」と。フェリーといっても本当に小さなボートでしたが…。

 途中、船長が乗客の女の子に舵を取らせ、家族に大ウケ

    

      帰り際に真っ黒な雨雲が出てきて、カフェで雨が過ぎるのを待っていたんですが、窓に数滴落ちただけですみました

今度こそカヤックに挑戦というので、次はイングランド南東部で一番大きいベウル湖に。が、湖の岸に行き着く前に貸し自転車屋さんがあって、二人の心はマウンテンバイクに移ってしまいました。彼らがバイクで遊んでいる間、私は湖を一周するフェリーでのんびり。

そうそう、水曜日の夕方コテッジに戻ってきたら、何と戸が開いているのです!もしかして、と思ったらコテッジの持ち主のお父さんがシャワーレールを修理してくれてました。貸しコテッジ業者と旅行保険会社にはすぐ連絡したのですが、反応が悪くてどうしようかと思っていた矢先。弁償かもと思っていたのに無料で修してくれて、本当に助かりました。

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今日で8月も終わりですね。ホリデーの話が長くなってしまいそうなので、今回はダイジェストで。

ドーバー海峡の白い崖は世界的に有名ですが、私たちが今回訪ねたのはイーストボーンの東側にあるバーリングギャップ(Burling Gap)。ナショナルトラストの所有で、崖の上を散策できるだけでなく、海岸にも降りられるのが魅力。お天気が良かったので、海は美しいエメラルドグリーンでした。

崖に架けた恐ろしげな階段を下って海岸へ。季節外れには外されるそう

 

足元は大きな石がゴロゴロ。白い崖のすぐ側まで行くと、なるほど脆そう…。

  

  次はピクニックを持って崖の上へ。柵もないし行こうと思えば先端まで行けちゃうんですが、崩れると怖いのでみな注意を守って近づきません

 

草原には可愛い野草がいっぱい。木陰がないので藪陰でピクニック

余談ですが、8月27日夜にBBCニュースで『Burling Gapに謎の靄』との報道が!なんでも、突然海にモヤが発生して、海岸や崖にいた人たちにアレルギーのような反応がおこったんだとか。目の痒みや痛み、頭痛や吐き気を訴えた人も。すぐ避難勧告が出て、付近一帯の人は屋内退避・窓を閉めるよう警告されたのです。何らかの化学物質だろうということでしたが、その後も原因は不明…観光はすぐ再開した模様ですが…。

   ライの町の西側にあるランドゲートは、14世紀に造られた4つの要塞のうち唯一残っているもの。赤煉瓦の家とコブルストーンという丸い石畳の道が古風

中世の町並みが可愛らしいライの町には何度も足を運び、観光がてら骨董品店をのぞいたり、公民館で開かれる地元のマーケットへ行ったり。お勧めしたいのが、個性的なショップやカフェが立ち並ぶハイストリートにあるRye Art Gallery。間口が狭いのに奥はアラジンの洞窟のように複雑に繋がる広いスペースなのです。多彩なクラフト作品やコンテンポラリーアートが展示・販売されてました。

  密輸入者たちが集ったマーメイドイン(ホテル)のある通りの先を右に曲ると、角にあるのは米国の作家ヘンリー・ジェイムスが住んでいた家。その先には聖マーガレット教会があります

  ヘンリー・ジェイムス邸の庭は、外からは想像できないほど広々としてました

  

   ハイストリートのカフェ、ヘイデンズのクリームティー。好みのお茶とジャムを選べます

   コテッジに戻る途中で見つけたファームショップで食料を調達。サラダとチーズの晩ごはん

ダイジェストにしようと思ったのに、できませんでした…まだまだ続いてしまいそうです。

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ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その2)

翌日も晴天に恵まれ、まずは海辺に行くことにしました。いつも旅の計画は私が勝手に立てるので、今回も自分の趣味丸出し(家族は面倒なのか計画に加わることなく、黙って着いてきます)。ライの町を通り越して海辺を東に進むと、ダンジネスという砂利だらけの荒涼とした土地が広がり、イギリスらしからぬ風景。岬の先には、1904年に築かれた古い灯台とダンジネス原子力発電所があります。

左にあるのが旧灯台、右の灰色の建物群が原子力発電所です

でも、私の目的は灯台ではなく、70~90年代前半に活躍したイギリスの映画監督、デレク・ジャーマン (1942-1994)が住んでいたプロスペクト・コテッジ(Prospect Cottage)。ゲイであることを公言していた彼は1986年にHIVに罹患し、このコテッジに移り住みました。Prospect(期待・見込み)という名前は自分でつけたのか、それとも元からだったのか…。

