息子の緘黙・幼児期4~5歳  これは只事ではない!

息子の問題が発覚し、初めてSENCOと会ったのは20052月前半のこと。先生から教室で動けていないと言われたものの、息子はそのことについて家では何も言いませんでした…。幼いなりに、「話さないことはいけないこと」という意識があったんだと思います。

初めてのハーフターム(学期の真ん中に入る1週間の休み)がやってきて、じっくりT君と遊ぶ時間が取れました。休み明けは普通に登校し、「学校に行きたくない」と嫌がったことは一度もありませんでした。うろ覚えですが、この頃から家で癇癪を起こすことが多くなったと記憶しています。

(緘黙児は人に注目されるのを嫌うため、基本的にはいつも通りの生活を貫きます。休むと目立つと考えるのか、学校を休むことはありません。恐怖の対象は「人前で話す」ことや「人に声を聞かれる」ことであり、緘黙している間は恐怖を回避できている状態(恐怖に直面している時より不安は低い)なのです。もし学校に行くのを嫌がったり、体調不良を訴えたりする場合は、緘黙の他に原因があると疑った方がいいかもしれません。例えば、学校で毎回話すことを強要されたり、友達にからかわれるなど、ストレスが大きいのかも…。普通なら気にしないような些細なことでも、繊細な緘黙児にとっては大きなショックになることも多いので、注意が必要です。子どもの様子が普段と違っていたり、何かあるなと思ったら、担任に相談してみてください)

イギリスでは一歩学校の外へ出ると、子どもの安全は保護者の責任。なので、小3くらいまでは、毎日送り迎えをしなくてはなりません。滑り台事件の後は、朝学校のゲートに入ると無言になるだけではなく、下を向いて小さくなっていたように思います。

校舎に入って入口近くでコートをフックに掛け、教室の前でバイバイするのが日課。事件後もひとりで教室に入っていくことができましたが、一度だけ教室に入れなかった日がありました。仕方がないので、手を引いて入口で待っている担任のところに連れて行くと、「お母さんも一緒にどうぞ」と言ってくれました。

私も他の子どもたちと一緒にカーペットに座って、レセプションクラスの朝の活動を体験することに。先生の話を聞きながら、横に座っている息子の様子をソッとうかがうと――えっ、どうしたの?!

全く無表情で、能面のような顔をしているのです!

まるで別人――何これ?! どういうこと?!

これは只事ではない!――と焦っているうちに朝の会(?)は終わり、座っていた子どもたちが立ち上がり始めました。すると、息子が手で私の体を押したのです。

――「マミーはもう帰って」というジェスチャーでした。

何が何だかよく解らないまま、先生にも促されて教室を後にしました。その日は能面のような息子の顔が頭から離れず…。あんな顔をするのを見たのは初めて。一体、息子に何が起きたのか?でも、お迎えに行くと、息子は普段の顔に戻っていて、いつものように私が持参したおやつを食べ、T君と一緒に運動場へかけだしていきました…。

一体なんなんだ~?!

その夜、私は息子にこう訊ねてみました。

「マミーが小学校に入った頃、学校はすごく大きくて、人がいっぱいいて、とても怖かったよ。○○も怖いでしょ? 怖いのに、よく我慢して毎日学校に行ってるね。偉いね。今朝、教室でずーっと黙ってたの、辛かったでしょ?」

すると、思いもかけない答えが帰ってきたのです。

「ううん。ボクいろいろ面白いこと考えてたから、ちっとも辛くなかったよ」

(へっ? あんな能面みたいな顔して、心中はすごい葛藤があるのかと思ったら、実はそうじゃなかったんだ~

私は小さい頃から空想癖があったのですが、どうやら息子も同類のようでした。今考えると、息子は不安から逃れるために現実逃避をしていたのかも…。

この頃、私にはまだ場面緘黙の知識が全くなかったのですが、なんとかしなくちゃいけない!と強く思いました。息子を寝かしつけてから、入学の際に学校からもらった資料を引っ張り出し、目を皿のようにして読んでいると――「健康上の問題があったら、School Nurse(養護教諭?)の○○さんに相談してください」という箇所を発見。

 「よし、これだ」と思い、翌日勇気を出してその人に相談してみようと考えたのでした。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳  教室で動きません

その週の終り、担任といっしょにSENCO(特別支援コーディネ―ター)に会うことに。初めて会ったSENCOは(それまで存在すら知らなかった)、感じの良いフレンドリーな女性。カラフルなカーテンで仕切られたSENCOの部屋で、とてもリラックスした雰囲気のミーティングが行われました。

