プラハの夏休み(その4)

ホリデー4日目は、半日ツアーでプラハの東40kmほどのところにあるクトナ-・ホラ(Kutná Hora)という町へ。ホテルにあったリーフレットの骸骨堂の写真を見て「面白そう」と決めたんですが、行った後に納骨堂を含めた町全体が世界文化遺産 (UNESCO)に登録されてることを発見。我が家の旅行は行き当たりばったりで(事前にちょこっと調べるのは私のみ)、後々になって色々な事実を知ることになるのです。

ミニバスだろうと思っていたら、やってきたのは冷房完備の立派なコーチ!英語とスペイン語のガイド2名と、世界各国から来た30名あまりの参加者と一緒に出発。「チェコのカントリーサイドが見られる」と楽しみにしてたのに、冷房が心地よくて知らないうちに爆睡していました(笑)。

クトナ-・ホラは13世紀頃から中欧最大の銀鉱の町として栄え、14世紀にはボヘミア王国の銀貨製造を担う経済の中心地に。14~16世紀初頭までは首都プラハと肩を並べるほど繁栄し、町は地方から独立して壮大な聖バーバラ大聖堂の建築に着手しました。が、17世紀に戦争や宗教的な争い、銀鉱の閉鎖などにより衰退の一途をたどったとか。

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まず最初に、郊外にあるセドレク区墓地の納骨堂 (Kostnice v Sedlci) に到着。足を踏み入れた途端、どこを見ても骨ばかり。骨を積み上げたピラミッドが4つもあり、想定4~7万人の骨が納められているとか。他にも、シャンデリアや紋章など、見事というしかない精巧な骨装飾がいっぱい。

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何故こんなに大量の人骨が収められているかというと、その起源は1278年に遡るそう。ボヘミア国王の命を受けて聖地エルサレムに赴いたセドレク修道院長が、ゴルゴタ(キリストが十字架にかけられたとされる地)の土を持ち帰り、復活の象徴として墓地に撒いたのがその始まり。噂はどんどん広まり、中欧中の人たちがこの墓地に埋葬されることを願うようになったとか。加えて、14世紀半ばには黒死病の犠牲者が、15世紀初めにはフス戦争の戦死者が多数葬られ、墓地は満杯状態。15世紀に墓地の中央にゴシック様式の教会を建て、その際に掘り起こした大量の骨はチャペル兼納骨堂に収めることに。とにかく、墓地が足りなくなったんですね。その後も骨を掘り起こしてはチャペルに積み上げることを繰り返したよう。

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   人体の骨を全部を使って作ったシャンデリア(左)とその作者、フランチェスコ・リント(František Rint)の名前を標した壁(右)

ここまでくるとアッパレというか、不気味というより精密なアートワークのようでした。ローマのカタコンベの様な暗さはなく、骸骨堂の中は明るくて結構あっけらかんとした雰囲気です。動画を見つけたので、良かったら見てください。

次は、16世紀に「銀鉱夫の聖堂」として建築を始めたものの資金が底をつき、19、20世紀になるまで着手しなかったという聖バーバラ大聖堂。その過程で、最初の設計図をかなり変更しているとか。アメリカ人のガイド、ジェ-ムス曰く、「中欧で最も美しい未完成の大聖堂」だそう。

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正面(左)と横から見た支柱の細部

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基本はゴシック様式ですが、バロックやロマネスク様式の箇所も

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写真左の奥に見えるのは聖バーバラ大聖堂の後部。尖塔の造りが繊細ですね。石畳の右側には17世紀に大学だったバロック様式の建物が。写真右は中世の名残が残る塔のある建物

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ジェームス推薦の「チェコで一番美味しい」というピザリア。息子がマルガリータを注文

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 メニューにアイスコーヒーがあったので思わず注文したら、来たのが左。アイスコーヒーにヘーゼルナッツのアイスクリームと生クリームが乗ってました。右はヨソで頼んだレモンが入ってないレモネード。どちらも200円ちょっと

