DSM-Vに登場した新たなコミニュケーション障害(その1)

昨年5月に、アメリカ精神医学会による診断・統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)が改定されたのは、周知のところです。最新版のDSM-Vでは、場面緘黙が含まれるカテゴリーが「通常、幼児期・小児期、または青年期に初めて診断される疾患」から、「不安障害」へと移行しました(詳しくは場面緘黙とは?(その2)をご参照ください)。

もうひとつ注目したいのは、この改訂版で自閉症に関する概念や定義が大きく変わったこと。これまで日本で「広汎性発達障害(PDD)」と診断された緘黙児は少なくなかったと思うのですが、「広汎性発達障害」というカテゴリー自体が廃止されたのです。

「広汎性発達障害(PDD)」がなくなり、自閉症関連の診断は「自閉症スペクトラム症(ASD)」に統合。そのうえ、何と「アスペルガー症候群」というお馴染みのサブカテゴリーもなくなってしまいました!(研修中のASD専門校の生徒は殆どがアスペっ子なので、なんだかショックでした)

しかも、「な~んだ、これからは全てASDでいいんだ」と思いきや、そうでもない様子。というのは、これまでPDDのカテゴリーに入っていた全ての診断がASDに統合された訳ではなく、別カテゴリーに移行したものと、別カテゴリーで新たな診断名がついたものがあるからなんです。

DSM-IV(1994年)では、

広汎性発達障害(Pervasive Developmental Disorders)

  1. 自閉性障害(Autistic Disorder)
  2. レット障害(Rett’s Disorder)
  3. 小児期崩壊性障害(Childhood Disintegrative Disorder)
  4. アスペルガー障害:(Aspergar’s Disorder)
  5. 特定不能の広汎性発達障害:(Pervasive Developmental Disorder not otherwise specified(PDDnos))

↓ 改定

DSM-V(2013年)では、

 自閉症スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder)

  • ただし、2の「レット障害」はX染色体異常で、自閉症とは関連がないため、診断から除外
  • また、4と5の中で、「社会性の障害」と「常同性」がある場合はASDのカテゴリーに、「社会性の障害」のみの場合は、ASDでなく「社会的(実践的?語用論的)コミニュケーション障害(Social (pragmatic) communication disorder)」となる

厚生労働省のホームページでアスペルガー症候群を調べてみると、

- 自閉症の3つの特徴のうち、「対人関係の障害」と「パターン化した興味や活動」の2つの特徴を有し、コミュニケーションの目立った障害がないとされている障害です。言葉の発達の遅れがないというところが自閉症と違うところです。知的発達に遅れのある人はほとんどいません- とありました。

厚生労働省のホームページ e-ヘルスネット「アスペルガー症候群について」より http://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-03-006.html

あれっ?コミュニケーションの目立った障害がない??? アスペも自閉症も、基本的には「社会性」・「コミュニケーション」 ・「想像力」の3分野に障害があるのでは…。私は、アスペの子は知的発達や言語に遅れがないんだと思ってましたが、どうも医師や団体によって、定義が少しずつ異なっているようですね…。

「常同性」というと、手をヒラヒラさせたり、ぴょんぴょん跳んだり、同じ遊びや何かをする順番に執着したり--でも、年齢によって改善するケースも多いし、はっきり「常同性」と区別しにくいケースもありそうです。

この間、休み時間に校庭で男性のTAと話していたら、そこにクラスの子がやってきたんです。私と話していたTAに、PCゲームのことでやけに詳しい質問をし、よどみなく長いやり取りをしました。彼が行ってしまった後、「あの子の知識はすごいよね。話し言葉も自然だし、ぱっと見だとASDだとは思えない」と言ったら、「実は毎回僕のところに来て、全く同じ質問をするんだよね」と…。これも「常同性」なんでしょうか?

また、特定不能の広汎性発達障害(PDDnos)について、wikiで下記のような興味深い記述を見つけました。

- 東京大学名誉教授医学博士)の栗田廣氏は、「海外ではPDD-NOSとして診断される障害者がPDDの2分の1であるのに対して、日本ではPDD-NOSはほとんど診断されず、アスペルガーとして診断され ている。実際、信頼できるイギリスの診断結果の報告文によると、比率的にPDD-NOSがやはりPDDの2分の1、アスペルガーはPDDの13%(全人口 の0.1%)にすぎない。どちらも高機能であり、診断は難しいが、日本でアスペルガーとして診断されている障害者(全人口の0.3 – 0.4%)の多くは実はPDD-NOSではないか」という旨の疑問を呈している -

こちら → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%AE%9A%E4%B8%8D%E8%83%BD%E3%81%AE%E5%BA%83%E6%B1%8E%E6%80%A7%E7%99%BA%E9%81%94%E9%9A%9C%E5%AE%B3

あれれ、何だかアスペや広汎性発達障害の診断も、医師や病院、属する機関によって少しずつ違うのかも…。

長くなってしまったので、いったん切りますね。ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございます。

なお、発達障害の説明については、「軽度発達障害フォーラム」というサイトが詳しく、解かりやすいと思いました。

こちら → http://www.mdd-forum.net/pdd_teigi04.html

 

緘黙になりやすい子?

