ワイト島の夏休み(その6)

イギリスは先週半ばから天候が崩れ、秋晴れの汗ばむくらいの気候から雨模様の日々に。最低気温は10度を割り、夜間は暖房が必要なくらいになってきました。だんだん日が短くなっていく中、コロナ感染は大学寮を中心に拡大してここ3日間は毎日6000人を超える勢い…。コロナ感染も心配だけど、今年末にはEU離脱なのに未だEUとの交渉がまとまらず…イギリス経済は一体どうなってしまうのか、不安が募ります。

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ホリデー6日目はやっと猛暑が去り、通常運転のイギリスの天候に。一転して肌寒い曇り空の下、東部にあるベンブリッジ(Bembridge)の海岸まで行ってみました。ワイト島はヨーロッパ内で恐竜の化石が最も豊富な場所のひとつで、ペンブリッジの東に位置するサンダウンという町には恐竜博物館があります。実は、前日に1億1500万年前の白亜紀に生息していたという新種の恐竜(長さ4m)が発見されたと報じられたばかり。

   

   橋の向こうにあるのは、ベンブリッジの救命ボートステーション。波が全くない湖のような水面――気圧の関係かと思うのですが、凪の海って初めてでした

救命ボートステーションの南側の海岸をてくてく歩いていくと、昨日のライドの砂浜とは全く異なる風景。幾何学模様のような割れ目のある岩が延々と続き、火山活動でできた古代の地層なんだろうなと想像できました。ワイト島自体が白亜紀の堆積物で形成されているそうで、古代にはイングランドと地続きだったそう。この場所を恐竜が闊歩してたのかと思うと、とっても不思議。

   他の海岸では見られなかった貝殻もちらほら。浜辺にはバケツを片手に何か採っているらしい人が結構いましたが、何を採っていたのかは不明

ベンブリッジを後にして、ガーリック農場と島一番のアート&クラフトセンターと宣伝されるアレトンバーンズを覗いてみましたが、うーん今一つ。シーフードを求めて、再びライドの海岸沿いのレストランへ。

今にも雨が降り出しそうでしたが、車で移動中にパラパラ降ったくらい。テラス席で長時間待ってシーフードにありつけました。看板には蟹とロブスター(食材がある時に限る)と書かれていたものの、残念ながらロブスターはなし。

  

ランチの後は、ライドの西側にあるクア修道院へ。ファームショップとティーガーデンが再開したと知り、ちょっとわくわく。赤リスが住む森もあり、今度こそ遭えるかもと期待が膨らみました。

12世紀に設立したクア修道院はカソリックの聖ベネディクト会に属し、ゲストハウス、ビジターセンター、ショップ、アートギャラリーを併設する他、1エーカー(約0.8k㎡)の広大な敷地に農場や果樹園、牧草地や森林があります。農場では野菜と果物の栽培の他、養豚、養鶏、養蜂を行っていて、ファームショップで生産物や加工品(ジャムやチャツネなど)を販売。ホームメイドのケーキや軽食が楽しめるティーガーデンも。市民農園も設けていて、一般の人も野菜造りを楽しめるよう。ウィキによれば12人に満たない修道僧とボランティアで経営・維持を行っているとか。

小さな子ども連れの家族が多く、とってものんびりした雰囲気で、しかも無料。観光客のみでなく、地元の家族連れが敷地内でピクニックやウォーキングを楽しんだり、お茶を飲みにやってくるスポットのよう。赤レンガの壁に囲まれたウォールドガーデンの外側には養豚場があり、豚の母子3家族がそれぞれのピッグペン(ドーム型の豚小屋)で平和そうに暮らしていました。1匹の母豚に子豚が12匹くらいと、子だくさん。

 

1912年に新築した修道院は、ベルギー製の煉瓦を用い、フレンチビザンチンとムーア建築様式を組み合わせた造り。イギリスではあまり見かけないスタイルで、聖堂内はステンドグラス他の装飾が殆どありません。

林を抜けたところに、12世紀から16世紀まで続いた旧修道院跡と、旧修道院の石材を使って19世紀に建てられたクアアビーハウスがあります。後者は英国艦隊の提督だったコッチレン伯爵の邸宅で、娘はヴィクトリア女王の末娘、ベアトリス王女の侍女だったとか。

  ベアトリス王女がハネムーンを過ごし、ヴィクトリア女王も時おり訪れたというクアアビーハウス。誰が飾ったのか、ウサギの置物が…

ファームショップに入る際に名前と連絡先を記入し(コロナ感染に備え)、自家製のハチミツを購入。ティーガーデンで手作りケーキとラテをいただきました。庭園内に良く赤リスが出現するというので粘りましたが、やってきたのはコマドリだけ…。

   コロナ感染防止のためとはいえ、紙コップとバッグ入のケーキはちょっと味気ない?

