息子の緘黙・幼児期(4〜5歳)  ひとりだけ違うクラス?!

息子の緘黙記の続きです。

幼稚園では非常に引っ込み思案で、特に大人に対して言葉が少ない息子は(大人の見てないところで親友とは普通に話してました)、1学年3クラスある小学校(イギリスでは大規模)に、すんなり適応できるんだろうか?

心配になった私は、小学校の校長に手紙を書き「ものすごく引っ込み思案な子なので、M君と同じクラスにして下さい」とお願いしました。仲良し同士はたいてい同じクラスにしてくれると聞いていたものの、念には念を押したつもりでした。

が、入学体験日に発表されたクラス分けを見てビックリ!なんと、幼稚園のクラスから、息子だけが違うクラスに入ることに。ガーン、何故だぁ!

他の10人は全員同じクラスなのに、息子だけひとりぼっち…親友のM君とも離れ離れ。息子はひとりで大丈夫なのか?私の不安はいっきに増大しました。

(今思えば、これが緘黙を引き起こす原因となったような気がします)

急いで小学校の校長に面会を申し入れたんですが、校長は不在で副校長が会ってくれました。結果は--もう発表してしまったので、クラスは変えられないと…。何故そうなったのかという理由は、教えてもらえませんでした。

推測するに、私の家が道ひとつ隔ててギリギリ学区の外だったのが原因だったんだろうなと思います。というのも、最初は断られたんですが、2次選考で入学できることになったという経緯がありました。あと、延長保育の先生の意見もあったのかなと…。

母子体験入学に行ってみると、息子のクラスには違う幼稚園から来た子どもを集めてありました。息子が通っていた幼稚園は小学校の隣。付属幼稚園ではありませんが、後の2クラスは幼稚園からの持ち上がりという感じ…。

9月に入学した子ども達は既に友達関係ができてしまってるだろうし、そんな集団の中に後から入って大丈夫なんだろうか…。知らない子ばかりだし…。不安でいっぱいしたが、もう変更できないと言われてしまえば、どうしようもありません。

それでも、入学体験で同じクラスになる女の子のママと知り合いになり、「仲良くしてね」と言ってもらえて、ちょっとだけ安心。入学して1週間は半日授業、その後は給食を食べられるようになったら一日授業にするという方針。

保護者用のファミリールームもあるし、まさかの時はそこで待機すればいいや、と腹をくくったのでした。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その2)

この子話せますか? 息子の緘黙・幼児期 4〜5歳(その2)

久々に「息子の緘黙」の続きです。

幼稚園の延長保育にも慣れてきて、卒園まであと3ヶ月あまり。お隣の小学校への入学も決まっていて、かなり落ち着いた状況でした。

でも、実は上手くいってると思っていたのは身内だけで、その頃息子は園でものすごく寡黙だったらしいのです。知らぬは家族とその周辺のみだったよう…。

当時、『サンダーバード』の実写版映画が流行って、再々々ブームが起きていました。人気バンドによる主題歌も大ヒット中。息子は声が出るトレーシーアイランドの玩具で、毎日ごっこ遊びに熱中。そのお陰で 英語もかなりスラスラ出てくるようになっていました。

イギリス人の子とも交友した方がいいと思い、入園時に乗り物遊びで仲良くなった子とママを自宅に招いたんです。その時、そのママから「ふうん、家では喋るんだね」と言われ、「???」。彼女はよくクラスで手伝いをしていたんですが、「あ、そうなんだ。園では大人しいんだ。私も保育園の頃はすごい内弁慶だったしな」位にしか思わなかったのです。

その後に、新しく同じクラスに入った日本人の女の子(母子ともに付き合いなし)のママに何気なく挨拶したら、「お宅の子、すごいユニークなんですって?」という謎の言葉が…。追いかけて質問するのも気が引け、大きなハテナマークを抱えることになったのでした。

あと、お迎えの時に延長保育の先生に、けっこう英語も話すようになったことを告げると、「園ではT君(親友)に代弁させることが多いので、自分でもっと発言するといい」と。後にT君のママ経由で、この先生が息子とT君を離した方がいいと言っていたことを聞きました。

1年3ヶ月の幼稚園生活の間、若い担任の先生からは特に何の助言もなく、まあまあ楽しくやってるんだとばかり…。その先生は1年終えた時点で退職し(海外に行くため)、新学期からは新しい担任になったばかりでした。

早生まれの息子は、新学期が始まる9月からではなく、1月から小学校に入学する予定でした。その1ヶ月ほど前、つまり卒園の1ヶ月前に、幼稚園で初めての懇談会が行われたのです。

担任が開口一番に言ったのは、「○○君、話せますか?」でした!

