さらば夏の光(1)

今年のイギリスの夏は、ここ5年間で最も夏らしい天候でした。

昨年までは、子どもが夏休みに入った途端に天気が崩れ、小雨がパラつくさえない日が続くことが多かったんです。そして、皮肉なことに9月に学校が始まると晴れるという…。

今年は夏休み中それほど雨が降らず、特に最後の3週間は晴天が続いて真夏日(最高気温25度以上)も多くありました。自国の天気があてにならないので、イギリス人は夏を求めてギリシャやスペインに行くんですが、今年は国内でも大当たりだったと思います。

夏休みのレポートをしようと思っていたのに、何やら忙しくなってしまい、いつの間にか夏が終わってしまいました…。先週の木曜日の夕方庭で最後のバーベキューをした後、一気に寒くなって今週は秋雨ばかり。

過ぎ去った夏を偲んで、すこしばかり夏の想い出を。

ロンドンの魅力のひとつは、市内に大きな公園がいくつもあってロンドナーの憩いの場となっていること。8つの王立公園を含め、各地区に公園やグリーンスペースがあります。

私の家の近辺にも小さめの公園が3つあるんですが、時間がある時は車でハムステッドヒースに出かけます。320ヘクタールの広大な森林公園に、歴史的な大邸宅ケンウッドハウス(現在工事中)、野外コンサート場、水泳のできる池などが点在。パーラメントヒルからはロンドンを一望でき、素敵なカフェもあります。

誰でも豊かな緑の中でゆったり寛げる--そんな贅沢な公共の空間や施設をヴィクトリア時代から維持・管理し続けているところが、イギリスという国の豊かさであり財産だと思います。世界に知られるギャラリーや博物館も無料のところが多いんです。

8月の終わり、息子と友だちを連れてハムステッドヒース北部にあるケンウッドに行った時の写真です。

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森の入口で(左が息子です)

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広い芝地で凧揚げ

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緑の中のカフェ

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カフェの近くに咲いていたイングリッシュローズ

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コテッジガーデンの緑が爽やか

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愛犬家の社交場でもあります。写真の巨大犬が2匹も走っていてビックリ

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古びたベンチに座ってゆったり

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抑制的な気質(2)

大人になると、真に感動することが少なくなりますが、その代わりそれほと心乱れることなく生活できるようになりますよね--これって、感性が鈍化してオジサン化、オバサン化するってことかな(笑)…。人間も長く生きていると精神的にタフになって、「まっ、いいか」といい加減に済ませることができるようになり、傷ついても立ち直りが速くなってくるのではないかと思います。

この「いい加減さ」というのはバランス感覚の問題で、何でも真剣に考えていたら世の中すごく生き難くなってしまいますよね。生きていくうえで、このバランス感覚というのがすごく大事になってくるのではないでしょうか。

「不安になりやすい子ども=抑制的な気質」と考えると、何事にも慣れるのに時間がかかり、そのために自己評価が低くなる傾向にあると考えられます。傷つきやすい子どもが弱肉強食の社会を生きぬくためのバランス感覚を養うには、やはり社会的な経験値をあげる必要があるような気がします。また、社会的な場面では常に不安がついてまわるので、得意分野で成功体験を積み重ねて自信をつけ、自己評価をあげられるよう、できる限り支援したいものです。

が、これは口で言うほど簡単じゃないですよね。周りの環境や社会のあり方にも、かなり左右されますし…。とにかく、外に出たがらず(家が好き)、集団で行動することを好まない子どもの場合、無理に外に引っ張り出して集団行動をさせてもストレスがたまるだろうし。

まずは、家庭内が楽しくて心休まる場所であることが大切。ですが、心にそう銘じているつもりでも、常にそういう訳にもいかず…時に「マミー、怒らないで!」と子どもに言われて反省する日々なのでした。

ちなみに、私自身もかつてはかなりの心配性でした。友達のひと言を気に病んで、ものすごーく落ち込んだり(当の友人は全然気にしてないことが多い)、学校での発表の前は不安で眠れなかったり…。これは今でもそうですが、神経質な方なので、見知らぬところではなかなか寝つけません。小学校の修学旅行では、確か2泊3日の2晩とも全く眠れず、帰りのバスの中で爆睡。帰宅して布団に入ってから次の日の午後までこんこんと眠り続けた想い出があります(笑)。

