息子の緘黙・幼児期5~6歳(その15)個別指導プランNo.1

今年は世界各国で暖冬のようですね。イギリスでも、今年に入ってから霜や氷は数日見られた程度です。先日久しぶりにハイゲートの森を散歩したら、もう野生のスノードロップが咲いていました。

 

………………………………………………………………………………………………………………………………イギリスの公立小学校では、通常子どもに特別支援の必要性が認められると、その生徒のためにIEP (Individual Education Plan 個別指導プラン)を作成します。息子の学校では、1学期に1回ほどの頻度でSENCo(特別教育支援コーディネーター)と担任、保護者がプランの有効性を評価し合い、次のターゲットを決定していました。

言語療法士や心理士など専門家が関与している場合は、専門家も可能な限りミーティングに参加。息子の場合、レセプションクラスの終わり頃に小児クリニックで発達テストを受け、学校でSLT(言語聴覚士)の指導を受けられることに。そのため、School Action だったIEPの名称が、1年生ではSchool Action +に変わりました。

夏休み後の9月に新学年が始まり、担任やTA、教室が変わるめ、1年生の1学期は前学年のIEPを継続(詳しくは『息子の緘黙・幼児期5~6歳(その7)1学期の個別指導プラン』をご参照ください)。

そのIEPの効果を評価すべく、2005年11月末にミーティングが行われました。

<2005年6月~10月までのIEP>

ターゲット1:学校内でひと言、もしくはジェスチャーやサインで自分の意思を伝える

  • 達成目標:10回以上  ← 達成

ターゲット2:自発的なコミュニケーションを促す

  • 達成目標:?回(数字ナシ)← 達成

ターゲット3:大人+子ども数人による小グループで、インタラクティブなゲームを行う

  • 達成目標:8回 ← 達成

<備考>

  • この1学期間でかなり進歩があった
  • 学業に関する問題はなくなったが、まだ自信が持てないよう
  • 担任やTAのところに行って、文章で話す(囁くだと思います)ようになった

レセプション時代には緘黙だけでなく緘動もあり、課題に取り組むのが困難でした。それが、ちゃんと授業についていけるようになり、先生や親しい友達に囁くように。急速に改善したのは、教室内での不安が減った結果だと思います。学校の対応も良かったですが、プレイデートでB君と親しくなったことが大きかったかなと。

この頃には担任とTA、一部の友達に囁けるようになっていたため、次のIEPでは更なるステップアップを目指しました。

<2005年12月~3月までのIEP2>

ターゲット1:囁きで声なく、聞こえる声で大人と話す

  • 達成目標:5回
  • リソース&テクニック:パペットや模型を使った遊び、ストーリーを利用
  • 作戦:小グループや1対1で
  • 担任とTAへの提案:目立たない静かな場所で、1対1で少しずつ大きな声が出せるよう促す

ターゲット2:質問に対して長い返答をする/ 答えにもう少し情報を加える

  • 達成目標: 5回
  • リソース&テクニック:例文を示す/ 開かれた質問(Open Ended Question 答えが自由な質問)をする
  • 作戦:個人、小グループ、クラスで答える機会を与える
  • 担任とTAへの提案:1対1で取り組む時間を作る

ミーティングに言語療法士が加わったため、支援がより具体的・専門的になっています。「囁き声」から「聞こえる声」へ、「はい、いいえ」や「ひと言」の短い答えから、「長め」の返答へと、スモールステップで徐々に進めることに。また、「はい、いいえ」で答えられる質問・閉じた質問(Closed Question 答えが一つの質問 )から、 開かれた質問(Open Ended Question)に切り替えて、長い答えを促すよう指示が出ました。

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1月ももう半ばですね。今日はめずらしく朝から日が射して、青空が見える気持ちのいい日となりました。

  

寒の季節に咲く淡いピンクのビバーナムと久々の青空

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さて、息子の緘黙記録の続きです。誕生会やクリスマス会など、同年齢の子ども達が集まる場への参加に頭を悩ませる保護者は多いと思います。

息子の場合(もう10年以上前のことですが(^^;)、インファント時代(幼児部 5~7歳)はクラス全員を招くパーティ形式の誕生会が多かった記憶。自宅の広い庭、パーティ施設があるマクドやボウリグ場などに、35人のクラスメイト+他の友達他が集まるのです。

それがジュニア(中高等部8~11歳)になると、好きな友達だけを呼んで映画を観たり、PCゲームなどをしたりした後、カフェや自宅で食事会というパターンに。仲の良い友達しか呼ばないので、インファント時代にクラス全員を読んでもらえたのは、とてもありがたかったです。

