3人付き合い - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その7)

昨年秋から途切れていた、息子の緘黙記録の続きです。

時間の経過とともに、T君とM君は園の内外でかなり地が出てきました。T君は一見おとなしそうですが、しっかり自己主張するタイプ。活発なM君は体を動かす遊びが大好きなイタズラっ子。息子はというと、自我はとても強いのに1対1でもなかなか自己主張できず、相手に合わせるという感じでした。

例えば、T君がうちに遊びに来ると、真っ先に自分の好きなオモチャを取ります。それらは息子のお気に入りのことが多く、本当は先に自分が遊びたいんです。が、「次は僕」と言えないまま、ずーっと譲りっぱなし(諦めっぱなし)なのでした。

また、T君宅に遊びに行くとなぜか萎縮してしまい、なかなかオモチャに手が出ません。T君は自分のお気に入りは「これはダメ!」と釘を刺すので、違うものにソロソロと手を伸ばすという具合…見かねたT君のママが、「貸してあげなさい」と気を利かせてくれることも多かったです。

(入園以前に仲良しだった日本人の友達はひとつ年上。今考えてみると、精神的にもすごくお兄ちゃんだったなと思います。この子と2人で遊ぶときは、全く萎縮することなどなどなかったんですが…)

台湾人のM君宅に行く時は、だいたいT君もいっしょ。家の中でも外でも活発な遊びが中心なのですが、息子は躊躇するので、なかなか順番が周って来ないことも…。庭にビニールプールを出した際、M君がふざけて周囲にバシャバシャ水をかけるので、息子だけプールに入らなかったこともありました。

公園の遊具では普通に遊ぶものの、木製の汽車の屋根に登って飛び降りるというような新しい遊びが出てくると、最初は見ているだけ。そのうち、ゆっくり登って慎重に地面に降りるという感じで、怖がりの性格が反映されてました。

我が物顔で自由にふるまう幼児が多い中、なんでうちの子は友達に遠慮するのかな?と当時とても不思議に思ったこと、そんな息子にフラストレーションを感じたことを今でもよく覚えています。でも、これって抑制的な気質のせいだったんですよね…。

「3人集まれば社会の始まり」といいますが、1対1の場合と3人の場合では、人間関係の複雑さやダイナミズムが随分違ってきます。自分と相手だけだったのが、そこにもう1人加わることで、第三者のことも考えて行動しなければなりません。

息子は1対1のコミュニケーションは取れてましたが、そこに誰か加わると萎縮してしまう傾向がありました。多分、自分の立ち位置というか、どう振る舞えばいいのか分からなかったんでしょうね。

また、息子は状況を変えることがとても苦手でした。自宅で楽しく遊んでいるのに、どこか違う場所に行かなければならないような場合は特に。でも、行ってしまえば、割りと平気なことが多かったです。ある時、息子とグラニーが仲良く話しているところに私が加わろうとしたら、息子の態度が急変。「マミーあっちに行って!」と睨まれた時は、ショックでした~。

蛇足ですが、私自身も小さい頃から仲の良い友達と1対1で、深くべったり付き合うタイプでした。保育園の時の親友とは家が近く、近所の子たちと集団で遊ぶ時も、2人でくっついてました。小2まで同じクラスで、その後もしばらくは一緒に登下校し放課後もお互いの家で遊んでたんです。そんな風だったので、複数での友達関係を学び始めたのは、小4になる頃だったような…。どう行動すればいいのか、やっぱり戸惑うことが多かったように記憶しています。

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今できることは、今やっておこう

家族で8日間ほど北欧を旅行していて、またまた更新が遅れてしまいました。ストックホルムからロンドン行きの便が遅れ、火曜日の午前0時半頃にやっと自宅に帰りついて、即ベッドへ。翌日からいつもの日常生活に戻ったと思っていたら、突然の訃報が舞い込んできました。

ここ2年ほど、お誕生日のサマーガーデンパーティーに招待してくださった年上の友人が、病気で急逝されたとのこと…。

あまりに突然だったので、一瞬何のことか理解できず…。その時一緒にいた友達にも心配をかけてしまいました。旅先で倒れられて入院され、手術のかいもなく亡くなられたそうです。

 昨日、お葬式と自宅でのお別れ会に行ってきました。昨年の誕生パーティーの時のように、空は青く澄み渡り、雲ひとつない快晴。明るいチャペルに彼女の好きだったプッチーニの曲が響き渡り、とても温かで親密な雰囲気の中で、式がとり行われました。