黒く塗られた木造のコテッジの傍らに、朽ちかけたボートが無造作に置かれて

不治の病を抱えたデレク・ジャーマンがここで綴った日記『Modern Nature』を90年代に読んんで、その文章と写真の庭がとても心に残っていたのです。原子力発電所のある荒涼とした土地は「イギリスで一番太陽が当たるところ」であり、沈黙の中に風の音と鳥の鳴き声、漁師のボートの音が聞こえる場所。「水平線が境界」という庭に出て、花や植物、自然から季節を感じ、石や鉄の棒、海辺で見つけた流木・漂流物でオブジェを創る喜びが綴られていました。

辛い治療を受けながら創作活動を続け、恋人や友人たちに支えられてここで最期の静かな暮らしを営んでいたんだなと感慨深かったです。映画の衝撃的・退廃的なイメージとは裏腹に、静かで彼らしい最期というか…。現在の住居に迷惑がかからないように、舗装されていない道から写真をパチリパチリ。流木を立ててカニの鋏や貝殻などを乗せたオブジェや石を並べたサークルはどこ?彼が大切にしていた植物やオブジェは、残念ながらそれほど手入れされていないような…。

目立って何もない風景の中をぶらぶら散歩して車まで戻ると、コテッジの前には複数の巡礼さん(観光客?)が。カナダから来たカップルに彼のお墓が近くにあると教えられ、行ってみることに。すぐ近くだと思っていたら、そうでもなく――ただOld Romneyという地名が頼りだったので不安でしたが、教会に到着しました!

主人と一緒に墓標を探したのですが見つからず。諦めかけて帰ろうかと思った時、お墓地に来た女性に尋ねたら、確かにここだとのこと。もう一度ひとりで探してみたら、ありました~!

 

51歳の若さで亡くなったデレク・ジャーマンの墓標

お墓参りができてほっとした後は、ライに帰る途中にあるカンバーサンドの海岸へ。イギリスでは珍しく砂浜と砂丘があるビーチです。ダンジネスに近い側だったためか、いい天気なのにそれほど人がいませんでした。裸足になって砂浜を歩いてみたら、波型がついた砂は予想外に固くてちょっと不思議な感覚。

ランチはライにあるシーフードレストラン、グローブインマーシュで。エビとイワシとイカフライのプレートで海の幸を堪能しました。

お腹がいっぱいになった後は、町を少し見てからライハーバーの自然保護地区でお散歩。晴天のもと海に向かって沼地帯の中に造られた道を歩いたのですが、水がキラキラ光ってきれいでした。

     海岸近くには第1次世界大戦で使ったバンカーが。こんな風に海から上陸してくる敵を狙って銃を構えたかと思うとシュールですね..。

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ケント&東サセックス州のコテッジホリデー(その1)

お久しぶりです。先週頭から仕事が入って忙しくなってしまい、なかなか更新できませんでした。ふと気づくともう8月も終わり…今年の夏も残すところあと僅かですね。

今年の夏休みは、8月12日からの1週間をイングランド南東部にあるケント&東サセックス州で過ごしました。歴史ある小さな港町、ライの近くの村にコテッジを借り、海岸沿いの町や海辺を訪れたり、庭巡りをしたり。ずっと冷夏が続いていましたが、奇跡的にも快晴の日に多く恵まれて、つかの間の夏を楽しむことができました。

ロンドンからライまでは2時間ほどですが、まず最初に訪れたのはブライトンにほど近いルイスという町の東ばずれにあるファームハウス、チャールストン Charleston。ここは20世紀初頭にロンドンのブルームズベリー地区に集まった文化人や芸術家のサークル、「ブルームズベリーブループ」の主力メンバーだったヴァネッサ・ベルが1916年に移り住んだ田舎家です。

途中で道が渋滞して、私たち家族が着いた時にはすでにハウスツアーが始まっていました。知識豊富なボランティアさんが、10人くらいのグループを連れて、各部屋や住人たちの説明をしてくれるのです。

インテリアデザイナーとしても知られる画家のヴァネッサは、作家ヴァージニア・ウルフの姉。この姉妹が住んでいたブルームズベリーに、美術評論家のクライブ・ベルなど主にケンブリッジ大学の仲間たちが集っていたのです。その中には作家のEMフォスターや経済学者のケインズなども。