ちなみに、幼稚園までは家庭でのもっと小規模な誕生会が多く、付き添いのママ達もひっくるめてパーティを楽しむという感じでした。

子どもが小学生になると(こちらでは5歳になる年)、多くのママは子どもを会場に送り届けて、自分はさっさと退場します。会場に残る保護者は、急に激減…。

残っているのは、たいてい赤ちゃんがいる人や、我が子を一人にするのが不安な人…。まあ、お手伝いをしたり、子ども達のお世話をしたりするので、主催者に迷惑はかけないんですが。

うちはレセプション時代に苦い経験をしたため(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その23)夏休みの落とし穴』をご参照ください)、それ以来というもの、息子が「いなくても大丈夫」と言うまで付き添おうと決心。常にぴったり側にいるのではなく、単独で行動できるよう徐々に距離をおくようにしていきました。

とはいえ、他のママ達が子どもを残して次々と去るなか、自分だけ会場に残るのはやはり気が引けるもの。息子は皆と同じようにできないんだ、と悲観的な気持ちにもなりました。でも、また大きく後退してしまったら元も子もありません。

1年生になってからは誕生会にも慣れ、息子はB君にひっついて、あまり私のところに来ることはなかったように記憶しています。

何学期だったか忘れてしまったのですが、あるクラスメイトの自宅の庭で誕生会が行われた時のこと。この時は、私を含め3人のママが会場に残っていたかな。終盤になって、子ども達はめいめい好き勝手に遊び始め、特に活発な男子たちはサッカーに興じていました。

その中に、もうひとりの緘黙児F君がいたのです。私は5、6歳児でもこんなに巧みにボールさばきができるんだ、と感心して眺めていました(ちなみに、息子は運動音痴なところがあり、走るのは早かったのですが、サッカーは苦手)。

すると、F君がふとしたはずみに転んでしまったのです。腕を強く打ったようだったので急いで駆け寄ると、よほど痛かったのでしょう、大きな目から大粒の涙が!「大丈夫?!痛い?」と聞くと、涙を流しながら頷くものの、泣き声はいっさい出さず…。

それを見て、あまりにも不憫で心が痛みました。

しばらくすると涙は止まり、F君はサッカーのグループに戻ることができました。お迎えの際にF君ママに、怪我したかもしれないことを伝えましたが、その後も大丈夫だった様。

緘黙ゆえに、事故にあっても人に伝えることが難しい…近くに友達がいてくれれば代弁してもらえるかもしれませんが、いつもそうとは限りません。不慮の事故や体調不良、困った時に、自分の身体の状態や状況を伝えられなければ、迅速に適切な処置をしてもらえないこともあるでしょう。

中には、怪我をして骨が折れていたのに、病院に行くのが遅れてしまったというケースも。

何かあった時に声が出せないというのは本当に危険なので、SOSのサインが出せるよう自分の子に合った工夫が必要だと思います。転ばぬ先の杖で、作戦を考えておくといいですね。

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遅ればせながら、明けましておめでとうございます。ロンドンの元旦はどんよりとした曇り空。雨こそ降りませんでしたが、初日の出など拝めるはずもなく、なんだか冴えない2020年の始まり…。何日も太陽を見ない日が続くことが多い中、2日の午後やっと陽光が射したのを皮切りに、3日間午後晴れの日が続きました。

 

  やっと顔を出した太陽も3時半には沈んでしまいます。イギリスでは2日が仕事始めでお正月気分は殆どないんですが、元旦はお雑煮とおせちもどきで

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さて、息子の緘黙記録の続きです。1年生の1学期の終わりに、SENCo(特別支援コーディネーター)から1対1の保護者懇談会のお知らせが届きました。

当時のSENCoの部屋は廊下の一角にあって、入口はカーテンで仕切っただけ…。参加したら目立ちそう…。

懇談会には行きたいけれど、同級生のママ達には息子がSEN(特別支援)リストにのっていることを知られたくない。まあ、仲の良いママ友達にだけは説明していたのですが――当時は場面緘黙が殆ど知られておらず、誤解されたり、偏見を持たれたりしたら嫌だなと思っていたのです。

でも、実際に懇談会参加リストに名前を書き込んでみてビックリ!何とクラスの半数近くの子どもの名前がリストアップされていたのです。

その内容というのが、ASDはもちろんですが、言語の問題(発音、母国語が英語以外で英語を話さない等)から、お山の大将っぽい性格で他の子に譲ることができないといった問題まで千差万別。

大きな問題はもちろん、小さな問題も早期にしっかりチェックしておこうという学校の姿勢を感じました。同時に、「なーんだ」と安心もできたのでした。

(後になって、インファント(幼児部)1年生は、特に注意して子どもを見守っていた時期だということが判明。この後、SENリストにのる子の数は随分減ったようでした)