6月19日に記載した『再び、場面緘黙は発達障害なのか?』の記事に、マーキュリー2世さんからコメントをいただきました。

「緘黙は発達の問題というよりも、心の問題(心因性の精神障害)だと思う」と書いたのですが、「精神疾患は脳の病気という考え方もあり、心の問題と神経系(脳だけでなく、迷走神経なども含む)の問題を切り離すのは問題のすり替えにしかすぎない」、というご指摘でした。

全くその通りです。脳と心(精神)は密接に関連しているため、切り離して考えることはできませんね…。チキンとエッグの論争に似てますね。

(自閉症の脳科学的診断については、マーキュリー2世さんがご自身のブログに詳しい記事を載せておられます。 こちら→ http://smetc.blog120.fc2.com/blog-entry-183.html

ただ、言い訳ではないんですが、私が言いたかったのは、場面緘黙という疾患(症状)が日本で一般的にいう狭義の発達障害(ASD、PDD)とは異なるのではないか、ということです(知識及び語彙不足のため、上手く説明できなくて、すみません)。

ちょっと古いですが、下記のサイトの分類が理解しやすかったので、参照したのでした。この分類だと、場面緘黙は精神障害であり、発達障害ではありません。まあ、DSM-5では「不安障害」に、世界保健機関(WHO)では「小児期および青年期に通常発症する行動および情緒の障害」に含まれ、どちらも発達障害ではないんですが…。

【障害のある学生へのサポートブック(金沢大学障害学生支援委員回保健管理センター 2007年版)】

こちら → http://www.adm.kanazawa-u.ac.jp/ad_gakusei/campus/kousei/soudan/syogai/010.html

  1.  感障害         感覚器官の機能に障害がある場合
  2. 運動障害      身体運動の機能に障害がある場合
  3. 言語障害      聞くこと、 話すことなど言語の機能に障害がある場合
  4. 内部障害      身体障害のうち、 主として内臓の機能障害
  5. 精神障害      医療の対象としての精神疾患を含み、 ある程度以上の精神的偏りがある場合     障害がそれぞれ独立して存在し、 かつ相互に影響するなど、身体障害とは異なる障害の構造がある
  6. 知的障害      先天的な問題、発達期中( 一般的には 18歳以下)の頭部外傷や病気などによって生じた知的発達の遅れ
  7. 発達障害      何らかの生物学的な要因があり、発達の遅れや偏りが生じた状態            家庭環境や養育環境・態度など心理的な要因で正常に発達しなかったというものではない。広汎性発達障害 (自閉症、アスペルガー症候群)、 LD、 ADHDなどがある

しかし、国際的な基準も含め、国や機関によって精神疾患の分類方法が異なっているような…。それだけ複雑で難解な分野ということなんでしょうね。(な お、この5月から日本精神神経学会により、病名が「障害」→「症」に変更されましたが、解かりにくいので以前の名称を使っています)。

簡単にいうと、発達障害(ASD)と場面緘黙には下記のような違いがあると思います。

  • 発達障害(ASD)は治せない
  • 脳の構造が違う(認知の仕方が異る) → 心理的な発達が通常とは異なる
    療育により、社会性やコミュニケーションの問題に対処していくことはできるが、根底にある認知の違い(歪み)は治せない。

これに対して、

  • 場面緘黙は治すことが可能
  • 発症要因が特定されていない → 定型の子でも、発達障害の子でも、言語・発音・コミュニケーションなどに問題を持つ子でも発症する
  • 不安や抑制的な気質、言語・発音・コミュニケーションの問題、バイリンガル環境など、様々な要因があるとされる(*抑制的な気質の子どもは、アミグラダと呼ばれる脳の篇桃体が刺激に対し過敏反応するのではないかという研究仮説があるが、抑制的な気質の子ども全員が緘黙になる訳ではない)    支援・環境・本人の努力などにより、学校をはじめ、それまで話せなかった人・場所・活動で徐々に話せるようになることが多い。しかし、緘黙期間が長く、社会的な体験やコミュニケーションの経験が不足したままだと、大人になってもごく一部の人としか話せなかったり、対人関係が苦手だったり、社会不安症などの精神的な問題を抱えることになる人もいる。また、緘黙を克服できても、言語・発音・コミュニケーションに問題を抱える子(ASD児を含む)は、その問題自体が解決される訳ではない。

《場面緘黙になりやすい子は?》と考えると、

★生まれ持った気質・性格

  •  抑制的な気質(不安や恐怖を感じやすい)

★生物学的(神経生物学的/発達的)な要因

  •  話し言葉や言語に苦手意識がある(表出性&受容-表出混合性言語障害を含む)
  •  言葉の発音に苦手意識がある(吃音、音韻障害を含む)
  •  コミュニケーションに苦手意識がある(ASD、特定不能のコミュニケーション障害を含む)

*上記の他にも、身体的・知的な問題があって、人前で注目されることへの苦手意識がある場合も、抑制的な性格の子だったら、緘黙になる可能性がありそうです。

更に、バイリンガル環境や環境の急激な変化など、環境的な要因も大きく関与してきます。コミュニティや家庭内での会話やコミュニケーションが極端に少なく、年齢に見合う言語・コミュニケーション能力が育っていないと、会話やコミュニケーションに苦手意識を持つようになる子もいるかと思います。

