息子の緘黙・幼児期4〜5歳  落とし穴の一歩前

とびとびになってますが、息子の緘黙記の続きです。

一番最後にレセプションクラス(4~5歳)に仲間入りした息子でしたが、最初の2週間はなにごともなく過ぎました。

入学して1週間は午前中のみ。給食が始まる前に迎えに行くと、私の顔を見てほっとしたような顔。教室から遠ざかるにつれて、徐々におしゃべりになっていきます。でも、私が学校のことを訊くと途端に口が重くなるので、なるべく遠回しにききだすようにしてました。

うちの子は、幼稚園の頃から園での出来事をあまり話したがりませんでした。話すとしても、自分に直接起きたことではなく、周囲で起こったことが中心。だいたい幼稚園時代の親友、T君の話題やその頃好きだった『サンダーバード』関連のことが多かったかな?

興味のあることを話しているうちに、ふと園での話題がばーっと出てくるのです。ただ、「嬉しかった」とか「辛かった」とか、自分の気持ちを伝えるのは苦手だったように思います。嫌なことだけは、「イヤッ」とハッキリ言うんですが…。

2週目からは、大きなダイニングルームで他の学年の子たちと一緒に給食を食べ始めました。幼稚園の延長保育で給食に慣れていたためか、これも問題なくクリア。すぐに午後まで学校にいられるようになり(ほとんど遊び中心)、私としては大助かりでした。

通常の時間にお迎えに行くと、インファント(レセプション~小2まで)のママ達がわんさか集まっていて、新米の私はちょっと気おくれ(イギリスでは学校外での児童のセキュリティは保護者の責任となるため、お迎えが義務付けられているのです)。最初は、クラスは別になったものの、同じ時期に入学したT君のママとつるんでました。

授業が終わると、子どもたちは教室の外の廊下に出て保護者を待ちます(窓ガラスごしに姿が見える)。担任はひとりずつ保護者を確認しながら、生徒を外に出していくのです。幼稚園でも小学校でも、担任のみならず他の先生方やスタッフまで生徒の名前と保護者の顔を覚えている――すごいなと驚いたものですが、この制度のお陰かもしれませんね。

外に出てきたT君と息子は、私たちからおやつを受け取ったあと、元気に運動場に飛び出して行きます。他に日本人駐在員のお子さんたちもいて、放課後に日本人が固まって遊んでいることも多かったかな。その時は、もちろん日本語。幼稚園の頃と同じで、息子はT君とママにはこれまで通りしゃべってました。知り合いになった日本人ママ達の前でも普通に声を出していたと記憶しています。

そして、2週めの終わりの日。担任から「時間がかかりましたが、やっとお友達ができました!B君です」と告げられました。「ああ、良かった~!これで小学校生活も大丈夫かな…」。ものすごくほっとした気持ちを、今でもありありと覚えています。

でも、その後に大きな落とし穴が待っていたのでした…。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その5)

再々度、緘黙は発達障害 or 障害なのか?

日本では、場面緘黙=発達障害というイメージが強いことについて、再び考えてみました。全く専門家ではないので、いち素人の考えとして受けとめてください。

(以前に書いた記事はこちら → 『緘黙は発達障害なのか?』『再び、緘黙は発達障害なのか?』)

大前提として、緘黙は「発達障害」ではなく「不安障害」のカテゴリーに含まれています。そういう意味では発達障害ではないといえますが、発達障害の子が緘黙になるケースもあるし(詳しくは、「場面緘黙とは?(その3)」をご参照ください)、学校や病院など公の場で緊張状態にあるため、家庭での本来の姿が見えにくく、判定が難しいのではないでしょうか?

特に、緘黙児とASD児の持つ特性がオーバーラップする部分があるため、(詳しくは、『ASD児と緘黙児--類似する特性?(その2)』をご参照ください)、見分けがつきにくいというのが現状ではないかと。病院など不慣れな場所で、不安を抱えながらWISCなどの発達テストを受ける場合、本来より低い判定が出たりしないんでしょうか?

