息子の緘黙・幼児期3~4歳(その1)

 

息子の3歳の誕生日は夏らしい好天に恵まれました。自宅の小さな中庭に遊具を並べ、気心のしれた友達7、8人とママ達を招いて午後の誕生会。リラックスして楽しい時間を過ごすことができました。

9月から新年度が始まると、一番仲良しだった日本人の友達がフルタイムで幼稚園に通いはじめ、平日いっしょに遊べなくなってしまいました。プレイグループには引き続き週3回ほど通ったものの、親しい子たちが入園してゴッソリ抜けてしまい、遊び相手不足に…。

イギリスでは公立の幼稚園は3歳から、小学校は4歳から(学年内に5歳になる子ども対象)です。なので、息子自身も入園する年齢だったのですが、息子の幼稚園は誕生日が早い順から1週間に2名ずつ入れていくという方針。8月中旬生まれの息子の番が来るのは、10月中旬と一番最後なのでした。

入園までの時間がぽっかり空いてしまったため、9月のはじめに予定されていた3歳時検診を済ませた後、私と息子だけで1年半ぶりに日本に里帰りすることに。

3歳児検診ってどんなことしたんだっけ、と母子手帳を調べてみると…

  1. 粗大運動
  2. 微細運動
  3. ことば/言語
  4. 行動
  5. 排泄

発達のチェックポイントは上記の5項目。優しそうな女性の小児医さんに誘導されて、歩いたり、ホップしたり、丸などの形を真似して描いたり。個室だし、私が一緒で安心できたのか、臆することなくすんなりこなした記憶があります。手帳には、すべて年齢に見合った発達に○がつけられていました。

ことばの発達については、当時息子は90%くらい日本語で話してたんですよね…。検査では医師の質問を私が和訳して息子に訊き、その答えを英訳して伝えるという。この年齢だと3語以上の文章で話す時期ですが、「こんなんでちゃんと判るの?」と疑問に思いました。

でも、私が心配していたのは言葉の発達よりも、息子の引っ込み思案な性格でした。新しい環境に慣れにくく、新しいことにチェレンジするのを躊躇し、慣れた玩具や遊びを好む傾向が強くなっていたからです。女医さんの「何か困っていることはある?」という問いかけに、こんなに引っ込み思案で大丈夫なのか相談しました。

その頃、BBCテレビで『Child of Our Time』という人気番組シリーズを放送していました。2000年にスタートしたこの番組は、ミレニアムに誕生した25人の子どもの成長を、20年かけて追跡調査していくというもの。子どもの性格や社交性にスポットを当てた回で、専門家が「幼児期に形成された性格や社交性が大人になっても続く」というようなことを話していたため、「この子はずーっと引っ込み思案のまま?」と、めちゃくちゃ気になっていたのです。

うろ覚えなのですが、女医さんからは心配し過ぎないなよう言われたような。母子手帳の備考のところには、「大人しいけれど、能力はちゃんと持っている」とあり、その後に「社会的には引っ込み思案」との記述…。ちなみに、当時から痩せぽっちで体重は14キロ弱でした。

さあ、次は日本まで飛行機の長旅です!息子の初めての里帰り(息子の緘黙・幼児期1~2(その3))では、スチュワーデスさんに驚かれ、他の乗客に「可哀想なくらい泣いてたね~」と声をかけられるほど超大泣き…。今回は主人はいないし、私一人でどうしたものかと、乗る前から戦々恐々としていました。

息子のお気に入りの玩具、お菓子、絵本、食料品など、思いつくものを全部バッグに詰めこみ、イザ搭乗。すると、成長したためなのか、驚くほどスンナリと順応(?)できたのです。

まずは、キッズセットを持ってきてくれたスチュワーデスさんに笑顔で挨拶し、褒められるという幸先のいいスタート。もらった玩具で遊んだり、持参した絵本を読んだり、アニメ映画を観たり。キッズミールもちゃんと食べることができました。1歳半の時のように、機内を行ったり来たりすることはなかったのですが、よく喋って何だかハイテンションだったような…。静かになったなと思ったら、いつの間にか眠ていて、嬉しい驚き!(以前はこういう状況ではウトウトするだけでちゃんと眠れず、疲れて泣き叫ぶというパターンだった)

着陸時にはやはり耳が痛くなって泣きましたが、予め飴を舐めさせておいたためか、先回と比べたらもう楽勝という感じ!着陸後に、何故かはしゃいで足で前の席をぐいぐい押すというエピソードも。その席に座っていた年配の女性にお詫びすると、「(子どもは)おひとり?」と訊かれ、「はい、そうです」と答えたら、「やっぱりね」と言われてしまいました…。ひとりっ子なので甘やかしていると思われたんでしょうね。