同じ子どもでも、環境や人間関係によって、緘黙になる場合もあれば、ならない場合もあると思うんですね。それを考えると、やはり意識の問題というか、気にしいの性格という部分が大きく影響してくるような気がするんですが…。

例えば、うちの息子はバイリンガル環境も要因ですが、小学校入学時に幼稚園時代の日本人の親友と同じクラスに入っていたら、寡黙ではあっても、緘黙にはならなかったと思っています。また、直接引き金要因となった滑り台事件がなかったら、そのまま非常に大人しい子でいたかもしれません。

ついでに、WHOによる国際疾患分類、ICD-10による精神障害の分類を載せておきますね。

  • F0  症状性を含む器質性精神障害--痴呆症その他のいわゆる脳器質性精神障害を含む
  • F1  精神作用物質使用による精神および行動の障害--アルコールや麻薬・覚醒剤等に関連した障害を含む
  •  F2  統合失調症、統合失調症型障害および妄想性障害--統合失調症(精神分裂病)やその類縁疾患を含む
  •  F3  気分障害(感情障害)--双極性感情障害(いわゆる躁うつ病)、うつ病エピソード(いわゆるうつ病)等を含む
  •  F4  神経症性障害、ストレス関連障害および身体表現性障害--恐怖症性不安障害(いわゆる恐怖神経症)、パニック障害、強迫性障害(いわゆる強迫神経症)、外傷後ストレス障害(PTSD)等を含む
  • F5  生理的障害および身体的要因に関連した行動症候群--摂食障害(いわゆる拒食や過食)、睡眠障害、性機能不全(性欲の低下など)等を含む
  •  F6 成人の人格および行動の障害--いわゆる人格障害や性行動に関する問題などを含む
  •  F7 精神遅滞 精神発達遅滞
  •  F8 心理発達の障害--学習能力の特異的発達障害(いわゆるLD)や広汎性発達障害(いわゆる自閉症)等を含む
  • ★F9 小児期および青年期に通常発症する行動および情緒の障害--多動性障害(いわゆる多動児)や行為障害、チック障害等を含む
  •  F99 特定不能の精神障害--以上の分類に当てはまらないもの全て

厚生労働省のホームページから http://www.mhlw.go.jp/toukei/sippei/index.html

だらだらと長くなってしまい、すみません。最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。

関連記事:

再び、場面緘黙は発達障害なのか?

場面緘黙の要因(カテゴリー)

 

再び、場面緘黙は発達障害なのか?

<イギリスの見解と日本の見解>

以前、『緘黙は発達障害なのか?』と題した記事を書きました。イギリスの専門家のあいだでは、「場面緘黙≠自閉症スペクトラム症(ASD)」という見解で一致しているようです。

調べてみたら、イギリスの国民保健サービス(NHS)による緘黙の説明に、下記のような記述がありました。

Another common misconception is that a selectively mute child is controlling or manipulative, or that the child has autism. There is no relationship between SM and autism, although the two conditions can occur in the same child.

(その他のよくある誤解は、緘黙児は強情・狡猾というものや、緘黙は自閉症であるというもの。この2つの症状を併せ持つ子どもはいますが、緘黙と自閉症の間に関連性はありません)。

NHSホームページ 病気A-Z 場面緘黙のページから

こちら→http://www.nhs.uk/conditions/selective-mutism/pages/introduction.aspx

一方、日本では広汎性発達障害やASD、グレーゾーンと診断される緘黙児が多いという研究結果が複数出ています。そのためか、「場面緘黙=広汎性発達障害・ASD」と捕らえる傾向があるよう。

<ASDの人の脳>

先回の記事でご紹介したアスペルガーの女性、ロビンさんは、まず最初にASDの人と普通の人の脳の写真を提示しました。ASDは先天性の脳の機能障害であり、普通の人とは脳の構造が違うというのです…私は知らなかったのでビックリ。

日本語の説明はないかなと探してみたら、『日刊アメーバニュース』の「早期発見がポイント―子供の「自閉症」、MRIで診断可能に」という記事に出くわしました。

こちら → http://news.ameba.jp/20131026-160/

脳の構造が違うため、初めから認知の仕方が普通の人とは違う。だから、心理的な発達も通常とは異なってくる--社会性が育たないのはこういう理由からなんですね。

場面緘黙はというと、発達の問題というよりも、やはり心の問題(心因性の精神障害)だと思うんです。心因性ということは、普通の子、ASDの子に関係なく、特定の心の問題を抱えたときに緘黙になるということではないでしょうか?

家では普通にしゃべれるのに、学校など公の場でしゃべれない--「公の場」では家で使う話し言葉以上のものが求められます。それは、社会的な場で使う「話し言葉」とソーシャルスキルを伴う「コミュニケーション」。さらに、これらは年齢に見合うものでなければなりません。

家だったら、家族に「あれ取って」と言えば通じますが、学校で先生に向かってそうは言えません。また、複数のクラスメイトとの対話では、適切なタイミングで適切なことを言う必要があります。家で使ってる言語&コミュニケーションと比べると、ぐっとハードルが高くなるのです。

言語や発音に問題がある子、コミュニケーションや社会性に問題のある子にとって、学校で話すことはかなりの難題です。授業で上手く答えられなかったり、クラスメイトに何か言われたら、子どもはひどく傷つき、学校で話すことが不安になるでしょう。繊細で不安が強い子は、特にその傾向が強いのではないでしょうか。

ASD児は社会性がなく、コミュニケーションが苦手なため、緘黙になるケースが多くみられるのではと推測しています。特に、自己主張せず、苦手な部分を隠したがるタイプの子が…。日本では診断を受けることなく、ずっと理解・支援なしで普通クラスに在籍しているASD児(傾向の子)も多いようで、学校生活が辛そうです。

関連記事:

緘黙は発達障害なのか?