お棺の上には白と黄色のバラの花。いつも朗らかで明るく、とてもチャーミングだった彼女にふさわしいアレンジでした。イギリス国内だけでなく、日本やヨーロッパから駆けつけた参列者もいて、人との繋がりを大切にしていた彼女の温かな人柄が忍ばれました。

でも、直接お顔を見てお別れした訳ではないので、なんだか白昼夢をみているよう…。

 彼女が大事にしていたお庭で行われたお別れ会は、いつものホステス役がいなくて、ぽっかり空洞が空いたみたいな感じでした…。キッチンで料理の腕を振るい、にこやかに庭に運んでくる姿がどこにもない。手伝いの指示をだしたり、賑やかに話題を振りまいてくれる人がもういない。

 庭のテーブルに並べられた外注の料理や使い捨ての紙皿を見て、いかに彼女が心をこめて料理を作り、細やかな心遣いで盛り付けや食器選びをしていたか、思い知らされたような気がしました。もうあんな風に、彼女の手料理がここに並ぶことは二度とない--ご自慢の菜園も雑草におおわれ、主人不在の大きさを物語っているかのようで…。

 どうしてもっと頻繁に連絡しなかったのか、悔やんでも悔やみきれず。いつもあると思っている当たり前の日常の脆さ、危うさを思い知った気がしています。当然と思っていたらいけないんですね

突然病に冒され、不安に陥れられたご本人のショックや思い、そしてご家族の悲しみはどれほどのものか…。彼女のご冥福を心からお祈りしたいです。

これからでも遅くない。今できることは、できるだけ今やっておこう。後回しにするのは、極力やめようと自分に言い聞かせています。

 

 

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子どもと学校環境

夏休みに入ったらもっと頻繁にブログの更新をしようと思っていたのに、あれよあれよという間にもう1週間以上が過ぎてしまいました。

学校ではサマータームが終了し、SENエージェント経由の個人レッスンもお休みに入る予定でしたが、生徒さん達の希望によりエキストラでレッスンが入ることに。他に片づけなければいけない仕事もあるし、目前に迫った家族旅行の計画も立てなきゃいけないし…(個人旅行なので誰かがやらなきゃいけないんですが、うちの家族はいつも私に任せっぱなし)。

そう思いつつも、久しぶりに友達家族を招いてBBQをしたり、旦那様の実家にやってきた地方の友達と再会したり。子どもが夏休みだと私もお休みモードになるので、いつもよりゆったりできるような気がしちゃうんですよね。で、今ごろ焦ってます。

さて、話は変わりますが、私は場面緘黙の子どもの支援をしたくて頑張ってSENTA(特別支援員)のエージェントに登録したのに、ふと気づくと何故かTAではなく日本語講師をしているという…。きっかけは、「日本語を習いたい子がいるからお願い」というエージェントからの依頼だったんですが、流れに任せているうちに、目標からかなりハズレてしまいました…。

でも、エージェントから来るTAの仕事って、たいていがASD児のサポートなんです…。イギリスでは特別支援教育が定着していますが、地方自治体から支援の予算が出るのは、「特別教育のニーズ」を認定された子どものみ。認定されると、EHCプラン(Education, Healthcare and Care Plan教育・医療・ケアプラン)を立てて、遂行する義務が生じます。

子どもの問題が場面緘黙だけの場合は、「特別教育のニーズ」を認定してもらうのが難しく、学校が緘黙児のためにTAを雇うことは殆どないんです。だから、いくら待っても緘黙児の支援で声がかかることはないかも…。

(学校にもよりますが、インファント(小学校低学年)ではクラスにTA(学習支援員)が常任し、EHCプランを持つ子どもにはだいたい専属のTAがつきます。特別支援の予算が多い学校なら、TAの数はもっと多いかもしれません。

EHCプランはなくても特別支援が必要な子どもは、これらのTAができる範囲で面倒を見ているという感じです。だから、緘黙児が受けられる支援は、学校や予算、クラスの状況によって千差万別。イギリスだから手厚い支援やケアが受けられるかというと、そうでもないのです)。

さて、私が今日本語を教えているのは、高機能自閉症(ASD)の子どもを対象にした小さな私立の特別支援学校です。2年ほど前、1年間TAの修行をさせていただいたのですが、当時も今も緘黙児はひとりもいません。