自分の気質は幼い頃からそれほど変わったとは思えません。今も神経質なところがあり、傷つきやすい方だと思いますが、昔と比べると立ち直りは随分速くなりました。やはり体験を積み重ねることで、不安をコントロールできるようになったからなんでしょうか。(独り言のようなエントリーですみません)

 

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抑制的な気質(1)

<遺伝的な要因-行動抑制的な気質>のエントリーで、マーキュリー2世さんにコメントをいただきました。場面緘黙と抑制気質の関連については、まだ詳しい調査・研究が行なわれておらず、確実なことはまだ解っていません。ただ、抑制的な気質が緘黙と大きく関わってていることは確かだと思います。

マーキュリー2世さんとやり取りした際に、ケイガンとアシスタント達が行ってきた研究を要約したNYタイムズの記事を見つけました。”Understanding the Anxious Mind(心配性を理解する)”と題され、不安を感じやすい子どもについて、成長にともなう気質の変化について、興味深いことがたくさん書かれています。コメントに書いたことをコピペ(少々変更あり)しますね。

http://www.nytimes.com/2009/10/04/magazine/04anxiety-t.html?pagewanted=all&_r=0

以下は幼い頃不安を感じやすかった人たちは、成人してからも不安への感受性はそれ程変わらないということが記述されている部分です。

People with nervous temperament don’t usually get off so easily, Kagan and his colleagues have found. There exists a kind of sub-rosa anxiety, a secret stash of worries that continue to plague a subset of high-reactive people no matter how well they function outwardly. They cannot quite outrun their own natures: consciously or unconsciously, they remain the same uneasy people they were when they were little.

ケイガンと同僚たちは、神経質な気質を持つ人々は、通常そう簡単には変わらないということを発見した。たとえ外向きにどんなに上手く機能していても、高反応グループの部分集合を苦しめ続ける心配の隠し場所、秘めた不安といったものが存在する。彼らは自分の性質を塗り替えることはできない。意識していても、いなくても、幼い頃心配性だった人たちは大人になってもそのまま変わることはない。

The children tended to get a better grip on their fearfulness as they got older. By adolescence, the rate of anxiety in Kagan’s study subjects declined overall, including in the high-risk group. At 15, about two-thirds of those who had been high-reactors in infancy behaved pretty much like everybody else.

子ども達は成長するにつれ、恐怖感への理解を深める傾向にあった。ケイガンの研究対象だった子ども達の不安度は、ハイリスクのグループを含め、青春期までに全体的な低下を示した。幼児期に高反応を示した子どもの3分の2程度は、15歳になると、ほとんど皆と変わらないようにふるまった。

Most of the high-reactive kids in Kagan’s study did well in adolescence, getting good grades, going to parties, making friends. Scratch the surface, though, and many of them — probably most of them — were buckets of nerves.

ケイガンの研究で高反応を示した子どもの多くは、青春期になると、良い成績を取り、パーティに参加し、友達を作るなど、よくやっていた。しかし、表面を剥がしてみると、(多分彼らのほとんどは)とても神経質だった。

“They don’t like it, but they’ve accepted the fact that they’re just tense people.” Invoking Jungian terminology, he called it the difference between persona (the outer-directed personality) and anima (the inner-directed thoughts and feelings). The persona can be controlled, but the anima often cannot.

「例え好ましくなくても、彼らは自分たちが神経質な人間であるという事実を受け入れていた」。ユングの用語を使って、ケイガンはそれをペルソナ(外向けの個性)とアニマ(内向けの思考と感情)の違いと呼んだ。ペルソナ(仮面)はコントロールすることができるが、往々にしてアニマ(心)はできない。

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この夏13歳になった息子を見ていると、本当にそうだなと感じます。先日、仲の良いグループ(6人)でボーリングに行ったのですが、楽しんで帰ってきても、集団での対人関係や騒音などに対するストレスや不安は未だ健在です。自分の中で不安をコントロールするのが上手くなっただけで、繊細な部分は変わってないようです。(ちなみに、うちの子は私に不安を打ち明けることで、不安を減少させてるところがあります)。

通常、人は成長するにつれて、子どもの頃のように心底ドキドキしたり、不安になったり、心ときめいたりすることが少なくなってきます。慣れもあるでしょうし、経験の積み重ねにより、「新しい体験・人・場所」というものがある程度予測可能となり、心の準備ができるからもあると思います。

抑制的な気質の人は、慣れることも、不安をコントロールすることも、普通の人より時間がかかるし、人間関係のストレスも大きいのでしょう。

恋する度に、初恋の時と同じような感情になると想像してみてください。毎回ジェットコースターに乗ってるようで、かなり疲れるのではないでしょうか?不安の強い人は、ジェットコースターとまではいかなくても、感情の波のふり幅が大きいのかもしれません。