その時は主人も一緒だったのですが、二人とも驚いて「は?」という感じ。「もちろん話せます」と即座に答えたのですが、私は「内気で先生に何か言われない限り、言葉を返さないんだろうな」と捕えました。しかし、こういう大事なことはもっと早く言って欲しかった…。

息子は私がお迎えに行くと園内(教室の外)でもすぐに話し始めるので、そこまで寡黙だということには全く気付いてませんでした。それは、息子の親友&そのママも同じだったと思います。多分、大人のいないところでは、M君と普通に話していたんでしょう。

卒園の少し前に、1月から小学校にあがる早生まれの子のための卒園会みたいな催しがありました。10人くらいの子どもと保護者が集まって、担任が子どもの園での歩みを発表。ひとりづつ前に出て担任のところに行き、話す機会が設けられました。

恥かしいのか、全員が小さ目の声で先生の質問に答えていたという記憶があります。息子の番になってカメラを向けると、短かい言葉ですが、 ちゃんと聞こえる声で答えてました。なので、幼稚園では緘黙ではなかったと思ってます。

ちなみに、この幼稚園は自由主義で、子どもが好きな遊びを自主的にどんどんやらせ、遊びを通して学ばせるという方針。みんなで一緒に何かする時間は、読み聞かせをするストーリータイムくらいのもので、先生やスタッフの大人と話す時間はあまりなかったように思います。

今考えると、抑制的な気質が強い息子には、もっと家庭的で面倒見の良い、こじんまりした幼稚園の方が向いてました。でも、当時そんなことは全く思いつきもせず…。

小学校入学に一抹の不安を覚えた私たち夫婦は、小学校の校長に手紙を書くことにしたのでした。

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癇癪が悪化ー息子の緘黙・幼児期4~5歳(その1)

癇癪が悪化-息子の緘黙・幼児期4~5歳(その1)

またまた記事の更新が遅れてしまいました。息子の緘黙記、やっと4歳に突入します。

イギリスでは5歳になる年から小学校が始まります。新学期は9月からなので、8月生まれの息子は学年でも一番若い早生まれちゃんのひとり。入学予定の小学校では、6月以降に生まれた子ども達を、9月ではなく翌年1月に入学させるいうシステムでした。そのため、幼稚園にもう1学期だけ行くことに。

ラッキーにも、4歳になった9月から週に2回延長保育してもらえることになりました。イギリスでは公立幼稚園の保育時間は1日2時間半。延長保育だと朝9時半から午後3時半まで預かってもらえるので、仕事で外出しなければならない時は大助かり。

園にいる時間が2倍になって、初めての給食も食べることになったのですが、割とすんなり順応できました。日本人の親友T君が一緒だったので、不安が少なかったと思います。また、夏休み中に、お弁当持参でT君、M君と一緒にサマープレイグループ(幼児を預けて、様々な活動を楽しませるもの)に参加できたのも、プラスになったかもしれません。

ただ、4歳を過ぎた頃から、家で癇癪を起こすことが多くなりました。夕飯前に遊んでいて切り上げるように促すと、嫌がって大泣きしたり、外出させようとするとものすごく抵抗したり――ささいなことで頻繁に腹を立てていたような…。何がそんなに嫌なのか、どうしてそんなに抵抗があるのか訳が解らず、私のほうが困惑して腹を立てることも多かったです。

これについては、「息子の緘黙・幼児期2~3歳(その1)」でも触れましたが、息子は行動や場面を切り替えるのがすごく苦手でした。自分のこだわりが強いとき――「こうしたい」「こうなるはず」と思い込んでいる時や、その時の状況が気に入っている場合は特に。

まあ、子どもだから当たり前といえばそうなんですが、癇癪が激しすぎ…。そして、癇癪をおこすのは、だいたい家にいる時や家族と一緒にいる時に限られていました。今思えば、幼稚園や友達の前では我慢していたのかな。あるいは、公の場でそんな大それたことはできなかったんでしょうね。幼稚園に長くいるようになって我慢することが増えて、それが家で爆発してたのかも…。

今でもハッキリ覚えているのですが、一度だけ園の前庭で大癇癪をおこして、周囲にいた子どもやママ達を驚かせたことがありました。園を出たところでミルクを飲もうとして、パックにストローを刺したら、曲がって入らなかったんです。見かねて代わりに刺してあげたら、いきなり大泣き!大人しいと思われてる息子がめっちゃ大声でわめいたので、皆さん目が点になってました(笑)。