そこで息子の学校での様子が明らかになりました。なんと、ひとつのテーブルから動かず、言われた課題も全くやらないと。そして、全く言葉を発さないと

レセプションクラス(45歳)の教室には、複数の子どもが一緒に活動できる大きめのテーブルが4つ。数字や文字遊び、お絵かき、モデル作りなど、それぞれ異なる活動がセッティングされています。その他、変身コーナー(コスチュームがいっぱい)や木製のキッチンコーナー、PCコーナーなどが設けられ、教室の外には専用の小庭も。遊具もたくさんあって、水遊びや土遊びもできます。

この学年は小学校にあがるための準備コースのようなもので、遊びながら学ぶという方針。クラス全員がカーペットに座って、お話を聞いたり、アルファベットなどを学ぶ時間があり、毎日いくつかの課題をこなすことになっていました。

それなのに、一日中ほとんど動かず・しゃべらず、何もしていないらしいのです!そういえば、学校に行く途中までは結構おしゃべりなんですが、学校に近づくにつれて口数が少なくなり、ゲートを入ると話さなくなるような。それでも、放課後に教室から出てくると、私やT君ママとは普通に話し、T君といっしょに運動場で元気に遊んでました。

まずSENCOに訊かれたのは、息子の友人関係でした。幼稚園時代からの仲良しのT君がいると告げると、クラスが違うのにもかかわらず、なるべく授業中でも一緒に遊べるようにしましょうと。とにかく、小さいことでも何かできたら褒め、少しずつできるように支援するという対策が立てられました。

この頃、私はまだ小学校の制度にも、こういったミーティングにも慣れておらず、なにしろ初めてのことだらけ。息子がいつから動けなくなったのか、入学当時からずっと課題をやっていなかったのか、そして何が原因と思われるのか――重要なことを全く質問しませんでした

SENCOの口から場面緘黙という言葉は全く出ず。この時点で、すでに入学してから3週間以上が経っていました。もし最初から話してなかったのなら、担任はもっと前に警告してくれていたはずと思います(全く話さないのは、結構大きな問題なので)。だから、多分入学して2週間後に起こった滑り台事件が息子の緘黙のきっかけだったんじゃないか、と推測しています。

「どうかよろしくお願いします」と頭を下げ、複雑な思いで家に帰ったこの日。息子と私の、緘黙との戦いが始まったのでした。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳  SENCOに会ってください

息子の緘黙記の続きです。

事件が起こった翌週、息子をお迎えに行くと、ガラスの窓越しに担任からちょっと来てと合図が…。なんだろうと思い中に入っていくと、担任が申し訳無さそうな顔をして、こう言ったのです。

「○○君が学校生活に上手く適応できていないので(ハッキリ覚えてないんですが、こんな感じの言い方だったと思います)、SENCO(特別支援コーディネ―ター)に会ってください」

えっ、だってつい先週「友達ができました」って嬉しそうに伝えてくれましたよね?「大丈夫、やっとクラスに溶け込めそうです」って、言いましたよね??? えええっ~?! どういうこと??

何がなんだか訳がわからず、でもSpecial Needs”という言葉をきいて、ハンマーで頭を殴られたようなショックでした。

うちの子、特別学級なの?

今思えば、偏見そのものなのですが、自分が子どもだった頃の特殊学級のイメージが頭の中をぐるぐる回っていました。息子は、普通クラスについていけないの?

どうしよう?!

その時、詳しい状況の説明はなにもありませんでした。入学2週目からは通常の時間帯になり、担任と話す機会も少なくなって、息子が教室でどんな様子なのか全く知らず…。全然うまく馴染めてなかったのか??

そして、何故かその前の週に起こった滑り台事件のことは、私の頭から全く抜け落ちていたのです(担任もそれについては一言も…)。あの事件が大きく関与していたに違いないことは、後になってから気づいたのでした。

ガビーンとショックを受け、子どもが寝てから主人に訴えたものの、彼はあまり動じない性格というか、ズレてるというか…。「学校は弱肉強食のジャングルだからな」って、はぁ?(主人は親の仕事の関係で8歳から寄宿学校に入れられた人です)。「まずは、SENCOと話すのが先決じゃないか」と…。かわいい息子のことなのに、何故そんなに冷静でいられるのか、私には理解できませんでした。

(主人は非HSPなので、繊細な息子の気持ちやリアクションがよく理解できないよう。あまり立ち入らずに見守って、彼なりのやり方で愛情を注いでいるのですが、時にすごく「冷たい」と感じ、昔は随分腹を立てたものです)