 

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誕生後の1週間

息子が生まれた病院の産科病棟は4人部屋でした。イギリスでは母児同室が普通で、ベッドの枕元にベビーコットが置かれ、母親と赤ちゃんはひと時も離れることはありません。

ということは、誰かの赤ちゃんが夜泣きすると全員起こされてしまう訳です。また運が悪いと、皆が寝静まった後に出産したばかりの母児が部屋に運ばれてくることも…。

すったもんだの末にやっと息子が生まれ、しばし安堵の時間。夫が帰宅し、さあ眠ろうと思ってもなかなか寝付けず、ウトウトすると誰かの赤ちゃんの泣き声で目が覚める、の繰り返し。我が子はというと、ほとんど泣きもせずスヤスヤ眠っていました。

真夜中、「ちゃんと息してるかな?」とコットをのぞいてみたら、息子がぱっちりと目を開けて静かに空を見つめているんです。なんだか思索に耽っているように見え、「えっ、新生児ってこうなの?この子、宇宙人かも…」と、ビビった私でした。

翌朝の朝食は、赤ちゃんを連れて別室へ行かねばなりませんでした。「こんなの日本じゃ考えられない」と思いつつ、キャスター付のコットを押し、自分で紅茶を注ぎ、パンを選び…。トロトロ動いてる私に比べ、片手で赤ちゃんを抱っこしながら余裕で食べてる人もいて、「みんなスゴイ」と感心することしきり。

何人かのママさんから”Your baby is beautiful!”と、嬉しいコメントが。イギリス人とのハーフの息子は、眼が大きくて眉毛がくっきりしていました(現在、ゲジゲジです)。でも、生まれたては「これぞハーフ」という顔だったのに、半月ほどするとしっかり日本の子に(笑)…。

どういう訳か、外人の子どもって生まれたばかりはオヤジ顔が多いようです(ジョージ王子を見てそう思った方も多いのでは?)。それが、数週間すると驚くほど可愛くなるんですよね。

その日の午前中は、母乳指導やら沐浴指導やらがあり、その後同室の皆さんは次々と退院していきました。が、私はどうも体調が戻らないので、もう一晩お世話になることに。

翌日なんとか退院。何だかふわふわするなあと思っていたら、貧血が酷くて3日後に輸血のため緊急入院となったのでした…。息子はというと、新生児黄疸が出てしまい、1週間くらいはずっと眠ってばかり--あまり泣かず、新米母にとってはすごく楽な赤ちゃんでした。

黄疸が治った途端にそれがひっくり返るなんて、思いもよらなかったのです。

 

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誕生

息子は2000年8月に北ロンドンの病院にて誕生。3050gのミレニアムベイビーでした。

高齢初産だったものの、妊娠中は悪阻もなく、血液検査やスキャンでも全く異常なしで、仕事もずっと続けていました。この分なら出産も問題ないだろうとタカを括っていたのです。

が、現実は甘くない。病院の誤診断から始まり、一旦入院したのに家に返され、真夜中に再入院という、ドタバタ喜劇のような序章つきでした。

分娩室に入ってからは微弱陣痛でお産がなかなか進まず、陣痛促進剤を使い、人口破水もしました。が、それでもまだまだ生まれそうにない。

あまりに痛みが酷く、睡眠不足も手伝って体力が限界に近かったので、途中でエピデュラル(硬膜外麻酔)を打ってもらうことに。無痛分娩には反対だったんですが、「あ~、こんなに楽になるなんて夢みたい!」と、医学の進歩に心から感謝したのでした。

結局2本のエピデュラルを打ち、もうすぐ生まれるという段階で、赤ちゃんの回旋異常と心拍数低下の心配を告げられました。「自然分娩が駄目だったら、即帝王切開にします」といわれ、急遽手術室に移動。

手術台の上はシアターライトが煌々と輝き、オペ担当医の他に、担当婦人科医と部下らしき人、麻酔技師やら助産婦やら大勢のスタッフが…。オマケに教育病院だったので、医学生までいました。

しかし、恥ずかしがっている場合じゃない。「ここで産まなかったらお腹を切られる!」と切実な恐怖に襲われ、絶対に自力で産むぞと固く決意。でも、極度に緊張している私の耳に聞こえてきたのは、部屋の隅で準備しているスペシャリストたちの、「今週末テニス行く?」という呑気な会話でした~。

