3人付き合い - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その7)

昨年秋から途切れていた、息子の緘黙記録の続きです。

時間の経過とともに、T君とM君は園の内外でかなり地が出てきました。T君は一見おとなしそうですが、しっかり自己主張するタイプ。活発なM君は体を動かす遊びが大好きなイタズラっ子。息子はというと、自我はとても強いのに1対1でもなかなか自己主張できず、相手に合わせるという感じでした。

例えば、T君がうちに遊びに来ると、真っ先に自分の好きなオモチャを取ります。それらは息子のお気に入りのことが多く、本当は先に自分が遊びたいんです。が、「次は僕」と言えないまま、ずーっと譲りっぱなし(諦めっぱなし)なのでした。

また、T君宅に遊びに行くとなぜか萎縮してしまい、なかなかオモチャに手が出ません。T君は自分のお気に入りは「これはダメ!」と釘を刺すので、違うものにソロソロと手を伸ばすという具合…見かねたT君のママが、「貸してあげなさい」と気を利かせてくれることも多かったです。

(入園以前に仲良しだった日本人の友達はひとつ年上。今考えてみると、精神的にもすごくお兄ちゃんだったなと思います。この子と2人で遊ぶときは、全く萎縮することなどなどなかったんですが…)

台湾人のM君宅に行く時は、だいたいT君もいっしょ。家の中でも外でも活発な遊びが中心なのですが、息子は躊躇するので、なかなか順番が周って来ないことも…。庭にビニールプールを出した際、M君がふざけて周囲にバシャバシャ水をかけるので、息子だけプールに入らなかったこともありました。

公園の遊具では普通に遊ぶものの、木製の汽車の屋根に登って飛び降りるというような新しい遊びが出てくると、最初は見ているだけ。そのうち、ゆっくり登って慎重に地面に降りるという感じで、怖がりの性格が反映されてました。

我が物顔で自由にふるまう幼児が多い中、なんでうちの子は友達に遠慮するのかな?と当時とても不思議に思ったこと、そんな息子にフラストレーションを感じたことを今でもよく覚えています。でも、これって抑制的な気質のせいだったんですよね…。

「3人集まれば社会の始まり」といいますが、1対1の場合と3人の場合では、人間関係の複雑さやダイナミズムが随分違ってきます。自分と相手だけだったのが、そこにもう1人加わることで、第三者のことも考えて行動しなければなりません。

息子は1対1のコミュニケーションは取れてましたが、そこに誰か加わると萎縮してしまう傾向がありました。多分、自分の立ち位置というか、どう振る舞えばいいのか分からなかったんでしょうね。

また、息子は状況を変えることがとても苦手でした。自宅で楽しく遊んでいるのに、どこか違う場所に行かなければならないような場合は特に。でも、行ってしまえば、割りと平気なことが多かったです。ある時、息子とグラニーが仲良く話しているところに私が加わろうとしたら、息子の態度が急変。「マミーあっちに行って!」と睨まれた時は、ショックでした~。

蛇足ですが、私自身も小さい頃から仲の良い友達と1対1で、深くべったり付き合うタイプでした。保育園の時の親友とは家が近く、近所の子たちと集団で遊ぶ時も、2人でくっついてました。小2まで同じクラスで、その後もしばらくは一緒に登下校し放課後もお互いの家で遊んでたんです。そんな風だったので、複数での友達関係を学び始めたのは、小4になる頃だったような…。どう行動すればいいのか、やっぱり戸惑うことが多かったように記憶しています。

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日本男児と台湾男児現る! - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その6)

 

その後息子は、ミニカー好きのS君とだんだん親しくなっていき、彼のママも時々私に声をかけてくれるようになりました。日本語を話せる研修生は2週間ほどしかいませんでしたが、英語環境にも慣れてきたよう。もう付き添いは全くいらないかなと思い始めた矢先、予期せぬ出来事が起こりました。

ある朝、息子のお絵描きを見守っていた時のことです。私たちの近くに初めて見る東洋人の母子がやってきました。「あれ、日本人?」と思って挨拶をすると、「渡英したばかりです。どうぞよろしく」と、若くておしゃれなママさん。

