抑制的気質とHSP(その4)- ASD児の共感力

イギリスでは1週間ほど最高気温が30度近くまで上がる真夏日が続き、先週の水曜日はなんと34度に!6月にこれほど気温があがったのは40年ぶりだそうです。この日は電車とバスを乗り継いでちょっと遠出をしたのですが、痛いくらいの陽射しと熱風にもうぐったり。こちらの公共交通機関にはエアコンなどついてないので(学校はエアコンどころか扇風機もなく、先日アイスを配ってました~)、夕方になるとドドっと疲れてしまっていました。

さて、時間があいてしまいましたが、『抑制気質とHSP』の続きです(前記事は『抑制的気質とHSP(その3)共感力ってなに?』)。今回はASD児の共感力について。

「ASD児は人に興味がない」といいますが、決してそうではないと思います。私が日本語を教えている特別支援校は、高機能自閉症/アスペの子(90%以上が9・10~18歳の男子)を対象としているのですが、どの子も例外なく母親が大好きで、強い絆を持っているよう。

また、ほとんどの子が友達関係を築いていて、休み時間に一緒に遊んだり、隣同士で座ったり。趣味が合う子同士が友達になり、カードゲームをするグループや校庭でサッカーなどの遊びをするグループができています(休み時間はスタッフが交代で生徒の見守りをするんですが、時間が空いているスタッフも遊びに参加。一緒にゲームをしながら、生徒の個性を知ったり、人間関係を深めることができて一石二鳥です)。

当たり前のことですが、ASD児にとっても学校での人間関係はものすごく大切。もしかしたら、「彼らは自分の世界に閉じこもっていれば幸せなんだ」と思っている方がいるかもしれませんが、全員がそうな訳ではありません。少なくとも、うちの学校の生徒さん達は違うし、以前公立の小学校で担当した高機能ではないASD児に関しても、学校生活を続けているうちに徐々に仲間意識が芽生えていったように思います。

ASD児同士の会話を聞いていると、友達の話をそれほど熱心に聞いていないと思われることも多いんですが、共通の話題で盛り上がったり、一緒に行動することを楽しんだりと、仲間意識を持っていることは間違いありません。それは共感力に繋がるものだと思うし、みんな友達を欲しがっているんです!

でも、中にはうまく友達関係を結べず、クラスの中で孤立しがちになって、社会不安や鬱に苦しむ子も…。ASDやADHDなど発達障害を持つ子・成人が、二次障害として社会不安や鬱病などを併発することは結構多いといいます。

仲間に入りたいのに、どう受け答えすればいいのか、どう行動すればいいのか判らない――。

話せるようになった緘黙の人が、同じような悩みを抱えるケースをよく耳にします。緘黙を克服しても、人とうまく話せない・社会に溶け込めないことを「緘黙の後遺症」と呼び、深刻な社交不安や社会不安に悩まされるケースも…。

話し言葉・言語・コミュニケーションの発達は18歳くらいまで続きます。子どもは実際の体験を通して対人コミュニケーションを学び、社会性を培っていくので、発達の大切な時期にこうした体験を積めないことは、かなりのハンデになり得ます。

ASDの人は脳の機能障害で、緘黙の人は体験不足で対人コミュニケーションが苦手――原因は違いますが、症状はほぼ同じですよね。両者とも自分の気持ちを伝えることが苦手と思われるので、原因をはっきり判別するのはかなり難しいのでは?

話をASD児に戻すと、よく耳にするのが「ASDの人は言われたことを額面通りに受けとめるので、冗談が通じない」という説。でも、私の生徒さんたちはジョークを飛ばすことも多く、受け取る側の反応もすばやい。あうんの呼吸というか、ちゃんと通じ合っているものがあるのです。これって共感性のひとつでは?(ちなみに、英語やその時学校で流行っていることなどの問題で、私の方がジョークを受け取り切れない場合が多いです)。

でも、考えてみると中学生以上の子ばかりなので、それまでの集団生活や社会学習の成果なのかも?ということは、学習すれば社会性とともに、共感性も少しずつ身につくということでしょうか(常識からは程遠い行動や思考もあるにはせよ)?

以前、小学部でTAの見習いをしていた時、「やっぱりASD児に思いやりの心はないんだろうか?」と思ったエピソードをご紹介しますね。

ある寒い冬の朝、TAのひとりが風邪をひいてひどい咳をしてたんです。クラスの子ども達はそんな彼女の様子にすぐ気づきました(なにか普段と違うことがあると、反応が早い)。共感力がある子どもなら、「大丈夫?」と心配するところですよね?

すると、殆どの子が彼女のところに行って「なんで咳してるの?」と訊くんです。「風邪ひいちゃったの」というTAの答えに、「ふーん、そうか」と納得し、すーっとその場を離れる――それが何度も繰り返されました。

見かねて、「Miss Aは風邪をひいてすごく気分が悪いんだよ。こういう時は『大丈夫?』って声をかけてあげると嬉しいんだよ」と教えたら、みんな「ふーん」と返事してましたが――それを実行に移すには、まだまだ時間が必要だなと思ったのでした。

そういえば、先日小学部の先生が新入生を連れていたので名前を訊いたところ、後退りされました(笑)。それから、私にしかめっ面をして先生の後ろに隠れたという…担任にはよく懐いてました。

人は誰でも自分が一番大事です。普通だったら自然に社会の中での振る舞いを学んでいく訳ですが、ASD児の場合は生まれつき周囲の人の表情や場の空気を読めないため、「自己勝手」と思われる行動にでがち。でも、悪気は全くないんです。思ったことを正直にそのまま口にしてしまうので、摩擦を起こしやすいんですが、指摘されるとちゃんと反省し、学習しています。

