息子の緘黙・幼児期3~4歳(その2)

前回のエントリーで書き忘れてしまったのですが、3歳児検診のチェック項目の「排泄」について。息子のトイレトレーニングがいつ完了したのか忘れてしまったものの、そんなに苦労した記憶はありません。幼稚園では子どもが自分でトイレに行くという規則があり、3歳の誕生日前にはちゃんとオムツが取れていたような…。夜だけオムツの期間が少しありましたが、それも割と早く卒業できました。オネショをしたことも数えるくらいしかなく、その点はとても楽だったと思います。

今考えてみると、昔から潔癖症のところがあり、濡れる感覚が嫌だったんじゃないかなと思いあたります。ちょっと袖口が濡れただけでもすごく気にする性格で、小学校4年生くらいまでは水に濡れる遊びを極力避けていました(プールは除く)。これではいかんと、家の庭で私と水鉄砲を打ち合う練習をし、めでたく濡れても大丈夫になりました~。

息子は赤ちゃん時代にアトピーに苦しんだこともあり、肌もとても敏感です。2歳になる前、友達にならって上半身裸で遊ばせたところ、それほど陽に当たってないのに背中がアセモだらけに…。3歳で里帰りした際も、9月中旬というのにアセモに悩まされました。

着るものについても色々難しく、襟がついている服は頑固に拒否。ずーっとコットン100%のTシャツ派だったため、ジュニアスクール(7~11歳)の制服がポロシャツと化学繊維100%のパンツと知って焦りました。が、一度着てみたらいたく気に入ってしまい、それ以来襟付きのシャツを好んで着るようになったのでした…。この激しい変化は一体何だったのか、とても不思議です。

味覚も鋭敏で、昔は食べられないものが結構ありました。が、14歳の今では、大根も、コンニャクも、アンコも大好きに。食べられないのはアボカドくらいのもので、同年代のイギリス人と比べたら味覚の幅がとても広いと思います(日本の食文化のおかげかも)。

それから、里帰り時には癇癪をおこすこともなく「社交的」といえるくらいだったんですが、帰りのヒースロー空港で忘れられない事件が起きました。長旅であまりにも疲れていたため、私がうっかりしていて、息子のお気に入りの玩具が入った小さなリュックをトローリーのフックにかけたまま…。自宅に戻って、「あれっ、リュックは?」と思い出した頃には、もう時すでに遅し。

翌日から、「マミー、地下鉄はどこ?」「ジャガーのオープンカーはどこ?」と息子の癇癪の嵐!! お気に入りのミニカーと電車をごっそり無くしてしまったため、途方にくれました—-買いなおそうと思っても、同じ模型が売ってなかった!

隣町まで行ってやっとロンドンの地下鉄を手に入れると、即座に「ユナイテッドエアラインの青い電車は?」と突っ込んでくるので、困り果てました…。その責めとツッコミは半年以上続き、「いつまで覚えてるんだ~!3歳児ってこんなに記憶力がいいの?(これらの玩具限定)」とゲッソリしたものでした。

「働く車」から始まって、息子は本物に近い作りのミニカーや電車模型に夢中でした。一応『トーマス』も好きでしたが、小さな頃からトーマスシリーズよりも、本物の地下鉄や電車の模型を欲しがるのです(トレーン社のNゲージ鉄道模型のコレクションはまだ手放していません)。

幼稚園に通う道すがら、遠くにある車の形を見てメーカー名と車種名を言い当てるのが日課という…とてもマニアックな子どもでした。そのおかげで、車に全く無知だった私も、少し車種名が判るように。仲の良かった日本人の友だちはトミカに入れ込んでいて、息子よりもっと知識が豊富だったような。彼は国旗を見て国名を言い当てるのも大得意で、地理が苦手な私は舌を巻いたものです。

子どもってすごい!好きってすごい!

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その1)

 

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息子の緘黙・幼児期3~4歳(その1)

 

息子の3歳の誕生日は夏らしい好天に恵まれました。自宅の小さな中庭に遊具を並べ、気心のしれた友達7、8人とママ達を招いて午後の誕生会。リラックスして楽しい時間を過ごすことができました。

9月から新年度が始まると、一番仲良しだった日本人の友達がフルタイムで幼稚園に通いはじめ、平日いっしょに遊べなくなってしまいました。プレイグループには引き続き週3回ほど通ったものの、親しい子たちが入園してゴッソリ抜けてしまい、遊び相手不足に…。

イギリスでは公立の幼稚園は3歳から、小学校は4歳から(学年内に5歳になる子ども対象)です。なので、息子自身も入園する年齢だったのですが、息子の幼稚園は誕生日が早い順から1週間に2名ずつ入れていくという方針。8月中旬生まれの息子の番が来るのは、10月中旬と一番最後なのでした。

入園までの時間がぽっかり空いてしまったため、9月のはじめに予定されていた3歳時検診を済ませた後、私と息子だけで1年半ぶりに日本に里帰りすることに。

3歳児検診ってどんなことしたんだっけ、と母子手帳を調べてみると…

  1. 粗大運動
  2. 微細運動
  3. ことば/言語
  4. 行動
  5. 排泄

発達のチェックポイントは上記の5項目。優しそうな女性の小児医さんに誘導されて、歩いたり、ホップしたり、丸などの形を真似して描いたり。個室だし、私が一緒で安心できたのか、臆することなくすんなりこなした記憶があります。手帳には、すべて年齢に見合った発達に○がつけられていました。

