何だか肌寒いイギリスの夏休み

息子の夏休みは7月25日から始まりましたが、ロンドンのお天気は今ひとつ。初日の夕方に友達家族を招いてバーベキューパーティを計画していたところ、大雨になってしまい急遽スシパーティに変更するはめに…。この水曜も泊まり客があったのでBBQにしようと計画していたら、またもや雨!で、今度は手巻き寿司にしたのでした(外国人に「何がいい?」と訊くと、必ず「スシ」という答えが返ってくるのです)。

7月中旬に一度決行したきりの幻のバーベキュー。夏の醍醐味なので、8月下旬にも予定してるんですが、果たして実現できるかどうか…。でも、既に5袋入りの炭を購入済みなんですよね。

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これは7月に行った時のもの。主人の従兄弟がベジタリアンなので、豆腐バーベキューに挑戦。今友達から連絡があって、明日再びBBQに挑戦することになりました!

我が家の夏の恒例行事になっているカーブーツセールも、夏休み最初の日曜日に予定していたら大雨…。仕方ないのでパブランチに出かけたところ、「今日はシェフが急病で、今代わりが来るから」と、待つこと1時間。他のお客さんが帰り始め、主人が訊いたところ「まだ来てない。着いてから準備するまで1時間かかる」とのこと。「え~っ、そういうことは最初に言ってよ」と、日本ではあり得ない対応なのでした…。

なんだか天気は冴えないけれど、日本から友人が来ていたので、曇り空の下を一緒に歩いて、ロンドン巡りをしました。

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セントポール寺院で騎乗警察官に遭遇

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セントポール寺院からテムズ河を超えた真向かいが、テートモダン美術館。2000年にできたミレニアムブリッジを歩いて渡ります

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橋から見た風景。このところガラス張りの高層ビルが急増中です

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テートギャラリー内。無料のうえ、展示を柵で囲ってないので間近で見られます

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カムデンタウンに移動し、マーケット内で休憩

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ハイストリートから脇に入ったDelancey Street で 発見したCamden Coffee Shop。サイプロス出身のジョージさんが、1978年に伯父さんから引き継いだ店なんだそう。看板は剥げかけてるし、何だか薄暗くて怪しげ…。でも、通りいっぱいにコーヒーのいい香りが漂っていて、思わず中に入ってしまいました。写真のロースターは60年代のものだとか

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エチオピアン・モカを購入したら、その場で挽いてくれました。帰宅中も、帰ってからもモカのいい香りが漂って幸せな気分

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イーストエンドにあるスピタルフィールズとブリックレーン・マーケットにも行きました。住んでいるとなかなか行かないんですが、友達と一緒に地元民が行くディープな蚤の市にも潜入。戦利品は、大きな真珠がついたシルバーのネックレス£10(約2000円)

そうそう、この夏はメタボ対策をと思いたちフラフープを購入しました。庭の納屋に息子が小学生の頃使っていたプラスティック製のがあったんですが、やってみたら全くできず――これは玩具だからできないんだと思い、エアロビクス用のを購入したものの、やはりできなかった(笑)。息子にやらせてみたら、何と平気な顔をして50回くらい!小学校の頃流行って校庭でやってたらしんですが、通常運動は苦手な方なので、びっくりしました。

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毎日練習していたら、私もついに20回くらい回せるように。でも、腰を回すのではなく、前後に動かすんだと解り、う~んウエストを取り戻すのは無理かも…。

皆さんも素敵な夏休みをお過ごしくださいね。

 

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BBCの最新データ

7月15日 (水) に放送されたBBC2の情報番組『Victoria Derbyshire』では、場面緘黙の最新データが提示されました。それによると、場面緘黙の出現率は下記のように推定されています。

  • 子ども(11歳まで?)       150人に1人(0.67%)
  • 青少年(12~19歳?)           1000人に1人(0.1%)
  • 若者(20~29歳?)                      2500人に1人(0.04%)
  • 大人(30歳から?)                       不明

この数字をみると、小学校を終える11歳頃までに、6、7人のうち1人を残して緘黙を克服(克服率は約85%)する計算。これってすごくないですか?

イギリスでは特別支援教育が根付いていて、学校での場面緘黙の教育もかなり進んでいるとは感じます。ただSMIRAの集会などでは、早期発見・介入はしているものの、各学校の方針や予算の問題があり、きちんと対応できていない学校も多いという印象。個人的には、この克服率はかなり高いのではという印象を受けました。

ただ、全般的に日本より学校の規則が緩いため、保護者が学校内でサポートしているケースも多く、それが高い克服率に結びついているのではないかと推測しています。小学校低学年(4~6歳)だったら、親が一緒だと不安がぐんと減り、環境次第(例:教室で2人きり、少人数)では学校で話せる子も多いはず。また、子どもの自意識もそれほど過剰でない年齢ではないでしょうか?放課後でなく、授業やランチタイムに親がボランティアとしてクラスに入ることができたら、進歩も速くなるのではと思います。

なお、ウエブマガジンの方では、イギリスの支援団体iSpekの創始者、カール・サットン氏による緘黙の大人のリサーチ(経験者を含む83名が参加)にも触れています。

それによると、大人が緘黙を克服するターニングポイントは22歳。緘黙の大人はうつ病や広場恐怖症など、他の不安障害を併発する可能性が大きいと示唆しています。

テレビ放送では、緘黙で苦しむ大人、サブリーナの言葉を借りて、場面緘黙を次のように紹介していました。

「場面緘黙の人生って、箱のなかに閉じ込められてるみたいな感じ。箱は透明だから外にいる人の姿も見えるし声も聞こえる。だけど、どんなに頑張っても出られないの。箱のなかで声の限りに叫んでも、誰にも聞こえない。怪我をしたり、怖くて助けを求めても、聞いてもらえないのよ」――これは、小さな頃から場面緘黙に苦しんできたある女性が、自分の状況を表現した言葉です。場面緘黙というのは、話すことへの恐怖症です