ポスト印象派後のモダニズムを追求し、19世紀の古い道徳観念から逃れようとした彼らの人間関係は、複雑にもつれ合うもの。男女の愛人を持つことが当たり前のオープンマリッジ――夫婦関係や恋愛関係が壊れても、仲間であり続けたのがすごい。LGBTの権利が叫ばれる現代より進んでたかも。

チャールストンでヴァネッサと2人の息子と同居したのは、夫のクライブ・ベルではなく(彼は新たな恋人と同棲中)、画家のダンカン・グラントと その恋人のデヴィッド・ガーネットでした。この男同士のカップルは、農場の仕事をするという名目で兵役を拒否してここに引っ越してきたんだとか…。後に、ヴァネッサはダンカンと恋に落ちて娘をもうけ、その娘が成人した時デヴィッドと結婚したそう。う~ん。

ヴァージニア・ウルフ夫妻など、グループのメンバーや友人達がロンドンから頻繁に訪れ、経済学者のケインズに至っては、ここで『平和の経済的帰結』を執筆しました。ロンドン暮らしに疲れたら週末にやってきて、英気を養う拠点となっていたんですね。

(館内の写真撮影は禁止。これは窓から中を写したものです)

話を戻すと、インテリアデザイナーと画家の隠れ家的な田舎家は、家具だけでなく、壁、窓、暖炉の周辺など至る所に絵や模様が描かれ、家全体がキャンバスという感じ。グレーやくすんだ青など、ちょっと懶い感じの色調や20年代風のデザインが素敵でした。ヴァネッサが1961年に亡くなるまで絵を描き続けたアトリエも。画家ロジャー・フライが手がけたという庭も、絵を描いたような自由でワイルドな趣きでした。

実は、車を降りた途端に田舎の匂い(牛の糞の)が鼻をついたのに、人間の慣れって怖いものですね。見学後は全く気にならず、カフェの中庭でランチを楽しみました。

 

すごいボリュームでびっくり

コテッジに向かう途中、ヘイルシャムという町にあるお堀に囲まれた中世の修道院、ミチェルハム(Michelham Priory)に寄りました。修道院といっても、教会は地域民を統制する立場にあり、修道僧達は外で活動していたとのこと。戦争や地域民が反乱した時に備えて、修道院なのに堀を巡らせて見張り塔までつけたんですね。とにかく庭が広すぎて、とても全部は回れませんでした。

チューダー王朝時代には権力者のカントリーハウスだったそう

まだまだ明るいうちにBeckley村のコテッジに辿り着きました。18世紀ころ建てられたものらしく、ドアの鴨居が低くて私でも頭をぶつけそうなほど(当時のイギリス人はかなり小柄だったんですね)。よく見ると、天井は古い梁は補強され、床板は新たに入れたものでした。私たちが借りたコテッジは左側。お隣さんとゲート前の小路をシェア

左から居間とキッチン、そして2階へと上がる急な梯子段

ベッドルーム2つとかなり狭いバスルーム

でも、マリーンをテーマにした青と白の爽やかな内装に、「いい感じ」と喜んでいた初日から事故が勃発。ゆっくりお風呂につかり、シャワーを浴びて出ようと思ったんですね。シャワーの位置が高かったので、調整しようと思って下に押したら、何とシャワーレールごとタイルの壁からお湯に落下!

「え〜っ、そんなあ」と泣きそうになって家族に訴えたら、うちの男子2人は冷たくて…。息子は私が何か失敗したんだろうと「マミ〜」と顔をしかめ、夫は「見せてみろ」と2階へ。

「これ、スクリューを緩めてから高さを調整するんだよ」と言われ、よく見たらその通りでした。でも、そんなに力を入れてないのに、いきなり壁から落ちますか?! 旅行保険が効くかどうか--トホホ…。

    この急な階段から転げ落ちないよう、毎回気を使いました

 

 

 

サンドウィッチの秘密の花園

今週の火曜日、イングランド南東部にあるケント州のサンドウィッチという町に行ってきました。この海辺の町に「秘密の花園(Secret Garden of Sandwich)」があると聞き、ずっと前から訪ねてみたいと思ってたんです。ケント州に住む友達にも会えたし、一石二鳥でした。