故郷で初めて会った人達にもとても愛想が良く、3歳になって成長したんだなと感激。ただひとつ気になったのは、教師をしていた父親に「この子は日本語ばかりだけれど、幼稚園で困るんじゃないか?ちゃんとイギリス人として英語で育てたほうがいい」と言われたことでした。

私は幼稚園に入ったら英語ばかりだから、自然に話すようになる。そんな環境で日本語をキープできるよう、幼稚園でも日本人の友だちができるといいな、などと気楽に考えていたのでした。

 

息子の緘黙・幼児期2~3歳(その4)

息子、犬恐怖症に陥る

3歳になる少し前のこと。いつものように、日本人の友達母子と一緒に近くの公園に出かけました。

楽しそうにちょこちょこ走りまわる息子たちの後を、彼のママとお喋りしながら歩いていた時です。低木の茂みの中から、いきなり3匹の犬が飛び出して来ました! 犬に追いかけられ、悲鳴をあげて泣きながら走りだす子どもたち。

あまりに突然のことで、びっくりして咄嗟に声が出ず…。私たちは一瞬顔を見合わせて、すぐ息子たちのところに走りよりました。同時に、遠くで飼い主の声がして、犬たちは疾風のように走り去って行きました。

飼い主は私たちのところに謝罪に来ず、気づいた時には既に犬を連れて立ち去っていました。子どもの多い公園で犬を放しっぱなしにするなんて、マナー悪すぎ!(息子たちが小さかったので巨大に見えましたが、犬たちは小・中型犬でした。もしかすると、まだ仔犬で子どもたちにじゃれてたのかもしれませんね。それにしても、監督不行届きですが)

息子は割とすぐに泣きやみましたが、それ以来というもの、大の犬嫌いになってしまいました。それまでは、積極的に犬に近づくことはなかったものの、私が一緒なら撫でたり・触ったりしていたのに…。犬を見つけると、私の影にかくれたり、手をぎゅっと握るようになり、極力近づかないように。

イギリス人は犬好きが多く、ベビーカーを押しながら愛犬を散歩させてる人も多いし、公園の遊び場のゲートに犬がつながれていることもしばしば。特に、公園内は犬だらけなので、避けて通るのは楽ではありませんでした。また、息子が目ざとく見つけて警告するので、「あーまたか」とため息が出ることが多かったです。

うちの息子だけかもしれないんですが、不安の強い抑制的な気質の子どもは、恐怖症に陥りやすいんじゃないかと思っています。これまでに犬恐怖症と水恐怖症(水泳プール)を経験(ありがたいことに、どちらも治りましたが、まだ苦手意識はあるかも)。また、極度に緊張するとお腹が痛くなったり、トイレが近くなる時期がありました。

ちなみに、息子の犬恐怖症が治ったのは、仲の良い友達が犬を飼いはじめた10歳のころ。犬がいる友達宅に遊びに行くか・行かないか — 究極の選択に迫られ、遊びに行く方を選んだのです。

友達の家のラブラドールは、偶然にもとても臆病で淋しがり屋の性格。ママ友からは、「○○君(息子の名)に似てる」と言われてました(笑)。

彼女は子ども達がまとわりついても、いきなりシッポを掴んでも、決して吠えないんです。実に気立ての優しい良いワンコだったので、息子は徐々に慣れて一緒に遊べるようになりました。そのお陰か、息子はボクサータイプの大型犬がいる別の友達宅にも行けるようになり、それほど犬が怖くなくなったよう。

友達は違う学校に進み、もっと郊外に引越してしまったのですが、彼の犬には本当に感謝しています。

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息子の緘黙・幼児期2~3歳(その3)

 

息子の緘黙・幼児期2~3歳(その3)

引っ込み思案が定着?

息子が生後6ヶ月を過ぎた頃から、少しずつ少しずつ仕事に復帰し始めました。幸いにも殆どが在宅ワークで、外出する日数は限られていたので、最初は夫と義母、そして親しいママ友に頼んでやりくりしていました。自宅に来てもらえれば、大体は機嫌よく過ごせていたと記憶しています。

2歳半になった頃、近くに住むチャイルドマインダーさんに1週間に1度預けることにしました。お弁当を持参し、彼女の自宅で同年代の女の子と2人一緒に一日お世話してもらうというもの。初めは、「今日もいい子にしてたわ」と、ほとんど問題はありませんでした。

が、2ヶ月目に入ったところで、「急に泣き出して、全くおさまらず本当に困った」と、迎えにいった途端に訴えられ…(その気持は痛いほど解るけど)。この日は新メンバーが入り、いつもと違う環境だったとか。

「普段他の子ども達と遊ばせてるの?」と訊かれ、ちょっとカチンと来てしまいました。息子が集団に溶け込めるよう、私なりに頑張ってきたのに~!

