パリの空の下セーヌは流れる(その1)

3年ぶりにイギリスに戻ってきた友達の希望で、先週末パリに行ってきました。前回パリに行ったのは確か息子が小学校高学年のころだったと思うので、10数年ぶり?!

ロンドンからパリまでは英仏海峡トンネルを走るユーロスターで2時間15分ぐらい。発着駅のセントパンクラス駅はうちから地下鉄で30分ほどの距離なので、飛行機よりずっと気楽。とはいえ、チケットが超値上がりしていて驚きました!

      

   今回泊ったのはパリ北駅の北側、国際色豊かな下町風の通りに佇む小綺麗なブティックホテルでした

友達がホテルのレセプションにあった除菌液を使った際、ちょっとした事件(2号)が起こりました^^;

この除菌液、長いこと誰も使ってなかったのか、ポンプの口が固まってたんですね――友達がポンプを押した途端、なぜか液が対角線上に飛んで受付のお姉さんの目を直撃!!

彼女は急いで目を洗いに行ったんですが、怒り沸騰で顧客サービスはどこへやら…。ドアをバターンと閉め、大声で文句を言いながらお手洗いに駆け込みました。しばらくして戻ってきたので、「大丈夫?」と声をかけたら、「No!!!」とすごい剣幕。

でも、目は開いてたし、病院へ行くほどでもなさそうな…。大謝りに謝ったものの無視。彼女が代わりのスタッフを見つけてくるまで、それから30分ほど説明もなくずっと待たされたのでした。

(ちなみに、前日友達の具合が悪くなり、夜10時すぎに熱を出すという事件(1号)も勃発…もう絶対に行けないと、色々考えて眠れず^^;)

やっと別の人に荷物を預け、大通りのブラッサリーでランチしてから、オルセー美術館とオランジェリー美術館へ。その後、チュイルリー公園とセーヌ河畔を散歩してから、友達の体調を考えてホテルに戻りました。

   ランチはサーモンのカルパッチョ。オルセー美術館ではルノワール、ロートレック、モネ、ドガ、ゴッホなど印象派の名画を鑑賞

    オランジェリー美術館といえば、モネの睡蓮の大作(縦2m x 横4.3m)にぐるりと囲まれた2部屋が圧巻。ベンチに腰掛けて池の水に映る光や陰影を眺めていると、とても落ち着いた気持ちに。昨年夏にジヴェルニーのモネの家と睡蓮の池を訪れていたので、感激もひとしおでした

   他にも、ルノワール、ピカソ、ユトリロ、モジリアニなどの名作がいっぱい

印象派の後にマチスを観たら、すごくモダンで新鮮でした

私達は事前にミュージアムパスを購入していったのですが、オランジェリー美術館は予約(無料で時間指定)しておいたので、長蛇の列に並ばずに済みました。

2、3日目は次に続きます。

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ノルマンディの夏休み(その3)モネの家と庭を訪ねて

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チャールズ国王戴冠式の連休

イギリスでは先週の土曜日、5月6日から今日8日まで、チャールズ国王の戴冠式を祝して3日間の連休でした。戴冠式の様子はTVで観た方も多いと思うのですが、その前後に私が見たイギリスの様子をお伝えしたいと思います。

戴冠式の前夜は友だちと食事をする約束でした。二人とも午後4時ころに仕事が終わったので、どうぜだったら街に出て戴冠式の準備や雰囲気を味わおうということに。

大混雑してるだろうなと思いつつ、バッキンガム宮殿に通じる街道、ザ・マルに行ってみると、あれれそんなに混んでない? 警官が大勢いましたが、割とスムーズに歩道を歩くことができました。

歩道の前列には既にテントが並び、ユニオンジャックのデザインの服や王冠を被ったダイハードな王室ファン(?) が楽しそうにおしゃべり。割と若い人が多いのに驚きましたが、王室ファンというよりも、またとない機会を楽しもうと盛り上がってる感じ?

この日は朝からの雨が止み、曇り空から太陽が顔を出して温かな午後となりました。そのせいもあって、皆さん和気あいあい。

      

街中でもお祝いムード満載。エリザベス女王の戴冠式からすでに70年経っている訳で、まあ何度も遭遇できることじゃないですよね。74歳で国王になったチャールズ3世は歴史上最年長なのだそう。ただ、カミラ王妃(Queen Consort)がカミラ王后(Queen Camilla)として戴冠されることは、知らない人が多かったよう。

戴冠式の当日は、ノーサンプトン州の田舎にある義母宅へ。ロンドンの自宅付近では国旗やバンターを飾っている家は殆どありませんでしたが、義母の住む村の周りではお祝いの飾りつけがいっぱい。

ロイヤリスト (?) の義母は、TVの前に陣取ってずーっと観てました (^^; 私はお昼の支度を早めに済ませ、ウエストミンスター寺院内での戴冠式とその後のパレードを視聴。生憎の雨でしたが、さすが長い歴史と伝統を持つイギリス、こういう式典はお手の物ですよね。

   

翌日の日曜日、近所の人が集まるストリートパーティがあって、私たちも招いてもらっていました。「何も持って行かなくてもいいのよ」と言われていたのに、直前になってやっぱり持ち寄りだということが判明。手巻きすしは前夜食べちゃったし、冷蔵庫にめぼしい食材が何もない!! 大急ぎでポテト入サラダを作り、冷凍庫に入っていたピザを焼きました(^^;

外に出てみると、ユニオンジャックの飾りのついたテーブルクロスに、チャールズ王の写真入り紙皿・コップと気合入りまくり。ご近所の皆さんの手作り料理も本格的ーーなんか非常に申し訳ない~。でも、大変美味しくいただきました♡