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ワイト島の夏休み(その3)

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ワイト島の夏休み(その5)

ワイト島の夏休み (その5)

イギリスでは9月に入って学校が再スタートしたのですが、ここ2週間あまりでコロナ感染率が急上昇。先週末から毎日4000人を超える感染者が出ていて、PCR検査システムはパンク状態…。私が働く特別支援学校も再開して今3週目…学校で感染者が出ないことを祈るのみ。さて、ワイト島の夏休みの続きです。

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この日は息子の誕生日。本人の希望で、カウズ(Cowes)のマリーナにあるスパニッシュレストランとヴィクトリア女王の夏の離宮だったオズボーンハウス見学を予約してありました。猛暑は続き、朝から温度がぐんぐん上昇。まずは、北部の港町カウズに行ってマリーナと町を探索。

快晴の海は青く水面がキラキラ輝いてきれい

12時に予約しておいたスパニッシュレストラン、フロントは若いお兄さん2人だけ?どんどんお客さんがやってきて、満席状態に。一番乗りで中庭の席に着きすぐ注文したものの、ドリンから食事が出てくるまでがとっても長かった…。

          息子とお任せタパスを注文。イベリコ豚と海老、ピリ辛のポテトとオリーブ。美味しかったです

オズボーンハウスの予約は2時だったのですが、コーヒーとデザートがまたまた来ない――待った挙句、頼んだデザートは切れていて、コーヒーマシーンも故障中とのこと…。

急いでレストランを出て駐車場まで走りました。カウズとイーストカウズはメディーナ河を隔てて隣同士。通常だったら、フローティングブリッジ(浮橋)と呼ばれる船に車ごと乗り込んで、ほんの数分で渡れるのです。でもコロナ禍のせいで、車の渡しは停止中!仕方なく、ニューポート経由で河の周辺をぐるりと回って25分かけて隣町のイーストカウズへ。かなり長い河なのに、大昔からある渡し舟の歴史を重んじてか、現在でも橋がひとつもないのです…。レストラン選びをした際、Gマップでは車で5分くらいだったのに…。

15分ほど遅刻したものの、無事オズボーンハウスに入場できました。この王宮は1845~1851年の間にイタリア・ルネサンス建築の宮殿を基礎として、ヴィクトリア女王(1819~1901年)のために建築。毎年、夏になると女王一家が滞在し、1861年に夫君のアルバート公が病死した後も頻繁に訪れていたそう。

 

ヴィクトリア女王といえば、世界に植民地を拡大した大英帝国の女王。歴史の教科書などでは、最愛の夫アルバートに先立たれ喪に付した、晩年期のどっしりした肖像画でお馴染み。でも、18歳という若さで即位した彼女は145cmと小柄で、21歳で結婚してから4男5女、9人の子どもを次々と儲けた若き女王だったのです。

オズボーンハウス1階にあるダーバーの大広間 (Darbar Room)は、ヨーロッパの王族をもてなす晩餐会や舞踏会が行われた場所。インド皇帝でもあった女王のステータスを象徴するように精巧なインド式装飾が施され、特に天井のプラスター装飾が圧巻。現地から職人を呼び寄せただけありますね。この他、インドの風景・人物画のコレクションも。

 

海を見渡すテラス。広大な庭園があり、女王一家が海水浴を楽しんだ王室専用ビーチまで歩いていけるのですが、暑すぎてパス。ティーブレイクは、アフタヌーンティーではなくアイスキャンディーとカフェラテにしました。

次は、宿泊先まで戻って水着に着替え、白い砂丘で有名なライドのビーチへ。午後遅かったためか潮が満ちてごく普通の砂浜という感じでしたが、人がまばらな海で気ままに泳ぐことができました。けっこう遠くまで泳いでも、浅瀬が続いていて海底に足がつくんです。砂丘だから?これだったら、子どもでも安心。

 

      イギリスで温かい海って初めてでした。地元の人達は海水が温まる午後遅くに泳ぎに行くよう

食べて、観て、泳いで--息子の20歳の誕生日は真夏の光いっぱいの一日となりました。

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ワイト島の夏休み(その3)

ワイト島の夏休み(その4)

ワイト島の夏休み(その4)

ホリデー4日目は、11時にカリスブルック城(Carisbrook Castle)見学を予約してありました。それまで時間があったので、まずニューポートの波止場にあるアートセンター、Quay Artsへ。個人作家による陶芸品やジュエリー、カードなどが並ぶショップで、自分用のお土産(絵本とネックレス)を購入。

   

カリスブルック城では入場待ちの列ができていましたが、それほど待たずに入れました。小高い丘の上にあるこの城は、1066年にノルマン軍がイギリスを征服した後に要塞として建設。以降、島の権力と防衛の中心部として増築・改装を繰り返して現在の規模に。清教徒革命で逃亡してきたチャールズ1世が監禁されたことで有名です。

城壁から見下ろすカリスブルックの町

  

矢印に沿ってマスクを着けたり外したりしながら、一方通行で見学。途中、あまり暑いので庭園の木陰のベンチで一休みしてから、城壁に登って城の外の風景を眺めつつぐるりと1周しました。

次は中世の街並みが残る可愛らしい村、ゴッスヒル(Godshill) を目指して南へ。ここには1920&30年代のゴッズヒルとシャンクリン(Shanklin)の村を模した、古き良き時代を忍ばせるモデルヴィレッジがあり、前日に急遽予約しておいたのです。近くのパブでフィッシュ&チップスのランチを済ませ、午後の太陽が照りつけるなかいざ入園。細部まで良くできた造りに感動!

