息子の緘黙・幼児期4~5歳  これは只事ではない!

息子の問題が発覚し、初めてSENCOと会ったのは20052月前半のこと。先生から教室で動けていないと言われたものの、息子はそのことについて家では何も言いませんでした…。幼いなりに、「話さないことはいけないこと」という意識があったんだと思います。

初めてのハーフターム(学期の真ん中に入る1週間の休み)がやってきて、じっくりT君と遊ぶ時間が取れました。休み明けは普通に登校し、「学校に行きたくない」と嫌がったことは一度もありませんでした。うろ覚えですが、この頃から家で癇癪を起こすことが多くなったと記憶しています。

(緘黙児は人に注目されるのを嫌うため、基本的にはいつも通りの生活を貫きます。休むと目立つと考えるのか、学校を休むことはありません。恐怖の対象は「人前で話す」ことや「人に声を聞かれる」ことであり、緘黙している間は恐怖を回避できている状態(恐怖に直面している時より不安は低い)なのです。もし学校に行くのを嫌がったり、体調不良を訴えたりする場合は、緘黙の他に原因があると疑った方がいいかもしれません。例えば、学校で毎回話すことを強要されたり、友達にからかわれるなど、ストレスが大きいのかも…。普通なら気にしないような些細なことでも、繊細な緘黙児にとっては大きなショックになることも多いので、注意が必要です。子どもの様子が普段と違っていたり、何かあるなと思ったら、担任に相談してみてください)

イギリスでは一歩学校の外へ出ると、子どもの安全は保護者の責任。なので、小3くらいまでは、毎日送り迎えをしなくてはなりません。滑り台事件の後は、朝学校のゲートに入ると無言になるだけではなく、下を向いて小さくなっていたように思います。

校舎に入って入口近くでコートをフックに掛け、教室の前でバイバイするのが日課。事件後もひとりで教室に入っていくことができましたが、一度だけ教室に入れなかった日がありました。仕方がないので、手を引いて入口で待っている担任のところに連れて行くと、「お母さんも一緒にどうぞ」と言ってくれました。

私も他の子どもたちと一緒にカーペットに座って、レセプションクラスの朝の活動を体験することに。先生の話を聞きながら、横に座っている息子の様子をソッとうかがうと――えっ、どうしたの?!

全く無表情で、能面のような顔をしているのです!

まるで別人――何これ?! どういうこと?!

これは只事ではない!――と焦っているうちに朝の会(?)は終わり、座っていた子どもたちが立ち上がり始めました。すると、息子が手で私の体を押したのです。

――「マミーはもう帰って」というジェスチャーでした。

何が何だかよく解らないまま、先生にも促されて教室を後にしました。その日は能面のような息子の顔が頭から離れず…。あんな顔をするのを見たのは初めて。一体、息子に何が起きたのか?でも、お迎えに行くと、息子は普段の顔に戻っていて、いつものように私が持参したおやつを食べ、T君と一緒に運動場へかけだしていきました…。

一体なんなんだ~?!

その夜、私は息子にこう訊ねてみました。

「マミーが小学校に入った頃、学校はすごく大きくて、人がいっぱいいて、とても怖かったよ。○○も怖いでしょ? 怖いのに、よく我慢して毎日学校に行ってるね。偉いね。今朝、教室でずーっと黙ってたの、辛かったでしょ?」

すると、思いもかけない答えが帰ってきたのです。

「ううん。ボクいろいろ面白いこと考えてたから、ちっとも辛くなかったよ」

(へっ? あんな能面みたいな顔して、心中はすごい葛藤があるのかと思ったら、実はそうじゃなかったんだ~

私は小さい頃から空想癖があったのですが、どうやら息子も同類のようでした。今考えると、息子は不安から逃れるために現実逃避をしていたのかも…。

この頃、私にはまだ場面緘黙の知識が全くなかったのですが、なんとかしなくちゃいけない!と強く思いました。息子を寝かしつけてから、入学の際に学校からもらった資料を引っ張り出し、目を皿のようにして読んでいると――「健康上の問題があったら、School Nurse(養護教諭?)の○○さんに相談してください」という箇所を発見。

 「よし、これだ」と思い、翌日勇気を出してその人に相談してみようと考えたのでした。

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春爛漫

久しぶりに近所のガーデンセンターに行って、「もうすぐ水仙が咲く!」と嬉しくなった先週の土曜日。でも、その翌日に地区で行われたウォーキングに参加したところ、陽当りのいい丘の上ではもう水仙が満開になっていました。

  

ハイゲートの森の入口。野生(?)のスノードロップが咲いてました

このウォーキングは、ヴィクトリア王朝時代から1950年代なかばまで存在していた鉄道の跡(Highgate駅からAlexandra Palace駅間)に沿って歩くというもの。リーダーの男性による説明の他、常連のメンバーによる詩の朗読も。ママ友たちとウォーキングが目的で参加したのですが、どちらかというと地区のスポットを巡るお散歩みたいな感じでした。