まあ今だからこそ言えますが、すごく心配性の私と何でも結構アバウトな主人(自分のこと以外は?)の組み合わせだからこそ、そこまで深刻にならずに済んでいるのかもしれません。二人とも心配症だったら、心配や落ち込みも二倍以上になってしまいそうなので、これでバランスが取れているのかも…。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その7)

 

 

息子の緘黙・幼児期4~5歳  滑り台事件おこる

もう2月に入ってしまいましたね。うちの屋根裏部屋の工事は、後は窓を入れるだけ(なかなか入荷しません)という段階までこぎつけました。やっと終わる~と喜んでいるものの、次は自分たちで内装ペイントをしなければなりません。

さて、息子の緘黙記の続きです。

まあまあいい小学校生活のスタートが切れたかも、と少しほっとした次の週。たまたま仕事で外出していた日、家に帰ると留守番電話にメッセージが(当時のイギリスではまだ携帯電話がそれほど普及してなくて、私は持っていませんでした)。

メッセージは学校からで、「○○君がお昼休みにケガをしました。すぐ迎えに来てください」というもの。

すでに1時間ほど経過していましたが、急いで学校へ。すると、怯えた様子の息子が担任に連れられてきました。唇の横や手に小さな擦り傷があり、服にも点々と乾いた血が…。でも、それ以外に大したケガはないようでした。

「大丈夫?痛くない?」と訊くと、コクンと頷いたので、ちょっと安心。

先生によると、給食の後に校庭で滑り台から落ちたとのこと。一度に大勢の子どもが滑り台に登ったため、押しくらまんじゅう状態になったらしいのです。

お昼休みは学校職員が休憩する時間なので、その間は別に雇われているスタッフが子どもたちを監視します。が、校庭に出てくる子どもの人数が多いので、この事件を防げなかったようでした。

「本当に申し訳なかったわ。監視する大人の数が少なすぎるのよね」と担任。でも、側にいた学校職員は「まあ、よくあることだから」と…。

「えっ、よくあることなの? 運悪く頭を打ったりしたら、危ないじゃない」と思いましたが、当時の私はまだ新米保護者。学校に対して抗議するなんてことは、思いもよりませんでした。

その日は息子の手を引いて、いつもより早い時間に帰宅しました。帰宅途中、そして家で何が起こったのか訊きだそうとしたのですが、そのことに触れると息子は口を噤んでしまうのです…。でも、いつもと変わらずお気に入りの玩具で遊び、ご飯もちゃんと食べ、オシャベリもしてたので、それほど深刻には考えませんでした。

翌日、息子はいつも通り登校。お迎えの時間にT君のママに会うと、やっと事件の全容が見えてきました。息子のT君が詳しく話てくれたそう。

親友のT君とはクラスが別になってしまいましたが、お昼休みにはいつも一緒に遊んでいて、前日もT君と滑り台で遊んでいたのでした。滑り台の上に大勢の子どもがあがったところで、どういう訳かぎゅうぎゅう押し合いになったというのです。

最年少で力も弱く、多分押されるままになってた息子は、はずみで落っこちてしまったんでしょう…。落ちた後、滑り台の下でひとり、声も出さずに泣いてたんだとか…。T君が大人を呼びに行ってくれて、やっと発見してもらったと…(これは学校の管理不届きですよね)。

かわいそうに、どんなに怖かったことか…。

でも、校庭に出てきた息子は、いつもと変わらずおやつを受け取ると、T君と一緒に校庭にかけ出していきました。その後も、別段変わったところはなく、普通に過ごしているように見えました。私は、ちょっと成長したな、と思ったのです。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その6)

 

息子の緘黙・幼児期4〜5歳  落とし穴の一歩前

とびとびになってますが、息子の緘黙記の続きです。

一番最後にレセプションクラス(4~5歳)に仲間入りした息子でしたが、最初の2週間はなにごともなく過ぎました。

入学して1週間は午前中のみ。給食が始まる前に迎えに行くと、私の顔を見てほっとしたような顔。教室から遠ざかるにつれて、徐々におしゃべりになっていきます。でも、私が学校のことを訊くと途端に口が重くなるので、なるべく遠回しにききだすようにしてました。

うちの子は、幼稚園の頃から園での出来事をあまり話したがりませんでした。話すとしても、自分に直接起きたことではなく、周囲で起こったことが中心。だいたい幼稚園時代の親友、T君の話題やその頃好きだった『サンダーバード』関連のことが多かったかな?