 

ASD児の不安と緘黙児の不安

クラスの5人の子ども達に共通しているのは、「自閉症の三つ組」と呼ばれる特性です。子どもによって三つ組のバランスや現われ方は違いますが、程度の差はあれ全員これらの特性を持ちあわせているなあ、と納得しているところです。

1) 社会性の質的な差異

年齢相応の常識や社会性を身につけるのが難しく、場の空気を読んだり、人の気持ちを察して行動することが苦手

2) コミュニケーションの質的な差異

適切な言葉やボディランゲージを使って人と交流することが難しい

3) イマジネーションの質的な差異

目の前にない事柄(もの・情報・可能性など)について推測したり予測したりすることが困難

研修初日にクラス担任に言われたのは、「この子達は、時間や空間といった抽象的な概念を捉えるのが苦手だから、教室の移動やスタッフの顔ぶれが変わるだけでも不安になりやすいの。だから、スケジュールが変わる時は要注意」ということでした。

「抑制的な気質」を持つ緘黙児も、新しい状況に慣れるのに時間がかかり、未知の体験・環境・人に対して不安になると言われています。また、ASD児と同様に、感覚過敏がある子も少なくないようです。それでは、ASD児とSM児の感じている不安は同種類のものなのでしょうか?

以前、『Selective Mutism in Children(2003)』の著者のひとりであるトニー・クライン教授にこの質問をしたところ、「SM児とASD児では、抱えている不安の質が違う」という興味深い返事が返ってきました。

彼によると、SM児の不安は「自分が話しているところを人に見られたくない=人前で失敗したくない、目立ちたくない」という社会不安であり、ASD児の不安は「予測がつかない事態への不安」だということ。

これまで体験入学でやってきた子のお世話を何度かしたのですが、どの子も「次はなにをするの?」と質問してきます。担任が事前に必ず作成しておくのが、その子用の時間割。最初に時間割の説明は済ませているのですが、訊かれる度にそれを見せて、「今この授業をやってるから、次はこれだよ」と説明すると、みんな安心するのです。

(ちなみに、教室内には仕切りのついた個別のブースが5人分あり、それぞれの子どもに机とPCが与えられ、壁にはラミネート加工したその日の時間割が貼ってあります(曜日毎に貼りかえます)。驚いたのは、子どもによって時間割の表記が異なること。数字と教科を記しただけのシンプルなものもあれば、時計の絵と教科のシンボルマークが入ったもの、1教科終わるごとに閉じて、その時やっている教科と時間が明確になるものなど、実に工夫に富んでいて感心します)。

朝の会では、まず最初に担任がその日のスケジュールと変更事項などを説明するのですが、これが子ども達の不安を低減するのに役立っているよう。また、ひとりひとりの子どもに対し、その日の具体的な目標を確認(例えば、発言する時は手を挙げるなど)するのも、どう行動すればいいか解りやすいと思います。

子ども達には、普段心配そうだったり、不安そうにしている様子は見られません。何か嫌なこと、したくないことがあって不安になった場合は、即座に「嫌だ」、「やりたくない」と強い拒否反応を示すことが多いかな…。ASD児はとても正直なので、嫌な時、不安な時、困っている時はストレートに言動に現われるように思います。

学校にはホールがあって、ランチや全校集会、屋内体育の授業などに使用するのですが、全校集会に出ることを嫌がる子がいました(現在はあまり問題ありません)。途中で転校してきたこの子は、ランチの時間は全く平気なのに、全校集会の時だけ時々問題児に…。聴覚過敏で騒音が気になる部分もあったようですが、何をするのか予測がつかない部分と前の学校での嫌な体験が不安に繋がっていたようです。

皆と一緒にベンチに座っていたのに急に立ち上がって教室に戻ろうとした時もあれば、問題なく話を聞いていた時、嫌がってホールに入らず教室のドアを蹴飛ばして大声で叫んだ時もあり、何が原因なのか??? そうかと思うと、うちのクラスが発表会をした時には、皆の前でPCを操作し、堂々と発言するという…。

その時々の雰囲気や心理状態などが強く影響しているという印象で、すごく波がありました。人にどう思われるかを気にする面は、あまり大きくなかったような…。

一方、息子も全校集会を酷く嫌がっていた時期(小3の頃)があったのですが、理由を訊いてみたら、「もし校長先生に呼ばれたら、何か訊かれるかもしれない。怖い」と。更に、様々なシチュエーションを想像して、もし何か失敗したらどうしようと、心配しているのです。ちょっと考えすぎ、想像しすぎじゃないのと思えるくらいに。

全校集会では、その週に頑張った子ども達を校長先生が表彰(といっても、とても簡単なもの)する習慣があって、大勢前に出て行って簡素な表彰状をもらい、大抵は”Thank you”を言う程度だったと思います。何とかそういう場でも返事ができるくらいまで回復していた時期でしたが、まだまだ不安は大きかったよう。実際に体験してみて、「あっ、思ったほど大変じゃなかった」と実感することで、徐々に慣れていくことができたように思います。

この2つのケースを比較してみて、不安の質が違うというのはこういうことなのかなと考えていますが、どうなんでしょうか?