小高い丘になっているマズウエル・ヒル地区からはロンドン中心部が一望できます

これは桃の花? この上を列車が走っていたというアーチ

丘の上にあって陽当りのいいアレキサンドラ・パークではクロッカスと水仙が満開

   1875年に建てられAlly Pally(アリー・パリー)の愛称で親しまれるアレキサンドラ・パレスには、展示会場やスケートリンクがあります

公園ではスミレや名前不明の可愛い小花を発見

先週の木曜日が私の誕生日だったのですが、2月末生まれの友達と合同誕生祝いということで、テイトブリテン美術館に行ってきました。お目当てはデビッド・ホックニーの個展。

   私はホックニーの舞台美術が大好きなんですが、常に新たな挑戦をしてスタイルをどんどん変えているのがすごいです。個性的なフォルムと色彩の美しさが際立ってました

   先週ガーデンセンターで購入した水仙が咲きました! そして、昨年花が終わった後シェッドに置きっぱなしにしていたヒヤシンスの鉢から芽が出てました~!

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抑制的気質とHSP(その1)

『緘黙児とHSP』のコメント欄で、恵子さんとやり取りをさせていただいたんですが、その中で私はHSPの概念をすっかり誤認していたことに気づきました。

私の頭の中で「ケイガンの抑制的な気質の子 = アーロンのHSC」という図ができあがっていたため、「ASD児の中にもHSPがいると思うと書いてしまったのですが、実際はASD児の中にも抑制的な気質の子がいると思う」でした。

でも、アーロン博士は『ひといちばい敏感な子 (Highly Sensitive Child)』の中で、HSCはASD児とは全く(そしてADHD児とも)異なると明言しています。その理由は、ASD児には共感性がないから。

ある方から、アーロン博士のHSPの概念を完結にまとめているブログがある、と教わりました。子どもの疲労と発達・睡眠について研究されているYukiさんの、『いつも空が見えるから』というブログです。子どもの発達に関する研究・書物を広範囲に渡って紹介・解説されていて、ひとつひとつの疾患や概念などに対し、概要&要点を理路整然と解りやすくまとめておられ、大変参考になります。

https://susumu-akashi.com/2016/10/hsp/#i

リンクフリーと書いてあるので、『ひといちばい敏感な子 (Highly Sensitive Child)』についてのページから、目次の一部と「HSPの4つの特徴」についてご紹介させていただきます(Yukiさん、お借りします)。(「日本語版に寄せて、2015年2月に書かれた最新の学術的情報を含む明快な解説が追加されており、その部分を特に参照して、HSPとは何かをまとめる助けにしました」とあります。私は日本語版を持っていないのでこれは知らなくて、本当に勉強になりました)。

HSPの4つの特徴> (目次から)

●上記の4つの特徴を持っていなければHSPではない、普通より感覚が敏感=HSPではない

●HSPの感受性の強さと、ASDの感覚過敏とは別のもの

「中には感覚器が特に発達している人もいますが、大半は、感覚器の反応が大きいのではなく、思考や感情のレベルが高いためにささいなことに気づくのです。(『ひといちばい敏感な子 (Highly Sensitive Child)』p432)

HSPの敏感さは、単に感覚刺激が強い過敏さではなく、深く処理する感受性の強さでした。そしてその中には、場の空気を読み取る力も含まれていました。それは共感力の強さです。

[HSPの感覚過敏は] 学術文献では「敏感性感覚処理 (sensory processing sensitivity)」と呼ばれています。第1章でも述べましたが、「感覚処理障害(sensory processing dosorder)」や「感覚統合障害(sensory integration disorder)」と混同しないでください。(p424)

*グリーンの部分は、全て『いつも空が見えるから』から引用させていただきました。

ASDの大きな特性のひとつは、場の空気を読むことや社会的コミュニケーションの困難さ。ASD児に感覚過敏が多いことは周知の通りですが、SM児やHSCにも感覚過敏を持つ子は多いようです。

なお、感覚過敏(反対に、感覚が鈍いと感覚鈍麻)は、発達障害がある子も、そうでない子も持ちうる特性です。

アーロン博士の考えでは、ASD児は感覚器の反応が過敏なのに対して、HSPの大半は感覚器自体が敏感なのではなく、「感覚に対する処理が深い=感受性が高い」ために、ささいな刺激を察知する――とのこと。

感覚過敏については、下記のサイトがとても参考になりました。

https://h-navi.jp/column/article/35025696

素朴な疑問なんですが――離乳食のころから好き嫌いが激しかったり、洋服のタグを嫌がったり、混雑する場所で大泣きしたり—まだ赤ちゃんのころから、既に「感覚に対する処理が深い」んでしょうか?脳はまだまだ発達段階ですよね?

