息子の緘黙・学童期6~7歳(その20)  プール恐怖症と水泳のステップ

あっという間に6月が終わり、すでに今年も後半に入りました。時間が経つのが異常に早く感じられる今日このごろ…。

  今年は6月中旬の花の見頃にリージェントパークの薔薇園に行くことができました

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またまた、息子の緘黙話しの続きです。

小学校入学直前にプール恐怖症になった息子(詳しくは『息子の緘黙・幼児期(4~5歳)プール恐怖症になる』をご参照ください)。体育のカリキュラムの一環として、水泳の授業が始まったのは1年生(5~6歳)から。

小学校幼児部(Infant 5~7歳)では、保護者がボランティアで着替えなどを支援するシステム。心配だったためボランティアに立候補しようとと思ったのですが、意外にも本人が「絶対やだ!」と拒否。その代わり、2年間パソコンの授業のヘルプで週1回1時間ほど学校に行っていました。

息子の小学校にあったこの保護者ボランティア制度は、子どもが学校でどんな風に過ごしているか垣間見ることができる絶好のチャンス。また、クラスの子ども達の行動や性格、息子とどう接しているかなども判るので、とても有益でした。

息子は水泳の授業には欠かさず参加していましたが、それについては家で何も言わないのです。だから、一体授業中どうしているのか全く不明…。

水泳のヘルパーをしているママさん達とはあまり付き合いがなかったため、息子の様子を探ることも憚られ…。水泳の先生(常勤ではなかった)からも、担任からも、何も言われないまま2年が経ってしまったのでした。

それでも、水に恐怖を感じているだろうこと、泳げていないだろうことは判っていました。だから、なんとか恐怖症を和らげようと、地元のプールに行こうと誘うんですが…これがなかなか。主人に頼んでやっと出かけてもすぐ帰ってきてしまうので、私が粘って水に慣らすしかないーー自分が泳がないのにプールに入るのは嫌でしたが、仕方ありません^^;

なかなか進歩がなくてもんもんとした時期が長かったのですが、水が怖くなくなるにはどうしたらいいのか? 色々考えて準備したのは以下の小道具でした:

  • ゴーグル
  • プールが楽しくなるような絵本

毎晩寝る前に本を読んであげる習慣だったので、子どもがお父さんと一緒にプールで泳ぐ練習をする絵本を借りてきました。これは水を怖れていた子どもが、だんだん水に慣れて楽しく泳げるようになる様子を描いたもの。

それから、ゴーグルを購入して、まずはお風呂で顔を水につける練習を開始。これは平気だった様で、すぐ顔を水につけて口から泡をブクブクして遊ぶように。自信がついたのか、「プールに行きたい」と初めて自分から言いだしたのでした!やった!!

次にプールに行った時、絵本のシーンを真似して手を引っ張ってもらって泳ぐ練習をしてみました(本当は絵本の様に主人にやってもらいたかった^^;)。いつもより積極的に取り組んでくれて、いっぱい誉めることができました。

このプールは時間帯によって波を立てるんですが、この日は浮き輪をつけて自ら一番強い波が来る場所へ。ゴーグルをつけているだけでこんなに大胆になれるんだ、とビックリしました。もしかして、目に水が入るのが怖かった?!

また、帰る間際になって、水がザーザー出ているところへ行き、何度も頭から水をかぶって大はしゃぎ。それまでには考えられない変化でした。

この日はゴーグルをずっとつけていたので、「ゴーグルがあれば大丈夫」と感じていたのは確か。小道具一つでこんなに変化があったのは驚きでした。

とは言っても、別にすぐ泳げるようになった訳ではなく、授業で「◯◯m泳げました」という証明書をもらってくることはありませんでした。もしかしたら、もらえてない子は息子だけだったかも^^;

それでも、緘黙と同様にスモールステップで少しでも前進できたのは、親にとっては大きな喜びだったのでした。

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パリの空の下セーヌは流れる(その3)

3日目はまた同じカフェで同じ朝食を摂り、それからパリ西南部にあるヴァンヴ蚤の市へ。緑の木立の下に小さなストールがずらりと並び、和やかな雰囲気。ここではアクセサリーをいくつか購入。掘り出し物は、鎖が一箇所切れたみさきパールとシルバーの2連ネックレス10€でした。友達は繊細なフレンチレースのブレッドケースを購入。

     なんだか素人っぽい雰囲気の店主が多くて、掘り出し物に期待できそう。ランチは駅前のベーカリーでコーヒーとバゲットサンド

そこから地下鉄に乗って、モンマルトルに向かったのですが、ここでハプニング第3段!アベス駅につく手前で乗ってきた男女3人組が、なんとな~く怪しい雰囲気。私達は席に座らず立っていたのですが、女性の一人が私の後ろにぴったりくっついて、空席に座ろうとしないんです。そして、彼女の手が何故か私の背中に触れてる?!

