息子の緘黙・幼児期5~6歳(その10) S君宅に招かれる

私は毎週土曜日の朝、2時間ほど散歩することを習慣にしています。今朝、公園の中の道を通ったら、あたり一面が霜で白くなっていました。

一緒に歩いているのは、息子の小学校時代のママ友。息子のためにと、一生懸命頼んで協力してもらっていた彼女たちとは、息子たちがそれぞれの道を行く今も、長いお付き合いが続いています。

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息子が学校で囁くようになったB君は、息子と同じ早生まれ。前年のレセプションクラスには、1学期ではなく2学期から入学しました(4歳)。入学時期が同じのチビちゃん同士だったので、息子と気が合ったのでしょう。

B君ママに事情を話して協力してもらい、レセプション時代から週1回くらい家にB君を招いてプレイデート(詳しくは『プレイデート作戦』をご参照ください)を続けていました。B君ママの仕事の関係で、2年生になるまでB君宅に招かれたことはなかったと記憶しています。

学校から我が家まで10分くらい歩くのですが、息子は学校を後にして他の生徒たちが見えなくなる辺りでボツボツ話し始め、家に戻るとハイテンションになって、うるさい位でした。多分、学校で黙っている反動だったんでしょう。

B君は社交的でひょうきんなところがあり、1年生になると友達をぐんぐん増やしていきました。特に、S君と仲良くなったんですが、そこに息子も加えてくれたのです。ありがたや~!

ある日、学校にお迎えに行くと(イギリスでは小学校2年生(7歳)まで、保護者の送り迎えが義務)、それまで挨拶をする程度だったS君ママが私に近づいてきました。

「B君と一緒に〇〇君も一緒に遊びに来て」というのです。

イギリス人ママ達は子どもの意見を尊重するので、親が気を利かせて息子も招いてくれた訳ではなさそう…(そのへんはすごくシビアです)。S君、息子も一緒に誘ってくれたんです。これは嬉しい!

ただ、B君と一緒であっても初めて行くS君宅。きっと委縮して、全く声が出なくなるだろうと予測されました。そこで、場面緘黙であることを簡単に説明し、図々しくも私が付き添ってもいいかお願いしてみたのです。

S君ママは快く承知してくれ、初日は私も一緒にS君宅へ。お茶をご馳走になりながら、場面緘黙について、息子の性格や扱い方について詳しく説明しました。

その間、子ども達は三人で仲良く遊べていて、息子も声を出すことができたのです。やった!近くに私がいたこと、母親同士が親しそうだったことが、息子に安心感を与えたと思います。

一緒に遊べば遊ぶほど3人での交友関係に慣れてくるはず。この時から、B君を招く際にはS君も誘うことにしました。ちなみに、幼稚園時代の親友T君との交友も、T君が2年生になって帰国するまで、ずっと続きました。

息子に確かめたうえで、S君宅へは次回から付き添いなしにしました。「一緒に遊びたい」という強い気持ちと、「僕だってひとりで行ける」というプライドもあったんでしょう。

S君ママへは「返事をしなくても、無視してる訳じゃないので、気にしないでね。できるだけ普通に話しかけて」とお願いしておきました。

2回目に迎えに行くと、「私に返事したわよ!」と知らされ、その後「うちの主人にも口をきいたわ」と嬉しい報告が!

ママ友たちの協力が本当にありがたかったです。

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相変わらず雨模様のイギリス。日照時間がますます短くなって、午後4時過ぎには暗くなるため、夜9時頃まで明るい夏季と比べると、一日が半分くらいに短縮してしまった感じです。イギリスでこうなら、北欧やアイスランドではもっと寒くて暗い時間が多いことでしょう…。

   習慣にしている森の散歩も、湿った地面から冷気があがって凍えそうに…。でもよく見ると、そこかしこに野生の茸がニョキニョキ

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小学校1年生になったばかりの秋は、学校の支援が手厚かったこともあり、大きな進歩が見られました。

息子が学校心理士とのセラピーで、声を出すことができたのが10月に入ったころ。正確な日付は覚えていないのですが、このころから今度はB君の耳元で囁くようになったのです。

B君を1週間に1度くらい家に招いて息子と遊ばせるプレイデートは、レセプション時代から続けていました(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その19)B君ママに告白』をご参照ください)。家ではB君と普通にしゃべるだけでなく、B君ママにも懐いて口をきくように。

