息子の緘黙・学童期 7~8歳(その15)自転車の練習

イギリスでは寒さは緩んできたものの、雨の多い肌寒い天気が続いています。先週の水曜日、雪がちらつく夜に『トーベ・ヤンソンの素晴らしき人生』と題したトークイベントに参加して、素敵な時間を過ごしました。そうしたら、翌日の誕生日から予期せずムーミン関連のグッズをたくさんもらうことに。偶然って不思議ですね。

    親密なトークイベントが行われたのは、私が結婚式を挙げた会場。左がトーベの姪のソフィアさん、右が出版社のナットさん。右のグッズは日本から

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息子の緘黙話の続きです。

中古の自転車を買って、息子が自転車に乗る練習をし始めたのは確か6歳になる前だったと記憶しています。

もちろん補助輪付きで始めたのですが、補助輪が外せるまでに延々と時間がかかったことだけは、よーく覚えています。

息子は足はまあまあ速くてバランス感覚はいいんですが、とにかく身体が固い。ぶきっちょなところもあるし、運動神経は良くないと思います。というか、不安からか新しいことになかなか挑戦しないので、一体どの程度運動神経が良い/ 悪いのか判断しかねていました。

例えば、男の子の友だちと公園に行くと、彼らは遊具の屋根に飛び乗って、屋根と屋根の間をひょいひょい渡ったりすることも。でも、息子はなかなか屋根に上ろうとしないんです。

皆がするように塀をひょいっと飛び越えたりもしないし…。へっぴり腰でやっと屋根に上ったと思ったら、おそるおそる歩いてるし…。慎重すぎるのか?それともできないのか?

ちなみに、7歳になったころ、身体を使った運動をさせようと息子を説き伏せてトランポリン教室に通わせてみました。が、どうしても合わなかったようで長続きしませんでした(^^;

その点、音楽の習い事は長続きしたので、やはり適正というものがありますね。

話を自転車に戻すと、ある程度慣れて速く走れるようになった時点で、補助輪を外してみました。「ちゃんと後ろを支えてるから大丈夫だよ」と言いながら何度か一緒に走った後、息子に気づかれない様に手を放してみたんです。

「あー、できたね!」と、後ろからすかさず褒め言葉をかけました。

が、途中まですいすい走っていたものの、最後にバランスを崩して倒れそうに…。ケガはしませんでしたが、私がなにもいわずに手を離したのがショックだったよう…誉め言葉も全然効かなかった(^^;

ちょっと大きめの自転車だったので、地面に足がつかない状態だったのも恐怖だったかもしれません。

このあと、補助輪なしではもう乗ろうとしなくなりました。すぐ補助輪をつけなおして、「また練習しようよ~」と折に触れてしつこく誘う私。

自転車で走ることは好きだったみたいで、気が向くと家の前の道を一人で何往復もしていました。

そうすると近所の人や子どもと出会う機会が多くなります。

ある夕方、ひとりで道の端まで行った息子。家の前に立っている私のところに戻ってきて、

「マミー、危機一髪だった」

「どうしたの?」

「どっかの子が『お前なにやってんだ?』って聞いてきた。だから、『別に、なんにも』と言って急いで引き返してきた」と。

(そうか、全く知らない子とも話せたんだね)

その会話をしている間にお隣のお爺さんが出てきて、挨拶。

息子は小声で「Oh, bother(うざっ)」と呟きながらも、ペコンと頭を下げて私と日本語で話し続けたのでした。

それから、補助輪を一つだけ外す、またつける――と繰り返している内になんと補助輪が壊れてしまいました(*_*; もう取り付けられない!

それで、補助輪なしで乗らざるを得なくなり、ちゃんと乗れるようになったのです。それは7歳を過ぎてからのことだったと思うのですが…。とにかく疲れました。

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息子の緘黙・学童期 7~8歳(その14)安心できる人と空間

早春の花が次々と咲ほころぶ中、寒さがぶり返して今日は雪が降りました。明日の予報もまた雪マークですが、積もりはしないよう。桃の節句も終わり、かなり日が長くなってきています。

   

亡き母が大事にしていたお雛様といただきもののお茶菓子

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息子の緘黙話しの続きです。

2年生は進歩が止まってしまった感のある学年ではあったのですが、それなりの進歩もありました。

新たに日本から来た転入生と仲良くなって(転入生は自分の過去を知らないと思いこんでいて、アプローチしやすいらしい)、春休みに一緒に公園で遊んだりしました。

なんせ来たばかりなので、当然英語もあまりしゃべれない状態。母子ともに英語での生活に不慣れでした。

息子がリードして英語で積極的に話しかけ、売店でその子の分までアイスクリームを注文した時にはビックリ!「こうやって買うんだよ」と自慢したかったんでしょうね。

その子のお母さんは赤ちゃんを産んだばかりで、息子たちにはあまり注意が向きません。それも息子が大きな声を出したり、気兼ねせず会話したりできる要因だったかも。

よく緘黙児はコントロールフリークと言われますが、自分が主導権を握っている状態だと不安がなくなるよう。学校では借りてきた猫のようにしているのに、こんなに変わるんだ――その豹変ぶりにはしばしば驚かされました。