ドアの近くに立っていた友達が、座っている女性になにやら警告を受けている様子。  はっと思って、後ろを振り向くとリュックの口が全開!!! えええ~っ、耳元に近いのにジッパーを開ける音が全く聞こえず、開けられたのにまったく気づかず!!

とっさに「キャッ」と叫んだら、私に張り付いてた女性はさっと席に座って知らん顔。睨んでいるうちに目的駅に着いたので降りたら、その3人組も降りて次の車両に乗り込んでいったのでした――被害者がでなかったことを祈ります…。

モンマルトルに来た目的のひとつは、高台にあるサクレクール寺院に行くこと。この日は快晴の日曜日で人が多く、陽射しが強くて気温が27度まで上昇。今まで3回行った中で最も混んでました。

    寺院を後にして、テルトル広場を通り抜け、木陰のカフェで一休み。丘を下りながらピカソの初期アトリエなどをぶらぶら散策

ハプニング第4段は、ホテルに荷物を取りに行く途中で立ち寄ったスーパーで起こりました。水を買おうと中腰になったところ、あれっ鼻血!!!

実は、私は1年以上前から鼻血に悩まされていて、パリ旅行の1週間ほど前に鼻の血管を硝酸銀で焼く処置を受けたのです。これでもう鼻血が止まると思いきや、医師にあと2回の処置が必要と言われました。その上、もっと酷くなることもあると…。

まさにその通り、以前より出血多量!!  きゃ~、どうしよう!!! 困っていると、親切な店員さんが従業員室に誘導してくれました。助かった~。

それからホテルに戻ったのですが、トイレで再び出血…。そんなこんなで、予定より少し遅れてパリ北駅に向かうことに…。

また鼻血が出たらどうしようと気が気ではありませんでしたが、無事にロンドンの我が家に戻ることができました~。なんだかハプニング続きの旅でしたが、でもやっぱりパリは素敵でした~。今もお土産を眺めては、あの素敵で自由な空間を想い出しています。

   

パリ土産はギャラリーラファイエットのエコバッグ、マカロン、立体カードなど

         星の王子様のトレーには、凱旋門のお土産屋さんで買ったパリチャームのブレスレットと蚤の市で見つけたアクセサリーたち

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パリの空の下セーヌは流れる(その1)

パリの空の下セーヌは流れる(その2)

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パリの空の下セーヌは流れる(その2)

パリ2日目は近所のカフェで朝食を摂ってからまずは凱旋門へ。今回、初めて上まで登ってみました。次に、シャンゼリゼ通りを歩いて、老舗デパート、ギャラリー・ラファイアットの支店をのぞいてみました。

 

    カフェの朝食(左)。ランチは階下のお洒落なフードコートでベトナム料理をチョイス。生野菜とお酢ベースのソースが胃に優しい

ランチの後は、比較的新しい観光スポット、オテル・ドゥラ・マリーヌ(海軍の館)を見学。コンコルド広場に面したこの美術館は、元は王室の家具調度品の保管場所だったとか。その後、迷いながらフレンチマスタードで有名なマイユブティックへ。

   

奥に行くほど豪華絢爛になるオテル・ドゥラ・マリーヌ

そこからオペラハウスの前を通って、その歴史を19世紀まで遡る老舗デパート、ギャラリー・ラファイアット本館へ。まず屋上に登ってパリの景観を眺めてからお土産を物色しました。

      

     ネオビザンチン様式のドーム型天井が見事な建物は、1912年にオープン。左はオペラハウス

そこからパリで一番古い橋ポンヌフを渡って、シテ島へ。サント・シャペル教会の見事なステンドグラスを堪能してからマリー・アントワネットが投獄されていたコンシェルジェへ行ったのですが、特別展示会をしていて牢獄は見られず…。

      