私は息子をHSCだと思っています(巻頭のHSC診断で高スコア、4つの特徴も備えている…と思う)。感覚過敏に関しては小学校高学年くらいまでに随分改善しましたが、息子の場合は、感覚器官自体が過敏なように思います。

判りやすいところでは、皮膚の過敏さや聴覚の鋭さなど。

息子は生まれたときから乾燥+敏感肌で、アトピーやアレルギーに苦しみました。2歳の頃、同じ年の女の子と庭で一緒に水遊びさせた時のこと――4月の天気のいい日で、その子のママは「丈夫になるから」と上半身裸にさせたんです。で、うちも真似してみたら、みごと息子の背中はアセモだらけに!

そんな調子なので、洋服は常にコットン100%、襟のタグは小2くらいまで切ってました。それから、ものすごいネコ舌で、ちょっと熱いだけでとよく泣いてた記憶が…。

聴覚については、庭に置いてある猫よけ超音波の音が、16歳になった今でも聞こえます。20kHz以上の音波(超音波)は人間の耳には聞こえないと言われ、子どもの頃はある程度聞こえても、大人になると全く聞こえなくなるらしいんですが…。ちなみに、私と主人には全く聞こえません。

これって、やっぱり感覚器官そのものの敏感さではないでしょうか? ということは、息子は感覚統合障害なんでしょうか?(現在は、鈍感になったのか対処法を見つけたのか、感覚過敏で困ってることは殆どないようですが)

また、ASD児の感覚過敏とHSCの感覚過敏は本当に別のものなんでしょうか?明確に分けられるものなのか、それとも色々な状態が連続体のように複雑に重なり合っているのか?

私は高機能ASDのこども専門の特別支援校で日本語を教えています。小学部では感覚過敏のある子が目立ちますが、やはり成長するにつれて目立たなくなる傾向が強いよう。以前、小学部で研修していた時は、子どもたちの様々な感覚過敏・感覚鈍麻を間近に見ました。思ったのは、息子に比べると振り幅がすごく大きいなと…。

例えば、給食が全くといっていいほど食べられず、毎日スタッフと長時間格闘(それでも10分の1も食べられない)とか、防音対策でイヤーマフを活用とか…。最初は苦手だったけど、徐々に食べられるようになる、徐々に騒音に慣れる――というような感じではなかったです。

「ダメなものはダメ」と絶対受け付けず、それが高じてパニックになったり--とにかく反応が半端じゃなくて、耐忍度が低いというんでしょうか。なんとなく、同じように感覚器が過敏でも、それに対する感じ方・反応が大きいような???

すごく長くなってしまったので、次回に続きます。

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緘黙児とHSP

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芽吹きの季節

毎日あっという間に時間が過ぎて、もう3月に入ってしまいました。イギリスでは2月中旬あたりから空気に春の兆しが感じられ、家々の庭先に早春の花が咲き始めています。2月はじめにはスノードロップのベル型の白い花、それから黄色と紫のクロッカス。いつの間にか淡いピンクの梅や早咲きの桜も花を開き、水仙の硬いつぼみも大きく膨らんでいます。

近所のお宅の前庭に咲いていた梅とマンサクの花。我が家のバラの木にも芽がいっぱい

春の訪れとともに、嬉しい知らせが。昨年秋から不登校気味で1月は一度も学校に来なかった生徒さんが、新たにできた6フォーム(6th Form 16 ~18歳の子が通う2年制の学校)の校舎に通うことになったというのです。

今までは、小学4年生から高校3年生くらいまでの子どもが、同じ校舎で学んでいました。30名と生徒数は少ないんですが、普通の家を改造・増築した建物なので、教室の配置が入り組んでいて、階段も狭く、いつも込み合っていて、窮屈な感じが否めませんでした。

彼はまだ14歳なので、6フォームに通うべき年齢ではないんですが、本人と学校の話し合いで「そこだったら通う」と決めたそう。

同級生や下級生のことを「ガキばっかり」「騒がしい」と称していたので(笑)、年上の子と一緒の方が落ち着くんでしょうね。今度の校舎は広々としていて、スタッフと共同で使える広いキッチンも。給食がないため、生徒がめいめい自分でランチを作るんだとか。即席スープやカップラーメンからサンドイッチ、パスタの材料までいっぱい揃えてあります。ライフスキルを身に着けるのに最適ですね。

しばらく休んでいたし、本当に登校できるのかなと心配だったんですが、彼は先週からちゃんと学校に来始めました。やった! お母さんもほっとしてると思います。

私の授業も再開した訳ですが、しばらく会っていないのに、照れた様子など全くなし。まるで何事もなかったように、ほんとうに普通なんです。こういうところが、やっぱりASDならではなのかな…。(でも、興味のある話題だったら、嬉しさを分かち合えるASD児もちゃんといます)。