社会的なルールを自然に身に着けることが困難なので、小学部では対人コミュニケーション技術をパターン学習させて、社会生活に対処できるよう支援しています。その過程で、スタッフや他の生徒たちとの人間関係が育まれ、学校生活を円滑に送れるようになっていく感じです。

緘黙の子どもや成人にも、安心して社会的な経験を積める場所や機会が設けられるといいのになと思います。多分、「言葉の教室」はそのひとつだと思うのですが、安心して集まれる小グループのようなものがあるといいですよね。

息子の場合は、クラスメートを家に招くことが緘黙の克服に加え、社会性を身につけることにも繋がりました。小3の頃から男子5人のグループに入れてもらって、放課後は持ち回りでそれぞれの家を行ったり、来たり。我が家には週に一度の割合で集まり、毎回5人分の夕食を作るのが習慣に。大変でしたが、他の子供たちのことを知ることができ、なにより息子はこの小グループで同世代の子達との密接な関わり方を学べたんじゃないかなと思っています。

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感覚過敏について(その1&2の追記)

 

感覚過敏について-抑制的気質とHSP(その1&2の追記)

昨夜、今月(何日か不明)『あさイチ』で放送された「シリーズ発達障害」を動画サイトで偶然発見・視聴しました。番組では感覚過敏についてかなり突っ込んだ調査を行い、本人にはどう見えているか・聞こえているかを映像化。発達障害を持つ大人が増えてきたため、その実情がどんどん解明されてきているようです。

で、今朝チェックしてみたら、その動画は既に消されてなくなっていました~。なので、覚えていることだけ書き留めておこうと思います。

発達障害で感覚過敏を持つ大人20名ほど(だったと思う)を調べたところ、普通の人とは違うように見える・聞こえるだけでなく、それぞれ見え方・聞こえ方が微妙に異なっているということが解明されたとのこと。

ある視覚過敏の人は太陽や電灯の光がひとより眩しく感じられ、風景全体が白っぽく見えたり、中には光が強すぎて目が痛いという人も。また、ある聴覚過敏の人は周囲の全ての音が同じような音量で聞こえてくるため、相手の話が聞こえづらいと…。

彼らの現実をできるだけ忠実に再現した映像では、世界は雑多で混乱していて、曖昧模糊とした印象でした。情報量が多すぎて焦点をあわせるのが難しいという感じで――これでは疲れて不安になるのも無理はありません。

『抑制的気質とHSP(その2)』で、「感覚過敏というのは、外部から『入ってくる』刺激を適切に取捨選択し、注意を向けたり調節することが難しいこと」と書きました。

例えば、スーパーに行くと、人が話す声、店内放送、足音、蛍光灯や他の機器から出る雑音などが、洪水のように耳に押し寄せてくるという聴覚過敏の人もいました(だから、長く店内にいることができないと)。ASDの人は外部から「入ってくる」音を取捨選択できないため、全ての音が同時に身体に流れ込んでくるんだそう。

私たちは普段「入ってくる」音を無意識のうちに取捨選択しているといいます。自分にとって必要な音は聞こえやすく、そうでない音は聞こえにくくする機能が備わっているんですね――大勢の子どもの声の中から母親が自分の子どもの声を聞き分けることができるのも、この機能によるものでしょうか?

もうひとつ興味深かったのは、番組に登場したイギリス人研究者が、ASD(発達障害)の人は「慣れの機能」が働かないと説明していたこと。『抑制的気質とHSP(その1)』で、「私が接したASDの子ども達は、徐々に慣れるという感じではない」と書いたんですが、慣れるための機能が働いてなかったんですね…。

これって全員にいえることなのか、それとも特定のグループだけなのか?また、「慣れの機能」は慣れる・慣れないの2通りしかないのか、それとも段階的なものなのか?また、発達障害を持たない子の感覚過敏については、どうなんでしょう?

息子に「全ての音が同じような音量で一気に押し寄せてくる?」と訊いてみたところ、答えはNoでした。息子の「取捨選択の機能」は働いているようです。幼少の頃、人が大勢集まるザワザワした場所に慣れるのにかなり時間がかかったのは、「慣れの機能」が弱いということでしょうか?

ちなみに、今では人が大勢集まる場所も平気です。経験を積み重ねて「慣れた」ということもあるんでしょうね(それでも、同年代のティーンの集団に出会うと、ちょっとドキドキするそうですが…これは私も同じでした)。

そういえば、息子が小学校低学年の頃、主人とロンドン中心部にある大きな映画館に『スターウォーズ』を観に行ったら、音が大きすぎて途中で退出…そんなことが2回ほどあったと記憶しています。高学年になってからは大丈夫になったんですが、大音量に耐えられるようになったのは「慣れ」なのか、成長したからなのか、どうなんでしょう?