       地下鉄ポンヌフ駅を降りて地上にあがると、草間彌生の巨大人形が登場(ルイヴィトンとのコラボ)

     

サント・シャペル教会の外観とステンドグラス

夜はホテルの近くの酒屋さん&ブラッサリーで不思議な青魚料理を食べました。後で調べてみたら、どうやらダツという名の魚の酢漬け? この後ホテルに戻ってバタンキューでした。

      

     お客さんがボトル持参でワインやビールを買いに来るお店。違う魚料理を注文したら売り切れでこのチョイスに

3日目は次に続きます。

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パリの空の下セーヌは流れる(その1)

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パリの空の下セーヌは流れる(その1)

3年ぶりにイギリスに戻ってきた友達の希望で、先週末パリに行ってきました。前回パリに行ったのは確か息子が小学校高学年のころだったと思うので、10数年ぶり?!

ロンドンからパリまでは英仏海峡トンネルを走るユーロスターで2時間15分ぐらい。発着駅のセントパンクラス駅はうちから地下鉄で30分ほどの距離なので、飛行機よりずっと気楽。とはいえ、チケットが超値上がりしていて驚きました!

      

   今回泊ったのはパリ北駅の北側、国際色豊かな下町風の通りに佇む小綺麗なブティックホテルでした

友達がホテルのレセプションにあった除菌液を使った際、ちょっとした事件(2号)が起こりました^^;

この除菌液、長いこと誰も使ってなかったのか、ポンプの口が固まってたんですね――友達がポンプを押した途端、なぜか液が対角線上に飛んで受付のお姉さんの目を直撃!!

彼女は急いで目を洗いに行ったんですが、怒り沸騰で顧客サービスはどこへやら…。ドアをバターンと閉め、大声で文句を言いながらお手洗いに駆け込みました。しばらくして戻ってきたので、「大丈夫?」と声をかけたら、「No!!!」とすごい剣幕。

でも、目は開いてたし、病院へ行くほどでもなさそうな…。大謝りに謝ったものの無視。彼女が代わりのスタッフを見つけてくるまで、それから30分ほど説明もなくずっと待たされたのでした。

(ちなみに、前日友達の具合が悪くなり、夜10時すぎに熱を出すという事件(1号)も勃発…もう絶対に行けないと、色々考えて眠れず^^;)

やっと別の人に荷物を預け、大通りのブラッサリーでランチしてから、オルセー美術館とオランジェリー美術館へ。その後、チュイルリー公園とセーヌ河畔を散歩してから、友達の体調を考えてホテルに戻りました。

   ランチはサーモンのカルパッチョ。オルセー美術館ではルノワール、ロートレック、モネ、ドガ、ゴッホなど印象派の名画を鑑賞

    オランジェリー美術館といえば、モネの睡蓮の大作(縦2m x 横4.3m)にぐるりと囲まれた2部屋が圧巻。ベンチに腰掛けて池の水に映る光や陰影を眺めていると、とても落ち着いた気持ちに。昨年夏にジヴェルニーのモネの家と睡蓮の池を訪れていたので、感激もひとしおでした

   他にも、ルノワール、ピカソ、ユトリロ、モジリアニなどの名作がいっぱい

印象派の後にマチスを観たら、すごくモダンで新鮮でした

私達は事前にミュージアムパスを購入していったのですが、オランジェリー美術館は予約(無料で時間指定)しておいたので、長蛇の列に並ばずに済みました。

2、3日目は次に続きます。

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息子の緘黙・学童期6~7歳(その19) 小2 2つめのIEP(個別指導プラン)

心配していたGCSE(全国試験)日本語のスピーキング試験が無事に終わりました。教官として生徒に質問する間、タイマーで録音の時間を測ったり、各質問の開始・終了を英語で告げたり、なんか心臓に悪かったです…。短時間なのに、帰宅したらどどーっと疲れてました^^;

    5月といえばライラックの季節。毎年、住宅街の中の通勤路で楽しませてもらうのですが、今年はなんだかあっという間に盛りが過ぎてしまった様な…

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さて、息子の緘黙話しの続きです。

2学期の終わりに1つ目のIEPの見直しと評価が行われ(ミーティングに参加したのは担任、SENCo、私の3人)、相談しながら2つめのIEPを作成しました。

ターゲット:出席を取る時に、はっきり聞こえる声で返事をする

  • 達成目標:5回
  • リソース&テクニック:先生に近い最前列の席からスタートし、徐々に後ろの方の席へと移動し、より大きな声で返事ができるようにする
  • 作戦: みんなが聞いていることを意識させ、はっきり聞こえるように話せるようにする