ことばの発達については、当時息子は90%くらい日本語で話してたんですよね…。検査では医師の質問を私が和訳して息子に訊き、その答えを英訳して伝えるという。この年齢だと3語以上の文章で話す時期ですが、「こんなんでちゃんと判るの?」と疑問に思いました。

でも、私が心配していたのは言葉の発達よりも、息子の引っ込み思案な性格でした。新しい環境に慣れにくく、新しいことにチェレンジするのを躊躇し、慣れた玩具や遊びを好む傾向が強くなっていたからです。女医さんの「何か困っていることはある?」という問いかけに、こんなに引っ込み思案で大丈夫なのか相談しました。

その頃、BBCテレビで『Child of Our Time』という人気番組シリーズを放送していました。2000年にスタートしたこの番組は、ミレニアムに誕生した25人の子どもの成長を、20年かけて追跡調査していくというもの。子どもの性格や社交性にスポットを当てた回で、専門家が「幼児期に形成された性格や社交性が大人になっても続く」というようなことを話していたため、「この子はずーっと引っ込み思案のまま?」と、めちゃくちゃ気になっていたのです。

うろ覚えなのですが、女医さんからは心配し過ぎないなよう言われたような。母子手帳の備考のところには、「大人しいけれど、能力はちゃんと持っている」とあり、その後に「社会的には引っ込み思案」との記述…。ちなみに、当時から痩せぽっちで体重は14キロ弱でした。

さあ、次は日本まで飛行機の長旅です!息子の初めての里帰り(息子の緘黙・幼児期1~2(その3))では、スチュワーデスさんに驚かれ、他の乗客に「可哀想なくらい泣いてたね~」と声をかけられるほど超大泣き…。今回は主人はいないし、私一人でどうしたものかと、乗る前から戦々恐々としていました。

息子のお気に入りの玩具、お菓子、絵本、食料品など、思いつくものを全部バッグに詰めこみ、イザ搭乗。すると、成長したためなのか、驚くほどスンナリと順応(?)できたのです。

まずは、キッズセットを持ってきてくれたスチュワーデスさんに笑顔で挨拶し、褒められるという幸先のいいスタート。もらった玩具で遊んだり、持参した絵本を読んだり、アニメ映画を観たり。キッズミールもちゃんと食べることができました。1歳半の時のように、機内を行ったり来たりすることはなかったのですが、よく喋って何だかハイテンションだったような…。静かになったなと思ったら、いつの間にか眠ていて、嬉しい驚き!(以前はこういう状況ではウトウトするだけでちゃんと眠れず、疲れて泣き叫ぶというパターンだった)

着陸時にはやはり耳が痛くなって泣きましたが、予め飴を舐めさせておいたためか、先回と比べたらもう楽勝という感じ!着陸後に、何故かはしゃいで足で前の席をぐいぐい押すというエピソードも。その席に座っていた年配の女性にお詫びすると、「(子どもは)おひとり?」と訊かれ、「はい、そうです」と答えたら、「やっぱりね」と言われてしまいました…。ひとりっ子なので甘やかしていると思われたんでしょうね。

故郷で初めて会った人達にもとても愛想が良く、3歳になって成長したんだなと感激。ただひとつ気になったのは、教師をしていた父親に「この子は日本語ばかりだけれど、幼稚園で困るんじゃないか?ちゃんとイギリス人として英語で育てたほうがいい」と言われたことでした。

私は幼稚園に入ったら英語ばかりだから、自然に話すようになる。そんな環境で日本語をキープできるよう、幼稚園でも日本人の友だちができるといいな、などと気楽に考えていたのでした。

 

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電話を使った緘黙克服プログラム

 

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』は、今回でやっと終わりです。最後に、ティーン&大人のための電話を使った実用的なプログラムが紹介されています。このプログラムだったら、支援者は祖父母や叔父叔母といった親しい親戚や友達でも大丈夫そう。2010年にイギリスで放送されたBBCのドキュメンタリー番組『My Child Won’t Speak』では、マギーさんのアドバイスにより、緘黙の少女レッドと祖父の間で行われ、かなりの成果をあげていました(番組内では直接話すまでには至りませんでしたが)。試してみる価値は大いにあると思います。

《緘黙に苦しむ小学校中・高学年&ティーンへの支援》

場面緘黙アドバイザリーサービス 言語療法士マギー・ジョンソン著/ ケント州コミュニティヘルスNHSトラスト

内容の著作権はマギーさんに属しますので、この記事の転記や引用は固くお断りします。なお、年が上の子どもへの支援は、緘黙支援のバイブルと呼ばれるマギーさんとアリソン・ウィンジェンズさんの著書『場面緘黙リソースマニュアル(Selective Mutism Resource Manual Speechmark社)』の第二版(2015年春/夏出版予定)に新項目として掲載される予定です。

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その16)

話すことへの恐怖を克服する6つの戦略

  • 新たなスタートを切る(転校や進学、新しい習い事を始めるなど新たな環境へ)
  • 認知行動療法(CBT)
  • 不安の生理学を理解する – 心拍数を減少させるための深呼吸、硬い姿勢から力を抜き、身体の緊張を緩める体操など
  • スライディングイン手法  (話せる人とのセッションに、段階を踏んでひとりずつ話せない人を加えていく手法: 親戚にも効果があります!)
  • 子どもからのパーソナルメッセージでクラスメイトや同級生の理解を仰ぐ – 音声録音やビデオ、手紙などを使用
  • コミュニティ内で見知らぬ人と話すことを目標にする(子どもの不安度とリンクさせて) — 人がいるところで聴こえるように話したり、電話で話すプログラムから始めること