それから、次の学期だったと思うのですが、小学校教師をしている息子と同じクラスの男子のママと話す機会がありました。

息子と同じクラスにいる長男は、頭がよくスポーツもできて、年齢の割にとてもしっかりした子。対して、2歳下の次男は全くタイプが異なり、何かにつけて遅れている様に思える、というのです。

だから、小学校入学前にSENリストに載せてもらい、子どもの特性や扱い方などを学校側に理解してもらって、息子への注意を促すつもりだと。

「学校側は忙しいから、こっちから言わないとちゃんと配慮してもらえないわ」

そっかー!学校に発見してもらうのではなく、自分から申請するんだ――現役の教師がそう言うのを聞いて、まさに目からウロコが落ちた瞬間でした。

一般的に、イギリスでは黙っていたら問題はないものと思われてしまうことが多いんです。予算にもマンパワーにも限りがある場合、大声で叫んだ人から順に対応してもらえる傾向が強いような…。

息子の学校では丁寧な配慮をしてくれていましたが、問題を起こす子がいれば、先生たちの注目はまずその子にいきます。黙っている子や保護者は後回しにされがち。

特に、緘黙であっても勉強が普通にできる子、全く問題なく行動できる子は、それほど問題視されないかも…。だからこそ、保護者はしっかり自己主張しなければなりませんが、モンスターペアレントとは思われたくないですよね。

日本だと特に、学校側へのアプローチが難しいかもしれません。が、緘黙は長期戦。子どもの緘黙をきちんと理解して対処してもらうため、保護者が学校と上手に関わっていくことは必須ではないかと思います。

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すでに12月も半ばを過ぎてしまいましたね。天気が悪いせいもあるけれど、朝7時になってもまだどっぷりと暗く、午後4時半前にはもう真っ暗。でも、明日12月22日が今年の冬至で、1年で一番短い日。それから少しずつ日が長くなっていくかと思うと、なんだかホッとします。

大学生になった息子が帰省し、クリスマスの飾りつけも終えました

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1年生の1学期は、教室で囁き始めるなど大きな進歩が見られました。その反面、どうしたら普通の声を出せるようになるのかと、随分気をもんだ時期でもあります。

そして、息子のことを随分誤解されていたんだと思い知らされたエピソードも…。

息子の緘黙状態はちょっと不思議で、学校内であっても放課後の校庭で幼稚園時代の親友T君(日本人)と一緒に遊んでいる時だけは、声が出せていたのです(詳しくは、『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その18)悲しい想い』をご参照ください)。

多分、学校にいることに慣れて緊張や不安が減ったところに、私の顔を見てホッとする。さらに、仲良しのT君と一緒に行動できる楽しみや、「やっと学校が終わった!」という安堵感があったんだと思います。

また、みんなと一緒になって体を動かしている時は、「見られている」という意識が緩むよう。小学校低学年くらいまでは、第三者の目や自分の行動の不合理性をそこまで深く考えられず、だからこそ「ついポロっ」と声が出てしまうんじゃないでしょうか。

イギリスでは小学校の幼児部 (Infant School 4〜7歳)まで、保護者やその代理人が学校の送り迎えをする義務があります。父親もちらほらいますが、放課後のお迎えはだいたい母親かナニーさんの役割。

校舎から出てきた子ども達は、しばらくの間校庭で遊ぶことが多く、その間母親たちは井戸端会議。私とT君ママはおやつを持参することが習慣になっていて、息子とT君はお菓子やサンドイッチを食べながら校庭を走り回っていることが多かったと記憶しています。

1学期も終わりに近いある日、私は同じクラスのママ達とおしゃべりしていました。

どういう訳か、息子とT君は息子のクラスメートが大勢いるところで遊んでいました。すると、何と息子がクラスメートのいる前でT君に向かって大声で叫んだのです!ちょっと離れていた私たちのところまで聞こえてくる位の声でした。

きっと遊びに夢中になってたんでしょう。何と言ったのか、今では覚えていないのですが、3単語位の文章だったと思います

クラスメートのQ君が私たちのところにやってきて、

「〇〇(息子)がしゃべるの、初めて聞いた!」と純粋に興奮した様子でQ君ママに告げました。

すると、後からやってきたクラスでも代表格のE君が、

「でも、アイツ絶対に教室ではしゃべらないよな!」と…。

私は驚いてしまって何も言えませんでした。

そうしたら、そのすぐ後にもっと巨大な爆弾が!!!

そこに居合わせたE君ママが、「〇〇君、ちゃんと話せたんだ!もしかしたら、精薄なのかと思ってたわ!」

えええ~っ?!