付き添っていた夫はというと、いつの間にか青い手術着と帽子を身につけ、そして何故かサンダル履き!顔は真剣なんだけど、何かちぐはぐ(笑)。

エピデュラルの影響で陣痛が感知できないため、いきむタイミングが解らず、助産婦さんに「波が来たら教えて!」とお願いし、いざ出陣。ほどなくして、息子は鉗子分娩で無事産まれてきてくれました。分娩室に入ってから約16時間、その前のバタバタを計算に入れると、約30時間のドラマでした。

私も辛かったけれど、何だかトラウマになるような誕生だったので、息子にはストレスが大きかったと思います。もしこの体験が息子の気質に影響を与えてしまったとしたら、母親としては大変辛いところです。

 

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時代がもたらす社会的要因(その2)

地方コミュニティの崩壊や時代の変化によって希薄になった人間関係に加え、携帯電話やPCの普及により、相手の顔を見ながら行うコミュニケーションがさらに減少しています。この傾向は、抑制的気質の子どもに限らず、子どもにも大人にも悪影響を及ぼしているように思います。

日本でもそうだと思いますが、イギリスの学校では筆記テストの点数だけが評価の基準ではありません。自分の考えや意見をしっかり伝え、授業やクラスに貢献できるかどうかも成績に響いてきます。特に、国語では「話す」技能を問われます。

緘黙児や大人しい子には、かなり辛い傾向ですね…。

私は昨年冬から、『発音・言語・コミュニケーションの困難を持つ子どもの支援(Supporting Children with Speech, Language and Communication Needs)』という短期コースを受講していました。イギリスではここ5年ほど「話し言葉」の重要性が叫ばれていて、文部科学省が様々な支援プログラムをバックアップしています。

子どもの発音・言語・コミュニケーションのスキルは、他者との交流により、0歳から18歳くらいまで、特定のパターンで発達していきます。これはどの言語でも同じです。

「見て、聞いて、感じて、知る」

「知った言葉を、自分で使ってみて、人の反応を見ながら正しい使い方を覚える」

これを積み重ねて、少しずつ自信をつけ、話し言葉だけでなく社交技術や社会性など、人生において大切なスキルを身につけていくのです。

だから、子どもに一番近い保護者、特にお母さんが子どもに話しかけることはものすごく大切です。携帯やタブレットで息抜きタイムも必要だけど、まだ話ができない子どもだって、お母さんが誰かに挨拶したり、話したりするのを見て、聞いて、感じて、常に学んでいるのです。言葉だけでなく、ジェスチャーやボディランゲージ、顔の表情といった非言語コミュニケーションも。

重要なのは、これらのスキルが、子どもの学習・ふるまい・社会性の発達・情緒の発達に大きな影響を与えるということ。忙しい毎日ですが、家族が一緒に過ごす時間を多くするなど、なるべく子どもと話す機会を多く作りたいものですね。

余談になりますが、バーチャルでの交流もいまや必要不可欠ですよね。書くことで自分の考えをまとめられるなど、利点もあると思いますが、顔が見えないと相手の気持ちや場の雰囲気を察しづらいもの。ネットの匿名性も災いして、エチケット違反も増えてきているような気がします。

 

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時代がもたらす社会的要因(その1)

イギリスで場面緘黙と環境・社会的要因の関係を研究しているのが、ロンドン大学で教育心理学の教鞭を取るトニー・クライン教授です。彼は『Selective Mutism in Children(2003)』の著者のひとりで、SMIRAの全国保護者会でも頻繁に講演しています。

2年前の全国保護者会の講演では、『60年代からの場面緘黙に対する見解の移行』がテーマでした。

その中で興味深かったのは、60年代のテクノロジーの進化による社会の移り変わりについて。クライン教授は下記のようにまとめていました。

  • かつては家庭と地域コミュニティの間に強い関わりや絆があった
  • 家族経営の小さな商店から、人間的なふれあいの少ないスーパーマーケットや大型店への移行
  • 車社会となり、バスや電車に乗る機会が減少。またチケット販売機の普及により、車掌からチケットを購入することがなくなった
  • 家族以外の親しい大人と、日常的なコミュニケーションを取る機会が減少した
  • テクノロジーの発達により、日常生活が様変わりした

これは日本でも同じですよね。都市化と核家族化がどんどん進み、ひと昔前に比べると、人と接したり交流したりする機会がずいぶん減ったと思います。これは新しい場所や人に慣れにくい抑制的な気質の子どもにとって、あまり良い状況とはいえません。