息子によると、今苦手な音は猫よけの超音波の音で、耳が痛いからどうしても駄目だそう。また、「会話してる時、ラジオやPCで誰かが話す声が聴こえてくると、そっちに耳がいってしまい、すごく気が散る」ということ。その割には、好きな音楽を大音量でかけながら宿題してます――自分の好きな音楽はバックグランドミュージックだから、全く気にならないんだそうです。

よく考えると、誰でも苦手な音ってありますよね?ASD児の中には、赤ちゃんの泣き声や運動会のピストルの音が駄目な子がいますが、苦手なだけではなく、耐えられなくてパニックになってしまうところが問題なんですよね。他の子は大丈夫なので、周りから理解されにくいのが辛いところです。

とにかく、この番組を観て思ったのは、「慣れの機能」が働いていない子に対しては、徐々に慣らすという方法は不適切だということです。例えば、運動会のピストルの音が駄目な子に対しては、「何度も経験させて慣れさせる」方法は苦痛でしかないでしょう。イヤーマフを使用するなど、子どもの負担を減らす工夫をした方がストレスが少なくてすみます。

大人だったら苦手な状況を避けて調整することが可能でも、子どもの場合はそうもいきません。特に、学校生活では「みんなと同じことをする」が基準になっています。まずは、子どもの苦手や何に困っているか、どの程度困っているのかを知ることが一番大切かなと思います。そして、どうしても駄目なものは、学校と保護者が相談して対処法を決められるといいですよね。

改善させようと頑張りすぎると、「できない」という思いが大きくなったり、コンプレックスやストレスになってしまうことも――要注意ですね。それよりは、できる方法を見つけていく方が、子どもにとって楽だし自信もつけられると思います。

反面、「慣れの機能」が作動している場合は、時間をかけて慣れさせる方が将来的にもいいですよね。だからこそ、子どもの感覚過敏がどの程度なのか、「慣れる」ことは可能かどうか、見極めることが大切。それができるのは、子どもに一番近い存在である母親じゃないでしょうか?子ども自身はどんな風に苦手なのか表現できないことが多いので、「嫌」の度合いを測るのは結構難しそう。そういう時には、母親の直感がものをいうかもしれません。

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抑制的気質とHSP(その2)

 

 

 

抑制的気質とHSP(その3)共感力ってなに?

エレイン・アーロン博士の著書『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ(Highly Sensitive Person)』が2000年に翻訳出版され、日本でもHSPという言葉が広く知られるようになりました(詳しくは『抑制的気質とHSP(その1)』をご参照ください)。タイトルを直訳すると「とても繊細な人」ですが、ただ感覚が繊細なだけではHSPではないのです。

HSPの4つの特性は:

*緑の部分はブログ『いつも空が見えるから』https://susumu-akashi.com/2016/10/hsp/#i から引用させていただきました。

アーロン博士は、たとえ感覚が敏感であっても上記の4つの特性がすべて揃わなければHSPではないと明言しています。感覚過敏を持ち合わせていることが多いASD児に関しては、共感力が低いため、HSPとは区別しています(感覚過敏については『抑制的気質とHSP(その2)』をご参照ください)。

(YUKIさんのブログ『いつも空が見えるから』では、ASDだから「共感力がない」という説は誤りであるということを詳しく説明しています。実は、私もASDの子どもたちと接してみて、彼らには共感力も思いやりもある、と感じていました。これについては、次回書こうと思っています)

では、共感力(共感能力)とは一体なんでしょうか?辞書をひいてみると、「他者の感情を理解する能力」とあります。

息子は抑制的な気質の割に、特に4歳くらいまでは特定の人に限ってとても甘え上手でした。可愛がってくれそうな人(自分に好意を持ってくれそうな人)をぱっと見分けて近づき、甘えて抱っこしてもらったり、得意なことを披露したり。その一方で、相性が悪そうな人には絶対に近づかないという…。

3歳のころ、日本人女性にベビーシッターを頼んだことがあったんですが、私が仕事から帰ってきても、息子は知らん顔!その人に甘えてもたれかかり、すっかり2人の世界に浸っていたのです。なんと、彼女が帰ったら泣いちゃったんですよね(苦笑)。

小学校の頃は、「あの人は僕のこと嫌い」とか「先生は今日怒ってた(機嫌が悪かった)」などと、家でよく私に言ってました。「そんなこと言うもんじゃないよ」「ぱっと見ただけでは解らないでしょ」と注意はしてたものの、心の中では「当たってるかも(自分に好意的ではなさそうな人にわざわざ近づかなくても、という意味で)」と思ったりして…。

人見知りなのに、何故か親近感を持てそうな人には自分から近づいていく--同じ波長の人を見極める直感力が鋭かったように思います。

そして、場の空気を敏感に感じ取ってしまうため、マイナスになる部分が多くありました…。例えば、先生が「キャンディーあげるからおいで」というと(小学校で時々あった)、クラス全員が先生(キャンディー)めがけて殺到します。そういう時、その空気、というか雰囲気?に圧倒されて、息子は動けないのです。で、一番最後になってしまい、その頃にはもうキャンディーはなくなっているという…。「僕も欲しかったのに」と、後から涙目になってました。

また、誰かの機嫌が悪かったり、悪さをする子がいる時なんかは、すぐ察して近づかないようにするんです。あとは、誰かが怒られていると、自分が怒られたように気になるようでした。高学年になってからは、人に何気なくいわれた言葉や自分が人にしてしまったことを気にして、もんもんと悩んで眠れなくなったり――多分、相手は覚えてもなかったんじゃないかな。

私は息子が小学校高学年になるまで、思いやり(共感力?)が育ってないのでは(『「思いやり」が育ってない?』をご参照ください)と気になってました。あまえん坊の割に、図工で作る母&父の日カードなんかはホントに言葉が少ない(他の子の半分以下)。どういう訳か、こちらが聞かない限り学校での出来事や自分の気持を言わない子で、何かの拍子にポツポツ話し出すという感じだったんです。