「この学校はどう?」

「まあ、悪くない」

「家で退屈してなかった?」

「ううん、すごくハッピーだったよ。また学校に来なきゃいけなくなっちゃったけど」

彼は表情をあまり変えません。というか、表に出す感情の幅がすごく狭い…。一見しただけだと、「つまらなさそう」に見えます。でも、ボディランゲージや言葉から、今度の校舎や人間関係が気に入っていること、不安な状態ではないことが伝わってきました。彼の「悪くない」は「気に入った」なんですね。まあ、「嫌」だったら断固として動かないはずなので。

他の生徒と一緒の大教室でも、落ち着いて勉強しているのを見て大感激。年齢が上の子達はワーワー騒いだりしないし、先生達も静かに話すし。前の校舎と比べると、静かでゆったりとした雰囲気が気に入っているんだろうなと思います。

「サンドイッチ用のトマトを切らせたら、とんでもない切り方だったわよ」と、作業療法士が苦笑しながら教えてくれました。きっと家でもやったことがなかったんでしょう。でも、スタッフ全員が彼の復帰を心から歓迎しているのが伝わってきます。

このまま、問題なく学校生活を楽しめますように。

そうそう、昨日やっと屋根裏の工事のために組んだ足場が撤去されたので、久しぶりに近所のガーデンセンターに行ってきました。

 

早春の球根花と色とりどりのプリムラ

もう咲く寸前の水仙と葉が出てきたチューリップ

クリスマスローズの種類も豊富

こんな日時計が欲しいけど、うちの狭い庭では無理。プランターやかご類も充実してます

窓辺に飾る水仙と勿忘草を買いました

 

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息子の緘黙・幼児期4~5歳  教室で動きません

その週の終り、担任といっしょにSENCO(特別支援コーディネ―ター)に会うことに。初めて会ったSENCOは(それまで存在すら知らなかった)、感じの良いフレンドリーな女性。カラフルなカーテンで仕切られたSENCOの部屋で、とてもリラックスした雰囲気のミーティングが行われました。

そこで息子の学校での様子が明らかになりました。なんと、ひとつのテーブルから動かず、言われた課題も全くやらないと。そして、全く言葉を発さないと

レセプションクラス(45歳)の教室には、複数の子どもが一緒に活動できる大きめのテーブルが4つ。数字や文字遊び、お絵かき、モデル作りなど、それぞれ異なる活動がセッティングされています。その他、変身コーナー(コスチュームがいっぱい)や木製のキッチンコーナー、PCコーナーなどが設けられ、教室の外には専用の小庭も。遊具もたくさんあって、水遊びや土遊びもできます。

この学年は小学校にあがるための準備コースのようなもので、遊びながら学ぶという方針。クラス全員がカーペットに座って、お話を聞いたり、アルファベットなどを学ぶ時間があり、毎日いくつかの課題をこなすことになっていました。

それなのに、一日中ほとんど動かず・しゃべらず、何もしていないらしいのです!そういえば、学校に行く途中までは結構おしゃべりなんですが、学校に近づくにつれて口数が少なくなり、ゲートを入ると話さなくなるような。それでも、放課後に教室から出てくると、私やT君ママとは普通に話し、T君といっしょに運動場で元気に遊んでました。

まずSENCOに訊かれたのは、息子の友人関係でした。幼稚園時代からの仲良しのT君がいると告げると、クラスが違うのにもかかわらず、なるべく授業中でも一緒に遊べるようにしましょうと。とにかく、小さいことでも何かできたら褒め、少しずつできるように支援するという対策が立てられました。

この頃、私はまだ小学校の制度にも、こういったミーティングにも慣れておらず、なにしろ初めてのことだらけ。息子がいつから動けなくなったのか、入学当時からずっと課題をやっていなかったのか、そして何が原因と思われるのか――重要なことを全く質問しませんでした

SENCOの口から場面緘黙という言葉は全く出ず。この時点で、すでに入学してから3週間以上が経っていました。もし最初から話してなかったのなら、担任はもっと前に警告してくれていたはずと思います(全く話さないのは、結構大きな問題なので)。だから、多分入学して2週間後に起こった滑り台事件が息子の緘黙のきっかけだったんじゃないか、と推測しています。

「どうかよろしくお願いします」と頭を下げ、複雑な思いで家に帰ったこの日。息子と私の、緘黙との戦いが始まったのでした。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その8)

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息子の緘黙・幼児期4~5歳  SENCOに会ってください

息子の緘黙記の続きです。

事件が起こった翌週、息子をお迎えに行くと、ガラスの窓越しに担任からちょっと来てと合図が…。なんだろうと思い中に入っていくと、担任が申し訳無さそうな顔をして、こう言ったのです。

「○○君が学校生活に上手く適応できていないので(ハッキリ覚えてないんですが、こんな感じの言い方だったと思います)、SENCO(特別支援コーディネ―ター)に会ってください」

えっ、だってつい先週「友達ができました」って嬉しそうに伝えてくれましたよね?「大丈夫、やっとクラスに溶け込めそうです」って、言いましたよね??? えええっ~?! どういうこと??