その時放たれた “I thought he was retard” という言葉を、私は今でも忘れられません。

”retard’ が精神遅滞/ 薄弱(現在は知的障害)と頭の中で変換され、大ショック!

息子は、そんな風に思われてたんだ…。

「ちっ、違うのよ~。家ではちゃんとしゃべるのよ。えっと、不安のために学校では話せなくて…」

焦って頭の中が真っ白になり、しどろもどろの説明しかできず…(^^;)

(母親の私も未だ緊張しーで、とっさに言葉が出ないことも多いんです。あとになって、「ああ、あの時こう言っていれば」と悔やむことが多くて…)

よく考えてみると、話せないだけでなく緘動で動きも鈍く、レセプション時代は活動についていけてなかったと思うので、そう思われても仕方がなかったのかも…。

それにしても…。

すごい衝撃ではありましたが、その場でストレートに言ってくれて良かった、と後から思いました。イギリス人って、それほど人のことを気にかけないし、あまり噂話とかもしないような気がします。自分がどう思うか、ストレートに意見をいう人が多いかな…。

(ちなみに、息子は翌年からE君の友達グループに入れてもらい、今でも友達関係が続いています。さらに、E君ママは私の悩みを聞いてくれる良き友になりました。人生って本当に判らないものです)

みなさん、素敵なクリスマスをお過ごしくださいね。

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すでに12月も半ばですね。今年は時間が経つのが加速的に早かったような気がします。先週末、久しぶりに訪れたロンドン中心部のコベントガーデンで、ちょっとメルヘンチックなクリスマスイルミネーションに遭遇。雨降りのさえない天気が続く中、心がほっこりしました。

   

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こうして、学校外で少しずつ話せる人の輪が広がると同時に、学校内でも徐々に囁ける人が増えていきました。1学期の終わりには、TAだけでなく、ついに担任の耳元でも囁くことができるように。

クラスメートについても、仲良しのB君、S君、転入生だけでなく、他の子にも囁けるようになっていったようです。ただ、人目を気にしながら一人の人の耳元に囁くことはできても、クラスの前で声が出せる訳ではありません。

囁き声を続けることが声帯に悪いという見解もあり、どうしたら普通の声を出せるようになるのか、色々気をもんだ時期でもありました。

1学期も中盤を過ぎ、(2005年)11月に入ったころ、SLT(言語療法士)による言語テストが行われました(詳細については、『日本では発達障害と見なされやすい?(その2)』をご参照ください)。

その時のレポートを見ると、

  • SLT(言語療法士)と初めて会ったにもかかわらず、すんなり言語テストに臨めた
  • SLTとは短い間視線を合わせられるが、目を見ない方が応答しやすそうだった
  • 殆どの質問に囁いて答えることができ、何度かはSLTの目を見て答えた
  • 理解力:2~4個の情報を持つ文章を理解できる
  • 話す力:多数の単語を使って長めの文章を構成できるが、時々動詞(is)や冠詞が抜けたり、前置詞を間違えたりすることがあった (注:冠詞と前置詞は私の弱点です(^^;)息子が小学校に入ってから普段の会話を日本語から英語に切り替えたので、多分そのせいもあるかと…)
  • この言語テストは、絵を主体にした比較的解答しやすいもの
  • 緘黙児は「試される」ことを嫌う傾向が強く、それが不安を増す原因となることもあるため、担任や母親と話し合いこの形式に決めた(私はきいてない…)
  • 子どもの言語能力が年齢に見合う範囲内にあるかは、更に詳細なテストが必要

このレポートは、SLTが所属する地区のNHS(国民保健サービス)が発行したものです。そのコピーは私たち保護者だけでなく、学校と発達テストを受けた小児クリニックの担当医にも送付されました。

小児クリニックは1回受診しただけで、「(ASDではないから)もう来なくていい」と言われたのですが、(将来のため?)息子のファイルに追加されたんだと思います。この受診がなかったら、学校にSLTが送られてくることもなかった訳で、ちゃんと繋がってますね。

このことからも、イギリスでは保護者、医療機関、学校のネットワークがあるのが解ります。その中の一つが機能していなかったら、他の二つが指摘して協力を仰ぐことができるようなシステムといえそう。

(といっても、実際は保護者が学校や医療関係に働きかけることが多いのですが…。反面、学校が主導して緘黙支援をしてくれるケースもあります)