DSM(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)では、2013年から場面緘黙を不安障害と分類しています。この番組では更に踏み込んで「場面緘黙=恐怖症」と紹介。解説者として出演したSLTのアリソン・ウィンジェンズさん (『場面緘黙リソースマニュアル』の共著者)は、この分類や定義によって周囲の人に場面緘黙を理解してもらいやすくなったと語っていました。SMIRAやアリソンさん、マギーさん他の専門家が、これまで学会などに働きかけてきた成果ですね。

場面緘黙は話すことへの恐怖症が引き起こす症状であり、その背景には抑制的な気質やバイリンガル環境、言語や発達の問題などがある――アリソンさんは緘黙の引き金となった要因と緘黙を定着させている要因を見定めることが難しいと指摘していました。その2つの要因(複合的なケースも多い)を踏まえた上で、それぞれに合う方法で支援することが大切ということ。不安障害の治療に使われるCBT(認知行動療法)の有効性と、早期発見・介入の重要性も強調していました。

アリソンさんによると、引き金となる要因は毎日のささいな出来事であることも多いそう。場面緘黙になりやすい子どもは、リスクを冒したがらないタイプが多く、自意識過剰で用心深いため、入学など人生を変えるような出来事や、学校で誰かがしゃべらせようとすることなどは、子どもにとっては大きなショックだとも。

イギリスでは、10月が場面緘黙啓発月と指定され、1~17日まで全国で啓発キャンペーンが行われる予定です。私も今年はSMIRAのキャンペーンに参加する予定なので、おいおいその内容を紹介させていただきますね。

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緘黙を克服しつつある17歳

母親も緘黙だった6歳の男の子のケース

 

 

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母親も緘黙だった6歳の男の子のケース

BBCで放映された場面緘黙の番組の続きです。今回もBBCニュースYou-Tube チャンネルの映像『話すことへの恐怖症があります』をお借りして、最後の部分をご紹介します。

8:00~12:34までの、ダニエルのケースを御覧ください。

「ダニエルは6歳、場面緘黙です。彼のお母さんも子供の頃緘黙でした。」

記者アシュリー(A): ダニエル、話すのは難しい?

ダニエル(D): 頷く

A: 話さなきゃいけない時、怖くなる?

D: 頷く

A: いつか、自由にしゃべれるようになると思う?

D: 肩をすくめる

A: いつでも話せるようになりたい?

D: 頷く

ダニエルの母親、フラン(F): 学校に迎えに行ったら、今日したこととか、楽しかったこととか、学校での出来事を話してくれたわ。(背景にダニエルの話し声が聴こえる)。

先生には話せないの。しゃべれない人は多いけれど、友達には私(の緘黙時代)より多く話せるわね。私が小さかった頃は、まったく誰にも話せなかったから。当時は何故か解らなかったし、今でも解らない。誰かに話しかけられると、すごく返事をしたかったのにできなかった。どう頑張っても、やっぱり無理だった。先生も(場面緘黙を)知らなくて、ただの恥ずかしがり屋だと思われてたの。話さないことが問題になって、教室の外に出されたこともあったわ。質問にも答えられなかった。

あら、ダニエルはブランコを降りてしまったわ。クラスの女の子がブランコに乗ってきたから、声を聞かれるのが心配なのよ。私はダニエルが赤ちゃんの頃から、自分と同じだと気づいてたの。ベビーカーの中から私に向かって元気におしゃべりしてるのに、誰か知らない人が来て「こんにちは」って話しかけた途端、顔が石みたいに固まってしまうの。そして下を向いて、その人と視線を合わそうとしない。例え、くすぐっても、笑わせようとしても、表情は固まったまま…。

この子の気持ちは誰よりもよく解る。私も同じだったことは伝えたから知ってるし、「マミーも話せなかったけど、今は話せるから大丈夫」って言ってあるの。

A: 場面緘黙を知らない人は、ダニエルが頑固だから、もしくは注目されたくてわざと話さないと思うかもしれない。そういう人たちに何かいいたいことはある?

F:もしダニエルが話せたら—それはあの子が一番したいことよ。普通でいたいのよ。自分ではコントロールできないの。もしできるんだったら、黙ってなんかいないわ。皆と同じでいたいんだから。

<ダンス教室で>

F: ダンス教室には1年位かよってるの。踊ることが大好きなのよ。
最初は恐がって教室に入るのも嫌がったし、全くやりたがらなかった。でも、最初のレッスンの後、ダンスクラスが大好きになって、今では皆の前で踊るようにまでなってるの。以前はできなかったことよ。

ダンスの先生: 最初にダニエルに会った時、何か通じるものを感じたんです。すごくいい子よ。お母さんは彼が話さないのを心配してたけど、踊りは動きで自分を表現することでしょ。最初に来た時から、彼にとってここは我が家のようなもの。自分自身でいられる場所、自分を表現できる場所を見つけたんだと思うわ。彼が私達を見つけてくれて、本当に嬉しく思ってます。

