生後7ヶ月 - 睡眠トレーニングを決行(その1)

藁にもすがる思いで訪ねたスペシャリストは、温かな雰囲気の女性でした。面談のあと、彼女が提案してくれた睡眠トレーニングのメニューは下記のようなものです。

1) 寝かしつける前に必ずお風呂に入れ、お風呂とベッドタイムを関連づけさせる。リラックス効果があるという入浴剤を使用。

2) 起きている状態で、寝かしつける(それまでは、揺らしながら抱っこし、ウトウトしてきたら寝かしつけていた)。毛布のうえから優しくトントンし、子どもが落ち着いたら部屋を出る。

3) 途中で泣きだしたら、子どもの部屋に入り毛布の上から優しくトントンする。その間は無言で、決して抱きあげないこと。落ち着いたら部屋を出る。

ひとりで眠れるようになるまで、毎日1)~3)を繰り返すという計画でした。最初の2、3日は何度も起きて泣くと思われるので、心しておくようにとのアドバイス。初日は徹夜になるかもしれないから、お茶やスナックを準備しておき、夫婦で交代しながらするといいとも。大体1週間~10日で目標を達成できるとのことでした。

トレーニングは生後7ヶ月に入ったある金曜日に始めました。しっ、しかし、寝かしつけようとしただけでもう既に大泣き。優しく胸をトントン、トントンしても、泣き声は激しくなるばかり…。遂には絶叫のようになり、近所の人から虐待を疑われるのではないかと気が気ではありませんでした。

結局、絶叫しては少し眠り、また目を覚まして大泣きが4時間ほど続いた時点でギブアップ!同じ部屋にいながら、子どもの切ない泣き声を聞き続けることに耐えられなかったのです…。

ドドっと疲れた私達夫婦は、それまで以上に疲労困倍して凹みました。翌朝、夫が「僕たちが部屋にいれば、側にいるのに抱っこしてくれないと余計に泣く。この方法じゃ駄目だよ。専門書に書いてある通り、泣いても放っておくしかない」と言い出した時は、やはりちょっと躊躇しました。が、何とかしないと家族全員が共倒れになってしまう…とにかく一度だけ試してみよう、と決心したのです。

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生後4ヶ月を過ぎたころから、ママ友たちと一緒に幼児用のプレイグループに参加するようになりました。これは、有志のママさん達が近所の教会のホール等を借りて行っているもの。何年も受け継がれてきているためか、ストアルームには玩具がどっさり。参加費は400円くらいで、子どもたちのスナックや保護者の飲み物も提供してくれます。

月齢が小さいうちはまだ自分で動けないので、抱っこして玩具や遊具で遊ばせるしかありません。赤ちゃんのためというよりも、ママさんの交流の場という感じが強いかも。イギリスでは4歳になる歳から幼稚園が始まるため、プレイグループ来るのは大抵0~3歳児です。こちらでは親と同居するケースは珍しく、平日は皆ひとりで子育てしているので、週2回のプレイグループは本当にありがたい存在。お昼寝タイムと授乳+食事タイムの合間を縫って、頑張って通ってました。

赤ちゃんの人見知りは6ヶ月頃から始まるといいますが、いつも私が側にいるのと、大体同じ顔ぶれの親子が集まるためか、息子が0歳児の頃は特に人見知りが激しいという印象はなし。ただ、神経質な赤ちゃんという感じではありました。寝かしつけるのは私でないと駄目で、毎晩の夜泣きに別の部屋で寝ている夫も疲労困倍…。メキシコ人ママさんから、4ヶ月の時オペラに連れていった(ずっと熟睡してたらしい)と聞き、我が家との違いに愕然としてしまいました(笑)。仲間うちでは、どうも男児の方が手がかかっていたような。

イギリスでは赤ちゃんの部屋を設け、そこに一人で寝かせるのが一般的です。周りのママさんたちからは、2ヶ月を過ぎた頃から「ベビーベッドに寝かせればひとりで眠る」、「もう夜通し眠るようになった」という声が聞こえてくるようになりました。何でうちだけこんなに違うの!? 冬になってアトピーが悪化し、痒いのか寝しなも寝起きもぐずぐず。寒い寒い真夜中の授乳、静まり返ったなか耳をつんざくような息子の泣き声…本当に何とかせねばこちらが倒れる!と、赤ちゃんの睡眠に関する本を何冊も読みました。