興味のあることを話しているうちに、ふと園での話題がばーっと出てくるのです。ただ、「嬉しかった」とか「辛かった」とか、自分の気持ちを伝えるのは苦手だったように思います。嫌なことだけは、「イヤッ」とハッキリ言うんですが…。

2週目からは、大きなダイニングルームで他の学年の子たちと一緒に給食を食べ始めました。幼稚園の延長保育で給食に慣れていたためか、これも問題なくクリア。すぐに午後まで学校にいられるようになり(ほとんど遊び中心)、私としては大助かりでした。

通常の時間にお迎えに行くと、インファント(レセプション~小2まで)のママ達がわんさか集まっていて、新米の私はちょっと気おくれ(イギリスでは学校外での児童のセキュリティは保護者の責任となるため、お迎えが義務付けられているのです)。最初は、クラスは別になったものの、同じ時期に入学したT君のママとつるんでました。

授業が終わると、子どもたちは教室の外の廊下に出て保護者を待ちます(窓ガラスごしに姿が見える)。担任はひとりずつ保護者を確認しながら、生徒を外に出していくのです。幼稚園でも小学校でも、担任のみならず他の先生方やスタッフまで生徒の名前と保護者の顔を覚えている――すごいなと驚いたものですが、この制度のお陰かもしれませんね。

外に出てきたT君と息子は、私たちからおやつを受け取ったあと、元気に運動場に飛び出して行きます。他に日本人駐在員のお子さんたちもいて、放課後に日本人が固まって遊んでいることも多かったかな。その時は、もちろん日本語。幼稚園の頃と同じで、息子はT君とママにはこれまで通りしゃべってました。知り合いになった日本人ママ達の前でも普通に声を出していたと記憶しています。

そして、2週めの終わりの日。担任から「時間がかかりましたが、やっとお友達ができました!B君です」と告げられました。「ああ、良かった~!これで小学校生活も大丈夫かな…」。ものすごくほっとした気持ちを、今でもありありと覚えています。

でも、その後に大きな落とし穴が待っていたのでした…。

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息子の緘黙・幼児期4〜5歳  もっと重症の子?!

あっという間に、クリスマスが目前に迫ってきました。仕事をしている特別支援校は既にクリスマス休みに入ったのですが、うちの屋根裏大改装工事はまだまだ続きます~。また間が空いてしまいましたが、息子の緘黙話しの続きです。

1月も半ばを過ぎて、いよいよ息子の入学の日がやってきました。といっても、記念になるような儀式は何もなく、私は付き添って教室に入っただけ。

それも、授業が始まって30分ほど経ってから。

子どもたちが朝の挨拶を終えて自由遊びの時間に入ってから、担任が受付まで迎えに来てくれました。息子の手を引いてイザ教室へ。私も後ろから付き添いましたが、新入生というよりは、転校生みたいな感じ。

教室ではみんなそれぞれ好き勝手に遊んでいて、幼稚園とさほど変わらない雰囲気。子どもたちに息子を紹介することもなく、みんなが遊んでいる中に自然に溶け込ませるという方法のようでした。

周りを見回すと、やっぱり8月生まれの息子はちっちゃい。体格だけでなく、みんな振るまいも言葉もしっかりしているような…。先生の隣で小さくなっている息子が、すご~く幼く見えました。

センターパークでのダンマリ事件があったので、担任に「引っ込み思案なので、最初は喋らないかもしれません。どうぞよろしくお願いします」と念をおしました。

すると、担任は「大丈夫、もっと重症の子がいるから」とニヤリと笑うと、ある男の子の方に私の注意を向けたのです!

「もっと重症???」

よく見てみたら、なんとその子はベソをかいていました!

なんか見たことがある顔だなと思ったら、同じ幼稚園で別のクラスにいた子でした。子育て相談会に参加した際、個別相談で彼のお母さんが私の前に並んでいて、かなり待たされた記憶が。その場に彼もいたのです(お母さんがヘッドスカーフを被っていたので、イスラム教徒の家族かな)。

担任は「泣くのは君じゃないでしょ?もう9月からずっとこのクラスにいるんだから。ほら、泣かないの!」と朗らかに言い、その子の肩を優しくポンポン。

「???」 

謎だらけでしたが、息子はなんとか泣かずに、先生に連れて行かれたテーブルに座って遊び始めました。そこで私の役目はおしまい。ファミリールームで待機することも可能でしたが、大丈夫そうだったので家に戻ることに。

