ASD児の不安と緘黙児の不安

クラスの5人の子ども達に共通しているのは、「自閉症の三つ組」と呼ばれる特性です。子どもによって三つ組のバランスや現われ方は違いますが、程度の差はあれ全員これらの特性を持ちあわせているなあ、と納得しているところです。

1) 社会性の質的な差異

年齢相応の常識や社会性を身につけるのが難しく、場の空気を読んだり、人の気持ちを察して行動することが苦手

2) コミュニケーションの質的な差異

適切な言葉やボディランゲージを使って人と交流することが難しい

3) イマジネーションの質的な差異

目の前にない事柄(もの・情報・可能性など)について推測したり予測したりすることが困難

研修初日にクラス担任に言われたのは、「この子達は、時間や空間といった抽象的な概念を捉えるのが苦手だから、教室の移動やスタッフの顔ぶれが変わるだけでも不安になりやすいの。だから、スケジュールが変わる時は要注意」ということでした。

「抑制的な気質」を持つ緘黙児も、新しい状況に慣れるのに時間がかかり、未知の体験・環境・人に対して不安になると言われています。また、ASD児と同様に、感覚過敏がある子も少なくないようです。それでは、ASD児とSM児の感じている不安は同種類のものなのでしょうか?

以前、『Selective Mutism in Children(2003)』の著者のひとりであるトニー・クライン教授にこの質問をしたところ、「SM児とASD児では、抱えている不安の質が違う」という興味深い返事が返ってきました。

彼によると、SM児の不安は「自分が話しているところを人に見られたくない=人前で失敗したくない、目立ちたくない」という社会不安であり、ASD児の不安は「予測がつかない事態への不安」だということ。

これまで体験入学でやってきた子のお世話を何度かしたのですが、どの子も「次はなにをするの?」と質問してきます。担任が事前に必ず作成しておくのが、その子用の時間割。最初に時間割の説明は済ませているのですが、訊かれる度にそれを見せて、「今この授業をやってるから、次はこれだよ」と説明すると、みんな安心するのです。

(ちなみに、教室内には仕切りのついた個別のブースが5人分あり、それぞれの子どもに机とPCが与えられ、壁にはラミネート加工したその日の時間割が貼ってあります(曜日毎に貼りかえます)。驚いたのは、子どもによって時間割の表記が異なること。数字と教科を記しただけのシンプルなものもあれば、時計の絵と教科のシンボルマークが入ったもの、1教科終わるごとに閉じて、その時やっている教科と時間が明確になるものなど、実に工夫に富んでいて感心します)。

朝の会では、まず最初に担任がその日のスケジュールと変更事項などを説明するのですが、これが子ども達の不安を低減するのに役立っているよう。また、ひとりひとりの子どもに対し、その日の具体的な目標を確認(例えば、発言する時は手を挙げるなど)するのも、どう行動すればいいか解りやすいと思います。

子ども達には、普段心配そうだったり、不安そうにしている様子は見られません。何か嫌なこと、したくないことがあって不安になった場合は、即座に「嫌だ」、「やりたくない」と強い拒否反応を示すことが多いかな…。ASD児はとても正直なので、嫌な時、不安な時、困っている時はストレートに言動に現われるように思います。

学校にはホールがあって、ランチや全校集会、屋内体育の授業などに使用するのですが、全校集会に出ることを嫌がる子がいました(現在はあまり問題ありません)。途中で転校してきたこの子は、ランチの時間は全く平気なのに、全校集会の時だけ時々問題児に…。聴覚過敏で騒音が気になる部分もあったようですが、何をするのか予測がつかない部分と前の学校での嫌な体験が不安に繋がっていたようです。

皆と一緒にベンチに座っていたのに急に立ち上がって教室に戻ろうとした時もあれば、問題なく話を聞いていた時、嫌がってホールに入らず教室のドアを蹴飛ばして大声で叫んだ時もあり、何が原因なのか??? そうかと思うと、うちのクラスが発表会をした時には、皆の前でPCを操作し、堂々と発言するという…。

その時々の雰囲気や心理状態などが強く影響しているという印象で、すごく波がありました。人にどう思われるかを気にする面は、あまり大きくなかったような…。

一方、息子も全校集会を酷く嫌がっていた時期(小3の頃)があったのですが、理由を訊いてみたら、「もし校長先生に呼ばれたら、何か訊かれるかもしれない。怖い」と。更に、様々なシチュエーションを想像して、もし何か失敗したらどうしようと、心配しているのです。ちょっと考えすぎ、想像しすぎじゃないのと思えるくらいに。