うんと年下の子や、英語やイギリスでの生活に不慣れな転入生やその母親、怖くない大人に対しては安心――本人がそう意識していなくても、自然に感じ取って反応している様でした。

また、この頃息子が安心できる場所に、自家用車の中というのがありました。運転席には私が座っているし、自分と友達が座っている後部座席はスモークガラスなので安心感が倍増。外からは自分の姿が見えないから、隠れているような感覚だったのかなと思います。

同じ音楽教室に通っていて、B君を通じて友だちになったクラスメイトのS君(お互いの家を行き来する仲で、S君ママとも話せていた)は、かなりのいたずら好きでした。窓を半分くらい開けて、近くを歩いている人に向かって、

「こんにちは、マダム!」

そう大声で叫び、姿を見られないように頭を引っ込めるのです。

それを何度も繰り返しながら、移動する車の中で大笑い。

そのうちに息子も笑いだして、いつの間にかいっしょにゲームに参加しているじゃないですか!楽しい雰囲気だと、普段できないことができてしまうんですね。

ひょんなきっかけで、安心できる場所や人が判明したりするものです。もし判明したら、そのシチュエーションをスモールステップに利用してみない手はありません。

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息子の緘黙・学童期 7~8歳(その13)楽器のレッスンを開始

2月はいろいろな出来事があって、ただでさえ短い月なのに、あっという間に終わろうとしています。イギリスでは春めいた気候から、また寒さが戻ってきました。

    学校の休みと重なった今年のバレンタイン。主人も休みを取っていたので森へ散歩に出かけました

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私が住んでいる地区では子どもの音楽教育に熱心で、毎週土曜日に音楽教室(4~6歳まで)を開催。この年齢の地元の小学生なら、誰でも入れます。内容は歌が中心で、あとはタンバリンやカスタネットを演奏する程度ですが、毎年発表会も。

そして、小学2年(7歳になる年)の春期から、楽器(バイオリン、コルネット、フルートの中から選択)の個人指導を開始。ある程度うまくなったら、吹奏楽と管弦楽に分かれて、能力別のブラスバンドやオーケストラにも入団できます。

楽器のトライアルで息子はコロネット(トランペットより小さいので児童向)を選びました。理由は、初めて挑戦したのに結構音が出て、先生に褒められたから。また、人前で口を使って「吹く」ことが、「話す」練習になるのではないかと考えたからでした。

吹奏楽器のレッスンは、車で15分ほどのところにある地元のセカンダリースクールを借りて行われていました。この時から、私たち夫婦は息子の送り迎えを9年ほど続けるはめに…。

この頃、息子の学校での緘黙症状は「囁き」から「普通の声」へと前進し、教室で先生たちと短いやり取りをすることができていました。

50分の1対1のレッスンだったら、わりと早く慣れてコルネットの先生とも自然に会話ができるようになるかも?

そう考えて、最初は場面緘黙のことを告げませんでした。もし問題が出てきたらその時に対処すればいいやと、ごく気楽に考えていたのです。

初めてのレッスンは私たち夫婦も同席。6歳児なので特別なことではなかったと思うのですが、殆どの子は最初からひとりで行けてたかも。

息子は返事をしないものの、先生の言葉に頷きながら最初から音を出すことができていました。いっぱい褒めてもらった上、新品のコルネットを貸りて帰ることができ、自宅でも上機嫌で練習。真新しい練習帳にはexcellent(優秀)と記されていて、私も嬉しくなってしまったことを今でも鮮明に覚えています。

ちなみに、試しに私も吹いてみたら、全く音が出せず(主人はもう少しマシでしたが)…。息子はそれを見て得意そう。自信のない子どもにとって、こういう体験こそが重要なのかもしれませんね。

翌週のレッスンでは主人が教室で付き添いましたが、3回目のレッスンからはひとりで受けられるように。

私たちがいない方が気楽かも。先生と話せたかな?

期待しながら待っていたのですが、学期末に先生に訊くと一度も会話できていないとのこと…。うーん、やっぱり壁は厚かった(連絡帳にひと言書いてくれても良かったのにな(^^;)。

レッスンは上手くいっていたし、先生は息子が話さないことをさほど気にかけていない様子。子どもを見守ってくれるタイプなんだなと、安心できました。

その時に、初めて場面緘黙のことを手短に説明しました。話さないのは先生のせいではなく不安からだということ。返事をしなくても、本当は話しかけられるのが嬉しいということを強調し、息子のことをお願いしたのでした。

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息子の緘黙・学童期 6~7歳(その12)会食恐怖症ふたたび

早いものでもう2月!1月は学校の生徒たちの模擬試験の準備・実施・採点・通知と所得税の申請で、あっと言う間に過ぎ去ってしまいました。イギリスでは寒さが緩んで例年並みの気候なのですが、ふと気づくとあちこちに春の兆しが。

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さて、息子の緘黙話の続きです。

イギリスの小学校の給食は、通常のメニューの他にベジタリアンメニューを選択できるようになっています。これは本人の好みや家庭の主義、宗教的な理由を考慮してのこと。また、大抵はナッツアレルギーがある生徒のために、ナッツ類は使用されていません。

