決めつけないで(その2)

8月の半ばに、最近気になっている言葉”Judgement” と ”Judgemental” について書きました。今回はその続きです。

この夏、あるガーデンパーティで「それはちょっと”Judgemental” な(偏った)見解では?」と思うことがあったので、ここに記しておきたいと思います。

うちの息子には深刻な食物アレルギーがあり、食べ物には気をつけなければなりません。よそで何か食べる時は、本人が中身を確認し危なそうなものは避けています。この時はバイキング形式で、息子は確かめてから好きなものを取りました。その後、食後のコーヒータイムに主人と息子のいるテーブルで、「昔はアレルギーなんてなかったのに、どうして現代の子どもに多いのか」と話し出した人が。

その方曰く、原因は「殺菌のしすぎ。子どもを守りすぎ」とのこと。「哺乳瓶を煮沸消毒するなんて馬鹿げている」、「99%バクテリアを殺す殺菌剤なんて必要ない」と主張していました。

確かにそれはあると思います。新聞などでもよく目にするので、もう通説になっているかもしれません。でも、それはあくまで原因のひとつであって、他にも遺伝的な傾向とか、農薬や化学物質の使い過ぎとか、予防注射が免疫に与える影響とか、様々なものが複雑に組み合わさっていると思うのです…。

主人はというと、その人の意見に100% 賛同していました。主人の主義で、うちでは殺菌剤は使わないし、床に落ちたおもちゃを息子が舐めても「抵抗力がつく」と気にしないようにしてました。殆ど母乳だったので、哺乳瓶もあまり使ってません。それでも、息子はアレルギーになってしまいました(涙)。

ちなみに、うちの子がアレルギーになったのは3歳半を過ぎてからで、それまではアレルギー源となる食物も少しは食べさせてたんですよね…。突然反応するようになったので、許容量を超えて免疫反応が出始めたんじゃないかなと思っています。

実は、私の母が酷い花粉アレルギーで、私と兄も20歳を過ぎてから花粉アレルギーに。姪っ子2人も幼いころアトピーに苦しみました。一方、主人は敏感肌の家系で、赤ちゃんの時に日光浴をしていて酷い水膨れになり、それ以来真夏でも長袖、長ズボンを死守。うっかり日に焼けると、真っ赤になって後々すごく大変なのです。両親のそういう悪いところばかりが息子に遺伝してしまったようで、なんとも気の毒…。

「殺菌のしすぎ。子どもを守りすぎ」も一理ありますが、一般論だけでなくそれぞれの事情も考慮してもらえたらなあと思わずにいられませんでした。

もうひとつ、同じパーティーでの出来事。5か月の赤ちゃんを連れてきたカップルがいて、ランチタイム中はお昼寝をさせてました。目がパッチリ大きくて、髪が耳の後ろでくるんとカールしている可愛い男の子!彼がお昼寝から目覚め、みんなのところに連れてこられた時のことです。

女性陣の注目が赤ちゃんに集中し、代わりばんこに抱っこ大会に。私はママの隣に座っていたので、一番最初に抱かせてもらったんです。知らない家で知らない人達に囲まれているのに、彼はご機嫌でニコニコ。思わず、「まあ、寝起きなのに全く泣かないでエライね~!うちの子だったら大泣きだったよ」と漏らしてしまいました。(息子よゴメン、聞こえたかな…)。

すると、「社交的になるように、色々な集まりに連れて行ってるの。だから知らない人に慣れてるんだと思うわ」とママ。彼女は産休がもう残り少なく、赤ちゃんを預かってくれる託児所を探し回ってる最中とか。それもあって、赤ちゃんが人馴れするようにしてるんだなと思いました。

でも、それを聞いた別の女性が、「ひとりで子育てしてちゃダメ。小さい頃から集団の中で慣らさないから、引っ込み思案になっちゃうのよ」という主旨の意見を…。

思わず、自分の子育てを否定されたような気持ちになってしまいました… 。私としては、ママさんグループに参加したりと一生懸命子どもの社交性を育てようとしてきたつもりなのに――それでも、うちの子は未だに引っ込み思案です。

これについても、一般論はそうかもしれませんが、子どもは十人十色。HSP(Highly Sensitive Person)に生まれた子もいれば、非HSPに生まれた子もいる訳で、生まれ持った気質もかなり影響してるはず。うちの子をもっと、もっと集団の中に連れて行ってたら、積極的な性格になっていたとは思えないんです…。非HSPの人口が70%以上とマジョリティなので、どうしてもそちらの考え方が基準になってしまうんですよね。

急にアレルギー反応が出て、激しく嘔吐して、ぐったりする子どもを見たことがない人には、アレルギー源の食物を避けようとする姿勢が「大げさ」に見えるかもしれません。周りにアレルギーの人がいないと、想像したり、理解したりすることが難しいんですよね…。

残念ですが、場面緘黙も同じじゃないでしょうか?「話す」というあたりまえの行為ができないことを、「そうなんだ。大変だね」とすんなり受け入れてもらうのは結構難しいと思います。不安のために話せないと言われても、傍目にはそれほど不安そうには見えないことも多いし…。目に見える苦しい症状がある訳ではないので。

介入してもすぐに効果は出ず長期戦になることが多いし、クラス替えなどで症状が戻ってしまうこともあるし、緘黙児って傍からみると相当不思議ちゃんなのかもしれません。大人しくて授業やクラスの妨げにならないし、周囲が後回しにしがちなのも、今の学校制度を考えると仕方ない部分があるかなと…。

人間というのは、自分がその立場に立ってみないと、なかなか親身になれないものです。そのうえ、自分が話しかけてるのに反応がないと、「無視されてる」と否定的に捉えがち。だから、少しずつでも、困っていることを知ってもらうことが大切じゃないでしょうか?治療も長期戦ですが、周囲の理解を求めるのも気長に、長期戦でいきましょう。

イギリスでは10月が場面緘黙啓発期間になる予定なので、私も近くの学校にSMIRAのリーフレットを配布しようかなと思っています。

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決めつけないで

 

決めつけないで

ここのところ、”Judgement” と ”Judgemental” という言葉に頻繁に出くわします。別に意識していないのに、ふと気づくと同じ単語がキーワードのように現れる――そんな体験ってないですか?