「あ~、やっと日本人の子に巡り会えた~!」と嬉しかったのですが、お子さんはツヤツヤの黒髪が日本人形みたいに可愛らしい女の子。内心がっかりしていると、「男の子です。Tといいます」と言われ、もうビック!。え~っ、可愛すぎる。

同じ日本人のよしみか、息子とT君はすぐ打ち解けた雰囲気に。それまで教室で小さくなっていたのが、緊張が溶けて少しリラックスしてきたように見えました。当時は「園生活に慣れて仲良しもできたから」と思っていたのですが、今考えるとやはり言葉の問題が絡んでますよね…。

もともと、この幼稚園を希望した理由のひとつは、駐在員のお子さんが複数人いると聞いていたからでした。日本人もいる幼稚園だったら、英語環境の中で日本語もキープできて一石二鳥と思ったのです。でも、蓋を開けてみるとクラスに日本人はおらず、なかなか馴染めず――やっとのことで英語だけの環境に慣れてきたところだったので、少々複雑な心境でした。

T君は息子と同じでちょっと繊細な感じの子。それに加え、何といっても異国での初めての幼稚園生活です。最初はやはりママがいないと不安そうでした。でも、息子と双子のようにくっついて行動しているためか、慣れるのは随分早かったように思います。母親同士も親しくなり、1週間くらいして「もう付き添いはいいよね」と話していた時、またまた新人君が!

今度は台湾人の男の子M君。T君と同じで、M君も全く英語ができず――しかも、3歳になったばかりでした。活発な感じでしたがママから離れられず、まだ赤ちゃんの妹を抱っこしたママはつきっきりで辛そう…。同じアジア人だし、新人さん友の会ということで、声をかけてM君も息子たちと一緒に遊ばせました。

それからすぐ、私はT君のママと一緒にとうとう付き添いを卒業。教室の前で子どもとバイバイして帰宅できるようになり、近くのカフェでお茶を飲む余裕もできました~。M君ママも誘って幼稚園の帰りに一緒に出かけたり、お互いの家を行き来したりと、やっと園生活をエンジョイできるようになったのでした。

蛇足ですが、M君のママが2週間ほど赤ちゃん連れで付き添いをしていたところ、保育士さんに「お母さん、もう帰ってください」と言われたとか。M君はお母さんが帰った途端、大泣きして大暴れ!が、翌日から大泣き・大暴れを受け止めてくれた保育士さんが大好きになり、ママがいなくても全く平気になったのです。

何で私にはそういう提案がなかったのかな――と少々羨ましくもあったのですが、多分息子が入園した当時は新しく入った児童が多くて手一杯だったのでしょう。それとも、息子の性格を見抜いて、「この子は母親が付いてたほうがいい」と判断したんでしょうか?いずれにしても、息子はM君のようにはいかなかったろうなと思います。

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母子登園卒業へあと一歩 - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その5) 

 

いつまで続くのかと不安だった母子登園でしたが、4週間を過ぎた頃からずっと傍にいなくても大丈夫になってきました。初めは「マミーは○○に行くからね。すぐ戻ってくるよ」と告げると、目で私の姿を追っていたのですが、徐々に慣れてきてひとりで落ち着いて遊べるように。朝一緒に教室に入って短時間付き添えば、あとは終わりまでOKという感じ。

もうひとりのママさんも同じようなペースで進行していて、一緒にペアレントルームでの待機に成功。「もうそろそろ付き添いも卒業だね」と安堵の笑顔を交わしたのです。

ところで、それまで担任からは何の提言もありませんでした。毎日「後片付けご苦労様」とは言われるものの、子どもに関する話はなし。今だったら解るんですが、こちらでは自分から相談しないと、「この人は別に困ってないんだ」と思われてしまう傾向が強いんですね…。まだ心配なので最初の15分ほど付き添いたい旨を告げると、簡単に承諾してくれました。

11月も半ばを過ぎ、やっと一時帰宅できるようになった私。でも、園まで徒歩15分はかかるので、途中で買い物をして、洗濯などしていると、すぐお迎えの時間…。時間には厳しい園だったので、焦って迎えに行ってました。無料でありがたいけれど、2時間半の保育って短すぎ!