翌週は少しマシだったようですが、息子が行くのを嫌がるようになったため、預けるのを断念。次からは、必要な時だけ臨時でベビーシッターさんに来てもらうようにしました。若い日本人女性が来てくれた際は、もうべたべたに甘えまくり!彼女が帰る時に大泣きするという事態も発生しました。

こうして、公の場では引っ込み思案、でも気を許せると思った人とはすぐ親しくなって自己主張する、という不思議なパターンができあがったのでした。

この頃から、親しかった日本人の友達が3歳になって私立の幼稚園に通うようになり、今までのように頻繁に遊べなくなってしまいました。また、それまで通っていた小規模のプレイグループが閉鎖し、少し遠くですが日本人もいる規模の大きいグループに参加することに。

大体2時間半くらいの会で、前半は私の側を離れず、大抵はミニカーで遊ぶというパターン。おやつタイムを挟んだ歌の時間は、みんなで集まって円座に座り、曲に合わせて振りをつけながら”Old McDonald”などの童謡を歌います。でも、息子はやる気全くナシ…。仕方がないので、ずーっと手を添えてやらせていました。

それが家に帰ると、お気に入りのアニメ番組の曲を大声で歌いながら踊ってたりするんですよね….。君は一体何なんだ~?! その後も、できないのかと思っていたら、人目につかないところでやってたりと、母親としてはフラストレーションがたまる状況が重なりました。

さて、プレイグループも後半になると徐々に緊張も解けてくるのか、だんだん行動範囲が広がります。そして、お片づけの時間になって母親達が玩具を倉庫に運び始めると、やる気全開になって、他の子ども達と追いかけっこごっこに夢中になるという…エンジンがかかるのが遅すぎ。

このプレイグループが公園に面した教会で開かれていたので、帰り際に公園で残った子達と少し遊ぶのが楽しかったようです。

その頃、日本人親子が集まる絵本の会にも参加していたんですが、スイカ割り大会ではただ一人頑として動かず…涙。その後、誕生会でスイカ割りをしてみたら、先頭に立ってやってました….やぱり、公の場だと 「できないかも?」「失敗したら嫌」という不安が人一倍強いようでした。

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初めての室内遊戯場

息子が2歳半のころ、初めて大型の室内遊戯場に連れて行きました。かなり広い空間に、年齢別のソフトプレイエリアが複数あり、カフェも併設。よちよち歩きの幼児から、7・8歳くらいの子どもまで、大勢の子どもと母親達でごったがえしていました。

最初に受けた印象は、人の多さと騒音のすごさ。天井が高いので雑音や子どもの声が反響して、厚い雑音の壁の中にすっぽりはまり込んだような感じでした。

一緒に行った日本人の友達は、遊具を見るなりすぐ駆け出して行きました。彼のママも後を追って行ってしまい、ポツンと取り残された息子と私。でも、息子はちっとも動こうとしません。大好きな車の乗り物があるのに、私の傍らを離れないのです。いつもなら、私の手を引っ張って連れていくのに…。

慣れてないからと思い、まずは一緒にフカフカの滑り台へ。色々誘ってやってみたのですが、全然のってないんですよね…30分くらいして、やっと大好きな車の乗り物にチャレンジしたものの、いつものようには楽しめてない様子…。ノロノロと車を動かしていたら、よその子が押してきた車にぶつけられ、半ベソ状態。

ノリノリで汗をかきながら走り回っている友達と比べ、息子はもう家に帰りたいモードで、ちょっと情けなく…。お昼に大好きなハンバーガーとポテトを食べて、やっと元気を取り戻したところで、帰途に着いたのでした。

後で気づいたのですが、遊技場の騒音が息子にはキツかったんだと思います。初めは私でも耳障りだったくらいだから、彼の敏感な耳にはもっと大きく、恐ろしく聞こえたでしょう。騒音に囲まれていると、不快感から不安になることもありますよね。

また、他の子ども達がエキサイトして動き回っているあの雰囲気に、溶け込むことも難しかったのでしょう。普通だったら、すぐに慣れて順応するのに対し、感覚過敏のある抑制的な気質の息子は、慣れるのにかなりの時間を要するようでした。

ちなみに、2度目からは、出だしは遅いものの楽しく遊べるようになり、ほっとしました。というのも、冬場は公園だと寒いので、室内遊技場は手ごろに子どもを遊ばせられる、お助けスポットなんですよね。