朝一は緊張が高いこともあり、出席の返事をすることは最後の砦のひとつ。でも、あと一学期で2年生も終わりだし、ここで返事ができるようになれば、3年にあがる時に自信が持てるだろう――そう思って、私からお願いしました(^^;

(というか、この学年では担任たちからスモールステップの提案が出たことはなかったです)

息子の学校では、3年生からジュニアスクール(8~11歳)に移行。校舎も教師陣も全て変わり、また新しい環境に身を置くことになるのです。3年からは制服も着なきゃいけないし、勉強も本格的に始まる学年でもありました。

幸いなことに、担任は変わってもクラスはレセプション(小学校の準備コース)から持ち上がり。毎年担任が変わるだけで、クラスは7年間ずーっと同じな訳です。最初はちょっと不満もありましたが、息子が緘黙になってからというもの、とてもありがたく感じてました(自分勝手^^;)。

新しい担任に対して出席の返事ができたら、幸先のいいスタートが切れるのでは――いや、それまでに克服して新たなスタートが切れないものか――とかなり親の願望が入ってたのですが…。まあ、ダメ元で。

事前に息子に「やってみようよ」と話したのですが、「…うん」とちょっと煮え切らない返事。この頃は教室で話すことにも慣れてきて、何よりB君のお陰で友人関係(グループに入ることができた)がぐっと広がり、自信がついてきていた時期でした。

ところで、子どもの反応ってそれぞれ違いますよね?自分の子どものことを一番わかっているのが保護者だと思うので、「この反応ならもう少し押せるかも」「これは一歩前に戻った方がいいかな」など、子どもの状態や気持ちに沿って、その場その場で判断していくことが大切かなと思います。

スモールステップで一歩ずつと計画していていても、その通りに進まないときも多いですよね。一歩も進まず後退するときもあれば、三歩くらいすっと進めちゃうことも。

うちの息子の場合、絶対にやりたくない時は「嫌!」と拒絶します。「…」の時は、本人も「できるかなぁ」と半信半疑の状態。こういう時は、なるべく押してみるようにしていました。

3年めにして初めて咲いた鈴蘭(左)をはじめ、小花も可愛い

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チャールズ国王戴冠式の連休

イギリスでは先週の土曜日、5月6日から今日8日まで、チャールズ国王の戴冠式を祝して3日間の連休でした。戴冠式の様子はTVで観た方も多いと思うのですが、その前後に私が見たイギリスの様子をお伝えしたいと思います。

戴冠式の前夜は友だちと食事をする約束でした。二人とも午後4時ころに仕事が終わったので、どうぜだったら街に出て戴冠式の準備や雰囲気を味わおうということに。

大混雑してるだろうなと思いつつ、バッキンガム宮殿に通じる街道、ザ・マルに行ってみると、あれれそんなに混んでない? 警官が大勢いましたが、割とスムーズに歩道を歩くことができました。

歩道の前列には既にテントが並び、ユニオンジャックのデザインの服や王冠を被ったダイハードな王室ファン(?) が楽しそうにおしゃべり。割と若い人が多いのに驚きましたが、王室ファンというよりも、またとない機会を楽しもうと盛り上がってる感じ?

この日は朝からの雨が止み、曇り空から太陽が顔を出して温かな午後となりました。そのせいもあって、皆さん和気あいあい。

      

街中でもお祝いムード満載。エリザベス女王の戴冠式からすでに70年経っている訳で、まあ何度も遭遇できることじゃないですよね。74歳で国王になったチャールズ3世は歴史上最年長なのだそう。ただ、カミラ王妃(Queen Consort)がカミラ王后(Queen Camilla)として戴冠されることは、知らない人が多かったよう。

戴冠式の当日は、ノーサンプトン州の田舎にある義母宅へ。ロンドンの自宅付近では国旗やバンターを飾っている家は殆どありませんでしたが、義母の住む村の周りではお祝いの飾りつけがいっぱい。