それは息子の学校でも同じでした。なのに「もしも」の事態を避けるためにと、担任からお弁当に切り替えるよう言われたのでした。

ちなみに、パックランチと呼ばれるイギリス人のお弁当は、大体サンドイッチとりんご等の果物、そして小袋入のスナック菓子(ポテトチップス等)と、すごく簡単。それに比べ、外国人の子ども達(息子の小学校には36か国以上の子どもが在籍)のお弁当は、国際色が豊かでした。

(実は、息子は学校給食が好きでした。というのも、チキンナゲットやフィッシュフィンガー、ピザなどファストフード^^;)やイギリス風のスィーツなど、普段は家で食べられないものが出てくるから。それにもまして、「皆と同じだから目立たない」というのが安心材料だったのかと)

私が作るお弁当はやはり日本式になってしまうのですが、お弁当を始めて割とすぐに食べてくる量が減りはじめました。

「あれ、どうしたの?全然食べてないね?好きなもの入れておいたのに?」

「…. 」

息子は帰宅するやいなやおやつを食べまくるので、お腹がへっているのは明らか。でも、お弁当を食べない理由は言いたがらないのです。

ある日のこと、

「マミー、お弁当におすし(海苔巻き)入れないで」と言われました。

「どうして? 嫌いじゃないでしょ?」

「…ん」

黙り込んでしまった息子が、やっと重い口を開いてぽつぽつ話しはじめたところによると、

「それ何? スシ?」

「私も食べたい!」

「見せて、見せて!」

「今日はどんなお弁当?」

日本式のお弁当が珍しいので、クラスの女の子たちが寄ってきて色々言うのだとか。それが嫌だと…。

多分、彼女たちに悪気は全然なくて、ただ珍しいだけだったんだろうと思います。いろいろ言われたのも毎日ではなくて、最初のうちだけだったのだろうと。

でも、抑制的気質で不安が強い息子にとって、それは驚くべき恐怖の体験だったのでしょう。

自意識過剰がマックスに達し、人目が気になって食べれなくなってしまったようです。

とにかく、人目につかず、目立たず、背景に溶け込んでいること――それが安心できる状態なので(^^;

これって人前でものが食べられない、会食恐怖症という症状ですね。

小学校にあがる前の夏休み(『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その23)』をご参照ください)に一度なったのですが、スモールステップで少しずつ改善。半年くらいで緩和していった過去がありました。でも、また?!

そのうちに治るだろうと楽観視はしていましたが、どうやったら少しでも食べてくれるのか悩む毎日。サンドイッチにしてみましたが、時すでに遅し😢 結局、さっと口に入れやすいようにピンポン玉くらいのお握りとか、ひと口大のおかず類を入れることにしたのでした。

結論からいうと、徐々に食べられるようになっていきましたが、完食してくる日は少なかったような…。この問題は、3年生になってジュニアスクールに移り、給食が再度OKになって解決されました。

抑制的な気質の息子は、不安が強く自意識過剰で、繊細で、人目を気にしすぎ――恐怖症になりやすい子なんだと改めて思いました。

場面緘黙も恐怖症に含めると、6歳までに場面緘黙、犬恐怖症、プール恐怖症、会食恐怖症を(そして多分社会不安も)経験。結果的にどれも治りましたが、子どもも親も大変です。

ちなみに、克服方法は緘黙治療と同じでCBT(認知行動療法)のエクスポージャー法なので、一度身に着ければ本人が自分で活用していけます。

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息子の緘黙・学童期 6~7歳(その11)ナッツアレルギーの診断

もう1月も終わりに近いですね。イギリスでは今週頭から寒さが緩み、例年並みの気温(最低気温が3、4度、最高気温が6~8度くらい)に戻りました。日本は今最強寒波が襲来中らしいので、みなさんどうぞお気をつけて。

    

冷え込みが厳しかった先週、公園の一部が凍ってスケート場化してました(^^;

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さて、息子の緘黙話の続きです。

2年生の1学期が始まって10月に入り、息子をアレルギー専門のクリニックがある大きな病院へ連れていきました。順番を待っている間、息子は待合室にある玩具コーナーへ。他の子ども達は好き勝手に遊んでいるのに、息子はすごくオドオドして、遠慮がちなのが気になって仕方ありませんでした。

待合室に問診票を持ってきてくれた若い医師に、「アレルギーの他に何か気になっていることは?」と訊かれ、つい「他の子と違う気がするんですが、ASDではないでしょうか?」と訊ねてみたのです。

この頃には日本でKnetが創設され、当時「場面緘黙と自閉症は関係が深いのでは?」という話題が多かったため(当時、イギリスでは無関係という説が主流)、「もしかしたら」と不安になっていたのした。

すると、その医師は息子を観察してくれて、「ぱっと見たところでは、ASDのようには見受けられません」と――変なところで一安心。

さて、アレルギーの方はというと、まず「プリックテスト」を行いました。これは皮膚に直接アレルゲン試薬を刺して反応を調べるもの。アレルギーがある場合は、すぐ皮膚に赤い斑点が現れます。