生徒は14~19歳のアニメ大好きティーンばかりなのですが、彼らを見ていて感じるのは、学校がちゃんと自分の居場所になっているなということ。

全校生徒が30名ほどのこの小さな学校は、1クラスが6人以下。生徒2人に対し大人が1人という割合で、きめ細やかな支援を行っています。SLT(言語療法士)と作業療法士が常務し、アートセラピーや音楽セラピーなども。

公立の普通校に適応できず転校してきた子が大勢いるのですが、転入当時どんなに荒れていても、いつの間にか先生や学校に慣れて、ある程度友達付き合いができるようになるのがスゴイ。

子どもと学校スタッフの距離がとても近く、生徒がみんな安心して暮らしているというか――セカンダリー(12~16歳)になってくると、自分の長所と短所をちゃんと把握していて、かなり落ち着いて学校生活を送っているようにみえます。

まあ、ティーンなので時々は誰かが事件を起こしたりする訳ですが、なんというか、みんな自分に自信を持っているように感じるんですよね。

授業をしていても、わからないところはどんどん訊いてくるし、ある生徒は「僕は理論的に理解できないと、次に進めない」と、納得するまでプリントを読み返します。自分がみんなより遅れていても、「自分の学習スタイルはこうだから」と卑屈にならないんですよね(まあ、あまり人のことを気にしないのもありますが)。

子ども達にとって、学校の環境が合ってるからだと思うんです。不安が強い緘黙児たちにも、彼らに合う環境の学校があったらいいですよね。

実際に学校環境を変えるのは無理でも、周りの教師や大人の配慮で、緘黙児がほっと安心できるひとときや場所を作ってあげられるんじゃないかな…。繊細な緘黙児はそういうことにはとても敏感なので、先生が自分を気にかけてくれていると感じるだけでも違うんじゃないでしょうか。

 

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3日間の真夏日

イギリスでは今週の月曜日から気温がぐんぐん上がり、30度を超す真夏日が3日間続きました。特に、火曜日は朝から日がかんかん照り、最高気温は34度くらいまであがったんじゃないかな?

月曜日の7月18日は18回めの結婚記念日だったので、夕方ロンドン中心部で主人と待ち合わせ、家族で食事する予定でした。が、息子は「友達の家に行くから」とすげない返事…。先日、1週間ほどブルガリアの友人家族のところにホームスティに行き、ひとりで飛行機に乗って帰ってきました。親離れ進行中の今日この頃です。

夕方になっても気温が下がらない中、選んだのはベトナム料理店。大昔に学生だった頃よく通っていた店に行ったら、オーナーが代わって随分おしゃれになり、内装もメニューも様変わりしていました。汁なしフォー(ブンビー)と青いパパイヤサラダがない!IMG_20160718_191519IMG_20160718_191502

                 大好きな海老の生春巻き

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  うずらのグリル、サヤマメと牛肉の炒めものとご飯、チキンのフォー

IMG_20160718_201343         デザートは、Sohoの人気アイスクリーム店GELUPOで

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チョコレートが濃厚なBonetとラズベリーの組み合わせ。夜11時まで営業してます

火曜日は、車であっちこっちに出かける用事があったのですが、外を歩くともう汗だく…。夜は寝苦しくて、睡眠不足になってまいました。4年前、ロンドンオリンピックの年に日本で夏を過ごした時は、もっともっと暑かったのに、慣れないとヤワになっちゃいますね。

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      この3日間は雲一つない快晴でした

水曜日には何故かインターネットが繋がらなくなり、久しぶりのネットなし生活に。夏休みなので息子も家にいるのですが、繋がらなくなった途端、自分たちがどんなにネットに依存しているか思い知らされました。

主人は同僚と飲みに行ったので、外のデッキに椅子とテーブル出して、息子と二人夕涼みしながら冷やしそうめんと豆腐サラダの夕食。この季節は8時半になってもまだ日が沈みません。ふと、夕暮れの森を歩いてみたいと思いたち、ひとりじゃちょっと恐いので、嫌がる息子にお願いしてHighgate Woodまで行ってきました。

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      さすがに9時半近くになると、森のなかは薄暗くなって人もまばら。でも、沈んでいく夕日がめっちゃキレイでした。