ところで、サンドイッチの語源は四代目のサンドウィッチ伯爵、ジョン・モンターギュにちなんだもの。トランプゲーム好きの伯爵が、ゲーム中に片手で食べられるようパンに具を挟んだものを作らせたのがその始り――だと思っていたら、実はこれは間違いでした。サンドイッチ状の食べ物は18世紀前からあって、当時は単に”bread and meat”や”bread and cheese”と呼ばれていたとか。よって、発明者はサンドウィッチ伯爵ではないのですが、この食べ物に彼の名がつけられたのは事実のようで、1760年代から1770年代にかけて一般にも普及したようです。

これが四代目サンドウィッチ伯爵。著名な政治家で海軍卿や国務大臣も務めており、多忙でカード賭博(?!)なんかする暇はなかったという説も。忙しくて食事を摂る暇がなく、サンドイッチを常用していたんでしょうか?彼は探検家ジェームス・クックを支援したことでも知られ、ハワイ諸島の旧名「サンドウィッチ諸島」と南大西洋のサウスサンドウィッチ諸島は、彼を記念して名付けられたそうです。ちなみに、サンドウィッチ伯爵は代々貴族議員を務めていて、現在の11代目伯爵も上院議員なんだとか。

ロンドンのセントパンクラス駅からサンドウィッチへは急行で1時間20分ほど。ここのところお天気が悪く、最高気温が20度前後の曇った日が続き、この日も曇り空。無人の駅で友達が待っててくれて、16世紀に建てられたギルドホールのある広場でランチを食べました。それから、中世の趣を残す田舎町をのんびり散策しつつ花園へ。

人口5000人ほどの小さな町ですが、チューダー様式の建物がそこかしこに残り、当時イギリスの主要港だった面影が忍ばれます。13世紀、イギリスに初めて象が運びこまれたのはこの港だったとか。石畳の狭い通りをけっこうなスピードで車が行き交うので、よそ見してるとちょっと危険。ストゥー川にヨットが停泊する風景は情緒たっぷりでした。町中からサンドウィッチ湾までは少し距離がありますが、世界的に有名なゴルフコースが2つあります。

秘密の花園の本名(?)はサリュテーション・ガーデン(The Salutation Garden http://www.the-salutation.com)。高い壁に囲まれた瀟洒な屋敷と3.7エーカーの広大な庭園は1912年にエドウィン・ラッチエンスによって設計され、近年復元・改良されたもの。赤煉瓦の邸宅は現在レストランとカフェを併設するブティックホテルになってます。

季節柄か植物が奔放に生い茂っているという感じで、伝統的なボーダーにワイルドな植物が混じってるのがユニーク。私達の前にいたグループの一人は、テッポウウリを勝手に触って中身を噴射させてました。

野草を想わせるような花も多く、天候のせいか何となくそこかしこに秋の気配。

一番奥には温室や菜園もあり、美味しそうなリンゴや野菜が実り始めていました。そんな中に赤紫蘇発見!今までガーデンセンターでも、ハーブガーデンや菜園でも見たことがなかったので大感激。入口付近で植物の販売もしていたので、もしかしたらあるかもと期待が膨らみました。

二重のコスモスですが、こんなのは初めて。

その後、この写真の一番奥に写っているベンチに座って久々のオシャベリを楽しみました。

メインの庭から屋敷を望むとこんな感じ。家屋敷の周囲は仕切られていて、「白黒の庭」など異なるテーマの複数の庭(部屋)を楽しめます。

ティータイムは園内のカフェではなく、来る途中で見つけたScrumalicious Cake Company(http://www.scrumaliciouscakecompany.co.uk)で。ほんのり酸っぱいルバーブケーキがめっちゃ美味でした!

お土産はこの£2(約280円)の赤紫蘇。すでに何度かサラダに入れて食べました。以前、青紫蘇の種を日本で購入し、毎年栽培してた時期があったのですが、種が古くなったためか発芽せず…だから嬉しいサプライズでした。

ジャコメッティ展と足元のアート

先々週、ハーフタームの中休みがあったので、友達とテートモダン美術館にアルベルト・ジャコメッティ(1901-1966年)展を観に行ってきました。スイス生まれのジャコメッティは、20世紀を代表する彫刻家のひとり。針金のように細長い人物像は、ひと目見ただけで彼の作品と解る独創的な造形です。

 