でも、緘黙が改善し、遊び仲間ができ、学校生活が楽しくなってきた頃から、徐々に自分の気持や友達のことなどを話すようになりました。

小5の頃(10歳)家に遊びに来た友達のひとりに私が声をかけたんですが、後で「○○君にそれを言ったら駄目だよ」と叱られました。理由もちゃんと話してくれて、その言葉を言ったら彼が傷つくと…。

「え~っ、この子にはこんな友達思いの面があったんだ!」とビックリ。こと友達のことになると、きめ細かく配慮してたような…。その反面、どうも身内に対しては「やってくれて当然」と思っていたようなフシがあります。

それが、今では私が落ち込んでいたり、怒ってたりすると、真っ先に気づいて言葉をかけてくれるのが息子なんです。その上、とても冷静沈着で論理的なアドバイスをくれたりして…。

息子の共感力は成長とともに育ったんでしょうか?それとも、共感力というのは生まれつき備わる資質に影響されるんでしょうか--謎です。

もしかしたら、息子は緘黙から開放されて、少し余裕を持って人のことが見られるようになったんでしょうか?それまでは、それどころじゃない不安の渦の中にいたのかもしれません…。

以前は思いやり=共感力と思っていたんですが、「思いやり」って行動や声に出さないと気ずかれにくいですよね。ただ感じたり、思ったりしてるだけでは、人には伝わらない――でも、言わない・言えないHSPっ子は案外いるのかもしれません。

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抑制的気質とHSP(その1)

抑制的気質とHSP(その2)

 

抑制的気質とHSP(その2)

かなり時間が経ってしまったのですが、3月9日に投稿した『抑制的気質とHSP(その1)』の続きです。

まずは感覚過敏についての続きを。

ここ5年間ほどASDの子どもやティーンと関わってみて、彼らは感覚過敏によって受ける不快感(刺激)を統制する機能が弱いというか、いわゆる健常児に比べると、不安や感情のコントロールがより難しいように感じます。

例えば、息子が小さかった頃に室内遊技場に連れて行くと、初めての時は1時間くらい私にくっついて全く離れず—でもだんだんと慣れて、こわごわ遊び始め、さあ帰ろうという頃に乗ってくるという。それでも、何度か回を重ねるとさすがに慣れて、すっと好きな遊具にむかって行けるようになりました。

ASD児の中にはこの「慣れる」が大変難しく、拒否反応やパニックを起こす子が多いような…。息子も時間がかかりましたが、もっと多くの時間と工夫が必要となりそう。ずーっと拒否し続けて、「これはやらない」「できない」が増えてしまい、日常生活や人間関係に影響してしまうことも多いです。(ASD児でもそれほど感覚過敏・鈍感がない子もいて、それぞれ特性が違うので、ひとまとめにはできないのでご注意ください)。

この「やらない、できない」ことが多く、体験の積み重ねができないことが、年齢相応の常識が身につかない要因のひとつかもしれません。みんなセカンダリー(12歳から)になってくると落ち着いてはくるものの、大人っぽいことをいう割に、情緒的にものすごく幼かったり、年齢相応のことができなかったり、受け流すことができなかったりと、アンバランスさが目立ちます。

前回、リンクを貼らせていただいた『リタリコ発達ナビ』のサイトの、「感覚過敏」のページにこんな記述がありました(お借りします)。

https://h-navi.jp/column/article/35025696

感覚の過度な偏りと発達障害には密接な関係があります。その中でも、自閉症スペクトラム障害(ASD)では、幼いころから感覚の偏りが見られることが多いといわれています。

発達障害のある子どもは、刺激に対して適切な感情を生じさせる機能に特性があると考えられています。そのため本来は有害でない刺激に対して過度な恐怖、不安の感情をもつことがあります。また、適切に外部の刺激を取捨選択し、注意を向けたり調整することが難しいために、発達障害のない子どもに比べて、過剰に反応をしてしまうのです。その結果、新しい活動を避けるようになってしまったり、多動傾向になったり、パニックになったり、周囲に対する不安感が強くなったりします。

そして、子どもの場合には、そのような不安を適切な方法で表現できないために、癇癪(かんしゃく)や自傷行為などの問題行動につながりやすい傾向にあります。また、逆に感覚の鈍感さがあるときの行動の一つとして見られるのが、手をふらふらする、首をふるなど、「常同行動(自己刺激行動)」と呼ばれる行為です。これは、感覚刺激を求めたり、不安を紛らわせたりするための、自己調整の行動ではないかと考えられています。

緑の部分は『リタリコ発達ナビ』から引用させていただきました。

下線や太字の部分、納得できるものがあります。感覚過敏というのは、外部から「入ってくる」刺激を適切に取捨選択し、注意を向けたり調節することが難しいこと――うまく調整できないから不安になり、周囲に合わせられないから更に不安が増すという悪循環になってるのかな…。

例えば、大きな音がした時、びっくりして泣き出す子とパニックになってしまう子の間には、「入ってくる」刺激に違いがあるんでしょうか?

発達障害の感覚過敏に反して、アーロン女子はHSPの感覚過敏は、敏感性感覚処理 (sensory processing sensitivity)で、「入ってくる」刺激の取捨選択には問題ないけれど、感受性が高いために「受け取った」刺激をより深く処理してしまうことだと言っています。

これは、大きな音がした時、ただ音に驚くだけでなく、「何が起きたの?」「ママは?」「怖い」「〇〇ちゃんが泣いてる」など周囲の空気を読んだり、想像したりすることで、不安が増してしまうとうこと?