後日、幼稚園で心理士の講演があり、癇癪について相談してみたら、次のようなアドバイスをしてくれました。

  1. 子どもは急に切り替えをするのが難しいので、事前に警告する
  2. 癇癪を起こしている間は何か言っても無駄。落ち着いてから、静かに話をする

大人でも何かに夢中になっている時、いきなり制止されたら頭にきますよね?だから、子どもが何かしてる時には、傍まで行って顔を見ながら「ご飯だから、もう少しで遊びはお終いね」と警告するといいそう。「あと1回ゲームしたら終りね」という風に、具体的に言ってあげると解りやすいですね。

また、泣き叫んでいる時に、なだめたり怒ったりしても、子どもは聞いてません。少し距離をおいたり、黙っている方が早く泣き止むそう。少し落ち着いたら、必ず声をかけて泣いた理由を訊いたり、子どもの行動が何故いけないかを話すといいようです。

切り替えが苦手なのは、新しい場所や行動に対する不安もあったと思います。ただ、実際にその状況に遭遇すると、割と平気なんですよね。「こうなったらどうしよう」と考えすぎてものすごく不安になるものの、イザやってみたら「な~んだ」と安心するパターンが多かったような。

心配性というか、想像しすぎというか――子どもなのに取り越し苦労が多い…。なんかとっても損な性格だなと思うのですが、考えてみると息子ほどではないにせよ、私もその傾向が強かったです。

子どもが癇癪をおこすと大人は困りますが、自分でどんな風にコントロールしていくのかを、学んでいく過程でもありますよね。うまく援助してあげられるといいですが、なかなか難しいです。

 

 

3人付き合い - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その7)

昨年秋から途切れていた、息子の緘黙記録の続きです。

時間の経過とともに、T君とM君は園の内外でかなり地が出てきました。T君は一見おとなしそうですが、しっかり自己主張するタイプ。活発なM君は体を動かす遊びが大好きなイタズラっ子。息子はというと、自我はとても強いのに1対1でもなかなか自己主張できず、相手に合わせるという感じでした。

例えば、T君がうちに遊びに来ると、真っ先に自分の好きなオモチャを取ります。それらは息子のお気に入りのことが多く、本当は先に自分が遊びたいんです。が、「次は僕」と言えないまま、ずーっと譲りっぱなし(諦めっぱなし)なのでした。

また、T君宅に遊びに行くとなぜか萎縮してしまい、なかなかオモチャに手が出ません。T君は自分のお気に入りは「これはダメ!」と釘を刺すので、違うものにソロソロと手を伸ばすという具合…見かねたT君のママが、「貸してあげなさい」と気を利かせてくれることも多かったです。

(入園以前に仲良しだった日本人の友達はひとつ年上。今考えてみると、精神的にもすごくお兄ちゃんだったなと思います。この子と2人で遊ぶときは、全く萎縮することなどなどなかったんですが…)

台湾人のM君宅に行く時は、だいたいT君もいっしょ。家の中でも外でも活発な遊びが中心なのですが、息子は躊躇するので、なかなか順番が周って来ないことも…。庭にビニールプールを出した際、M君がふざけて周囲にバシャバシャ水をかけるので、息子だけプールに入らなかったこともありました。

公園の遊具では普通に遊ぶものの、木製の汽車の屋根に登って飛び降りるというような新しい遊びが出てくると、最初は見ているだけ。そのうち、ゆっくり登って慎重に地面に降りるという感じで、怖がりの性格が反映されてました。

我が物顔で自由にふるまう幼児が多い中、なんでうちの子は友達に遠慮するのかな?と当時とても不思議に思ったこと、そんな息子にフラストレーションを感じたことを今でもよく覚えています。でも、これって抑制的な気質のせいだったんですよね…。

「3人集まれば社会の始まり」といいますが、1対1の場合と3人の場合では、人間関係の複雑さやダイナミズムが随分違ってきます。自分と相手だけだったのが、そこにもう1人加わることで、第三者のことも考えて行動しなければなりません。

息子は1対1のコミュニケーションは取れてましたが、そこに誰か加わると萎縮してしまう傾向がありました。多分、自分の立ち位置というか、どう振る舞えばいいのか分からなかったんでしょうね。

また、息子は状況を変えることがとても苦手でした。自宅で楽しく遊んでいるのに、どこか違う場所に行かなければならないような場合は特に。でも、行ってしまえば、割りと平気なことが多かったです。ある時、息子とグラニーが仲良く話しているところに私が加わろうとしたら、息子の態度が急変。「マミーあっちに行って!」と睨まれた時は、ショックでした~。