12:35~ 150人に1人の子どもが場面緘黙です。共感的な支援で、ほとんどの子どもが回復します。
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ダニエル君の場合は、お母さんも小さいころ緘黙だったというケース。抑制的な気質が遺伝したんですね。親子揃って恥ずかしがり屋というパターンだと、子どもの気持ちを理解しやすいと思います。でも、子どもの抑制的な気質を理解できないという保護者の方もいるでしょう。

もしそうだったら、エレイン・アーロン著の『ひといちばい敏感な子(Highly Sensitive Child)』を読むことをお勧めします。超敏感な子どもの気質、行動、育て方、スモールステップ式の支援の仕方などについて詳しく書かれています。私はこの本を読んで、「これうちの子だ!HSCだったんだ」と安心し、同時に「育て方はかなり難しいな」と思いました。

私は、かつてから場面緘黙になる子(人)には、HSP(Highly Sensitive Person 日本語では「とても敏感な人」/『ささいなことでもすぐに動揺してしまうあなたへ』エレイン・アーロン著より)が多いのではないかと思っていました。アーロン女史は著書の中で、子どもの行動抑制的な気質を研究した発達心理学者、ケイガン(Jerome Kagan 1989) の研究を頻繁に引用していて、私は彼女のいうHSP=ケイガンの行動抑制的な子どもと捕らえています。

以前、『遺伝的な要因-動抑制的な気質』という記事の中で、ケイガンの研究について触れましたが、「行動抑制的な子ども」は全体の10~15%、HSC (Highly Sensitive Child) は全体の15~20%と、似たような数字です。緘黙児には行動抑制的な気質を持った子どもが多いと言われています。『ひといちばい敏感な子』に場面緘黙や緘黙児は出てきませんが、原本では確か入園後に数ヶ月間話さなかった子どもの例が複数あげられていたような…。今パラパラと見返してみたら、「ランダルがクラスで一言話すまでに6ヶ月かかった」、「アリスは入園してから4ヶ月話すことを拒否した」という行を発見。「話せなかった」とは書いてありませんが、やっぱり緘黙傾向のある子が多いんだと思いました。

子どもの好きなことを伸ばすことが奨励されますが、ダニエルはダンス教室でとても活き活きとしてますね。ダニエルには緘動はないようですが、家の他にも自分を表現できる場所があれば自己評価の向上にも繋がると思います。

おしまいに、最後の字幕には150人に1人の子どもが緘黙だけど、その殆どが回復するとありますね。早期発見・介入して、適切な支援をしていけば、子どもの緘黙は克服できるということだと思います。希望が持てますね。

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緘黙を克服しつつある17歳

 

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緘黙を克服しつつある17歳

前回のBBCで放映された場面緘黙の番組の続きです。実は、テレビで取り上げたのはサブリーナさんのケースのみで、お借りして貼り付けている映像はBBC News のMagazine サイトで紹介されているものです。いつまでアップされてるか分らないので、消されない内に映像の続きを翻訳しました。(聞き取りづらい部分もあり、正確ではないかもしれませんが、その辺りはご容赦ください)。

今回は17歳のケイティさんのケースです。映像の5:47~7:59を御覧ください。

<ケイティの独白>

話さなきゃいけないというプレッシャーに押されて、やっても無駄だと思うこともあったわ。自分の感情を押し殺して、きまり悪さを完全にシャットアウトしてたの。しゃべらない状態のほうが幸せなんだって。

友達A:カレッジを終了したらどうするつもり?

ケイティ(K):大学に行って、できればテレビやラジオ制作を学びたいの。

「ケイティ・スミスには3歳の時から場面緘黙の症状がありました。今17歳でカレッジの最終学年。場面緘黙を克服しようと、大きなステップを踏みだしています」

友達B: 場面緘黙を克服して、たくさんの人と接するようになって自信をつけていくって、どんな感じ?

K:うーん、説明するのは難しいわ。えーと…。

友達B: 多くの人に助けられたと思ってる?それとも、自分で何とかしたの?家族とか友達とか、助けてくれる人はいっぱいいた?

K:えっと、実は7年生になってあなた達と出会った時期が――あなたやトーリア達と出会って、新しい友だちができたことが、大きな助けになったわ。

友達C: 友達関係が変わったことで自信がついたの?

K: そう思うわ。家族は私がずっと緘黙だったことを知ってたから、変わってほしいと願ってたけど、もちろん強制するようなことはしなかった。進学してセカンダリーやカレッジに行ったら、新しい友人関係を築かなきゃいけないって思ってたから。

友達D: セカンダリースクールに入って、知らない子に話しかけるのはどんな気持ちだった? 人に評価されるよね?

K: そうね、偏見を持っていそうな、人気のある子達からは距離をおいたわ。あなた達がいてくれて本当に良かった。だって、あなた達だったら人をこうだって決め付るようなことはしないと判ってたの。

友達B: 私もちょっと変わった子だったし(笑)。

K: 変わった子が一番よね(笑)。

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17歳のケイティが友達に囲まれておしゃべりしている様子を見る限り、青春真っ只なかの普通の高校生にしか見えません。前出のサブリーナと比べると、ものすごく対照的です。

「捕われた様に感じている」というサブリーナは見るからに固まっていて、文字を打ち込みながら眉間にしわをよせ、いつの間にかしかめっ面のような表情に…。彼女のボディランゲージからは、「逃げたい」、「見られたくない」、「隠れたい」というネガティブなメッセージを受けませんか? きっと、長い間沈黙を続けている間に、縮こまったようなオドオドした態度や姿勢が身についてしまったのではないかと…。 一方、友達と談笑しているケイティは、自然でオープンな印象。最初の独白部分で沈黙している彼女とは違う人みたいです。

ちょっと微笑むだけで、人が受ける印象は随分違うもの。オープンな感じだと、声をかけやすそうだなと思ってもらえます。その点でも、サブリーナはすごく損をしてるなと思わずにはいられません。場面緘黙が長引くと、弊害はより広範囲で大きなものになってしまう可能性を含んでいるのではないでしょうか?