ある日お迎えに行くと、担任から保育士の研修中というイギリス人女性を紹介されました。聞けば、彼女は最近まで日本に住んでいて、日本語が話せるとのこと。「○○君(息子の名)はなかなかクラスに馴染めなかったけれど、この人が日本語で話してくれるから色々スムーズにできるようになったのよ」と。

それまで私は、外では英語、家庭では日本語を話していれば、自然にバイリンガルになるだろう、なんて気楽に構えてました。息子の母国語の問題とか、全く気にしてなかったのです。この頃、息子の話し言葉は日本語90%、英語10%程度でしたが、英語も聴く方は殆どできてたので、あとは自然に習得できるだろうと――なんと楽観的だったことか…。

今思えば、私から離れていきなり英語だけの環境に放り出され、かなりのストレスだったに違いありません。この頃から、家での癇癪が酷くなりつつあったのですが、成長過程でよくあることなのかな、くらいに思っていました。

幼稚園が始まる前に里帰りした際、教員だった父が「この子はイギリス人なんだから、ちゃんと英語で生活させないと…」と、日本語ばかり話している息子のことを心配していました。それを私は、「大丈夫だよ。周りが英語環境だから、英語は自然に身につくから。それより日本語をしっかりキープしないと」なんて呑気に言ってたのです…。

考えてみれば、あまりにも慎重で繊細すぎる性格の息子のこと。知らない人の前で、慣れない英語を平気で話すようになるはずもなく…。家で慣らしておけば良かったんでしょうが、主人は「英語で話して」という私のリクエストなど全くおかまいなし。日本語でないと息子との会話が成り立たないので、ずっとちょっと変な日本語で話してました。

そういえば、この頃息子を寝かしつけるのは私しかダメで、主人がやろうとすると「マミーがいい!」と泣くのです…。これではマズイと思い、毎日父子タイムを設けて、スキンシップを増やすようにしてました。しかし、お天気のいい週末にボールを持たせて2人を公園に送り出しても、少しボールを蹴って、アイスクリームを食べて、すぐ帰ってきちゃうんですよね…。

余談ですが、IT関係の仕事をしている主人はスポーツに全く興味がなく、ワールドカップもウィンブルドンも観ません。5年ほど前、会社の忘年会で当てたアーセナルの試合チケットも、息子が「寒いから行かない」というので、友人父子に譲ったという…。ということで、スポーツ少年にしたいなんていう思いは、最初から全然なかったのでした。

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息子の緘黙・幼児期3~4歳(その4)

母子登園の日々 - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その4)

 

入園の翌日から、私ともうひとりのママの付き添い幼稚園生活が始まりました。午前中のクラス(公立幼稚園は2時間半のみ)に参加して、子どもたちと一緒に遊んだり、お世話したりする毎日。息子を遊ばせているとよってくる子が結構いるので、保育士助手みたいになっちゃうという…。

息子たちの前に入園した子どもたちは、もうママがいなくても平気らしく、始業後も残っている母親は我々だけ。「よし、息子が独立(?)するまで頑張るぞ」と腰を据えて待つことにしたものの、「いつになるかな…」と一抹の不安がありました。

めいめい好き勝手に遊んでいる40人ほどの子どもたちの面倒を見るのは、若くて可愛らしい担任と3、4人の保育士。ダウン症の子がひとりいて、1人はその子の加配のような感じでした。広い教室内には様々なコーナーがあり、園庭にも自由に出られます。保育士1人は必ず園庭で見守りをしているため、残りの先生達が各コーナーで子どもの相手をしますが、先生のいないコーナーもいっぱいあるのです。