帰りはまた冷房車で爆睡してしまい、ついにカントリーサイドの風景は見られず…。最後にチェコ語の表現を10個くらい教わったのに、「アノ、またはノ(Yes)」と「ネ(No)」しか覚えられませんでした。情けない…。

長くてすみません、次で最後にしますね。

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プラハの夏休み

プラハの夏休み(その2)

プラハの夏休み(その3)

プラハの夏休み(その3)

8月12日は息子の15歳の誕生日でした。本人はカントリーサイドに行きたがったんですが、日程が合わず世界遺産のプラハ城に行くことに(城だけでなく街全体が世界遺産だそう)。旅行案内所で「歩いて行ける」と教わったものの、暑すぎて坂道を上るのは無理。地下鉄とトラムを使えば余裕で30分内に着けると思い、24コルナ(約120円)のチケットを買ったところ、トラムが20分来なくて焦りました…。IMG_praguecastle

なだらかな丘の上にそびえ立つプラハ城は、世界最古かつ最大の城。9世紀から建て始め、現在の形になったのは14世紀だそう。宮殿、聖堂、修道院など建築様式の異なる複数の建物群からなり、神聖ローマ帝国王が住んだ歴史も。敷地の広さは東西430mということで、とにかく広くてめっちゃ混んでました。

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  現在は大統領府として使われていますが、英国王室のように近衛兵がいて交代式も。北門の歩哨兵はこの酷暑のなか微動だにせず。本当にご苦労様です~

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王宮前の広場で近衛兵によるブラスバンド演奏が始まると、わらわらと人が集まってきました

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600年かけて完成させたゴシック様式がメインの聖ヴィート大聖堂。正面(左)と聖堂内

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ステンドグラスとメインタワー(右)。下の写真は東側の景観

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旧王宮の外観(左)と戴冠式が行われた大ホール

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プラハ城で2番目に古い聖イジー教会は10世紀の建物。窓が小さい…

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敷地の左端にある「黄金小路」は、色とりどりの小さな家が15軒ほど並ぶ石畳の狭い路地。この名称は16世紀に錬金術士が住んだという伝説に由来しているそう。左側2軒目のブルーの家(22番)をカフカが1916年から2年ほど妹と借り、毎晩執筆に通ったとか。後の作品『城』は、プラハ城からインスパイアされたんですね。現在はカフカ関連のグッズを売るショップになっていて、通りの半分くらいがお土産店でした。

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当時の暮らしを再現した部屋の数々。これらはプラハで最も小さい家なんだそうで、間取りが狭くて、奥行きもない..戸口で頭をぶつけないよう要注意。左側は仕立て屋さんの家ですが、ベッドは普通のシングルの半分くらい--当時はヨーロッパ人も小さかったんですね

夜は8時頃にホテルを出て、河岸にあるダンシングハウスを見てから、イギリスで友達が推薦してくれたちょっと遠くのレストランへ行く予定でした。

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  1996年に建てられたダンシングハウスには「ジンジャー&フレッド」の愛称も。そういえば、カップルがダンスを踊っているように見えますね

この後、歩けども歩けども目的のレストランに行き着けず…。観光地から外れているためか街灯も暗いし、スマホも役に立たたないし。ついに主人が怒り出し、その時そばにあった『マチルダ』というイタリアンレストランへ。混んだテラス席で待つこと30分、既に10時近くになってしまい、息子の誕生日だというのにとっても険悪な雰囲気に…。

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夫婦の危機を救ってくれたのが上のサラダでした~。暗かったのですごく写りが悪いのですが、私のダックサラダ(上)は、鴨肉のスライスとオレンジの組み合わせが絶妙。クルミのトッピングとプラムソースも美味でした。主人のチキンサラダ(下)は、炭火焼きしたチキンとパイナップル、オレンジのスライスの組み合わせで、炭焼きの香ばしい味がサラダ菜と相性抜群。息子はマルガリータピザを注文したのですが、食べはじめた途端に全員の機嫌がコロっと治りました。美味しいものの威力ってすごいですね。