私は息子が場面緘黙になった時、緘黙は「障害」なのか「症状」なのか、ものすごく気になりました。というのも、「障害」というと「治らない」というイメージが強かったから。

例えば、「睡眠障害」というと重篤な印象ですが、「不眠症」というとそれほど重い感じはしませんよね。でも、正確には「睡眠障害」という大きなくくりがあり、その中のひとつが「不眠症」なのです。

では、「障害」とは何か? 障害者基本法の定義には、「この法律において、障害者とは身体障害、精神薄弱又は精神障害(以下「障害」と総称する)があるため、長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう」と書かれています。(「長期に渡り」の「長期」がどれくらいの長さなのか調べてみないと判らないのですが、多分1ヶ月以上からではないかなと…)。

緘黙の場合、話せないことにより長期に渡って日常・社会生活に制限を受けるわけなので、定義からすれば障害に分類されるのかもしれません。ただ、緘黙が起こる場所が学校を中心とした公の場で、家庭では制限を受けないことも多いので、ややこしいですね。

精神障害の中でも「うつ病」や「パニック障害」など治るものもあれば、「てんかん」など生まれつきで治らないものも。脳の機能的障害により引き起こされる「発達障害」は後者です。場面緘黙については、治る不安障害のひとつと考えればいいのかな?

発達障害の定義を調べてみると、「脳機能の発達に関係する障害」とあり、具体的には主に広汎性発達障害(自閉症、アスペルガー症候群)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)をあげています。(他に、トゥレット症候群と吃音が含まれます。知らなかったのですが、吃音は2005年から発達障害の対象となったよう。ということは、吃音は治る部類の発達障害なんでしょうか??)。発達障害とは、子どもが成長する過程において、基準の発達段階に到達しない状態。発達期間中いつでも開始し、通常生涯を通じて続くとされています。

参考: 政府広報オンライン『発達障害って、なんだろう?』http://www.gov-online.go.jp/featured/201104/index.html

なお、欧米では「PDD(広汎性発達障害)」ではなく、主に「ASD (Autism Spectrum Disorder 自閉症スペクトラム障害)」という名称を使っています。DSM-5(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル)では、「アスペルガー症候群」というサブカテゴリーが無くなりました(詳しくは、『DSM-Vに登場した新たなコミニュケーション障害(その2)』をご参照ください)

どうしてまた場面緘黙と発達障害について取り上げたのかというと、緘黙の背景にある問題を早期に見極めることの重要性を感じているから。発達障害だけじゃなくて、言葉に問題があるケースなど、早期に発見できれば早く対応することができます。また、緘黙が障害であれ、そうでなかれ、抑制的な気質を持つ緘黙児に対しては、通常とは違う配慮が必要だと思うのです。

性格的なものは変えられないことが多いし、たとえ完治しない問題があったとしても、環境を変えたり、対処していくことで、日常&社会生活はずっと楽になるはず。性格であれ完治しない問題であれ、一生つき合うのなら、早くから気づいて自分なりの対処法を身にけるのがベストではないかと。

こんなことをいうのは、私が日本語を教えているASDのティーン達(全員アスペ男子)を見ていて、早期対応がいかに大切か実感できるからなんです。みんな(今登校拒否中の一人を除き)マイペースで、学校生活をそれなりに楽しんでる感じ。まあ、30人位しかいない特別支援校で、先生やTA達とも気軽に話ができる環境ではありますが…。

生徒はそれぞれ、ASD以外にもADHDやLDなど複数の障害を抱えています。公立校で仲間外れにされたり、問題を起こして転校してくる子も多数。が、特別校ではなんとか自分の居場所を見つけ、自信を回復しているよう。友達を作り、得意科目の成績を伸ばし、趣味のゲームに没頭したり、ジョークを飛ばしたり。学校生活に不安を感じず、ノビノビしてる子が多いように感じます。

例えば、A君は「僕はADHDだから集中力ないよ。ちょっと休んでいい?」と主張。D君は「ディスレクシアだから読むのが遅いんだ」とか「もっと論理的に」と、自分が納得するまで質問したり、課題をこなすのに時間がかかってもメゲません。私の英語の発音やスペルミスは、嬉しそうに速攻で指摘してくるし(恥)。自分の特性をちゃんと理解して、自分なりに対処している様子。