子ども達の近くにいると、「これやって」とか「トイレ行きたい」とか頼まれることが多く、忙しい先生たちの手を煩わせないよう、訊きながら適当に対処してました。そのうちに慣れてきて、お絵描きコーナーでは、「エプロンしてきてね~」「手を洗いに行こうね」と指導しちゃったり――3、4歳児なので、みんな本当に可愛いかったです。

息子のお気に入りは、何と言ってもミニカー&電車コーナー。道路の絵が描かれたカーペットと駐車場セットでミニカーを走らせ、飽きると次は木製の電車セットの出番です。毎日線路を組み立てていたので、今でも私の得意技のひとつ。このコーナーには大抵S君がいて、息子とS君は徐々に打ち解けていきました。

おままごとコーナーには、いつも私を待っていてくれるO君が。初日に彼が作った朝ごはんを褒めて「美味しいね~」と食べる真似をしたら、それ以来毎日作ってくれるようになったのでした――嬉しい!でも、息子そっちのけで「ねえねえ、見て!見て!」とぐいぐい手を引っ張られ、ちょっと困る…。

日本でもそうなのかもしれませんが、イギリスの幼稚園(3歳~4歳)や小学校のレセプションクラス(4、5歳)では、本格的な遊具を揃えている印象です。おままごとコーナーには幼児の背丈に合う木製の台所セットが設置され、調理器具や台所用品の玩具も本物に近い感じ。ゴム製や木製の食品各種が山ほど用意されていて、中には握り寿司やイタリアンや中華料理の模型なども。

そうそう、息子の幼稚園には工具コーナーまであり、幼児サイズですが金槌やノコギリ、クギなど本物の工具が。担任に「ケガしたりしないんですか?」と質問したら、「取り扱い方をきちんと教えてるから、今まで事故が起こったことはない」とのことでした。ちなみに、この園では子どもにあまり切れないナイフを持たせて、野菜スープの材料を切らせたことも。子どもたちは調理実習が大好きでした。

PCテーブルでは幼児向けゲームを楽めるんですが、「えっ、こんな小さいのにもうパソコンゲーム?」と最初は驚きました。仮装の衣装もカラフルで種類が多く、「こんなのあるんだ~」と感心。男の子にはやっぱり、スパイダーマンとかスーパーヒーローが人気でした。でも、息子は結局一度もトライすることなく…。

毎日授業(?)の終わりには、全員がカーペットに座って絵本の読み聞かせや歌、ダンスなどをする時間がありました。最初は息子と一緒にカーペットに座っていたのですが、そのうちに慣れてひとりで座っていられるようになり、私ともうひとりのママはお片付けタイムです。一応、子どもに片付けさせるのですが、そこはまだ幼児のこと。残っている玩具を所定の場所にしまい、最後はだいたい床に落ちた砂(何故か室内に砂遊びのテーブルがおいてある)を掃き集めるのが日課でした。

息子は泣くことはありませんでしたが、私がペアレンツルームに行こうとするとついてきてしまうんです。もうひとりのママも同じだったようで、仕方なく一緒に相手をしていました。彼女がいてくれたおかげで、それほどメゲずにに母子登園を続けることができたと思います。

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息子の緘黙・幼児期3~4歳(その3)

幼稚園入園 - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その3)

10月も半ばに入り、いよいよ息子が幼稚園に入園する日がやってきました。入園といっても、こちらでは日本のような式典はなく(小、中学校もなかった…式服不要です)、ただ母子で登園しただけ。それも、この日入園したのは息子と女の子の2人のみでした。

というのは、息子の幼稚園では9月から誕生日順に1週間に数名ずつクラスに加えていくというシステム(1/3程度は持ち上がり)。息子は8月中旬に3歳を迎えたばかりの「早生まれ」なので、39人中で一番最後だったのでした。

(小学校は4歳から始まるのですが、小学校でも早生まれの子は時期をずらせて入学させる方針だったため、幼稚園(1学年のみ)では3歳児と早生まれの4歳児を混ぜたクラスでした。預かってくれる時間は2時間半。午前中に2クラス、午後に2クラスを設け、規模は大きい方でした)