こんな調子だったので、3歳から4、5歳くらいまで、子どもだけで遊ぶ遊園地のような場所では、場の雰囲気に慣れるのに時間がかかりました。やっと元気に遊べるようになる頃には、他の子が帰る時間になっているのです…。うちでは長丁場になるのを覚悟して、子どが満足できるまで付き合うようにしてました。

不安が強い抑制的な気質の子でも、慣れてくれば楽しめることが多いと思います。最初は親が付き合って、少しずつ慣れてきたら、体も心もリラックスしてくるはず。「うちの子はこういう場所が嫌いだから」と連れて行かないと、いつまでたっても慣れないし、行動範囲も広がりません。親も一緒に楽しんで、ポジティブな体験を積み重ねていくことができたらいいですね。

人は人、うちはうち。子どもが楽しければ親は嬉しいし、人生は長いんだもの、マイペースでいきましょう。

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息子の緘黙・幼児期2~3歳(その1)

イギリスでは2歳児のことを”Terrible Twos”というんですが、日本では「魔の2歳児」と呼ぶようですね。第一次反抗期が始まり、何でも「イヤイヤ」と駄々をこねて、親の言うことをきかない時期…。

ご多分に漏れず、うちの息子にも魔の2歳がやってきました。2歳になりたての頃、人前で何度かものすごく激しく駄々をこねて、ほとほと困り果てた思い出があります。

一度は、プレイグループにあったミニカーの玩具がひどく気に入り、それを手放すのが嫌で大絶叫!見かねた責任者さんが、「来週返してくれればいいから、持っていけば?」と親切に言ってくれたのに、ちゃんと躾けねばとお断りしたのが間違いでした。

玩具を返し、バギーに乗せてしばらく歩いても、全く泣き止まないんです。サイレンの様に泣き叫ぶ息子を連れて、大通りを歩く私….またもや穴があったら入りたい、の心境でした。

いつまでたっても泣き止まないので、根負けして途中にあったオモチャ屋さんに駆け込み、同じような消防車のミニカーを買ったのでした。弱い母です…。

その次は、風邪を引いて連れて行ったクリニックで、またもや電車の玩具を見つけて放さず…。「さ、おうちに帰るから、電車は返そうね」と言った途端に、バギーの中で体をのけぞらせて大泣き!今では想像もつかないのですが、その声がすごくデカイんです。

また、いつまでもいつまでも泣き止まないのかと思っただけでゲンナリしてしまい、今度は勇気を出して、受付の女性に「すみません、必ず返しますから少しお借りしていいでしょうか?」と訊いたのです。すると、「子どもを甘やかしちゃ駄目!」と注意されてしまいました…。

(イギリス人って、結構ストレートにものを言う人が多いです。見ず知らずの人に、しつけが悪いと注意されたことが何度かあるんですが、この時は初めてで大ショック。それでも、大謝りに謝ってお願いし、玩具を借りて帰りました)。

息子はなんというか、「これが欲しい」、「こうしたい」と心に決めると、それについてどんどん想像を膨らませるクセがあるようでした。そのせいか、それが適わなかった時の癇癪は半端なかったです。いつまでも、いつまでも、しつこく泣き叫ぶのです。そういう時は、何を言おうと、どう優しくなだめようと、全く効果なし…。

このしつこさの故に、「こだわりが強い、頑固な子」と思ってました。その反面、自分にとって大切ではない事柄については、あまり執着しません。何が癇癪の原因になるのか良く判らなくて、混乱したものです。

しつこいくらい頑固な性格は、反対にいうと柔軟性がないということで、この性格も緘黙になった一因なんだろうなと思っています。思い込みが激しいというか…。よく、緘黙児には完壁主義者が多いといいますが、息子もそうでした(今は成長したためか、自分なりに折り合いをつけられるようになりました)。

ちなみに、緘黙症状が重かった4歳半~6歳くらいは、癇癪も輪をかけて酷かったように記憶しています(家でのみ)。あまりに激しいので、小1(5歳)の頃から癇癪を起こした時は、「自分の部屋に行って頭を冷やしてきなさい」と2階に行かせるようにしました。ひとりになると冷静になれるのか、割とすぐに泣き止み、5分くらいで落ち着いてダイニングキッチンに戻ってくるのです。

息子は元来とてもオシャベリで、常に話しかけてきたり、歌を口ずさんだりと、小学校までは一緒にいると煩いくらいでした。一人遊びに夢中になる反面、結構淋しがり屋のところがあり、人と一緒にいたがる傾向も強かったように思います。

(余談ですが、幼い頃こんなに癇癪がすごかった息子は、13歳のいま、世を悟った老人のごとく落ちついています。カースティーさんのお母さんが、「カースティはうちで一番落ち着いてるの。何があっても慌てず、頼りになるのよ」とおしゃってましたが、よく考えるとうちもそうかも….。第二次反抗期は、いつ来るんでしょう?)