 

      原寸の10分の1のサイズ。教会では音楽が流れ結婚式が行われていました。あえて難をいうと、建物や木々はすごく精巧なのに人物モデルがちょっと雑…

   モデルヴィレッジの中に、更なるミニサイズの村があったり、ウィンドターバインの上にサンタがいたりとユーモアいっぱい

今回の旅行では事前の天気予報が外れ、猛暑が長引くこと5日目…。どこにもクーラーはなく、ひたすら暑い。でも、コロナ禍の合間にやっと可能になった旅なので、暑さに負ける訳にはいきません。次は、南海岸のヴェントナー(Ventor)までドライブ。ここにDevil’s Chimney(悪魔の煙突)と呼ばれる、岩の裂け目を通る階段があると知り、実際に見てみたかったのです。

あった~!

サテナビが案内してくれたのは、カフェの駐車場。とにかく車を止めて辺りを見渡すと、右側にpublic path (公共散歩道)のサインが。崖を降りるハシゴの様な木の階段を下って行くと、巨大な岩の裂け目へと続いていました!

感激している私をおいて、主人と息子はどんどん急な階段を降り、下へ下へと移動していきます。岩の裂け目から出ると、また木製の階段が登場。実はこの手造りのデコボコ階段、400段もあるんだそう。岩癖を出たところで小さい子ども連れの家族とすれ違ったのですが、ママだけが息切れしてました…下リはいいけど、上りは辛そう…。

階段が終わると、今度は細い山路。時々下方に海を見ながら40分くらいで、ほとんど人がいない小石の海岸にたどり着きました。なんとか日陰を見つけて、冷たい麦茶とスィーツで休憩。直径2~3cmくらい小石の浜を歩いて浅瀬を歩いたのですが、裸足だったので足の裏がイテテ…でも、水が冷たくて気持ちよかったです。

帰り道、やっぱり私だけゼイゼイ息切れしながら、来た路を引き返し、無事に400段の急階段を上り終えたのでした。あー疲れた。でも、充実した一日でした。

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ワイト島の夏休み(その2)

ワイト島の夏休み(その3)

ワイト島の夏休み(その3)

ホリデー3日目も猛暑の予報でしたが、すでに島の西先端にある白亜の崖、ニードルズ(The Needles) にある観光アトラクションのチケットを購入済…。朝早く出発して、この日のハイライトである断崖から浜辺まで降りるリフトに乗り込みました。

     アラム湾の先にある岬がニードルズ。白亜の断崖の先には離れ小島のような3つの白い岩礁。針のようにギザギザ尖っているのでニードルズ(needles針)の名に。その先端に現在廃墟の灯台が。ニードルズを臨む海岸へはリフト(片道£3約420円)もしくは徒歩で

駐車場で大きめのクーラーバッグを持ってリフトに乗ってもいいか訊ねたところ、「無理」と言われ、ピクニックマットとタオルの入ったバッグのみ持参。マスクを着けていざ乗ってみると、なるほど狭い。そして、地面まで遠い!下に見える高い樹々の枝には、強風で吹き飛んだと思われる帽子が多数引っかかってました。でも、それより目立っていたのが、イギリスで定番になっている青いサージカルマスク――どうやって顔から飛んだんでしょう?

    樹々の緑が途切れた途端、いきなり視界が開けて目の前は空と海!切り立った断崖を急角度で降りていくのですが、これがかなり高い!リフトが簡易すぎて怖いうえ、強風で揺れたらと想像してしまい余計怖かったです。

海岸に着いてみると、何やら行列が。船着き場があって、フェリーかホーバークラフトでニードルズ岩礁の近くまで行けるのです。私たちも早速並んでフェリー(写真左と右 ひとり£7.50(約1050円))に乗り込みました。船内でもマスク&社会的距離は必須

   島に最接近するも、残念ながら逆光…フェリーから見るアラム湾の断崖は、様々な色彩が混じりあってカラフルです

ちなみに、ナショナルトラストが管理するニードルズの白い崖までは駐車場から遊歩道を歩いて20分ほど。19世紀から1945年まで使われていた新旧の軍事要塞基地 Battery(旧は有料)があり、大砲や見張り台、地下室などを見学できます。私は軍事関連にはあまり興味がなかったので予約せず、炎天下を歩くのもパス。

     

12時過ぎにニードルズを後にして、行きに見かけた『この先にティールーム有』の看板を目印に横道へ。行ってみたら大きな庭のあるパブでした。早い時間(イギリス人のランチタイムは1時から)だったためか、予約なしで庭の席に案内してもらえました。

  ワイト島はシーフードで有名ですが、主人が頼んだロブスターは残念ながら材料切れ?イギリスの蟹料理は蟹肉と蟹みそが混ぜてあって、日本のなべ料理の蟹が恋しい…

政府の政策で、8月中(月~水)は『Eat Out, Help Out (外食して応援)』レストラン・カフェで外食すると、食事とソフトドリンクが半額に(最高ひとり£10(約1500円)まで政府が代払)。参加店の表示はなかったのですが、お会計の時に割引されていてラッキー!