思いがけず戴冠式のお祝いを経験できて、とてもいい思い出になりました~。

やっぱりコロナは油断大敵

2022年も残すところ2日となりました。結局、クリスマスは独り家で隔離生活を送り、3日前にやっと陰性となりました。一昨日は、友達と彼女の犬と雨のハムステッドヒースを散歩。昨日は久しぶりに太陽が顔を出したので、義両親のところから戻ってきた家族と一緒にハイゲートの森とマズウエルヒルの街を歩いてきました。

久しぶりに吸う外の空気、風景がありがたかったです

日本では第8派で感染者が増えているようで、とても心配ですね。もう検査をしていないイギリスでも、詳細は不明ながら多分増えていると思います。中国で感染爆発がおきていることを考えると、オミクロンの変異種が出現するのではないかと脅威。

それでなくても、世界中で経済不安や自然災害の被害が多発しているのに。この上、また中国から新たに強力な変異種が出てきたら、再び世界的な危機になるのでは…。でも、イギリス政府は水際対策を強化してなくて、またまた同じ轍を踏むのではとすごく心配です。

私が初めて体験したコロナは殆ど症状もなく、めっちゃ軽いものでした。でも、一緒にでかけた友達を感染させてしまい、罪悪感でいっぱいです…。

完全に陰性になるまで7日間、3日間はすごく薄い線でした

誰かの参考になるかもしれないので、ここに記録しておこうと思います。

12月19日(月): 午前中は全く普段通りで、お昼を食べてからテートモダン美術館で友達と合流するために外出。まずはウエストエンドにある日本食スーパーへ。お正月用のお餅(1kg)やら、お好み焼き粉やをら買い込み、結構な重さ…。

雨のなか地下鉄を乗り継いでバンクサイドにある美術館へ。荷物が重かったので、なんかちょっと疲れたな~と感じてました。やってきた友達も疲れ気味だったので、まずはカフェでコーヒータイム。休憩して元気が出てきたところで、お目当てのセザンヌ展を観たのです。

その後、ラウンジで休憩しておしゃべりしたのですが、その時に咳が出始めました。「あれっ?! どうして急に」とは思ったのですが、私は喉が弱くて花粉や埃アレルギーもあるので、喉が痛くなったり咳がでたりは珍しくないんです。

「もしかして、コロナじゃないの?」

「えっ、違うよ!」

そんな会話をして、地下鉄の中ではマスクをして帰宅。この頃から、「あれ少しお腹が変?」と感じていたのですが、ラテのミルクが合わなかったのかなと呑気に思ってました。

その2週間ほど前に夫が酷い風邪をひいて1週間ほど具合が悪く、引き続き息子も調子が悪かったのですが、ふたりともコロナは陰性。それをもらっちゃったのかなと…。

息子が作った夕食を食べて寛いでいると、別の友人から「ついにコロナになちゃったから、水曜日は会えない」とお知らせが(彼女も初めて感染)。

そこで、少し心配になって検査してみたら――えーっ、陽性???!!!

そんなバカな?!

だって、だって、今は咳も殆ど出てないし、熱もないし、疲れてもいないし――なんだか狐につままれたような気分。

でも、結構くっきりと陽性のラインが出たのでした…。

慌てて、息子に告げ、一緒に美術館に行った友達に電話。息子は「もう絶対に染ってる」といいつつ検査したら、陰性。ほっ。

「ああ、私も絶対に感染する」と言う友達に対しては、「お願い、どうか伝染らないで~!!!」と祈るばかり。

仕事から帰ってきた夫も陰性。クリスマスイヴまであと6日という微妙なタイミングでした。

思い起こせば、前の週はイギリス全体が強い寒気に襲われ、根雪が残っていた期間。だから、仕事以外は極力出歩かないようにしていたはず。でも、5日前に学校の文化祭があって、混み合う講堂に20分位いたな…。生徒たちは体調悪そうじゃなかったし、3日前に一緒にウォーキングしたママ友2人も元気だったし。買い物の時はマスクしてたし…一体、どこで?!

12月20日(火)~23日(金): 時折たん絡みの咳が出るくらいで、一向に具合は悪くならず。家族3人が家の中でマスクをして、私は寝室と物置のような極小のスタディに籠もりきり。夫と息子は同時に同じ部屋にいない様にして、バスルームも分けました(屋根裏部屋の息子の部屋にバスルーム付けて正解)。

12月22日(木): 友達とは毎日のように電話していたのですが、3日後にとうとう陽性に!! 独り暮らしの彼女はXmasはお母さんのところに行く予定(イギリスのXmasは日本のお正月と同じ感じです)だったので、二人のクリスマスを台無しにしてしまいました…。本当に、本当に申し訳なかったです m(__)m

12月24日(土)クリスマスイヴ:  うちの家族は陰性だったので、まだうっすらと陽性の私を残してノーサンプトン州の義両親宅へ。持病もある高齢の義両親に染したらそれこそ大変なので、陰性でも行かないつもりでした。

やっと自分でキッチンに立ってご飯とお味噌汁などを作り、ふーっと一息ついたのでした^^; 夫と息子の料理、美味しかったけどさすがに日本食が食べたくなりました。

12月24日(日)クリスマス:  午前中は海賊版のライストで全日本フィギュア選手権を観戦し、しっかりローストディナーを料理。友達からもらった贈り物をあけて、独りクリスマスを楽しんだのでした。また、ウォーキング友達が家に寄ってくれて、2階の窓からおしゃべりも。すごく有り難かったです。