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木曜日には、「あの夏の日はどこに行ったの?」というくらい気温が下がり、気温差と睡眠不足のためか、久々に酷い頭痛と肩こりに。気分が悪くなって、ちょっと寝込んでしまいました(笑)。ロンドンの公立学校は今日から夏休みのところが多いんですが、午前中はどんより曇って半袖では寒いくらい。

という訳で、3日間の真夏日が今や幻のようです。7月中の天気予報は、最高気温が21~23度くらい。実は、北欧のほうが気温が高いのです。8月になったら、もう一度夏がやってくるかな…。

 

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緘黙(恐怖症)のスペクトラム

緘黙治療は長期戦になることが多く、人によって症状はそれぞれ違います。人前で話すことの恐怖だけでなく、人前でものを食べること、自分から会話を切り出すこと、電話での会話、対人関係の難しさなどがある場合は、それぞれの苦手分野を克服していかなければなりません。

以前の記事で書いたのですが、私は車の運転が苦手です。渡英後ずっとペーパードライバーだったのが、息子が生まれた後必要にかられてハンドルを握るようになりました。知らない道を運転するのが不安で、高速道路や片側三車線の道路に至っては、超怖いので避けているという状態。家の周囲15キロ以内くらいをトロトロ走ってるご近所ドライバーなのです。

新しい道でも、何度か通えばドキドキ感は薄れて平気になります。が、必要がない限り新しい道や目的地にチャレンジすることはないので、いつまでたっても行ける場所は増えません…。恥ずかしながら、知らない道に連れて行かれるのが嫌で、カーナビもひとりだと使わないという。

こんな自分は「運転恐怖症なんだろうか?」と考えてみると、そこまでいってないんじゃないかと思ってます。でも、人から見たらそうですよね…。同じ「運転恐怖症」でも、交通事故などの後に絶対車に乗れなくなった人から、私のように限られた範囲内だったら大丈夫な人まで、症状はいろいろじゃないでしょうか?

思うに、恐怖症も緘黙もスペクトラム状になっていて、「苦手」程度ですんでいる場合もあれば、何らかの引き金となる事件が起こったり、環境要因が重なって、急にどーんと重症になってしまう場合もあるように思うのです。

「○○障害」というと、とてもシリアスな印象を受けますよね?でも、「○○が苦手」「○○がすごく駄目」だったら、親も子どもも受けとめやすい。「苦手」を克服するためにはどうしたらいいのか?専門家に相談しなくても、自分なりに考えたり、親が対策をねったりできそうです。

私の場合、「まずインストラクターと一緒に高速に乗って練習すれば?」とよく言われるんですが、あの怖い思いをするのかと思うだけで気力が萎えてしまいます。それに、高速は主人に運転してもらえばいいし….。

先日、息子を車で20分ほどのところまで送っていった際、途中で道路工事をしていて、すごい交通渋滞。「帰りも渋滞だと困る~!」という私の言葉に、息子が携帯のカーナビをセットしてくれて、「大きい道はないから大丈夫」と去っていきました。

一抹の不安はあったものの、とにかく急いできたのでカーナビの案内通り進むことに。途中から大通りに出て、道路が4車線に。この時点で、既に身体が緊張し始め、胸がドキドキ…。すると、なんということか、先に信号付きの巨大なラウンダバウト(Roundabout 円形交差点)が見えてきたのです!

ラウンダバウトまで来た時は、もう頭が真っ白になり、サテナビの説明も殆ど耳に入らず!「一体、どの道に進めばいいの?!」とパニック状態。幸い、赤信号で前の車が止まったので、「助けて~!!」と叫びつつ、その車の後に続いたのでした。

何とか三車線道路を切り抜けて家にたどり着いた時は、もうクタクタ…。「もうカーナビはこりごり」と思い、また挑戦しようという気にはなれませんでした。ましてや、「やった!あのラウンダバウトを乗り切れた!」という喜びなど全くなかったです。

「苦手」を引きずっている人、特に大人は、自分の中で「苦手」との折り合いをつけて、限られた範囲内で対処している人が多いんじゃないでしょうか?「全て克服」までいかなくても、「この位でいいんだ」という程度に。

でも、車の運転と違い、緘黙は社会生活や自己評価に大きく影響してくるので、「この位でいいんだ」とは思えないかも…。

もし、あのラウンダバウトを使わなければならない状況に追い込まれたら?もし、誰かが側についていてくれて、「頑張れ、頑張れ」と応援してくれたら?もし、自分がもっと若くて、将来の必要性を感じていたら?