 夏休みを挟んで5か月ほどプレイデートを続けた成果が、ここに来て出てきたように思います。もちろん、B君とだけでなく、幼稚園時代の日本人の親友、T君とも頻繁に遊ばせていました(T君とは、学校でも放課後の校庭でなら話せていました)。

 緘黙児は学校でずっと黙っているため、ストレスがいっぱい溜まります。だから、家で切れやすくなったり、暴れたりする子も。それ故に、学校外で遊べる同年代の子や兄弟姉妹がいることは、とても重要になってくると思います。

また、いつの間にか1対1の読本の時間にTAにも囁くようになり、教室でもそのTAの耳元に答えを言ったり、用事を伝えるようになりました。

ちょうどその頃、男の子がひとり転入してきたのですが、何とその子には初めから囁いていたのです!かなり後になってから息子に訊いたところ、理由は「転校してきたばかりで、僕が話せないことを知らないから話しやすかった」とのこと…。

まだ小さかったので、思考が単純というか、なんというか。でも、息子なりに、「話さなくちゃ」と思っていたのかもしれません。

その子は何度か家に遊びに来たのですが、ある日お母さんが迎えに来た際、息子のことを「〇〇君は学校では全然しゃべらないんだよ」とポロリ。

お母さんが焦って、「何バカなこと言ってるの!」と叱ろうとするので、「いや、本当なんです。恥ずかしがり屋で…」と咄嗟にフォローしました。

息子の学校は36カ国からの子どもが集まっていて、出身国によってはとても保守的な人もいます。当時は場面緘黙が一般的に全く知られておらず、誤解されて変な目で見られるかもという危惧がありました。

だから、クラスの保護者全員に説明することはせず、理解・協力してくれそうな人だけに話していたのです。息子の場合はまだ幼かったこともあり、息子が話しているビデオを見せたり、緘黙の説明をしたり、とクラス全体に告白することもありませんでした。

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イギリスでは随分気温が下がってきて、いよいよ初冬に突入しつつあります。先週末は届け物があって、8週間ぶりにサリー州の大学の寮で暮らす息子に会ってきました。風邪もひかずに元気そうにしていて、まずは一安心。

片田舎の大学なためかキャンパス内も緑豊かで、夏はピクニックが楽しめそう

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前の記事でお伝えしたIEPの支援に加え、小学1年生の1学期には学校心理士とのセラピーセッションとSLT(言語療法士)による言語テストも受けることができました。

地区によって異なるのですが、私が住んでいる地区では学校心理士(NHS国民健康保険制度の一環)が公立の学校を順番に回ってくるシステム。ちょうど1学期に息子の学校に来ることになり、SENCoの推薦でセラピーを受けられることに。

人数に制限があるので、それだけ息子の状態が悪かったんでしょう…。この頃は緘動はなくなっていたものの、まだまだ不安が大きくTAの後押しが必要でした。

ある日、偶然学校でSENCoと会ったら、「〇〇君も心理士とセッションできるよう推薦しておいたわ」との報告が。その時は、私も心理士に会って話を聞けるものと思いこんでました。

そうしたら、確か9月末だったと思うのですが、知らないうちにセッションが終わっていたという…。

ある日お迎えに行ったら、担任がニコニコ顔で「今日、心理士とのプレイセラピーで初めて声が出ました」と教えてくれたのです!

「えーっ、本当ですか?!」

「初めて話した大人が私じゃなかったのは悔しいけどね」と担任。

この時初めて、新担任と喜びをシェアすることができました。誰かが一緒になって子どもを応援してくれるというのは、本当に心強いものだなと実感。

詳しい話を聞いてみると、心理士は息子が大好きな電車などの玩具で1時間ほど一緒に遊んでくれたとか。遊んでいるうちに徐々に緊張が解け、楽しくなってきて声が出たよう。

そういえば、息子は昔から優しいお姉さんがお気に入りで、甘えるのが上手でした。学校の先生や関係者ではない知らない女性だったからこそ、声が出たのでしょう。小さな部屋で心理士と二人っきり、というシチュエーションも成功要因だったと思います。