ロイヤリスト (?) の義母は、TVの前に陣取ってずーっと観てました (^^; 私はお昼の支度を早めに済ませ、ウエストミンスター寺院内での戴冠式とその後のパレードを視聴。生憎の雨でしたが、さすが長い歴史と伝統を持つイギリス、こういう式典はお手の物ですよね。

   

翌日の日曜日、近所の人が集まるストリートパーティがあって、私たちも招いてもらっていました。「何も持って行かなくてもいいのよ」と言われていたのに、直前になってやっぱり持ち寄りだということが判明。手巻きすしは前夜食べちゃったし、冷蔵庫にめぼしい食材が何もない!! 大急ぎでポテト入サラダを作り、冷凍庫に入っていたピザを焼きました(^^;

外に出てみると、ユニオンジャックの飾りのついたテーブルクロスに、チャールズ王の写真入り紙皿・コップと気合入りまくり。ご近所の皆さんの手作り料理も本格的ーーなんか非常に申し訳ない~。でも、大変美味しくいただきました♡

思いがけず戴冠式のお祝いを経験できて、とてもいい思い出になりました~。

息子の緘黙・学童期 6~7歳(その18)2年生1学期のIEPの評価

学校の春休みが終わって、最終学期が始まりました。5月中旬からGCSE(General Certificate of Secondary Education 国家試験)が始まり、私の生徒2人も日本語の試験を受ける予定です。が、大事なこの時期に生徒の一人は病院の受診でたて続けに欠席…😢 でも、仕方ない。祝日も続くし、天候も回復してきたし、「なるようにしかならないさ」と自分にいいきかせています。

     今年もイギリスの春の風物詩、ブルーベルの青い絨毯を見ることができました。野生と園芸用(右)では花姿が異なり、色はピンクと白も

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さて、2年生では1学期も終りに近い11月に最初のIEP(個別指導プラン)が作成されました(詳しくは『息子の緘黙・学童期6~7歳(その3)2年生1学期の指導プラン』をご参照ください)。その見直しと評価が行われたのは2学期の終わり(3月末)のこと。

2006年11月からのIEP (2年生No1)

ターゲット1: 大人に聞こえるよう、もっと大きな声で話す

  • 達成目標:異なる小グループ活動で3回
  • リソース/ テクニック:小グループでのディスカッション
  • 作戦:聞き手を意識して、より明確に、人に聞こえるように話すよう促す
  • 担任とTAへの提案:グループ内で発言するよう促したり、テープレコーダーを使ってみる(これは一度も試されなかった)

評価:大きな声を出すことに抵抗がなくなってきている。母親の報告によると、以前よりも積極的になってきたということ。

ターゲット2: 大人に聞こえる場所で、友達と小グループでゲーム遊びをする

  • 達成目標:5回
  • リソース&テクニック:ロール(役割)プレイ、ドラマ、小グループでのディスカッションやゲーム
  • 作戦: 仲のいい友達といっしょに座らせ、安心して話す自信がでてくるまで待つ。参加できたら褒める。
  • 担任とTAへの提案:小グループでロールプレイを使い自信を持たせていく。トライできたら肯定的なフィードバックを返す。

評価:ゲームをしている時、大人が聞いていても気にせず話せるようになった。もう問題ではない。

彼は新しい友人関係を築きつつあり、自信を持ち始めている。話す機会や話題が増えてきて徐々に進歩しており、スタッフ一同大変うれしく思っている。

次学年への移行について:

母親がジュニアスクール(別校舎で別組織)への移行について心配していたため、彼女が安心できるよう移行について説明し、問題のないことを話した。もし必要が出てきた場合は、CHAMS (Child and Adolescent Mental Health Services 児童&青少年メンタルヘルスサービス) へもGP (主治医) を通してアクセルできることを説明した。

IEPミーティングに参加して(担任のE先生、SENCo (特別支援コーディネーター) と私)、なんとなく担任の熱意が見られないなと…。う~ん、今までの担任達と違って、どうも距離をおかれていつような気がする…。

小さい子どもがいるため、ジョブシェアで息子のクラスを担当していたE先生とL先生。実は保護者間では、二人の間の連絡が上手くいっていないんじゃないかと不満が出ていました。

息子のIEPを実行しているのは、担任達ではなくASDのクラスメイトに着いていたTAでした。というのも、息子はこのTAが担当する小グループに入れてもらっていたので。彼女は1年の時に1対1で息子の読本を見てくれた女性で、息子の緘黙や教室での様子も良く知っていました。