それまでの息子の治療・支援の歴史を簡単にまとめると、

  1.  幼稚園    寡黙(ただ、日本人の親友とは人目がないところで普通に会話)
  2.  4歳6か月   滑り台から突き落とされ緘黙・緘動になる
  3.  4歳6か月(事件の1週間後) SENCOと保護者が会い、学校での支援開始(この時点ではまだ場面緘黙とは判明していなかった)
  4.  4歳10か月  小児クリニックで発達テスト(心理士に場面緘黙だと申告)
  5.  4歳11か月半  発達テストのレポートが保護者と学校に書面で届く
  6.  5歳3か月     学校で言語テスト
  7.  5歳9か月     言語テストのレポートが保護者と学校に書面で届く

特に、医療機関の介入に時間がかかってるのが判りますね。息子の学校がインクルージブ教育に力を入れていて、特別支援の体制が整っていたのが幸いでした。

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私は毎週土曜日の朝、2時間ほど散歩することを習慣にしています。今朝、公園の中の道を通ったら、あたり一面が霜で白くなっていました。

一緒に歩いているのは、息子の小学校時代のママ友。息子のためにと、一生懸命頼んで協力してもらっていた彼女たちとは、息子たちがそれぞれの道を行く今も、長いお付き合いが続いています。

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息子が学校で囁くようになったB君は、息子と同じ早生まれ。前年のレセプションクラスには、1学期ではなく2学期から入学しました(4歳)。入学時期が同じのチビちゃん同士だったので、息子と気が合ったのでしょう。

B君ママに事情を話して協力してもらい、レセプション時代から週1回くらい家にB君を招いてプレイデート(詳しくは『プレイデート作戦』をご参照ください)を続けていました。B君ママの仕事の関係で、2年生になるまでB君宅に招かれたことはなかったと記憶しています。

学校から我が家まで10分くらい歩くのですが、息子は学校を後にして他の生徒たちが見えなくなる辺りでボツボツ話し始め、家に戻るとハイテンションになって、うるさい位でした。多分、学校で黙っている反動だったんでしょう。

B君は社交的でひょうきんなところがあり、1年生になると友達をぐんぐん増やしていきました。特に、S君と仲良くなったんですが、そこに息子も加えてくれたのです。ありがたや~!

ある日、学校にお迎えに行くと(イギリスでは小学校2年生(7歳)まで、保護者の送り迎えが義務)、それまで挨拶をする程度だったS君ママが私に近づいてきました。

「B君と一緒に〇〇君も一緒に遊びに来て」というのです。

イギリス人ママ達は子どもの意見を尊重するので、親が気を利かせて息子も招いてくれた訳ではなさそう…(そのへんはすごくシビアです)。S君、息子も一緒に誘ってくれたんです。これは嬉しい!

ただ、B君と一緒であっても初めて行くS君宅。きっと委縮して、全く声が出なくなるだろうと予測されました。そこで、場面緘黙であることを簡単に説明し、図々しくも私が付き添ってもいいかお願いしてみたのです。

S君ママは快く承知してくれ、初日は私も一緒にS君宅へ。お茶をご馳走になりながら、場面緘黙について、息子の性格や扱い方について詳しく説明しました。

その間、子ども達は三人で仲良く遊べていて、息子も声を出すことができたのです。やった!近くに私がいたこと、母親同士が親しそうだったことが、息子に安心感を与えたと思います。

一緒に遊べば遊ぶほど3人での交友関係に慣れてくるはず。この時から、B君を招く際にはS君も誘うことにしました。ちなみに、幼稚園時代の親友T君との交友も、T君が2年生になって帰国するまで、ずっと続きました。

息子に確かめたうえで、S君宅へは次回から付き添いなしにしました。「一緒に遊びたい」という強い気持ちと、「僕だってひとりで行ける」というプライドもあったんでしょう。

S君ママへは「返事をしなくても、無視してる訳じゃないので、気にしないでね。できるだけ普通に話しかけて」とお願いしておきました。

2回目に迎えに行くと、「私に返事したわよ!」と知らされ、その後「うちの主人にも口をきいたわ」と嬉しい報告が!

ママ友たちの協力が本当にありがたかったです。

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息子の緘黙・幼児期5~6歳(その9) 教室内で囁き始める

相変わらず雨模様のイギリス。日照時間がますます短くなって、午後4時過ぎには暗くなるため、夜9時頃まで明るい夏季と比べると、一日が半分くらいに短縮してしまった感じです。イギリスでこうなら、北欧やアイスランドではもっと寒くて暗い時間が多いことでしょう…。

   習慣にしている森の散歩も、湿った地面から冷気があがって凍えそうに…。でもよく見ると、そこかしこに野生の茸がニョキニョキ

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小学校1年生になったばかりの秋は、学校の支援が手厚かったこともあり、大きな進歩が見られました。

息子が学校心理士とのセラピーで、声を出すことができたのが10月に入ったころ。正確な日付は覚えていないのですが、このころから今度はB君の耳元で囁くようになったのです。