(実は、レセプション(4~5歳)時代にもたった一度だけ、教室で声を出したことがありました。仲良しのB君と一緒にいたところに、担任が来てB君にアルファベットの発音を質問したら、B君が答えに詰まったとか。そうしたら、息子が「S」とひと言。たまたま答えを知っていて、安心できる環境だったため、ついうっかり声が出ちゃったんですね。

この「つい、うっかり」は、まだ自意識が強くない低学年の頃に多く、それをきっかけに話し出す子もいます)

この時の状況を詳しく説明してもらう機会はなかったのですが、緘黙児とのセッションには、下記のようなテクニックを使えると思います。まずは、子どもに安心感を与えることが先決。

<最初は1対1で信頼関係(ラポート)を築く>

  • 他の人が出入りしない部屋(小さい方がベター)に、子どもが好きな玩具などをそろえて
  • 緘黙児は見られることに敏感なので、視線を合わせないように。対座するより同じ側に座る方がベター
  • 楽しい遊びを導入して、緊張をほぐす。子どもが何も言わなくても、子どもの気持ちを代弁しながら遊びを進めていく
  • 慣れてきたら、頷き、指さしやジェスチャーで応えられる質問をする(例 単語をいって絵カードを2枚から選ばせる)
  • はい/いいえの二者選択式の質問、答えが判っている質問をすれば、「知ってる」という安心感から声が出しやすい

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どんよりと曇った日が続く中、ちょっと晴れ間が出たので久しぶりにハイゲートの森の向かい側にあるQueen’s Woodに行ってきました。枯葉の間から色々な茸がニョキニョキ生えていて、冬に向かう森の生態系を感じることができました。

   

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前の記事で「学校の支援が最も手厚かったのが小学校1年生」と書きましたが、それだけ問題児だったということなのかも(^^;)

小学校では7年間ずーっと同じクラスだったためか、男子ママ友(7人のグループ)の団結は強く、今でも年に複数回集まる仲。先日も集まって昔話に花を咲かせていたら、教師をしているひとりが「あのクラス、担任泣かせだったと思う」と…。

それまで、「いいクラスだった」という意見で一致していたので、「どうして?」とみんなビックリ。

「だって、中等部になって落ち着いたけど結構暴れるASD児(Z君)がひとり、学習障害の女の子がひとり、何にも言わない子が二人(F君とうちの息子。最初は緘動もありました…)。途中で摂食障害になった子もいたし。その上、日本からの編入性(駐在員のお子さん)も多かったしね」

およよ…そういわれると、その通りですね。担任の先生方、当時は本当にお世話になりました。

さて、初めて担任が変わったこともあり、1年生の1学期は前年度のIEP(個別指導プラン)を継続。その内容は下記のようなものでした(通常IEPは1学期に1回更新します)。

2005年6月~10月までのIEP(Individual Educational Plan)

ターゲット1:学校内でひと言、もしくはジェスチャーやサインで自分の意思を伝える

  • 達成目標:10回以上
  • リソース&テクニック:はい/ いいえ の二者選択のQ&A/ 絵本/ 絵カードなど
  • 作戦: 簡単な答えを誘導するリソースを使用
  • 担任とTAへの提案:どのような形のコミュニケーションも奨励する

ターゲット2:自発的なコミュニケーションを促す

  • 達成目標:?回(タイプミスか数字ナシ)
  • リソース&テクニック:好きな玩具、興味のあるもの、ジェスチャー
  • 作戦:話しかけ、なんらかの返事を奨励する
  • 担任とTAへの提案:できたら必ず言葉をかけ、さらに後押しする

ターゲット3:大人+子ども数人による小グループで、インタラクティブなゲームを行う

  • 達成目標:8回
  • リソース&テクニック:小グループ活動/ ボールゲーム/ パラシュートゲーム/ 順番にできる活動/ 人形を使ったロールプレイ/ 「話す+聞く」ゲームなど
  • 作戦:SENCoが行う社会的スキル習得のための小グループ活動に毎週参加させる。
  • 担任とTAへの提案: 小グループで「話す+ 聞く」ゲームや順番に行うゲームを行う

このプランの作成時まだ場面緘黙は診断されておらず、SENCo(特別支援教育コーディネーター)と担任が息子の状態を見ながら計画したもの。レセプションクラス時代はまだ専門家が支援に加わっていなかったため、学校内のスタッフだけで支援するSchool Actionというカテゴリーになっています(現在は法律が変わり、IEPを作成しない学校もあるよう)。