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    帰りは地下鉄で。プラハの地下鉄は深いのでプラットホームはひんやり。かなり斬新なデザインですね

すいません、まだ続きます。

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プラハの夏休み

プラハの夏休み(その2)

プラハの夏休み(その2)

初日の体験を活かし、翌日から「外歩きは午前中と夕方過ぎ、午後は冷房が効いた(多分)美術館などで過ごす」という計画を立てました。まずは、メニュー豊富なホテルの朝食バーでしっかり腹ごしらえし、近くのミニスーパーでミネラルウォーターを買い込んで出発。

2日目は徒歩で「ユダヤ人街」へ。中欧最古の「新旧シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)」を訪れる予定が、ちょっと道をそれたら「スパニッシュ・シナゴーグ」が目の前。無計画でブラブラ行くのが我が家式なので、複数の見学コースの中で一番お得なファミリーチケットを買って、シナゴーグ内を見学しました。

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   高級ブティックが立ち並ぶ通りを抜け少し東に行くと、ちょっと違和感を感じる小説家カフカの銅像に遭遇。お隣にあるのが「スパニッシュ・シナゴーグ」

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  ユダヤ人街で最も美しい会堂。19世紀半ばに、スペインのアルハンブラ宮殿を模して設計・建築されたとか。2階にはプラハにゆかりのある著名なユダヤ人たちの資料が。恥ずかしながら、カフカ(1883-1924年)がユダヤ人だったこと知りませんでした

内装はものすごく美しかったんですが、それより印象に残ったのは、第二次世界大戦時にホロコーストの犠牲になったユダヤ人の子どもたちの絵や日記など。この子たちは、誰ひとりとして息子のように15歳の誕生日を迎えることはできなかったんだと思うと、なんともいえない気持ちになりました。

実は、SMIRA代表のアリスさんは、ナチス党政権下のドイツがチェコスロバキアを解体する直前、チェコからイギリスに亡命してきたのです。当時19歳のアリスさんは、たった独りで汽車を乗り継ぎ、船でイギリスに辿り着いたそう。後から合流すると信じていたご両親と弟さんは、アウシュビッツ強制収容所に送られて亡くなられたとか…。それを想い出し、平和な時代に生まれ育ったことを本当に幸運に思いました。現在と未来の子ども達のためにも、戦争のない世界を願ってやみません。

もしアリスさんがイギリスに亡命していなかったら、仕事で緘黙児に出遭って緘黙の研究をすることもなかったでしょう。リンジーさんと共にSMIRAを設立することもなかったんだと思うと、人の運命や出遭いって、本当に不思議ですね…。

この後、旧ユダヤ墓地に行ったところ、猛暑の中でチケットを求める長~い列が。家族全員が即「やめとこ」と諦め、近くのカフェでひと休み。主人はビール、私はレモネード、息子は100gのハンバーガーとフレンチフライをパクリ。ちなみに、ハンバーガーは4段階・400gまであって、チェコ人ってお肉好きなんだなと感心した次第です。

ひと休みした後、地下鉄に乗って国立美術館へ。街に貼られたエゴン・シーレのポスターを見て、「あっ、シーレ展やってる!」と思い込んで出かけたら、実は『アーティストと預言者たち』と題したグループ展でした。

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観光客が殆どいないHolesovice地区は、ちょっと寂びれた雰囲気

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  国立美術館の中は涼しくて人もまばら。たっぷり時間をかけて周り、シーレの絵もじっくり堪能出来ました

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最後は切り絵でスライド遊び(これは息子による配置)

トラムに乗ってホテルへ戻り、夜はイギリスで予約しておいたバレエ公演『白鳥の湖』を観に出かけました。街には劇場やホールが多数あり、教会や会堂の中でも毎晩のようにコンサートが行われているよう。