みく注: 緘黙を克服していく・支援していく前に、まず長期戦になることを肝に命じておきましょう。長年話せなかったのだから、やっと声がでるようになっても、クラスメイトとの会話のスピードや話題にうまく乗れないかもしれません。例えば、楽器をやったことがないのに、いきなり曲を演奏できないのと同じことです。とにかくメゲずに、自分のペースでコツコツと進むことが大切かと思います。学校では話せなくても、普段から安心できる場面でたくさん話をしたり、何かにチャレンジしたりするよう心がけましょう。家族は、子どもの好きなこと、やりたいことなど、安心して楽しく過ごせる時間を過ごせるように協力できるといいですね。

抑制的な気質の子どもはひとつの環境に慣れるのに時間がかかります。例えば、夏休みあけはクラスの空気にすぐ馴染めないかもしれません。そんな時には、進歩するどころか後退することもあり得ます。また、人の何気ない言葉や行動にひどく傷つき、元に戻ってしまったように見えることもあるかもしれません。そういう時のために、頼りになる支援者がずっと見守ってくれると心強いですよね。ただ、日本の学校にはTAがいないため、誰に支援者になってもらえばいいのか、難しい問題だと思います。児相や病院でも、毎週プログラムを組んで規則的なセッションするのは難しそうだし…。ひとつの手としては、家庭教師的な存在に家に来てもらい、一緒に勉強しながら少しずつ話せるようにしていくというのがあるかもしれません。

緘黙のティーンと大人のためのプログラム: コミュニケーションに対する自信を培う

見知らぬ人と話す:第一段階

  1.   電話で 自動音声に応答する
  2.   電話で 実際の人物に話す
  3.   実際に 顔を合わせて話す

このスモールステップを使ったプログラムで、緘黙の大人が私(支援者)と顔を合わせて会話できるようになりました。更に、プログラムを推し進めた結果、初めて地元の人と話すことにも成功しています。

1) 支援者の携帯電話にメッセージを残す

  • それほど不安にならずにできるようになるまで練習する
  • 「こんにちは」など一言 → 文章を読む → 一日の出来事を話す と徐々に難度をあげていく
  • 私(支援者)は聞いていないので安心すること

2) 電話の自動録音プログラムを用いて、実際に相互的な会話の練習をする

  • 不安(と呼吸数)を抑える傍ら、会話を繰り返して話すスピードや声の大きさを改善していく

3) 支援者が聞いていることを知りながら、支援者の携帯電話にメッセージを残す練習

4) 事前に決めた時間内にメッセージを残し、メッセージを話し終えた時点で支援者が電話に出て、そのメッセージについて質問をする練習

5) 4)の質問に応えることができたら、支援者はあと2、3問の質問を追加する

6) 5)の後、緘黙の子ども・大人が支援者に質問をする

7) 事前の打ち合せなしで5)~6)を繰り返す

8) 数週間おいて7)を試す

9) 実際に会う — 子どもが支援者に写真を見せ、支援者がそれについて質問する

10)他の人と1)~9)までを繰り返す(回数を重ねるごとに容易になる:「こんにちは」から始めても、時間をかけずにメッセージを残し、顔を突き合わせて話せるようになる

みく注:残念ながら、いただいた資料には第一段階の説明しかありません。でも、これだけでも顔を合わせて話すいい練習になると思います。

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マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その15)

 

 

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カタツムリとの闘い 

5月も今日でおしまいです。5月最初の週末、久しぶりに主人と散歩に出かけ、帰りがけにガーデンセンターでクレマチスを買いました。というのも、昨年すくすくと蔓を伸ばしていた淡いグリーンの八重咲きが、どういう訳か途中で折れて枯れてしまったからでした。

今回選んだのは、剪定が簡単で手もかからないクレマチス・アルピナ。マクロペタラという名のモーヴ系ピンクの花は、切り花にもうってつけの感じ。よくばって蕾がたくさんついたのを購入し、1本だけ伸びていた蔓をフェンスに這わせることにしました。

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で、翌朝見てみると、蔓の先っぽの新芽がナイ!あれっ?? でも、蕾だった花が咲き始めて、なかなかゴージャスです。

2日目の朝、新芽の横についていた葉っぱもスッカリなくなり、やっとのことで「あ~、虫に喰べられたぁ!」と気づいたのでした。しかし、他のクレマチスは全く大丈夫なのに、なんで新しく購入した花だけが??

IMG_6285せっかく伸びはじめた蔓が、こんな姿に…

どうやら犯人はカタツムリ、もしくは私の大嫌いなナメクジらしい…(よく考えてみたら、昨年枯れてしまったクレマチスもカタツムリにやられたんですね)。急いで土にまく粒上の駆除剤を買いに走り、ネットで「カフェインを嫌うから紅茶をまくと良い」というアドバイスを見つけて、さっそく実行。よせばいいのに、上からたっぷりかけてしまいました。

翌朝、おそるおそる庭に出てみると、ひょえ~っ!地面には大きなカタツムリ3匹と小さなナメクジが2匹、そしてフェンスには3cmくらいの茶色い毛虫が…!背中にゾゾっと悪寒が走りましたが、なんとかせねばなりません。夫と息子は朝の支度で忙しく、すぐ来てくれそうにないし…。仕方なくキッチンから長めの割り箸と袋を持って来て、虫たちを箸でつまんで袋へ。