一番最初のIEP(『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その13)学校での取り組み』をご参照ください)と比べると、徐々にターゲットをステップアップさせていることが判ります。

ところで、イギリスの小学校は校長(公募制)の方針によって校風や校則が随分違います。幸いなことに、息子の学校ではインクルージブ教育に力を入れていました。そのため、ASDを主に様々なSEN(特別支援のニーズ)のある子どもを積極的に受け入れていたのです。

障害の深刻さが認定されると、地区の教育委員会から学校に補助金が下ります(残念ながらSMだけでは無理)。そのため、他校よりTAが多く、設備も支援も整っていたと思います。ASD児が多かったせいで社会性を促すプログラムもあり、息子とF君もその中に加えてもらうことができました。

また、クラスのASD児、Z君に専用のTAがついていたので、Z君のグループに入れてもらい目を配ってもらえました。今考えると、すごくラッキーだったなと思います。

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昨日から11月に入り、今年もあと2か月を切りました。イギリスでは先週末に時計を1時間遅らせ冬時間に突入したため、午後4時半ころになるともう辺りは真っ暗。

久しぶりに森に行ったら、紅葉はもうピークを過ぎていました。落ち葉が地面いっぱいに積もって、歩くとカサカサ音がする季節です。

  

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息子の症状が場面緘黙であることが判明したのが2005年5月、それからは息子のことで無我夢中で周りがよく見えていませんでした。

2005年9月に息子が1年生になり、私もクラスボランティアを始めて少し落ち着いてくると、息子のクラスのことが見えるようになってきました。そして、「あれっ」と気付いたことが…。

どうやら、息子のクラスには、もうひとり緘黙児がいるみたい。

記憶を遡ると、息子がレセプションに入ったばかりの2005年1月後半(緘黙傾向はあったものの、まだ顕著ではなかった)、担任が放った謎の言葉がありました。

「大丈夫、もっと重症の子がいるから」…。(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その5)』をご参照ください)。

それが何のことかさっぱり解らないうちに、滑り台事件が起こって息子が緘黙・緘動状態に陥ってしまい、何とかしなきゃと必死だった日々。毎晩ネットを徘徊しているうちに「場面緘黙」という言葉に巡り合い、SMiRAに助けを求め、SENCoと担任に資料を渡して、緘黙の支援をお願いすることができたのです。

今考えると、息子への支援が最も手厚かったのが小学校1年生(幼児部4~5歳)の時でした。その理由は、学校の方針と予算によるものだったと思います。

支援の内容は:

  1. TAとの読本セッション(1対1 週1回15分ほど)(詳しくは『息子の緘黙・幼児期5~6歳(その4)』をご覧ください)
  2. ソーシャルグループへの参加(小グループ 週1回30分ほど)。ASD児のために社会性を育てる小グループに混ぜてもらい、少人数でゲームなどの活動をする
  3. クラスでの小グループ活動における配慮。学校外で話せる仲良しのB君と同じグループに、TAのいるグループにしてもらう

注:なお、1)と2)の活動は授業中に教室から別の部屋に連れ出して行われます。

新学年からこれらの支援が実施されるようになり、ふと気づけば息子と全く同じ支援を受けている男の子がいる…。それは、レセプションクラスに入ったばかりの時、担任が「もっと重症の子」と評した、同じ幼稚園出身のF君でした。

F君は身長が高く、内気ながら結構スポーツができる子でしたが、両親はともに外国人。息子もそうですが、やはりバイリンガル環境や文化の違いが緘黙の発症に影響していたものと推測されます(学校で使う言葉が母国語ではない場面、緘黙の発症率は通常より高い)

ある日のお迎え時間、F君のママが「あなたの子もTAと読本してるでしょ?」と、声をかけてくれました。短い立ち話で、支援が助かるね~と確認し合ったのです。

数日後、また話す機会があったので、「私はSMiRAの会員になって、緘黙の本や資料を持ってるから貸しましょうか?」と訊いてみたのです。そしたらすごく引かれて、「うちの子は違うから」と拒絶されたのでした…。