そうなったら、私でも多分「仕方ない、やるか」という気持ちになるでしょう。ひとりでは仲々できないけれど、誰かと一緒ならモチベがあがりますよね?特に、時間をかけてスモールステップでコツコツ進むまなければならない場合には。

ダイエットでもそうですが、やはりひとりでやるよりグループに入ったり、仲間や専門家と気楽に話し合えた方が、絶対心強いと思います。

自分の経験から、まずは自分が「変わりたい」と思う気持ちが大きくないと、挑戦するのは

難しいものだなと思った次第です。そして、専門家でなくてもいい、理解してくれる人が誰か寄り添ってくれたら頑張れるなと。

 

 

 

 

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国会議事堂内で場面緘黙の啓発イベント

7月6日(水)、ウェストミンスター宮殿(国会議事堂)内で、ルーシー・パウエル議員(労働党)とナイジェル・エバンズ議員(保守党)、そしてSMiRAが共催する場面緘黙の啓発イベントが開かれました。

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このイベントは昨年10月の場面緘黙啓発月から計画されていたもので、何度か延期された後、一昨日無事に開催されました。SMiRAの活動に感銘を受けた保護者が匿名で大きな寄付をし、その資金でこのようなハイグレードの啓発キャンペーンが可能になったのです。

参加したのは、大学教授や言語療法士などの専門家、SMiRAの役員、SMiRA会員の保護者、そして複数の国会議員ほか。2階のビッグベン側に位置する個室で、ドリンクとカナペがふるまわれ、和やかな雰囲気の中で啓発会が始まりました。

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    左から、『場面緘黙リソースマニュアル』の共著者、アリソン・ウィンジェンズさん、トニー・クライン教授、SMiRAコーディネーターのリンジーさん。『Tackling SM』の寄稿者やSMiRAに協力する専門家たちが大勢参加していました

最初の挨拶は、場面緘黙の著書を持つトニー・クライン教授。60年代に初めて緘黙児に遭遇した時の思い出や、場面緘黙を取り巻く状況がどのように変わってきたかをユーモアたっぷりに話してくれました。SMiRA会長のアリス・スルーキンさんは現在97歳というご高齢で、今回参加されなかったのですが、クライン教授は彼女の功績にも触れました。

次に、SMiRAに大きな寄付をし、このイベントの推進にも貢献したジョナサン・ストレイト氏が登場。保護者の心情とSMiRAを支援することになったいきさつを語りました。昨年は匿名で参加されていたのですが、今回は前に出て挨拶し盛大な拍手を浴びました。
IMG_20160706_133514娘さんが学校で話せない姿を見て愕然とし、学校側が手をこまねいているのを見かねてSMiRAに連絡したとか。娘さんの症状は、現在かなり改善しているとのこと。彼の寄付金のお陰でSMiRAのサイトデザインも一新し、昨年秋の啓発キャンペーンは効果大だったようです。
   

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その後は、SMiRAの役員や会員たちが、緘黙の子どもたちの声や保護者の心情を短い言葉で伝えました。特に、子ども自身が書いた文章や詩は、心にじーんと響くものが多かったです。

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   最後は、このイベントのホスト役を務めたパウエル議員が締めくくりました

近年、イギリスではNHS(国民保健サービス)の予算カットにより、子どものメンタルヘルスケアの予算も削られつつあります。そのうえ、先日の国民投票でEU離脱が決まり、政治的にも経済的にも不安定な状態――そんな中での啓発会でしたが、議員たちとのパイプが今後、場面緘黙の子どもたちの助けになることを願ってやみません。

<おまけ>

現在、国会議事堂として使われているウエストミンスター宮殿の歴史は、11世紀に遡ります。1529年に大火災が起こるまで王室の宮殿だったのが、修復後には議会や裁判が行われる場所に。1834年に再び大火事に見舞われ、1860年に修復した際に現在のゴシック・リバイバル様式になりました。

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     まさに豪華絢爛!バッキンガム宮殿にも勝っているような…。全長265mの建物内に1100以上の部屋と11個の庭があるとか…

仕事中の国会議員に混じって、観光客や社会見学できた小学生の一群など、人がいっぱい。至る所に警察官が立っていて、入る前に飛行場と同じようなセキュリティチェックがありました。

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           入口の大広間。1834年の大火を免れた天井の梁が荘厳です!