今ではうろ覚えなのですが、息子が夜泣きして揺すらないと眠らないのは、そう学習してしまったから。睡眠にはリズムがあり、深い眠りから浅い眠りへと変わる際、ひとりで眠ることを体得している子は、息子のように目を覚まして泣くことはないというのです。ある専門書には、泣いても自分で眠るまで放っておくというトレーニングをすれば、短期間で夜通し眠るようになると書いてありました。う~ん、さすがにそれは可哀想でできない…。

6ヶ月になる頃、やっと息子のアトピーを皮膚科の専門医に診察してもらう順番が巡ってきました。これで顔のジクジクも何とかしてあげられると思ったのに、「そんなに酷くないから、今まで通りで」とそっけない医師の言葉。そう言われた時、私の中で何かがブチっと切れたのです。

もう進退窮まってしまい、元来のんびりした性質の夫に泣きながら訴えて、睡眠のスペシャリストを探すことに。色々当たってみた結果、保健婦さんにもらった名刺には、うちのすぐ近くの住所が書いてあるではありませんか!何とも偶然なことに、1本道を隔てたところに睡眠スペシャリストが住んでいたのでした。

早速電話をしてアポを取り、親子3人で会いに行くことになりました。

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息子が生まれてすぐ、保健婦さんから乾燥肌と言われました。

主人は肌が弱く、日に焼けるとすぐ赤くなって炎症を起こすため、夏でも長袖長ズボンのひと。一方、うちの家系は花粉アレルギーの傾向あり。姪っ子2人がアトピーに悩まされたこともあり、息子にもアレルギー危険信号が点滅してました。

そして、3ヶ月の予防接種を受けた途端、顔にボツボツ、キタ~!ここからクリームや入浴剤、シャンプー&ボディウォッシュ類をとっかえひっかえ試す日々が始まりました。一番酷かったのが6~10ヶ月頃で、顔が爛れてジクジクになり、膝の裏や足首、腕の柔らかい部分がボロボロ。ただでさえ過敏なのに加え、アトピーの痒みや不快感が機嫌の悪さを後押しすることに。また、痒みのために寝起きが悪くなり、睡眠サイクルにも影響したと思っています。

(ちなみに、最も効果があったのがAveeno 社(http://www.aveeno.com/category/our+ingredients/oat.do)のオート麦を原料にした保湿クリーム。年齢的なものもあると思いますが、3歳頃までにほとんど治まって、季節の変わり目に少し出る程度になりました。(医師に処方してもらうステロイド入クリームは即効で治るものの、1週間もすると再発という繰り返しでした)。

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今では殆どでませんが、これらの製品をずっと使い続けています

抱き癖がつく?過保護?

息子はとにかくよく泣き、抱っこしてあやさないと絶対に泣き止まず…。機嫌がいい時は集中して遊び、よく笑って声を出すようになりましたが、ちょっと疲れるとすぐグズグズ。お腹がすくと大泣き、眠いと大泣きで、特に夕暮れ時がひどかったような。週末になると、主人がいつもベビーキャリアで前向き抱っこしてたのを思い出します。

3ヶ月を過ぎ、夜中の授乳の数が減ってきて喜んだのもつかの間、5ヶ月になる頃に再び夜泣きが頻繁に。ちょっと早いと思いましたが、保健婦さんの勧めで離乳食を始めました。息子がお昼寝している間は家事や離乳食作りで眠れず、夜も続けて眠れないので、睡眠不足で体力も気力もぎりぎり。真夜中の授乳の後も、抱っこしながら揺すらないと眠ってくれず、私の方が泣きたい思いでした。

どうしたら泣かずにいてくれるのか--育児書を何冊も読み、色々試してもみました。あまり激しく泣くので、どこかおかしいのではと心配になり、録音した泣き声をネットフォーラムに投稿して相談したこともあります(笑)。回答は「新生児だったら普通」というものから、「赤ちゃんが疲れきってる」というものまでありましたが、めぼしい解決方は見つからず。