何がなんだか訳がわからず、でもSpecial Needs”という言葉をきいて、ハンマーで頭を殴られたようなショックでした。

うちの子、特別学級なの?

今思えば、偏見そのものなのですが、自分が子どもだった頃の特殊学級のイメージが頭の中をぐるぐる回っていました。息子は、普通クラスについていけないの?

どうしよう?!

その時、詳しい状況の説明はなにもありませんでした。入学2週目からは通常の時間帯になり、担任と話す機会も少なくなって、息子が教室でどんな様子なのか全く知らず…。全然うまく馴染めてなかったのか??

そして、何故かその前の週に起こった滑り台事件のことは、私の頭から全く抜け落ちていたのです(担任もそれについては一言も…)。あの事件が大きく関与していたに違いないことは、後になってから気づいたのでした。

ガビーンとショックを受け、子どもが寝てから主人に訴えたものの、彼はあまり動じない性格というか、ズレてるというか…。「学校は弱肉強食のジャングルだからな」って、はぁ?(主人は親の仕事の関係で8歳から寄宿学校に入れられた人です)。「まずは、SENCOと話すのが先決じゃないか」と…。かわいい息子のことなのに、何故そんなに冷静でいられるのか、私には理解できませんでした。

(主人は非HSPなので、繊細な息子の気持ちやリアクションがよく理解できないよう。あまり立ち入らずに見守って、彼なりのやり方で愛情を注いでいるのですが、時にすごく「冷たい」と感じ、昔は随分腹を立てたものです)

まあ今だからこそ言えますが、すごく心配性の私と何でも結構アバウトな主人(自分のこと以外は?)の組み合わせだからこそ、そこまで深刻にならずに済んでいるのかもしれません。二人とも心配症だったら、心配や落ち込みも二倍以上になってしまいそうなので、これでバランスが取れているのかも…。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その3

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その4)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その5)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その6)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その7)

 

 

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緘黙児とHSP

場面緘黙の遺伝的な要因として、行動抑制的な気質があげられます。以前にも書きましたが、私は息子が ”とても敏感な人 HSP (Highly Sensitive Person)” に生まれてついた、と思っています。 

赤ちゃん時代は大泣きするし、幼少時も敏感で繊細すぎて「どうして他の子みたいにパッと行動できないの?」とヤキモキすることが多々ありました。16歳になった今でも、まだまだシャイなところが多く、「面倒なヤツ」と思うこともしばしば (でもその半面、優しくて思いやりがあって、なかなか頼りになるヤツでもあるのです)。

HSP (Highly Sensitive Person) という言葉・概念は、アメリカの心理学者エレイン・アーロンによって考案されました。彼女が1996年に出版した” The Highly Sensitive Person” には、HSPとは何か、またHSPが抱える生きづらさや人生への対処法について書かれています。

日本では2000年に翻訳本『ささいなことに動揺してしまうあなたへ』が出版され、大ヒットしたので、ご存じの方も多いのでは?彼女自身がHSPで、大勢のHSPの体験を例にして書かれているため、説得力があり、とても参考になります。

HSPは生まれつき感覚処理感受性(SPS: Sensory Processing Sensitivity)が通常より高いため、ささいな事に対して傷つきやすい性質を持つとしています。また、通常では気にならないほどの感覚刺激に対して、興奮しやすいという特性もあると。

アーロン女史は、この本の中で子どもの行動抑制的な気質を研究したアメリカの発達心理学者、ジェローム・ケイガン(Jerome Kagan 1989) を引用。自らが研究する「敏感さ」は、彼が研究してきた特徴と同じであり、「HSP=行動抑制的な人(子ども)」としています(ケイガンによると行動抑制的な子どもは全体の10-15%)。

(ただし、ケイガンがこの特徴を主に「inhibited 臆病」と呼ぶことに賛成しかねると。子どもは怖がっているのではなく、周囲で起こっていることを処理しているだけかもしれないと反論しています)

地球の全人口の15-20%が敏感な精神を持つ、ということは人類の5分の1がHSP。この確率の高さからも、HSPは病気/ 障害 (disorder)ではなく、正常だと断定しています。ただ、人類の5分の4は非HSPで、その中でHSPはマイノリティー。多数派の非HSPによって常識や価値が決められてきた世界で、感受性が高すぎることが「欠点」と捉えられる傾向が強い…だから、生きづらさを感じてしまうんだと。