蛇足ですが、私自身も小さい頃から仲の良い友達と1対1で、深くべったり付き合うタイプでした。保育園の時の親友とは家が近く、近所の子たちと集団で遊ぶ時も、2人でくっついてました。小2まで同じクラスで、その後もしばらくは一緒に登下校し放課後もお互いの家で遊んでたんです。そんな風だったので、複数での友達関係を学び始めたのは、小4になる頃だったような…。どう行動すればいいのか、やっぱり戸惑うことが多かったように記憶しています。

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息子の緘黙・幼児期3~4歳(その4)

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その5)

息子の緘黙・幼児期3~4際(その6)

 

託児所体験 - 息子の緘黙・幼児期2~3歳(その5)

 

すっかり忘れていたんですが、息子は2歳8ヶ月から3歳になる頃まで1週間に2回ほど託児所に通っていました。そこは、仲良しの日本人のママ友が推薦してくれた、イギリス人女性が自宅で経営するモンテッソーリ式の小さな託児所。子供の数は多い時でも5、6人と聞いていたので、息子にはちょうどいいと思ったのです。

この頃、仕事が少し忙しくなったためもあったんですが、息子の性格を考えて入園前に英語環境に慣らしておきたかったんですね。チャイルドマインダーさんに預けた時は長続きしなかったので、幼稚園でちゃんと集団生活できるのか心配でした。

幸か不幸か、息子が通い始めた頃は特に人数が少なく、息子を含めて3人たらず。初日から泣かずに過ごすことができ、わりと早くお弁当持参で一日過ごせるように。モンテッソーリ式というのを特に意識した訳ではなく、先生が「この人なら任せても大丈夫」という姉御肌の女性だったのが決め手でした。

チャイルドマインダーさん宅と比べると、家も庭も広々としていて玩具も多く、とても良い環境。なによりも、ゆったりとした雰囲気が魅力でした。ある日迎えに行ったら、息子がりんごを手に持ってニコニコしながら出てきたのを今でも懐かしく思い出します。裏庭に大きなりんごの樹があって、この日はみんなでりんご拾いをしたんだとか。

今考えると、こういうのんびりした小さなところが息子には合ってたんでしょうね…。息子は人を選ぶ傾向が強く、多分この先生には気を許せたんだと思います。抑制的な気質の子どもにとって、人と環境は特に重要で、それによって緘黙になる可能性にも影響が出てきそうです。

ところで、イギリスの公立幼稚園は3歳から始まり、5歳になる歳に小学校にあがるまでの期間です。通常は1日に2時間半で、午前の部か午後の部かどちらか。延長保育の条件はかなり厳しく、毎日は預かってもらえません。しかも、午前の部からランチタイムを挟んで午後の部までなので、3時半くらいにはお迎えに行く必要があります。まあ、無料なのでその点はとても助かるんですが…。

なので、企業で働く女性が職場復帰するためには、私立の幼稚園・保育園や託児所かチャイルドマインダーに頼るしかありません。でも、これがかなり高額なのです。評判のいい園は1日1万円するところもあり、母親のお給料がまるまる保育代になってしまうケースも…。

ちなみに、イギリスではインファント(幼児部4~7歳)と呼ばれる小学校低学年までは、保護者か責任者が学校に子どもを迎えに行くことが義務づけられています。これは子どもの安全確保のためで、子どもだけの登下校は許されていません。(日本では、ひとりで電車通学する小学生もいるというと、すごく驚かれます)。ということで、子どもがジュニア(中等部8~12歳)にあがってから、フルタイムの仕事に戻る女性も多いのです。

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日本男児と台湾男児現る! - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その6)

 

その後息子は、ミニカー好きのS君とだんだん親しくなっていき、彼のママも時々私に声をかけてくれるようになりました。日本語を話せる研修生は2週間ほどしかいませんでしたが、英語環境にも慣れてきたよう。もう付き添いは全くいらないかなと思い始めた矢先、予期せぬ出来事が起こりました。

ある朝、息子のお絵描きを見守っていた時のことです。私たちの近くに初めて見る東洋人の母子がやってきました。「あれ、日本人?」と思って挨拶をすると、「渡英したばかりです。どうぞよろしく」と、若くておしゃれなママさん。

「あ~、やっと日本人の子に巡り会えた~!」と嬉しかったのですが、お子さんはツヤツヤの黒髪が日本人形みたいに可愛らしい女の子。内心がっかりしていると、「男の子です。Tといいます」と言われ、もうビック!。え~っ、可愛すぎる。

同じ日本人のよしみか、息子とT君はすぐ打ち解けた雰囲気に。それまで教室で小さくなっていたのが、緊張が溶けて少しリラックスしてきたように見えました。当時は「園生活に慣れて仲良しもできたから」と思っていたのですが、今考えるとやはり言葉の問題が絡んでますよね…。