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「百塔のプラハ」と呼ばれるだけあって、石畳の街のいたるところに尖塔が。大戦の戦火を逃れることができたため、中世以降1000年に渡る様々な建築様式が残っています

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バレエ鑑賞した劇場。演目は『白鳥の湖』のハイライト場面を集めたもの

値段がイギリスの三分の1くらいだったので文句は言えませんが、幕が開いてダンサー達が出てきた途端に、「う~ん、これはイマイチかも」と素人の私でさえ思いました。特に、男性陣のジャンプ力と回転が…熊哲氏の三分の1も跳べてなかった。しかも、会場にはエアコンがなくて、もう蒸し風呂のような暑さ!

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私のワガママで一番高いチケットを取ったのにどうしようと思っていたら、主役のバレリーナだけが群を抜く上手さ――というか、それが当たり前なんでしょうが、ひとりだけ動きが全然違ってました。彼女が白鳥と黒鳥役を踊り分け、ひとりで舞台を引っ張っている姿に感動。後でネット評を見たら、やっぱりケチョンケチョンに酷評されてましたが…

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私たちが行った劇場の真向かい側にあったのが、『のだめカンタービレ』が撮影されたスメタナホールのあるプラハ市民会館。ミュシャが内装やステンドグラスを手がけた瀟洒なアールヌーボー様式です。黒ずんだゴシック様式の建物は15世紀に建てられた火薬塔

夜11時近くなのに観光客がぞろぞろ。きれいな夜景を眺めながら、夜更けの旧市街をぶらぶら歩いてホテルに戻りました。

長くてすいませんが、また次回に続きます。

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プラハの夏休み

プラハの夏休み

先週、というかすでに1週間ちかく経ってしまいましたが、息子の誕生祝いとホリデーをかねて、家族でチェコ共和国の首都、プラハに行ってきました。冷夏のイギリスから、異常気象でいきなり猛暑のプラハに移動したためか、喉風邪をひいたよう…最高気温23度⇔37度はキツかった。という訳で、今週はどうも体調が今イチでした。

ロンドンからプラハまでは飛行機で1時間半ほど。短時間で行けるので、国内旅行と同じような感覚です。格安航空会社の一番安い時間帯のチケットを購入したため、出発は日曜日の午後6時半。最近、飛行機事故が多いせいか、タラップ式の小型機が無事にプラハ空港に着陸すると大拍手が起きました(笑)。

何とかバスと地下鉄を乗り継いでホテルに着いたのが11時過ぎ。モダンなアパートメントホテルと思って予約したら、実はアパート部分は4階のみで我々の部屋は普通のトリプルでした。同じ値段でもっと豪華っぽいホテルが沢山あったんですが、何故かどこも赤・緑・金の派手な縞模様のベッドリネン。さすがに6泊は耐えられないと、コンセプトが面白そうなこのエコホテルを選んだのでした。

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      ミュシャ美術館の1件右隣にあるFusion Hotel。同じ通りにミニスーパーと観光案内所があって便利。旧市街までは徒歩5分ほど

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天井が高くスペース的には悪くないシンプルな部屋。各室テーマが違い、我々のところは金魚(?)モチーフ。バスルームの壁は真紫!シャワーのみで最初は不満でしたが、暑すぎてバスタブは必要なく…巨大なシャワーヘッドに加え、ノズルがついてるのがGood

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なんですか~?と驚いたトイレのサイン。このホテルの特徴はむき出しのパイプや壁のへたうま風イラスト

12時過ぎに眠りについたのですが、とにかく暑い!エアコンのスイッチを探しても見つからず、説明書を見たら「エコ主義に則り空調は建物全体で」と。天井の太いパイプから、生ぬるい風が入る中、汗をかきながら就寝。全員が何度も目を覚まし、朝5時前に耐えられなくなった息子が窓を開けました。でも、やっぱり暑い!