人出が足りなくて時間がかかったので(どのレストランも同様でした)、かなりゆっくり休憩できました。午後はワイト島特定自然保護区(島の半分くらいが保護区ですが)で、景観が美しいというニュータウンを目指して北東に移動(ちなみに、ワイト島は車だと1時間弱で1周できます)。ナショナルトラストが管理する中世の港があるというので、炎天下の土手径をてくてく。

  木製の狭い橋を渡って中世の港へ。入江の近くの塩性湿地には蟹や魚、昆虫が生息

午前中はそれほどでもなかったのですが、午後は毎日アイスクリームを3個以上食べていた小学校時代の日本の夏を思わせる暑さ(31-3度くらい?)。ボートで海へ漕ぎ出すこともできましたが、誰も言い出さず…。貸しボート屋さんの脇にあった唯一の日陰のベンチに陣取って、冷えた麦茶と抹茶どらやきで一服――日本人でよかったと思える瞬間でした。今回の旅行ではクーラーバッグに入れた保冷剤2個と凍らせたミネラルウォーター2本、そしてサーモス水筒が保冷力を発揮してくれました。

       とにかく暑い!中世の港はいかにものんびりした感じ。目前の川には体長30cmを超える魚がいっぱい

夜になってもなかなか気温が下がらず、しかも田園地区だったせいか、やぶ蚊(?)が大量発生。日本の蚊より小さくて、羽音がしない!なぜか私と息子だけ20~30か所ほど刺され、痒いのなんの。持参した虫よけスプレーも途中で買った痒み止クリームも全然効きませんでした…。日本の製品は凄いです。

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ワイト島の夏休み(その2)

ワイト島の夏休み(その2)

ホリデーの2日目も猛暑になるというので、午前中は涼しい森の中でウォーキング+ピクニックをすることに。西部にある島最大の森、ブライストーン森林 ( Brighstone Forest)へと車を走らせて駐車場から森へ。

森の中は涼しくて快適でした

実は、ワイト島の住人だった19世紀の詩人、アルフレッド・テニソンに因んだウォーキングコース、テニソントレイル(全22km)を少し歩こうと思っていたのですが、海岸へと続くのは真昼の太陽がさんさんと照りつける一本路。「暑そう、木陰も少なそう…自転車でないと無理」と、さっさと諦めて傍らの日陰でピクニックを楽しんだのでした。

午後3時にナショナルトラストのモティストーン庭園(Mottistone Gardens & Manor)を予約しておいたので、近くにあるブライストーンの村を散策。炎天のもと赤リス(キタリス:ビアトリス・ポッターの物語に登場するのはこの在来種)が住むという林を探しました。1950年以降、イギリスではアメリカからやってきた外来種の灰色リスが激増。かつて350万匹いたという在来種の赤リスは現在は13万匹ほどに。ワイト島は赤リスの生息地のひとつなので、滞在中に一目見たいと熱望していたのです。

でも、汗だくになって目的の林に行きつくも、鳥の声も、生物が動く気配もまったくなし…。かやぶき屋根の家が点在する可愛らしい村でアフタヌーンティーをと計画していたのですが、日曜だったのでカフェは2時で閉店。仕方なく、村の雑貨店でアイスクリームを買って、ベンチで食べたのでした。

    かやぶき屋根の建物は村の図書館

車でモティストーン庭園(Mottistone Gardens & Manor)に移動し、名前を確認してもらって庭へ。その歴史を16世紀に遡るという屋敷は通常から公開しておらず、ティールームもショップもお休み。でも、美しい庭をそぞろ歩くだけで癒されました。

  野草が乱れ咲くワイルドフラワーバンクの向こうは広い芝地で、デッキチェアがあちこちに。息子と主人は庭を探索せずに草の上に寝転がってお昼寝

観光地は7月に営業再開許可がでたのですが、夏のハイシーズンにもかかわらず、ナショナルトラストの観光スポットで開いているのは半分くらい。ちなみに、イングリッシュヘリテージと私営のアトラクションは、コロナ感染防止対策を徹底しつつ、頑張って営業しているようでした。どこも矢印に沿って一方通行で回覧するシステムで、ショップでもレストランでも入口で手をアルコ-ル消毒、トイレは複数あっても一度にひとり使用が原則でした。

次は、波乗りができるという南西部の海岸、コンプトン湾(Compton Bay)へ。大勢の人が押しかけているかと思いきや、割とすいていました。ぼーっと海を眺めたり、素足で波打ち際を歩いたり。夕方の海風が心地よかったです。

            

