再々度、緘黙は発達障害 or 障害なのか?

日本では、場面緘黙=発達障害というイメージが強いことについて、再び考えてみました。全く専門家ではないので、いち素人の考えとして受けとめてください。

(以前に書いた記事はこちら → 『緘黙は発達障害なのか?』『再び、緘黙は発達障害なのか?』)

大前提として、緘黙は「発達障害」ではなく「不安障害」のカテゴリーに含まれています。そういう意味では発達障害ではないといえますが、発達障害の子が緘黙になるケースもあるし(詳しくは、「場面緘黙とは?(その3)」をご参照ください)、学校や病院など公の場で緊張状態にあるため、家庭での本来の姿が見えにくく、判定が難しいのではないでしょうか?

特に、緘黙児とASD児の持つ特性がオーバーラップする部分があるため、(詳しくは、『ASD児と緘黙児--類似する特性?(その2)』をご参照ください)、見分けがつきにくいというのが現状ではないかと。病院など不慣れな場所で、不安を抱えながらWISCなどの発達テストを受ける場合、本来より低い判定が出たりしないんでしょうか?

私は息子が場面緘黙になった時、緘黙は「障害」なのか「症状」なのか、ものすごく気になりました。というのも、「障害」というと「治らない」というイメージが強かったから。

例えば、「睡眠障害」というと重篤な印象ですが、「不眠症」というとそれほど重い感じはしませんよね。でも、正確には「睡眠障害」という大きなくくりがあり、その中のひとつが「不眠症」なのです。

では、「障害」とは何か? 障害者基本法の定義には、「この法律において、障害者とは身体障害、精神薄弱又は精神障害(以下「障害」と総称する)があるため、長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう」と書かれています。(「長期に渡り」の「長期」がどれくらいの長さなのか調べてみないと判らないのですが、多分1ヶ月以上からではないかなと…)。

緘黙の場合、話せないことにより長期に渡って日常・社会生活に制限を受けるわけなので、定義からすれば障害に分類されるのかもしれません。ただ、緘黙が起こる場所が学校を中心とした公の場で、家庭では制限を受けないことも多いので、ややこしいですね。

精神障害の中でも「うつ病」や「パニック障害」など治るものもあれば、「てんかん」など生まれつきで治らないものも。脳の機能的障害により引き起こされる「発達障害」は後者です。場面緘黙については、治る不安障害のひとつと考えればいいのかな?

発達障害の定義を調べてみると、「脳機能の発達に関係する障害」とあり、具体的には主に広汎性発達障害(自閉症、アスペルガー症候群)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)をあげています。(他に、トゥレット症候群と吃音が含まれます。知らなかったのですが、吃音は2005年から発達障害の対象となったよう。ということは、吃音は治る部類の発達障害なんでしょうか??)。発達障害とは、子どもが成長する過程において、基準の発達段階に到達しない状態。発達期間中いつでも開始し、通常生涯を通じて続くとされています。

参考: 政府広報オンライン『発達障害って、なんだろう?』http://www.gov-online.go.jp/featured/201104/index.html

なお、欧米では「PDD(広汎性発達障害)」ではなく、主に「ASD (Autism Spectrum Disorder 自閉症スペクトラム障害)」という名称を使っています。DSM-5(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル)では、「アスペルガー症候群」というサブカテゴリーが無くなりました(詳しくは、『DSM-Vに登場した新たなコミニュケーション障害(その2)』をご参照ください)

どうしてまた場面緘黙と発達障害について取り上げたのかというと、緘黙の背景にある問題を早期に見極めることの重要性を感じているから。発達障害だけじゃなくて、言葉に問題があるケースなど、早期に発見できれば早く対応することができます。また、緘黙が障害であれ、そうでなかれ、抑制的な気質を持つ緘黙児に対しては、通常とは違う配慮が必要だと思うのです。

性格的なものは変えられないことが多いし、たとえ完治しない問題があったとしても、環境を変えたり、対処していくことで、日常&社会生活はずっと楽になるはず。性格であれ完治しない問題であれ、一生つき合うのなら、早くから気づいて自分なりの対処法を身にけるのがベストではないかと。

こんなことをいうのは、私が日本語を教えているASDのティーン達(全員アスペ男子)を見ていて、早期対応がいかに大切か実感できるからなんです。みんな(今登校拒否中の一人を除き)マイペースで、学校生活をそれなりに楽しんでる感じ。まあ、30人位しかいない特別支援校で、先生やTA達とも気軽に話ができる環境ではありますが…。

生徒はそれぞれ、ASD以外にもADHDやLDなど複数の障害を抱えています。公立校で仲間外れにされたり、問題を起こして転校してくる子も多数。が、特別校ではなんとか自分の居場所を見つけ、自信を回復しているよう。友達を作り、得意科目の成績を伸ばし、趣味のゲームに没頭したり、ジョークを飛ばしたり。学校生活に不安を感じず、ノビノビしてる子が多いように感じます。

例えば、A君は「僕はADHDだから集中力ないよ。ちょっと休んでいい?」と主張。D君は「ディスレクシアだから読むのが遅いんだ」とか「もっと論理的に」と、自分が納得するまで質問したり、課題をこなすのに時間がかかってもメゲません。私の英語の発音やスペルミスは、嬉しそうに速攻で指摘してくるし(恥)。自分の特性をちゃんと理解して、自分なりに対処している様子。

この学校でも、常に何らかの問題は起きています(特に、小学部)。感情をコントロールできず、反省室に入れられるエピソードは頻繁に起きるし、昨年は怒りに任せて窓ガラスを割ってしまい、手を負傷した子も。でも、みんなある程度自己主張しながら学校生活を送れている印象。不安や緊張感がないということが、自信にも繋がっているように思います。そして、この自己肯定感こそが、社会の中で生きる上で一番大切ではないかと思う今日このごろなのです。

長々とひとりごとを聞いていただいて、ありがとうございました。次は抑制的な子どもへの対処法について考えてみたいとい思っています。

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