周りのママさんたちはすごく楽しげに子育てしてるように見え、こんな自分は母親失格ではないかとひそかに落ち込んでいました。訪ねてきた友達に「母親が神経質だと子どもに伝わるよ。もっと大らかに」と言われて、めっちゃ傷ついたことも…。思い余って保健婦さんに相談したら、「順調に育ってるんだから、少々泣いても大丈夫よ」と言われ、ついに私の涙の堰が決壊。でも、誰かに聞いてもらえたことで、少しだけ救われたような気がしました。

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超過敏な赤ちゃん

 

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案外楽にやれるかもと思った私の子育ては、生後2週間目に急変しました。

黄疸が治って起きている時間が長くなった途端、泣く、泣く、泣く…。またその泣き声が、新生児ながらデカイんです。生後3週間くらいに結核の予防接種を受けた際、「こんなに泣き叫んだ赤ちゃんは初めて」と言われる始末。

でも、この時クリニックでメキシコ人ママさんと出逢い、私の子育てライフは随分救われることになりました。まだ20代前半の彼女は、息子と5日しか誕生日が違わないのに一回り大きくて髪がふさふさした女の子を片手で抱き、「今日は暑いから」と髪に水をピチャピチャ。ひゃ~、風邪ひかないの?その余裕はどこから? 恐る恐る息子を抱いてる私とは大違い…。

彼女が誘ってくれたので、新米ママのための新生児クラスに参加することに。クラス終了後も7人のママが集まって毎週会うようになり、そのお陰で外国でひとり子育てする心細さを解消できたと思います。子どもの月齢が似通っていたため、成長の目安が分かりやすくてラッキーでした。

息子はいわゆる「かんの強い子」で、機嫌のいい時間が短くて、泣いてばかり。授乳の間隔が3時間空くことがなく、母乳不足が原因のひとつだったと思います。でも、毎日毎日ミルクを作るのに、絶対飲んでくれないんです…。思うに、乳首の感触と味の違いが嫌だったんでしょうね。最初の3ヶ月間は、夜中も2、3時間おきに泣くので、夫婦揃って睡眠不足でヘロヘロでした~。

そして、刺激に対してめちゃくちゃ敏感な赤ちゃんでした。ちょっとした音にすぐ反応し、慣れない場所や人がたくさん集まる場所ではむずがって大泣き。赤ちゃんってベビーカーや車の振動で眠るものと思っていたら、息子はそうじゃなかった!とにかく、自宅以外では殆ど寝ないんです。それも、カーテンを閉めきったいつもの静かな部屋でないと駄目。

お昼寝の時間を過ぎると、疲れすぎて眠れなくなり大泣きするという悪循環が起こるため、ルーティーンを死守するのが日課になりました(笑)。週に1度ママグループで集まってお茶してたんですが、いつも「お先に!」と言い残し、お昼寝に間に合うようダッシュ。お茶の途中で泣き出すのはたいていうちの子で、肩身が狭かったです。ちなみに、実家の母に頼んで宇津救命丸を送ってもらったんですが、全く効き目はありませんでした。

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誕生後の1週間

 

 

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息子が生まれた病院の産科病棟は4人部屋でした。イギリスでは母児同室が普通で、ベッドの枕元にベビーコットが置かれ、母親と赤ちゃんはひと時も離れることはありません。

ということは、誰かの赤ちゃんが夜泣きすると全員起こされてしまう訳です。また運が悪いと、皆が寝静まった後に出産したばかりの母児が部屋に運ばれてくることも…。

すったもんだの末にやっと息子が生まれ、しばし安堵の時間。夫が帰宅し、さあ眠ろうと思ってもなかなか寝付けず、ウトウトすると誰かの赤ちゃんの泣き声で目が覚める、の繰り返し。我が子はというと、ほとんど泣きもせずスヤスヤ眠っていました。

真夜中、「ちゃんと息してるかな?」とコットをのぞいてみたら、息子がぱっちりと目を開けて静かに空を見つめているんです。なんだか思索に耽っているように見え、「えっ、新生児ってこうなの?この子、宇宙人かも…」と、ビビった私でした。