敏感さの程度や反応の仕方は人によってさまざまで、スペクトラム状になっているものと推測されます。そのうえ、環境要因が大きく影響してくるため、HSPの子どもには、どんな風に接したらいいのか、どんな風に育てればいいのかが異なってきます。

非HSPにはスパルタ式のやり方が有効かもしれませんが、HSPの心は折れてしまうかも。過保護といわれようが、子どもが自己肯定感を持てるよう、かなり注意して育てる必要があるように思います。この本には色々な事例が載っていて、総括的に書かれているので、すごく参考になると思います。

また、同著者の『ひといちばい敏感な子 (Highly Sensitive Child)』は、HSPの子どもを持つ保護者のために書かれていて、緘黙児を持つ親御さんにはお勧め。私はまだ日本語版を持っていないのですが、5年位前に図書館でこの本に出会った時は、目からウロコでした。そして、「もっと早くに出会ってれば」と心底思いました。

私は外国で子育てをするにあたり、「しっかりしつけないと」という思いが強く、「○○しちゃ駄目」と言うことが多かったように思います。自分自身にも完全主義の傾向があり、父親がかなり厳格だったためか、「とにかく、やってみる」「一度始めたら最後まで」と意固地になってたような…。主人は放任主義というか、「やりたくないなら、しょうがない」という態度なので、つい私のほうが厳しくなっちゃうんですよね。

息子は新しいことをさせようとすると、かなり長い間手を出さないで見ている傾向が強かったのですが、私の気持ちをビンビン感じ取って、「押し付けられる」「やらなきゃ」と息苦しかったと思います。もっと大らかに見守ってあげていれば、と今は大反省。息子の敏感さを肯定的に捉えて、もっともっと褒めて育ててあげていればよかったなと思うのです。

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遺伝的な要因ー行動抑制的な気質

抑制的な気質(1)

母親も緘黙だった6歳の男の子のケース

 

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息子の緘黙・幼児期4~5歳  滑り台事件おこる

もう2月に入ってしまいましたね。うちの屋根裏部屋の工事は、後は窓を入れるだけ(なかなか入荷しません)という段階までこぎつけました。やっと終わる~と喜んでいるものの、次は自分たちで内装ペイントをしなければなりません。

さて、息子の緘黙記の続きです。

まあまあいい小学校生活のスタートが切れたかも、と少しほっとした次の週。たまたま仕事で外出していた日、家に帰ると留守番電話にメッセージが(当時のイギリスではまだ携帯電話がそれほど普及してなくて、私は持っていませんでした)。

メッセージは学校からで、「○○君がお昼休みにケガをしました。すぐ迎えに来てください」というもの。

すでに1時間ほど経過していましたが、急いで学校へ。すると、怯えた様子の息子が担任に連れられてきました。唇の横や手に小さな擦り傷があり、服にも点々と乾いた血が…。でも、それ以外に大したケガはないようでした。

「大丈夫?痛くない?」と訊くと、コクンと頷いたので、ちょっと安心。

先生によると、給食の後に校庭で滑り台から落ちたとのこと。一度に大勢の子どもが滑り台に登ったため、押しくらまんじゅう状態になったらしいのです。

お昼休みは学校職員が休憩する時間なので、その間は別に雇われているスタッフが子どもたちを監視します。が、校庭に出てくる子どもの人数が多いので、この事件を防げなかったようでした。

「本当に申し訳なかったわ。監視する大人の数が少なすぎるのよね」と担任。でも、側にいた学校職員は「まあ、よくあることだから」と…。

「えっ、よくあることなの? 運悪く頭を打ったりしたら、危ないじゃない」と思いましたが、当時の私はまだ新米保護者。学校に対して抗議するなんてことは、思いもよりませんでした。

その日は息子の手を引いて、いつもより早い時間に帰宅しました。帰宅途中、そして家で何が起こったのか訊きだそうとしたのですが、そのことに触れると息子は口を噤んでしまうのです…。でも、いつもと変わらずお気に入りの玩具で遊び、ご飯もちゃんと食べ、オシャベリもしてたので、それほど深刻には考えませんでした。

翌日、息子はいつも通り登校。お迎えの時間にT君のママに会うと、やっと事件の全容が見えてきました。息子のT君が詳しく話てくれたそう。

親友のT君とはクラスが別になってしまいましたが、お昼休みにはいつも一緒に遊んでいて、前日もT君と滑り台で遊んでいたのでした。滑り台の上に大勢の子どもがあがったところで、どういう訳かぎゅうぎゅう押し合いになったというのです。