そんな感じで私はのんびり家で寛いだのですが、感染させてしまった友達の具合が悪化し、発熱・悪寒・頭痛・吐き気・咳・倦怠感などフルコースだったそう。4日間ほど寝込んだとか…。

もう罪悪感しかないです…。

私と同日にコロナになった友達は、そこまで酷くはならなかったものの、それでも発熱・倦怠感・咳・肺の痛み(1日のみ)があって4日間はしんどかったと言っていました。

一体どこで感染して、どうしてこんなに軽症だったのか、不思議でならないです。

でも、自分は軽症や無症状でも、もし誰かに感染させてしまったら、その人も同じように軽症とは限らないということを身をもって体験しました。特に、持病がある人や高齢者には要注意。これからは、もっと気をつけてこまめに検査しようと思っています。

ちなみに、私はワクチンを4回受けましたが、それでも症状が重くなるケースが多々あるようです。

イギリスではコロナだけでなく、酷い風邪やインフルエンザも同時に流行っているので、コロナ同時に罹患するという可能性もあるかと…。

皆さん、身体にはくれぐれも気をつけて、良いお年をお迎えください。

追記: 感染させてしまった友達も昨日やっと陰性になり、今日お母さんのところに出かけていきました! 本当に良かったと思う反面、申し訳なさは減らず…ずーっと悔いが残るでしょう。

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ISU フィギュアスケート イギリス・シェフィールド杯

もう11月も後半ですね。しばらくブログをお休みしてしまいました。

私はずーっと昔からフィギュアスケートのファンなんですが、今年ISUグランプリシリーズの試合が、初めてイギリスで開催されることになりました。ロシアがドーピング事件と戦争で、中国がゼロコロナ政策で開催中止となり、急遽シェフィールドが立候補したのです。

イギリスでの国際大会ってめったにないので、先週末11~13日に観戦してきました。また、シェフィールドには主人の大学時代の友だち家族がいるので(お互いの結婚式に出席した後、私は今年春に再会(^^;)、泊めてもらって親交を温める目的も。

        グランプリシリーズが開催されたアイスシェフィールド(IceSheffield)

最終日は路線工事のためロンドンに戻るのに電車とバス乗り継ぎで5時間近くかかり、夕方7時からのエキシビションは観れず…。寒かったためか翌日から何年振りかの風邪をひき、ダウンしていました。最近、緘黙ブログが少ないと思いつつ、記念のためにフィギュア観戦のことを書き留めておこうと思います。

    赤丸急上昇中、アイスダンスのフィアー&ギブソン組(英)

イギリスで有名なスケーターといえば、思い浮かぶのはトービル&ディーンとかロビン・カズンズぐらい? ひと昔前という感じですが、最近アイスダンスのフィアー&ギブソン組がぐんぐん頭角を現してきて、今年は世界トップ5に入りそうな勢いです。

日本人選手で参戦したのは、女子シングルの三原舞依と男子シングルの佐藤俊、島田高志郎、壷井達也の4選手のみ。熱烈応援しているアイスダンスのかなだい組が来なくて残念でしたが、とにかくこの機会を逃す手はない。途中、お誘いしたスケオタ友が抜けてしまったものの、独りでも行く気満々(^^;

(国内のフィギュア人気が低いから、チケットは安いんじゃないか?! そう考えていた私は甘かった…イベント通し券は300ポンド(約5万円)+手数料。う~ん、さすが国際大会)

  

  私の席はジャッジ席の左側で1列目はカメラマン席。ジャッジがメモを取りながら、ボタンを押すところもバッチリ見えました。各試合の前に人の手で穴を埋めてから製氷車で氷を整えます。6分間練習は大迫力

で、実際に行ってみたら会場が小さい!1500人収容だそうで、TV画面で観る選手たちが3Dビジョンになって飛び出してくる様な感じ。臨床感と躍動感が半端なかったです。どういう訳か2列目の席に変更されたので、近くに来る選手たちの表情まで見えました。男子シングルで1位になったダニエル・グラッスル選手(伊)が、目の前で3Aを決めてニッコリ笑うと、左隣の若い英国人女子達から「キャーッ!!!」っと悲鳴が(^^;

友達宅が会場と正反対の方角だったのもあり、私は午前中の公式練習はパスして試合から見たのですが、TVで観るのと違って選手たちの体格や滑りが目の前。「こんな感じなんだ~」と発見がたくさんありました。例えば、小柄な選手が多かった女子シングル選手の中で、韓国のヨン・ユー選手はかなり大柄。彼女が滑るとゴーっという音が聞こえてびっくり。その反面、小柄で細い三原選手は丁寧な滑りで殆ど音がしませんでした。

この大会のハイライトは、まず男子シングルのデニス・バシリエフス選手(ラトビア)。ショートで3位につけた彼は、フリーの6分間練習では転びまくり。他の選手がジャンプを決める中、大柄なのですごく目立つ訳です。大丈夫かな~と思っていたら、試合では一度も転ぶことなく演技がどんどん盛り上がり、ジャンプやスピンを決めるたびに「ワーッ!」という大歓声と拍手。滑り終えた時には、皆立ち上がって大会初の総スタオベになっていました。2日目が終了した時点で手が痛かった(^^;

  

   ランビ先生も満足気。佐藤俊選手は丁寧な滑りで3位に

次のハイライトと総スタオベは三原舞依選手。演技前から凄い声援で、会場中に日の丸が。私は持参した小ぶりの旗を振っていたのですが、右側でひとりクールに観戦していた女性が特大の日の丸を取り出し、左隣の女子たちは💛マークの手描きバナーと特大日の丸で大声援。ありがとぉお💛