 

息子の緘黙・幼児期1~2歳(その3)

感覚過敏の兆候?

息子は3kgの標準体重で生まれてきましたが、乳児の頃から食が細いのが気がかりでした。週に一度体重を測りに行く度に、平均くらいだった体重が少しずつ少しずつ下がっていって、ついに「痩せすぎ」の部類に…。(以来、ずーっとガリガリ体型なものの、私も似たような感じだったし、アレルギー以外は殆ど病気もせず健康なので、あまり心配しなくなりました)。

離乳食で好きだったのは、特に潰したバナナと野菜、フルーツ類でした。こちらには初期の離乳食にBaby Riceなるものがあり、薄いライスフレークをミルクに混ぜてトロトロにして食べさせます。息子はこれが全然駄目でした。お粥をすりつぶしたのも不評….。この子はお米が苦手なんだと思っていたら、数カ月後に柔らか目のご飯を食べ始め、??? どうもお米が嫌いなわけではなく、お粥の食感が嫌だったようです。

また、肉や魚類についても、すり潰した状態の時期には野菜を加えても殆ど食べず…。こちらも、噛めるようになったら、ちゃんと食べ始めました。やはり、独特のブツブツ感が嫌だったのかな?

小さい子って熱いものが苦手ですが、息子は特に敏感で、ちょっと熱いくらいで怒って大泣きする時期がものすごく長く続きました。また、1歳を過ぎて初めて市販の甘いジュースを飲ませてみたところ、ものすごくテンションが高くなり、その後酷いグズグズ…。「この子は他の子と比べて、人工的な添加物に対する反応が激しいんだ」と悟りました。

ちなみに、1歳半くらいからうどんやカレーが大好きになったのですが、市販のカレールーやうどんに付いてくる液体や粉末の汁の素を使うと(もちろん薄めてます)、口の辺りや胸にばーっと赤いブツブツが…。

(余談ですが、当時のイギリスのベビーフードといえば瓶詰めのみ。見た目もイマイチで、魚や肉入りのもは匂いからして不味そうで….結局息子が喜んで食べたのは果物だけでした。だから、いただきものの日本の離乳食を息子がパクパク食べた時は大感激!種類も豊富で大人の私が食べても美味しい、優秀なベビーフードだと思いました。よくイギリスの食事は不味いといいますが(最近は随分変わってきました)、赤ちゃん時代から舌が肥えるようなものを食べていないように思います…)。

忘れられないのは、息子が1歳3ヶ月の時に里帰りで初めて飛行機に乗った時のこと。「寝てばっかりいたよ」という友人達の言葉とは裏腹に、息子は通路を歩き周り、興奮してちっとも眠らず…。ヤバイなと思っていたら、疲れすぎて超大泣き!寝ている人たちに迷惑にならないよう、トイレの辺りで一所懸命なだめたのですが一向に泣き止まず…。驚いたスチュワーデスさんに、「どこか悪いんですか?」と訊かれる始末。やっと眠ったかと思ったら、着陸時に気圧の関係で耳が痛かったのか、またもや超大泣き — 本当に穴があったら入りたかったです。

あと、太陽の光を眩しがる傾向も強かったような気がします。赤ちゃん時代もそうでしたが、息子の過敏さは相変わらず健在で、徐々に他の子との差が明確になってきた時期だったかもしれません。

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息子の緘黙・幼児期1~2歳(その2)

引っ込み思案のはじまり

1歳を過ぎると自我が芽生えてきて、子どもの感情表現や個性がはっきりしてくるといいます。息子も2歳近くになると、かなり性格が固まってきたようでした。

うちは息子が1歳9ヶ月の時に、現在の家に引越してきました。日本人駐在員の家族が多いエリアの端っこに越してきたため、公園やプレイグループで日本人の子どもと顔を合わせる機会が多くなり、ちょっとしたカルチャーショック(笑)。それまでは、家では日本語、外では英語という感じだったのが、初めて仲の良い日本人の友達ができ、日本語を聞く・話す割合がぐっと増えたのです(話すといっても、まだ一語文でしたが)。

(主人はというと、実は日本語を話せるのですが、「バイリンガルに育てたいから英語に徹底してね」という私のリクエストなど全く無視。いつの間にか、息子と会話ができる方の言語に切り替えてるのでした…)。

引越し前、プレイグループや赤ちゃんグループ仲間と遊ぶ際に、気になってきたことがありました。新しい玩具やゲームに挑戦させようとすると、他の子は乗り乗りなのに息子はやりたがらないんです…。でも、家に帰って私と二人だったらやるという…。