この学校でも、常に何らかの問題は起きています(特に、小学部)。感情をコントロールできず、反省室に入れられるエピソードは頻繁に起きるし、昨年は怒りに任せて窓ガラスを割ってしまい、手を負傷した子も。でも、みんなある程度自己主張しながら学校生活を送れている印象。不安や緊張感がないということが、自信にも繋がっているように思います。そして、この自己肯定感こそが、社会の中で生きる上で一番大切ではないかと思う今日このごろなのです。

長々とひとりごとを聞いていただいて、ありがとうございました。次は抑制的な子どもへの対処法について考えてみたいとい思っています。

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緘黙は発達障害なのか?

再び、緘黙は発達障害なのか?

ひとりじゃない

今年の仕事始めは、ホームスクールスタッフの集まりでした。私はASDの子どもを対象にした 特別支援校での仕事とは別に、SENTA(特別支援員)のエージェントにも属していて、こちらでも日本語を教えています。(以前にも書きましたが、緘黙児の支援をしたくてエージェントと契約したのに、緘黙児には巡り会えず…)。エージェントでは主に地区の学校にSENTAを派遣しているのですが、私の担当する生徒さんは学校に通わず家庭を拠点に学ぶ(ホームスクール)ティーンです。

イギリスではインクルージブ教育を掲げていて、障害を持つ子どもでも普通の公立学校で学ばせる方針。でも、どうしても学校に馴染めない子もいるし、最初からホームスクールを選択する家庭もあります。エージェントに依頼してくるのは、だいたいがEHC(Education Health Care)プランを持ち、地区から支援金が出ている子ですが。

木曜日のミーティングでは、集まったホームスクールスタッフがそれぞれの状況や悩みなどについて語り合いました。普段は1対1で担当教科を教えているため、同じホームスクールの仕事をする人たちと会う機会はほとんどありません。

詳しくは書けないのですが、今回の集まりで本当に様々なケースがあるんだなと驚かされました。重篤なASD児に2人で対処しているケース、引きこもりの子とコミュニケーションを取ろうと頑張っているケースなど千差万別。アニメが大好きで、頑張って日本語を勉強してくれている生徒を持つ私は、なんとラッキーなことか。

今まで研修会はあっても、このように自分たちの状況や問題を語り合ったことはなかったので、ものすごく参考になりました。同じような体験をした人からのアドバイスには説得力があるし、意見を交換するうちに新しいアプローチのアイデアも出てきたり。人の体験や話を聞くことで、仕事への理解がぐっと深まったように感じました。

それに、自分だけで考え込まないで、人に話すことって大切ですよね。誰かに聞いてもらえるだけで、すごく癒やされます。多分、エージェントがこの会を持ったのは、そういう意図もあったんじゃないかな。個人で仕事をしていると、ひとりで問題や悩みをため込んでしまうことが多いと思うので。

実は、私も学校の生徒さんがひとり先学期から登校拒否気味なんです…。夏休み前の学期(3学期)に急に頼まれたんですが、多分学校嫌いを少しでも和らげるために、興味のある日本語を習わせることにしたんでしょう。彼は飲み込みがよく、ひらがなもカタカナもすぐ使いこなせるようになって、嬉しい限りでした。

が、どうした訳か夏休み明けからパッタリと学ぶことを拒否。あれっと思ってSENCOに報告したところ、どの教科も同じような状況だと…。授業中でも廊下の踊り場や反省室でひとり漫画を読んで時間をやり過ごしていることが多くなり、その姿を見る度にせつない…。

一応私の授業には来てくれるのですが、漫画やPCを離さず…。用意したテキストを学ぶ気はほとんど無く、勉強は全く進みません。仕方ないので、漫画の主人公について話したり、表情が和らいだところで日本語に切り替えたり。彼の好きな漫画のキャラクターをいっぱい使ったテキストを作るんですが、これもなかなか…。理由を聞いても、「もう学校には来たくない。家にいたい」としか言わないし。