「私の大事なクレマチスが~!」と、息子に訴えたら、「マミー、自然のままにすべきだよ。虫も生きなきゃいけないんだから、自然淘汰だよ」と…。小学校の頃からエコロジーやフェアトレードを教え込まれているせいでしょうか?とっても冷たい答え。でも、頼みこんで虫入りの袋だけは外のゴミ箱に捨ててくれました。

それからは、あらかじめ割り箸と袋を持って庭に行き、カタツムリ+αの袋詰めを外のゴミ箱に捨てる毎日です。雨が降ると、10匹以上の収穫(?!)があるんです~。もしかしたら、芽を食べてしまったのはケムシかもと思い、ケムシを退けるという白い粉の除虫剤も購入。花が咲き終わったクレマチスの葉っぱに、いっぱいふりかけたのでした。

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5月中旬には天候が崩れて、いきなり霰が降りました~

蔓の芽を喰べられ、全体に紅茶と白い粉を振りかけられた可哀想なクレマチスは、なんとなく茶色っぽくなり、急速に元気をなくしてしまいました…。終わった花を全部カットして、肥料を少しあげたんですが…。

カタツムリとの格闘に入ってから2週間半ほど経過しましたが、葉っぱだけになったクレマチスは元気のないまま。でも、よ~く見たら硬い木の部分から、小さな芽が出ているのに気づきました。葉っぱだけ?それとも蔓になる?

それを確かめる前に、息子のハーフターム(1学期の中間休み)がやってきて、義母が手を負傷したとSOSが。息子と一緒に1週間夫の実家に滞在することになりました。

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義母はガーデニングが趣味なので、広い庭は花盛りでした

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これはチャイブの花

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窓辺のイングリッシュローズ、ジェネラスガーデナーは今年も元気。今日一番花が開きました

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昨日は天気が良かったので散歩に出かけ、義母に野の花をプレゼント

夕方、ロンドンに戻ってきたら、夫が水やりを忘れたため窓辺の4つの鉢うえのうち、3つが枯れていました…。中庭の花にはタップリ水をやってくれたらしいんですが。

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ビオラさん、さようなら…

そして、気になっていたクレマチスを見に行くと、1週間の間に紫陽花のアナベルが勢いよく伸びて、今度は陽が当たらないという問題が出てきそうな…。

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1週間前に見つけた芽はちゃんと葉っぱに育っていましたが、蔓ではないみたい…。今日はカタツムリが3匹。闘いはまだまだ続きそうです。

 

 

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学校での支援体制

昨年から途切れ途切れに掲載してきたマギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンへの支援』も、あと2回ほどでおしまいです。マギーさんが所属するケント州のNHS(国民保険サービス)トラストでは、この支援が大きな効果をあげているよう。支援者が専門家に相談できるシステムが整っているのが、何といっても強みといえます。イギリスでも住む場所によって支援サービスが全く異なるため、マギーさんのいるケント州やSMIRAのあるレスター州を羨む保護者が多いのが現状です。

《緘黙に苦しむ小学校中・高学年&ティーンへの支援》

場面緘黙アドバイザリーサービス 言語療法士マギー・ジョンソン著/ ケント州コミュニティヘルスNHSトラスト

内容の著作権はマギーさんに属しますので、この記事の転記や引用は固くお断りします。なお、年が上の子どもへの支援は、緘黙支援のバイブルと呼ばれるマギーさんとアリソン・ウィンジェンズさんの著書『場面緘黙リソースマニュアル(Selective Mutism Resource Manual Speechmark社)』の第二版(2015年春/夏出版予定)に新項目として掲載される予定です。

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その15)

4. 家庭と学校の協力的な環境

学校職員全体の教育を

  • 個別教育プラン(Indivisual Educational Plan)の作成(定期的に見直し、ターゲットを更新)
  • リスク要因も含め、職員会などで子どもについて話し合う
  • 場面緘黙のDVD(『場面緘黙へのアプローチ』など)を利用し、関係者の理解を深める
  • 支援原則を学校全体に浸透させる — 最初は言語コミュニケーションへのプレッシャーを取り除く(話すことを期待せず、機会として捉える)
  • 全ての活動に参加させる
  • ひとりの支援者が継続して関わり、言語による参加を徐々に増やせるようコーディネートしていく

主となる支援者/学校職員をひとり決める

  • 緘黙の生徒と定期的にコミュニケーションを取る(直接的/間接的)
  • クラスの状況を監視する
  • 子どもの不安度(快適度)を確認
  • 職員間で支援策を決め、協力しながらそれぞれが貢献していく

学校での基本的な方針

  • 必要であれば、1対1もしくは小グループで話す機会を設ける
  • 学校内に安心できる場所を与え、ランチタイムや休み時間に孤立しないようにする
  • 苛めがないよう徹底管理する(生徒が報告するまで待たない)

みく注: 通常、支援プログラムは学校もしくは家庭で行います。実際にはとても難しいですが、プログラムを始める前に、まず子どもを取り巻く学校と家庭での環境 — 対人関係はもちろん、授業や休み時間に不安なく過ごせ、家庭ではリラックスできる環境を整えておくことが望まれます。特に、思春期の子どもは傷つきやすいため、予め子どもにどのように対処して欲しいかをきくことも大切ではないでしょうか。