誰が作ったのか、アーティステイックな砂の城

宿泊先のキャラバンに戻る途中、島の北部にあるパークハースト森林公園に立ち寄って、再び赤リス探し。針葉樹の森に住むという赤リスは灰色リスのように人慣れせず、夜明けか夕暮れに出没するとのこと。誰もいない静かな森でしたが、やはり遭えず――薄暗くなる頃でないとダメなのかな…。

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ワイト島の夏休み(その1)

ワイト島の夏休み(その1)

3月下旬から厳格なロックダウンが続いたイギリスでは、5月下旬から少しずつ解除が始まり、7月にやっと美容室やショップが再オープン。その後、ホテルなど宿泊施設も再開許可が下り、国内でのホリデーが解禁となりました(国外だと感染率が高い国から帰国した場合、2週間の自宅待機が義務)。

元緘黙の息子は、7月に大学のある田舎町から帰省。私たち夫婦は昨年夏休みがなかったのと、8月12日が息子の20歳の誕生日だったので、国内でセルフケータリング(自炊型施設利用)ホリデーに行くことに。ちなみに、息子は昨年ブルガリアとギリシアへ、コロナ禍がなければ今年も海外に行く予定だったので、2年ぶりの家族旅行のチャンスでもありました。

大勢の人が国内を移動することで感染が広がってしまうかもと懸念はありましたが、感染率が低下した現在、経済の立て直しも必要。なによりも、イギリス国民の間で一息いれたいという欲求が大きかったように思います(でも、8月に入って毎日の感染者数が1000人超えるように…)。

とにかくこの機にロックダウンのストレスを解消しようと、8月8日から1週間ワイト島に行ってきました。イングランド南部に位置するこの島は、ヴィクトリア女王が愛したリゾート地として知られ、フェリーで約40分ほど。音楽好きな方は、ワイト島ロックフェスでお馴染みかもしれません。

地図をクリックすると拡大します

ホリデー初日のメインイベントは、観光ではなくサザンプトン港に行く途中に住む友人家族に会うこと。掃除と除染のためチェックインが5時過ぎになるということで、予約したフェリーは4時出港。中庭でタイカレーのランチをご馳走になり、久しぶりのおしゃべりを楽しめました。

ところで、イギリスでは8月7日から6日間、30度を超える記録的な猛暑となりました(ロンドンでは35度超)。が、今年20歳になる我が家のホンダはエアコンが故障中。近々買い替える予定で、2日間くらいの猛暑という予報だったので、修理してなかったのです…。

窓を開けて走っている時はまだしも、止まるとさすがに暑い!サザンプトン港でフェリーを待つ間が一番シンドかったです。フェリー内は冷房が効いていて大助かり。船内はマスク着用で、客同士が離れて座るよう指示がありました。

 

      20歳の愛車の窓から臨むイーストカウズの港。ワイト島では感染予防策が厳しく、掛布団とシーツ、枕を持参するはめに

イーストカウズ港に到着して、まずはスーパーで食料品の買い出し。宿泊先は北東にある港町、ライド(Ryde)からニューポート(Newport)に向かう途中の、のどかな田園地帯にありました。

  ホリデー用宿の泊施設が立ち並ぶ一角にあるキャラバン。2寝室+オープンプランLDKでしたが、トイレも2つあり、なかなかの広さ

近くにショップもレストランも何もなくて、テイクアウトも無理。初日の夕食はサーモン&ポテトと野菜、ワインと炭酸入りミネラルウォーターでワイト島での冒険に乾杯したのでした。

場面緘黙と精神的な発達の関係

8月も半ばを過ぎ、森を散歩していると秋の気配が感じられるようになりました。1週間前には連続6日間の猛暑日を記録したのに、その後一気に気温が下がり、雨や強風が多い変わりやすい天候に。ちなみに、今日の最高気温は22度。イギリスでもやっと収まりかけていたコロナ感染が少しずつ拡大していて、秋の新学期がものすごく心配です。

広葉樹の葉っぱやドングリが地面に落ち始めました

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最近SMiRAの掲示板に、20歳の女子大生からの興味深い投稿がありました。彼女は小さな頃から実年齢より幼いところがあり、小学校の同級生に「ちょっと足りない」と言われていたとか。外見のことも含め12歳で酷い虐めにあい、ものすごく内向的になったと同時に場面緘黙に。それ以後6年間ずっと話すことができず、社会不安も大きかったそう。

大学生になって初めて友達ができ、それから話せるようになり、場面緘黙も社会不安も克服。初めて人生の素晴らしさ、ポジティブな面に目覚めたといいます。そして、それまでの自分を振り返り、いかに未熟で子供っぽい思考だったか――まるで時間が小学生時代で止まってしまったかのようだったと。

これは場面緘黙のせいで話せず、様々なことに参加できなかったため、社会的な体験を積んだり、人間関係を育むことができなかったりした弊害?

詳しくは書かれていませんでしたが、両親が彼女を医者や専門家に連れて行ったことはなかったよう。多分、学校での支援も受けてなかったのでしょう(中東在住と思われます)。

学業の面では自信を持ち、それなりの結果を出せていたそうなので、決して頭が悪い訳ではありません。ただ、社会的な面・精神的な面で非常に未熟で、年齢に見合う思考が全くできていなかったと…。話せる人との会話も年相応ではなかったと…。

長期化した場面緘黙の弊害として、精神的な発達が遅れることはあるのでしょうか?