”judge”という動詞には「裁く」とか「察する」という意味があり、よく知られた名詞の意味は「裁判官」。”judgement” は 「判断」「察し」「独断」など似たような訳ですが、”Judgemental” になると「批判的な」「独断的な」と否定的な意味合いを帯びることが多いよう。

人に “Don’t be judgemental” と言われたら、いい意味ではありません。思い込み、偏見、決めつけに繋がるような、自分の価値感だけでものを見てはいけないという警告なのです。「決めつけないで」とか「独断で決めないで」という訳が一番ぴったりくるでしょうか。

私が最初にこれらの言葉を意識したのは、特別支援TAのエージェントが行った ”Behaviour Management” の研修会でした。これは「学校での子どもの態度・ふるまい(特に、問題行動)にどう対処すべきか」をテーマにしたもの。

ここで重要なポイントになったのが、”Observation(観察)” と“Judgement(判断)” の違いについて。例えば、緘黙児が授業中黙っているのを見て、先生が「A君は授業中ずっと話さなかった」と観察するのと、「A君は話さない子」と判断するのとでは、その後の先生の態度や対処法が変わってくる可能性が大きいのです。さらに、子どもとの関係やコミュニケーションがネガティブなものになる可能性も…。

というのも、”Observation(観察)”は客観的な見方ですが、“Judgement(判断)”ではどうしても判断する人の主観や先入観が入ってきてしまうからです。「A君は話さない子」と判断すると、無意識のうちに子どもにそのレッテルを貼ってしまい、「今回もどうせ話さないから」と思い込みがち。そのためにA君だけ当てなかったり、順番を飛ばすようになったとしたら、子どもはどう感じるでしょうか?また、それを見て他の子ども達はどう思い、行動するでしょうか?

緘黙児は目立ちたくないけれど、みんなと同じでいたいんです。授業中に順番を飛ばされたら、無視されたように感じるでしょう。先生にいい感情を持てず、ますます学校生活が不安になったり、自己評価が下がったり、非言語のコミュニケーションにも問題が出てきてしまうかもしれません。

研修会では、教育関係者は子どもを観察し、理由・原因を多面的に考えたうえで対処方法を決めるよう教わりました。先生も人間だから、やっぱり好き嫌いはあります。これまでに多数の子どもに接してきただけに、自分の見方・やり方を確立していることも多いでしょう。だからこそ、先入観を持つことなく、心を開いて子どもを見ることが大切になってくると思います。

先生が「A君は授業中ずっと話さなかった。どうしてかな?どうしたら授業に参加できるかな?」と探求心を持ってポジティブに考えてくれれば、様々なアイデアが生まれるはず。母親から子どもに、授業中はどんな方法で非言語コミュニケーションを取るのが楽か訊いてもらうという案も出るかもしれません。こうすることで、子どもとの関係やコミュニケーションがポジティブなものになれば嬉しいですね。

これって何も学校や先生に限ったことでなく、日常生活においても気をつけたいことですよね。慎重な性格ゆえに何事もゆっくりめの息子に対して、常に「早く!早く!」と急かしたててる私…。スピードばかりに気を取られ、彼の持つ良い特性や可能性の目を摘んでしまっているかも…。何事も決めつけないように、注意しないといけませんね。

話がそれてしまいましたが、もう一つこれらの言葉をしっかり意識したのは、7月にBBCで放送された『Victoria Derbyshire』の場面緘黙特集でした。

実際のTV番組ではカットされてましたが、ウエブ版に収録された17歳の緘黙少女ケイティの話の中で、 ”Judgemental” という言葉が繰り返し出てきます。

(詳しくは、過去記事『緘黙を克服しつつある17歳』の映像をご参照ください)

ケイティの友達のひとりが、「セカンダリースクールに入って、知らない子に話しかけるのはどんな気持ちだった? 人に評価されるよね?」と訊きます。

(「人に評価されるよね」の部分は、原文だと “That’s where people are most judgemental about people, isn’t it?” なので、「(新学期のセカンダリースクールは)みんなが人に対して最も選別的になるところだよね」ですが、解かりやすいように変えました)

これに対して、ケイティは「そうね、偏見を持っていそうな、人気のある子達からは距離をおいたわ(I tried to stay away from the people, who are most judgemental…)」と答えています。

やはり「しゃべらない(変な)子」という目で見られるのは、緘黙児にとって深刻な問題なんだなとつくづく思いました。先生やクラスメイトは本来の自分の姿を全く見たことがない訳で、本人はものすごいストレスを抱えているんでしょうね。

また、傍らで見ている親もフラストレーションが溜まりますよね。ついつい「何で家にいる時みたいにしゃべらないの?」と言いたくもなるもの…。親にも息抜きが必須です。

そういえば、息子が小1の頃、人がまばらな放課後の校庭を走り回ってリラックスしたのか、知らずと大きな声を出していたことがありました。それを見たママ友が、「以前、精神遅滞(retard)かと思ったこともあったわ。でも、違ってて良かった」とポロリ…。「え~っ、そんな風に見られてたの?!」と大ショックでした。

緘動があった時期は、だんまり+動きも鈍かったので、そいういう風に見えたのかな…。緘黙児って、こんな風に思われちゃうこともあり得るという実例ですね。

(イギリス人って、かなりストレートにものを言う人も多く、グサっと来ることもあるけれど、ずっと黙っていたり、私のいないところで噂されている方がもっと怖い…)

でも、自分でも知らないうちに、とんでもない思い込みをしていることもあるかも…。ちょっと見だけで人を判断しないよう、いつもニュートラルかつフェアな目でものを見るよう、胸に刻む今日この頃です。

 