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このホテルで一番良かったのは広い食堂での朝食でした

親子3人で朦朧としながら朝ごはんを食べ、主人が頭が痛いというのでまず最初に薬局へ。ここからやっと旧市街を歩いて観光。

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旧市街は観光のメッカ。露店商が集中するコーナーの果物屋さんにあったフルーツ盛り合わせ。「これで250円って安い!」と思ったら、100gのお値段でした

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有名なボヘミアグラスとガーネットのお土産店が多数

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有名な天文時計 。旧市庁舎経由でこの塔に登るのに、待つこと約1時間

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   でも、時計台の上からの景色は最高でした。右側の写真の丘の上に黒く見える塔がプラハ城

塔から降り、旧市庁舎の建物の中や広場を見学しただけで、すっかり疲れ果てた私たち。迷路のような路地の中で見つけたカフェへ。食欲は消え失せ、とにかく冷たいものが欲しい!

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暑すぎて次を巡る元気がなく、ホテルに戻って冷たいミネラルウォーターとホテルの無料アイスクリームを食べて、3人でお昼寝。この時点で私も頭痛が――もしかして熱中症?

午後6時ころに有名なカレル橋に向かってぶらぶら。夕暮れ時には多少涼しくなるかもと期待していたら、甘かった--西日が射してさらなる暑さ!そして、すごい人混みなのでした。

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左上の写真はカレル橋に行く道。大きなゲートをくぐると橋なのですが、もう人だらけ

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夕食は旧市街の裏通りで見つけたレストランで。殆どのレストランはエアコンがなくて、蒸し暑かったです…。驚くことに、ミネラルウォーターよりビールの方が安い!大きなジョッキで200円弱

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まずはチェコの伝統料理を注文。写真 左はハンガリー料理としても有名なグラーシュ(牛肉のシチュー)、右はローストポーク。双方とも「チェコの茹でパン」と呼ばれるクネドリーキが添えてあり、ポークの方にはじゃがいもの蒸しパン、ブランボロクネドリーキとザワークラウトも。疲れてたので、お酢の味が嬉しい。お値段は各150コルナ(約770円)くらい

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別の日に食べてみた、こちらも伝統料理というグラーシュのスープ。3人がかりでパンを食べたのですが、食べきれませんでした。これで450円くらい。ちなみに、スーパーで買ったクロワッサンは8コルナ(約40円)でした~パンもめちゃ安い

ということで、まだ1日分しか書けなかったので、次回に続きます。ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございます。

決めつけないで

ここのところ、”Judgement” と ”Judgemental” という言葉に頻繁に出くわします。別に意識していないのに、ふと気づくと同じ単語がキーワードのように現れる――そんな体験ってないですか?

”judge”という動詞には「裁く」とか「察する」という意味があり、よく知られた名詞の意味は「裁判官」。”judgement” は 「判断」「察し」「独断」など似たような訳ですが、”Judgemental” になると「批判的な」「独断的な」と否定的な意味合いを帯びることが多いよう。

人に “Don’t be judgemental” と言われたら、いい意味ではありません。思い込み、偏見、決めつけに繋がるような、自分の価値感だけでものを見てはいけないという警告なのです。「決めつけないで」とか「独断で決めないで」という訳が一番ぴったりくるでしょうか。

私が最初にこれらの言葉を意識したのは、特別支援TAのエージェントが行った ”Behaviour Management” の研修会でした。これは「学校での子どもの態度・ふるまい(特に、問題行動)にどう対処すべきか」をテーマにしたもの。

ここで重要なポイントになったのが、”Observation(観察)” と“Judgement(判断)” の違いについて。例えば、緘黙児が授業中黙っているのを見て、先生が「A君は授業中ずっと話さなかった」と観察するのと、「A君は話さない子」と判断するのとでは、その後の先生の態度や対処法が変わってくる可能性が大きいのです。さらに、子どもとの関係やコミュニケーションがネガティブなものになる可能性も…。

というのも、”Observation(観察)”は客観的な見方ですが、“Judgement(判断)”ではどうしても判断する人の主観や先入観が入ってきてしまうからです。「A君は話さない子」と判断すると、無意識のうちに子どもにそのレッテルを貼ってしまい、「今回もどうせ話さないから」と思い込みがち。そのためにA君だけ当てなかったり、順番を飛ばすようになったとしたら、子どもはどう感じるでしょうか?また、それを見て他の子ども達はどう思い、行動するでしょうか?