最年少で力も弱く、多分押されるままになってた息子は、はずみで落っこちてしまったんでしょう…。落ちた後、滑り台の下でひとり、声も出さずに泣いてたんだとか…。T君が大人を呼びに行ってくれて、やっと発見してもらったと…(これは学校の管理不届きですよね)。

かわいそうに、どんなに怖かったことか…。

でも、校庭に出てきた息子は、いつもと変わらずおやつを受け取ると、T君と一緒に校庭にかけ出していきました。その後も、別段変わったところはなく、普通に過ごしているように見えました。私は、ちょっと成長したな、と思ったのです。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その6)

 

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息子の緘黙・幼児期4〜5歳  落とし穴の一歩前

とびとびになってますが、息子の緘黙記の続きです。

一番最後にレセプションクラス(4~5歳)に仲間入りした息子でしたが、最初の2週間はなにごともなく過ぎました。

入学して1週間は午前中のみ。給食が始まる前に迎えに行くと、私の顔を見てほっとしたような顔。教室から遠ざかるにつれて、徐々におしゃべりになっていきます。でも、私が学校のことを訊くと途端に口が重くなるので、なるべく遠回しにききだすようにしてました。

うちの子は、幼稚園の頃から園での出来事をあまり話したがりませんでした。話すとしても、自分に直接起きたことではなく、周囲で起こったことが中心。だいたい幼稚園時代の親友、T君の話題やその頃好きだった『サンダーバード』関連のことが多かったかな?

興味のあることを話しているうちに、ふと園での話題がばーっと出てくるのです。ただ、「嬉しかった」とか「辛かった」とか、自分の気持ちを伝えるのは苦手だったように思います。嫌なことだけは、「イヤッ」とハッキリ言うんですが…。

2週目からは、大きなダイニングルームで他の学年の子たちと一緒に給食を食べ始めました。幼稚園の延長保育で給食に慣れていたためか、これも問題なくクリア。すぐに午後まで学校にいられるようになり(ほとんど遊び中心)、私としては大助かりでした。

通常の時間にお迎えに行くと、インファント(レセプション~小2まで)のママ達がわんさか集まっていて、新米の私はちょっと気おくれ(イギリスでは学校外での児童のセキュリティは保護者の責任となるため、お迎えが義務付けられているのです)。最初は、クラスは別になったものの、同じ時期に入学したT君のママとつるんでました。

授業が終わると、子どもたちは教室の外の廊下に出て保護者を待ちます(窓ガラスごしに姿が見える)。担任はひとりずつ保護者を確認しながら、生徒を外に出していくのです。幼稚園でも小学校でも、担任のみならず他の先生方やスタッフまで生徒の名前と保護者の顔を覚えている――すごいなと驚いたものですが、この制度のお陰かもしれませんね。

外に出てきたT君と息子は、私たちからおやつを受け取ったあと、元気に運動場に飛び出して行きます。他に日本人駐在員のお子さんたちもいて、放課後に日本人が固まって遊んでいることも多かったかな。その時は、もちろん日本語。幼稚園の頃と同じで、息子はT君とママにはこれまで通りしゃべってました。知り合いになった日本人ママ達の前でも普通に声を出していたと記憶しています。

そして、2週めの終わりの日。担任から「時間がかかりましたが、やっとお友達ができました!B君です」と告げられました。「ああ、良かった~!これで小学校生活も大丈夫かな…」。ものすごくほっとした気持ちを、今でもありありと覚えています。

でも、その後に大きな落とし穴が待っていたのでした…。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その4)

息子の緘黙・幼児期4~5歳(その5)

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再々度、緘黙は発達障害 or 障害なのか?

日本では、場面緘黙=発達障害というイメージが強いことについて、再び考えてみました。全く専門家ではないので、いち素人の考えとして受けとめてください。

(以前に書いた記事はこちら → 『緘黙は発達障害なのか?』『再び、緘黙は発達障害なのか?』)

大前提として、緘黙は「発達障害」ではなく「不安障害」のカテゴリーに含まれています。そういう意味では発達障害ではないといえますが、発達障害の子が緘黙になるケースもあるし(詳しくは、「場面緘黙とは?(その3)」をご参照ください)、学校や病院など公の場で緊張状態にあるため、家庭での本来の姿が見えにくく、判定が難しいのではないでしょうか?

特に、緘黙児とASD児の持つ特性がオーバーラップする部分があるため、(詳しくは、『ASD児と緘黙児--類似する特性?(その2)』をご参照ください)、見分けがつきにくいというのが現状ではないかと。病院など不慣れな場所で、不安を抱えながらWISCなどの発達テストを受ける場合、本来より低い判定が出たりしないんでしょうか?