最終滑走で、しかも前のイザボー・レヴィト選手(米、15歳)が143点出したので、ひとつも失敗できない重大な局面。でも滑り出すと、柔らかさと優雅さの中に力強さも感じられました。技をひとつ決めるごとに大声援が飛び、最後のロングスパイラルで会場は大盛り上がり。こちらも盛大なスタオベとなりましたが、演技が終わって小走りする姿、キスクラで縫いぐるみの陰に隠れる姿が可愛かったです。

  

    なんとグランプリシリーズ初優勝だそう。本当におめでとう!来週のヘルシンキ杯でも上位に入って、是非ファイナルに行って欲しいです。

そして、イギリス人が大熱狂したのが、自国のフィアー&ギブソン!氷の上を飛んでいるような滑りで、応援ともども凄かったです。

表彰式ではロビン・カズンズから花束贈呈

今回、感心したのは英国人スケオタ達の応援。どの選手にも温かい拍手と声援はもちろん、各国の国旗や手描のバナー、縫いぐるみ(小さいのは会場で販売)の投げ入れも多かった。私の左隣は20代の女子3名ほどだったのですが、英国の他に日本、アメリカ、カナダ、ラトビア、ジョージア、スイスなど何種類もの特大国旗や手描きバナー、そして投げ入れ用のヌイグルミも毎日準備。

左隣の子はロマン・サドフスキー(カナダ)の大ファンだったようで、フリーで彼が登場した途端、「あー、気絶する!!!」と絶叫。が、残念ながらジャンプの失敗が多く、ショート1位から総合6位に。それでも、彼女は元気に他選手の応援を続けたのでした。偉い!

今回の観戦で色々な人とおしゃべりしたのですが、海外に観戦に行くという強者も多くて、みんな詳しかったです。中でも、三原選手のファンが多くて、病気のことや昨年の全日本で北京オリンピックを逃したことを話をしたら、「ああ、近くに座ってる日本人ファンから聞いたわ」と(^^;

小規模な会場だったけど、温かい応援が嬉しいシェフィールドのMKジョン・ウィルソン杯でした。ちなみに、スポンサーのMK社とジョン・ウィルソン社はフィギュアスケートのブレードを製造する世界有数の企業なのだそう。ブレードはかつて鉄鋼業の街として有名だったシャフィールドの特産品のひとつなんですね。

ノルマンディの夏休み(その3)モネの家と庭を訪ねて

この旅のハイライトのひとつは、印象派画家クロード・モネ(1840~1926年)が晩年を過ごした家と庭園(Maison de Monet)を訪ねること。拠点としたオンフルールの町からジヴェルニー (Giverny)までは車で約120㎞。高速を使えば1時間半ということで、朝早めに出てパリ方面へと車を東に走らせました。

道中まったく混んでおらず、「これは楽勝!」と思ったのもつかの間。メインの駐車場はすでに満車で、オーバーフローの駐車場へ。「えっ、いつの間にこんなに沢山の車が?! 」という位混んでました~(^^;

チケットは事前に予約しておいたのですが、入口が判りづらくてモネ邸と庭の裏側にあるクロード・モネ通りをぐるりと一周するはめに。やっと入ってみると、家の前には長蛇の列が…。

クロード・モネの名前がついた通りと庭から見たモネ宅。邸宅見学は長蛇の列

20分くらい並んでやっと家に入ると、まず目に入ったのは家中の壁に飾ってある広重、北斎、歌麿の浮世絵の数々。1855年に開国した日本からヨーロッパへと、陶器、扇子、着物、美術品などが大量に流入。日本文化の一大ブームが起こりました。当時は、浮世絵(版画)が陶器や漆器の梱包材として使われており、これが画家たちの注目を浴びたのです。

遠近法を無視したような構図、大胆なフォルムや色使いは、全く新しい美の形・世界として多くの芸術家たちを刺激しました。モネもそのひとりで、30代の頃から浮世絵を集めはじめ、コレクションの総数は290点を超えるとか。モネの代表作である睡蓮は浮世絵の画法の影響を色濃く受けています。

   いたるところに浮世絵のコレクション(左)。アトリエには自らの作品の他、印象派画家の作品が。モネが息を引き取った2階の寝室にはセザンヌとルノワールが飾られて(右)

   薄いピンク系の外壁に鮮やかな緑の窓枠。キッチンはレモンイエローや水色などパステル系が使われていたのが印象的でした

家の前に広がる庭園(Le Clos Normand)は2.5エーカーの広さ。モネが丹精して改造し、広げていった庭には、色とりどりの四季の花々が咲き乱れ、40年間彼の作品のインスピレーションとなったのです。

 

  家屋からまっすぐ続く中央のアーチの両側に広々とした庭が。黄色やオレンジ系の夏の花を中心に、自然の風情そのままに咲き乱れる花々。バラもカモミールも画家の心を癒し、創作意欲をかきたてたんですね

フランスで感じたのは、イギリスとは光が違うなということ。どう表現したらいいのか難しいんですが、より透明で眩しい光。モネの庭の花々を、緑を、より鮮明に息づかせているように感じました。

モネといえば、まず最初に思い浮かべるのが『睡蓮』の絵ですよね。その睡蓮の咲く池のある庭(Le Jardin D’eau)は、道を隔てた向こう側にあります。清流の流れる小川沿いの小路を歩いて行くのですが、片側は竹林風でところどころに緑の橋が架かり、ここにも日本文化の影響が。

  竹林の脇を通って睡蓮の池へ。モネの絵に描かれた緑のお太鼓橋は人だらけ(^^;