どうやら、SENCoは彼女に子どもの症状が緘黙だということを説明してない???ただの恥ずかしがり屋で、時間が経てば治ると言われていたようでした…(F君は早生まれの息子より半年前に入学し、その頃学校もSENCoも緘黙についての知識がない状態だったと思います)。

学校で全く話さず、息子と同じ支援を受けてるんだから、絶対緘黙だよ――そうは思ったものの、押し付ける訳にもいかず…。ちょっと凹みましたが、まあ人それぞれだし、とその後は傍観することにしたのでした。

でも、SMの知識があろうとなかろうと、F君ママも子どもの交友関係を大切にして、よく彼の友達を家に招いていたようです。

それが功をなしたのか、F君は息子より早くクラスで話せるようになりました(^^;) クラスに仲の良い友達がいて、休み時間にサッカーなどの遊びに必ず加わっていたことも、克服の助けになったんじゃないかなと思っています。

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息子の緘黙・幼児期5~6歳(その5) 学校外でのスモールステップ

イギリスの秋はどんどん深まってきました。今年もあと2か月半で終わりかと思うと、時間が過ぎるのが本当に早いです。

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Cちゃんの誕生会に行ってから、学校外で随分人目を気にするようになり、緘黙が悪化してしまった息子(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その24)』をご参照ください)。

それまでは割と平気だった、学校外での社会的場面――買い物、外食、公共交通機関での移動など――を嫌がるようになりました。周囲をすごく意識するようになったのです。緘黙だけでなく、対人恐怖症というか社会不安も一挙に増大。

学校の支援のお陰で少~しずつ改善しつつあると思えた対人関係も、一気にどん底に…。

う~ん、どうやったら元の基準にまで戻せるものか…。ここでも、やはりスモールステップで場に慣れさせるCBT(認知行動療法)を試みました。

この時に役立ったのが日本でもお馴染みになったIKEAのカフェでした。その利点は、

  • 家から離れていて、知り合いに会う確率が0に近い
  • 大好きなミートボールが食べられる
  • 自分で好きな席を選べる
  • 周囲がガヤガヤしている

最初は嫌がっても、好きなものを食べている時は、食事に集中して周囲の目を気にしなくなりました。回を重ねる毎に、誰も見ていないことを徐々に実感できたよう。

バスや地下鉄にも頻繁に乗るようにしました。その時に息子が安心できるよう注意したのは、

  • 最初は知り合いに会わないよう、ちょっと遠くで練習してから徐々に近所へ
  • あまり混んでいない時間帯に利用
  • バスでは息子が窓側に、私が通路側に座るようにする
  • 声かけ「大丈夫」「怖くないよ」「よくできたね」を忘れずに

スーパーや息子の欲しいものがある玩具屋/文具店での買い物作戦も有効でした。注意点は、

  • まずは学校から離れたお店で
  • 好きなものをひとつ選ばせる
  • 嫌がらなかったら、レジまで持って行かせる
  • 様子を見ながら自分でお金を払わせる
  • 声かけを忘れずに
  • (全部クリアできたら、私の声に合わせて「ありがとう」と言わせてみる)

上記のようなスモールステップで、少しずつ少しずつ恐怖症が治っていったように思います。長い道のりですが、諦めずに根気よく。注意すべきは、緘黙児は間が空くと元に戻ってしまう習性があること。なるべく頻繁に行う必要があります。

私が実践したスモールステップは、息子ができそうなことを選んで、自分で考案したもの。緘黙児はひとりひとり違うので、その子に合うスモールステップを組み立ててください。自分の子を一番良く理解しているのは保護者だと思うので、プロに頼まなくても大丈夫です。

そして、ひとつできたら次はもう少し高めのステップにチャレンジさせます。できなかったら、ステップをもっと細かく修正して再チャレンジ。

常にできそうなステップを準備して、少しずつ自信をつけさせることが重要です。失敗して後退してしまうこともあるかと思いますが、その時はその時。怖がらずに親子でチャレンジしましょう!

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息子の緘黙・幼児期5~6歳(その4) 先生が僕を喋らせようとする!