あと、プレイグループなどで、自分が遊んでいる玩具を取られてベソをかくことが多くなりました。でも、みんなの前ではそれほど大泣きはしません — (よほど気に入っている玩具でない限り)取り返そうと怒ったり、泣き喚いたりできないようでした。反面、家で思い通りにならずに癇癪をおこす時の泣き方は、それはもうすごかった(笑)。こだわり屋で頑固な性格は、私にだけストレートに出るようでした。

そして、場の雰囲気が変わることや、場所が変わることを極端に嫌がるのです。例えば、家で機嫌よく過ごしているのに、どこかへ連れて行こうとすると急に抵抗して泣き始める…。でも、そんなに泣いて騒いだ割に、目的地に着く頃にはすっかり機嫌がなおっていることが多いのです。何ですか~?という感じで、不思議でした。

(幼稚園(3歳から)で「幼い子どもでも、急にしていることを止めさせるのは理不尽だから、事前に警告しましょう」と教わり、以来実践しています。例えば、「もう夕方だから家に帰るよ。あと5分だけね」という感じです。効き目はあったように思います)。

対人的には、1対1の関係を好む傾向が強く、3人以上の集団で遊ぶのが苦手というのが明らかになってきました。日本人の友達とは、車&電車好きという趣味がピッタリ合い、毎週互いの家を行き来しては、道路と鉄道を繋げてコレクションを駆使したごっこ遊びに没頭(彼のトミカコレクションと息子のダイカストの車&電車コレクションはとってもマニアックでした)。それなのに、そこにもうひとり彼の友達が入ると、息子は途端に引っ込み思案になり、遠慮の塊のように…。

引っ込み思案な性格は、引っ越した頃から頭をもたげてきたように記憶しています。初めての場所に馴染むのに少し時間がかかる…でも、声がでないということはありませんでした。不思議なのは、引っ込み思案な割に、すっと馴染む人や場所もあり、そういう時には自分をアピールできること。親しい親戚の集まりなんかでは、「社交的な子」と言われてたこともあるんです — 緘黙になった時、そんなイメージは消え去ってしまいましたが…。

息子は、どういう訳か大人の女性に甘えるのがすごく上手でした(今も…かな)。一度、グラニーと遊んでいるところに私が入っていったら、露骨に嫌な顔をされたのを覚えています…(涙)。また、時々仕事で家を空ける時はママ友達に子守をしてもらっていたのですが、引っ越し後に日本人の女性に子守をお願いしたことがありました。帰宅した時、息子が彼女にもたれかかって本を読んでもらっているのを見てびっくり。彼女が帰る時には、「行かないで~」と大泣きしたのでした。

そして、2歳になるちょっと前に、忘れられない???な事件が起こりました。赤ちゃんグループ仲間のひとりの誕生パーティに招かれた時のことです。彼女は大きなマンションに住んでいて、誕生会には赤ちゃんグループの仲間だけでなく、マンションに住む子ども達も。広い中庭に遊具をいっぱい広げて、子ども達は駆け回り、大人も大勢おしゃべりしていました。息子はこのシチュエーションがすごく嫌だったようで、どういう訳か動きがとてもぎこちないのです(今思えば緘動っぽい?)。

それでもなんとか慣れてきて遊具で遊び、お菓子とケーキを食べた後のこと。「皆で記念撮影をするから集まって~」と言われたのに、息子だけ断固拒否。いくら言っても動かないので、その時の集合写真に息子は写っていません…。とても切なかったです。今だからこそ、「初めて行った場所・初めて会った子ども達」に馴染めなかったから仕方ないと思えますが、その時は「知ってる子がいっぱいいるのに???」という感じで…(これほど強く反応したのは初めて。引越したため赤ちゃんグループ仲間とそれほど頻繁に遊んでなかったことも原因だったでしょう)。

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話は変わりますが、ミスイングランド&ミスUKのカースティさんが、昨日のロンドンマラソンに参加し、見事完走したようです。ツイッターより写真をお借りしました。

カースティさん、王冠をつけて走ったんですね~。

息子の緘黙・幼児期1~2歳(その1)

やけに用心深い子ども

息子は1歳の誕生日を1週間ほど過ぎてから歩き始めました。赤ちゃんグループの中では誕生日前に歩いた子も数人いて(息子の誕生日は遅い方)、「すぐ走るようになって、もう目が離せないよ~!」と忠告されていました。

が、歩けるようになってから1週間くらいは、おそるおそる、ゆっくりゆっくりという感じだったような記憶が…。「あれっ?何で?」と不思議に思ったことを覚えています。その後は、どういう訳か急にしっかりした足取りで歩き始めたのでした。(もしかして、転ばないように練習してた?)