モネが偶然通りかかって心惹かれ、定住地と決めてジヴェルニーに移り住んだ頃、モネの経済・精神状態は決して良くありませんでした。最愛の妻、カミーユが幼い子ども達を残して先立ち、パトロンのオシュデは破産という厳しい状態--まだ印象派が革新的と受け止められていた時代。でも、この頃からモネの作品は認められ始め、買い手がつくように。暮らしは安定し、庭師や家政婦などの使用人を雇えるようになっていったのです。

1983年に借りたスタジオ件自宅と小さな庭のついた果樹園を徐々に改装・改造し、1890年には買い取って、更にスタジオや生活スペースを増設。道を隔てて庭に隣接する土地を買い求め、小川を利用して有名な睡蓮の池造りにものり出します。モネは目を患いながらも、1899年から20年に渡って睡蓮や池の絵を描き続けました。

睡蓮の池を後にして、お昼ご飯を食べる場所を物色。モネの作品がたくさんあるだろうと期待して、ランチもかねてジヴェルニー印象派美術館(Musée des Impressionnismes Giverny)へ。レストランが満席だったため、先に展示を観ることにしたんですが、モネの作品は睡蓮の池を描いた1点しかなくて、後は印象派の歴史とその後に焦点を当てた展示(また予習不足)…。シスリー、モーリス・ドニ、モネに大きな影響を受けた平松礼二等の作品などが飾られていました。

2時過ぎにレストランに戻ると、店内はガラガラ。主人と息子はエスカルゴに挑戦し、私はメインに牛肉のカルパッチョ、デザートに巨大な焼きプリンとラテを堪能しました。今回の旅行では一番美味しかったけれど、3人で1万4000円位と、やっぱりすごく高かったです😢 自動的に夜は自炊…。

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ノルマンディの夏休み(その2)印象派の画家たちを魅了した風景

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ノルマンディの夏休み(その2) 印象派の画家たちを魅了した風景

もう10月に入り、場面緘黙およびメンタルヘルス全般の啓発月になりました。が、夏休みの記憶がこれ以上薄れないうちに、まず旅行記を書きとめておこうと思います。

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ノルマンデイに着いて2日目。午前中は拠点としたオンフルール(Honfluer)の町を探索し、午後から北上してイギリス海峡を望む白亜の断崖とエトルタ(Étretat)の庭園を見に行くことに。どちらも風光明媚な観光地として知られ、モネやクールベなど印象派の画家たちが集った町です。

まずはオンフルール旧市街をぶらぶら。なにせ借りたアパートが旧市街のど真ん中だったので、名所は目と鼻の先。今回の旅行はどこに行っても観光客だらけでしたが、その殆どがパリなどの都会からバカンスに来ているフランス人でした。

バラのアーチが美しい公園の前を通って、オンフルールのシンボルとなっている旧港(Vieux Bassin)へ

16~18世紀の細長いタウンハウスに囲まれた旧港は、当時の面影がそのまま。石畳の港畔を歩いていると、まるで中世にタイムスリップしたかのよう。静かな水面に反映する建物やヨットの印影が美しく、モネらが好んで描いたというのも頷けます。モネの師匠だったブータンはこの町出身で、近くにブータン美術館も。

   フランス最古の木造教会、サント・カトリーヌ教会(Église Sainte-Catherine)。広場を挟んで教会の別棟となる木造の鐘楼(現在は博物館)が

次は15世紀に建てられた木造の教会、サント・カトリーヌへ。イギリスとの100年戦争で破壊された石造りの教会を、船大工たちが木造で建て直したもの。資材不足のため近隣の木材を使用し、当時の造船業の技術を駆使して建てたとか。その歴史ゆえ、教会内には船の模型がたくさんありました。

     2コース18ユーロ(現在約2,600円)のランチのお味はまあまあ。エイヒレのバター焼、大鍋に入ったムール貝の白ワイン蒸しは定番。ノルマンディはリンゴ酒シードルの産地で、メニューには必ずアップルパイが

せっかくなので旧港に面したレストランでランチ。当時は間口の大きさで税金の額が決まっていたため、幅が狭く縦に細長い(6、7階建て)タウンハウスが流行したのだとか。

昼食後、白亜の断崖があるエトルタへ。ここにはユニークなエトルタ庭園(Les Jardins D’Étretat)があり、楽しみにしていたのです。セーヌ河口に架けられたノルマンディ橋を渡り、車をとばしてエトルタの町の入口にさしかかると、なんと道路の両脇に路上駐車の車がびっしり(*_*;

海辺のリゾート地とは知ってましたが、こんなに混んでいるとは!(全く予習が足りませんでした(^^;)まだぜんぜん海岸が見えてないのに――なんだかいやな予感。有名な庭園らしいし、駐車場はあるよね?!

その願いも空しく、エトルタ庭園への路はなんと通行止め!仕方なく駐車スペースを探して町をはずれ、やっと車を停めることができました。坂道を25分くらい歩いて崖の上にある庭園へ。ここでも入場券を求める人の長蛇の列…事前に予約しておいて良かった~。

   生垣にいきなり巨大な顔(群)!うずまきのような生垣のデザインは渦潮や波など、ノルマンディの自然を表現したものだとか。庭に設けられたデッキから、アヴァルのアーチ(Porte d’Aval)が見えます

エトルタ庭園はもともと1903年に女優のマダム・テポーが画家モネの援助を得て創設。2016年に造園デザイナーのアレクサンドル・グリヴコが、忘れられていた庭園を樹木と彫刻が織りなす近未来的なコンセプトの庭に再生させました。庭園には15万本以上の植物が植えられ、そこかしこに前衛的な彫刻が。