スモールステップで自信をつける

7月も中旬を過ぎ、そろそろ3学期が終わって夏休みに入る時期です。私が行っている特別支援校(フリースクール)では、先週の金曜日が終業式でした。日本語を教えている子(ここではS君とします)は、社会不安が強く集団や集団行動が苦手。外出やショッピングを好まないと聞いていますが、1対1だとおしゃべりで人懐っこく、授業では何の問題もありません。でも、抑制的な気質を持っているのは明確で、息子に似たところも多いのです。

今学期の目標のひとつは、最後の授業で日本のスーパーに行き、習った日本語を使ってみることでした。そのことは学期の初めに説明してあって、ここ2週間ほど買い物に必要な初級の会話を練習してきたんです。S君の素振りや態度からは、お店に行くことへの不安は全く感じられませんでした。

が、当日になって、いきなりシャットダウンモードに…。最初に会話のおさらいをしたところまでは平気だったのに、いざ出発という段階になって、突然机に顔を伏せてしまったのです。

今まで少し塞ぎこむことはあっても、体を動かしたりゲームをしたりすることで気分を切り替え、授業が終わる頃には上向きになっていました。でも、こんな状態は初めて…。どうしようかなと思いつつ、「話したくなければ話さなくてもいいから、お店まで行ってみよう」と何とか説得。一緒に学校を出ることに成功しました。

歩きながらずっと下を向いていたものの、S君が私を拒否している様子はありません。さりげなく何が嫌なのか訊いてみたところ、「お店に入るのが苦手」、「店員と向き合うのがイヤ」とのこと。

少しずつ練習すれば慣れることができると話し、近くの大型スーパーに自分で支払えるセルフチェックアウトがあるのを思い出して、「まず、そこで練習してみる?」と訊ねてみました。が、答えは「No」。とにかく、日本のスーパーまで行ってみることにしました。

途中、ふと思いついて、マギー・ジョンソンさんの『年齢が上の子の支援』の記事に出てきたサキ君のことを話してみたのです。学校で声を出すのが怖くて9年間ずーっと沈黙していた15歳のサキ君。彼が一大決心して、学校で話し始めようと決めた際、まず最初にしたのは小さな成功体験を積み重ねて自信をつけることだったと。それほど怖くないことから始めて、少しずつ少しずつ怖いと思う状況に慣れていき、「できる」と自分で思えた時に、一番怖かった「学校で話す」ことにスモールステップで挑戦し始めたことを手短に話しました。

S君は何も言わずに私の話を聞いていました。その後、S君が好きな食べものや日本のスーパーで何を買いたいかなど、会話しながら目的地へ。S君のボディランゲージは徐々にリラックスしてきたようでした。

が、目的地についた途端、顔がこわばって体が硬くなったのが判り、彼の緊張が伝わってきました。お店に入って、まず「お菓子はどこですか?」と店員さんに質問する予定だったのですが、そんなの無理。お菓子のコーナーに連れて行って、英語で説明しながら「これはどう?」と色々訊きましたが、首を横にふるばかり…。緊張を和らげようと、お店をぐるっと周りながら私も買い物を始めました。

ドリンクのコーナーに来た時です。S君の視線がファンタグレープに釘付けに!「これイギリスでは売ってないんだ。2本買う」とすぐ手を伸ばしました。一緒にレジ近くまで行き、私は「麦茶を買ってくるね~」と言って外へ。その時、背後で突然「オハヨウゴザイマス」というS君の声が聞こえました!!

午後だったし、練習では「こんにちは」だったのですが、そんなこと問題じゃないですよね。「ヤッター!」と思いつつ麦茶を持って中に入ると、支払いを終えたS君はささっと外に出て行きました。店員さんにこっそり「今の男の子、何を言いました?」とチェック。他には「アリガトウ」ぐらいだった模様。

帰り道、S君は緊張が溶けたのかものすごく饒舌になりました。「日本語で言えたね!」と褒めると、すごく嬉しそうにどんなに緊張してたか話してくれました。きっとサキ君に負けたくないという気持ちもあったんでしょう…。

来る途中でミカンが好きなのを発見したので、学校に帰る前に八百屋さんにも寄ってミカンを選んでもらい、代金を渡して払ってもらいました。店を出ようとしたら、目の前で商品が床に落ちるというハプニングが…。S君はさっと商品を拾って「はい、どうぞ」と店員さんに渡し、お礼を言われてました。

その時点ではショップに入るのが苦手な子には全く見えず、学校を出る前のあの拒否反応は一体何だったのかという位の変わりようにビックリ。成功体験を重ねて、自信がついたんですね。

2013年からDSM(アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)で場面緘黙が不安障害のひとつと定義されましたが、本当にそうだなと思いました。これからお店に行ったり、買い物したりという経験をしない時期が長くなると、きっとまた不安がムクムクと頭をもたげてくるんでしょう。とにかく、成功体験を積み重ねることが大事。S君には、夏休み中もいっぱい外出して色々な体験をして欲しいなと願っています。

 

 

緘黙児と習い事-うちの場合

緘黙児、というか抑制的な子どもにとって、好きなことを奨励し、個性を伸ばすことはとても重要だと思います。本人が「これが好き」「楽しい」「得意」と感じることが自信につながり、自己評価があがるからです。また、将来的に仕事に結びつけば素晴らしいですが、趣味としてキープできれば社交の糸口になってくれそう。

うちの息子の場合は、4歳の頃から音楽教室に参加し、その延長で7歳から吹奏楽器を習い始めました。理由は小さいころからいつも鼻歌を歌ったりと音感が良かったこと。また、スポーツ好きの子どもではないのが明白だったからです。

音楽教室に入った当時は、引っ込み思案だったものの、まだ緘黙ではありませんでした。途中で(4歳半で小学校に入学してから)緘黙になったんですが、その後も先生から「お宅の子は歌ってません」とか「固まってます」と注意されたことはなく、多分何とかやってたんでしょう。

吹奏楽器を選んだ理由は、お試しでヴァイオリンとコルネットをやってみたら、初めて挑戦したコルネットで結構音が出て先生に褒められたから。この頃は緘黙症状が徐々に和らいでいて、人前で「吹く」ことが、「話す」練習になるように思えたからでもありました。また、楽器ができれば、学校以外の友達を作れるかもという希望もありました。