緘黙が起こる主な場所、学校の環境は本人にとって死活問題。頼れる大人がいて、自分の教室以外に逃げ場があると随分違うと思います。ただ、緘黙児は自分から動くことが難しいので、声をかけたり、誘導してもらえると心強いかも。また、先生全員に子どもの特徴や支援策を知らせ、学校全体で取り組むことも大切ですね。中学校以上だと科目によって担当教師が変わり、より多くの先生と接することになります。それぞれの先生が子どもに対して一貫した態度・支援方針を取ることが、子どもの心の安定に繋がるかと思います。

公的な試験に際して

  • 試験をする際の配慮

緘黙の子どもは、試験時間の延長(うまくできるか/間違えるかもという不安からスピードが落ちるため)、及び普段教室で使う用具や学習環境、特別教育プラン(IEP)に記されている用具等の使用を認められる権利を持つ

(例)

  • 録音やビデオの使用
  • 小グループ、または単独試験官による試験
  • 外部の試験管でなく、馴染みの先生による試験

みく注: 症状が場面緘黙のみだと、イギリスでも試験の際の特別な配慮は困難です。例えば、ディスレクシアなどの学習障害を抱えている場合は、特別な用具の使用などが認められやすいのですが…。長期間緘黙が続いている子どもの中には、問題を解くスピードが遅かったり、動作自体が鈍かったりする子もいるようですし、実技や口頭試験が難関となることも多いでしょう。他の子どもとのかね合いや学校の方針もあるでしょうし、とても難しい問題だと思います。

次の段階(中学、高校、大学、専門学校、就業研修など)への計画的な移行

  • 新しい環境に慣れるための準備
  • スタッフの教育
  • 家庭訪問の回数を増す(相互協力 ― 3月に新担当者が学生を訪ねることを検討)
  • 16歳以上の子どもには、将来にむけた計画を立てる

専門家間のネットワーク

学校/家族用に個別教育プラン(IEP)の評価ミーティングをする際、言語聴覚士や教育/臨床心理士などの専門家を交えるとより有効

  • 支援活動をうまく持続するため、目標ターゲットや戦略を定期的に見直し、更新することが不可欠。記録を取る係を決めておくこと
  • 通常アセスメントのフレームワーク(CAF)または(教育的ニーズの)ステートメント
  • 16歳以上の子どもに対する特別支援
  • 関連チャリティ団体へのアクセス

みく注: 日本では特別支援制度がどの程度浸透しているのか私には判りませんが、IEPを作成して関係者が定期的に会合するというところまではいってないのでは?(文部科学省のサイトで、平成19年度に作成された「特別支援教育の推進について(通知)」を見つけました。基本的には、個別指導計画(IEP)の作成を推進しているようですね。 

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/07050101.htm)。

イギリスでも学校によって緘黙児に対する支援の体制・程度は本当にまちまちです。ただ、特別支援の対象になれば(通常は何か問題があれば、診断が下りてなくても対象になります)IEPの作成が義務付けらるため、何らかの支援は受けられるはず。また、保護者が関わることによって、SENCO(特別支援コーディネーター)と担任との連携も強くなるような気がします。緘黙児は問題をおこさないため放っておかれがちです。また、緘黙期間が長ければ長いほど、担任も保護者もどうにもできないと思いがち…。保護者から学校への働きかけが必須になるかもしれません。

 

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ひと足遅れの花便り

4月上旬に日本から戻ってきたら、知らないうちに中庭の植物たちがぐ~んと成長して、緑いっぱいになってました。全く手入れせず、肥料もあげてなかったのに、植物って健気ですね。

バタバタ忙しくしている内に季節が駆け足で過ぎてしまいましたが、今年の春の風景を少しだけおすそ分けします。

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4月中旬の日曜日の夕暮れ、家に帰る道すがらふと空を見上げると、まだ青い空に薄い月が出ていました。散りかけの桜の大木の下を通ったら、冷たい風とともに花びらがはらはら。

IMG_20150428_193059偶然桜の花吹雪みたいな写真が

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     今年はぼんぼりのように咲くロンドンの八重桜の季節を見逃してしまったよう…。でも、代わりに知人宅でりんごの花を満喫しました

うちの小さな中庭で一番早く花を咲かせるのは、フェンスいっぱいに蔓を巻きつけているアケビの花。今年は、その蔓にアルピナ系のクレマチスも加わりました。実は、タグの写真についていた葡萄色の小さな花が気に入ってアケビとは知らずに苗を購入し、後で「フェンスにあの不思議な実がいっぱいぶら下がる?!」と後悔したのです。でも、4年経っても一度も実をつけません(ほっ)。

IMG_6273目を凝らすと、濃い臙脂色のアケビの花も見えます

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アケビというのは不思議な植物で、ひとつの株に雄花と雌花が別々に咲きます(雄雌同株)。写真の大きい方の花(実際は萼)が雄花で、右側の小さいほうが雌花。昆虫によって受粉するらしいのですが、うちの庭では4月に蜂は見たことないし…。

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昨年植えた白い花たちが一気に増えてました。花にも本当に色々な個性がありますね。

 

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『私はかんもくガール』―場面緘黙児のなんかおかしな日常って?