刺激をより深く処理するためにはより時間がかかるだろうし、色々考えるとより自衛的になると考えられるので、行動抑制的になるというのは解かるような気がします。

まとめてみると、取捨選択機能がうまく働かない(感覚統合障害(sensory integration disorder))ため、「通常」とされている範囲よりも多くの刺激が「入ってきて」しまうのが感覚過敏。対して、刺激を取捨選択して「受け取る」のはOKだけど、「通常」よりも深く処理するのが敏感性感覚処理 (sensory processing sensitivity)ですね。いずれにしても、世間一般が「通常」と考える範囲を超えた処理をしているため、注意とケアが必要になるということかな。

またまた素朴な疑問なんですが、この2つの特質を同時に持ち合わせていることってないんでしょうか?

また、この2つの特性についても、多分ASDの定義(『イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その3)』をご参照ください)と同じように、明確に境界線を引けるものではないような気がするのです。境界線の内側が「正常」で外側が「障害」ではなく、スペクトラム状(連続体)になっていて、グレーの部分が大きいような…。

生まれ持った気質と環境に影響を受けながら成長・発達していくうえで、少し凸凹があってもうまく適応できれば性格とか個性で済んでしまうケースも多いんじゃないかな?子どもが生きづらさを抱え込んでしまわないように、自分である程度調整できるようになるように、うまく支援してあげたいですよね。

次回は「共感性」について考えてみたいと思います。

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緘黙児とHSP

抑制的気質とHSP(その1)

 

抑制的気質とHSP(その1)

『緘黙児とHSP』のコメント欄で、恵子さんとやり取りをさせていただいたんですが、その中で私はHSPの概念をすっかり誤認していたことに気づきました。

私の頭の中で「ケイガンの抑制的な気質の子 = アーロンのHSC」という図ができあがっていたため、「ASD児の中にもHSPがいると思うと書いてしまったのですが、実際はASD児の中にも抑制的な気質の子がいると思う」でした。

でも、アーロン博士は『ひといちばい敏感な子 (Highly Sensitive Child)』の中で、HSCはASD児とは全く(そしてADHD児とも)異なると明言しています。その理由は、ASD児には共感性がないから。

ある方から、アーロン博士のHSPの概念を完結にまとめているブログがある、と教わりました。子どもの疲労と発達・睡眠について研究されているYukiさんの、『いつも空が見えるから』というブログです。子どもの発達に関する研究・書物を広範囲に渡って紹介・解説されていて、ひとつひとつの疾患や概念などに対し、概要&要点を理路整然と解りやすくまとめておられ、大変参考になります。

https://susumu-akashi.com/2016/10/hsp/#i

リンクフリーと書いてあるので、『ひといちばい敏感な子 (Highly Sensitive Child)』についてのページから、目次の一部と「HSPの4つの特徴」についてご紹介させていただきます(Yukiさん、お借りします)。(「日本語版に寄せて、2015年2月に書かれた最新の学術的情報を含む明快な解説が追加されており、その部分を特に参照して、HSPとは何かをまとめる助けにしました」とあります。私は日本語版を持っていないのでこれは知らなくて、本当に勉強になりました)。

HSPの4つの特徴> (目次から)

●上記の4つの特徴を持っていなければHSPではない、普通より感覚が敏感=HSPではない

●HSPの感受性の強さと、ASDの感覚過敏とは別のもの

「中には感覚器が特に発達している人もいますが、大半は、感覚器の反応が大きいのではなく、思考や感情のレベルが高いためにささいなことに気づくのです。(『ひといちばい敏感な子 (Highly Sensitive Child)』p432)

HSPの敏感さは、単に感覚刺激が強い過敏さではなく、深く処理する感受性の強さでした。そしてその中には、場の空気を読み取る力も含まれていました。それは共感力の強さです。

[HSPの感覚過敏は] 学術文献では「敏感性感覚処理 (sensory processing sensitivity)」と呼ばれています。第1章でも述べましたが、「感覚処理障害(sensory processing dosorder)」や「感覚統合障害(sensory integration disorder)」と混同しないでください。(p424)

*グリーンの部分は、全て『いつも空が見えるから』から引用させていただきました。

ASDの大きな特性のひとつは、場の空気を読むことや社会的コミュニケーションの困難さ。ASD児に感覚過敏が多いことは周知の通りですが、SM児やHSCにも感覚過敏を持つ子は多いようです。

なお、感覚過敏(反対に、感覚が鈍いと感覚鈍麻)は、発達障害がある子も、そうでない子も持ちうる特性です。

アーロン博士の考えでは、ASD児は感覚器の反応が過敏なのに対して、HSPの大半は感覚器自体が敏感なのではなく、「感覚に対する処理が深い=感受性が高い」ために、ささいな刺激を察知する――とのこと。

感覚過敏については、下記のサイトがとても参考になりました。

https://h-navi.jp/column/article/35025696

素朴な疑問なんですが――離乳食のころから好き嫌いが激しかったり、洋服のタグを嫌がったり、混雑する場所で大泣きしたり—まだ赤ちゃんのころから、既に「感覚に対する処理が深い」んでしょうか?脳はまだまだ発達段階ですよね?

私は息子をHSCだと思っています(巻頭のHSC診断で高スコア、4つの特徴も備えている…と思う)。感覚過敏に関しては小学校高学年くらいまでに随分改善しましたが、息子の場合は、感覚器官自体が過敏なように思います。

判りやすいところでは、皮膚の過敏さや聴覚の鋭さなど。

息子は生まれたときから乾燥+敏感肌で、アトピーやアレルギーに苦しみました。2歳の頃、同じ年の女の子と庭で一緒に水遊びさせた時のこと――4月の天気のいい日で、その子のママは「丈夫になるから」と上半身裸にさせたんです。で、うちも真似してみたら、みごと息子の背中はアセモだらけに!

