超過敏な赤ちゃん

案外楽にやれるかもと思った私の子育ては、生後2週間目に急変しました。

黄疸が治って起きている時間が長くなった途端、泣く、泣く、泣く…。またその泣き声が、新生児ながらデカイんです。生後3週間くらいに結核の予防接種を受けた際、「こんなに泣き叫んだ赤ちゃんは初めて」と言われる始末。

でも、この時クリニックでメキシコ人ママさんと出逢い、私の子育てライフは随分救われることになりました。まだ20代前半の彼女は、息子と5日しか誕生日が違わないのに一回り大きくて髪がふさふさした女の子を片手で抱き、「今日は暑いから」と髪に水をピチャピチャ。ひゃ~、風邪ひかないの?その余裕はどこから? 恐る恐る息子を抱いてる私とは大違い…。

彼女が誘ってくれたので、新米ママのための新生児クラスに参加することに。クラス終了後も7人のママが集まって毎週会うようになり、そのお陰で外国でひとり子育てする心細さを解消できたと思います。子どもの月齢が似通っていたため、成長の目安が分かりやすくてラッキーでした。

息子はいわゆる「かんの強い子」で、機嫌のいい時間が短くて、泣いてばかり。授乳の間隔が3時間空くことがなく、母乳不足が原因のひとつだったと思います。でも、毎日毎日ミルクを作るのに、絶対飲んでくれないんです…。思うに、乳首の感触と味の違いが嫌だったんでしょうね。最初の3ヶ月間は、夜中も2、3時間おきに泣くので、夫婦揃って睡眠不足でヘロヘロでした~。

そして、刺激に対してめちゃくちゃ敏感な赤ちゃんでした。ちょっとした音にすぐ反応し、慣れない場所や人がたくさん集まる場所ではむずがって大泣き。赤ちゃんってベビーカーや車の振動で眠るものと思っていたら、息子はそうじゃなかった!とにかく、自宅以外では殆ど寝ないんです。それも、カーテンを閉めきったいつもの静かな部屋でないと駄目。

お昼寝の時間を過ぎると、疲れすぎて眠れなくなり大泣きするという悪循環が起こるため、ルーティーンを死守するのが日課になりました(笑)。週に1度ママグループで集まってお茶してたんですが、いつも「お先に!」と言い残し、お昼寝に間に合うようダッシュ。お茶の途中で泣き出すのはたいていうちの子で、肩身が狭かったです。ちなみに、実家の母に頼んで宇津救命丸を送ってもらったんですが、全く効き目はありませんでした。

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誕生

誕生後の1週間

 

 

誕生後の1週間

息子が生まれた病院の産科病棟は4人部屋でした。イギリスでは母児同室が普通で、ベッドの枕元にベビーコットが置かれ、母親と赤ちゃんはひと時も離れることはありません。

ということは、誰かの赤ちゃんが夜泣きすると全員起こされてしまう訳です。また運が悪いと、皆が寝静まった後に出産したばかりの母児が部屋に運ばれてくることも…。

すったもんだの末にやっと息子が生まれ、しばし安堵の時間。夫が帰宅し、さあ眠ろうと思ってもなかなか寝付けず、ウトウトすると誰かの赤ちゃんの泣き声で目が覚める、の繰り返し。我が子はというと、ほとんど泣きもせずスヤスヤ眠っていました。

真夜中、「ちゃんと息してるかな?」とコットをのぞいてみたら、息子がぱっちりと目を開けて静かに空を見つめているんです。なんだか思索に耽っているように見え、「えっ、新生児ってこうなの?この子、宇宙人かも…」と、ビビった私でした。

翌朝の朝食は、赤ちゃんを連れて別室へ行かねばなりませんでした。「こんなの日本じゃ考えられない」と思いつつ、キャスター付のコットを押し、自分で紅茶を注ぎ、パンを選び…。トロトロ動いてる私に比べ、片手で赤ちゃんを抱っこしながら余裕で食べてる人もいて、「みんなスゴイ」と感心することしきり。

何人かのママさんから”Your baby is beautiful!”と、嬉しいコメントが。イギリス人とのハーフの息子は、眼が大きくて眉毛がくっきりしていました(現在、ゲジゲジです)。でも、生まれたては「これぞハーフ」という顔だったのに、半月ほどするとしっかり日本の子に(笑)…。

どういう訳か、外人の子どもって生まれたばかりはオヤジ顔が多いようです(ジョージ王子を見てそう思った方も多いのでは?)。それが、数週間すると驚くほど可愛くなるんですよね。

その日の午前中は、母乳指導やら沐浴指導やらがあり、その後同室の皆さんは次々と退院していきました。が、私はどうも体調が戻らないので、もう一晩お世話になることに。

翌日なんとか退院。何だかふわふわするなあと思っていたら、貧血が酷くて3日後に輸血のため緊急入院となったのでした…。息子はというと、新生児黄疸が出てしまい、1週間くらいはずっと眠ってばかり--あまり泣かず、新米母にとってはすごく楽な赤ちゃんでした。

黄疸が治った途端にそれがひっくり返るなんて、思いもよらなかったのです。

 

誕生

息子は2000年8月に北ロンドンの病院にて誕生。3050gのミレニアムベイビーでした。

高齢初産だったものの、妊娠中は悪阻もなく、血液検査やスキャンでも全く異常なしで、仕事もずっと続けていました。この分なら出産も問題ないだろうとタカを括っていたのです。

が、現実は甘くない。病院の誤診断から始まり、一旦入院したのに家に返され、真夜中に再入院という、ドタバタ喜劇のような序章つきでした。

分娩室に入ってからは微弱陣痛でお産がなかなか進まず、陣痛促進剤を使い、人口破水もしました。が、それでもまだまだ生まれそうにない。

あまりに痛みが酷く、睡眠不足も手伝って体力が限界に近かったので、途中でエピデュラル(硬膜外麻酔)を打ってもらうことに。無痛分娩には反対だったんですが、「あ~、こんなに楽になるなんて夢みたい!」と、医学の進歩に心から感謝したのでした。

結局2本のエピデュラルを打ち、もうすぐ生まれるという段階で、赤ちゃんの回旋異常と心拍数低下の心配を告げられました。「自然分娩が駄目だったら、即帝王切開にします」といわれ、急遽手術室に移動。

手術台の上はシアターライトが煌々と輝き、オペ担当医の他に、担当婦人科医と部下らしき人、麻酔技師やら助産婦やら大勢のスタッフが…。オマケに教育病院だったので、医学生までいました。

しかし、恥ずかしがっている場合じゃない。「ここで産まなかったらお腹を切られる!」と切実な恐怖に襲われ、絶対に自力で産むぞと固く決意。でも、極度に緊張している私の耳に聞こえてきたのは、部屋の隅で準備しているスペシャリストたちの、「今週末テニス行く?」という呑気な会話でした~。

付き添っていた夫はというと、いつの間にか青い手術着と帽子を身につけ、そして何故かサンダル履き!顔は真剣なんだけど、何かちぐはぐ(笑)。

エピデュラルの影響で陣痛が感知できないため、いきむタイミングが解らず、助産婦さんに「波が来たら教えて!」とお願いし、いざ出陣。ほどなくして、息子は鉗子分娩で無事産まれてきてくれました。分娩室に入ってから約16時間、その前のバタバタを計算に入れると、約30時間のドラマでした。

私も辛かったけれど、何だかトラウマになるような誕生だったので、息子にはストレスが大きかったと思います。もしこの体験が息子の気質に影響を与えてしまったとしたら、母親としては大変辛いところです。