     アモンの断崖から海を見下ろす礼拝堂とアヴァルのアーチの絶景。右はモネが1819年に描いた同アーチと帆船

エトルタの庭園の西側は小高い丘になっていて、その先は切り立ったアモンの断崖。ここから眺めるアヴァルのアーチ(Porte d’Aval)はまさに絶景!  海を臨む丘の上にはノートル・ダム・ドゥ・ラ・ガルド礼拝堂(Chapelle Notre-Dame-de-la-Garde)が。

予定では、19世紀からリゾート地として有名な海岸まで降りていくつもりだったんです。でも、反対方向に停めてある車まで歩いて戻ることを考えると、ちょっとしんどい…。ということで、絶景を思い切り堪能したあと帰路に着いたのでした。

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エリザベス女王を偲んで

ご存知のように、9月8日にエリザベス女王が亡くなられました。車で通勤中に「女王の健康状態が悪化、王族のメンバーがスコットランドのバルモラル城にかけつけている」とのニュースが流れてビックリ。そして、午後6時半頃に訃報が…。

  19日の国葬まで国中が喪に服します。街中に、インターネット上に、女王の死を悼むメッセージが溢れ、私が住む北ロンドン郊外でも電光掲示板に女王のお姿が

その2日前に、リズ・トラス氏を新首相に任命するニュース映像が流れたばかり。かなりお痩せになったなあと思いましたが、久しぶりにいつもの笑顔を見ることができたのに…。

今年6月に行われた即位70周年を記念する祝祭、プラチナジュビリーも記憶に新しく、訃報を聞いて大きな喪失感を覚えました。私は別に王室ファンではないので、それだけ大きな存在だったということですね。

エリザベス女王の長い治世が幕を閉じ、今ひとつの時代の終わりをひしひしと感じています。首相が変わり経済も悪化する中、イギリスはこれからどうなっちゃうのかなという不安も…。

  月曜日にロンドン中心部に行く用事ができ、バッキンガム宮殿まで行ってきました。グリーンパークを抜けて一方通行で宮殿前にたどりつくまで、途切れない人の波

チャーチルの時代から激変するイギリスで、唯一変わらない存在として国と王室を支えてきたエリザベス女王には尊敬の念しかありません。

私は人生の半分以上をイギリスで過ごしているのですが、ちょうど1990年代前半からチャールズ皇太子とダイアナ妃のスキャンダルが大々的に報じられ、王室の人気が急落した時期に居合わせました。

特に、ダイアナ元妃が急逝した際は、バルモラル城に籠っていた女王が批判の的に(王室メンバーは感情を表に出さないのが慣習、かつ女王はウィリアム王子とハリー王子を保護していた)。女王が国民の声に応えてバッキンガム宮殿に戻り、ダイアナ妃の追悼を述べた頃から事態が好転したように記憶しています。

  バッキンガム宮殿のゲートのみならず、近くの公園の樹木の根元にもたくさんの花束が。近隣の花店では花が売り切れ状態に

社会の変動だけでなく、子ども達が次々と巻き起こすスキャンダルが大きな心労だっただろうことは想像に難くありません。最近でもヘンリー王子夫妻の王室離脱、アンドリュー王子の児童買春スキャンダルなど、英王室を揺るがす事件が起きたものの、的確な対処の故か女王が国民の信頼を損なうことはありませんでした。優れた危機管理能力やバランス感覚をお持ちだったんでしょうね。

訃報の後で知ったのですが、幼いころは犬や馬たちに囲まれた田舎のレディーになるのが夢だったとか。ペットのコーギー犬をはじめ、競走馬のオーナーでもあった女王の乗馬好きは有名です。

            花束といっしょに敬意や感謝を表すたくさんのメッセージも。特に、熊のパディントンからみのものが多かったです

そもそも伯父のエドワード8世が退位しなかったら女王になることもなかった訳で、運命に逆らわず与えられた役割を全うされたんですね。21歳の時に「人生を国に尽くす」と宣言され、主体的にその言葉を守ってこられたんだと思います。

周囲の反対を覆して、13歳の時の初恋の相手だったフィリップ王子と結婚されたエピソードからは、忍耐強さや自分の意思を貫く強さが伝わってきます。

25歳で即位してから96歳まで、70年の在位は英国史上最長。世界的にも72年在位したルイ14世に次ぐ第2位だそう。母君のエリザベス王太后が101歳と長寿だったので、100歳まで頑張っていただきたいと願ってましたが…。

生涯現役という言葉がありますが、エリザベス女王はまさにそのお手本のよう。身体が衰弱していたはずなのに、最後の最後まで公務を行ったのがすごい!

そして、女王のユーモアのセンスも忘れられませんよね。ロンドンオリンピックでのジェームズ・ボンドとの共演、そしてプラチナジュビリーのパディントンとの共演は、女王からの贈りもののような気がしています。それまでは、クリスマスに放送される『女王のお言葉』で、真面目な面しか見えていなかったので。

どうぞ安らかにお眠りください。

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ノルマンディの夏休み(その1)

もう9月に入ってしまいましたね。イギリスは8月末からすっかり秋の気候に変わり、夜は冷えるので長袖が必要。急ぎのフリーの仕事が一段落したので、やっと夏休みの話題です。

この春からイギリスでは3年ぶりにコロナ規制が全て取り払われました。「もう面倒な証明書は要らないし、これが絶好のチャンス!」とばかりに、夏休みに海外に出る人が続出。我が家もフランス北西部のノルマンディ(Normandy)地方に行ってきました。

イギリスから車でフランスに渡るには、フェリーとユーロトンネル(汽車)の2つの方法があります。所要時間はフェリーだと1時間半、ユーロトンネルだと35分くらい。春休みにドーバー港が大混雑してニュースになったため、初めてユーロトンネルにチャレンジすることに。