そんな調子なので、洋服は常にコットン100%、襟のタグは小2くらいまで切ってました。それから、ものすごいネコ舌で、ちょっと熱いだけでとよく泣いてた記憶が…。

聴覚については、庭に置いてある猫よけ超音波の音が、16歳になった今でも聞こえます。20kHz以上の音波(超音波)は人間の耳には聞こえないと言われ、子どもの頃はある程度聞こえても、大人になると全く聞こえなくなるらしいんですが…。ちなみに、私と主人には全く聞こえません。

これって、やっぱり感覚器官そのものの敏感さではないでしょうか? ということは、息子は感覚統合障害なんでしょうか?(現在は、鈍感になったのか対処法を見つけたのか、感覚過敏で困ってることは殆どないようですが)

また、ASD児の感覚過敏とHSCの感覚過敏は本当に別のものなんでしょうか?明確に分けられるものなのか、それとも色々な状態が連続体のように複雑に重なり合っているのか?

私は高機能ASDのこども専門の特別支援校で日本語を教えています。小学部では感覚過敏のある子が目立ちますが、やはり成長するにつれて目立たなくなる傾向が強いよう。以前、小学部で研修していた時は、子どもたちの様々な感覚過敏・感覚鈍麻を間近に見ました。思ったのは、息子に比べると振り幅がすごく大きいなと…。

例えば、給食が全くといっていいほど食べられず、毎日スタッフと長時間格闘(それでも10分の1も食べられない)とか、防音対策でイヤーマフを活用とか…。最初は苦手だったけど、徐々に食べられるようになる、徐々に騒音に慣れる――というような感じではなかったです。

「ダメなものはダメ」と絶対受け付けず、それが高じてパニックになったり--とにかく反応が半端じゃなくて、耐忍度が低いというんでしょうか。なんとなく、同じように感覚器が過敏でも、それに対する感じ方・反応が大きいような???

すごく長くなってしまったので、次回に続きます。

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緘黙児とHSP

緘黙児とHSP

場面緘黙の遺伝的な要因として、行動抑制的な気質があげられます。以前にも書きましたが、私は息子が ”とても敏感な人 HSP (Highly Sensitive Person)” に生まれてついた、と思っています。 

赤ちゃん時代は大泣きするし、幼少時も敏感で繊細すぎて「どうして他の子みたいにパッと行動できないの?」とヤキモキすることが多々ありました。16歳になった今でも、まだまだシャイなところが多く、「面倒なヤツ」と思うこともしばしば (でもその半面、優しくて思いやりがあって、なかなか頼りになるヤツでもあるのです)。

HSP (Highly Sensitive Person) という言葉・概念は、アメリカの心理学者エレイン・アーロンによって考案されました。彼女が1996年に出版した” The Highly Sensitive Person” には、HSPとは何か、またHSPが抱える生きづらさや人生への対処法について書かれています。

日本では2000年に翻訳本『ささいなことに動揺してしまうあなたへ』が出版され、大ヒットしたので、ご存じの方も多いのでは?彼女自身がHSPで、大勢のHSPの体験を例にして書かれているため、説得力があり、とても参考になります。

HSPは生まれつき感覚処理感受性(SPS: Sensory Processing Sensitivity)が通常より高いため、ささいな事に対して傷つきやすい性質を持つとしています。また、通常では気にならないほどの感覚刺激に対して、興奮しやすいという特性もあると。

アーロン女史は、この本の中で子どもの行動抑制的な気質を研究したアメリカの発達心理学者、ジェローム・ケイガン(Jerome Kagan 1989) を引用。自らが研究する「敏感さ」は、彼が研究してきた特徴と同じであり、「HSP=行動抑制的な人(子ども)」としています(ケイガンによると行動抑制的な子どもは全体の10-15%)。

(ただし、ケイガンがこの特徴を主に「inhibited 臆病」と呼ぶことに賛成しかねると。子どもは怖がっているのではなく、周囲で起こっていることを処理しているだけかもしれないと反論しています)

地球の全人口の15-20%が敏感な精神を持つ、ということは人類の5分の1がHSP。この確率の高さからも、HSPは病気/ 障害 (disorder)ではなく、正常だと断定しています。ただ、人類の5分の4は非HSPで、その中でHSPはマイノリティー。多数派の非HSPによって常識や価値が決められてきた世界で、感受性が高すぎることが「欠点」と捉えられる傾向が強い…だから、生きづらさを感じてしまうんだと。

敏感さの程度や反応の仕方は人によってさまざまで、スペクトラム状になっているものと推測されます。そのうえ、環境要因が大きく影響してくるため、HSPの子どもには、どんな風に接したらいいのか、どんな風に育てればいいのかが異なってきます。

非HSPにはスパルタ式のやり方が有効かもしれませんが、HSPの心は折れてしまうかも。過保護といわれようが、子どもが自己肯定感を持てるよう、かなり注意して育てる必要があるように思います。この本には色々な事例が載っていて、総括的に書かれているので、すごく参考になると思います。

また、同著者の『ひといちばい敏感な子 (Highly Sensitive Child)』は、HSPの子どもを持つ保護者のために書かれていて、緘黙児を持つ親御さんにはお勧め。私はまだ日本語版を持っていないのですが、5年位前に図書館でこの本に出会った時は、目からウロコでした。そして、「もっと早くに出会ってれば」と心底思いました。