1年生の教室と担任にも慣れてきたかなと思う頃、息子が帰宅するなり「TAの先生が僕を喋らせようとするから、ヤダ!」と訴えてきました。

何の事だろうと聞きだしてみると、息子は読本ができない(教室で声を出せない)ため、別室にてTAと1対1で読本を見てもらっているとのこと(息子ほかにも複数名いて、各15分位ずつ)。そのTAが息子に声を出させようとするので嫌だ、というのです。

あれっ? まずは、話すプレッシャーを無くして、子どもの不安を減少させることが緘黙支援の基本だよね??

前年にSENCo(特別支援コーディネーター)にSMiRAの資料を渡してあり、担任や他のスタッフにも息子が場面緘黙であることは通達されてるはず、と思い込んでいた私。が、どうもそうではないような…。そこで、担任にお願いして、TAとの読本セッションに私も参加させてもらうことにしました。

当日、息子と一緒に読本セッションに行き、TAに「どうして息子が話さないかご存知ですか?」と訊ねてみました。すると、即座に「知りません」と返事が…。

「学校内の連携ができてない~!」とショックを受けましたが、TAはパートタイムだし、担任と話す時間もあまりないのかも…と推測。子どもが本を読めるようにするのが彼女の役割なので、「声を出させるな」という注文は酷かも…。

とりあえず、簡単に場面緘黙の説明をし、話すようプレッシャーをかけないようお願いしました。

それから、その日の読本が始まったのですが、TAは即座に「声を出して読む」のではなく、「指さし」で単語や内容について訊ねるという形に変えました。私が隣にいて安心できていたためか、息子は指さしでTAの質問に答え始めました。

すると、「まあ、ちゃんと解ってたのね!」とTAが感嘆しているではないですか!「グッドボーイ!」と何度も褒められ、息子もまんざらではなさそう――それまで、どれだけできない子と思われてたのか…(-_-;)

何も話さない子に対してTAも接し方が判らなかっただろうし、どうも緊張で身体が動かない緘動状態になっていたのでは、と疑われました。

話せないこと、普通に動けないことで誤解されることって、結構多いかもしれません。誰かが気付いて誤解を解いてくれればいいですが、先生たちも忙しいので、見過ごされてしまうこともあるかも…。

その後、息子は読本セッションに喜んで行くようになり、結果的には担任より先にこのTAに話すことができるようになったのです。

緘黙児に対する接し方については、自然に子どもに寄り添える先生もいれば、努力してるのに子どもが余計に固まってしまう先生もいますよね…。緘黙児は感性が鋭いので、相性が合うかどうかも大きく影響するかもしれません。うちの子もそうでしたが、緘黙児って人に対する好き嫌いが激しいような…。でも、親身になってくれる先生の思いは、絶対に子どもに通じると思います。

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雨続きの天気の中、イギリスの秋はだんだん深まってきました。雨の合間に太陽が顔をのぞかせると、いつの間にか樹の葉が紅葉しているのに気づかされます。さて、やっと息子の緘黙話の続きです。

真っ赤に紅葉したアメリカ蔦がある知人の庭には、毎日子ギツネが訪ねてきます

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息子の小学校では、クラスは持ち上がりで担任が1年毎に変わるシステムでした。う~ん、7年間ずーっと同じクラスってどうなの?クラスの中でのイメージや交友関係が固定し、息子は目立たない「おとなしい子」のまま卒業してしまうんじゃないか?――入学前はそんな風に疑問視していたのです。

その上、入学後すぐに場面緘黙を発症してしまい、「しゃべらない子」というイメージが固定化してしまう可能性も出てきた訳です(当時は必死だったので、そこまで考える余裕はなかったんですが)。

レセプションクラス(4~5歳)から1年生(5~6歳)にあがった息子の新しい担任は、一部の保護者から「厳しい」と評されていた女性教師。でも、いざ新学期が始まってみると、とても熱心できめ細かな指導をしてくれる先生だと判りました。

ちなみに、新担任の名前は前年の3学期の終わりに発表され、子ども達は夏休み前に何度か新しい教室に行って新担任と顔合わせするのです。不安が大きく新しい環境に慣れにくい子どもにとって、担任や教室が変わるのは大変なこと。こういう配慮があれば、子どもは安心できますね。

(日本では2年に1度クラス替えがあるから大変だなと思っていたら、1年毎に替える学校もあるようですね…。緘黙児にとっては負担が大きすぎるのでは?)