この投稿には賛同的なコメントが多く目立ちました。自分も同じように感じていたと。成長し、どんどん新しい社会体験を積み重ねていく同年代の子供たち・ティーンたちとは対照的に、自分は殻の中に引きこもって外の世界をのぞくこともできなかったなど。社会不安を克服した後、新しい世界に足を踏み入れた様な気がしたという経験者も。

その中で印象に残ったのは、トラウマになるような事件にあって場面緘黙になった場合は、感情的な成長が止まってしまうこともあるという意見。(注:心的外傷性緘黙Traumatic (Reactive) Mutismは通常の緘黙とは異なり、心的外傷後ストレス障害(PTSD) の症状のひとつと言われています)。これは心的外傷性緘黙の娘の支援をしたという父親の言葉。

娘の心の成長が止まってしまったと心配したこの父親は、専門家に相談したそう。彼によると、6歳の心のままで中学・高校へと進んだため、実年齢と精神年齢がかみ合わず、娘の毎日は恐怖や不安、ストレスでいっぱいだったと。

カウンセラーは、彼女が感じている恐怖は本物だけれど、それらは潜在意識に基づいたもので現実とは異なることをひとつずつ例をあげて本人に説明。不安が徐々に減少し、少しずつ年齢相応の反応ができるようになっていったとか。

今月20歳になった元緘黙の息子(現在大学生で帰省中)にどう思うか聞いてみたら、「緘黙(4歳半~7歳くらいまで)だったせいで、いつも皆と比べて未熟な気がしていた」とのこと…。シャイな性格は昔とそれほど変わらず、人付き合いもそれほど得意ではないようですが、友達もでき大学生活をエンジョイしているようです(割と近くですが、殆ど家に帰ってきません😢)

場面緘黙のせいで精神的な発達が遅れるという学術研究はありません。ただ、緘黙児は学校で声が出ないだけでなく、皆からどんどん引き離されていくような気持になることが多いのだと思います。緘黙になる子は、ただでさえ抑制的な気質で自己評価が低い傾向にあります。引け目を感じて自尊心をなくしてしまわないよう、早期に発見して支援してあげて欲しいです。

場面緘黙とASD(その3)ASDの女性

8月もすでに半ばを過ぎてしまいました。イングランド南部では先週金曜日から6日間30度を超える(ロンドンは32~36度)猛暑日が続き、1961年以来の記録だそう!日本はもっと暑い毎日が続いているようですが、ちょっと想像がつきません。みなさん、熱中症にはくれぐれもお気をつけて!

夏の花がそこかしこに咲き誇っています

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先回、最近までASD(自閉症スペクトラム障害)の女性は、典型的なASDの特質が見えにくいため、見過ごされたり、診断の網の目を潜り抜けてしまうケースが多かったことを書きました。

これは診断を受けずに成人し、何とか社会生活を切り抜けている人も大勢いるということ。じゃあ、それでいいじゃないかと思われるかもしれませんが、そうではないことを学びました。

目立たなくても、彼女たちが実生活で多くの困難を抱えていることに変わりはないのです。

「なぜ自分は皆と違っているのか?」「どうして人並みにできないのか?」「なぜ対人関係が上手くいかないのか?」「どうして社会的な場面にストレスを感じるのか?」

何とか毎日をやり過ごすことができても、コミニュケーションの問題や社会的な困難を克服することはできません。困難を抱え続けることで自分に自信が持てず、自己評価が下がり、二次障害を発症しやすくなるといいます。

診断名がつくことで、なぜ自分が困難を抱えているのか理解できます、自分の存在について納得し、受容することができるのです。これは生きていくうえでの大きな力。

2013年に改訂されたDSM-5では診断基準やスクリーニングツールが見直され、それが診断改善の鍵になっているとのこと。

DSM-5 autism criteria relevant to gender is reviewed, along with the role diagnostic screening instruments play in perpetuating gender bias. Finally, the sensitivity of DSM-5 criteria to females on the autism spectrum is considered within the context of social work practice and research.

DSM-5においては、性別に関連する自閉症基準が、性別のバイアスを恒久化させる診断用スクリーニングツールと共に見直されます。最終的に、自閉症スペクトラムの女性に対するDSM-5基準の感度は、ソーシャルワークの実行および研究の範囲内で考慮されるようになります。

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ASDの女児・女性にも様々なタイプがいますが、私が気になったのは下記の2つ。

  • おとなしくて行儀がいい
  • 内気で受動的

内気、臆病、大人しい、受動的、あまりしゃべらない――世間は「女の子だから」と受容し、男児・男性ほどにはASDを疑いません。内向的な性格というよりも、どう行動・対応していいのか判らないため、黙っていることで対処しているケース。また、後ろの方でみんなのすることを観察・分析しているケース。間違えたり、目立つことを嫌い、大人しくしていれば注目されないことを学習したケースなどがあるよう。