私は外国で子育てをするにあたり、「しっかりしつけないと」という思いが強く、「○○しちゃ駄目」と言うことが多かったように思います。自分自身にも完全主義の傾向があり、父親がかなり厳格だったためか、「とにかく、やってみる」「一度始めたら最後まで」と意固地になってたような…。主人は放任主義というか、「やりたくないなら、しょうがない」という態度なので、つい私のほうが厳しくなっちゃうんですよね。

息子は新しいことをさせようとすると、かなり長い間手を出さないで見ている傾向が強かったのですが、私の気持ちをビンビン感じ取って、「押し付けられる」「やらなきゃ」と息苦しかったと思います。もっと大らかに見守ってあげていれば、と今は大反省。息子の敏感さを肯定的に捉えて、もっともっと褒めて育ててあげていればよかったなと思うのです。

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遺伝的な要因ー行動抑制的な気質

抑制的な気質(1)

母親も緘黙だった6歳の男の子のケース

 

出生時のトラウマ体験と不安になりやすい気質

またまた更新が遅れてしまいました。緘黙を含めた恐怖症や抑制的な気質についていろいろ考えていたんですが、なかなか考えがまとまらず…。そんな時、最近知り合ったフィジオセラピストの友だちから、「不安症になる子って、出生時にトラウマ的な体験をした子が多いの。そういう子ども達には、ソマティック・エクスペリエンシング(Somatic Experiencing 体細胞療法)が効果的なのよ」と言われたんです。

そういえば、うちの息子も微弱陣痛と回旋異常があってお産に時間がかかり、最終的には心拍数低下が心配されたため急遽手術室へ。なんとか帝王切開は免れましたが、鉗子分娩となりました。私も大変だったけど、息子も相当大変だったろうなと思います。

私は息子の抑制的な気質は遺伝によるものが大きいと思っていました。生まれつき脳の扁桃体、アミグダラの反応しきい値が低いため、刺激に過敏に反応してしまい、不安になりやすいんだと思ってたんですね。でも、彼女は「不安を感じる時って、まず身体や細胞が先に反応して、それが脳に伝わって恐いと思うんじゃない?」と…。

むむむ、どうなんでしょう?緘黙のお子さんを持つ方に訊いてみたいんですが、出産の時は大変だったでしょうか?普通分娩で体重も平均的で、よくミルクを飲んでよく眠る赤ちゃんだったら、緘黙になったり、不安症にはならないものなのかな…。

ちなみに、息子はすごく癇が強い赤ちゃんで、それはそれはよく泣いたものです。7ヶ月でスリープトレーニングを始めて一晩中眠るようになるまでは、もう体力限界という感じでした。

4歳半で場面緘黙になり、7歳半でだいたい克服した後も、別に積極的になった訳ではなく、基本的にはシャイで慎重な性格です。成長過程で少しずつ不安の対処法を身につけているようですが、生まれ持った抑制的な気質というのは、根本のところは変わらないんじゃないかなと思っています。

でも、SE(ソマィック・エクスペアリエンシング 体細胞療法)によると、不安になりやすかったり、鬱になったりするのは、過去のトラウマ的な体験によって神経系がうまく機能していないから。でも、赤ちゃんには、もちろん出生時のトラウマ体験を記憶してない訳で。友人によると、身体と細胞が記憶しているということなんですが…。

ちょっと調べたところ、SEはアメリカのピーター・リヴァイン博士(Dr. Peter Levine)が体系化した、心理的問題を身体面から癒していく身体的アプローチとあります。特に、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療に有効ということ。

過去のトラウマを起草させるもの(トリガー)があると、脳から危険信号が出て身体が生理的に反応し、恐怖や不安を感じてしまう――抑制的な気質の人は、脳がちょっとしたことでも危険信号を出してしまうため不安を感じやすい?どことなく接点があるような。

SEで抑制的な気質が改善するということはあるんでしょうか?友だちはSEのセミナーに通っているようなので、次回会った時にもう少し詳しく訊いてみようかなと思います。

抑制的な気質(2)

大人になると、真に感動することが少なくなりますが、その代わりそれほと心乱れることなく生活できるようになりますよね--これって、感性が鈍化してオジサン化、オバサン化するってことかな(笑)…。人間も長く生きていると精神的にタフになって、「まっ、いいか」といい加減に済ませることができるようになり、傷ついても立ち直りが速くなってくるのではないかと思います。

この「いい加減さ」というのはバランス感覚の問題で、何でも真剣に考えていたら世の中すごく生き難くなってしまいますよね。生きていくうえで、このバランス感覚というのがすごく大事になってくるのではないでしょうか。

「不安になりやすい子ども=抑制的な気質」と考えると、何事にも慣れるのに時間がかかり、そのために自己評価が低くなる傾向にあると考えられます。傷つきやすい子どもが弱肉強食の社会を生きぬくためのバランス感覚を養うには、やはり社会的な経験値をあげる必要があるような気がします。また、社会的な場面では常に不安がついてまわるので、得意分野で成功体験を積み重ねて自信をつけ、自己評価をあげられるよう、できる限り支援したいものです。

が、これは口で言うほど簡単じゃないですよね。周りの環境や社会のあり方にも、かなり左右されますし…。とにかく、外に出たがらず(家が好き)、集団で行動することを好まない子どもの場合、無理に外に引っ張り出して集団行動をさせてもストレスがたまるだろうし。