一度、廊下で立ったまま動かなくなり(その時指定された教室が嫌だった)、私も付きあったことがありました。時々話しかけながら観察していると、他の生徒やTAが通る度にビクビクして嫌悪感も露わ。不安が高い状態なので、音や人の流れが普段より気に障ったよう。

彼が学校が嫌いだという理由はすごく解るんです。生徒が30人ほどしかいない小規模な学校ですが、彼にとっては人が多すぎるし、騒がしすぎる—例えば、教室の移動や、予期できない人の行き来、喧騒が多すぎる。あと、友達を作ろうとしないので、休み時間が結構辛いんだろうと想像できます。(他のASDっ子たちはグループや友達付き合いが結構できてるので)。

お母さんはどう思っているのか訊いてみたら、「僕の言うことなんか全然きいてくれない」と諦め顔。自分が何もしないことで、何かが動くのを待っているような状態です。

とても頭のいい子なので、ホームスクールか他の学校を探した方がいいのではと思うんですが、以前に不登校の時期が長くあり、その間家で何もしなかったとのこと。お母さんにとっては、とにかく学校に行かせて、社会性と勉強を学ばせたいという気持ちが強いのかも…。

外部の人間だからか私はミーティングには呼んでもらえず、担任やSENCOに相談しても忙しくて立ち話程度になってしまうし…。彼が苦しんでいるのに、何もしてあげられません。悶々としていたところに今回のミーテンングがあり、何だか救われた気持ちになりました。

子どもが緘黙で苦しんでいるのを見て悩む保護者の方も、先生方も、自分の中にため込まないで、誰かに話を聞いてもらってください。特に、緘黙の子どもを抱える親同士だったら、お互いに解り合えるし、励まし合えると思うのです。

子どももひとりじゃないし、大人だってひとりじゃない。

新年早々、重たい話ですみません。

 

明けましておめでとうございます。

新年、明けましておめでとうございます。あっという間に2017年ももう3日目。イギリスでは今日から学校も会社も通常運転です。といっても、私は木曜日から始動なので、まだまだノンビリしているのですが。

こちらでは大晦日のカウントダウンで盛り上がって、お正月はオマケみたいな感じ。新年を迎えたんだなあという感慨はあまりありません。でも、せっかくのお正月なので、我が家ではお雑煮と里芋の煮っころがしだけは作るようにしています。

   近所の大型スーパーでEddoesという里芋のそっくりさんを発見。調理してみたら、ちとヌメリが少ないんですがまさに里芋でした

クリスマス料理と比べると、随分質素でヘルシーですよね。主人の実家では毎日大量に料理して、みんなで食べまくるを繰り返していたので、ちょうどいいダイエットになるかも。でも、ついお菓子を食べちゃうからダメかな…。

    今年のクリスマスは七面鳥ではなくラムのもも肉のロースト。5人で半分も食べきれず、翌々日にカレー、残りはチャーハンの具に。最後の写真は恐るべき銀色のクリスマスプディングーー重くてめっちゃ甘かった

ずっと暖冬だったのに、クリスマスの翌日から冷え込んできました

昨年の29日夜に主人の実家からロンドンに戻ってきたんですが、息子は咳き込み私は顔がザラザラに…。工事の始めもそうだったけど、多分アレルギー症状ですよね。翌日、ブラシとビルダーのでっかい掃除機を勝手に使って大掃除。壁土の粉塵が山盛りで、ふと気づくとマスクが壁土色になってました。

大晦日の夜はなぜか黒澤明監督の『乱』を、元旦の夜は『レヴェナント:蘇りし者』を観ることになったんですが、とってもとってもヘビーでした。

元旦は森林公園ハムステッドヒースに散歩に行く予定だったものの、雨に降られてあえなく中止。ヘルシーな1年にしようと思っていたのに、最初からくじけてますね。(これではいかんと思い、今日友達と一緒に2時間くらい歩いてきました)。

散歩の代わりにTrivial Pursuitというゲームをしたんですが、あまり盛り上がらず…

2017年がみなさんにとって充実した年となりますように。