翌朝の朝食は、赤ちゃんを連れて別室へ行かねばなりませんでした。「こんなの日本じゃ考えられない」と思いつつ、キャスター付のコットを押し、自分で紅茶を注ぎ、パンを選び…。トロトロ動いてる私に比べ、片手で赤ちゃんを抱っこしながら余裕で食べてる人もいて、「みんなスゴイ」と感心することしきり。

何人かのママさんから”Your baby is beautiful!”と、嬉しいコメントが。イギリス人とのハーフの息子は、眼が大きくて眉毛がくっきりしていました(現在、ゲジゲジです)。でも、生まれたては「これぞハーフ」という顔だったのに、半月ほどするとしっかり日本の子に(笑)…。

どういう訳か、外人の子どもって生まれたばかりはオヤジ顔が多いようです(ジョージ王子を見てそう思った方も多いのでは?)。それが、数週間すると驚くほど可愛くなるんですよね。

その日の午前中は、母乳指導やら沐浴指導やらがあり、その後同室の皆さんは次々と退院していきました。が、私はどうも体調が戻らないので、もう一晩お世話になることに。

翌日なんとか退院。何だかふわふわするなあと思っていたら、貧血が酷くて3日後に輸血のため緊急入院となったのでした…。息子はというと、新生児黄疸が出てしまい、1週間くらいはずっと眠ってばかり--あまり泣かず、新米母にとってはすごく楽な赤ちゃんでした。

黄疸が治った途端にそれがひっくり返るなんて、思いもよらなかったのです。

 

誕生

息子は2000年8月に北ロンドンの病院にて誕生。3050gのミレニアムベイビーでした。

高齢初産だったものの、妊娠中は悪阻もなく、血液検査やスキャンでも全く異常なしで、仕事もずっと続けていました。この分なら出産も問題ないだろうとタカを括っていたのです。

が、現実は甘くない。病院の誤診断から始まり、一旦入院したのに家に返され、真夜中に再入院という、ドタバタ喜劇のような序章つきでした。

分娩室に入ってからは微弱陣痛でお産がなかなか進まず、陣痛促進剤を使い、人口破水もしました。が、それでもまだまだ生まれそうにない。

あまりに痛みが酷く、睡眠不足も手伝って体力が限界に近かったので、途中でエピデュラル(硬膜外麻酔)を打ってもらうことに。無痛分娩には反対だったんですが、「あ~、こんなに楽になるなんて夢みたい!」と、医学の進歩に心から感謝したのでした。

結局2本のエピデュラルを打ち、もうすぐ生まれるという段階で、赤ちゃんの回旋異常と心拍数低下の心配を告げられました。「自然分娩が駄目だったら、即帝王切開にします」といわれ、急遽手術室に移動。

手術台の上はシアターライトが煌々と輝き、オペ担当医の他に、担当婦人科医と部下らしき人、麻酔技師やら助産婦やら大勢のスタッフが…。オマケに教育病院だったので、医学生までいました。

しかし、恥ずかしがっている場合じゃない。「ここで産まなかったらお腹を切られる!」と切実な恐怖に襲われ、絶対に自力で産むぞと固く決意。でも、極度に緊張している私の耳に聞こえてきたのは、部屋の隅で準備しているスペシャリストたちの、「今週末テニス行く?」という呑気な会話でした~。

付き添っていた夫はというと、いつの間にか青い手術着と帽子を身につけ、そして何故かサンダル履き!顔は真剣なんだけど、何かちぐはぐ(笑)。

エピデュラルの影響で陣痛が感知できないため、いきむタイミングが解らず、助産婦さんに「波が来たら教えて!」とお願いし、いざ出陣。ほどなくして、息子は鉗子分娩で無事産まれてきてくれました。分娩室に入ってから約16時間、その前のバタバタを計算に入れると、約30時間のドラマでした。

私も辛かったけれど、何だかトラウマになるような誕生だったので、息子にはストレスが大きかったと思います。もしこの体験が息子の気質に影響を与えてしまったとしたら、母親としては大変辛いところです。