まずは、家庭内が楽しくて心休まる場所であることが大切。ですが、心にそう銘じているつもりでも、常にそういう訳にもいかず…時に「マミー、怒らないで!」と子どもに言われて反省する日々なのでした。

ちなみに、私自身もかつてはかなりの心配性でした。友達のひと言を気に病んで、ものすごーく落ち込んだり(当の友人は全然気にしてないことが多い)、学校での発表の前は不安で眠れなかったり…。これは今でもそうですが、神経質な方なので、見知らぬところではなかなか寝つけません。小学校の修学旅行では、確か2泊3日の2晩とも全く眠れず、帰りのバスの中で爆睡。帰宅して布団に入ってから次の日の午後までこんこんと眠り続けた想い出があります(笑)。

自分の気質は幼い頃からそれほど変わったとは思えません。今も神経質なところがあり、傷つきやすい方だと思いますが、昔と比べると立ち直りは随分速くなりました。やはり体験を積み重ねることで、不安をコントロールできるようになったからなんでしょうか。(独り言のようなエントリーですみません)

 

抑制的な気質(1)

<遺伝的な要因-行動抑制的な気質>のエントリーで、マーキュリー2世さんにコメントをいただきました。場面緘黙と抑制気質の関連については、まだ詳しい調査・研究が行なわれておらず、確実なことはまだ解っていません。ただ、抑制的な気質が緘黙と大きく関わってていることは確かだと思います。

マーキュリー2世さんとやり取りした際に、ケイガンとアシスタント達が行ってきた研究を要約したNYタイムズの記事を見つけました。”Understanding the Anxious Mind(心配性を理解する)”と題され、不安を感じやすい子どもについて、成長にともなう気質の変化について、興味深いことがたくさん書かれています。コメントに書いたことをコピペ(少々変更あり)しますね。

http://www.nytimes.com/2009/10/04/magazine/04anxiety-t.html?pagewanted=all&_r=0

以下は幼い頃不安を感じやすかった人たちは、成人してからも不安への感受性はそれ程変わらないということが記述されている部分です。

People with nervous temperament don’t usually get off so easily, Kagan and his colleagues have found. There exists a kind of sub-rosa anxiety, a secret stash of worries that continue to plague a subset of high-reactive people no matter how well they function outwardly. They cannot quite outrun their own natures: consciously or unconsciously, they remain the same uneasy people they were when they were little.

ケイガンと同僚たちは、神経質な気質を持つ人々は、通常そう簡単には変わらないということを発見した。たとえ外向きにどんなに上手く機能していても、高反応グループの部分集合を苦しめ続ける心配の隠し場所、秘めた不安といったものが存在する。彼らは自分の性質を塗り替えることはできない。意識していても、いなくても、幼い頃心配性だった人たちは大人になってもそのまま変わることはない。

The children tended to get a better grip on their fearfulness as they got older. By adolescence, the rate of anxiety in Kagan’s study subjects declined overall, including in the high-risk group. At 15, about two-thirds of those who had been high-reactors in infancy behaved pretty much like everybody else.

子ども達は成長するにつれ、恐怖感への理解を深める傾向にあった。ケイガンの研究対象だった子ども達の不安度は、ハイリスクのグループを含め、青春期までに全体的な低下を示した。幼児期に高反応を示した子どもの3分の2程度は、15歳になると、ほとんど皆と変わらないようにふるまった。

Most of the high-reactive kids in Kagan’s study did well in adolescence, getting good grades, going to parties, making friends. Scratch the surface, though, and many of them — probably most of them — were buckets of nerves.

ケイガンの研究で高反応を示した子どもの多くは、青春期になると、良い成績を取り、パーティに参加し、友達を作るなど、よくやっていた。しかし、表面を剥がしてみると、(多分彼らのほとんどは)とても神経質だった。

“They don’t like it, but they’ve accepted the fact that they’re just tense people.” Invoking Jungian terminology, he called it the difference between persona (the outer-directed personality) and anima (the inner-directed thoughts and feelings). The persona can be controlled, but the anima often cannot.

「例え好ましくなくても、彼らは自分たちが神経質な人間であるという事実を受け入れていた」。ユングの用語を使って、ケイガンはそれをペルソナ(外向けの個性)とアニマ(内向けの思考と感情)の違いと呼んだ。ペルソナ(仮面)はコントロールすることができるが、往々にしてアニマ(心)はできない。

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この夏13歳になった息子を見ていると、本当にそうだなと感じます。先日、仲の良いグループ(6人)でボーリングに行ったのですが、楽しんで帰ってきても、集団での対人関係や騒音などに対するストレスや不安は未だ健在です。自分の中で不安をコントロールするのが上手くなっただけで、繊細な部分は変わってないようです。(ちなみに、うちの子は私に不安を打ち明けることで、不安を減少させてるところがあります)。

通常、人は成長するにつれて、子どもの頃のように心底ドキドキしたり、不安になったり、心ときめいたりすることが少なくなってきます。慣れもあるでしょうし、経験の積み重ねにより、「新しい体験・人・場所」というものがある程度予測可能となり、心の準備ができるからもあると思います。

抑制的な気質の人は、慣れることも、不安をコントロールすることも、普通の人より時間がかかるし、人間関係のストレスも大きいのでしょう。

恋する度に、初恋の時と同じような感情になると想像してみてください。毎回ジェットコースターに乗ってるようで、かなり疲れるのではないでしょうか?不安の強い人は、ジェットコースターとまではいかなくても、感情の波のふり幅が大きいのかもしれません。