スポーツもやらせたかったんですが、本人がものすごく嫌がり、やってもいいよという感じになったのは緘黙が随分改善した9歳のころ。が、この年齢になると、既に同級生は空手3年目とか、地区の少年サッカーチームのレギュラーとかになっていて、これから始めるにはすでに時遅しという感じでした。

その後、アーチェリーと卓球にトライしたものの、どちらも正式にクラブに入会する段階になって脱落…試合のために猛練習するほど好きじゃなかった/上手くなかったんですね…。今では、時々祖父に連れられてゴルフに行くくらいかな。

これまでの経験で思うことは、

  • 適性がないと長続きしない
  • 周りの子と同じ時期にスタートしないと、後からは入りづらい
  • 集団よりマンツーマンで習えるもの、マイペースで進めるものがベター

息子はマイペースで今も楽器を続けています。地区のブラスバンドにも入っていますが、ポジションはいつもその他大勢のひとり。そんな息子ですが、今年に入って楽器をやっていて良かったと思えることがいくつかありました。

2月のハーフタームに義両親宅に滞在した際、村の公民館で小中学生のための音楽セッションがありました。義両親は責任者夫婦と親しく、息子も彼らとは顔見知り。私と義父は公民館に息子を預け、3時間ほど買い物へ。帰りがけに息子を迎えに行くと、年下の男の子と一緒にドラムを叩いていました。

夕食の支度をしていた時、「今日は大勢の子に楽器を教えたよ。これだったら、日本でホームスティもできそう」と息子が漏らしたのです。(我が家には主人のドラムキットとギター、息子がグラニーにもらったウクレレなどがあり、息子はよくこれらで遊んでいます)。

3月中旬には、遅れに遅れていたグレード5の検定試験を受けました。ゆっくり目だったものの、大幅に遅れたのは1年半歯の矯正をしていたためと(高音が出せなかった)、昨年試験間際になって先生が突然変わったため。

2年以上も同じ課題曲を練習してたので受かるハズの試験でしたが、当日思わぬ落とし穴が…。息子を連れて試験官の家に行くと、伴奏してもらう先生がなかなか来ない!(試験は平日の授業中に、不便な住宅地で行われるのです)。そのうえ、息子は「サイレンサー(消音ミュート)忘れた!」とパニック気味。チューニングに5分もらえるのですが、別室から聴こえる音がビビってました~!

緘黙は治っても、息子の抑制的な気質は変わってません。待合室には試験を受けに来た子どもや親がいるため、演奏を聴かれたくない気持ちが大きく、動揺してたと思います。

で、そのまま試験に突入。待合室で最初の課題曲を聴いた私は、「ああ、これは落ちた」と確信したのでした。それまで何回聴いたか判らない曲でしたが、あんなに詰まったのは初めて。2曲めからは失敗しませんでしたが、これは駄目だと思って息子にも言いました。そうしたら、先日合格したという知らせが!(息子いわく、「この曲の課題部分はクリアしてたから」だそう。賭けに負けて50ポンド取られました…)

そして先週木曜日は、息子の音楽人生のハイライト(多分)でした。地区の小中高生の吹奏楽団と管弦楽団、合唱団など総計1500名を集結させ、クラシック音楽の殿堂といわれるロイヤルアルバートホール(RAH)でコンサートを行ったのです。私が住む地区では音楽教育に力を入れていて、これは5年に一度の大イベント。私たち夫婦はRAHのボックス席の前列に陣取り、双眼鏡で息子を探すこと約10分。その他大勢のひとりに心からのエールを送りました。辞めたい時期もあったけれど、続けていれば何かいいこともあるんですね。

IMG_20150423_182833 BBCプロムスも開催される由緒ある会場

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 先生方の努力のお陰で一生の良い想い出ができました

バイリンガルと緘黙(その2)

日本での滞在後半に大きな問題が持ち上がり、ロンドンに戻ってからも心配事が多くてなかなかブログを更新する気持になれませんでした。もし更新を待っていてくださっている方がいたら、どうもすみませんでした。

天気が悪いせいか、年齢的なものもあるのか、通常それほど酷くない時差ボケが長引いたのもこたえました…。夕方5時(日本時間の午前2時)頃になるとめちゃめちゃ眠くなり、夕食後は起きていられないくらいで。家事はそこそこにして早めに眠りにつくものの、朝2時頃目が覚めてしまい、それからほとんど寝付けず…。

ちょっとつらい毎日でしたが、こちらに戻った翌日に眠い目をこすりながら学校に行ったら、子ども達が「淋しかった~!」と抱きついてきてくれたのが本当に嬉しかったです。

さて、ここから本題に入ります。

私が今TAとして働いているレセプションクラスは、東欧から来た移民の子どもが多く、やはり英語よりも母国語の方が得意です(ちなみに、うちの学校では白人系イギリス人はマイナリティー)。

今学期(秋ターム)の前半、全員がカーペットに座って活動する「カーペットタイム」で、輪になって「今朝何を食べたか」を順番に言いあいました。そうしたら、東欧出身の女の子2人が何も言えずにうつむいてしまったんです。担任は何度か軽く促したんですが答えはなく、「じゃ、また次にね」と隣の子に移りました。

彼女たちは、個々やグループのアクティビティでは元気が良い方で、かなりお喋りなんです。だけど、皆の前で発言するのは、誰でも緊張するもの。まして、英語は彼女たちの母国語ではありません…。

次に担任がしたのは、相手の名前を呼んでからボールをその相手に転がすゲーム。この時は、全員がちゃんと声を出すことができました。「友達の名前のみ」+「ボールを転がす動作」で、声を出すハードルが少し下がったんじゃないかな。

毎日のカーペットタイムは、1回20分~30分くらいで1日に4回程度。この時間はクラス全員で国語や算数の勉強をしたり、歌を歌ったり、読み聞かせをしたり、ゲームをしたり(現在は、朝一番にアルファベットの発音を覚えるフォニックス(Phonics)を学んでいます)。この時間を利用して、皆の前できちんと話すという練習も少しずつ重ねています。家庭でのインフォーマルな会話から、学校へのフォーマルな会話への移行ですね。