もともと、この幼稚園を希望した理由のひとつは、駐在員のお子さんが複数人いると聞いていたからでした。日本人もいる幼稚園だったら、英語環境の中で日本語もキープできて一石二鳥と思ったのです。でも、蓋を開けてみるとクラスに日本人はおらず、なかなか馴染めず――やっとのことで英語だけの環境に慣れてきたところだったので、少々複雑な心境でした。

T君は息子と同じでちょっと繊細な感じの子。それに加え、何といっても異国での初めての幼稚園生活です。最初はやはりママがいないと不安そうでした。でも、息子と双子のようにくっついて行動しているためか、慣れるのは随分早かったように思います。母親同士も親しくなり、1週間くらいして「もう付き添いはいいよね」と話していた時、またまた新人君が!

今度は台湾人の男の子M君。T君と同じで、M君も全く英語ができず――しかも、3歳になったばかりでした。活発な感じでしたがママから離れられず、まだ赤ちゃんの妹を抱っこしたママはつきっきりで辛そう…。同じアジア人だし、新人さん友の会ということで、声をかけてM君も息子たちと一緒に遊ばせました。

それからすぐ、私はT君のママと一緒にとうとう付き添いを卒業。教室の前で子どもとバイバイして帰宅できるようになり、近くのカフェでお茶を飲む余裕もできました~。M君ママも誘って幼稚園の帰りに一緒に出かけたり、お互いの家を行き来したりと、やっと園生活をエンジョイできるようになったのでした。

蛇足ですが、M君のママが2週間ほど赤ちゃん連れで付き添いをしていたところ、保育士さんに「お母さん、もう帰ってください」と言われたとか。M君はお母さんが帰った途端、大泣きして大暴れ!が、翌日から大泣き・大暴れを受け止めてくれた保育士さんが大好きになり、ママがいなくても全く平気になったのです。

何で私にはそういう提案がなかったのかな――と少々羨ましくもあったのですが、多分息子が入園した当時は新しく入った児童が多くて手一杯だったのでしょう。それとも、息子の性格を見抜いて、「この子は母親が付いてたほうがいい」と判断したんでしょうか?いずれにしても、息子はM君のようにはいかなかったろうなと思います。

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息子の緘黙・幼児期3~4歳(その5)

 

母子登園卒業へあと一歩 - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その5) 

 

いつまで続くのかと不安だった母子登園でしたが、4週間を過ぎた頃からずっと傍にいなくても大丈夫になってきました。初めは「マミーは○○に行くからね。すぐ戻ってくるよ」と告げると、目で私の姿を追っていたのですが、徐々に慣れてきてひとりで落ち着いて遊べるように。朝一緒に教室に入って短時間付き添えば、あとは終わりまでOKという感じ。

もうひとりのママさんも同じようなペースで進行していて、一緒にペアレントルームでの待機に成功。「もうそろそろ付き添いも卒業だね」と安堵の笑顔を交わしたのです。

ところで、それまで担任からは何の提言もありませんでした。毎日「後片付けご苦労様」とは言われるものの、子どもに関する話はなし。今だったら解るんですが、こちらでは自分から相談しないと、「この人は別に困ってないんだ」と思われてしまう傾向が強いんですね…。まだ心配なので最初の15分ほど付き添いたい旨を告げると、簡単に承諾してくれました。

11月も半ばを過ぎ、やっと一時帰宅できるようになった私。でも、園まで徒歩15分はかかるので、途中で買い物をして、洗濯などしていると、すぐお迎えの時間…。時間には厳しい園だったので、焦って迎えに行ってました。無料でありがたいけれど、2時間半の保育って短すぎ!

ある日お迎えに行くと、担任から保育士の研修中というイギリス人女性を紹介されました。聞けば、彼女は最近まで日本に住んでいて、日本語が話せるとのこと。「○○君(息子の名)はなかなかクラスに馴染めなかったけれど、この人が日本語で話してくれるから色々スムーズにできるようになったのよ」と。

それまで私は、外では英語、家庭では日本語を話していれば、自然にバイリンガルになるだろう、なんて気楽に構えてました。息子の母国語の問題とか、全く気にしてなかったのです。この頃、息子の話し言葉は日本語90%、英語10%程度でしたが、英語も聴く方は殆どできてたので、あとは自然に習得できるだろうと――なんと楽観的だったことか…。