私が小さい頃は、いつもヒザ小僧に赤チン(古い!)や絆創膏を貼っていた記憶があり、写真にもばっちり残ってます。転ぶことが多くて、擦り傷が絶えなかったんですね。一方、息子はというと、あまり転んだことがなく、擦り傷も殆どありませんでした。今の子どもってそうなんでしょうか?

そういえば、滑り台(幼児用の低いもの)を腹ばいになって頭から滑り降りるのが一時期好きになり、ある日勢いあまって地面に顎を強く打ちつけ、擦り傷を作ったことがありました。でも、それを除けば、怪我らしい怪我をしたことがなかったような(つかまり立ちの頃はバランスを崩してよく転んでましたが…)。

幼児って目を離した隙にとんでもないことをしでかすものと思っていたんですが、「とんでもないこと」が起こった記憶がないんです。グラニー(祖母)の家で、暖炉で火傷しないよう「アッチチ、アッチチだから、近づいちゃ駄目!」と言うと、半径1メートル以内に近づかないような子どもでした…。現在では幼児用の安全グッズが充実しているし、子どもに細心の注意を向けるような風潮があるので、事件らしい事件は起こらないのかもしれませんが、怖がりで慎重な性格が既に出始めていたような気がします。

ママ友からは、知らない犬に抱きついて吠えられたとか、子どもが棚の上によじ上って危なかったとか、トイレの内側から鍵をかけてしまい、とんでもない騒ぎになったとか(これはもう少し大きくなってからですが)、いきなり走り出して危なかった、というような事を耳にしていました。うちでは、鍵を忘れて家に入れなかったなど、私自身がやらかしたことの方が多かったです。

息子が歩けるようになって、プレイグループや公園での行動範囲が広がりましたが、玩具の取り合いとか、子供同士でトラブルになったことも、あまり記憶にありません。いつも行かないプレイグループで、少し年上の子にいきなり頬をわし掴みされて大泣きしたことがあり、この頃から被害を受ける側ではありました…。

今思うと、「危ないから○○しちゃ駄目」と注意することが多い子育てだったような気がしています。もしかしたら、抑制的な気質に生まれつき、怖がりで用心深い息子の冒険心を抑制してしまったかも…。もっと褒めて育てていたら、自己評価が高くなったかもと反省しているのですが、日本人の私にはそれは難しい。子どもの性格によって、育て方や合う学校というのも違ってくるとは思うものの、最終的には自分たちが置かれた状況・環境でベストを尽くすしかないですよね。

 

赤ちゃん時代まとめ(0-1歳)

7ヶ月の終わりには夜12時間くらい続けて眠るようになり、私の子育ては本当に楽に(というかマシに)なりました。また、この頃は午前中と午後に各1時間~1時間半ほどお昼寝をしていたのですが、ちゃんと眠れば眠るほど機嫌がいいのです。この頃、赤ちゃん用のスリーピングバッグが登場し、3歳くらいまで買い換えながら愛用してました。

赤ちゃんの生活って、基本的に食べる、眠る、遊ぶ、排泄するの繰り返し。息子は食べる・眠るのバランスが崩れていて、すぐ疲れやすくキレやすい状態だったんだと思います。多分、通常は多少の寝不足や空腹はカバーできるところを、過敏で神経質な息子にはそれが難しく慢性化してしまったんじゃないかな…。(ちなみに、排泄に関しては優秀(?)で、オムツかぶれは殆どなく、服を汚すこともめったにありませんでした)

とにかく息子の生活のリズムを崩さないよう、毎日食事と眠る時間はできるだけ規則正しくがモットーでした。4月になると、プレイグループの他に公園の遊び場に通うようになり、活動の場が広がりました。それほど子どもが多い地区ではなかったため、大体集まる顔ぶれは同じ。遊具で遊ぶことの楽しさに目覚めた時期でもあり、人見知りとか引っ込み思案という感じは全くなかったような。

この頃、生まれて初めて仲良しの友達ができました!赤ちゃんグループの男の子のひとりが、何故かうちの子をいたく気に入ってくれたのです(彼のママ曰く)。公園で会えば一緒に遊び、お互いの家を行き来することも多くなりました。彼の家には猫がいたので、恐る恐るなでることを覚え、公園では子ども好きのお婆ちゃんの犬に触らせてもらったり(なのに、3歳過ぎてから猫アレルギー発症、4歳頃に犬恐怖症になるのでした…←3歳になる頃の間違いでした)。