 入口の壁に投射された展示会のロゴデザイン。右は以前撮影した常設展示の作品

ジャコメッティは1920年代半ばにパリにアトリエを構え、キュービズムやシュールレアリズムに傾倒した後、第二次世界大戦後の1950年頃から独自の作風を確立。ピカソやサルトルなど第一線の芸術家や作家らと交わりながら、どんどん人間の本質に迫るミニマルな方向へと向かったよう。

興味深いなと思ったのは、助手でもあった弟のディエゴや妻のアネットなど、限定された一握りのモデルだけを使って作品を作り続けたこと。会場では晩年の制作風景とインタビュー映像が流されていたんですが、「向き合えば向き合うほど、本質に迫れば迫るほどわからなくなる」というようなことを言っていて、すごく興味深かったです。厳選した身近な人だけを対象に、時間と労力を積み重ねながら深く迫る――彼は一体何を見て、何を求めていたんでしょう?

全然知らなかったのですが、1955年から仏国立科学研究センターの研究員だった哲学者、矢内原伊作をモデルにと所望し、何度も滞在費を負担してパリに招待していたんだそうですね。(後に、矢内原はジャコメッティの生活や芸術をつぶさに観察した『完本 ジャコメッティ手帖』を出版しています。機会があったら是非読んでみたいです)。

 

  どことなくコクトーに似た風貌?右写真の左側の人物が矢内原伊作氏。ジャコメッティと20歳以上も年が離れた妻、アネットと関係を持っていたそうですが、彼の何に惹かれてモデルにしたんでしょう?

お茶をして一息ついてから、ドイツ生まれの写真家、ウオルフガング・ティルマンズ展も覗いてきました。1968年生まれ、音楽誌などでもお馴染みの写真家ですが、日常の何でもないシーンを切り取っただけのように見えるのに、妙にインパクト大。展示方法や構成にも工夫が凝してあって、現役アーティストの持つ熱や想いが伝わってきました。

     

テートモダン美術館に行くときは、たいていセントポール寺院をぐるっと周って、2000年に建設されたミレニアムブリッジを渡ります。以前息子と橋を渡った際、「この足元にあるのもアートだよ」と言うんです。

    

     左はセントポール寺院を背にして、テートモダン美術館を望む風景。右はテートモダンから見たセントポール寺院

「えっ?」と思ってよく見たら、金属製の床に何やら小さな絵(?)が! よく見ると、人の名前やら国旗やら、シンボルマークやらが描かれているのです(息子は昔から人が気づかないような細かいことに目がいきます)。ガムを踏みつけて金属の凸凹部分を埋め、その上に彩色したのかな?

誰が創っているのか判りませんが、この小さなガムアートが橋の上に点々と続いているのです。常にひっきりなしに人が行き交うので、座り込んで絵を描くのは難しいはず--ということは、早朝とか夜間の静かな時間帯に制作してるんでしょうか?

 

そういえば、2年ほど前に家の近くの大通りの歩道で、似たようなミニチュアの絵を描いているホームレス?/ 大道芸人の人がいました。傍らに置かれた帽子に小銭を入れる見物人も。もしかしたら、そういう大道芸人がテートモダンを訪れた旅行者を相手に、名前や日時を描き込んでお小遣いをかせいでいるのかもしれませんね。

  

誰も気づかなかったら、踏みつけられて消えていくだけのガムアート。目前に広がる巨大な美術館の建物や橋から見えるロンドンの風景に気を取られがちですが、ちょっと目線を変えただけで、こんな風に違う風景が見えてくることもあるんですね。

 

バラの季節がめぐってきました

ここ3週間あまり、マンチェスターとロンドンのテロ事件で、イギリスは騒然としています。テロリスト達の年齢が20、30代と若く、しかも英国籍を持つ移民2世が多いこと、若者や女性をターゲットにしたことなど、考えると気が滅入るばかり…。気候も晴天が続いた後に急に寒くなり、夜間はまた冷え込むようになりました。

我が家は郊外にありますが、主人はロンドン中心地で働いているし、私達も地下鉄で気軽に街に出られる距離。たまたま今週末、イングランド北部に住む友達とテムズ河南岸の散歩を楽む予定だったのですが、雲行きが怪しくなってきました。今後はテロの恐怖と隣り合わせで暮らさなきゃならないのかなと思うと、本当に気が重いです。

それでも、人生は続いていく ”Life goes on” ですよね。

今年の5月はものすごく天気が良く、土曜日の森の中のウォーキングコースは緑が鮮やか。少し早めのバラの季節も到来しました。

   