何とこの大広間の一角にはカフェと下院のギフトショップまであるんです。帰る前に、SMiRAの役員たちと一緒にお土産を物色しました~。もうこんな機会もないと思うと、ついつい真剣に。斬新なネーミングのアイテムも多かったです。

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下院のロゴ入りミントクリーム、”CHURCHILL’S” と名づけられたポートワイン、ビッグベンのTシャツ

 

 

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久しぶりの海

7月最初の日曜日はすごく久しぶりによく晴れ渡り、初夏の気候が戻ってきました。といっても、もう夏本番ですが…。ブルガリアの友達が10日ほどうちに滞在していて、彼の希望でイングランド南岸にあるポーツマスまで出かけてきました。

彼のお目当ては、世界で最も古い乾ドックにあるネルソン提督の旗艦、HMS ヴィクトリー号。でも、私は軍艦には全く興味がないので、ひとりだけ海岸付近をぶらぶらすることにしたのでした。

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     まずは The Tenth Hall Tea Room で腹ごしらえ。カニのサラダを注文したら、カニ肉がはいった甲羅がドカンとお皿にのっかってきてビックリ。でも、美味しかったです

家族と友達にしばしの別れを告げ、カフェから歩いて3分くらいのところにあるサウスシー海岸へ。天気のいい日曜なのに人はまばら、めっちゃのんびりしてます。

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パステルカラーの海の小屋(?)がズラリ。着替えと休憩用です

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海岸沿いのプロムナードを歩いていたら、無料のバラ園を発見!さっそく入ってみると、色とりどりのバラがまさに花盛りでした。

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      バラのパーゴラにはクレマチスも這わせてあって、とてもよくマッチしていました。それぞれの花の大きさで随分印象が違うものですね
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バラ園の向こう側はすぐ海

お城や博物館がある海岸の西側に向かってプロムナードを歩いていくと、徐々に人が増えてきて、やっと賑やかな雰囲気になってきました。

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    オレンジと黄色の旗はライフガードのサイン。看板には、本日の最高気温や担当ライフガードの名前などが。水温は11度でした

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カラフルなアイスクリームスタンド

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16世紀にヘンリー8世が石材で再構築した城塞、サウスシー城。見学は無料

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お隣の公園では野外コンサートが行われていました

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大型フェリーでワイト島まですぐ

海岸沿いのカフェでひと休みして、午後5時ころに家族と合流。まだ海辺に行っていない彼らのために、再び海岸へ。最近は10時くらいまで明るいので、まだ夕方という感じは全然ありません。

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こんな時間になって、泳ぎ始める人がちらほら

以前ウェールズに行った時もそうだったんですが、イギリスでは夕方近くになってから海水浴をする人が多いようです。それほど水温があがらないので、海水浴向きの海ではないんですが、天気が良い日は午後になると水が温まるんでしょうか?ちょっと謎です。

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ひさびさに海を見て、太陽も浴びて、のんびりゆったりできた日曜日でした。

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肌寒い6月も今日でおしまい

早いもので、6月も今日で終わりです。イギリスでは「Flaming June (燃え立つ6月) 」といって、1年で最も日が長くなり、気候の良い月のハズなんですが――今年はなんせ天気が崩れやすくて…。それに加えて、先週起こったまさかのBreixt!EU離脱が現実的になってきて、残留派が多いロンドンの空にはどんよりとした暗雲が立ち込めているかのよう。

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初夏なのに街が暗い…これからどうなっちゃうんだろう。ユニオンジャックは消滅?

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6月はバラの季節でもあるのに、雨が多くてすぐ花がダメになってしまいます。天気をみながら庭に出て、急いでバラの花がら摘み。また雨が降りそうな時は、咲きかけの花をどんどん切って、室内に飾っています。

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      ガーデンセンターで枯れかけていた時は、小さな花を咲かせていたAbraham DarbyとL.D. Braithwaite。立派に育ちすぎて、ちょっとというかかなり後悔中…

ジューンブライドに憧れるイギリス人女性も多く、6月からは野外のウエディングや披露宴がたけなわ。また、今月はロイヤルアスコット競馬やヘンリーロイヤルレガッタなど、イギリスの社交イベントも目白押しです。せっかくの野外イベントにこの天気は、本当に残念…。

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IMG_20160611_164930IMG_20160611_170914       仕事で初めてQueen’s Cupポロマッチを観戦したんですが、試合開始の2時間前から大雨!どうなることかと思っていたら、なんとか雨が止みました。でも、暗い…