詳細は判りませんが、ケイティは小学校の頃から両親や学校から支援を受けていたものと想像しています。学校からの支援はなかったにしろ、両親の場面緘黙への理解と支援があったのは確かですね。イギリスでも10年ほど前は緘黙が知られておらず、学校や教育関係者、心理士から適切な支援を受けられない状況でした。

ケイティは、セカンダリースクールに進学した7年生(12歳)の時、新しい友達を作ったことが大きな転機になったと語っています。進学したり、転校したりして新しく環境が変わると、周りは「自分がしゃべらない」ということを知らないから、話し始めるのが楽になると言われています。年が上の緘黙の子どもに有効な方法ですが、誰にでも効果的という訳ではありません。

ここで決め手になるのは、やはり自ら「話すんだ」という意志を持ってチャレンジすることでしょう。そのためには、それ以前にスモールステップを積み重ね、「新しい環境だったら話せる」という自信を持っていることが重要だと思います。学校で話さなくても、外で話せるとか、知らない人には話せるとか、親以外にも親密に話せる人がいるとか…。

また、話せなくても同年代の友達がいるということが、すごく重要になってきそうです。ずっと友達付き合いがないという場合、最初は話せても、どんな話題で、何を話をしたらいいのか見当がつかず、友達付き合いが難しくなるかもしれません。好きなことや趣味が話の糸口になったりするので、子どもが好きなことを尊重してあげるのも大切ですよね。

なお、新しい環境だったら絶対に大丈夫という保証はどこにもありません。もし、ケイティが新しい友達を作れなかったら、学校で嫌な体験をしていたら、徐々にまた沈黙の世界に戻ってしまっていたかも…。新しい環境が自分に合うか合わないかは、宝くじのようなものだと思います。でも、これは緘黙でなくても、誰にとっても同じですよね。

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BBCが大人の場面緘黙を紹介

 

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BBCが大人の場面緘黙を紹介

先週、イギリスの国営放送BBCで場面緘黙が取り上げられました。『Victoria Derbyshire』という情報番組の中で紹介され、解説役にはSLTのアリソン・ウィンジェンズさん (『場面緘黙リソースマニュアル』の共著者) と緘黙経験者のコメディアン、ヘレン・キーンさんが登場。今回は大人の場面緘黙を紹介したことが特徴的といえます。

BBCニュースのYou-Tubeチャンネルに「話すことへの恐怖症があります」というタイトルで映像(TV番組とは少々異なる)があがっていました。お借りして貼り付けます。すぐ消されないといいんですが…。

まずは、イギリスの地方の町に住む35歳のサブリーナさんの話から。

<サブリーナの独白>

意図して話さないと思われるのは悲しい。でも、自分で変えようと思っても変えられるものじゃないの。お祖母ちゃんには何でも話せたわ。なのに、お祖母ちゃんが脳卒中を起こした時、不安にかられて全く話せなくなってしまった…。それから、お婆ちゃんは亡くなってしまったけれど、それでも話せなくて、大好きとさえ言えなかったの。

映像では、BBCの記者、アシュリーがロッチデールという町に住むサブリーナの家を訪問します。

「現在35歳のサブリーナは、子どもの頃からずっと場面緘黙に苦しんできました。コミュニケーションは母親と電子機器に頼っています」

記者アシュリー(A): SM状態の時、どんな気持?

サブリーナ(S): 捕われた感じ。

A: 今、そういう風に感じてるの?

S: そう。何か訊かれると考えるのが難しくなる。

A: 子どもの頃のことを教えて。

S: 友達を作ったり、必要な時に助けを求めるというようなことが、本当に難しかった。

A: これまでずっと捕われたように感じてきた?

S: そう。

A: 場面緘黙だったせいで、友達を作ったり、ごく普通の生活を送ることにも努力しなければならない生活を、どう感じてきた?

S: やりたかったことを本当にたくさん逃してしまった…。

A: 場面緘黙が長く続くと、楽になるというより、むしろ困難が増すという印象を受けたんだけど、そうなのかな?

S: そう。今はさらに生きづらくなってる。

A: どうして今の方が難しいと思う?

S: 子どもの頃の方が親ができることが多いし、代弁してもらえるから。大人になると全部自分でやるのが当然と思われちゃうけど、私には無理。

母親のダイアンさん(D): 年を追うごとにどんどん症状が悪化して、不安に襲われるようになって…。だから、この娘は本当に辛い思いをしてるのよ。

A:緘黙状態になると、どうなるの?

D:すごく無口になって、内に籠ってしまうの。話しかけられて答えなければならなくなると、パニックに襲われるようになって。答えないから失礼だと思われるし…実際、そう言われるのを何回も聞いたわ。他にも無知だとか、色々ね…「こんんちは」って言われても、答えないから。でも、不安が本当に酷くなると、私にさえものを言うことができなくなるの。何年か前、何かですごく同様して電話をかけてきたんだけど、泣いてるだけで声を出すことができなかったことがあったわ。1時間位電話してたんだけど、全く言葉がでなくて。だから車に飛び乗って、ここまで慰めに来なければならなかった。

A: 1時間ずっと泣いてただけ?