イギリスでは同じ公立の幼稚園でも、それぞれの園によって経営方針が全く違います。息子の園はかなり自由な校風で、クラス全体でする活動といえば歌、お遊戯、読み聞かせの時間くらい。あとは、子どもの主体性に任せて好きな活動(遊び)をさせて個性を伸ばすという方針でした。

これって、極端にいうと外遊びが好きな子はずーっと外に出っぱなし、お絵描きが好きな子はひとりで何枚も描いてるし、おままごとコーナーはいつも同じ顔ぶれ…。息子はといえば、やっぱりミニカーと電車のコーナーに張り付いてました(笑)。

とても評判のいい幼稚園でしたが、今考えてみると人見知りの激しい息子には向いていなかったと思います。当時は「子どもの個性にあった学校を探そう」なんて考えたこともなく、周囲の勧めで「ここ」と単純に決め、入園できてラッキーと感じてました…。いつだったか、息子が小5くらいの頃にビデオで日本の保育園の様子を観て、「日本の幼稚園って先生と一緒に色々やるんだ。僕もこういうところが良かったな…」と漏らしていました。

さて、話を初日に戻すと、若い担任の先生との簡単な挨拶のあと、私ともうひとりのママさんには次のような選択肢が与えられました。

  1. 子どもを置いて即帰る
  2. カーテンで仕切られたペアレントルームで待機
  3. 教室内で子どもと一緒に遊ぶ・近くで見ている

多くの保護者は2を選択し、子どもはたいてい2日~1週間くらいでクラスに慣れて、母親がいなくても大丈夫になるということ。が、うちのお向かいに住む3つ年上の女の子が入園した際は、ナニーさんが6ヶ月付ききりだったという話も聞いていました…。一方、初日から保護者と引き離す私立の園もあり、吐くまで泣いた3歳児が1週間ですっかり慣れたという話も。

まず様子を見てからと思っていましたが、案の定息子は私の側を離れそうにない…。そりゃそうですよね。初めて来た場所で(オープンデーの日は水疱瘡で参加できなかった)、知らない子ばかりだし、性格を考えても臆するのは当たり前。なるべくクラスの子たちと馴染めるよう、近くにあったおままごとコーナーで他の子にも声をかけながら息子と遊びました。

もう一組の新人母娘はというと、やはり教室で一緒に遊んでいました。とても大人しく繊細そうな子で、ママにべったり。私も高齢出産でしたが、このママさんは私よりもっと年上の感じ…。帰り道で一緒になって色々話をしたところ、何と彼女には14歳の双子(娘と息子)がいて、その子たちが入園した際に早く慣れさせようとして大失敗したとか。

泣く子どもたちを置いてさっと家に帰っていたらしのですが、双子はいつまでたっても園に馴染むことができず、家でも情緒不安定になったそうです。その時随分苦労したので、今回の末っ子ちゃんは、自分から離れる気になるまでとことん付き合うと決めているそうでした。

その話を聞いてビビった私は、「じゃあ、私も自然に離れるまで付き合おう!」と決心したのでした。

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息子の緘黙・幼児期3~4歳(その2)

 

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その2)

前回のエントリーで書き忘れてしまったのですが、3歳児検診のチェック項目の「排泄」について。息子のトイレトレーニングがいつ完了したのか忘れてしまったものの、そんなに苦労した記憶はありません。幼稚園では子どもが自分でトイレに行くという規則があり、3歳の誕生日前にはちゃんとオムツが取れていたような…。夜だけオムツの期間が少しありましたが、それも割と早く卒業できました。オネショをしたことも数えるくらいしかなく、その点はとても楽だったと思います。

今考えてみると、昔から潔癖症のところがあり、濡れる感覚が嫌だったんじゃないかなと思いあたります。ちょっと袖口が濡れただけでもすごく気にする性格で、小学校4年生くらいまでは水に濡れる遊びを極力避けていました(プールは除く)。これではいかんと、家の庭で私と水鉄砲を打ち合う練習をし、めでたく濡れても大丈夫になりました~。