どうも、IEPの評価やレポートはこのTAからの報告だけで書いたのではないか?という疑問が…。担任達がどれほど息子に関わってくれているのかは不明で、「ちゃんと緘黙を理解してくれているのかな?」という不安が常にありました。以前のように、担任と保護者がタッグを組んで取り組んでいる、という雰囲気はナシ。

L先生は放課後の教室活動に関わってはくれていたものの、私がやろうとしているスモールステップに関して、質問やアイデアを出してくることも全くなく、あまりピンと来ていないような…。

このIEPミーテンングの後、担任の関心の薄さが判明したのでした(詳しくは『息子の緘黙・学童期6~7歳(その5)持ってる先生と持ってない先生』をご参照ください)。

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息子の緘黙・学童期 6~7歳(その17)自意識過剰と気おくれ

春休みもついに最終週になってしまいました。イギリスでは相変わらず雨模様の肌寒い天気ですが、今日は一日快晴の予報。先週は同じく一日中快晴だった貴重な日に、少し遠くの公園まで行ってきました。

    北ロンドンにあるTrent Park、遅咲きの水仙が風に踊る『水仙の路』やオベリスク、湖などがあって、カフェのサラダが本格的でびっくり

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さて、息子の緘黙話の続きです。

2年生になってから一時的な後退・停滞はありましたが、教室でも徐々に話せる人の範囲が広がってきた息子。春休み明けには「学校に行くのイヤ !」と2日ほど涙を流したものの、ちゃんと登校できました。

長い休みのあとは、すんなりと学校や教室の日常に戻るのが難しいんですよね…。再び学校の環境に身体と心を馴染ませる必要があって、精神的にも大変なんだなと。だから学校に行くのを渋ったり、疲れて機嫌が悪くなったりしても仕方がないことだったのかも。

だからこそ、長い休み中にはクラスメイトと遊ばせるようにはしてたんですが…。

新学期の始めは、学校に近づくにつれて息子の身体が緊張で固まって無口になるのが判るんです。知り合いに声をかけられてもロクに返事ができず、私の手をギュっと握ったりして…。その緊張感は日が経つにつれてほぐれていくのですが…(イギリスでは小2(6~7歳)まで学校の送り迎えが必要です)。

息子はほとんど病気になったことがなく、ラッキーなことに体調不良で学校を休んだことはありませんでした。そもそも、学校を休んではいけないという気持ちが、とても強かったと思います。

緘黙児は基本的に目立つことを嫌うので、毎日同じように行動することが安心につながるよう。学校を休むと目立つし、何か言われるかもしれないという自意識と常に戦っているんですね。

息子がなにをしようが、自分が考えているほど注目されることはないはず。でも、どうしても自意識過剰になってしまい、かえって悪目立ちしてしまうような(^^;

(緘黙だけが理由で不登校になることはないと思うので、もし子どもが強い登校拒否になった場合は、他に理由がありそう。例えば、友達や先生に何か言われた・されたとか、何らかの変化があったとか。そういう時のためにも、担任と密に連絡を取り合えるといいですよね)

抑制的な気質の子どもは、新しいことに挑戦するのが苦手です。また、新しい環境に慣れるのに時間がかかるため、他の子よりテンポが遅れがち(^^;

息子の場合、それは新学期や新学年の始まりだけでなく、普段の学校生活の中で起こることでした。

保護者ヘルプで何度か息子のクラスの行事に付き添った際、即行動できなかったり、気おくれしてしまっている場面に何度も出くわしました。親としては歯がゆいですよね。

例えば、クラスで地下鉄に乗って出かけた時、地下鉄に乗るまでは大人の誘導通り普通にできる訳です。でも、他の子ども達が競って席を取り合う傍ら、息子は突っ立っているだけ。完全に乗り遅れてる…(^^;

みんなが一斉に行動する空気感に飲まれちゃう感じかな?!