例えば、「好きな果物は何?」という質問をすると、4~5歳の子どもは「バナナ」、「リンゴ」と一言で答えることがほとんど。担任は「私の好きな果物はーから始めてね」と毎回声をかけ、徐々にきちんとした文章で答えるよう練習させてるんです。

もちろん、最初のうちはひとことでも全然オーケー。文章で言えたら褒めるのは当然ですが、普段声の小さい子が頑張って大きい声を出したりした時には、「頑張ったね」と随時コメントが。担任がひとりひとりの子どもの能力をしっかり把握していて、それに合わせて声掛けをしているのに感心させられます。

秋タームも後半に入った現在では、クラス全員がちゃんと発言できてます。毎日繰り返して「場を経験する」ことで、少しずつ自信がついたみたい。バイリンガルの子も、そうじゃない子も、毎日新しいことに挑戦しながら、場数を踏んで経験値をあげています。失敗することもありますが、「失敗しても大丈夫」と思える雰囲気なんですね。

カーペットタイムは特にインファント(小学校の幼児部・5~7歳)で使われるんですが、カーペットにペタンと座ることで、気安い雰囲気が生まれるように思います。雑談も多くなるし、日本の小学校の雰囲気と比べると、とっても気楽な感じ。これは私だけの感想ではなくて、息子の学校にいた日本人駐在員の子ども達がよく言っていたことです。ちなみに、授業の速度もなんかゆるい感じ(笑い)なんですが、まあ一長一短ですね。

ところで、クラス担任は教師歴3年目で、イギリス人とモロッコ人のハーフだそう。「今までに場面緘黙の子はいた?」と訊いたところ、「一人いたけど、自然に話せるようになったわ」とのこと。彼女の子ども達への接し方、授業の仕方を見ていると、「うん、うん、そうだろうな」と頷けます。

関連記事:

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その5)

 

バイリンガルと緘黙(その1)

バイリンガルの子どもは緘黙になりやすいといいます。正確には、抑制的な気質が強いバイリンガルの子どもが緘黙になりやすいということですが。

たとえ抑制的な気質ではなくても、学校で母国語ではない言語が話されている場合、どんな子どもでもその言語に慣れるのに数ヶ月はかかり、言葉がなかなか出ない期間があるといわれています。

言語の習得は、「聞く」 → 「理解する」 → 「話す」 という順番になるため、言葉が出ない時期があるというのは納得できます。私も英語学校に通っていた頃、最初は聞き取るのに苦労し、その次は理解出来てるのになかなか英文が出てこない時期がありました。文章を組み立てるのに、「日本語」 → 「英文に翻訳」という作業をしていたため、ぱっと英文が出てこなかった訳です。「解ってるのに、言いたいことを表現できない」というのは、かなりフラストレーションがたまる状態でした。

すっと言葉が出てくる頃には、知らないうちに英語のまま頭に入って、自然に英文を組み立てられるようになっているんですね。英語が何となく身につくというんでしょうか。まあ、いつまでたっても、まだまだ感いっぱいですが、言葉の習得って不思議です。

緘黙になりやすい抑制的な気質の子どもは、完全主義的な傾向が強い子が多いようです。気にしやすく傷つやすいため、ほんの小さな間違いにも、激しく落ち込んでしまう…。自分に自信がないんですね。

それに加えて、バイリンガルの子どもは二ヶ国語を同時に習得しなければならないため、ひとつの言語だけを話す子ども達に比べると、少し遅れがあることが多いかもしれません。息子の幼稚園時代(3歳半)の親友は両親とも日本人で日本育ち。やはり息子より語彙が多いし、日本文化に対する知識も深かったです。

繊細なバイリンガルの子どもが幼稚園や小学校に入った際、自分の言語能力に気づいて、引け目を感じてしまうことも頷けます。「できないかもしれない」、「間違えたら恥ずかしい」という気持ちが強く、引っ込み思案になって声が出にくくなるのではないでしょうか?そして、話さないことで身を守り、それが習慣化していく…。

うちの息子は早生まれなんですが、早生まれの子はずらして誕生日順に入学させるというのが学校の方針。9月ではなく、1月の下旬に最後にクラスの仲間入りをしました。そして、初日に帰宅しての第一声が、「僕の英語は皆みたいに上手くない」でした。クラスには外国から来たばかりで英語が全くできない子が数人いて、息子はまだ喋れる方だったんですが…。息子の中では、自分がいちばんダメだったんでしょう。

英語学校に通っていた頃の私自身の体験から、その心情はすごく解ります。先生に指名される以外は、自分から挙手して発言することにかなりためらいがありました。「皆の前で間違えたら恥ずかしい」と自意識過剰になってたんですね。ちなみに、ヨーロッパ系、アラブ系の子たちは、我先にと発言するんです…でも、よく聞いてると、文法が間違ってるし。でも、全然気にしないんですよね。その一方で、アジア系の子たちはテストをすると成績がいいのに、授業中の発言は少ないんです。民族性もあるかもしれませんね。

そういえば、昨年所属するエージェントのTA達と一緒に『発音、言語、コミュニケーションに困難を持つ子どもの支援』というコースを受講していた時、私は極力当たらないように小さくなってました…。学校でのTA実体験が少ないうえ、皆の前で理論的に説明するというのが不可能に感じ(私だけ舌足らずの子どもレベルだった)、劣等感の塊みたいになってたんですね。それでも、レポートでは割と評価してもらえ、お陰様でちゃんと合格できました。

バイリンガルの子どもが、学校でどんな風に語学の苦手感に対処したらいいのか?私が現在TAの仕事をしている小学校にはバイリンガルの子どもが大勢いるんですが、レセプションクラスでは人前での発表や人とのコミュニケーションなど、色々な苦手感を徐々に克服できるような授業をしてるなと、感心することが多いんです。次回はその例をご紹介したいと思います。