種類の異なるナッツや家ダニ(?)など10種類位をテストしたんですが、小さな腕の内側がみるみる赤い斑点だらけに!  決定的だな、と私にもすぐわかるほど😢

真っ赤に広がった大きな斑点が多かったのですが。薄くて小さいのも。結局、ピーナッツやヘーゼルナッツを筆頭に殆どのナッツに強いアレルギー反応が出て、さらに家ダニや埃も。どういう訳か、アーモンドとピスタチオは大丈夫でした。

専門医によってナッツアレルギーが診断された後、アナフラキシーショックを避けるため、ピーナッツ類を食べることは禁止に。それにはナッツ類の痕跡がある食品も含まれていました。そして、エピペン(アドレナリン自己注射薬)を常時持ち歩くようにと。

アレルギーのことを学校に告げると、何とクラスにもう一人ナッツアレルギーの子がいました! 場面緘黙の子ももう一人いたし、35人のクラスで(6年まで持ち上がり)でこういう偶然もあるものか、と感心することしきり(それだけ場面緘黙やアレルギーが増えているのかもしれませんが)。

そして、規則で学校にもエピペンを置いてもらうことになったのですが、「責任が持てないので、給食は禁止にします。お弁当を持ってきてください」と言い渡されたのでした…。

次回に続きます。

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息子の緘黙・学童期6~7歳(その8)ナッツアレルギー判明

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息子の緘黙・学童期 6~7歳(その10)ナッツアレルギー発覚

めっちゃ遅ればせながら、明けましておめでとうございます。2023年が曇り空で幕を開け、気ずいてみればもう20日過ぎ…。勤めている学校では今模擬試験の真っ最中なんですが、新学期早々からトラブルが多発して、毎日試験の準備とストレスでへとへとになっていました(^^;

   今年のおせち。冬休み後半は、夏にもやってきた日本の幼馴染と再会。美術館に行ったり、バレエを観たり、最後は月夜のテムズ河を散歩

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さて、久しぶりに息子の緘黙話です。書きそびれていたのですが、息子には重篤なナッツアレルギーがあり、現在でもアナフィラキシーショックに備えてエピペン(アドレナリン自己注射薬)を持ち歩いています。

ナッツアレルギーが判明したのは、小学2年生に上る前の夏休み。家族旅行で北イングランドのヨークシャーを旅行した際、ナッツ入のケーキを食べて初めてアレルギー症状が出ました。

数口食べたあと、急に顔色が悪くなり喉を抑えて苦しそう!慌ててオレンジジュースを飲ませたところ15分くらいで回復しましたが、そんな症状が出たのは初めてでした。

その後何事もなく元気になったので、そのまま旅行を続行。帰宅してからGP(主治医)に連れて行き、2年生の1学期が始まった後の10月にアレルギー専門の病院で診察してもらえることに。

実は、イギリスではナッツアレルギーになる子供が多いため、赤ちゃん時代から気をつけてはいたんです。1歳半を過ぎた頃、恐る恐るピーナッツバターを少し食べさせてみたら何ともなかったので、「あー良かった。ナッツアレルギーじゃなかった!」と安心した記憶が…。

それ以降、強いてナッツ類を食べさせるようなことはしていなかったと思うのですが(あまり覚えていない)、ナッツが入ったお菓子などを食べたことはあったかも。とにかく、アレルギー反応が出たことは一度もなかったのです。

赤ちゃん時代からアトピーだったので、頻繁に掃除したり、シーツ類も抗アレルギーのものを使ったり。そういった注意はしてたんですが…。

でも、3歳の頃に猫アレルギーが判明。主人が猫を飼っている友達のところに息子を連れて行った際、ネコが愛用しているクッションで遊んでいたんだとか。主人から「ちょっと顔が腫れた」という電話がかかってきたのですが、ごく軽い感じで言われたので「ふ~ん」とその場は聞き流したのでした。

でも、帰宅した息子の顔を見てびっくり!! 風船のように膨れていたのです!!  ひゃ~っ!!

「こんなに腫れちゃって、どうして病院に連れてかなかったの?!」

と主人を責めたものの、時はすでに日曜日の夕方…。少し経ったら腫れも引いたので、その日はそのまま。翌朝GPに電話したところ、「今腫れていないなら、連れてきても仕方ないから」と言われてしまったのでした。

猫アレルギーであることは間違いないと思ったものの、すごく不思議でした。

というのも、息子は赤ちゃん時代(0-2歳ごろまで)に猫を飼っている友達のところに毎週遊びに行っていたからです。いつも猫を抱っこしたり撫でたりしていたのに、当時アレルギー反応が出たことは一度もなかったのに…。アレルゲンへの耐性容量が限界に達して、反応が出るようになった?

それ以来というもの、猫がいるお宅に行くと、だいたいアレルギー反応が出るように…。症状は目がかゆくなったり、くしゃみや鼻水が出たり、酷い時は顔や白目(これは見ると怖い(^^;)が腫れたり。猫によって出る症状が違っていて、全くでない時も。成長するにつれて症状は軽減し、現在は顔が腫れたりすることはなくなりました。

成長するにつれて体質が変わっていくんでしょうか?