今週からウィンブルドンテニス選手権も始まりましたが、世界中のテニスファンが「TVの画面が暗~い」と思ってるのでは? 今週末もなんだかお天気悪そう…。でも、太陽が顔を出せば、色彩がガラリと変わって緑が本当にきれいなんです。

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トトロが出てきそうなHighgateの森の入口。向かい側には瀟洒な家が並んでいまIMG_20160606_121502IMG_20160606_121548IMG_20160627_142611

           Highgae Woodの向かい側にある小規模なQueen’s Wood。古い家屋を改築した可愛らしいカフェがあります

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同年代の友だちの重要性

前の記事で「場面緘黙の後遺症」について書きました。

やっと緘黙を克服したのに、仲間とのおしゃべりにうまく参加できない、社会的な場面での緊張がひどく人付き合いが苦手、という人が一定数いるようです。これは緘黙をひきずったまま社会に出た人に多く、早期発見・治療すれば、学校や社会生活に順応できる傾向が強いよう。

以前「発音・言語・コミュニケーションの困難を持つ子どもの支援(Supporting Children with Speech, Language and Communication Needs)」というコースを受講した際、子どもの言語の発達は18歳くらいまで続くと習いました。例えば、皮肉を理解し対応できるようになる年齢は11~16歳頃。身近で見聞きしたり、実際に使ったりと、実践を重ねるうちに自分なりの受け答えができるようになるのです。

家庭でもそうした体験はできますが、家族ではない他者との体験もとても大切。第三者の大人たちや同年代・同世代の子どもたちと接したり、コミュニケーションを取る機会が持てる場といえば、やはり学校です。そう考えると、学校は勉強するだけの場所ではないんだということが、ひしひしと感じられます。

色々な体験をしながら社会的なスキルを身に着けていく場――学校は子どもが一日の大半を過ごす社会であり世界です。何年間も通わなければならないのに、ずーっと口をきけず、ただ周囲の話を聞いているだけというのは、本当に辛い…。会話に加われないことで、会話やコミュニケーションの練習ができないだけでなく、自信を積み重ねていくことが難しいのではないでしょうか? 

不安になりやすい子どもにとって、学校環境はとても重要です。でも、どんな担任とクラスに当たるかは、誰にとっても宝くじのようなもの。学校で話せなくても、休み時間に一緒にいられる友だちがいること、クラスメイトと交わえることが、大きなポイントになってくるかと思います。友だちの有無は自己評価の問題にも関わってくるので、本当に大切です。

親が子どもの友達関係に関与できる期間は、それほど長くありません。頑張っても、せいぜい小学校の中学年くらいまででしょうか?でも、まだ小さいうちだったら、親が友達を作るきっかけを作ってあげられると思います。できたら、子どもが好意を持っている園の友達や学校のクラスメイトを頻繁に自宅に招き、一緒に遊ばせてあげてください。

私も息子が4歳半で緘黙になってから、クラスで一番好きだった子のママに協力してもらって、家に遊びに来てもらったり、一緒に公園に行ったりしました。息子は自宅だとすぐにしゃべりだしましたが、親が遊びの仲介をしなければならないケースもあるかと思います。子どもの緊張感を解くには、鬼ごっこや風船つきなど、体を使った動きのある遊びがお勧めです(『まず体を動かす遊びから』をご参照ください)。

息子の場合は、教室でまずその友達に囁くようになり、徐々に囁き声が大きくなって、話せる友達が多くなっていきました。学校側が同じグループになるよう配慮してくれたのが、功をなしたと思います。

うちでは息子が小6の時まで、だいたい週1回のペースで友達グループ(息子を入れて計5人)を家に招いていました。持ち回りで、週3回くらい順々に誰かの家に遊びに行ってたかな…。友達の家で早い夕飯(というか簡単ごはん)を食べて、6時半くらいに帰宅するんですが、友達の家族とも顔見知りになり、いい体験ができたと思っています。

子どもたちを身近で見ていて感じたのは、同世代でしか共有できない流行や文化があって、子どもだけの世界があるんだなということ。例えば、Dr Whoが流行っていた頃、グループ全員がカード集めやフィギュア集めに熱中し、番組が放送された翌日はその話で持ちきり。Dr Whoの知識がなければ話にのれないし、カードを持ってないと、ゲームの仲間には入れないんです。

こうした子ども同士の交流や会話は、親が絶対に教えてあげることができないものです。だからこそ、そのきっかけ作りを親が手伝ってあげられたらと思います。

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場面緘黙の後遺症?