私が小さかった頃は、田舎だったせいもあると思いますが、近所の小学生は戸外で一緒に遊ぶことが多かったように記憶しています。10人くらいのグループで、縄跳びや缶けりなどのゲームをしたり、近くの池に魚釣りに行ったり。

当時は年長の男の子が中心になり、大きい子が小さい子の面倒を見ながら、男女一緒に外を駆け回って遊んでいました。グループ内では皆がそれぞれの性格や特徴を把握していて、強い仲間意識がありました。私にとっては素の自分を出せる場所だったと思います。

帰宅しておやつを食べた後、いつもの集合場所に集まり、誰かのお母さんが夕ご飯に呼びに来るまで遊んでいたような…。雨の日は、近所の女の子の家でお人形遊びにいそしんだものです。

グループの子のお母さんたちは、「○○ちゃんのおばさん」と親しまれ、第二の身内のような感覚でした。母親たちは、自分の子どもでなくても、遠慮なく叱ったり、注意したりしていたと思います。

学校外でも子ども同士の小さな社会があり、地域コミュニティの大人たちともつながっていました。外では大人しかった私も、コミュニケーションを取る機会が多く、自然と社会的な体験を積めていたような気がします。

緘黙児の保護者には、引っ込み思案な人も多いと思います。ひと昔前だったら、地域コミュニティの中で子どもが育てられていた部分もあったのに、今はそういう訳にはいきません。自宅では母親と子どもだけという時間が長いですし。

まあ、何ごとも一長一短で、人間関係が多ければ面倒なことも多いものですが…。引っ込み思案の保護者が、自力で抑制的な子どもの交流関係を広げ、保持していくのは、かなりのストレスではないでしょうか。

 

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環境的な要因

環境的な要因には、家庭環境及び社会的な環境の要因が考えられます。

『場面緘黙Q&A』では、環境的な要因を下記のように説明しており、引越しや入学など、環境の変化による要因も全て含めています。

緘黙の発症にかかわる環境要因は、長期間にわたり継続的、あるいは断続的に影響を与えたものから、ある時期作用したもの、1回の出来事まであり、実際にはそれらが組み合わさっています。環境要因は、子どもの主観的体験がどうだったかという視点で考えることが必要と思われます。

  • 急激な環境の変化
  • 恐怖体験
  • 社会的要因
  • バイリンガル環境
  • まれに不適切な家庭環境

『場面緘黙Q&A』 かんもくネット著/角田圭子編 (学苑社 2008年)より引用

一方、マギー・ジョンソンさんの分類では、環境的要因は子どもの素因的要素に含まれ、環境の変化や恐怖体験などは、引き金となる誘発的要素として分けられています。

1) 素因的要素

  • 行動抑制的な性質(遺伝的&環境的要因
  • 心配性、繊細(神経質)、完全主義的な傾向
  • 家族や親戚に内気な人や場面緘黙だった人がいる
  • 不安障害など、家族に心理的な病気を抱える人がいる

 2)   誘発的要素(引き金となる要因)

  • 入学や入園
  • 別離や事故などの出来事やトラウマ
  • 引越し
  • 社会的/文化的な違いに関する気付き
  • 言語の遅れに関する自意識の芽生え
  • 他の児童からのからかいなど、否定的なリアクション

ここでは、狭い意味で「素因的な要素」としての環境的な要因をあげてみたいと思います。

  • 家庭内に内気な人が多く社交的ではないため、人と接する機会が少ない
  • 親戚縁者や友達との付き合いが少なく、親しい大人や子どもが少ない
  • 園や小学校に入る前に、児童館や公園などで他の子どもたちと接する機会が少なく、子ども同士の交流に慣れていない

大人や子どもに接する機会が少ないから緘黙になりやすいという訳ではありません。が、抑制的な気質の子どもは新しい人や環境に慣れにくいという特性を持っています。自分から話しかけたり、集団の中に入っていくのが苦手な子が多いのです。そのため、入園や入学、引越しといった環境の変化が、大きなストレスになります。

抑制的で引っ込み思案な子どもには、幼い頃から同年代の子と遊ばせたり、小グループの活動を体験させるなど、子供同士の交流や人に会う機会を多くしてあげることが大切ではないかなと思います。園や小学校に入る時、同じクラスに仲良しや知り合いの子がいれば、新しい環境から受けるストレスを少しでも和らげることができるのではないでしょうか。