D:そう、1時間泣き続けたの。私がどんな気持ちになったか想像できる?胸がつぶれそうだった。自分の子どもが親にもしゃべれないなんて、本当に辛い。

A:母親としてどう思う?サブリーナにずっと寄り添ってきて、母親として何かもっとしてあげられたと思う?

D:ええ。何であの時気づいてあげられなかったのか。何でもっとしてあげられなかったのかって、何度も自分を責めたわ。もし場面緘黙だということを知っていたら、支援を得られるようにもっと努力したと思う。適切な所に出向いて、助けを求めていたはずよ。でも、知らなかった。場面緘黙なんてきいたことがなかった。

夫と私はただの恥ずかしがり屋だと思ってたの。でも、成長してから場面緘黙だということが判って、母親失格という気持ちになったわ。夫も同じ。子どもが出すサインを受け止められなくて、親として失格だったって…。

A:今僕に話しかけられて、どんな気持ち?

S: 怖い。

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長年話さない状態が続いたために、緘黙が固定化してしまったケースです…。それだけでなく、他の社会不安の症状も悪化して、パニック障害なども併発しているよう。彼女や家族の心中を思うと、いたたまれない気持ちになります。早期発見と早期介入の重要さを再確認するとともに、緘黙を抱える大人への理解が広まり、治療法が確立されるよう願います。次回は動画の続きを訳していこうと思ってます。

 

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17回目の結婚記念日

イギリスでは4月下旬から連続して、チェルシーフラワーショー、ロイヤルアスコット競馬、ウィンブルドン、ヘンリーレガッタといった社交イベントが目白押し。“The Season”と呼ばれるこの社交シーズンは、もともとイギリス王室がロンドンに滞在する時期に、王侯貴族と上流階級の人々が華やかな社交行事を楽しんだもの。もちろん、今では一般人もお金を出せば参加できます。

イギリスの春・夏は気候がよく学年末の時期でもあるため、ウエディングやパーティ、BBQ、学校関係の行事も目立って多くなります。社交カレンダーとは縁のない我が家でも、ここのところ何かと忙しい日々が続きました。

先週の土曜日、7月18日は私達夫婦の17回めの結婚記念日でした。あれからもう17年も経ってしまったのかと思うと嘘みたいですが、息子の背丈はとっくに私を追い越し、この夏15歳になるんですよね…。時間が経つのが本当に早いです。

せっかくの記念日だし、日本から友達が来ているので、結婚式を挙げた北ロンドンのハムステッドで午後を過ごすことに。ハムステッドは森林公園、ハムステッドヒースの西側にある高級住宅街。名作映画『メリーポピンズ』のロケ地(バンクス家の邸宅)でもあり、精神分析学者のフロイトや詩人キーツが住んでいた家が博物館として公開されています。

駅から離れた場所だったらまあ駐車できるだろうと車で出かけたら、住宅街全体がしっかり駐車規制されてました…。以前はもっと緩かったはずなんですが、大失敗。「全く、車で行こうなんて何考えてるんだ!」と夫と息子に非難されつつ、何度も同じ場所をぐるぐる周って有料スペースを探すこと20分。お隣の駅に近い場所にやっと車を停めて、式場だったBurgh House へ。

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Burgh Houseは1704年に建築されたクィーンアン様式の邸宅で、現在は地元の歴史館として無料公開されています。ウッドパネルを施した広間でウエディングやコンサートが行われ、階下にはカフェが。庭にもあちこちにテーブルが並んでいます

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当日はウエディングが行われていて、ドアが閉まっていました。私達の時はこのドアが開いていて、庭に出たらウエディングゲストの他に一般客も…

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庭の一番奥まった席で緑に囲まれてお茶をしていたら、山鳩がやってきました

ハイストリートのお店はどんどん様変わりしていますが、路地を少し入ると昔ながらの家並み。ハムステッドは、かつてのヴィレッジの面影が色濃く残る魅力的なエリアです。

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それほど大きくないものの緑あふれる素敵な住宅がいっぱい。ロンドナーが住んでみたいと憧れるエリアのひとつというのも頷けます

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フラスクウォークという石畳の路地にあるJudy Greens Garden Storeはいつ見ても素敵

6時に友達と待ち合わせ、地元カムデンで醸造しているビールとモダンな英国料理が評判のガストロパブ The  Horseshoe へ。目抜き通りヒースストリートにある人気のパブですが、時間が早かったためレストランへは一番乗り。ゆったりと落ち着いて話ができました。

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メインはウサギ肉のマスタードソース焼き。2人前からオーダーできるので、友達とシェアしたんですが美味でした

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食事を終えた夜8時ころ。まだ明るいので腹ごなしに静かな路地をぶらぶら散歩していると、ふと時間のない世界に迷い込んだような不思議な感覚になりました

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スモールステップで自信をつける

7月も中旬を過ぎ、そろそろ3学期が終わって夏休みに入る時期です。私が行っている特別支援校(フリースクール)では、先週の金曜日が終業式でした。日本語を教えている子(ここではS君とします)は、社会不安が強く集団や集団行動が苦手。外出やショッピングを好まないと聞いていますが、1対1だとおしゃべりで人懐っこく、授業では何の問題もありません。でも、抑制的な気質を持っているのは明確で、息子に似たところも多いのです。