 

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その8)

これまでイギリスの小学校の制度や教育システムを長々と綴ってきましたが、ASD児が場面緘黙を発症しにくいと考える根拠をまとめてみます。

<イギリスの学校の利点>

●登校しぶりや登校拒否が少ない = 適応障害を起こしにくい環境

イギリスでは小学生の登校しぶりや登校拒否が殆ど話題になりません。実際にかなり少ないようですし、私の身近でも聞いたことがありません。その背景には、能力に合わせた学習体制に加え、支援の多い馴染みのあるクラス環境があると思います。学校に対する不安や恐怖、学校生活のストレスが少ない環境は、ASD児はもちろん全ての子どもに優しい環境といえます。

(ちなみに、この国で社会問題となっているのは、ワーキングクラスや移民の子どもが集まる地区の学力低下の問題。いまだに階級制度が存在し、英語が第二言語の子どもが多いため、地区や学校によって学力の差が激しいのです。また、イギリスでもセカンダリースクール(12~16歳)にあがると、登校拒否やドロップアウトの問題が出てきます。セカンダリーでは急に学校の規模が大きくなり、大学のようなシステムに変化し、学校と保護者の繋がりが希薄になることが原因と考えられます)。

●特別支援システムが浸透していて、保護者と学校の繋がりが強い

イギリスの学校には専属のSENCO(特別支援コーディネーター)が存在し、ひとりひとりの子供にIEP(個別教育プラン)を立てて支援します。支援は学習の遅れや態度・行動の問題から、何らかの障害がある子どもまで、かなり広範囲。学校の予算と子どものニーズに合わせ、心理士や言語療法士、作業療法士といった専門家の支援を追加することも(その多くは学校ベースで行われます)。

SENCOを中心に、担任とTA、必要であれば専門家、そして保護者で支援チームを結成します。こう書くと理想的なようですが、学校によってサポートの質や量が大幅に違うのが難…。それでも、問題が起きた時の対応は日本より早いのではないかと思います。

IEPがあると、周囲の大人が子どもの持つ問題や特徴、支援方法を把握することが可能です。それが、他の子ども達へのフォローや、子どもがクラスに溶け込めるような支援に繋がるように思います。

保護者と学校との連携が義務づけられ、通常は学期末にSENCO(+担任や専門家)と保護者がIEPの達成度をチェックし、次の目標を決めます。インファントでは送り迎えが必要なので担任と顔を合わせる機会が多く、ジュニアでも普段から担任やSENCOに相談しやすい雰囲気があります。

<ASDの二次障害としての緘黙>

●二次障害の定義

子どもが抱えている困難さを周囲が理解して対応しきれていないために、本来抱えている困難さとは別の二次的な情緒や行動の問題が出てしまうもの。

●ASDの特徴

社会性、想像力、コミュニケーションに障害があり、対人関係で問題を起こしやすい傾向があります。また、発達の凸凹が大きいため、学習面でできることとできないことの差が大きかったり、学習障害などを併発していることも。環境の変化に弱く、集団生活に不安を感じる子が多いようです。

●ASD児が場面緘黙になるケース

ASD児の中でも、やはり抑制的な性格や学校への不安が大きい子、比較的受動的な子が場面緘黙になりやすいのではないでしょうか?不安の少ない学校環境で、対人関係に対する大人の支援やフォローが多いことを考えると、ASD児が場面緘黙を発症する頻度は、日本の小学校と比べ少ないのではと思います。

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イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その5)

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その6)

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その7)

 

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その7)

3) クラス運営と特別支援のシステム

<クラス運営について>

イギリスの公立小学校は1~6年生(6~11歳)の前にレセプションクラス(5歳)を加えた7年制。通常、クラスの定員は30名です。一体どんな基準でクラス編成するのか不明ですが、息子の学校では、7年の間ずっとクラス替えなしでした。ちなみに、担任は1年ごとに交代します。

最初、「えっ、友達関係がうまくいかなかったら、ずっとそのまま!? おとなしい子が自分の殻を破るチャンスがないのでは?」と、すごく心配だったのですが、息子の場合はこのシステムがプラスに働きました。

7年間も同じクラスだと、仲間意識が強くなり、子ども達はそれぞれの個性を当たり前に受け止め、認め合うようになります。困った時どんな風にフォローすればいいのか皆解っているので、自然な助け合いができるというか…。例えば、杖をついている子がいたら、一緒に歩く時にどんな風に振舞えばいいのか自然に身につく感じです。多分、マイナス面もあると思うのですが、総合すれば利点は大きいように思います。

SM児もそうですが、ASD児は変化に弱く、新しい環境に馴染みにくいのが特徴のひとつ。また、内気な子どもにとっても、日本のように毎年クラス替えをすることは随分負担になるのではないでしょうか?