息子は赤ちゃん時代にアトピーに苦しんだこともあり、肌もとても敏感です。2歳になる前、友達にならって上半身裸で遊ばせたところ、それほど陽に当たってないのに背中がアセモだらけに…。3歳で里帰りした際も、9月中旬というのにアセモに悩まされました。

着るものについても色々難しく、襟がついている服は頑固に拒否。ずーっとコットン100%のTシャツ派だったため、ジュニアスクール(7~11歳)の制服がポロシャツと化学繊維100%のパンツと知って焦りました。が、一度着てみたらいたく気に入ってしまい、それ以来襟付きのシャツを好んで着るようになったのでした…。この激しい変化は一体何だったのか、とても不思議です。

味覚も鋭敏で、昔は食べられないものが結構ありました。が、14歳の今では、大根も、コンニャクも、アンコも大好きに。食べられないのはアボカドくらいのもので、同年代のイギリス人と比べたら味覚の幅がとても広いと思います(日本の食文化のおかげかも)。

それから、里帰り時には癇癪をおこすこともなく「社交的」といえるくらいだったんですが、帰りのヒースロー空港で忘れられない事件が起きました。長旅であまりにも疲れていたため、私がうっかりしていて、息子のお気に入りの玩具が入った小さなリュックをトローリーのフックにかけたまま…。自宅に戻って、「あれっ、リュックは?」と思い出した頃には、もう時すでに遅し。

翌日から、「マミー、地下鉄はどこ?」「ジャガーのオープンカーはどこ?」と息子の癇癪の嵐!! お気に入りのミニカーと電車をごっそり無くしてしまったため、途方にくれました—-買いなおそうと思っても、同じ模型が売ってなかった!

隣町まで行ってやっとロンドンの地下鉄を手に入れると、即座に「ユナイテッドエアラインの青い電車は?」と突っ込んでくるので、困り果てました…。その責めとツッコミは半年以上続き、「いつまで覚えてるんだ~!3歳児ってこんなに記憶力がいいの?(これらの玩具限定)」とゲッソリしたものでした。

「働く車」から始まって、息子は本物に近い作りのミニカーや電車模型に夢中でした。一応『トーマス』も好きでしたが、小さな頃からトーマスシリーズよりも、本物の地下鉄や電車の模型を欲しがるのです(トレーン社のNゲージ鉄道模型のコレクションはまだ手放していません)。

幼稚園に通う道すがら、遠くにある車の形を見てメーカー名と車種名を言い当てるのが日課という…とてもマニアックな子どもでした。そのおかげで、車に全く無知だった私も、少し車種名が判るように。仲の良かった日本人の友だちはトミカに入れ込んでいて、息子よりもっと知識が豊富だったような。彼は国旗を見て国名を言い当てるのも大得意で、地理が苦手な私は舌を巻いたものです。

子どもってすごい!好きってすごい!

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その1)

 

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その1)

 

息子の3歳の誕生日は夏らしい好天に恵まれました。自宅の小さな中庭に遊具を並べ、気心のしれた友達7、8人とママ達を招いて午後の誕生会。リラックスして楽しい時間を過ごすことができました。

9月から新年度が始まると、一番仲良しだった日本人の友達がフルタイムで幼稚園に通いはじめ、平日いっしょに遊べなくなってしまいました。プレイグループには引き続き週3回ほど通ったものの、親しい子たちが入園してゴッソリ抜けてしまい、遊び相手不足に…。

イギリスでは公立の幼稚園は3歳から、小学校は4歳から(学年内に5歳になる子ども対象)です。なので、息子自身も入園する年齢だったのですが、息子の幼稚園は誕生日が早い順から1週間に2名ずつ入れていくという方針。8月中旬生まれの息子の番が来るのは、10月中旬と一番最後なのでした。