今年2月に出版されたコミックエッセイ『わたしはかんもくガール』(合同出版社)は、元緘黙児でイラストレーター&2児の母親でもある、らせんゆむさんの作品です。(実は、私も帯のお手伝いさせていただきました)。

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もう読まれた方も多いと思いますが、今さらながら感想を。まず最初に思ったのは、やはり日本のコミックカルチャーはすごい!ということで、文字だけだと判りにくい緘黙児や抑制的な気質の子どもの気持ちや態度、表情などがつかみやすいですね。苦悩の末、どんな風に緘黙を克服し、後遺症と戦ったかをユーモアたっぷりに綴っています。

らせんさんが緘黙になったきっかけは、幼稚園に入園したこと。初めての公の場で緘黙になる子どもは多いですが、それ以前の3~4歳の段階で自ら「外ではしゃべらなくていい」と決心するなんて…とても早熟で利発な子だったのでしょう。そして、とても感受性が高かったんじゃないでしょうか?それゆえに、家庭環境からの影響も強く受けただろうと想像されます。

私は所属しているTAエージェントでも、ボランティアをしていた特別支援校でも、愛着論理(Attachment Theory)の研修を受けました。乳・幼児期に少なくとも一人の養育者と親密な関係を維持できないと、子どもは社会的・心理的な問題を抱えるようになるというものです。Wikiの愛着論理の説明: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E7%9D%80%E7%90%86%E8%AB%96

両親が喧嘩をしていると、子どもは自分のせいではないかと不安になります。その上、無条件で愛してくれるはずの母親が、時として自分を否定するような言動を取るというのは、めちゃくちゃ辛くて混乱することだったに違いありません。

軽妙なタッチで描かれていますが、緘黙と家庭での問題がダブルでのしかかり、それを自分だけで克服していくのは本当に、本当に大変だったと思います。

学校で話せない緘黙児は、同世代の子ども達や大人とコミュニケーションを取ることが難しく、社会的な体験を積む機会が失われがち。学校は子どもが社会性を培い人格を形成していく集団生活の場でもあるので、長く緘黙していると社会性の発達に支障をきたし、いわゆる「後遺症」が残ってしまいます。ちなみに、緘黙に限らず、話し言葉、言語、コミュニケーションに難しさを持つ子どもは、心理的・社会的な問題を抱えやすく、その影響が態度やふるまいに反映される傾向が強いようです。(2年ほど前、『Supporting Children with Speech, Language & Communication Needs』というコースで学びました)。だからこそ、家庭が安心できる場であり、のびのびと過ごせる環境であることが望まれます。

ゆむさんは社会人になってうつ状態になった時、自らクリニックに通い、たくさんの本を読んで思考を転換する強さを持っていました。そして、「母も母なりにしんどかったんだろうなあとは思う」、お父さんと旅行した際「初めて父の心境や苦労を聞けた」と、不安や怒りを浄化し、過去を受け入れて親に思い遣りを持つまでに自分の気持ちを整理できたよう。すごいことです!

ゆむさんを支えていたのは、「好きなこと」で培った自信だと思います。「やりたい」ことへの情熱と追求心は半端なく、苦境を創作意欲に変えてきた面もあったでしょう。もともと才能があったところに、努力を積み重ねて希望する職業に就き、色々な人と関わって自信をつけていった結果、緘黙もうつも克服できたのではないでしょうか。

「好きなこと」「得意なこと」の力ってすごいなと、改めて思いました。

それと、私も母親なので、読んでいてお母さんのことが気になりました。彼女は彼女なりに娘のことを愛し、心配していたのではないかな?好きな習い事を続けさせたり、美術系の高校に進学させたり、ゆむさんの個性を尊重し才能を認めていたと思います。ただ、自分が問題に直面すると、その不満のはけ口が自分より弱い存在である子どもに向かってしまった…特に攻撃しやすい対象だった長女のゆむさんに…。

そういう私も、時々息子に怒りを爆発させてしまいます。何かにつけて慎重な性格なので、「早く!早く!」とガミガミ急がせることもしょちゅう…注意しないといけませんね。緘黙支援をしている時、子供や自分のことで悩んでいる時、のめり込んでしまってどうしても視野が狭くなりがちかと思います。母親にも話し相手や息抜きがとても大切ですね。

*ここ数日間サーバーがダウンしていて、ブログへのアクセスができない状態でした。もしアクセスしてくださった方がいらっしゃったら、どうもすみませんでした。

 

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緘黙児と習い事-うちの場合

緘黙児、というか抑制的な子どもにとって、好きなことを奨励し、個性を伸ばすことはとても重要だと思います。本人が「これが好き」「楽しい」「得意」と感じることが自信につながり、自己評価があがるからです。また、将来的に仕事に結びつけば素晴らしいですが、趣味としてキープできれば社交の糸口になってくれそう。

うちの息子の場合は、4歳の頃から音楽教室に参加し、その延長で7歳から吹奏楽器を習い始めました。理由は小さいころからいつも鼻歌を歌ったりと音感が良かったこと。また、スポーツ好きの子どもではないのが明白だったからです。

音楽教室に入った当時は、引っ込み思案だったものの、まだ緘黙ではありませんでした。途中で(4歳半で小学校に入学してから)緘黙になったんですが、その後も先生から「お宅の子は歌ってません」とか「固まってます」と注意されたことはなく、多分何とかやってたんでしょう。

吹奏楽器を選んだ理由は、お試しでヴァイオリンとコルネットをやってみたら、初めて挑戦したコルネットで結構音が出て先生に褒められたから。この頃は緘黙症状が徐々に和らいでいて、人前で「吹く」ことが、「話す」練習になるように思えたからでもありました。また、楽器ができれば、学校以外の友達を作れるかもという希望もありました。