今思えば、私から離れていきなり英語だけの環境に放り出され、かなりのストレスだったに違いありません。この頃から、家での癇癪が酷くなりつつあったのですが、成長過程でよくあることなのかな、くらいに思っていました。

幼稚園が始まる前に里帰りした際、教員だった父が「この子はイギリス人なんだから、ちゃんと英語で生活させないと…」と、日本語ばかり話している息子のことを心配していました。それを私は、「大丈夫だよ。周りが英語環境だから、英語は自然に身につくから。それより日本語をしっかりキープしないと」なんて呑気に言ってたのです…。

考えてみれば、あまりにも慎重で繊細すぎる性格の息子のこと。知らない人の前で、慣れない英語を平気で話すようになるはずもなく…。家で慣らしておけば良かったんでしょうが、主人は「英語で話して」という私のリクエストなど全くおかまいなし。日本語でないと息子との会話が成り立たないので、ずっとちょっと変な日本語で話してました。

そういえば、この頃息子を寝かしつけるのは私しかダメで、主人がやろうとすると「マミーがいい!」と泣くのです…。これではマズイと思い、毎日父子タイムを設けて、スキンシップを増やすようにしてました。しかし、お天気のいい週末にボールを持たせて2人を公園に送り出しても、少しボールを蹴って、アイスクリームを食べて、すぐ帰ってきちゃうんですよね…。

余談ですが、IT関係の仕事をしている主人はスポーツに全く興味がなく、ワールドカップもウィンブルドンも観ません。5年ほど前、会社の忘年会で当てたアーセナルの試合チケットも、息子が「寒いから行かない」というので、友人父子に譲ったという…。ということで、スポーツ少年にしたいなんていう思いは、最初から全然なかったのでした。

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息子の緘黙・幼児期3~4歳(その4)

母子登園の日々 - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その4)

 

入園の翌日から、私ともうひとりのママの付き添い幼稚園生活が始まりました。午前中のクラス(公立幼稚園は2時間半のみ)に参加して、子どもたちと一緒に遊んだり、お世話したりする毎日。息子を遊ばせているとよってくる子が結構いるので、保育士助手みたいになっちゃうという…。

息子たちの前に入園した子どもたちは、もうママがいなくても平気らしく、始業後も残っている母親は我々だけ。「よし、息子が独立(?)するまで頑張るぞ」と腰を据えて待つことにしたものの、「いつになるかな…」と一抹の不安がありました。

めいめい好き勝手に遊んでいる40人ほどの子どもたちの面倒を見るのは、若くて可愛らしい担任と3、4人の保育士。ダウン症の子がひとりいて、1人はその子の加配のような感じでした。広い教室内には様々なコーナーがあり、園庭にも自由に出られます。保育士1人は必ず園庭で見守りをしているため、残りの先生達が各コーナーで子どもの相手をしますが、先生のいないコーナーもいっぱいあるのです。

子ども達の近くにいると、「これやって」とか「トイレ行きたい」とか頼まれることが多く、忙しい先生たちの手を煩わせないよう、訊きながら適当に対処してました。そのうちに慣れてきて、お絵描きコーナーでは、「エプロンしてきてね~」「手を洗いに行こうね」と指導しちゃったり――3、4歳児なので、みんな本当に可愛いかったです。

息子のお気に入りは、何と言ってもミニカー&電車コーナー。道路の絵が描かれたカーペットと駐車場セットでミニカーを走らせ、飽きると次は木製の電車セットの出番です。毎日線路を組み立てていたので、今でも私の得意技のひとつ。このコーナーには大抵S君がいて、息子とS君は徐々に打ち解けていきました。

おままごとコーナーには、いつも私を待っていてくれるO君が。初日に彼が作った朝ごはんを褒めて「美味しいね~」と食べる真似をしたら、それ以来毎日作ってくれるようになったのでした――嬉しい!でも、息子そっちのけで「ねえねえ、見て!見て!」とぐいぐい手を引っ張られ、ちょっと困る…。

日本でもそうなのかもしれませんが、イギリスの幼稚園(3歳~4歳)や小学校のレセプションクラス(4、5歳)では、本格的な遊具を揃えている印象です。おままごとコーナーには幼児の背丈に合う木製の台所セットが設置され、調理器具や台所用品の玩具も本物に近い感じ。ゴム製や木製の食品各種が山ほど用意されていて、中には握り寿司やイタリアンや中華料理の模型なども。

そうそう、息子の幼稚園には工具コーナーまであり、幼児サイズですが金槌やノコギリ、クギなど本物の工具が。担任に「ケガしたりしないんですか?」と質問したら、「取り扱い方をきちんと教えてるから、今まで事故が起こったことはない」とのことでした。ちなみに、この園では子どもにあまり切れないナイフを持たせて、野菜スープの材料を切らせたことも。子どもたちは調理実習が大好きでした。