B君を1週間に1度くらい家に招いて息子と遊ばせるプレイデートは、レセプション時代から続けていました(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その19)B君ママに告白』をご参照ください)。家ではB君と普通にしゃべるだけでなく、B君ママにも懐いて口をきくように。

 夏休みを挟んで5か月ほどプレイデートを続けた成果が、ここに来て出てきたように思います。もちろん、B君とだけでなく、幼稚園時代の日本人の親友、T君とも頻繁に遊ばせていました(T君とは、学校でも放課後の校庭でなら話せていました)。

 緘黙児は学校でずっと黙っているため、ストレスがいっぱい溜まります。だから、家で切れやすくなったり、暴れたりする子も。それ故に、学校外で遊べる同年代の子や兄弟姉妹がいることは、とても重要になってくると思います。

また、いつの間にか1対1の読本の時間にTAにも囁くようになり、教室でもそのTAの耳元に答えを言ったり、用事を伝えるようになりました。

ちょうどその頃、男の子がひとり転入してきたのですが、何とその子には初めから囁いていたのです!かなり後になってから息子に訊いたところ、理由は「転校してきたばかりで、僕が話せないことを知らないから話しやすかった」とのこと…。

まだ小さかったので、思考が単純というか、なんというか。でも、息子なりに、「話さなくちゃ」と思っていたのかもしれません。

その子は何度か家に遊びに来たのですが、ある日お母さんが迎えに来た際、息子のことを「〇〇君は学校では全然しゃべらないんだよ」とポロリ。

お母さんが焦って、「何バカなこと言ってるの!」と叱ろうとするので、「いや、本当なんです。恥ずかしがり屋で…」と咄嗟にフォローしました。

息子の学校は36カ国からの子どもが集まっていて、出身国によってはとても保守的な人もいます。当時は場面緘黙が一般的に全く知られておらず、誤解されて変な目で見られるかもという危惧がありました。

だから、クラスの保護者全員に説明することはせず、理解・協力してくれそうな人だけに話していたのです。息子の場合はまだ幼かったこともあり、息子が話しているビデオを見せたり、緘黙の説明をしたり、とクラス全体に告白することもありませんでした。

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息子の緘黙・幼児期5~6歳(その8)初めて声が出た!

 

息子の緘黙・幼児期5~6歳(その8)初めて声が出た!

イギリスでは随分気温が下がってきて、いよいよ初冬に突入しつつあります。先週末は届け物があって、8週間ぶりにサリー州の大学の寮で暮らす息子に会ってきました。風邪もひかずに元気そうにしていて、まずは一安心。

片田舎の大学なためかキャンパス内も緑豊かで、夏はピクニックが楽しめそう

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前の記事でお伝えしたIEPの支援に加え、小学1年生の1学期には学校心理士とのセラピーセッションとSLT(言語療法士)による言語テストも受けることができました。

地区によって異なるのですが、私が住んでいる地区では学校心理士(NHS国民健康保険制度の一環)が公立の学校を順番に回ってくるシステム。ちょうど1学期に息子の学校に来ることになり、SENCoの推薦でセラピーを受けられることに。

人数に制限があるので、それだけ息子の状態が悪かったんでしょう…。この頃は緘動はなくなっていたものの、まだまだ不安が大きくTAの後押しが必要でした。

ある日、偶然学校でSENCoと会ったら、「〇〇君も心理士とセッションできるよう推薦しておいたわ」との報告が。その時は、私も心理士に会って話を聞けるものと思いこんでました。

そうしたら、確か9月末だったと思うのですが、知らないうちにセッションが終わっていたという…。

ある日お迎えに行ったら、担任がニコニコ顔で「今日、心理士とのプレイセラピーで初めて声が出ました」と教えてくれたのです!

「えーっ、本当ですか?!」

「初めて話した大人が私じゃなかったのは悔しいけどね」と担任。

この時初めて、新担任と喜びをシェアすることができました。誰かが一緒になって子どもを応援してくれるというのは、本当に心強いものだなと実感。

詳しい話を聞いてみると、心理士は息子が大好きな電車などの玩具で1時間ほど一緒に遊んでくれたとか。遊んでいるうちに徐々に緊張が解け、楽しくなってきて声が出たよう。

そういえば、息子は昔から優しいお姉さんがお気に入りで、甘えるのが上手でした。学校の先生や関係者ではない知らない女性だったからこそ、声が出たのでしょう。小さな部屋で心理士と二人っきり、というシチュエーションも成功要因だったと思います。