緘黙児は目立ちたくないけれど、みんなと同じでいたいんです。授業中に順番を飛ばされたら、無視されたように感じるでしょう。先生にいい感情を持てず、ますます学校生活が不安になったり、自己評価が下がったり、非言語のコミュニケーションにも問題が出てきてしまうかもしれません。

研修会では、教育関係者は子どもを観察し、理由・原因を多面的に考えたうえで対処方法を決めるよう教わりました。先生も人間だから、やっぱり好き嫌いはあります。これまでに多数の子どもに接してきただけに、自分の見方・やり方を確立していることも多いでしょう。だからこそ、先入観を持つことなく、心を開いて子どもを見ることが大切になってくると思います。

先生が「A君は授業中ずっと話さなかった。どうしてかな?どうしたら授業に参加できるかな?」と探求心を持ってポジティブに考えてくれれば、様々なアイデアが生まれるはず。母親から子どもに、授業中はどんな方法で非言語コミュニケーションを取るのが楽か訊いてもらうという案も出るかもしれません。こうすることで、子どもとの関係やコミュニケーションがポジティブなものになれば嬉しいですね。

これって何も学校や先生に限ったことでなく、日常生活においても気をつけたいことですよね。慎重な性格ゆえに何事もゆっくりめの息子に対して、常に「早く!早く!」と急かしたててる私…。スピードばかりに気を取られ、彼の持つ良い特性や可能性の目を摘んでしまっているかも…。何事も決めつけないように、注意しないといけませんね。

話がそれてしまいましたが、もう一つこれらの言葉をしっかり意識したのは、7月にBBCで放送された『Victoria Derbyshire』の場面緘黙特集でした。

実際のTV番組ではカットされてましたが、ウエブ版に収録された17歳の緘黙少女ケイティの話の中で、 ”Judgemental” という言葉が繰り返し出てきます。

(詳しくは、過去記事『緘黙を克服しつつある17歳』の映像をご参照ください)

ケイティの友達のひとりが、「セカンダリースクールに入って、知らない子に話しかけるのはどんな気持ちだった? 人に評価されるよね?」と訊きます。

(「人に評価されるよね」の部分は、原文だと “That’s where people are most judgemental about people, isn’t it?” なので、「(新学期のセカンダリースクールは)みんなが人に対して最も選別的になるところだよね」ですが、解かりやすいように変えました)

これに対して、ケイティは「そうね、偏見を持っていそうな、人気のある子達からは距離をおいたわ(I tried to stay away from the people, who are most judgemental…)」と答えています。

やはり「しゃべらない(変な)子」という目で見られるのは、緘黙児にとって深刻な問題なんだなとつくづく思いました。先生やクラスメイトは本来の自分の姿を全く見たことがない訳で、本人はものすごいストレスを抱えているんでしょうね。

また、傍らで見ている親もフラストレーションが溜まりますよね。ついつい「何で家にいる時みたいにしゃべらないの?」と言いたくもなるもの…。親にも息抜きが必須です。

そういえば、息子が小1の頃、人がまばらな放課後の校庭を走り回ってリラックスしたのか、知らずと大きな声を出していたことがありました。それを見たママ友が、「以前、精神遅滞(retard)かと思ったこともあったわ。でも、違ってて良かった」とポロリ…。「え~っ、そんな風に見られてたの?!」と大ショックでした。

緘動があった時期は、だんまり+動きも鈍かったので、そいういう風に見えたのかな…。緘黙児って、こんな風に思われちゃうこともあり得るという実例ですね。

(イギリス人って、かなりストレートにものを言う人も多く、グサっと来ることもあるけれど、ずっと黙っていたり、私のいないところで噂されている方がもっと怖い…)