それから、ASDを隠している二次的なメンタルヘルスの問題として、下記の例が挙げられていました。

  • 不安障害
  • 拒食症
  • 統合失調症
  • うつ病
  • 自傷癖
  • 場面緘黙

場面緘黙が出てきたのでハッとしたのですが、ASD児と同じようにSM児にも感覚過敏な子が多いですよね…うちの子もそうでした(成長とともに過敏さは鈍化したようですが)。

ASD児は感覚過敏のために授業や遊びに集中できないことも多いといいます。また、これは別問題かもしれませんが、会話や授業の内容(データ)を処理するのに時間がかかるため、すぐ会話に加われなかったり、答えられなかったりすることもあるよう。

SM=ASDではありませんが、もしかしたら場面緘黙の裏にASDが隠れているかもしれません。

でも、世間話ができなかったり、社交が苦手だったりするのは、長年緘黙で人と関わる体験を積んでこなかったせいもあるのかも…ASDはスペクトラムなので境界線は不明確ですよね…。

実生活で支障がなければそれでいいんですが、悩んでいる場合はやはり周囲の理解と支援が必要だと思います。

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2019年SMiRAコンファレンス(その6-2)ASDの定義

2019年SMiRAコンファレンス(その6)SMとASDへの基本姿勢

2019年SMiRAコンファレンス(その5)SMとASDの対比

2019年SMiRAコンファレンス(その4)SMとは何か?

2019年SMiRAコンファレンス(その3)ASDとは何か?

2019年SMiRAコンファレンス(その2)SMとASD

2018年SMiRAコンファレンス(その5)

場面緘黙とASD(その2)

7月も今日で終わりですね。ロンドンは今日、今年の最高気温36度を記録しました。久しぶりの猛暑だったためか、暑さ負け…なんだか体がだるくて頭痛がします。

でも、晩御飯にそうめんとお魚、サラダを食べたら、ちょっと回復。日本には季節に合わせた食文化があって、やっぱりいいなと思います。次は鰻のかば焼きを食べたいけれど、高くて手が出ないかな…。

真夏の入道雲?

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私が日本語を教えている特別支援学校では、ロックダウン中に多数のオンラインコースを受講させてくれました(というか、義務だったのですが…)。その大部分は、生徒やスタッフの安全を守るためのセーフガード関連。

それとは別に、ASD(Autistic Spectrum Disorder 自閉症スペクトラム障害)の女子生徒が増えてきたことを踏まえ、『少女と女性の自閉症』も受講できることに。これはイギリスの全国的なチャリティ団体、National Autistic Societyが作成した、最新の研究・情報に基づく研修コースです。

SMiRAのFBページでは、ここ5年ほどの間にASD併存やその疑いのある緘黙児が増えていて、緘黙とASDの関係が気になってました。

かつてASDは男児・男性に多いとされ、男女比は4:1とも5:1とも言われてきました。が、最近では女児・女性が増え、比率は3:1くらいとされているよう。これは実際にASDの女児・女性が増えた訳ではなく、相談件数が増えたり、診断漏れが少なくなったから。

自閉症(Autism)はレオ・カナーによって1940年代に発見されましたが、現在のように先天性の脳障害と判明したのは1960年代後半のこと。それから50年位しか経っていないので、明確になっていない部分もまだまだ多いんでしょうね。そういう意味では、場面緘黙もまだ研究が進んでいないかも。

オンライン研修でまず気づいたのは「masking 覆い隠す」という単語の多さ。(なお、本人が意識してmaskingしているケースもあれば、無意識のうちにmaskingが習慣になっているケースもあるとのこと)

典型的なASD検査は男児・男性を対象に作成されたものなので、ASDの特性を覆い隠すことに長けた女児や女性は、検査の網を潜り抜けてしまうらしいのです。また、社会に根強く残るジェンダーステレオタイプの概念――例えば、女児・女性は大人しくても当たり前――が、相談や診断への道を妨げているとも。

イギリスでは、80年代にアスペルガー症候群の研究を発表したローナ・ウィング女史の「3つの特徴」が、現在もASDの基本定義として使われています。その定義とは、

  • 対人相互作用における質的な障害 (非言語性行動や相互関係の困難さなど)
  • 意思伝達の質的な障害 (話し言葉の遅れ、偏り、言葉遣いの奇妙さなど)
  • 行動、興味及び活動の限定された反復的 (強いこだわり、固執、常同行動など)

これらの特性を兼ね備えていても、女児や女性はmaskingによってそれが目立たないことが多いとか。それでもよく観察すれば、目立たない特性が見えてくるのです(多分、ここでは高機能で言語の発達に遅れのない群が対象だと思います)

ASDの女児・女性の特徴

  • 分析的な思考
  • 社会的な対人スキルの高さ(男児・男性に比べ)

ASDの女児は、分析的な思考をベースにして世の中を理解しようする傾向が強いといいます。周囲を観察し、TVや映像等からも、人が言ったり、したりしていることを分析してコピーするのだそう。他人との関わり方もそうやってコピーするため、一見すると、ちゃんと社会性があり、人との相互関係も問題ないように見えます。