 

 

まず体を動かす遊びから

大人が誘導して、楽しい遊びを

研修中のASD専門学校では、学期の中間に入るハーフターム(1週間の休日)が終了し、今週からサマーターム(夏学期)の後半がスタート。先学期の後半から、PSHE(Personal, Social, Health and Economic Education 個人、社会、健康、経済にまつわる教育?)の授業で、子どもの社会性を伸ばし、チームワークを育てる楽しい遊びを導入しています。

今週は、”Boom Boom, Eek!(訳不明)”、伝言ゲーム、フルーツバスケットで遊びました。先学期は遊びに加われなかった子も、特大の色つき砂時計を片手に「5分だけ」の条件で参加。伝言ゲームで3度目に正しいメッセージが伝わった時、「あ~、やっとちゃんとできた(この子は完璧主義者で、いつも監督役)!」と大喜び。めでたく全ゲームに参加することができました。

遊びで思いついたのですが、うちは友達を家に招くプレイデートが、非常に役立ちました。まず、ひとりの友達と家や公園で何度も遊ばせ、徐々に友達の輪を広げていったんですが、息子がクラスで最初に囁いたのはこの友達でした。

でも、友達を自宅に招いたのに、緘黙のわが子が固まったままで、なかなか一緒に遊べないケースもあるかと思います。

どのくらい家で友達と話し・遊べるかは、子どもによって違います。学校の門を出てほっとした途端に母親に話し始めたり、家では別人のようにしゃべる子もいれば、時間が経つにつれて少しずつ言葉が出てきたり、中にはずーっと緊張したままの子もいるかもしれません。

小学校低学年までだったら、まず体を動かして緊張を解くことから始めるといいと思います。それには、まず大人の誘導が必要になってきます。

家でも緊張してる子にお勧めの、話さなくていい遊びの例をあげてみると、

? オニごっこ

保護者が毎回オニになり、子どもたちが隠れます。つかまえるまでの時間を計りながら何度もチャレンジ。なるべく大げさに声を出して、雰囲気を盛り上げて。友達と一緒に隠れているうちに、連帯感が生まれますし、興奮してうっかり声を発することができたらラッキー。

? 風船つき

とっても単純ですが、なかなか楽しめます。子ども達が平等に風船をつけるよう誘導して。キャーキャーいいながら、「50回まであと2回。○○ちゃん、頑張れ!」と声をかけましょう。

? 宝探し

子どもが好きなお菓子や玩具などを予め隠しておき(人数分一緒に)、子ども達に捜させます。大声でヒントやコメントを散りばめて、楽しい雰囲気に。

単純なものばかりですが、みんなで一緒にできて、楽しめるものがいいと思います。複雑なゲームになってくると、勝ち負けにこだわったり、できなくて劣等感を味わったりすることもあるので要注意。他にも色々あると思うので、子どもが好きそうな遊びを考えてみてくださいね。

庭があったら、ボール遊び(柔らかいもので)、バブルマシーンでシャボン玉をいっぱい作っておいかけっこしたり、夏季には水遊びも楽しいですね。

友達が遊びに来る前に予め練習しておくと、子どもも臆することなく楽しめると思います。友達が、「楽しかった。また遊びに来たい」と思ってくれるよう、親も頑張りましょう。子どもはよく見てるので、友達ばかり褒めず、平等に接することを忘れずに。

保護者が一緒になって遊ぶことで、友達の性格や子どもとの相性が見えると思います。学校や先生の情報、学校での子どもの様子なども聞けるかもしれません。また、同年齢の子どもの行動や思考がわかり、子育ての参考にも(自分の子と比較という意味ではありません。うちの場合は「今過去形を使い始める時期なんだな」、「あ、今このTV番組が流行ってるんだ」という感じで、大変有用でした)。

結局は、PCや携帯ゲームに落ち着いてしまうかもしれませんが、その時は大きい画面を使って、みんなで一緒に楽しめるゲームを。昔、緘黙の友達が遊びに来た際に、親も一緒にWiiでアバター作りをしたら、すごく盛り上がりました。

 

告知するかしないか(その4)

年齢が上の子どもに告知する方法?

前回の記事にコメントをいただいたのですが、この年齢の子どもに告知する方法は、子どもの性格や親子関係、緘黙の程度、学校環境、友達関係といった状況により、人それぞれということになると書きました。告知した後の反応もまた、子どもによってそれぞれでしょう。

学校での友人関係や担任に恵まれて、安心して学校に通えている子は、「変わらなくてもいい」と感じているかもしれません。そんな時は、学校で話し始めることにこだわらず、学校以外の場所で少しずつステップアップに挑戦したり、勉強や習い事などで自信をつけ、自己評価を上げていくことが重要だと思います。また、テキストチャットなどで、友達とのコニュニケーションを促進していけるといいですね。

「聞きたくない」、「知りたくない」と、拒絶する子もいるかもしれません。そんな時は、親の直感がたより。子どもの気持ちを尊重しつつ、より添うことができたらいいのでは?いつでも手助けする気持ちがあることを、伝えておきましょう。

不安や恐怖といった感情をブロックして、諦めムードだったり、投げやりになっている子もいるかもしれません。また、ストレスで攻撃的になっている子もいるかも…。

緘黙している時間が長ければ長いほど、ひとりで不安を抱える時間が長くなり、想像できないほど辛い思いをしているのではないでしょうか?