でも、自分でも知らないうちに、とんでもない思い込みをしていることもあるかも…。ちょっと見だけで人を判断しないよう、いつもニュートラルかつフェアな目でものを見るよう、胸に刻む今日この頃です。

 

何だか肌寒いイギリスの夏休み

息子の夏休みは7月25日から始まりましたが、ロンドンのお天気は今ひとつ。初日の夕方に友達家族を招いてバーベキューパーティを計画していたところ、大雨になってしまい急遽スシパーティに変更するはめに…。この水曜も泊まり客があったのでBBQにしようと計画していたら、またもや雨!で、今度は手巻き寿司にしたのでした(外国人に「何がいい?」と訊くと、必ず「スシ」という答えが返ってくるのです)。

7月中旬に一度決行したきりの幻のバーベキュー。夏の醍醐味なので、8月下旬にも予定してるんですが、果たして実現できるかどうか…。でも、既に5袋入りの炭を購入済みなんですよね。

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これは7月に行った時のもの。主人の従兄弟がベジタリアンなので、豆腐バーベキューに挑戦。今友達から連絡があって、明日再びBBQに挑戦することになりました!

我が家の夏の恒例行事になっているカーブーツセールも、夏休み最初の日曜日に予定していたら大雨…。仕方ないのでパブランチに出かけたところ、「今日はシェフが急病で、今代わりが来るから」と、待つこと1時間。他のお客さんが帰り始め、主人が訊いたところ「まだ来てない。着いてから準備するまで1時間かかる」とのこと。「え~っ、そういうことは最初に言ってよ」と、日本ではあり得ない対応なのでした…。

なんだか天気は冴えないけれど、日本から友人が来ていたので、曇り空の下を一緒に歩いて、ロンドン巡りをしました。

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セントポール寺院で騎乗警察官に遭遇

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セントポール寺院からテムズ河を超えた真向かいが、テートモダン美術館。2000年にできたミレニアムブリッジを歩いて渡ります

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橋から見た風景。このところガラス張りの高層ビルが急増中です

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テートギャラリー内。無料のうえ、展示を柵で囲ってないので間近で見られます

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カムデンタウンに移動し、マーケット内で休憩

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ハイストリートから脇に入ったDelancey Street で 発見したCamden Coffee Shop。サイプロス出身のジョージさんが、1978年に伯父さんから引き継いだ店なんだそう。看板は剥げかけてるし、何だか薄暗くて怪しげ…。でも、通りいっぱいにコーヒーのいい香りが漂っていて、思わず中に入ってしまいました。写真のロースターは60年代のものだとか

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エチオピアン・モカを購入したら、その場で挽いてくれました。帰宅中も、帰ってからもモカのいい香りが漂って幸せな気分

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イーストエンドにあるスピタルフィールズとブリックレーン・マーケットにも行きました。住んでいるとなかなか行かないんですが、友達と一緒に地元民が行くディープな蚤の市にも潜入。戦利品は、大きな真珠がついたシルバーのネックレス£10(約2000円)

そうそう、この夏はメタボ対策をと思いたちフラフープを購入しました。庭の納屋に息子が小学生の頃使っていたプラスティック製のがあったんですが、やってみたら全くできず――これは玩具だからできないんだと思い、エアロビクス用のを購入したものの、やはりできなかった(笑)。息子にやらせてみたら、何と平気な顔をして50回くらい!小学校の頃流行って校庭でやってたらしんですが、通常運動は苦手な方なので、びっくりしました。

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毎日練習していたら、私もついに20回くらい回せるように。でも、腰を回すのではなく、前後に動かすんだと解り、う~んウエストを取り戻すのは無理かも…。

皆さんも素敵な夏休みをお過ごしくださいね。

 

BBCの最新データ

7月15日 (水) に放送されたBBC2の情報番組『Victoria Derbyshire』では、場面緘黙の最新データが提示されました。それによると、場面緘黙の出現率は下記のように推定されています。

  • 子ども(11歳まで?)       150人に1人(0.67%)
  • 青少年(12~19歳?)           1000人に1人(0.1%)
  • 若者(20~29歳?)                      2500人に1人(0.04%)
  • 大人(30歳から?)                       不明

この数字をみると、小学校を終える11歳頃までに、6、7人のうち1人を残して緘黙を克服(克服率は約85%)する計算。これってすごくないですか?