(実は、レセプション(4~5歳)時代にもたった一度だけ、教室で声を出したことがありました。仲良しのB君と一緒にいたところに、担任が来てB君にアルファベットの発音を質問したら、B君が答えに詰まったとか。そうしたら、息子が「S」とひと言。たまたま答えを知っていて、安心できる環境だったため、ついうっかり声が出ちゃったんですね。

この「つい、うっかり」は、まだ自意識が強くない低学年の頃に多く、それをきっかけに話し出す子もいます)

この時の状況を詳しく説明してもらう機会はなかったのですが、緘黙児とのセッションには、下記のようなテクニックを使えると思います。まずは、子どもに安心感を与えることが先決。

<最初は1対1で信頼関係(ラポート)を築く>

  • 他の人が出入りしない部屋(小さい方がベター)に、子どもが好きな玩具などをそろえて
  • 緘黙児は見られることに敏感なので、視線を合わせないように。対座するより同じ側に座る方がベター
  • 楽しい遊びを導入して、緊張をほぐす。子どもが何も言わなくても、子どもの気持ちを代弁しながら遊びを進めていく
  • 慣れてきたら、頷き、指さしやジェスチャーで応えられる質問をする(例 単語をいって絵カードを2枚から選ばせる)
  • はい/いいえの二者選択式の質問、答えが判っている質問をすれば、「知ってる」という安心感から声が出しやすい

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どんよりと曇った日が続く中、ちょっと晴れ間が出たので久しぶりにハイゲートの森の向かい側にあるQueen’s Woodに行ってきました。枯葉の間から色々な茸がニョキニョキ生えていて、冬に向かう森の生態系を感じることができました。

   

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前の記事で「学校の支援が最も手厚かったのが小学校1年生」と書きましたが、それだけ問題児だったということなのかも(^^;)

小学校では7年間ずーっと同じクラスだったためか、男子ママ友(7人のグループ)の団結は強く、今でも年に複数回集まる仲。先日も集まって昔話に花を咲かせていたら、教師をしているひとりが「あのクラス、担任泣かせだったと思う」と…。

それまで、「いいクラスだった」という意見で一致していたので、「どうして?」とみんなビックリ。

「だって、中等部になって落ち着いたけど結構暴れるASD児(Z君)がひとり、学習障害の女の子がひとり、何にも言わない子が二人(F君とうちの息子。最初は緘動もありました…)。途中で摂食障害になった子もいたし。その上、日本からの編入性(駐在員のお子さん)も多かったしね」

およよ…そういわれると、その通りですね。担任の先生方、当時は本当にお世話になりました。

さて、初めて担任が変わったこともあり、1年生の1学期は前年度のIEP(個別指導プラン)を継続。その内容は下記のようなものでした(通常IEPは1学期に1回更新します)。

2005年6月~10月までのIEP(Individual Educational Plan)

ターゲット1:学校内でひと言、もしくはジェスチャーやサインで自分の意思を伝える

  • 達成目標:10回以上
  • リソース&テクニック:はい/ いいえ の二者選択のQ&A/ 絵本/ 絵カードなど
  • 作戦: 簡単な答えを誘導するリソースを使用
  • 担任とTAへの提案:どのような形のコミュニケーションも奨励する

ターゲット2:自発的なコミュニケーションを促す

  • 達成目標:?回(タイプミスか数字ナシ)
  • リソース&テクニック:好きな玩具、興味のあるもの、ジェスチャー
  • 作戦:話しかけ、なんらかの返事を奨励する
  • 担任とTAへの提案:できたら必ず言葉をかけ、さらに後押しする

ターゲット3:大人+子ども数人による小グループで、インタラクティブなゲームを行う

  • 達成目標:8回
  • リソース&テクニック:小グループ活動/ ボールゲーム/ パラシュートゲーム/ 順番にできる活動/ 人形を使ったロールプレイ/ 「話す+聞く」ゲームなど
  • 作戦:SENCoが行う社会的スキル習得のための小グループ活動に毎週参加させる。
  • 担任とTAへの提案: 小グループで「話す+ 聞く」ゲームや順番に行うゲームを行う

このプランの作成時まだ場面緘黙は診断されておらず、SENCo(特別支援教育コーディネーター)と担任が息子の状態を見ながら計画したもの。レセプションクラス時代はまだ専門家が支援に加わっていなかったため、学校内のスタッフだけで支援するSchool Actionというカテゴリーになっています(現在は法律が変わり、IEPを作成しない学校もあるよう)。

一番最初のIEP(『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その13)学校での取り組み』をご参照ください)と比べると、徐々にターゲットをステップアップさせていることが判ります。

ところで、イギリスの小学校は校長(公募制)の方針によって校風や校則が随分違います。幸いなことに、息子の学校ではインクルージブ教育に力を入れていました。そのため、ASDを主に様々なSEN(特別支援のニーズ)のある子どもを積極的に受け入れていたのです。