今学期の目標のひとつは、最後の授業で日本のスーパーに行き、習った日本語を使ってみることでした。そのことは学期の初めに説明してあって、ここ2週間ほど買い物に必要な初級の会話を練習してきたんです。S君の素振りや態度からは、お店に行くことへの不安は全く感じられませんでした。

が、当日になって、いきなりシャットダウンモードに…。最初に会話のおさらいをしたところまでは平気だったのに、いざ出発という段階になって、突然机に顔を伏せてしまったのです。

今まで少し塞ぎこむことはあっても、体を動かしたりゲームをしたりすることで気分を切り替え、授業が終わる頃には上向きになっていました。でも、こんな状態は初めて…。どうしようかなと思いつつ、「話したくなければ話さなくてもいいから、お店まで行ってみよう」と何とか説得。一緒に学校を出ることに成功しました。

歩きながらずっと下を向いていたものの、S君が私を拒否している様子はありません。さりげなく何が嫌なのか訊いてみたところ、「お店に入るのが苦手」、「店員と向き合うのがイヤ」とのこと。

少しずつ練習すれば慣れることができると話し、近くの大型スーパーに自分で支払えるセルフチェックアウトがあるのを思い出して、「まず、そこで練習してみる?」と訊ねてみました。が、答えは「No」。とにかく、日本のスーパーまで行ってみることにしました。

途中、ふと思いついて、マギー・ジョンソンさんの『年齢が上の子の支援』の記事に出てきたサキ君のことを話してみたのです。学校で声を出すのが怖くて9年間ずーっと沈黙していた15歳のサキ君。彼が一大決心して、学校で話し始めようと決めた際、まず最初にしたのは小さな成功体験を積み重ねて自信をつけることだったと。それほど怖くないことから始めて、少しずつ少しずつ怖いと思う状況に慣れていき、「できる」と自分で思えた時に、一番怖かった「学校で話す」ことにスモールステップで挑戦し始めたことを手短に話しました。

S君は何も言わずに私の話を聞いていました。その後、S君が好きな食べものや日本のスーパーで何を買いたいかなど、会話しながら目的地へ。S君のボディランゲージは徐々にリラックスしてきたようでした。

が、目的地についた途端、顔がこわばって体が硬くなったのが判り、彼の緊張が伝わってきました。お店に入って、まず「お菓子はどこですか?」と店員さんに質問する予定だったのですが、そんなの無理。お菓子のコーナーに連れて行って、英語で説明しながら「これはどう?」と色々訊きましたが、首を横にふるばかり…。緊張を和らげようと、お店をぐるっと周りながら私も買い物を始めました。

ドリンクのコーナーに来た時です。S君の視線がファンタグレープに釘付けに!「これイギリスでは売ってないんだ。2本買う」とすぐ手を伸ばしました。一緒にレジ近くまで行き、私は「麦茶を買ってくるね~」と言って外へ。その時、背後で突然「オハヨウゴザイマス」というS君の声が聞こえました!!

午後だったし、練習では「こんにちは」だったのですが、そんなこと問題じゃないですよね。「ヤッター!」と思いつつ麦茶を持って中に入ると、支払いを終えたS君はささっと外に出て行きました。店員さんにこっそり「今の男の子、何を言いました?」とチェック。他には「アリガトウ」ぐらいだった模様。

帰り道、S君は緊張が溶けたのかものすごく饒舌になりました。「日本語で言えたね!」と褒めると、すごく嬉しそうにどんなに緊張してたか話してくれました。きっとサキ君に負けたくないという気持ちもあったんでしょう…。

来る途中でミカンが好きなのを発見したので、学校に帰る前に八百屋さんにも寄ってミカンを選んでもらい、代金を渡して払ってもらいました。店を出ようとしたら、目の前で商品が床に落ちるというハプニングが…。S君はさっと商品を拾って「はい、どうぞ」と店員さんに渡し、お礼を言われてました。

その時点ではショップに入るのが苦手な子には全く見えず、学校を出る前のあの拒否反応は一体何だったのかという位の変わりようにビックリ。成功体験を重ねて、自信がついたんですね。

2013年からDSM(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)で場面緘黙が不安障害のひとつと定義されましたが、本当にそうだなと思いました。これからお店に行ったり、買い物したりという経験をしない時期が長くなると、きっとまた不安がムクムクと頭をもたげてくるんでしょう。とにかく、成功体験を積み重ねることが大事。S君には、夏休み中もいっぱい外出して色々な体験をして欲しいなと願っています。

 

 

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幼稚園入園 - 息子の緘黙・幼児期3~4歳(その3)

10月も半ばに入り、いよいよ息子が幼稚園に入園する日がやってきました。入園といっても、こちらでは日本のような式典はなく(小、中学校もなかった…式服不要です)、ただ母子で登園しただけ。それも、この日入園したのは息子と女の子の2人のみでした。

というのは、息子の幼稚園では9月から誕生日順に1週間に数名ずつクラスに加えていくというシステム(1/3程度は持ち上がり)。息子は8月中旬に3歳を迎えたばかりの「早生まれ」なので、39人中で一番最後だったのでした。

(小学校は4歳から始まるのですが、小学校でも早生まれの子は時期をずらせて入学させる方針だったため、幼稚園(1学年のみ)では3歳児と早生まれの4歳児を混ぜたクラスでした。預かってくれる時間は2時間半。午前中に2クラス、午後に2クラスを設け、規模は大きい方でした)

イギリスでは同じ公立の幼稚園でも、それぞれの園によって経営方針が全く違います。息子の園はかなり自由な校風で、クラス全体でする活動といえば歌、お遊戯、読み聞かせの時間くらい。あとは、子どもの主体性に任せて好きな活動(遊び)をさせて個性を伸ばすという方針でした。