息子が新しい担任に馴染めるか心配でしたが、初日に下駄箱まで送っていくと、「マミーはここから来ないで」と、ひとりで教室に入って行きました(イギリスでは小2まで送り迎えは保護者の義務です)。この時、「あっ、こんな小さくても、親が立ち入れない自分の世界を持ってるんだな」と感じたことを鮮明に覚えています。クラスでは声が出ませんでしたが、登校を渋ることはありませんでした。

イギリスでは1年生からやっと時間割が定められ、徐々に授業に慣らしていきます。この学年では、読本が遅れている子どものために専用のTAをつけたり、ASDの子ども達のためにソーシャルグループ活動があったり。学校心理士に診てもらえたのも1年生の時。今思うと、この学年の支援が一番手厚かったと思います。

息子の学校での様子が知りたい――そう思った私はボランティアの仕事に手を上げました。1年生から体育で水泳が始まるため、着替えのヘルプをしたいと考えたのです。でも、息子に訊いてみたら、「それは嫌!」と断固拒否。多分、入学前にプール恐怖症になったため、自分が「できない」ところを見られたくなかったんでしょう。

その代わり、B君ママと一緒に週1回ITCのお手伝いをすることにしました。子どもを6人位ずつ順番にITCベイ(PCを並べた廊下)に連れて行き、PCを使ってゲームやお絵描きをするというもの。PCに馴染ませる目的の他に、担任とTAが教室に残った子ども達の算数と国語を丁寧に見る時間だったような…。

ボランティアの利点は、クラスの子ども達と接することができ、それぞれの個性や交友関係などが見えてくること。ここで仲良くなれば、家に遊びに来てくれるかもという下心もありました(^^;)

ITCベイに行く途中、子ども達は手を繋ぎたがったり、おしゃべりしたがったり。中には息子が話さないのを不思議がって、私に質問してくる子も。

「ねえ、〇〇君どうしてしゃべらないの?」

「すっごい恥ずかしがり屋で、学校では緊張しちゃうんだよ。〇〇ちゃん、大きなステージに立ってひとりで歌うことを想像してみて。すごく怖いよね?そういう感じになっちゃうんだって」

「ふーん」

「家ではおしゃべりなんだよ。今度遊びに来てね」

「うん」

訊かれる度こういう会話を繰り返していたんですが、みんな素直に納得してくれてたような…。質問してくるのは大体女の子ばかりで、やっぱり精神的な発育が早いんですね。

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大切なことを書き忘れてしまったので、今回は『息子の緘黙・幼児期4~5歳』への付け足しです。

息子は、夏休み中の8月中旬に5歳の誕生日を迎えました。イギリスの学校は9月に始まるので、かなりの早生まれです(早生まれやひとりっ子の緘黙児、多いような気がしていますが、どこかに統計はないかな…)。

夏休み前半の3週間、学校で行われたサマークラブに参加させました(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その23)』をご参照ください)。

その後、誕生会事件が起こって、緘黙症状が大きく後退してしまった訳ですが、実はサマークラブでは進歩もあったのです。

参加した際、サマークラブの主催者やスタッフ(学校とは無関係)には息子が場面緘黙であることを告げませんでした。というか、当時はSelective Mutism という言葉自体が教育関係者にさえ知られておらず、どう切り出していいのか判らなかったのです。

(今だったら、短い場面緘黙の説明と息子の特徴を含む簡単な対処マニュアルを提出すると思います)

まあ、子ども達は各自好きな遊びを選べるし、親友のT君が一緒なので、大人には話さなくてもT君がいれば大丈夫だろうと、気楽に考えてました。まず第一の目標は、夏休み中に学校環境に触れさせ、新学期にそれほど抵抗なく教室に戻れるようにすること。嫌がらずに行ってくれれば、万々歳だったのです。

ただ、初日にスタッフに挨拶に行き、「ものすごい恥ずかしがり屋で、全くしゃべらないかもしれません」と忠告はしておきました。

このサマークラブはインド系のイギリス人によって経営されていたのですが、夏休みは時間が長く、子どもの数も多いので、アルバイトの若い女学生も数名。ラッキーなことに、その中のひとりが息子に目をかけてくれたのです。

今考えれば、いくらT君が一緒でも、抑制的な気質のうえ緘黙になってしまった息子が、初めての「場所」「人」「環境」に慣れるのは大変なこと。自由きままに動き回る子ども達の中で、息子はひとり固まっていたようでした。