よく、アトピーのある子は成長するにつれてアレルギー疾患が変化する「アレルギーマーチ」を起こすと言われますが、多分息子もそのコースを歩んだんですね😢

アレルギーマーチの解説:https://www.erca.go.jp/yobou/zensoku/sukoyaka/43/feature/feature02.html

遺伝的な要因でいえば、私の母に花粉アレルギーがあって、私と兄も成人してから花粉アレルギーに。姪っ子2人も幼少の頃はアトピーに悩まされました。一方、主人は皮膚が弱くて、真夏でも日焼けしない様に長袖を着ているという(日焼けすると火傷みたいになってしまうので)。

これらの遺伝的な要因と環境要因が複雑に絡み合って、生涯アナフラキシーショックを警戒し続けなければならないほど重度のアレルギーが息子に出てしまったんでしょうね…。なんだか申し訳ない。

幸いなことに、喘息にはならなかったし、体はかなり丈夫な方なので(ちなみに、コロナの超濃厚接触者となりながら2度とも罹患せず)、その点はまあまあ安心。また、イギリスではナッツアレルギーが多いため、食品の成分表には太字で表示され、レストラン等のメニューにもナッツの使用が明記されていることが殆ど。本人が常に注意していて、一般にも知識が浸透しているので、その点は安心と言えるかも。

でも、ナッツアレルギーが判明したことで、学校である問題が起きることとなりました。その話を次回したいと思っています。

 

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やっぱりコロナは油断大敵

2022年も残すところ2日となりました。結局、クリスマスは独り家で隔離生活を送り、3日前にやっと陰性となりました。一昨日は、友達と彼女の犬と雨のハムステッドヒースを散歩。昨日は久しぶりに太陽が顔を出したので、義両親のところから戻ってきた家族と一緒にハイゲートの森とマズウエルヒルの街を歩いてきました。

久しぶりに吸う外の空気、風景がありがたかったです

日本では第8派で感染者が増えているようで、とても心配ですね。もう検査をしていないイギリスでも、詳細は不明ながら多分増えていると思います。中国で感染爆発がおきていることを考えると、オミクロンの変異種が出現するのではないかと脅威。

それでなくても、世界中で経済不安や自然災害の被害が多発しているのに。この上、また中国から新たに強力な変異種が出てきたら、再び世界的な危機になるのでは…。でも、イギリス政府は水際対策を強化してなくて、またまた同じ轍を踏むのではとすごく心配です。

私が初めて体験したコロナは殆ど症状もなく、めっちゃ軽いものでした。でも、一緒にでかけた友達を感染させてしまい、罪悪感でいっぱいです…。

完全に陰性になるまで7日間、3日間はすごく薄い線でした

誰かの参考になるかもしれないので、ここに記録しておこうと思います。

12月19日(月): 午前中は全く普段通りで、お昼を食べてからテートモダン美術館で友達と合流するために外出。まずはウエストエンドにある日本食スーパーへ。お正月用のお餅(1kg)やら、お好み焼き粉やをら買い込み、結構な重さ…。

雨のなか地下鉄を乗り継いでバンクサイドにある美術館へ。荷物が重かったので、なんかちょっと疲れたな~と感じてました。やってきた友達も疲れ気味だったので、まずはカフェでコーヒータイム。休憩して元気が出てきたところで、お目当てのセザンヌ展を観たのです。

その後、ラウンジで休憩しておしゃべりしたのですが、その時に咳が出始めました。「あれっ?! どうして急に」とは思ったのですが、私は喉が弱くて花粉や埃アレルギーもあるので、喉が痛くなったり咳がでたりは珍しくないんです。

「もしかして、コロナじゃないの?」

「えっ、違うよ!」

そんな会話をして、地下鉄の中ではマスクをして帰宅。この頃から、「あれ少しお腹が変?」と感じていたのですが、ラテのミルクが合わなかったのかなと呑気に思ってました。

その2週間ほど前に夫が酷い風邪をひいて1週間ほど具合が悪く、引き続き息子も調子が悪かったのですが、ふたりともコロナは陰性。それをもらっちゃったのかなと…。

息子が作った夕食を食べて寛いでいると、別の友人から「ついにコロナになちゃったから、水曜日は会えない」とお知らせが(彼女も初めて感染)。

そこで、少し心配になって検査してみたら――えーっ、陽性???!!!

そんなバカな?!

だって、だって、今は咳も殆ど出てないし、熱もないし、疲れてもいないし――なんだか狐につままれたような気分。

でも、結構くっきりと陽性のラインが出たのでした…。

慌てて、息子に告げ、一緒に美術館に行った友達に電話。息子は「もう絶対に染ってる」といいつつ検査したら、陰性。ほっ。

「ああ、私も絶対に感染する」と言う友達に対しては、「お願い、どうか伝染らないで~!!!」と祈るばかり。

仕事から帰ってきた夫も陰性。クリスマスイヴまであと6日という微妙なタイミングでした。

思い起こせば、前の週はイギリス全体が強い寒気に襲われ、根雪が残っていた期間。だから、仕事以外は極力出歩かないようにしていたはず。でも、5日前に学校の文化祭があって、混み合う講堂に20分位いたな…。生徒たちは体調悪そうじゃなかったし、3日前に一緒にウォーキングしたママ友2人も元気だったし。買い物の時はマスクしてたし…一体、どこで?!