イギリスでは特別支援教育が根付いていて、学校での場面緘黙の教育もかなり進んでいるとは感じます。ただSMIRAの集会などでは、早期発見・介入はしているものの、各学校の方針や予算の問題があり、きちんと対応できていない学校も多いという印象。個人的には、この克服率はかなり高いのではという印象を受けました。

ただ、全般的に日本より学校の規則が緩いため、保護者が学校内でサポートしているケースも多く、それが高い克服率に結びついているのではないかと推測しています。小学校低学年(4~6歳)だったら、親が一緒だと不安がぐんと減り、環境次第(例:教室で2人きり、少人数)では学校で話せる子も多いはず。また、子どもの自意識もそれほど過剰でない年齢ではないでしょうか?放課後でなく、授業やランチタイムに親がボランティアとしてクラスに入ることができたら、進歩も速くなるのではと思います。

なお、ウエブマガジンの方では、イギリスの支援団体iSpekの創始者、カール・サットン氏による緘黙の大人のリサーチ(経験者を含む83名が参加)にも触れています。

それによると、大人が緘黙を克服するターニングポイントは22歳。緘黙の大人はうつ病や広場恐怖症など、他の不安障害を併発する可能性が大きいと示唆しています。

テレビ放送では、緘黙で苦しむ大人、サブリーナの言葉を借りて、場面緘黙を次のように紹介していました。

「場面緘黙の人生って、箱のなかに閉じ込められてるみたいな感じ。箱は透明だから外にいる人の姿も見えるし声も聞こえる。だけど、どんなに頑張っても出られないの。箱のなかで声の限りに叫んでも、誰にも聞こえない。怪我をしたり、怖くて助けを求めても、聞いてもらえないのよ」――これは、小さな頃から場面緘黙に苦しんできたある女性が、自分の状況を表現した言葉です。場面緘黙というのは、話すことへの恐怖症です

DSM(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)では、2013年から場面緘黙を不安障害と分類しています。この番組では更に踏み込んで「場面緘黙=恐怖症」と紹介。解説者として出演したSLTのアリソン・ウィンジェンズさん (『場面緘黙リソースマニュアル』の共著者)は、この分類や定義によって周囲の人に場面緘黙を理解してもらいやすくなったと語っていました。SMIRAやアリソンさん、マギーさん他の専門家が、これまで学会などに働きかけてきた成果ですね。

場面緘黙は話すことへの恐怖症が引き起こす症状であり、その背景には抑制的な気質やバイリンガル環境、言語や発達の問題などがある――アリソンさんは緘黙の引き金となった要因と緘黙を定着させている要因を見定めることが難しいと指摘していました。その2つの要因(複合的なケースも多い)を踏まえた上で、それぞれに合う方法で支援することが大切ということ。不安障害の治療に使われるCBT(認知行動療法)の有効性と、早期発見・介入の重要性も強調していました。

アリソンさんによると、引き金となる要因は毎日のささいな出来事であることも多いそう。場面緘黙になりやすい子どもは、リスクを冒したがらないタイプが多く、自意識過剰で用心深いため、入学など人生を変えるような出来事や、学校で誰かがしゃべらせようとすることなどは、子どもにとっては大きなショックだとも。

イギリスでは、10月が場面緘黙啓発月と指定され、1~17日まで全国で啓発キャンペーンが行われる予定です。私も今年はSMIRAのキャンペーンに参加する予定なので、おいおいその内容を紹介させていただきますね。

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