8ヶ月検診では、社交性とか微細運動スキルなどを含む全ての項目で問題なし。母子手帳の所見欄には、「活発で健康な赤ちゃん」と書かれています。「活発」と書かれたのは、息子の人生の中でこの時だけかも…。新米ママグループに入れてもらえたお陰で、赤ちゃんの成長の目安や他の子の様子がわかり、身内が近くにいない私はすごく助かりました(それぞれペースがあるので比較すべきではないですが…)。確か、お座りだけはグループの中で一番早く(3ヶ月年上の子を除き)、ハイハイは遅めで最初ズリバイ、歩いたのは1歳の誕生日を過ぎてからでした。

大泣き虫だった息子も、なんとか赤ちゃんグループの一員として無事1歳の誕生日を迎えることができました。5月~8月生まれの赤ちゃん仲間(?)が7人いたので、次から次へと誕生会ラッシュ(笑)。親友の家で開かれた誕生パーティでは、最初は楽しく遊んでいたものの、お昼寝の時間が近づいてきたら大泣きが止まらず!グループだけでなく、他のママ友と子ども達も招いた大き目のパーティだったため、人の多さや騒音が影響したかも…。

8月生まれの息子は誕生会も最後でしたが、同月生まれの3人が一緒に友達宅でお祝いすることに。ここでは何とか泣かずにやり過ごせて、ほっと一安心。自宅でもお昼寝の合間に小さなパーティを開き、機嫌よく過ごすことができました。

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翌日の土曜日、私は隣人たちに事情を話して回りました。そしてその晩、意を決して息子をコットに寝かしつけ、泣き声に背を向けて部屋を出たのです。戸を2つ隔てたダイニングキッチン兼居間(その頃は私たちの寝室でもあった)に夫と二人で立てこもり、ベビーモニターとにらめっこ。当時のモニターはまだ映像はなく、泣くだびにモニターのランプが点滅し、スピーカーから泣き声が響き渡るという代物でした。

息子は声を限りに大絶叫。叫びすぎて喉が詰まっちゃうんじゃないか、声が涸れちゃうんじゃないか、と気が気ではありません。途中でしゃくりあげながら40分くらい泣き続け、呟き声みたいになってから、ようやく止まりました。それから、しーんと静まりかえってしまい、私は急に心配になりました。もしかしたら何かあったのかも….でも、見に行こうとする私を夫が止めました。

「今行ったら、起きちゃうだろ。そうしたら、これまでの努力が水の泡だ。大丈夫、後で確かめてくるから」 – そういわれて思いとどまりましたが、ベッドでぐったりしている息子の姿を想像すると正直怖かったです…。心配性の私に比べ、夫は正反対ともいえる性格。あまり物事に動じず、どーんと構えているというか、論理で割り切るのが早いというか — お互いの性格がかなり違うことで意見が喰い違うこともありますが、そういう見方もあるんだと救われることも多いかも。

とにかく、夫が「大丈夫」というのを信じて、ひたすらモニターを監視。30分後くらいに夫がしのび足でのぞきに行き、息子が眠っていることを確認できました。寝付いてから4時間ほどで1回、明け方に1回泣きましたが、最初ほど長く泣き続けることはありませんでした。2度目の泣き声の後でさっさと寝てしまった夫を横目に、私はモニターに耳を傾けながら、まんじりともせずに夜を明かしたのです。

そして日曜日の朝、おそるおそる息子を見に行くと、コットの中で目を覚ましていました。でも、泣いてなかったんです!夫と二人で抱き上げて、「頑張ったね~!いい子、いい子」と褒めまくり、抱っこしまくり。2日目からは、寝かしつけた時や目が覚めた時に泣く時間がだんだん短くなり、5日目からはひと晩中眠るようになりました!やった!

泣いても誰も来ないことがトラウマになるのでは?– 専門書には何も書いてありませんでしたが、少々心配でした。が、そうでないことは、寝起きの息子の表情に現われていました。私の顔を見てニッコリ笑うようになったのです!また、ひとりで機嫌よくお喋りしていることも。そして、一日を通して機嫌のムラが少なくなりました(といっても、他の赤ちゃんに比べたら、まだまだ泣き虫の方だったと思います)。

一晩中眠るようになってから、色々なことが改善されました。ベビーカーや車の中でも眠るようになり、哺乳瓶でもミルクを飲むように。これは、8ヶ月頃からハイハイが始まり運動力が増えた時期とも重なりますが、充分な睡眠が取れている証拠だったと思っています。多分、息子は睡眠の量や質にものすごく敏感に反応するタイプなのでしょう。入眠のタイミングを逃すと眠れなくなったり、夜中に何度も起きたりして、慢性的な睡眠不足で機嫌が悪かったのかなと推測しています。それに、母乳が足りなかったこと、アトピーの悪化が拍車をかけていたと。

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