まず体を動かす遊びから

 

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場面緘黙の後遺症?

お久しぶりです。今月もなにかと忙しく過ごしているうちに、既に半ばを過ぎてしまいました…。ロンドンはここのところ天候不順で、雨が降ったりやんだり、かと思うと太陽が顔を出したり。一日のうちで、天気が猫の目のようにくるくる変わります。

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ご近所の黄バラが今年もいっぱい蕾をつけました

よく、「場面緘黙の後遺症」という言葉が使われます。緘黙は治っても、緘黙だった期間にコミュニケーションスキルや社会性を身につける機会を逸してしまったため、対人関係がなかなかうまくいかないというもの。

1対1だったら何とか大丈夫だけど、複数(3人以上)になると会話に入れない、どう対応していいのか判らない――特に、同年代のグループでの何気ない雑談が苦手、という人が多いようです。

本人にとっては、「会話に入れない」ことだけでなく、そんな自分への劣等感や、「友達ができない」、「信頼関係を結べない」といった孤独感や焦燥感が大きいのではないでしょうか?

緘黙になる人はもともと不安になりやすく、繊細で完璧主義の傾向が強いと思います。緘黙だけではなく、他の不安症や恐怖症(深刻になると障害に)を抱える可能性も大きいのです。それでなくても、対人関係がうまくいかなければ、誰だって不安になりますよね?

「緘黙さえ治れば」と思っていたのに、いざ話せるようになってみたら、状況はそれほど変わらなかった…。人がどう反応するかが恐くて話しかけることができない、人の目が気になって行動を起こせない—自分は駄目ってみんなに思われてるんじゃないか?

「他者から否定的な目で見られたり、否定的な評価をされることへの恐怖や不安」が非常に強く、長期間続いているようだったら、それは社会不安障害の可能性が大きいと思います。人と話さなければならない状況におかれた時、突然動悸がしたり、冷や汗がでたり、身体が震えたりという方は、パニック障害かもしれません。

 これらの不安障害がはたして「場面緘黙の後遺症」なのかどうか、「場面緘黙」だから「社会不安障害」になったのか、それとも、もともと不安症になりやすい気質ゆえに、同時に発症してしまったのか?それを分析するのは、とても難しいと思います。

 「場面緘黙」と他の「不安障害」はセットになっていることが多く、緘黙を克服できれば他の不安障害の症状も軽くなる傾向があるようですが、「場面緘黙」というのはあくまで「人前で話すことに対する恐怖や不」です。人の評価が気になってしかたないのは、場面緘黙とは別の問題なのです。

 「緘黙の後遺症だから仕方ない」と思い込んで、不安をひとりで抱え込まないようにしてください。勇気を出してカウンセリングを受けてみたり、心理士やセラピストに会って、話を聴いてもらうことで気持ちが楽になると思うのです。もちろん、セラピストとウマが合わないこともあるでしょう。でも、自分の気持ちを言葉にするって大事なことだと思います。

マギーさんのワークショップに参加した際、「悩みを打ち明けることで、本当に心が軽くなった」という話をしてくれた女性がいました。彼女も私のように外国人で、緘黙の子どもを抱えて現地の学校とやり取りするストレスや、母国の家族の問題など、色々な悩みを抱え込んでいたとか。

 そんな時、思い切ってセラピストにかかったことで、心の整理できて本当に良かったと言ってました。自分の問題を客観視できるようになり、「あなたは今イギリスに住んでいるんだから、母国の家族に対して実際にできることは限られている」というセラピストの言葉に、納得し安心できたと。

 「今まで自分がしたことの中で、最も有益だった」とも。実は、たまたま娘さんのピアノ教師との軽い会話の中でセラピーの話が出て、その時「ふ~ん、そんなに気軽に受けられるものなんだ」と感心したんだそう。

その時は自分がカウンセリングを受けるとは思いもよらなかったそうですが、イザ相談してみて前向きになれたと話す笑顔が、とても印象的でした。私も昨年色々あって、一時セラピストにかかることを考えたものの、金額に面食らってやめた経緯があるのですが、次に悩みができた時は実行したいなと思ってます。

 

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