障害の深刻さが認定されると、地区の教育委員会から学校に補助金が下ります(残念ながらSMだけでは無理)。そのため、他校よりTAが多く、設備も支援も整っていたと思います。ASD児が多かったせいで社会性を促すプログラムもあり、息子とF君もその中に加えてもらうことができました。

また、クラスのASD児、Z君に専用のTAがついていたので、Z君のグループに入れてもらい目を配ってもらえました。今考えると、すごくラッキーだったなと思います。

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昨日から11月に入り、今年もあと2か月を切りました。イギリスでは先週末に時計を1時間遅らせ冬時間に突入したため、午後4時半ころになるともう辺りは真っ暗。

久しぶりに森に行ったら、紅葉はもうピークを過ぎていました。落ち葉が地面いっぱいに積もって、歩くとカサカサ音がする季節です。

  

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息子の症状が場面緘黙であることが判明したのが2005年5月、それからは息子のことで無我夢中で周りがよく見えていませんでした。

2005年9月に息子が1年生になり、私もクラスボランティアを始めて少し落ち着いてくると、息子のクラスのことが見えるようになってきました。そして、「あれっ」と気付いたことが…。

どうやら、息子のクラスには、もうひとり緘黙児がいるみたい。

記憶を遡ると、息子がレセプションに入ったばかりの2005年1月後半(緘黙傾向はあったものの、まだ顕著ではなかった)、担任が放った謎の言葉がありました。

「大丈夫、もっと重症の子がいるから」…。(詳しくは『息子の緘黙・幼児期4~5歳(その5)』をご参照ください)。

それが何のことかさっぱり解らないうちに、滑り台事件が起こって息子が緘黙・緘動状態に陥ってしまい、何とかしなきゃと必死だった日々。毎晩ネットを徘徊しているうちに「場面緘黙」という言葉に巡り合い、SMiRAに助けを求め、SENCoと担任に資料を渡して、緘黙の支援をお願いすることができたのです。

今考えると、息子への支援が最も手厚かったのが小学校1年生(幼児部4~5歳)の時でした。その理由は、学校の方針と予算によるものだったと思います。

支援の内容は:

  1. TAとの読本セッション(1対1 週1回15分ほど)(詳しくは『息子の緘黙・幼児期5~6歳(その4)』をご覧ください)
  2. ソーシャルグループへの参加(小グループ 週1回30分ほど)。ASD児のために社会性を育てる小グループに混ぜてもらい、少人数でゲームなどの活動をする
  3. クラスでの小グループ活動における配慮。学校外で話せる仲良しのB君と同じグループに、TAのいるグループにしてもらう

注:なお、1)と2)の活動は授業中に教室から別の部屋に連れ出して行われます。

新学年からこれらの支援が実施されるようになり、ふと気づけば息子と全く同じ支援を受けている男の子がいる…。それは、レセプションクラスに入ったばかりの時、担任が「もっと重症の子」と評した、同じ幼稚園出身のF君でした。

F君は身長が高く、内気ながら結構スポーツができる子でしたが、両親はともに外国人。息子もそうですが、やはりバイリンガル環境や文化の違いが緘黙の発症に影響していたものと推測されます(学校で使う言葉が母国語ではない場面、緘黙の発症率は通常より高い)

ある日のお迎え時間、F君のママが「あなたの子もTAと読本してるでしょ?」と、声をかけてくれました。短い立ち話で、支援が助かるね~と確認し合ったのです。

数日後、また話す機会があったので、「私はSMiRAの会員になって、緘黙の本や資料を持ってるから貸しましょうか?」と訊いてみたのです。そしたらすごく引かれて、「うちの子は違うから」と拒絶されたのでした…。

どうやら、SENCoは彼女に子どもの症状が緘黙だということを説明してない???ただの恥ずかしがり屋で、時間が経てば治ると言われていたようでした…(F君は早生まれの息子より半年前に入学し、その頃学校もSENCoも緘黙についての知識がない状態だったと思います)。

学校で全く話さず、息子と同じ支援を受けてるんだから、絶対緘黙だよ――そうは思ったものの、押し付ける訳にもいかず…。ちょっと凹みましたが、まあ人それぞれだし、とその後は傍観することにしたのでした。

でも、SMの知識があろうとなかろうと、F君ママも子どもの交友関係を大切にして、よく彼の友達を家に招いていたようです。

それが功をなしたのか、F君は息子より早くクラスで話せるようになりました(^^;) クラスに仲の良い友達がいて、休み時間にサッカーなどの遊びに必ず加わっていたことも、克服の助けになったんじゃないかなと思っています。

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