先生が「〇〇を取りにおいで!」と声をかけると、みんな我先にと取りに行くのに、息子は引いてしまう。ビビっている間になくなってしまい、結局もらえなかったという体験も多くて。帰宅してから「僕だけもらえなかった」と、ひとり傷ついているのでした。

ひとりっ子なので、家で競争することがないせいもあったのかもしれません。

20歳を過ぎた今はそうかというと、必要ならささっと動ける様にはなっているようです。

実は、私も来週から学校に行くのが嫌なんですよね…(;^_^A

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息子の緘黙・学童期 6~7歳(その16)祖父母との関係

あっという間にもう4月。日本では桜の開花が例年よりずいぶん早かったようですね。3月末に2度目の来日を果たした元生徒さんから、散りゆく東京の桜の画像が送られてきました。イギリスでは雨模様の寒い気候が続き、今日も花曇りです。  

  イギリス中部にある義両親宅の庭と室内から。

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息子がまだ6歳だった16年前(もうそんなに経った?!)のこの季節。私たち家族は学校の春休みを利用して、久々に日本に帰国していました。

当時の記録によると、セントレア空港から岐阜県の田舎にある実家にたどり着いた日の夜、息子が話したのは英語のみ。でも、翌日からすぐじぃじとばぁばに懐き、日本語で話すように。毎日TVを観ていたせいか、ものすごい勢いで語彙が増えてビックリ。

3月31日には父の誕生日をみんなで祝ったり、くるくる寿司に行ったり。畑仕事をする父のそばにくっついて昆虫を捕ったり、小川をせき止めて遊んだりもしました。息子のことを知っている人は皆無だし、実家は息子にとってとても安心できる環境だったんだと思います。

しばらく実家に滞在したあと息子と主人は2日ほど私の友人宅に泊まり、そのあと兄一家を訪ねて神奈川へ。憧れていた新幹線に乗って大興奮し、日本のハンバーグの大ファンに。ただ、初めて会った兄一家には、最初はほとんど口がきけませんでした。

大丈夫かな?

でも、やはり親族だからなのか、慣れるにつれて話せるように。特に、年が離れた2人の従姉にはすぐ懐き、色々と世話を焼いてもらっていました(昔から若い女性に甘えるのは得意)。マクドやコンビニでお弁当を買って、公園で満開の桜を見ながらピクニックを満喫。兄夫婦に息子が場面緘黙であることは伝えておらず、普通に「大人しい子」という印象を受けたよう。

イギリスに戻ってきたあと、初めて日本の祖父母と電話で話すことができました。父が「初めてだな」と感激していたことが今でも忘れられません。

そして、5月のハーフターム休み(学期の真ん中にある1週間の休み)には主人の実家へ。いつもの様にグラニー(祖母)とはすぐに打ち解けておしゃべりする一方、厳格そうなグランダディ(祖父)には近づこうとしません。

それでも時間の経過とともに慣れてきて、最終的にはそれまでになく自然な感じで話せるように。もたれかかって本を読んでもらう姿を見て、感激もひとしお。やっぱりスモールステップもだけど、旅行など社会的な体験の経験値を上げていくことも緘黙の改善に繋がるのではと思います。

義両親には息子の緘黙のことは初めから伝えてありました。でも、義母は「最近では、なんでも病気にして症状名をつけたがる傾向がある」と否定的。配慮などせずに普通に接していればいい、という考え方なのです(今でもそれは変わっていないよう)。

この滞在では、小さな進歩がいろいろ見られました。

みんながいる居間で宿題の読本をやらせようとしたところ、息子はしりごみ。が、側で見ていた義母は「〇〇が本を読むところを聞いたことがないわね。読めないの?」と、挑戦させようとするのです(^^; もちろん、息子は後で私に「絶対読むのイヤ!」とゴネました。

でも、翌日「今日は知らん顔して他のことをしていてください」と、あらかじめ義両親にお願い。部屋の片隅に息子を連れて行き、ちょっとプッシュしてみたら、小さな声で読むことができました。また、遊びに来た叔父と従弟に応答し、彼らの前で初めてコルネットを吹くこともできたのです(これは人数的に味方が多かったためと、自慢したかったため?)