PCテーブルでは幼児向けゲームを楽めるんですが、「えっ、こんな小さいのにもうパソコンゲーム?」と最初は驚きました。仮装の衣装もカラフルで種類が多く、「こんなのあるんだ~」と感心。男の子にはやっぱり、スパイダーマンとかスーパーヒーローが人気でした。でも、息子は結局一度もトライすることなく…。

毎日授業(?)の終わりには、全員がカーペットに座って絵本の読み聞かせや歌、ダンスなどをする時間がありました。最初は息子と一緒にカーペットに座っていたのですが、そのうちに慣れてひとりで座っていられるようになり、私ともうひとりのママはお片付けタイムです。一応、子どもに片付けさせるのですが、そこはまだ幼児のこと。残っている玩具を所定の場所にしまい、最後はだいたい床に落ちた砂(何故か室内に砂遊びのテーブルがおいてある)を掃き集めるのが日課でした。

息子は泣くことはありませんでしたが、私がペアレンツルームに行こうとするとついてきてしまうんです。もうひとりのママも同じだったようで、仕方なく一緒に相手をしていました。彼女がいてくれたおかげで、それほどメゲずにに母子登園を続けることができたと思います。

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息子の緘黙・幼児期3~4歳(その1)

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その2)

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その3)

幼稚園入園 - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その3)

10月も半ばに入り、いよいよ息子が幼稚園に入園する日がやってきました。入園といっても、こちらでは日本のような式典はなく(小、中学校もなかった…式服不要です)、ただ母子で登園しただけ。それも、この日入園したのは息子と女の子の2人のみでした。

というのは、息子の幼稚園では9月から誕生日順に1週間に数名ずつクラスに加えていくというシステム(1/3程度は持ち上がり)。息子は8月中旬に3歳を迎えたばかりの「早生まれ」なので、39人中で一番最後だったのでした。

(小学校は4歳から始まるのですが、小学校でも早生まれの子は時期をずらせて入学させる方針だったため、幼稚園(1学年のみ)では3歳児と早生まれの4歳児を混ぜたクラスでした。預かってくれる時間は2時間半。午前中に2クラス、午後に2クラスを設け、規模は大きい方でした)

イギリスでは同じ公立の幼稚園でも、それぞれの園によって経営方針が全く違います。息子の園はかなり自由な校風で、クラス全体でする活動といえば歌、お遊戯、読み聞かせの時間くらい。あとは、子どもの主体性に任せて好きな活動(遊び)をさせて個性を伸ばすという方針でした。

これって、極端にいうと外遊びが好きな子はずーっと外に出っぱなし、お絵描きが好きな子はひとりで何枚も描いてるし、おままごとコーナーはいつも同じ顔ぶれ…。息子はといえば、やっぱりミニカーと電車のコーナーに張り付いてました(笑)。

とても評判のいい幼稚園でしたが、今考えてみると人見知りの激しい息子には向いていなかったと思います。当時は「子どもの個性にあった学校を探そう」なんて考えたこともなく、周囲の勧めで「ここ」と単純に決め、入園できてラッキーと感じてました…。いつだったか、息子が小5くらいの頃にビデオで日本の保育園の様子を観て、「日本の幼稚園って先生と一緒に色々やるんだ。僕もこういうところが良かったな…」と漏らしていました。

さて、話を初日に戻すと、若い担任の先生との簡単な挨拶のあと、私ともうひとりのママさんには次のような選択肢が与えられました。

  1. 子どもを置いて即帰る
  2. カーテンで仕切られたペアレントルームで待機
  3. 教室内で子どもと一緒に遊ぶ・近くで見ている

多くの保護者は2を選択し、子どもはたいてい2日~1週間くらいでクラスに慣れて、母親がいなくても大丈夫になるということ。が、うちのお向かいに住む3つ年上の女の子が入園した際は、ナニーさんが6ヶ月付ききりだったという話も聞いていました…。一方、初日から保護者と引き離す私立の園もあり、吐くまで泣いた3歳児が1週間ですっかり慣れたという話も。

まず様子を見てからと思っていましたが、案の定息子は私の側を離れそうにない…。そりゃそうですよね。初めて来た場所で(オープンデーの日は水疱瘡で参加できなかった)、知らない子ばかりだし、性格を考えても臆するのは当たり前。なるべくクラスの子たちと馴染めるよう、近くにあったおままごとコーナーで他の子にも声をかけながら息子と遊びました。