12月20日(火)~23日(金): 時折たん絡みの咳が出るくらいで、一向に具合は悪くならず。家族3人が家の中でマスクをして、私は寝室と物置のような極小のスタディに籠もりきり。夫と息子は同時に同じ部屋にいない様にして、バスルームも分けました(屋根裏部屋の息子の部屋にバスルーム付けて正解)。

12月22日(木): 友達とは毎日のように電話していたのですが、3日後にとうとう陽性に!! 独り暮らしの彼女はXmasはお母さんのところに行く予定(イギリスのXmasは日本のお正月と同じ感じです)だったので、二人のクリスマスを台無しにしてしまいました…。本当に、本当に申し訳なかったです m(__)m

12月24日(土)クリスマスイヴ:  うちの家族は陰性だったので、まだうっすらと陽性の私を残してノーサンプトン州の義両親宅へ。持病もある高齢の義両親に染したらそれこそ大変なので、陰性でも行かないつもりでした。

やっと自分でキッチンに立ってご飯とお味噌汁などを作り、ふーっと一息ついたのでした^^; 夫と息子の料理、美味しかったけどさすがに日本食が食べたくなりました。

12月24日(日)クリスマス:  午前中は海賊版のライストで全日本フィギュア選手権を観戦し、しっかりローストディナーを料理。友達からもらった贈り物をあけて、独りクリスマスを楽しんだのでした。また、ウォーキング友達が家に寄ってくれて、2階の窓からおしゃべりも。すごく有り難かったです。

そんな感じで私はのんびり家で寛いだのですが、感染させてしまった友達の具合が悪化し、発熱・悪寒・頭痛・吐き気・咳・倦怠感などフルコースだったそう。4日間ほど寝込んだとか…。

もう罪悪感しかないです…。

私と同日にコロナになった友達は、そこまで酷くはならなかったものの、それでも発熱・倦怠感・咳・肺の痛み(1日のみ)があって4日間はしんどかったと言っていました。

一体どこで感染して、どうしてこんなに軽症だったのか、不思議でならないです。

でも、自分は軽症や無症状でも、もし誰かに感染させてしまったら、その人も同じように軽症とは限らないということを身をもって体験しました。特に、持病がある人や高齢者には要注意。これからは、もっと気をつけてこまめに検査しようと思っています。

ちなみに、私はワクチンを4回受けましたが、それでも症状が重くなるケースが多々あるようです。

イギリスではコロナだけでなく、酷い風邪やインフルエンザも同時に流行っているので、コロナ同時に罹患するという可能性もあるかと…。

皆さん、身体にはくれぐれも気をつけて、良いお年をお迎えください。

追記: 感染させてしまった友達も昨日やっと陰性になり、今日お母さんのところに出かけていきました! 本当に良かったと思う反面、申し訳なさは減らず…ずーっと悔いが残るでしょう。

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場面緘黙は遺伝する?

もうクリスマスが目前ですね。それなのに、私はここに来て初めてコロナに感染してしまいました~(^^;  月曜日の午後、友達とテート美術館にセザンヌ展を観に行って、そこで咳が出始めて何だか疲れたな~と…。帰宅後、しばらく会っていない友達から「とうとう感染しました」と連絡が。そこで心配になってテストしてみたら、陽性!!(2週間前に主人が、その後息子が酷い風邪をひいたものの、二人ともコロナ陰性だったので油断してました!!)一緒に出掛けた友達に感染させたかもと、罪の意識でいっぱいです…。昨日からは殆ど症状もないのですが、家の中で家族3人が隔離生活中です。我が家のクリスマスはどうなることやらですが、皆さん、素敵なクリスマスを。

   隔離生活で外に出られないので、クリスマスの飾りつけを終えてて良かった…。

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先の3つの記事では、大人になるまで緘黙や不安障害などをひきずり、生まれた娘2人も場面緘黙になったというエイブリーさんについて書きました。

以前にも何度か話題にしたと思うのですが(随分昔のことなので思い出せない(^^;)、親子そろって場面緘黙になったという話は時々ききます。

でも、それは場面緘黙が遺伝する訳ではなく抑制的な気質が遺伝して、環境などの影響で子どもにも緘黙症状が出ているのだと思います。

(そういう私も場面緘黙ではありませんでしたが、高校時代まで「内弁慶・恥ずかしがり屋」と言われ続けていました。学校をはじめ公の場では借りてきた猫状態。その一方で、安心できる場所(家やその近所)ではかなり自を出せていたのです。知りあいが誰もいない他県の大学に入ったことが、自分の殻を破るきっかけとなりました)

元緘黙の大人がよく「緘黙の後遺症」として挙げるのが、人付き合いなど社会性の問題。抑制的な気質の人は引っ込み思案なことが多く、新しいことに挑戦するのに苦手意識があります。また、新しい状況に慣れるのに時間がかかるという特性も。

話せるようになっても、とまどっている内に人の輪の中に入れなくなってしまうこともあるかと思います。そして、一度できた輪の中に入っていくのは結構難しい…。自意識過剰で人の目が気になる上に、自分から働きかけることが苦手なんですね。