<特別支援教育について>

イギリスの公立校ではインクルージブ教育(健常児と障害児の統合教育)システムを採用していて、全ての子どもが普通クラスで学ぶ体制になっています。もちろん例外もあって、何らかの重い障害がある子どもは、保護者の希望などにより特別学校に行くケースも。

息子の学校では、他校と比べて特別支援が必要な子どもを多く受け入れていました。発達の障害や身体的な障害がある子が、クラスに1~2人くらい。校内では、杖をついて歩く子や車椅子の子の姿も(校内にエレベーターがあるのです!)。基本的に、特別支援用の通級クラスというのはありません。それぞれの子どものIEP(個別教育プラン)に合わせ、定期的に授業を抜け出して小グループ活動、個別の学習セッションやセラピーを受けに行くという感じです。

ちなみに、インファント(5~7歳)では各クラスに担任とTA(教員補助)がつく体制。特別支援(SEN)を必要とする子どもの中でも、症状が重くステートメントと呼ばれる法的評価を受けている子に対しては、地方の行政局から学校に予算が下りるので、専属のTAがつくことが多いです。加えて、科目によってはエキストラで学習支援員がついたり、保護者ボランティアが参加したり。

息子をイギリスの公立校に通わせてみて、子どもに能力以上の無理をさせないようなシステムという感想を持ちました。学習面では能力別にグループ学習させることが多いと前の記事で書きましたが、体育とかも同じなんです(笑)。例えば、逆上りや縄跳びをする場合、全員ができるように支援するというのが日本。でも、イギリスはそうじゃないんです。

小3の時に学校で縄跳びの授業があったんですが、息子を含めできない子が複数人いました。で、担任に相談したら、「男の子は跳べない子も多いから」と言われ、なんの対処もなし….。結局、夏休みに家で練習して跳べるようになったんですが、学校ではできるまで支援という発想はないようでした。

私の感触では、「できる子はもっと、できない子はそれなりに」というシステムかな…。これって保護者にとっては困った傾向ですが、子どもにはストレスが少ないと思います。

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イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その6)

 

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その6)

2) イギリスの教育システムと学習形態

かつてはイギリスでも日本と同じようなシステム・学習形態だったそうですが、現在ではクラス全員が同じスピードで同じことを学習すべき、という概念はないようです。大まかなガイドラインはあるものの、子どもの成長速度や能力はそれぞれ違うので、ガイドライン内でその子のレベルに合う学習を、という方針のよう。

ジュニアになると主要科目(算数と国語)は、能力別のグループに分かれて学習することが多いようです。といっても、各グループで全く別々のことをやっている訳ではなく、新しい項目を導入する際は、ホワイトボードを使って全員に説明し、それぞれのグループに難易度の違う課題をさせるという感じです。

例えば、算数の掛け算で、2と5の段のみの問題をやっているグループもあれば、1~5段までの問題をやってるグループも、全部を含めた問題をやってるグループもある、といった具合に。読本はグループ別に難易度が異なる本を読み、同じ課題をさせたり。

たいていの場合、一番下のグループにはTAがついて支援。その一方で、飛びぬけて上の子ども(グループ)はギフテッド(gifted)と呼ばれ、特別に英才教育の支援をすることも。真ん中にいるその他大勢の子どもたちは、普通に進めるので支援は殆どありません。

日本人の感覚からいうと、一定の子ばかりが支援されるようで不公平に思えるかもしれませんが、別に保護者への説明もないのです。ちなみに、私がこういうシステムなんだなと気づいたのは、随分後になってからでした(笑)。

それから、驚くことに自分の教科書がない!(私立校はちゃんとあるらしいです)日によって、学校においてある古い教科書を使ったり、プリントを使ったり…。科目別に学科のノートがあるんですが、それも自宅に持ち帰ることはできません。だから、カバンの中には教科書もノートも入ってないんです。

また、日本と比べると宿題が少ない!学校にもよりますが、息子の小学校では金曜日にまとめて宿題が出て、火曜日に提出するという方式でした(これは働いている保護者が週末に監督できるように)。そして、宿題も能力別なんですよね~。

困ってしまうのは、教科書がないので予習・復習ができないこと。そして、子どもが今何を勉強してるのか、さっぱり解らないことです。読本は家に持ち帰りますが、国語の授業で何をやってるのかは謎…。テストしても学期末にしか返ってこなかったり。

で、子どもは家でどんな勉強をしてるかというと、書店で参考書やドリルを買って保護者の方針でめいめい勝手にやってる感じです。熱心な親は早くから家庭教師をつけて、どんどん先のレベルへ。塾というのはないんですが、大体どこの町にも公文があります。やらない子はそのまま、やってる子はものすごく進むので、その差は歴然!

成績表はクラスや学校で何番とかではなく、文部省で定められた学年の水準と比較してどのレベルにいるか、という相対的なものなんです。最初のうちは何がなんだか訳が判らず、実は今も完全には理解できていないという(笑)…。

不思議なことに、同じ公立小学校でも校長の方針によって平均成績に格差があり、評判のいい学校とそうでない学校の差が激しかったりします。学区制なので、子どもがまだ小さいうちに、お目当ての学校の近くに引っ越す人も多いです。

子どもにとってみると、こういったシステムは精神的に楽なんじゃないでしょうか?特に、学習面で困難のある子にとって、皆と同じスピードで同じ様に学習することは大変なストレスになります。周りの目や態度を気になるでしょうし、自己評価も下がってしまう…メンタル面でかなりの負担になると思うのです。グループ学習の場合、できなくてもそれ程目立たないし、クラス中から注目が集まることもありません。