もう一組の新人母娘はというと、やはり教室で一緒に遊んでいました。とても大人しく繊細そうな子で、ママにべったり。私も高齢出産でしたが、このママさんは私よりもっと年上の感じ…。帰り道で一緒になって色々話をしたところ、何と彼女には14歳の双子(娘と息子)がいて、その子たちが入園した際に早く慣れさせようとして大失敗したとか。

泣く子どもたちを置いてさっと家に帰っていたらしのですが、双子はいつまでたっても園に馴染むことができず、家でも情緒不安定になったそうです。その時随分苦労したので、今回の末っ子ちゃんは、自分から離れる気になるまでとことん付き合うと決めているそうでした。

その話を聞いてビビった私は、「じゃあ、私も自然に離れるまで付き合おう!」と決心したのでした。

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息子の緘黙・幼児期3~4歳(その2)

 

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その2)

前回のエントリーで書き忘れてしまったのですが、3歳児検診のチェック項目の「排泄」について。息子のトイレトレーニングがいつ完了したのか忘れてしまったものの、そんなに苦労した記憶はありません。幼稚園では子どもが自分でトイレに行くという規則があり、3歳の誕生日前にはちゃんとオムツが取れていたような…。夜だけオムツの期間が少しありましたが、それも割と早く卒業できました。オネショをしたことも数えるくらいしかなく、その点はとても楽だったと思います。

今考えてみると、昔から潔癖症のところがあり、濡れる感覚が嫌だったんじゃないかなと思いあたります。ちょっと袖口が濡れただけでもすごく気にする性格で、小学校4年生くらいまでは水に濡れる遊びを極力避けていました(プールは除く)。これではいかんと、家の庭で私と水鉄砲を打ち合う練習をし、めでたく濡れても大丈夫になりました~。

息子は赤ちゃん時代にアトピーに苦しんだこともあり、肌もとても敏感です。2歳になる前、友達にならって上半身裸で遊ばせたところ、それほど陽に当たってないのに背中がアセモだらけに…。3歳で里帰りした際も、9月中旬というのにアセモに悩まされました。

着るものについても色々難しく、襟がついている服は頑固に拒否。ずーっとコットン100%のTシャツ派だったため、ジュニアスクール(7~11歳)の制服がポロシャツと化学繊維100%のパンツと知って焦りました。が、一度着てみたらいたく気に入ってしまい、それ以来襟付きのシャツを好んで着るようになったのでした…。この激しい変化は一体何だったのか、とても不思議です。

味覚も鋭敏で、昔は食べられないものが結構ありました。が、14歳の今では、大根も、コンニャクも、アンコも大好きに。食べられないのはアボカドくらいのもので、同年代のイギリス人と比べたら味覚の幅がとても広いと思います(日本の食文化のおかげかも)。

それから、里帰り時には癇癪をおこすこともなく「社交的」といえるくらいだったんですが、帰りのヒースロー空港で忘れられない事件が起きました。長旅であまりにも疲れていたため、私がうっかりしていて、息子のお気に入りの玩具が入った小さなリュックをトローリーのフックにかけたまま…。自宅に戻って、「あれっ、リュックは?」と思い出した頃には、もう時すでに遅し。

翌日から、「マミー、地下鉄はどこ?」「ジャガーのオープンカーはどこ?」と息子の癇癪の嵐!! お気に入りのミニカーと電車をごっそり無くしてしまったため、途方にくれました—-買いなおそうと思っても、同じ模型が売ってなかった!

隣町まで行ってやっとロンドンの地下鉄を手に入れると、即座に「ユナイテッドエアラインの青い電車は?」と突っ込んでくるので、困り果てました…。その責めとツッコミは半年以上続き、「いつまで覚えてるんだ~!3歳児ってこんなに記憶力がいいの?(これらの玩具限定)」とゲッソリしたものでした。

「働く車」から始まって、息子は本物に近い作りのミニカーや電車模型に夢中でした。一応『トーマス』も好きでしたが、小さな頃からトーマスシリーズよりも、本物の地下鉄や電車の模型を欲しがるのです(トレーン社のNゲージ鉄道模型のコレクションはまだ手放していません)。

幼稚園に通う道すがら、遠くにある車の形を見てメーカー名と車種名を言い当てるのが日課という…とてもマニアックな子どもでした。そのおかげで、車に全く無知だった私も、少し車種名が判るように。仲の良かった日本人の友だちはトミカに入れ込んでいて、息子よりもっと知識が豊富だったような。彼は国旗を見て国名を言い当てるのも大得意で、地理が苦手な私は舌を巻いたものです。

子どもってすごい!好きってすごい!

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その1)