緘黙は克服したのに人との関係を築くのが難しい――特に、2人以上のグループでの何気ないおしゃべりが難しいという人が多いのです。仕事だったら、ある程度話題が限られてきますが、普段のおしゃべりは話題が流動的。人数や関係性などによって、何を言い・どんな反応をするか瞬時に決めなければならず、よく考えると複雑極まる対応をしなければならない訳です。

特に、日本では角を立てないために曖昧な表現を使うことが多く、「場の空気を読んで、求められている反応をする」必要性がすごく大きい。また、人の気持ちを配慮する「気配り」の文化があるため、反応が鈍いと誤解されてしまう傾向も。

緘黙児は学校で話せない・思うように行動できない子が殆どですが、社会性が発達する成長期に緘黙になると、社会的な経験を積むことが難しくなります。学校や社会の中で色々な体験をして、どんどん経験を積み重ねて自信をつけていく時期なのに、その体験がすっぽり抜けてしまうからです。

大人とのやり取りもそうですが、同年齢や年が違う友だちとの交流は特に重要。というのも、話し言葉やコミュニケーションに関しても、体験しながら習得していくものだからです。

話し言葉・言語・コミュニケーションの発達は、高校生になってからも続きます。どんどん語彙が増え、文章が長くなり、内容も複雑化していきます。こうしたスキルは、比喩や隠喩を含め、実際に使って相手の反応を見ながら学んでいくもの。ゼスチャーも同じことです。

輪の中で・輪の近くで、見て・聞いて・自分で使ってみて、成功と失敗を重ねながら習得していくのです。十分な会話の練習ができなければ、自信を持って言葉やゼスチャーを使うことはません。

学校で話せない緘黙児にとっては、家庭はもちろんですが、学校外の友達、親戚関係、習い事のサークルなど、なんでもいいので同年代の子どもとの繋がりを持つことが大切かと思います。学校の外で「話せる自分」がいれば、自信や自尊心にも繋がると思うので。また、兄弟・姉妹がいる子は色々話せる間柄だと助かるし、両親とも十分な会話ができれば安心ですよね。

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SM H.E.L.P. 2022年10月サミット(その4・エイブリーさん)保護者も変わる

イギリスは先週から寒気に包まれ、今日は最低気温がマイナス5度、最高気温が2度という経験したことのない寒さです。ロンドンでは日曜日の夜から初雪が降り始め、あたり一面真っ白に。気温が低いので雪が溶けず、踏み固められてアイスバーンに…。10センチ雪が積もったくらいで、交通が麻痺したり、学校が休みになったりというパニックに加え、郵便局・看護師・鉄道などのストで国が機能してない?!

初雪が積もった我が家の小さな中庭に、キツネがやってきました

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エイブリーさん自身の変化

特筆したいのは、娘たちの支援を続けるうちに、エイブリーさん自身にも変化が訪れたこと。子どもが進歩するにつれ、自分も変わらなければと強く感じるようになったそう。

子どもに自信をつけさせるためには:

  • 自分がもっと自由で幸せを感じ、人間関係を充実させて自信を持つ
  • 娘のお手本になる

自分がやっていないことを、子どもにやらせるのは難しいと実感し、上記の2つが必要だと感じたのです。

成人してからも社会不安や場面緘黙を引きずっていたエイブリーさん。何度もセラピーにかかりましたが、なかなか改善しなかったそう。でも、スモールステップで常に小さな挑戦を続けることで、自分自身を変え、社会不安を乗り越えることができたとか。自らの深層心理を見つめ、新しい挑戦に飛び込むのは簡単ではありませんでしたが、最終的には公衆の前でスピーチしたいとまで思うように。

そして、努力を続けた結果、ついに「こうありたい」と思うような人生に切り替えることができたといいます。

社会不安を克服するトレーニングを始めて、自分を愛すること、自分の声を持つこと、自信や自尊心を育てることができるようになったそう。

現在、エイブリーさんは「サンシャイン・マインドセット」というビジネスを立ち上げ、他の保護者や子ども達が内なる光を探し当てる支援をしています(セラピストではなく、米国のICF(International Coaching Federation)の資格を持つコーチ)。

https://sunshine-mindset.com/

エイブリーさんからの言葉

ネガティブに「私は内気だから」「できない」と言っていると、脳はそれを信じてしまいます。まず、「できる」「大声で叫べる」と思うこと。ネガティブな思考からポジティブな思考へと変えること。楽しいと思えた時、それが自信につながるんです。

小さな子どもにとっても、それは同じ。「大丈夫、〇〇ちゃんは勇気があるんだから」と口に出して言うことで、子どもは変わっていけます。

みく感想:

「子育て」は「親育て」といいますが、エイブリーさんはこの言葉通り、自分を変えて満足できる人生を得たようです。社会不安が強かった彼女が、学校や医療関係者に自分からアプローチすることは、どんなに勇気がいったことか。でも、娘たちの支援を勝ち取るために、必死で強くなっていったんでしょうね。小さな成功を積み重ねることで、母と子が少しずつ自信をつけていく姿が見えるようです。

緘黙児の保護者は自らも抑制的な気質の人が多いと思うので、自分から働きかけることが本当に難しい…。でも、子どものためと思えば、結構できてしまうもの。私も試行錯誤の末に色々鍛えられて、強くなれたような気がしています。理解されるのが難しくても諦めずに粘っていれば、なんとか道が開けてくるはず。頑張ってください。