入園までの時間がぽっかり空いてしまったため、9月のはじめに予定されていた3歳時検診を済ませた後、私と息子だけで1年半ぶりに日本に里帰りすることに。

3歳児検診ってどんなことしたんだっけ、と母子手帳を調べてみると…

  1. 粗大運動
  2. 微細運動
  3. ことば/言語
  4. 行動
  5. 排泄

発達のチェックポイントは上記の5項目。優しそうな女性の小児医さんに誘導されて、歩いたり、ホップしたり、丸などの形を真似して描いたり。個室だし、私が一緒で安心できたのか、臆することなくすんなりこなした記憶があります。手帳には、すべて年齢に見合った発達に○がつけられていました。

ことばの発達については、当時息子は90%くらい日本語で話してたんですよね…。検査では医師の質問を私が和訳して息子に訊き、その答えを英訳して伝えるという。この年齢だと3語以上の文章で話す時期ですが、「こんなんでちゃんと判るの?」と疑問に思いました。

でも、私が心配していたのは言葉の発達よりも、息子の引っ込み思案な性格でした。新しい環境に慣れにくく、新しいことにチェレンジするのを躊躇し、慣れた玩具や遊びを好む傾向が強くなっていたからです。女医さんの「何か困っていることはある?」という問いかけに、こんなに引っ込み思案で大丈夫なのか相談しました。

その頃、BBCテレビで『Child of Our Time』という人気番組シリーズを放送していました。2000年にスタートしたこの番組は、ミレニアムに誕生した25人の子どもの成長を、20年かけて追跡調査していくというもの。子どもの性格や社交性にスポットを当てた回で、専門家が「幼児期に形成された性格や社交性が大人になっても続く」というようなことを話していたため、「この子はずーっと引っ込み思案のまま?」と、めちゃくちゃ気になっていたのです。

うろ覚えなのですが、女医さんからは心配し過ぎないなよう言われたような。母子手帳の備考のところには、「大人しいけれど、能力はちゃんと持っている」とあり、その後に「社会的には引っ込み思案」との記述…。ちなみに、当時から痩せぽっちで体重は14キロ弱でした。

さあ、次は日本まで飛行機の長旅です!息子の初めての里帰り(息子の緘黙・幼児期1~2(その3))では、スチュワーデスさんに驚かれ、他の乗客に「可哀想なくらい泣いてたね~」と声をかけられるほど超大泣き…。今回は主人はいないし、私一人でどうしたものかと、乗る前から戦々恐々としていました。

息子のお気に入りの玩具、お菓子、絵本、食料品など、思いつくものを全部バッグに詰めこみ、イザ搭乗。すると、成長したためなのか、驚くほどスンナリと順応(?)できたのです。

まずは、キッズセットを持ってきてくれたスチュワーデスさんに笑顔で挨拶し、褒められるという幸先のいいスタート。もらった玩具で遊んだり、持参した絵本を読んだり、アニメ映画を観たり。キッズミールもちゃんと食べることができました。1歳半の時のように、機内を行ったり来たりすることはなかったのですが、よく喋って何だかハイテンションだったような…。静かになったなと思ったら、いつの間にか眠ていて、嬉しい驚き!(以前はこういう状況ではウトウトするだけでちゃんと眠れず、疲れて泣き叫ぶというパターンだった)

着陸時にはやはり耳が痛くなって泣きましたが、予め飴を舐めさせておいたためか、先回と比べたらもう楽勝という感じ!着陸後に、何故かはしゃいで足で前の席をぐいぐい押すというエピソードも。その席に座っていた年配の女性にお詫びすると、「(子どもは)おひとり?」と訊かれ、「はい、そうです」と答えたら、「やっぱりね」と言われてしまいました…。ひとりっ子なので甘やかしていると思われたんでしょうね。

故郷で初めて会った人達にもとても愛想が良く、3歳になって成長したんだなと感激。ただひとつ気になったのは、教師をしていた父親に「この子は日本語ばかりだけれど、幼稚園で困るんじゃないか?ちゃんとイギリス人として英語で育てたほうがいい」と言われたことでした。

私は幼稚園に入ったら英語ばかりだから、自然に話すようになる。そんな環境で日本語をキープできるよう、幼稚園でも日本人の友だちができるといいな、などと気楽に考えていたのでした。