これって、極端にいうと外遊びが好きな子はずーっと外に出っぱなし、お絵描きが好きな子はひとりで何枚も描いてるし、おままごとコーナーはいつも同じ顔ぶれ…。息子はといえば、やっぱりミニカーと電車のコーナーに張り付いてました(笑)。

とても評判のいい幼稚園でしたが、今考えてみると人見知りの激しい息子には向いていなかったと思います。当時は「子どもの個性にあった学校を探そう」なんて考えたこともなく、周囲の勧めで「ここ」と単純に決め、入園できてラッキーと感じてました…。いつだったか、息子が小5くらいの頃にビデオで日本の保育園の様子を観て、「日本の幼稚園って先生と一緒に色々やるんだ。僕もこういうところが良かったな…」と漏らしていました。

さて、話を初日に戻すと、若い担任の先生との簡単な挨拶のあと、私ともうひとりのママさんには次のような選択肢が与えられました。

  1. 子どもを置いて即帰る
  2. カーテンで仕切られたペアレントルームで待機
  3. 教室内で子どもと一緒に遊ぶ・近くで見ている

多くの保護者は2を選択し、子どもはたいてい2日~1週間くらいでクラスに慣れて、母親がいなくても大丈夫になるということ。が、うちのお向かいに住む3つ年上の女の子が入園した際は、ナニーさんが6ヶ月付ききりだったという話も聞いていました…。一方、初日から保護者と引き離す私立の園もあり、吐くまで泣いた3歳児が1週間ですっかり慣れたという話も。

まず様子を見てからと思っていましたが、案の定息子は私の側を離れそうにない…。そりゃそうですよね。初めて来た場所で(オープンデーの日は水疱瘡で参加できなかった)、知らない子ばかりだし、性格を考えても臆するのは当たり前。なるべくクラスの子たちと馴染めるよう、近くにあったおままごとコーナーで他の子にも声をかけながら息子と遊びました。

もう一組の新人母娘はというと、やはり教室で一緒に遊んでいました。とても大人しく繊細そうな子で、ママにべったり。私も高齢出産でしたが、このママさんは私よりもっと年上の感じ…。帰り道で一緒になって色々話をしたところ、何と彼女には14歳の双子(娘と息子)がいて、その子たちが入園した際に早く慣れさせようとして大失敗したとか。

泣く子どもたちを置いてさっと家に帰っていたらしのですが、双子はいつまでたっても園に馴染むことができず、家でも情緒不安定になったそうです。その時随分苦労したので、今回の末っ子ちゃんは、自分から離れる気になるまでとことん付き合うと決めているそうでした。

その話を聞いてビビった私は、「じゃあ、私も自然に離れるまで付き合おう!」と決心したのでした。

<関連記事>

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その1)

息子の緘黙・幼児期3~4歳(その2)

 

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バラの季節もそろそろ終りです

あっという間に今年も半分終わり、7月に突入してしまいました。イギリスのバラの季節は6月ですが、今月に入って最後の花を咲かせている樹も。イギリスの住宅にはたいてい前庭があって、それぞれの家庭で植えた花やハンギングバスケットが道行く人たちの目を楽しませてくれます。

実は、所属しているTAのエージェントに頼まれて、この春からエージェントが経営するフリースクールで日本語を教え始めました。以前、通信教育で日本語の教え方の初級講座を学んだものの、いざやってみるとすごく難しい…。でも、アニメおたくのティーン君を相手に、週1回の授業を楽しんでいます。学校へ向かう道すがらお馴染みになったバラたちも、もうそろそろ見納めかな。

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3階建の住居の壁にしなだれかかるように生い茂る白いモッコウ薔薇

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うちの狭い庭では無理だろうと断念したんですが、こんなにも成長しちゃうんですね。やっぱり買わなくて正解でした(笑)

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淡いピンクが浮かぶ上品な白のクォーターカップ咲き

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完璧なクォーターロゼット咲き?と発色が美しい一重の小輪

我が家のバラはピンク系、赤系が終わって、白バラのClaire Austin が花盛りです。でも、茎が伸びる前にちゃんと剪定しなかったため、長い茎が伸び放題。パーゴラの上部だけに花が集中してしまいました…。四季咲きなので、花が終わったら短く切り込んで、9月にはもう少しバランスよく花がつくようにできればと思ってます。

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蕾をつける前に茎がやたら長く延びるため、どう処理すればいいのかが悩みの種

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今年はというか、去年もでしたが、どのバラもひとつの茎に蕾がたくさんつきました。ひと枝だけでもブーケみたいで、お得感があります

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前庭のMary Rose にもたくさんの蕾がつき、一気に咲きました

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    こちらはフルーティな香りの Abraham Darby。中輪のはずが大輪でしかもブーケ状に咲くので、重くて支えるのが大変です

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庭のバラはあまり花持ちがよくないため、惜しみなく切っては活けて楽しんでいます

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『校庭に東風吹いて』

ここ最近、日本でも少しずつ場面緘黙のメディア露出が増え、緘黙をテーマにした小説やテレビ番組も見かけるようになりました。『校庭に東風(こち)吹いて』は、2013年5月から10月まで赤旗新聞に連載された小説です。作者の柴垣文子さんは、32年間小学校教師をしていた経験を持つ作家。この作品では、学校での緘黙児の状況や学校側の事情などを、現場の教師の視点で描いています。