まずロンドンから車でフォークストーン(Folkstone)まで行き、時間通りユーロシャトルに乗り込みました。夏休みが始まった頃は21時間遅れ(^^;という大混乱があったので、念のため食料と飲み物を持参。

     列車の中にトイレはあるものの、歩き回ったりは禁止。お昼のサンドイッチは車に乗ったまま動く列車の中で

カレーに着いてから、今回の旅の拠点となるオンフルールの町を目指して南西に下りました。行けども行けどもトウモロコシ畑と刈入れを終えた牧草地ばかり。日曜日だったためか、時折通り過ぎる村のレストランやお店は全部閉ってる?! 焦って唯一開いていたアラブ系のミニスーパーを見つけて買い物したんですが、高っ!(◎_◎

オンフルールまでは3時間弱でしたが、その近くで寄り道。アルヴィル=ベルフォス(Allouville-Bellefosse)という村(コミューン?)にあるサン・カンタン教会に行くためです。この教会の敷地内に17世紀に造られた樫の木の礼拝堂があって、その写真を見た瞬間から「絶対行くぞ!」と決めてました(なお、家族は行き先を調べるのが面倒らしく、私の選択がそのまま反映されるのです)。

牧草地がえんえんと続く田舎道をひた走りながら、一体こんなところにあの奇妙なムーミン屋敷みたいな大木があるのかなと、少々不安に…。そうしたら、あった~! ありました!!

 

  教会の片隅にエントツの様な木の家(?)が…フランス最古というこの樫の樹は、中が空洞になっていて礼拝堂が2つあるのです

   1696年に落雷で空洞になった樫の木(当時の樹齢500年?)に礼拝堂を建造。この「アルヴィルの大樫」は樹齢800~1200年と想定され、フランス歴史的記念物に指定されているとか。瓦のような部分は樹を保護するためのこけら葺き。根元近くの礼拝堂が Notre-Dame-de-la-Paix

  樹をぐるりと囲む螺旋階段を上がり、第2の礼拝堂 Chambre de l’Ermiteへ。中には木彫りのキリスト像が

   18世紀の木版画に描かれた「アルヴィルの大樫」(左)。成長してる?! 猛暑の中、緑の葉が生い茂り青いドングリがたわわに実っていて、元気なのにひと安心。人口1200人弱という可愛らしい村(右)

歴史的記念物といっても、柵がある訳でもなく、監視カメラが設置されている訳でもなく、誰でも勝手に見学できるのです。私たちがいた間、バイクでカップルがやってきた他は、地元の人も通りかからず…。帰りに開いていた近くのデリで買い物して、イギリス海峡にセーヌ河が流れ込む河口の港町、オンフルールへ。

人口8000人足らずというオンフルールの町に着いてみると、人気の観光地だということが判明。予約したアパートは旧市街地のどまん中と書いてあったのですが、まあそれほど人通りはないだろうとタカをくくっていました。が、カフェ&レストラン街のどまん中(^^;

また、出発の3週間くらい前までは雨降りの肌寒い気候になるという予報だったのがどんどん変わって、旅行中は1週間ずーっと真夏日という。この夏2度目の熱波襲来の時季に当たってしまったのでした…。

    夕方7時ごろ到着したのですが、まだまだ青空。古い灯台の近くの無料駐車場からアパートまで歩いて8分くらい

   ブティックやレストランが建ち並ぶ石畳の賑やかな通り。途中に次の通りへと続く細い坂道が。中世から残る木組みの家々が可愛らしい

 アパートはこの通りの雑貨店の2階。ベッドルームはホテル風の内装で、居心地もなかなかでした

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ニューヨーク!ニューヨーク !(その6)

お久しぶりです。6月に入ってから何故かとても多忙になってしまい、なかなかブログの更新ができないでいました。やっとNYC旅行記のおしまいの記事です。

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滞在最終日

NYC最終日は雨模様の天気。NYCに来てはじめて傘を使うことに。午前中はアンディーウォーホル展を観るため、地下鉄でブルックリン美術館(Brooklyn Museum)へ。

  

    ブルックリン美術館(左)で開催されていたウォーホル展。自身と母親ジュリアの肖像画(右)。ジュリアは1952年にNYに移り住み20年ほど息子の世話をし続けたとか

『黙示録(Revelation)』と題されたこの展示会は、ポップアートの旗手として知られるウォーホルが実は敬虔なカソリック教徒だったことに焦点を当て、それが彼の作品に与えた影響を探るもの。ゲイであることを公言し、ポップカルチャーのカリスマ的存在だった彼が、礼拝のため定期的に教会を訪れていたと知り、すごく驚きました。

また、小学生のころ虚弱だった彼を育み、アートを推奨し、成人してからも支え続けたのは、母親のジュリアでした。その影響は計り知れないものがあります。

ウォーホルの両親は旧チェコからの移民で、アンディ(1987年没)は1928年に米国ペンシルバニア州で3人兄弟の末っ子として誕生。ルテニア東方典礼カソリック教徒の家庭で育ち、一家の中で初めて大学(カーネギー工科大学)に進学した。コマーシャルアートを学んだ後、1949年にニューヨークに移住。『ヴォーグ』や『ハーパーズバザー』など、雑誌のイラストや広告を手掛けるように。

          