 

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北ウェールズのコテッジホリデー

暦のうえでは既に秋ですが、日本はまだ残暑が激しいようですね。イギリスは今週から天候が崩れて、もう秋の気配が感じられます。

うちの家族は夏休みと息子の誕生祝いをかねて、先週の土曜日から北ウェールズに来ています。Gwaenysgor(ウェールズ語なので何と発音するのか分からない)という小さなな村でコテッジを1週間借りて、そこをベースに車であちこち名所を訪れたり、近くの海で遊んだり。

コテッジにも、村に1件だけあるパブにもWifiがないので、インターネット無しの健康的な生活(笑)。一日に一度は降る雨の合間を見ながらの、ちょっと肌寒い夏休みを楽しんでいます。今日は近くの町のマックでやっとネットに繋がることができました。

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一番近くのプレスタティン(Prestatyn)という海辺の町へは、車で曲がりくねった急勾配の坂を下って5分ほど。村はイギリスとウェールズの旧国境沿いを走るウォーキングの名所、オファズダイク(Offa’s Dyke 269km)の通り道にあります。コテッジから牛がいる牧草地を抜け、めちゃめちゃ狭くて険しい小径に沿って丘を下ると、コルウィンベイへと続く浜辺が一望できます。

IMG_1727 日曜の朝、お散歩気分でハイキングに出かけたものの、こんなに岩だらけで狭い崖の径だとは露知らず…。行きは下り坂でまだ良かったんですが、帰りの上り坂が辛い。日ごろの不摂生がたたってゼイゼイ息切れしている私をおいて、夫と息子はどんどん先に行ってしまうのでした(薄情者!)。途中、本格的な登山の格好をしたハイカーとすれ違いざまに、石に躓いてベシっとこけ、最期は息子に手を引っ張られて、やっと崖を登りきりました…。

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     途中にあった炭鉱用の洞穴。やっぱりスニーカーでウォーキングは無理っぽいです

私たちが借りているコテッジは、19世紀に炭鉱夫の家族用に造られた家なのだとか。1階には居間とキッチン、庭側にサンルームが増築され、急な階段を上った2階に寝室が2つとバスルーム。実はこのコテッジ、2軒に分かれていたのを壁を壊して1軒にしたんだそう。居間とキッチンはそれぞれ4mx4m弱くらいなんですが、当時は各1室がキッチン兼居間で、それぞれの家族が生活していた訳です。外に出ると広々とした牧草地が続くのに、何故にこんなに小さな家を建てたんでしょう??日本の貧乏長屋と同じ原理かな。

IMG_1697    サンルームの特等席

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お日様が顔を出すと、山も海もきれい

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友達のブランド  “grace doue fleur”

昔ロンドンでハウスシェアをしたことがあるデザイナーの友達が、来週14日(水)から19日(月)まで日本橋三越で展示販売を行うことになりました。

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彼女のブランド “grace doue fleur” は、大人の女性のためのフレンチカジュアル。花モチーフやレースをあしらったナチュラルテイストの洋服、帽子、バッグ、ストール、コサージュなどを展開しています。

横浜のアトリエで手作りしているアイテムは、殆どが一点ものです。色、素材、シルエットのバランスにこだわって、ひとつひとつ愉しみながら作っているそう。大人かわいいデザイン、上質な素材感、そしてハンドメイドの温かみが魅力だと思います。(上記の写真は過去の作品です)

日本橋近辺まで行かれることがあったら、足を延ばしていただけると嬉しいです。

場所は新館8階のギャラリーアミューズです。ちょうど同時期に、階下の7階では刈谷崎省吾さんの花展も開催されているみたい。

詳細はこちら、

http://www.mitsukoshi.co.jp/store/1010/event10.html

今年は千年猛暑といわれているらしいですね。灼熱の東京でのショッピングって大変そうですが、駅構内や電車内、店舗内は当然冷房完備なので、ショッピングで涼めますね。

気温が30度を超える日がそれほどないロンドンでは、まだ冷房装置をつけていないお店やカフェもいっぱいあります。最近になって、やっと地下鉄車両に冷房が導入されつつあるところ。この間ちょっと暑い日に地下鉄に乗ったら、汗だくになってとっても不快でした~。構内に入った途端に熱風がむあっと押し寄せ、車内は人の体温も加わってじっとり….。バスも冷房搭載中ですが、2階部分のみだし、まだまだ改善の余地がいっぱいありそう。

 

 

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