次回はクラス運営や特別支援などのシステムについて説明したいと思います。

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イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その4)

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その5)

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その5)

イギリスの小学校と日本の小学校の違い

1) 学校や教室の雰囲気

イギリスの小学校(5~11歳)に行ってみて、まず思うのは規模が小さいこと。都会でも1学年に1クラスのみ(30人)のところがあり、3クラスあると「大きい学校」とみなされます。平均は2クラスくらいでしょうか。小学校(Primary School)はインファント(5~7歳)と呼ばれる幼児部とジュニア(8~11歳)に分かれていて、同じ学校内に両方あるところもあれば、全く別々の学校として独立していることもあります。

息子の小学校は1学年3クラスでしたが、担任はもちろん、殆どの先生と学校職員が全校生徒だけでなく、母親の顔と名前も知ってることに驚きました。インファントのうちは子どものお迎えが義務なので、自然と親の顔を覚えるのかもしれませんが…。そのせいか先生と話しやすく、日本より親しみやすい感じです。

そして、校内・教室内がとってもカラフルで、日本よりずっとカジュアルな雰囲気なんです。生徒が作った壁画、図工の作品、写真などがそこら中に飾られ、学習用具や図書コーナーはラベルや絵つき。大きな行事があると、学校中を飾りつけたりします。

話がそれますが、息子の学年がエジプト文明のワークショップをした際、手伝いにいってビックリ。担任たち全員が「コスプレですか!?」みたいな出で立ち(笑)!お隣のクラスの男性教師が、長い黒髪のカツラ+オレンジ色の衣装+化粧で美女に変身していて、生徒にも大うけ。先生方のハッスルぶりも半端ないです。

教室を見回して一番違うな~と思うのは、机がグループ毎に固めてあること。インファントでは、自分の机というのはなくて、テーブルを囲んで座ることが多いようです。学校によって違うと思うのですが、私の経験では概ねそうでした。

出入口は前方にひとつ。前方の壁にはPCと直結したホワイトボードがあり、ホワイトボードを使う際は、子どもたちを床に座らせることも多いようです。

イギリスの小学校の画像を見つけたので貼り付けますね。幼稚園みたいな玩具のある教室は、レセプションクラス(1年生の前の学年)のものです。

イギリスでは、グループで学習しているところに、先生がまわってくることも多く、授業中も割とガヤガヤしてます。日本よりも寛容な感じがするというか、何か失敗してもそれほど気にならない雰囲気があるような気がします。

次回は教育システムについて説明します。

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イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その4)

イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい?(その4)

さて、ここからやっと本題に入ります。

私は日本の学校に比べ、イギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくい(=二次障害としての緘黙を発症しにくい)のではないかと考えています。なお、ここで言うASD児の中には、ASD系の発達凸凹のある子どもたちも含めています。

マギージョンソンさんが「複合的な場面緘黙」のカテゴリーにASDとの併存症を含めていること、またDSM-IVで触れていることからも、ASD(及び広汎性発達障害)の二次障害として場面緘黙が発症するケースがあることは周知の通りです。

場面緘黙とは?(その2)

場面緘黙とは?(その3)

でも、二次障害としての場面緘黙がどの程度の割合で発症しているのか、その発症率は環境や文化の違いによって異なるのか、というような研究は殆どなされていません。

二次障害については、「子どもが抱えている困難さを周囲が理解して対応しきれていないため、本来抱えている困難さとは別の二次的な情緒や行動の問題が出てしまうもの」と定義されています。また、軽度の発達障害を持つ子どもは、他の軽度発達障害の合併や二次障害を併存することが多いといわれています。

私は2年ほど前からSENTA(特別支援助手)専門のエージェントに登録しています。仕事はASDなどの発達障害児を中心とした、学習に困難のある子どもの支援が中心です。希望としては場面緘黙の子どもを支援したいのですが、緘黙だけで地区の行政局から学校に支援金がおりることは稀で、学校には緘黙児のためにSENTA(日本でいう加配)を雇う予算がないというのが現状です。

エージェントの仕事はフルタイムが殆どだし、イギリスで教育を受けた訳でもなく、英語にもハンデがあり、経験も不足してる私…。今まで受けた仕事は、小学校での短期TA勤務と家庭教師的なものばかり。ASD児の支援の仕事を何度か打診されたのですが、時間などの都合と自信がないのとで、お断りしてました。

経験を積むため、昨年9月から小規模なASD児専門の私立校(8~17歳)で、週に1回研修をさせてもらっています。一昨年前の夏には、息子が通っていた公立小学校のレセプションクラス(5歳児)と小4のクラスで1学期間お手伝いさせてもらいました。

専門校に在籍する30人のアスペっ子のうち緘黙症状がある子はゼロ。息子の出身校は全校生徒約700人中10人程度のASD児がいるということでしたが、緘黙を併存している子はここでもゼロ。配属されたクラスに回復中のハーフの緘黙児がいたんですが、ASDではありませんでした。

また、エージェントを通じて、移民の多い地区の小学校で2人のASD男児のサポートと小3クラスのTAを担当しましたが、2人とも緘黙傾向はありませんでした。

今までSMIRAの保護者会や緘黙のワークショップに参加したり、イギリスの学校で働いてみて、環境に適応できないために二次障害を起こすASD児が少ないのでは、という感想を持った次第です。