でも、実際のところはものすごく神経を使いながら、自分の役割を演じているのです。そのため、帰宅してから学校での我慢が爆発してしまうことも多いそう。また、自分が作ったシナリオ通りに物事が進まないと、非常な不安に襲われ、対処できなくなるとも。

視線は合うし、こちらの問いかけにはちゃんと答えるし、友達とも上手くやれているように見える――園や小学校の教諭たちは、そういう子どもに問題があるとは思わないですよね。それで、発見が遅れたり、見過ごされたりするのだそう。

ちょっと長くなりそうなので、続きは次に書きますね。

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場面緘黙とASD

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2019年SMiRAコンファレンス(その5)SMとASDの対比

2019年SMiRAコンファレンス(その4)SMとは何か?

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2019年SMiRAコンファレンス(その2)SMとASD

2018年SMiRAコンファレンス(その5)

緘黙のティーンの告白

7月もすでに後半に入りましたね。先週金曜日から学校が夏休みに入り、大学のある町に残っていた息子もやっと帰省ました。家族が一人増えただけで、家の中はがぜん賑やかです。

庭の敷石の汚れを息子にジェットウオッシュしてもらうため、先週から敷石と敷石の間に敷いた砂を取り除き始めたんですが、これがけっこう大変…。

庭仕事といえば、今春の厳格なロックダウンの間ガーデニングに熱中した人は多かったよう。先日、お向かいさんが「中庭見に来て!」と熱心に誘ってくれたので訪ねたところ、そこはもうジャングル(笑)!! ユリもひまわりもバラもコスモスもデルフォニウムも、トマトも芽キャベツもイチゴもトウモロコシも、花と野菜が混じりあって元気よく共生していました!

細い通路をのぞき、庭は色とりどりの花と植物だらけ。多くは種から育てたそうですが、4月から6月まで好天が続いたので驚くほどよく成長したとか。

今まであまりガーデニングに興味のなかった友人も、庭仕事に精を出すように。「自分がこんなにガーデニング好きになるなんて、想像だにしてなかったわ」と笑っていました。

世界的なコロナ禍で悪いことばかりのような毎日ですが、こういった小さい愉しみを大切にしたいものですね。

好天に恵まれ、我が家でも鉢植えのブルーベリーと苺が豊作でした

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さて、マギーさんの講演の続きです。講演の中で、3歳の入園時に場面緘黙を発症し、ティーンになるまで引きずってしまった女の子の話が出てきました。本人がマギーさんに語った内容から、周囲の気づきがいかに大切かを思い知らされた気がします。

彼女は3歳で入園するまで、社交範囲は近い親戚や近所付き合いくらいだったそう。ある日、広い講堂で大勢の子ども達が一緒に活動するような幼稚園へ。近くに母親がいたため安心して遊び始めたところ、ふと気づいたら母親がいない!(教諭は子どもが早く園に馴染めるよう、母親をこっそり帰宅させた旨)。

パニックに陥った彼女は、身体が固まって何も言えない状態に。半日間(イギリスの公立幼稚園は1日2時間半ほど)ほとんど動けずに過ごし、母親が迎えに来た時にやっと言葉を発することができたとか。

(その日園のテーブルの上に置いてあったパズルの絵柄を今でも覚えているそう…)

幼稚園側は、彼女がパニック状態になっているとは全く気づかず…。誘うとトイレには行き、泣かずに大人しく座っていたため、初日はこんなものだろうと解釈。迎えに来た母親は、「いい子にしていましたよ」という園の報告を真に受けて安心したそう。

いつまで経っても園に馴染めず、口もきけず――さすがにこれは変だと気付いた頃には既に緘黙症状が固定化。彼女はセカンダリースクール(12~15歳)まで緘黙症状を引きずることに…。

マギーさんの治療を受けるようになって、初めて自分の体験を告白できたのです。

入園前にも見知らぬ人の前で固まることがあったのかどうか、彼女が抑制的な気質だったのかどうかは定かではありません。でも、緘黙児は自分から人に働きかけることが苦手です。また、目立つことを嫌って自分の感情を隠そうとするため、困っていても外からは判りにくいのです。

ただ、幼稚園の教諭や学校の教師に場面緘黙の知識があれば、彼女は10年近く(以上?)沈黙の学校生活を送らずに済んだのでは?

マギーさんによれば、通常は緘黙のせいで話し言葉・言語・コミュニケーションの発達に遅れがでることはないということ。これは、子どもが学校で話さなくても、家庭などで普通に話すことができるため。

ただ、もともとこの分野に苦手や問題があって緘黙になっている場合もあるので、注意が必要です。また、緘黙の期間が長引くと、パニック障害など他の二次的な不安障害を引き起こすケースも。

いずれにしても、早期に発見して緘黙が固定化する前に介入できれば、早い回復が望めます。それには、やはり教育の場に場面緘黙の正しい知識を広めることが重要だなと思います。

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