白い野草が咲き誇る緑の散歩道。右は新しい校舎に行く途中で咲いていた白バラ

うちの庭のイングリッシュローズももう満開に近い感じです。一昨日の強風を伴う雨で随分散ってしまったのですが、もう次の蕾たちが待機中。残念ながらアーチの左側に植えていたClaire Austin が枯れてしまい、新しく植え替えたものの成長が悪いです…。このコーナーは陽当りが悪いためか、どの花もイマイチ。アケビの蔓だけが唯一めっちゃ元気に伸びまくっているので、もしかしたらアケビの根が原因かも(でも、バラのところまでは伸びてなかった…)。

   前庭の Mary Rose は今年も元気に咲いてくれました。でも、鉢植えにしているWinchester Cathedral は花のサイズが半分に…どうしたらいいものか…

どちらも同じ株から咲いたClaire Austin なのに、微妙に色味が違います

    ずっと植えっぱなしの植物も一斉に開花。2年前に植えた鉢植えのジャスミンはぐんぐん育って花までジャンボに。紫色のルビナスは昨年植えて、今年初めて花が咲きました

どんな時代でも季節はめぐり、花々は無言で咲いて私達の心を慰め、豊かにしてくれますよね。

 

 

イースター休暇

イギリスではイースター(復活祭)の祝日の前後に学校の春休みが2週間ほどあります。ちょっとややこしいのですが、イースターは「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」という決まりで、毎年日付が変わるんです。今年は4月16日で、先週の金曜日から月曜日までが4連休。ちょうど春休みの終わりと重なりました。

今年のイースターは、3年ぶりにバース南郊外の義妹夫婦宅に家族が集結。久しぶりに姪っ子と甥っ子に会ったらスラリと背が高くなっていて、特に足が長~い!残念ながら息子は私や父に似てしまい、ハーフなのに足が短くて可哀想…。ごめん!土曜日に着いて、その夜は子どもたちと一緒に巻きずし作りをしました。

イースター当日は、近くにあるナニー(Nunney)という村にイースターパレードを見に行くことに。実は、今回は義母が腰を痛めていて、あまり歩けない状態だったんです。でも、「なるべく近くに車を駐めれば、ほとんど歩かずに済むよ」と義弟。行ってみて、その言葉に納得--本当に小さな村なんです。

     ちょっと暗いですが、17世紀の馬車宿を改造したパブ/ホテルがある村の大通り(中)。パブの向かい側には中世の城の廃墟があります

運良く、大通りのパブ The George の駐車場に空きスペースをひとつ発見。そこからパレードが行われるという広場まで2分ほど歩くと、なにやらカラフルな帽子を被った人たちが集まっていました。広場の真ん中には、三角旗を飾り付けたトラクターと荷車が…。

川沿いにあるNunney村の広場

この村のイースターパレードというのは道を行進するのではなく、荷車の上にあがってイースター飾りを施したボンネット(帽子)を競い合うというもの。老若男女みんなそれぞれ個性的でしたが、今年はティーンの部の参加者はゼロ。「こんなの恥ずかしくてやってらんない」っていうお年頃なんですかね…。

  年齢別に荷車にあがってボンネットのできを競います。左は年少の部、右は5~7歳の部。

8~11歳の部では、ファッションショーよろしく荷台のうえでウォークも

 成人男性と女性の部。圧巻だったのは本物の花飾りとウサギをのせたこの方(中央)

イギリスらしくワンちゃんの部も!みんな凝ってる割にのんびりムード

パレードが終わった後は、川にプラスティックのアヒルを浮かべて順位を競うダックレース。残念ながら、私たちが着いた時にはアヒルは既に売り切れてました。

 川に浮かぶ500匹のアヒル。仲々流れないなと思ったら、ちゃんと流す係の人が

アヒルが橋の向こうに行ってしまうと、ダックレースの途中ですがここで解散という感じ。ぞろぞろ歩いてパブで喉を潤し、家路につきました。ランチの後、ダイニングテーブルの上は箱入りのイースターエッグ型のチョコレートの山。これでもかというほど食べましたが、全く食べきれず…。

夜はお決まりのローストディナー

イースターマンデー(復活祭の月曜日)のお楽しみは、ゆで卵に絵を描いてぶつけあう遊び。息子はもうとっくの昔に卒業しましたが、姪っ子と甥っ子は嬉しそうに興じてました。こうやって伝統が受け継がれていくんですね。