そんな息子を見て、義母は「ほら、成長したから治ったわよ」と。

「それは違います。この子は絶え間なく努力を続けているんです」

そう説明したものの、どうもきちんとは理解されていないようでした…。でも、気にしない、気にしない。

ちなみに、ヴィレッジフェア(村のお祭り)では誰かと積極的に話すことはありませんでしたが、周りに聞こえていても私とはずっと日本語で会話。日本語なら言っていることが解らないので、息子にとっては隠れ蓑だったんですね。

「緘黙児は人に話しているところを見られるのが怖い」といわれますが、息子の場合は「言われていることを理解されるのが嫌」?! なかなか複雑ですね(;^_^A

実は先月末に義父の葬儀をすませ、息子の祖父母の中で残っているのはグラニーのみとなってしまいました…。淋しいばかりですが、できる時にできることを。できる時に、できるだけその時間を楽しむしかないですね。

音楽家の坂本龍一氏が他界したのは、義父のお葬式の日でした。あいにくの雨で、「空が泣いている」と言っていたのですが…。ご冥福をお祈りいたします。

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息子の緘黙・学童期 7~8歳(その15)自転車の練習

イギリスでは寒さは緩んできたものの、雨の多い肌寒い天気が続いています。先週の水曜日、雪がちらつく夜に『トーベ・ヤンソンの素晴らしき人生』と題したトークイベントに参加して、素敵な時間を過ごしました。そうしたら、翌日の誕生日から予期せずムーミン関連のグッズをたくさんもらうことに。偶然って不思議ですね。

    親密なトークイベントが行われたのは、私が結婚式を挙げた会場。左がトーベの姪のソフィアさん、右が出版社のナットさん。右のグッズは日本から

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息子の緘黙話の続きです。

中古の自転車を買って、息子が自転車に乗る練習をし始めたのは確か6歳になる前だったと記憶しています。

もちろん補助輪付きで始めたのですが、補助輪が外せるまでに延々と時間がかかったことだけは、よーく覚えています。

息子は足はまあまあ速くてバランス感覚はいいんですが、とにかく身体が固い。ぶきっちょなところもあるし、運動神経は良くないと思います。というか、不安からか新しいことになかなか挑戦しないので、一体どの程度運動神経が良い/ 悪いのか判断しかねていました。

例えば、男の子の友だちと公園に行くと、彼らは遊具の屋根に飛び乗って、屋根と屋根の間をひょいひょい渡ったりすることも。でも、息子はなかなか屋根に上ろうとしないんです。

皆がするように塀をひょいっと飛び越えたりもしないし…。へっぴり腰でやっと屋根に上ったと思ったら、おそるおそる歩いてるし…。慎重すぎるのか?それともできないのか?

ちなみに、7歳になったころ、身体を使った運動をさせようと息子を説き伏せてトランポリン教室に通わせてみました。が、どうしても合わなかったようで長続きしませんでした(^^;

その点、音楽の習い事は長続きしたので、やはり適正というものがありますね。

話を自転車に戻すと、ある程度慣れて速く走れるようになった時点で、補助輪を外してみました。「ちゃんと後ろを支えてるから大丈夫だよ」と言いながら何度か一緒に走った後、息子に気づかれない様に手を放してみたんです。

「あー、できたね!」と、後ろからすかさず褒め言葉をかけました。

が、途中まですいすい走っていたものの、最後にバランスを崩して倒れそうに…。ケガはしませんでしたが、私がなにもいわずに手を離したのがショックだったよう…誉め言葉も全然効かなかった(^^;

ちょっと大きめの自転車だったので、地面に足がつかない状態だったのも恐怖だったかもしれません。

このあと、補助輪なしではもう乗ろうとしなくなりました。すぐ補助輪をつけなおして、「また練習しようよ~」と折に触れてしつこく誘う私。

自転車で走ることは好きだったみたいで、気が向くと家の前の道を一人で何往復もしていました。

そうすると近所の人や子どもと出会う機会が多くなります。

ある夕方、ひとりで道の端まで行った息子。家の前に立っている私のところに戻ってきて、

「マミー、危機一髪だった」

「どうしたの?」

「どっかの子が『お前なにやってんだ?』って聞いてきた。だから、『別に、なんにも』と言って急いで引き返してきた」と。

(そうか、全く知らない子とも話せたんだね)

その会話をしている間にお隣のお爺さんが出てきて、挨拶。

息子は小声で「Oh, bother(うざっ)」と呟きながらも、ペコンと頭を下げて私と日本語で話し続けたのでした。

それから、補助輪を一つだけ外す、またつける――と繰り返している内になんと補助輪が壊れてしまいました(*_*; もう取り付けられない!

それで、補助輪なしで乗らざるを得なくなり、ちゃんと乗れるようになったのです。それは7歳を過ぎてからのことだったと思うのですが…。とにかく疲れました。

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