日本の学校でどのように緘黙児と向き合うべきか — その答えの多くがこの小説の中に標されているように思います。多くの発達障害児や不登校児を抱える学校の現状を考えると、理想的過ぎるかもしれません。でも、教師や学校関係者、教育関係者に、是非読んで参考にしてもらいたい本だと思います。

『校庭に東風吹いて』柴垣文子著 新日本出版社

物語は山間の小さな小学校にベテラン女教師、三木知世が転勤してくるところから始まります。三年のクラス担任になることを言い渡されますが、40人と大クラスなうえ重度の場面緘黙児がいるクラス…。前担任は中途退職、その後にクラスを任された講師も辞めていて、前途多難を予測させるスタートでした。

<小説からの抜粋>

P7 「自閉症と場面緘黙はちがいます。自閉症の子どもはなん人にも会っていますし、研究も進んでいます。場面緘黙症は研究が進んでいない上に、実践例も少ないんですよね。私は子どもと会ったことさえありません。転勤してすぐ担任はとても無理です」

20年の教師生活の中で一度も場面緘黙児に遭遇したことがない…。話し相手の校長も、この学校で初めて会ったと語っています。

小説の設定では郡内20校のうち緘黙児は2名。場面緘黙の発症確率は0.2~0.7%といわれているので、1000人に2~7人と考えると、ちょっと少ないかも…。でも、長いこと小学校の教員をしていた私の父も、私が息子の緘黙を告げるまで、「場面緘黙」という言葉を聞いたことはなく、緘黙児に巡りあったことがないと驚いていました。

緘黙には程度の差があり、学校で全く話せない子もいれば、先生の質問には答えられる子、仲良しの友達とだけなら少し話せる子など、本当に千差万別です。少し話せる子は「おとなしくて寡黙な子」と認識され、「緘黙」に数えられてないのかもしれませんね。この小説では、場面緘黙が悪化し固定化してしまった重篤なケースが描かれ、その症状や学校での様子、子どもを取り巻く環境について、詳しく描かれています。

P11 「学校で声を出せない。音読ができない、歌えない、絵を描かない、作文を書かない。インフルエンザで休んだあと、登校をしぶる、給食を食べない。手を引かなければ移動できない」

この小説に出てくる緘黙の少女ミチルの学校での様子は、「~できない」とナイナイばかり…。でも、そんな彼女には保育園時代からの友達、夏海がいて、ずっと学校でお世話をしてくれているのです。

P39 「二つのことを必ずしよう。蔵田ミチルに声をかけることと家を訪れて親から話を聞くことだ」

P40 安倍教師「ほかの親から不満が出るかもしれない。特別の訪問を問題にしたらどうしますか」

緘黙児への声掛けは、返事がなくても本当に大切です。子どもは無視されるのが一番辛いのです。また、担任の態度によって緘黙児に対する他の子どもたちの態度やクラスの雰囲気も違ってくるのではないでしょうか?先生が理解してくれてクラスに居場所があり、不安が低くなれば、症状の緩和や子どもの自己評価につながっていくと思います。

物語の中では、他の教師から「親が噂をしてますよ」、子どもから「ミチルちゃんとナッちゃんは先生と特別です」という言葉も…。担任がひとりの子どもと関わると、「特別扱い」とみなされがち。特別支援教育が根付いているイギリスでは、クラス担任の他にTA(教育補助員)もいるため、何らかの問題がある子どもには配慮が当り前という空気ができています。が、日本ではまだまだ難しそうですね。他の子ども達や保護者も関わってくるこのデリケートな問題を、どう乗り切ればいいのか — そのヒントもここにあります。

P44 そのとき、ミチルの手が動いた。動いたことを見落とすほどのかすかな動き。

P45 知世が聞くと、ミチルはうなずいて、おずおずとした感じで首飾りを差し出した。「ありがとう。すてきな手作りの飾りをもらえて、よかった」

緘黙児には抑制的な気質の子どもが多いといわれています。子どものちょっとしたしぐさや心の動きを汲み取り、声をかけてあげられれば、少しずつ信頼関係を育てることができます。感性の鋭い子どもは、けっこう大人の心を見抜いているもの。「どう扱えばいいのか判らない」と思っていると、それが子どもにも伝わってしまいます。少しでもいいところを見つけて目立たないように子どもに伝える、褒めてあげることを忘れずに。

上記の他にも、学校全体で子どもを見守るよう職員会議で提案したり、母親との交換ノートを始めるなど、緘黙支援の様々なアイデアやヒントが散りばめられています。また、場面緘黙だけにとどまらず、職員室の人間関係、不登校、老親の介護など様々な問題も。ひとつひとつの問題に、自分なりの答えを出しながら誠実に取り組んでいく主人公 -そこには未来を紡ぐ子どもたちや周囲への温かな愛情があふれています。緘黙関係者でなくても読んで欲しい、心温まる秀作だと思います。

なお、この小説は大阪教映社による映画化が決定していて、2016年春から制作を開始し、同年秋に公開が予定されています。とても楽しみですね。場面緘黙にたいする理解はまだまだ浸透しておらず、いまだに「家庭環境のせい」、「家でしゃべれるから大丈夫」、「成長すれば治る」といった根強い誤解も…。映画を通して、場面緘黙や緘黙児を取り巻く状況を多くの方に知ってもらい、理解が深まればいいなと思います。

映画『校庭に東風吹いて』へのリンクです。現在、映画製作への支援協力を募集中です。

http://www.kyoeisha.net/koutei/index.html

 

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