スポーツもやらせたかったんですが、本人がものすごく嫌がり、やってもいいよという感じになったのは緘黙が随分改善した9歳のころ。が、この年齢になると、既に同級生は空手3年目とか、地区の少年サッカーチームのレギュラーとかになっていて、これから始めるにはすでに時遅しという感じでした。

その後、アーチェリーと卓球にトライしたものの、どちらも正式にクラブに入会する段階になって脱落…試合のために猛練習するほど好きじゃなかった/上手くなかったんですね…。今では、時々祖父に連れられてゴルフに行くくらいかな。

これまでの経験で思うことは、

  • 適性がないと長続きしない
  • 周りの子と同じ時期にスタートしないと、後からは入りづらい
  • 集団よりマンツーマンで習えるもの、マイペースで進めるものがベター

息子はマイペースで今も楽器を続けています。地区のブラスバンドにも入っていますが、ポジションはいつもその他大勢のひとり。そんな息子ですが、今年に入って楽器をやっていて良かったと思えることがいくつかありました。

2月のハーフタームに義両親宅に滞在した際、村の公民館で小中学生のための音楽セッションがありました。義両親は責任者夫婦と親しく、息子も彼らとは顔見知り。私と義父は公民館に息子を預け、3時間ほど買い物へ。帰りがけに息子を迎えに行くと、年下の男の子と一緒にドラムを叩いていました。

夕食の支度をしていた時、「今日は大勢の子に楽器を教えたよ。これだったら、日本でホームスティもできそう」と息子が漏らしたのです。(我が家には主人のドラムキットとギター、息子がグラニーにもらったウクレレなどがあり、息子はよくこれらで遊んでいます)。

3月中旬には、遅れに遅れていたグレード5の検定試験を受けました。ゆっくり目だったものの、大幅に遅れたのは1年半歯の矯正をしていたためと(高音が出せなかった)、昨年試験間際になって先生が突然変わったため。

2年以上も同じ課題曲を練習してたので受かるハズの試験でしたが、当日思わぬ落とし穴が…。息子を連れて試験官の家に行くと、伴奏してもらう先生がなかなか来ない!(試験は平日の授業中に、不便な住宅地で行われるのです)。そのうえ、息子は「サイレンサー(消音ミュート)忘れた!」とパニック気味。チューニングに5分もらえるのですが、別室から聴こえる音がビビってました~!

緘黙は治っても、息子の抑制的な気質は変わってません。待合室には試験を受けに来た子どもや親がいるため、演奏を聴かれたくない気持ちが大きく、動揺してたと思います。

で、そのまま試験に突入。待合室で最初の課題曲を聴いた私は、「ああ、これは落ちた」と確信したのでした。それまで何回聴いたか判らない曲でしたが、あんなに詰まったのは初めて。2曲めからは失敗しませんでしたが、これは駄目だと思って息子にも言いました。そうしたら、先日合格したという知らせが!(息子いわく、「この曲の課題部分はクリアしてたから」だそう。賭けに負けて50ポンド取られました…)

そして先週木曜日は、息子の音楽人生のハイライト(多分)でした。地区の小中高生の吹奏楽団と管弦楽団、合唱団など総計1500名を集結させ、クラシック音楽の殿堂といわれるロイヤルアルバートホール(RAH)でコンサートを行ったのです。私が住む地区では音楽教育に力を入れていて、これは5年に一度の大イベント。私たち夫婦はRAHのボックス席の前列に陣取り、双眼鏡で息子を探すこと約10分。その他大勢のひとりに心からのエールを送りました。辞めたい時期もあったけれど、続けていれば何かいいこともあるんですね。

IMG_20150423_182833 BBCプロムスも開催される由緒ある会場

RAH1

 先生方の努力のお陰で一生の良い想い出ができました

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どうして緘黙のティーンが短期間で話し始めるのか?

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その14)

先回の投稿から、またまた1ヶ月空いてしまいました。いきなり仕事が集中し、その後2週間ほど帰国している間はネット難民になっていました(日本では空港を除いて無料Wifiを飛ばしているところはないんでしょうか…)。イギリスに戻ったらすっかり春の気候。なにも手入れしていなかった中庭が、すっかり緑につつまれていました。

帰国中に息子は知人宅で生まれて初めてのホームスティ(4泊5日)を体験。なんと、スティ先の3人の子ども(特に、11歳の長男くん)が息子に輪をかけたような恥ずかしがり屋で、親が仲介して会話を盛り上げてくれたとか。あまり日本語は上達しませんでしたが、薪風呂や掘りごたつのある実家に連れて行ってくれたり、パネルで注文するくるくる寿司や空手教室など、貴重な経験をいっぱいさせていただきました。

さて、番外編の続きです。年が上の子への支援について、マギーさんに直接お伺いしたところ、「支援を受けたティーン全員が2、3週間で口をきくようになった」との答え。これらのティーン達は緘黙が長期間続いていたと思われるのに、すごくないですか?

その理由を色々考えてみて、下記のようなことを思いつきました。

1) 公の場で話せるようになった訳ではない

まず注意すべきなのは、彼らは自宅または学校の一室で支援者に話した、または読本などで声をだしたのであって、クラスで周囲に聞こえるように話せるようになった訳ではないということ。緘黙が習慣になってしまったティーンがそんなに簡単に話せるはずはなく、やはり克服までにはかなりの時間と努力が必要と思われます。でも、一言の答えであれ、一行の文章であれ、新しい人に対して発話できたというのはすごいことですね。これをきっかけに、どのようにステップを進めていくか、子どもが支援者と共に納得しながらどう取り組んでいくかが重要なんだと思います。

2) 学校内でのセッションの不安度が低い?