「話せない」ことばかり話題になりますが、それは氷山のほんの一角にすぎません。子どもが不安や劣等感、疎外感や孤立感といったネガティブな感情をひとりで抱え込んでしまうと、身体やメンタルに影響してしまう可能性もでてきます。早く対処できるよう、子どもからのサインを見逃さないようにしたいものです。

誰だって嫌なことがあれば、眠れなかったり、朝起きられなくなったり、お腹が痛くなったりしますよね?繊細な子どもには、些細なことが大きな心の傷になりかねません…。抑制的な気質の子は、思い込みも激しかったりします。だからこそ、自分のことを無条件で受け入れてくれる存在、文句や愚痴をいえる存在がとても大切になってくると思うのです。

前置きが長くなってしまいましたが、思いついた告知方法をいくつか書きとめておきますね。

●子どもが信頼している相談員、医師、心理士などに告げてもらう

子どもが専門家の治療を受けていて、改善の兆しが見られるようであれば、予め相談したうえ、親子で一緒に診断をきくというのもアリかなと思います。実際に克服した/克服中の子どもの例などを話してもらえると、勇気付けられるんじゃないでしょうか。

●場面緘黙の本を一緒に読む/子どもに手渡す

欧米に比べ日本では場面緘黙の研究が遅れていましたが、2007、8年頃から様々な書籍が出版されていますね。私が所属するKnetからも、2008年に『場面緘黙Q&A』、2009年にDVD付の翻訳書『場面緘黙へのアプローチ-家庭と学校での取り組み』、2013年に『どうして声が出ないの?-マンガでわかる場面緘黙』が出版されています。

こうした書籍の中から適切な箇所を選び、子どもと一緒に読んでもいいですし、小学校の5、6年や中学生だったら、『どうして声がでないの?』を手渡してもいいと思います。また、高校生なら、ひとりで専門書を読んで理解できますね。手渡した後は、子どもの反応を見ながら、フォローするのを忘れずに。

●映像(TV/DVD/You Tubeなど)を一緒に観る/子どもに手渡す

日本では昨年、元緘黙だったミスイングランド、カースティさんの幼少時代をドラマ化した『ザ! 世界仰天ニュース-静かな少女の秘密』が放送されました。その時、親子で観られた方もおられたのでは?

ここで観られます → http://youtubeowaraitv.blog32.fc2.com/blog-entry-26558.html

また、前述の『場面緘黙へのアプローチ』のDVDにも、緘黙だったレイチェルさんの体験談が収録されています。映像の方がより具体的なので、わかり易いかもしれませんね。

(3月に開催されたSMIRAコンファレンスでは、緘黙のドキュメンタリー番組の録画を子どもと一緒に観たという保護者の方がいました。番組に登場したSLTのマギー・ジョンソンさんを子どもが指差し、「この人に会わせて」と主張したため、マギーさんとアポを取ったのだそう。幸運にも同じ地区に住んでいたためセラピーを受けることができ、かなり改善されてきているということでした)。

告知した後にどんな反応が返ってくるか、何ともいえません。でも、ひとりで悩んでいるよりも、「自分はこれだったんだ」と解かった方が、本人のためになるはず。周りがいくら説明しても、子ども自身がその気になって問題に立ち向かわない限り、話す不安は改善されません。自分はどうしたいのか、子どもの意思を確認することができたら、支援の方向性も決まってくるかと思います。

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告知するかしないか(その2)

告知するかしないか(その3)

『ザ! 世界仰天ニュース』(その1)

『どうして声が出ないの?マンガでわかる場面緘黙』

 

告知するかしないか(その3)

小学校中・高学年以上

小学校の中・高学年になると緘黙の治療は難しくなる傾向にあり、治療の効果もゆるやかになるといわれています。一般的には、幼稚園や小学校低学年までの方が治りやすく、早期発見と早期介入がその鍵になってくるというのが定説です。

よく「9歳の壁」という言葉を聞きますが、文部科学省のサイトによると、「子どもは9歳頃から物事をある程度対象化して認識することができるようになる」、とあります。自分のことも客観視できるようになり、自己肯定感を持ちはじめる時期ですが、劣等感を持ちやすくなる時期でもあると…。自我がどんどん発達して、周囲をはっきりと意識するようになる頃なんですね。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/053/shiryo/attach/1282789.htm

小学校中・後年以上の緘黙児の多くは、もう何年も学校で話せない時期が続いていて、周囲から「話さない子」と見なされていると思います。自分の中でも「学校では話せない」という負のイメージが定着し、そこから抜け出すのは並大抵のことではないはず。特に、抑制的な気質の子どもは感受性が強く、思っている以上に人の目を気にします。

自分が話した時の周りの反応や、そんな環境の中で話し始める恐怖を思えば、緘黙状態でいる方が安全と感じていても不思議ではありません。話さない自分を受け入れてくれるクラスメートや担任がいれば、「別に話したくない」、「このままでいい」と言うかもしれません。

でも、子どもがそう言っても、本音は違うと思います。ただ、みんなと同じように学校でおしゃべりしたい気持ちはあっても、「話さない子」が定着した環境の中でその段階にまで到達するのは不可能、とさえ感じているんじゃないかな…。

もちろん、恥ずかしがり屋の子どもの気持ちを理解し、配慮してくれる先生がいたり、仲良くしてくれる友達がいるなど、環境が良いために気持ちが楽になり、きっかけがあれば話せるようになることもあるかと思います。また、子ども自身が変わりたいと熱望し、クラス替えや進学などの機会に努力して克服するケースもあるでしょう。

でも、周囲の目を気にしながら、子どもが学校で自分から積極的に動くことはとても難しい…。グループで固まったり、友達同士の会話が大きなウエイトを占めてくる時期でもあります。教室の中で誰とも話すことができず、ポツンと一人でいる子どもを想像すると、親も非常に辛いです。

成長すれば自然に治るという考えは、年齢が上になってくると全く当てはまらないと思います。子ども自身が「変わりたい」という意思を持ち、自分で克服していかなければならない。そのためには、周りの支援があった方がいいのは明らかでしょう。そして、傍らで伴走してくれる存在がいたら心強いのは、容易に想像がつきます。

子どもは学校で話せないことをずっと親に隠してきたかもしれないし、知られるのを嫌がるかもしれません。でも、話せない自分はおかしいんじゃないか、普通じゃないんじゃないかという悩みを一人で抱えこんでいると思います。そこからまず開放してあげたい…。