    1928年8月に生まれ、洗礼を受けた(左)。1955年の作品、『二つの頭と握られた手(Two Heads and clasped hands)』は繊細なタッチ

1960年にコマーシャルアートからファインアートに転向。翌年、33歳の時にキャンベルスープ缶やドル紙幣を描いた作品を発表し、ポップアートブームの先駆けに。1962年からはトレードマークともいえる、シルクスクリーンプリントを使って作品を量産するスタイルを確立。マリリンモンローやジャッキーケネディなど有名人の肖像をはじめ、大衆的で話題性のあるモチーフが注目を集めた。

1964年にはNYにスタジオ、「ファクトリー(The Factory)」を設立し、『チェルシーガールズ』に代表される実験的な映画や音楽のプロデュースなど多様な芸術の制作に携わる。ファクトリーは新進アーティストのみならず、ミックジャガーやルーリードといったミュージシャン、作家のカポーティ、俳優やモデルなどが集まる社交場となった。1965年には伝説のバンド、ヴェルヴェットアンダーグランド(The Velvet Underground)のデビューアルバムをプロデュース。ウォーホルがロック音楽に与えた影響も大きい。「将来には誰でも15分間は有名人になれる」という言葉を流行らせたのもこの頃。                    60年代のトランスジェンダーのアイコンで、ウォーホール映画のスター俳優だったキャンディダーリン。ファクトリーには当時のセレブが集って制作にも関わったが、モデルや俳優への報酬をケチることで有名だったとか

 

      1970年代の『スカル(Skull)』シリーズの作品(左)。60年代初頭から死をテーマにしたり、光と影を強調する作風を用いた。中央と右は1981~1982年に制作した『銃』『ナイフ』『十字架』シリーズ

40歳の時、ファクトリーの常連だった過激派フェミニスト、ヴァレリー・ソラナス(Valerie Solanas)に襲撃され生死の境をさまよう。1970~80年代にかけては、社交界や政界からもシルクスクリーンの肖像を依頼する人が絶えなかった。代表的な作品は、中国共産党の毛沢東など。80年代にはバスキアやクレメンテらの若手アーティストと交流し、共同制作を行っている。1987年に胆嚢の手術を受けた後、心不全で亡くなった。

  

   1985~1986年、バスキアとのコラボ作品『10個のパンチバッグ(最後の晩餐)(Ten Punchbag (Last Supper)』、ウォーホルはダヴィンチの『最後の晩餐』のキリストを手描きしている。同年作、『あなたは違う?(Are You “Different”?』は宗教的な広告を手描きでトレースしたもの

      

    1985年作、ラファエルの絵をモチーフにした『ラファエル/ 聖母―$6.99 (Rapheal Madonna-$6.99)』。消費社会においては聖なるものも俗物化・商品化?

     

      死去する1年前、1986年に制作された『最後の晩餐(The Last Supper)』はダヴィンチの作品がモチーフ。同じ題材で100以上のパターンの作品を発表している

信心深い家庭で育てられたウォーホルが、アメリカの資本主義社会が象徴する大量生産の時代の寵児になったこと。人間らしい感情を取り払った、コピー機が生み出すような派手な色彩のセンセーショナルなアートが時代の象徴になったこと――その巡りあわせも不思議ですよね。

ということで、ウォーホル展を堪能した後、最後にもう一度NYC在住の友だちと食事をして夜8時ごろ帰路の旅路についたのでした。

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ニューヨーク!ニューヨーク !(その5)

滞在6日目

この日は朝9時半にNYC在住の友達とグランドセントラル駅で待ち合わせ。まず地下鉄でBrooklyn Bridge City Hall駅まで行き、快晴の空のしたブルックリン橋を歩いてマンハッタン島からブルックリンへと渡りました。1883年に開通したブルックリン橋は、鋼鉄ワイヤーを使用した世界最初の吊り橋なんだとか。

        

       天気がいいと風景も気分も全然違いますね。徒歩で30分ほどですが、NYCの絶景を眺めながらのウォーキングなので、それほど長く感じませんでした

ブルックリンに到着したあとは、橋の袂にあるダンボ(DUMBO Down Under the Manhattan Bridge Overpass)地区でコーヒーブレイク。イースト河沿にの倉庫街を改造したお洒落なレストランやショップが並びます。友達が連れて行ってくれたのは、エンパイアドアーズ(Empire Doors)という建物内のタイムアウトマーケットNYという人気スポットでした。

    

 ブルックリン橋のアーチ型鉄柱の向こうに見えるのはエンパイヤステートビル(写真中)。トレンディなエンパイアドアーズNYC

ダンボからCourt St駅まで歩き、そこから電車でニューヨーカーが避暑に訪れるというコニーアイランド(Coney Island)へ。高層ビル群から住宅地へと風景が変わっていき、着いたところは大きな遊園地がある海岸でした。

   遊園地「ルナパーク」はまだ閉鎖中(左)。4月上旬とは思えない上天気

海岸沿いにまたまた3駅ほど歩いて、Brighton Beachというエリアのロシア料理店へ(コニーアイランドにはロシアからの移民が多く、ロシア料理店がひしめいているのです)。そこで昔ロンドンで出会ったもうひとりの知人と感激の再会!最初に会った時はみんなシングルだったのに、今や彼女も私も成人男子の母親になっているというーーう~ん、時間が経つのがなんと早いこと!

   メインのビーフストラガノフと4人でシェアしたチーズケーキ。お味は…まあまあ。近くに世界一有名?!といわれるホットドッグ屋さん、ネイサンズが

 

昔話に花を咲かせながら夕方まで海辺をブラブラ。とても楽しい一日だったけど、さすがに歩き疲れました。グランドセントラル駅の近くでお握り屋さんを発見したので、夜は梅のお握り、ギョウザ、苺大福とみかんをテイクアウト。NYCで食べた中で最も美味しかった食事のひとつかも…。

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