全校集会では、その週に頑張った子ども達を校長先生が表彰(といっても、とても簡単なもの)する習慣があって、大勢前に出て行って簡素な表彰状をもらい、大抵は”Thank you”を言う程度だったと思います。何とかそういう場でも返事ができるくらいまで回復していた時期でしたが、まだまだ不安は大きかったよう。実際に体験してみて、「あっ、思ったほど大変じゃなかった」と実感することで、徐々に慣れていくことができたように思います。

この2つのケースを比較してみて、不安の質が違うというのはこういうことなのかなと考えていますが、どうなんでしょうか?

 

ただいまSENTA(特別支援補助員)の修行中

私は昨年9月から自閉症児専門の小規模な私立校で、週に1回TA(教育補助員)の研修をさせてもらっています。できれば緘黙児の支援をしたいんですが、緘黙だけでは予算がおりないため、学校が専属の支援員を雇うことは殆どありません。ASD児に対する支援員の需要が多いのと、ASDの二次障害として緘黙を発症するケースが知られているため、まずはASD児支援の現場で経験を積みたいと思いました。

この学校には8歳~18歳まで、30名ほどの子ども(殆どがアスペルガー症候群)がいますが、SM児はひとりもいません。子ども達を見ていると、少人数のためか教師と生徒、生徒同士の交流が多く、子ども達がのびのびしている様に感じます。でも、時々切れて暴れる子もいて、怪我をしないようにパッディングした特別室も…。

私が研修している日は放課後に勉強会を開くことが多く、知識と英語力のなさで落ちこぼれながらも、学ぶことがいっぱい。ふと気がついてみれば、今週からもう3学期に突入…。緘黙児にも使えそうな支援も多いので、忘れないうちに書き留めていきたいと思っています(話題があっちこっちに飛び、解りづらくてすみません)。

その前に、まずざっとクラスの説明を。配属されたのは、小学校高学年の男児ばかり5名のクラスです。全員が高機能自閉症で、うち4名はアスペルガー症候群ということですが、自閉の度合いも性格も千差万別。これらの生徒5名に対して、クラス担任に加えTAが2名。その他、言語療法士、作業療法士、音楽療法士など専門家も勤務していて、大人の人数が圧倒的に多い!

まず子ども達に接してみて驚いたのは、いきなりやってきた謎の東洋人の私に対して、すんなり馴染んでくれたこと。少人数で落ち着いた学校生活をおくっているためか、はたまたスタッフへの信頼が厚いためか…。いきなり「ねえ、これ見て、見て!」とよってくる子が多く(われ関せずという子もいましたが)、みんな友好的で嬉しかった!どの子も本当に可愛いくて、今では身内になったような気分です(笑)。

教室のレイアウトから時間割まで、子どもの特性や能力、年齢に合わせて、こんなにきめ細かな学習&生活支援をしてるんだと驚ろくことばかり。彼らは日々成長していて、急にぐーんと伸びることも。それを見て驚きと喜びを感じるとともに、何も変わっていないようにみえても、毎日の積み重ねが大事なんだなと思い知らされます。

私はASD児に対して、

  • 視線が合わないことが多い
  • 変化を嫌い、初対面の人には馴染みにくい
  • 他人に対する興味が薄い
  • 会話がなりたたないことが多い
  • 社会性がなく、友人関係が育ちにくい
  • 話し言葉やイントネーションにクセがあることが多い
  • 表情が乏しいので何を考えているのか判りづらい
  • 積極奇異型、受動型、孤立型などがある

こんな知識を頭に入れていたのですが、実際に接してみると、視線は合うし普通に話せるおしゃべりな子が多い。ぱっと見ではASDと判らない子も多いです。スペクトラム(連続体)なので、そんなに単純明快に特徴が分かれている訳じゃないんですね。

ネットで調べてみると、高機能自閉症の定義は知的な発達が正常で、アスペルガーの場合は言語の発達においても遅延や遅滞が見られないというもの。でも、5人いれば5通り、本当にそれぞれ違うんです。これは緘黙児も同じですよね。だからこそ、それぞれの子どもの特徴や性格を把握して、一番合う支援をすることが大切なんだなと痛感しています。

(私はASD関連の知識が殆どないので、トンチンカンなことを書いているかもしれません。間違いがあったら、指摘してくださるとありがたいです)。