ちなみに、SMIRAの会員にはASD児が殆どいない印象ですが、ASDと緘黙を併発している子どもがいることは確かです。それは、SENTAのエージェントが主催する『発音・言語・コミュニケーションの困難を持つ子どもの支援(Supporting Children with Speech, Language and Communication Needs)』の短期コースを受講した際に実感しました。受講者はフルタイムで働いている35名ほどのTAで、うち70%程度がASD児専門ユニットやASD児を含む支援をしていました。緘黙児がいるかどうか訊いてみたところ、2名から「いる」という答えが。両方ともASD児でASDの症状が重いため、緘黙はそれほど問題になってない様子でした(SMIRAの資料を渡しましたが、反応が薄かったです)。

偶然にも、コース受講中に懇意になったTAの中に、「息子(14歳)は現在の担任になってから話さなくなった」というASD児の母親がいたのですが、彼女は「学校が息子を理解してくれない。環境が悪い」と嘆いていました。子どもの性格や気質が第一の要因だと思いますが、ASD児が学校の環境に適応できるかどうかも大きな要因だと思います。

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発達凸凹という考え方

杉山登志郎氏著の『発達障害のいま(講談社現代新書 2011年)』を読み、発達凸凹という考え方を知って、目からウロコの思いでした。

「自閉症スペクトラム」という概念では、健常人からカナータイプの典型的な自閉症の人まで、人類全員がそのスペクトラム(連続体)の中に含まれます。連続体なので各カテゴリーの境界線は曖昧で、さらに他にも様々な濃淡を持つ要素が複雑に絡み合っているものと思われます。

杉山氏の解釈では、《一般人 - 発達凸凹 - 自閉症スペクトラム障害 - 自閉症》という順番で、下記のような三角形の中に、一般人のグループを左端、自閉症のグループを右端にして入れています(この説明では解りにくいかな…。直角三角形の画像を探したんだけど、直角マークが入ってるのしかなかった…)。 triangle

認知に高い峰と低い谷の両者を持つグループを発達凸凹とし、その中で適応障害があるグループを自閉症スペクトラム障害としています。典型的な自閉症ではなく、知的障害のない、より軽度の、しかし社会的な問題を多発させている人たちの中で、適応障害がない状態(=困っていない状態)が発達凸凹という説明。

この図は自閉症スペクトラム障害についてですが、LDやADHD、言語障害、協調運動障害など、それ以外の障害に関しても、凸凹といえる状態の子ども達がいるのではないか?場面緘黙は社会不安がベースになっていると言われていますが、社会不安や脅迫感が強すぎるのも、ある意味で発達の凸凹ではないかな?と勝手に考えています。

自閉症スペクトラムだけでなく、他の発達の凸凹を持つ子ども達も、社会的に適応できていれば個性や苦手の範囲にとどまるケースや、二次障害を発症せずにすむケースが多くなるのでは?と考えたんですが….どうでしょう?適応できるかどうかは、子どものニーズに合う対応と、子どもが置かれている家庭や学校の環境要因に大きく左右されそうです。つまり、小さい頃から凸凹に優しい環境や周りの理解・サポートがあれば、社会に適応しやすくなるということ。(これがイギリスの学校ではASD児が場面緘黙になりにくいのでは、という私の考えの根拠になってます)。

私が学生だった頃は、「自閉症」、「ADHD」、「学習障害」などという言葉は聞いたことがありませんでした。カナーが自閉症を発見したのが1944年頃、「Developmental Disorder (発達障害)」という言葉がDSM-III-Rに初登場したのが1987年と考えると、「発達障害」という概念自体がまだ比較的新しく、これからもっと研究が進みそうですね。

『ドラえもん』じゃないですが、クラスメートの中には個性の強い子が複数人いたような気がします。いつもオチャラケてて先生に注意されてる子とか、算数は得意なのに国語は全然できない子とか。今思えば、もしかしたらADHDやLDの傾向があったのかもしれません。でも、それが彼らの個性で、それほど問題になることなくクラスに溶け込んでいました。かくいう私も、低学年の頃は先生から見ると「極端におとなしい子」だったと思います。

小学校の頃は地区の「子ども会」があり、行事などで集団で活動することが多かったし、低学年の頃は近所の子どもが集まって一緒に遊んでいました。学校とはまた別の子ども社会があったのです。地域コミュニティの繋がりが濃く、大人と関わる機会も今の子ども達よりずっと多かったし、親戚関係ももっと濃厚でした(しがらみが強くて面倒な部分も多々あったんですが….)。

当時の社会的な環境が子どもの社会性を育て、発達に凸凹のある子が適応障害になるのを防いでいた部分が大きいかもしれません。一緒に遊んでいるうちに仲間意識が育ち、それぞれの個性を受け入れ、自然と小さい子や困った子の面倒を見るようになります。それが学校での生活にも繋がっていました。

『発達障害のいま』の中で、「発達障害が増えている」ことを取り上げていますが、こういった社会の移り変わりもその原因のひとつなんだろうなと思います。

追伸: 時差ぼけやら何やらでぼーっとしている内に、あっという間に1月も半ばになってしまいました~。これからもう少し頻繁に更新しようと思ってますので、よろしくお付き合いください。

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