私は息子が場面緘黙になった時、緘黙は「障害」なのか「症状」なのか、ものすごく気になりました。というのも、「障害」というと「治らない」というイメージが強かったから。

例えば、「睡眠障害」というと重篤な印象ですが、「不眠症」というとそれほど重い感じはしませんよね。でも、正確には「睡眠障害」という大きなくくりがあり、その中のひとつが「不眠症」なのです。

では、「障害」とは何か? 障害者基本法の定義には、「この法律において、障害者とは身体障害、精神薄弱又は精神障害(以下「障害」と総称する)があるため、長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう」と書かれています。(「長期に渡り」の「長期」がどれくらいの長さなのか調べてみないと判らないのですが、多分1ヶ月以上からではないかなと…)。

緘黙の場合、話せないことにより長期に渡って日常・社会生活に制限を受けるわけなので、定義からすれば障害に分類されるのかもしれません。ただ、緘黙が起こる場所が学校を中心とした公の場で、家庭では制限を受けないことも多いので、ややこしいですね。

精神障害の中でも「うつ病」や「パニック障害」など治るものもあれば、「てんかん」など生まれつきで治らないものも。脳の機能的障害により引き起こされる「発達障害」は後者です。場面緘黙については、治る不安障害のひとつと考えればいいのかな?

発達障害の定義を調べてみると、「脳機能の発達に関係する障害」とあり、具体的には主に広汎性発達障害(自閉症、アスペルガー症候群)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)をあげています。(他に、トゥレット症候群と吃音が含まれます。知らなかったのですが、吃音は2005年から発達障害の対象となったよう。ということは、吃音は治る部類の発達障害なんでしょうか??)。発達障害とは、子どもが成長する過程において、基準の発達段階に到達しない状態。発達期間中いつでも開始し、通常生涯を通じて続くとされています。

参考: 政府広報オンライン『発達障害って、なんだろう?』http://www.gov-online.go.jp/featured/201104/index.html

なお、欧米では「PDD(広汎性発達障害)」ではなく、主に「ASD (Autism Spectrum Disorder 自閉症スペクトラム障害)」という名称を使っています。DSM-5(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル)では、「アスペルガー症候群」というサブカテゴリーが無くなりました(詳しくは、『DSM-Vに登場した新たなコミニュケーション障害(その2)』をご参照ください)

どうしてまた場面緘黙と発達障害について取り上げたのかというと、緘黙の背景にある問題を早期に見極めることの重要性を感じているから。発達障害だけじゃなくて、言葉に問題があるケースなど、早期に発見できれば早く対応することができます。また、緘黙が障害であれ、そうでなかれ、抑制的な気質を持つ緘黙児に対しては、通常とは違う配慮が必要だと思うのです。

性格的なものは変えられないことが多いし、たとえ完治しない問題があったとしても、環境を変えたり、対処していくことで、日常&社会生活はずっと楽になるはず。性格であれ完治しない問題であれ、一生つき合うのなら、早くから気づいて自分なりの対処法を身にけるのがベストではないかと。

こんなことをいうのは、私が日本語を教えているASDのティーン達(全員アスペ男子)を見ていて、早期対応がいかに大切か実感できるからなんです。みんな(今登校拒否中の一人を除き)マイペースで、学校生活をそれなりに楽しんでる感じ。まあ、30人位しかいない特別支援校で、先生やTA達とも気軽に話ができる環境ではありますが…。

生徒はそれぞれ、ASD以外にもADHDやLDなど複数の障害を抱えています。公立校で仲間外れにされたり、問題を起こして転校してくる子も多数。が、特別校ではなんとか自分の居場所を見つけ、自信を回復しているよう。友達を作り、得意科目の成績を伸ばし、趣味のゲームに没頭したり、ジョークを飛ばしたり。学校生活に不安を感じず、ノビノビしてる子が多いように感じます。

例えば、A君は「僕はADHDだから集中力ないよ。ちょっと休んでいい?」と主張。D君は「ディスレクシアだから読むのが遅いんだ」とか「もっと論理的に」と、自分が納得するまで質問したり、課題をこなすのに時間がかかってもメゲません。私の英語の発音やスペルミスは、嬉しそうに速攻で指摘してくるし(恥)。自分の特性をちゃんと理解して、自分なりに対処している様子。

この学校でも、常に何らかの問題は起きています(特に、小学部)。感情をコントロールできず、反省室に入れられるエピソードは頻繁に起きるし、昨年は怒りに任せて窓ガラスを割ってしまい、手を負傷した子も。でも、みんなある程度自己主張しながら学校生活を送れている印象。不安や緊張感がないということが、自信にも繋がっているように思います。そして、この自己肯定感こそが、社会の中で生きる上で一番大切ではないかと思う今日このごろなのです。

長々とひとりごとを聞いていただいて、ありがとうございました。次は抑制的な子どもへの対処法について考えてみたいとい思っています。

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