私は子どもの症状に「場面緘黙」という名前があると知り、すごく安心しました。これは、子どもにとっても同じことじゃないかなと思います。自分は変かもしれないと悩んでいたのが、実は不安によってもたらされる症状で、世界中に同じような子どもがいる--そう解かっただけでも全然違います。また、スモールステップで克服できると知れば、自分も頑張ろうという勇気が出てくるかもしれません。とにかく、子どもに「話せないのはあなたひとりじゃない。私は味方」と伝えることが第一歩じゃないでしょうか。

プレ思春期や思春期の子どもの心はデリケートで、ただでさえ難しい時期。親はどうアプローチすればいいか、難しい問題だと思います。子どもの緘黙状態、年齢や性格、親子関係、友達関係、先生との関係、学校の環境などによって、返ってくる反応は様々でしょう。大切なのは、まずは親が共感を示し、味方だと解かってもらうこと。最初は拒否されたとしても、いつでも助けの手を差し伸べる気持ちがあることを解かってもらえればいいと思います。

子どもの気持ちにそって、無理じいはせず、でも少しずつ後押ししていく--さじ加減が難しいです。どの子も違っているので、親は子どもの様子を見ながら、自分がどう支援していけばいいか、試行錯誤で行くしかないと思います。学校側への働きかけも、親にとっては重たい仕事(?)ですよね…。マギー・ジョンソンさんは、年齢が上の子どもの直接の支援者は、保護者ではなく第三者の方が適していると話しています。中学生にもなると、親が学校に介入することが難しくなるし、子どもの自尊心の問題もあるかと思います。

とにかく、子どもにも、親にも、家庭がほっと安らげる場所であることが一番ですね。全く違う話題でも、家で自由に話せることが、心の安定につながると思います。なるべく子どもの好きなこと、得意なことを伸ばすことができれば、自己評価の向上にもつながると思います。

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告知するかしないか(その2)

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<息子の場合>

息子が学校で全く話せなくなった/動けなくなったのは、4歳半で小学校に入学してから3週間目のこと。それから「緘黙」という言葉に巡りあうまで、数ヶ月かかりました。

いつの時点で話したのか、はっきりは覚えていません。が、「話す」とか「しゃべる」という言葉を使うと嫌がるかと思い、「怖い」という言葉を選んだのは記憶しています。私自身、小さい頃とても内弁慶で小学校に入学した頃不安だらけだったので、息子の気持ちは理解できるような気がしました。

(うちの場合は似たもの親子ですが、そうでない組み合わせの親子もおられることでしょう。抑制的でない気質の親にとって、抑制的な気質の子どもの行動は、かなり不可解で「何で??」と理解に苦しむことが多いかも…)。

自分の小さい頃を思い出しながら、「マミーが小1の時、学校はすごく怖いところで、先生は知らない大人の人という感じだったな。授業中は当てられないように、いつも小さくなってたよ」という感じで、自分のことに置き換えて話しました。

「○○は誕生日が一番遅いから、みんなよりできなかったり、英語でうまく話せなかったりしても当たり前だよ。マミーは仲良しのA子ちゃんが同じクラスだったけれど、○○はB君と別のクラスになっちゃったから、もっと怖いよね。それなのに、ちゃんと学校に行ってるから偉いよ」。

息子は癇癪を起こすこともなく、黙って聞いていました。何もいいませんでしたが、多分ほっと安堵したのではないかな…。直接自分のことを指摘されるのではなく、私の体験や感情について話しているので、気持ち的にも楽だったと思います。

緘黙児は繊細で完ぺき主義の子も多く、年齢や性格によっては「学校で話せない/しゃべれない」という話題に拒否反応を示す子もいるかもしれません。そういう時は、第三者のこととして話す方がいいかもしれませんね。以前のエントリー( 『どうして声が出ないの?マンガでわかる場面緘黙』 )にも書いたのですが、恥かしがりの子どもや動物を題材にした絵本を一緒に読むという手もあります。また、人形や子どもの好きなキャラクターを使って説明するのもいいかも。

子どもへの告知については、かんもくネットの<Knet資料No.10「子どもと共に話すことへの不安に取り組む」>に詳しく書かれています。

http://kanmoku.org/handouts.html

ちょっとした言葉や態度から子どもの心情を読み取ることができるのは、やはり子どもに一番近い存在である母親だと思うんです。子どもの気持ちに添う方法で、説明してあげられるといいですね。

(ちなみに、うちは「嫌!!」と強くいう時は、絶対駄目なのでその時はストップ。甘えを含む「イヤダ~」くらいだったら、少し時間をおいて再度プッシュ、「う~ん」と迷っている時は、チャレンジしてもいいなと思っている時です)

イギリスの母親って、子どもに”Love you”と声をかけたり、キスしたりハグしたりと、人前でおおっぴらに愛情を表現します。登下校に保護者が付き添うシステム(犯罪や事故防止のため)なので、こういうのは幼稚園やインファント(小学校低学年)では見慣れた風景。日本の習慣ではないですが、緘黙児は自己評価が低いことが多いため、言葉と態度で「あなたが大好き」と示してあげることも大切かなと思います。

子どもを安心させたら、子どもの伴走者として一緒に「話すことの不安」に立ち向かう訳ですが、まずは「話す」ことにこだわらないこと。少しずつでいいので、学校での不安を減らすことから始めましょう。

もしも、「どうして学校で話さないの?! 駄目じゃない」とか「今日学校で話せた?」と子どもを責めたことがあったとしたら、それは仕方ありません。そういう対応をしてしまっても、正直に子どもに謝れば、絶対に解かってくれると思います。子どもが態度に出さなくても、「ママが真摯に謝ってくれた」というのは心に残るはず。

うちは息子の癇癪が酷く、自分もストレスもたまっていたので、時々キレて怒鳴ったことも…。でも、そういう時は子どもに謝りつつ、何とか親子で成長してきたという感じです。緘黙治療は長期戦になることが多いため、保護者にも息抜きや心の支えが必要になってくると思います。相談所やクリニックに信頼できる心理士がいれば力強いですが、同じ悩みを持つ親の会に入るなど、ネット上でもいいので緘黙のことを話せる場所があるといいですね。

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