<遺伝的な要因-行動抑制的な気質>のエントリーで、マーキュリー2世さんにコメントをいただきました。場面緘黙と抑制気質の関連については、まだ詳しい調査・研究が行なわれておらず、確実なことはまだ解っていません。ただ、抑制的な気質が緘黙と大きく関わってていることは確かだと思います。
マーキュリー2世さんとやり取りした際に、ケイガンとアシスタント達が行ってきた研究を要約したNYタイムズの記事を見つけました。”Understanding the Anxious Mind(心配性を理解する)”と題され、不安を感じやすい子どもについて、成長にともなう気質の変化について、興味深いことがたくさん書かれています。コメントに書いたことをコピペ(少々変更あり)しますね。
http://www.nytimes.com/2009/10/04/magazine/04anxiety-t.html?pagewanted=all&_r=0
以下は幼い頃不安を感じやすかった人たちは、成人してからも不安への感受性はそれ程変わらないということが記述されている部分です。
People with nervous temperament don’t usually get off so easily, Kagan and his colleagues have found. There exists a kind of sub-rosa anxiety, a secret stash of worries that continue to plague a subset of high-reactive people no matter how well they function outwardly. They cannot quite outrun their own natures: consciously or unconsciously, they remain the same uneasy people they were when they were little.
ケイガンと同僚たちは、神経質な気質を持つ人々は、通常そう簡単には変わらないということを発見した。たとえ外向きにどんなに上手く機能していても、高反応グループの部分集合を苦しめ続ける心配の隠し場所、秘めた不安といったものが存在する。彼らは自分の性質を塗り替えることはできない。意識していても、いなくても、幼い頃心配性だった人たちは大人になってもそのまま変わることはない。
The children tended to get a better grip on their fearfulness as they got older. By adolescence, the rate of anxiety in Kagan’s study subjects declined overall, including in the high-risk group. At 15, about two-thirds of those who had been high-reactors in infancy behaved pretty much like everybody else.
子ども達は成長するにつれ、恐怖感への理解を深める傾向にあった。ケイガンの研究対象だった子ども達の不安度は、ハイリスクのグループを含め、青春期までに全体的な低下を示した。幼児期に高反応を示した子どもの3分の2程度は、15歳になると、ほとんど皆と変わらないようにふるまった。
Most of the high-reactive kids in Kagan’s study did well in adolescence, getting good grades, going to parties, making friends. Scratch the surface, though, and many of them — probably most of them — were buckets of nerves.
ケイガンの研究で高反応を示した子どもの多くは、青春期になると、良い成績を取り、パーティに参加し、友達を作るなど、よくやっていた。しかし、表面を剥がしてみると、(多分彼らのほとんどは)とても神経質だった。
“They don’t like it, but they’ve accepted the fact that they’re just tense people.” Invoking Jungian terminology, he called it the difference between persona (the outer-directed personality) and anima (the inner-directed thoughts and feelings). The persona can be controlled, but the anima often cannot.
「例え好ましくなくても、彼らは自分たちが神経質な人間であるという事実を受け入れていた」。ユングの用語を使って、ケイガンはそれをペルソナ(外向けの個性)とアニマ(内向けの思考と感情)の違いと呼んだ。ペルソナ(仮面)はコントロールすることができるが、往々にしてアニマ(心)はできない。
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この夏13歳になった息子を見ていると、本当にそうだなと感じます。先日、仲の良いグループ(6人)でボーリングに行ったのですが、楽しんで帰ってきても、集団での対人関係や騒音などに対するストレスや不安は未だ健在です。自分の中で不安をコントロールするのが上手くなっただけで、繊細な部分は変わってないようです。(ちなみに、うちの子は私に不安を打ち明けることで、不安を減少させてるところがあります)。
通常、人は成長するにつれて、子どもの頃のように心底ドキドキしたり、不安になったり、心ときめいたりすることが少なくなってきます。慣れもあるでしょうし、経験の積み重ねにより、「新しい体験・人・場所」というものがある程度予測可能となり、心の準備ができるからもあると思います。
抑制的な気質の人は、慣れることも、不安をコントロールすることも、普通の人より時間がかかるし、人間関係のストレスも大きいのでしょう。
恋する度に、初恋の時と同じような感情になると想像してみてください。毎回ジェットコースターに乗ってるようで、かなり疲れるのではないでしょうか?不安の強い人は、ジェットコースターとまではいかなくても、感情の波のふり幅が大きいのかもしれません。