見るに忍びなかったのでしょう。

彼女はものも言わない息子にこまめに話しかけ、遊びに誘ってくれたようでした。もちろん、緘黙に対する知識はなく、この「固まっている子」を何とかしなくちゃ、と自主的に対処してくれたんだと思います。

(クラブが終わって校庭に出てくると、普通に動けるし、私やT君ママには話すので、クラブの最中にどうしているのかは不明)

この彼女お陰で、息子は少しずつサマークラブに馴染んで動けるようになり、バスでの小旅行にも参加することができました。クラブが朝9時から午後3時頃までと長時間だったことも、場慣れするのに役立ったと思います。

息子は家でクラブのことを全く話さなかったので、中盤になって彼女に話しかけられるまで、そんなことは全く知らず…。

そして、最後の日に彼女にお礼を言いに行くと、

「実は、今週は言葉がポツポツ出るようになったの!」

「えっ、本当に?!」

「ええ、単語だけだけど。初めは口がきけないんだと思ってたから、嬉しかったわ」

「ありがとう~~~!!」

可愛い大学生のお姉さんに優しくしてもらって(息子はメンクイです)、不安が低減し、言葉が出るところまでいったんでしょう。

緘黙治療に必要なのは、継続的な温かい支援と根気と適度な励ましだなあ、と思います。

でも、その匙加減が難しいんですよね。

いつ、どんな時にどんな人が助けてくれるか、どんな機会に巡り合えるか判らないもの。親戚に会ったり、子どもが好きそうな習い事にチャレンジさせてみたり――緘黙児の社会的な機会を増やすことはとても重要だと思います。

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息子の緘黙・幼児期5~6歳(その1)

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その1) 祖父母の反応

息子の5歳の誕生日をかねて、夏休みに主人の実家に滞在した時のこと。驚いたことに、息子は祖父母に対しても緘黙になってしまったのです(経緯は『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その24)』をご参照ください)。

滑り台事件(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その7)』をご参照ください)以来、息子はそれまで話していた多くの人と話せなくなってしまいました。が、グラニー(祖母)にはまだ以前と同じように話せていたのです。

車を降りてグラニーに会った途端、息子は私の後ろに隠れました。それを見た義母は、「何恥ずかしがってるの?」「舌をどこかにおいてきちゃったの?」と、積極的に息子にアプローチ。

「緘黙児を安心させるため、話すことを強要しない」というのが、緘黙支援の第一原則です。が、マイペースな義母は、焦る私の心も知らず、どんどん息子に話しかけました。

でも、これが功をなしたのか、息子はポツポツと返事をするようになり、半日くらいで割と普通に会話できるように。反対に、1週間いたにもかかわらず、いつも通り(それ程息子に話しかけない)だったグランダディ(義父)には、殆ど口をきくことができず…。

以来、義両親宅に行く度に(2、3か月おきくらい)、最初は話せないけど、慣れるにつれてグラニーには徐々に話せるようになるというパターンが定着しました。

(実は、息子が私にも口をきけなかった想い出が。それは、6歳の息子を義両親にあずけ、2週間ほど単独で帰国した時のことでした。空港で再会し話しかけると、息子は困った顔をして無言!母親なのに~!車の中ですぐ返事をしはじめ、すぐ話せるようになりましたが、これには本当に驚きました)

時と人、場合によりますが、緘黙児の不安が和らぐまで辛抱強く待つよりも、話すようプッシュした方がいい時もあると思います。下手をすると症状が悪化することもあるので、判断はとても難しいですが。

緘黙克服はスモールステップで進むので時間がかかる上、繊細な子どもの心はアップダウンが激しくて、時にジェットコースターに乗っている気分になります。でも、「三歩進んで二歩さがる」のが普通だと思って、ゆっくり進みましょう。

ちなみに、1年に数回しか会わない義妹夫婦には、クリスマス休みなどで合流しても全く話せない状態が2年ほど続いたと記憶しています。以前は屈託なく接していたので、ものすごく驚かれました。

みんなで集まっているのに、話せる人と話せない人がいるというのは、親にとってすごく気がもめる状態ですよね…。

偏見は持ってもらいたくないし、誰にどこまで説明して理解してもらうかも、判断が難しいところです。