自宅は安心できる場所ですが、緘黙が起こっている現場の学校はかなりの難関のはず。どうして学校での支援も同じような結果がでるのか?これはイギリスのセカンダリースクール(12~16歳)の構造によるところが大きいような気がします。イギリスでは小学校はどこも小規模ですが、セカンダリーでは急にマンモス校と化します。日本の大学のようなシステムになっていて、教科ごとに教室を移動。ベースとなる自分の教室はなく、決まった席も机もありません。同じクラスでもバラバラの教室で授業を受けることが多く、常に移動している状態。誰かが特別な支援を受けていても、それほど目立たないのではと思います。

また、イギリスには特別支援チーム専用のスタッフや学校に通ってくる専門家がいて、教師でない大人が支援セッションを担当します。緘黙の子は自意識が過剰なことが多く、同じ学校内でも人・場所・時間帯で不安や緊張度が違います。自分のことを知っている(=苦手意識が強い)クラス担任と自分の教室でセッションするのでなく、別の大人と他の生徒が入ってこない部屋・時間帯にセッションをすることで不安度が下がり、成果が出やすいと考えられます。

3) 第三者の大人とのつながりを持ちやすい環境

年齢が上の子には、本人が納得したうえで意識的に緘黙を克服していく方法が有効といわれています。第三者の大人と信頼関係を持つことで、自分を客観的に見ることができ、それが大きな自信に繋がるのでしょう。イギリスではこの第三者の大人はだいたい特別支援員(TA)か言語療法士。こういった教師でない大人が長期の支援を行うシステムがあることが、すごく強いと思います。

日本で特別支援教育を担うのは教師だと思いますが、例えばスクールカウンセラーを増やすなど、外の大人に定期的な支援をしてもらえるといいなと思います。養護教諭や用務員など、教員以外の大人にも配慮してもらえると嬉しいですね。

4) 家庭のサポートも大きく影響していそう

マギーさんが所属しているケント州のコミュニティヘルスNHSトラストは、公共の機関です。ケント州に住む友人によると、親や支援者が直接マギーさんに無料相談できる定例会が開かれているそう。(同じイギリスでも住んでいる場所によって違うんですが、ケント州とSMIRAのあるレスター州は緘黙支援が充実しています)。ということは、支援者と親、専門家のネットワークも充実しているんですね。この支援プログラムでは親とのセッションもあるので、親も子どもの状況を把握でき、それに見合ったサポートが可能になります。

思春期の子どもとどうコミュニケーションを取り、家庭を居心地のいい場所にできるかは世界的な課題です。例え子どもが自分のことを話さなくても、親に信頼されていて、いつでも助けてもらえると感じていれば、心理的に随分違うのではないでしょうか。

 

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緘黙のティ―ンが2、3週間で話し始める?!

 

マギー・ジョンソンさんの『小学校中・高学年&ティーンの支援』(その13)

前回から随分間があいてしまいましたが、マギー・ジョンソンさんの年齢が上の子の支援について再開します。この講演は昨年3月のSMIRAコンファレンスで行われたものなので、既に丸1年が経ってしまいました~。講演の翻訳はもう終わりに近いのですが、今回はその続きではなく番外編をお届けします。

SMIRAの講演では、支援方法やセッションの進め方を中心に話が進められました。そのため、ジェイ君がどの時点でマギーさんに話し始め、学校でどのように変化していったかという説明はありませんでした。

小学校中・高学年以上の緘黙の子ども達は、幼稚園や小学校の低学年から学校でずっと沈黙を守り続けていることが多いと思います。支援を受けた子ども達(多分、11歳以上の子が多いと思います)は、マギーさん、もしくはマギーさんの指導を受けた支援者と何回目のセッションで話し始めたのか?それがとても気になり、昨年秋にマギーさんにメールで質問しました。そして、下記のような回答をいただきました。

1) 長期間緘黙してきた子ども達は、大体何回目のセッションで話すようになるのか?

大体このくらいというような目安はない。子どもへの対処の仕方、信頼関係、子どもが持つ困難に対してどんな説明が行われたか、またセッションの頻度にもよる。でも、私が担当する学校支援者に限っていうと、全員のティーンが2、3週間で支援者に口をきくようになっている。

2) 各セッションの長さと場所は?

各セッションは、最後に両親と話す時間も含めて1時間半ほど。ジェイ君の場合は、クリニックではなく自宅で行った。

3) 「声をだして読む」課題はだいたい何回目のセッションから始めたらいいのか?

初回から読める子もいれば、もっと回数を経ないとできない子もいる。ジェイ君の場合は、2回目のセッションでできた。すぐに話し始める子には、「声を出して読む」課題は必要ない。子どもによってペースが異なるので、よく観察してどんな課題を与えるか判断する必要がある。

「全員のティーンが2、3週間で支援者に口をきくようになった」ときいて、正直ものすごく驚きました。学校で何年間も沈黙していただろう子どもが、たった2、3週間で話すようになる?! 本当なんでしょうか?しかも、ジェイ君の場合はマギーさんが彼の自宅でセッションしましたが、学校支援者は場面緘黙が起こっている現場の学校内で支援を行っているはず…。

どうしてそんなに早く話せるようになるのか、次はその理由を考えていきたいと思います。

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