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SM H.E.L.P. 2022年10月サミット(その3・エイブリーさん)親子の緘黙

イギリスでは12月に入って急に冷え込んできました。夕方4時頃になるともう薄暗くて、長~い冬の到来という感じです。光熱費や食料品、ガソリン代などが高騰していて、鉄道、郵便局、医療スタッフや救急車まで、クリスマスにかけてストが目白押し…人々の暮らしがどうなってしまうのか、本当に心配です。

散歩する公園のカフェに温かな光を灯すクリスマスツリーや飾り

<エイブリーさんが行った支援>

長女:4歳ころには緘黙などの症状があるのに気づくが、診断がおりたのは6歳。特に、社会性の問題が顕著だった

次女:2歳半~3歳くらいの時から兆候があり、入園の際に極端な母子分離不安が判明

<小児科・ソーシャルワーカーとの取り組み>

長女の症状に気づいてからすぐリサーチを始め、「場面緘黙」という症状名を発見。小児科医に連絡し、病院を通してソーシャルワーカーと2年ほど取り組みを続けた。しかし、少し進歩したところで、「娘さんは私には話すから場面緘黙じゃない。外でも一言二言話せるから、もう私のサポートは必要ない」と支援を打ち切られた。

<心理士との取り組み>

元主人が長女の学芸会をひとりで観に行き、娘の状態を危惧。「全然動かなくて無表情だった。絶対に何かおかしい」と、心理士を受診することを提案。

心理士とCBTを中心にしたセラピーを続けることで、少しずつ改善。誕生会などではしゃべれないが、先生に質問されたら小さな声で短く答えられるように。

それから次女が誕生。入園したあと、何もせず、何も食べられず、他の子達と一緒に座ることさえできない状態だった。

心理士に相談したところ、長女の症状の他に、社会恐怖や全般性不安障害も。より深刻で、園にいる間は全くしゃべらず、わずかに口を動かすだけ。そこからのスタートだった。

<学校での取り組み>

学校や園でもできる限りの支援を求めた。長女は小学校1年生から、次女は幼稚園からIEP(個人支援プラン)を作成してもらうことに成功。オハイオ州ではIEPのある子どもに予算がつくため、これが大きな転換点に。次女は幼稚園で週に3回TA(教育補助員)がつき、心理学者と相談して決めたゴールを目標に、スモールステップの取り組みを実施した。

保護者は子どもの学校での様子が全く分からないから、学校とのコミュニケーションは大切。子どもの可能性を違う視点で見ることもできる。

<心理士からのアドバイス>

・就学前に担任に会う

・教室内でその時々のゴールを子どもに確認させる

・学校と家庭間のコミュニケーションを密に

<講習会などへの参加>

場面緘黙の講習会にも積極的に参加。学んだ知識や情報をもとに、より効果的な治療法を探って、心理士の治療と並行して取り組んだ。NYで開催しているBrave Buddy’sにも参加した。

次に、娘たちを連れて1週間のSMキャンプに参加。母子分離不安がある次女は最初は嫌がったが、常にオープンに話していたことで心の準備はできていたと考えている。

長女にはキャンプの効果大で、初めてなのに全ての挑戦をクリアできた。その反面、次女には難関だったが、その後も諦めずに3年ぐらい参加した結果か、囁き声で話せるように。

SMキャンプには保護者の講習会もあり、緘黙への理解、取り組みを継続することの重要性、各ステップの実施、不安がどのように機能するか、していい事いけないことなどを学習。不安を抱える保護者にとって、緘黙は改善できるという希望を持てた。キャンプ終了後に普段の生活で何をすればいいのか学べたのも収穫。

成功のモメンタム(勢い)を継続させるため、高額だったが心理士を2人に増やした。場面緘黙を専門とする心理士と月に1度オンラインで話し(母親のみ)、取り組みや対処法を細かく計画。もう一人の心理士に取り組みを実践してもらう方法で、数年間続けた。

<専門家を味方につけること>

母子で取り組みをしていると、母と子の関係がセラピストと緘黙児の関係に変わってしまうことがある。だから、第三者の心理士がいるのはとても大切。その上に、学校関係者と専門家を含めたチームを作ることができれば、異なる場所(家と学校)での子どもの状態や進歩を確認できる。

<薬の服用について>

薬は最後の手段にして、まずできることを全部やってみた。次女の場合はSMキャンプを数年続けたが、心理士に「話す時だけでなく、通常でも不安が強い」と言われ(ASDの可能性も考えている)、服用に踏み切ることに。プロザックを低量から開始。

服用3日目に「私、話してる。どうしてこんなに話せるの?ママ、友達に言って」と、娘から言ってきた(この状態は継続した訳ではなかったよう)。これが、自分から友達に電話する挑戦を後押しすることに。

自分が「声を出せる」「話せる」と解った時、「自分はできるんだ」と考え方が変わり、自信が持てる。色々治療を試してみて、超えられない不安の壁があると解ったら、薬を試してみてもいいのではと思う。

(またまた次回に続きます)

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