まあ最初の1週間は学校に慣れるために午前中のみの登校なので、それくらいだったら持つだろうと思ったのでした。

12時半ころに迎えに行くと、担任に連れられて教室から出てきた息子は、以外に平気そうな顔。でも、帰り道で「ポツン」とこう言ったのです。

「僕の英語、みんなみたいに上手くない…」

それを聞いて、私は愕然としてしまいました。そんなに気にしてたんだ~。

それまで、家の外では英語ばかりだから、英語は教えなくても自然に出来るようになるだろうとタカをくくっていたのです。当時、息子は75%くらい日本語を使っていましたが、英語力もそれなりについてきてました。なので、英語力について気にしてるなんてちっとも考えてなかったのです(というか、親友が日本人だったので本人も気にしてなかったんでしょう)。

(息子の新しいクラスには外国人が多く、渡英したばかりで全く英語ができない子も数人いたのです。だから、息子が一番できないという訳ではありませんでした。でも、その子達のほうが堂々と振るまってたような…)。

入学初日にそんな不安の声を聞き、息子に自信をつけさせるため、家庭でも英語で会話することに方向転換を図ったのでした。

ちなみに、イギリス人の夫は日本語科出身なので、日本語が話せます。息子が生まれた時、「バイリンガルにしたいから、あなたは絶対に英語で話してよ」と約束させました。が、私の願いも虚しく、日本語のほうが上達している息子にあわせて、ずーっとちょっと変な日本語で話し続けていたのです。

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息子の緘黙・幼児期(4~5歳)プール恐怖症になる

すでに今年も1ヶ月を切ってしまいました。息子の緘黙話の続きです。

イギリスの小学校では、毎年の家庭訪問というのはありません。就学前に担任とTAが家を訪問し、子どもに会って性格や家庭環境をチェックするのみ。小学校1年生(5~6歳)の前にあるレセプションクラス(4~5歳)が始まる前に、たった一度きりなのです。

イギリスでは9月から新学期が始まりますが、息子の小学校では早生まれの子どもたちは時期を遅らせて、1月に入学させるという方針。1週間に数人ずつ入れていく方法だったので、8月生れでクラスでも一番若い息子の入学は1月下旬となりました。

9月に入学した子どもたちは、もうその頃には友達関係ができあがっているはず。それに、先に入学した早生まれの子たちも、息子より早くクラスに馴染んで友達ができちゃってるかも…。そんな中に入っていけるのかな?

引っ込み思案の息子には不利なシステムだなと思ったのですが、仕方ありません。まあ、この年齢の子どもを見ると、6ヶ月違うだけで心身ともに成長が随分違うというのは解るんですが…。

1月初めに家庭訪問があり、私が若い女性の担任と話している間、ベテランのTAが息子と遊んでくれました。息子はいつものように好きな玩具で遊びながら、TAの声掛けに英語で受け答えていたと記憶してます。その間、私は息子が引っ込み思案なうえ、幼稚園の親友と離れ離れになってしまうので不安だということを担任に伝えたのでした。

息子の入学がまだまだ先だったので、家庭訪問の後にセンターパークというファミリー用のホリデーパークへ行くことに。学校が休みではない時期、しかも週中だったので格安でした。

森のなかにあるこのホリデーパークは、室内プールや室内スポーツ設備、映画館や各種レストランなどを備える大規模な複合施設。少し離れたところに宿泊用のバンガローが建ち並び、日用品を販売するショップも。野外にはサイクリングやアスレチックコースもあり、子どものためのイベントやクラスもたくさん準備されているのです。

小学校で全く新しいクラスに入る息子が、知らない子と一緒に活動できるチャンス--とも思ったのです。

到着してまず最初に行ったのは、広大な室内プール。5種類ほどの異なるプールがあったのですが、人影はまばら。慣れるまで時間がかかるだろうなと思っていた息子は、以外にも最初から大はしゃぎでした(この時点では全く泳げませんでした)。

2日目もプールに行きたがり、午前中はご機嫌でプール巡り。野外に造られた温泉風のプールが気に入り、アームバンドを付けて水遊びを楽しみました。この日の午後、初めて息子をクラフトのクラスに送り込み、私たちはコーヒータイム。で、2時間後に迎えに行くと、係の人が「ずっと何もしゃべりませんでした。こんな子初めて」と…。

一瞬ドキっとしましたが、クラスで作った紙細工は持ってたし、私たちには普段と全く変わらない態度。幼稚園時代のように片言は話してたのか、それとも一言も話さなかったのか--今思えば、この時が初めての緘黙症状だったのかもしれません。

バンガローに戻ってから色々訊き出そうとしたものの、クラフトの時間のことについては話そうとしませんでした。家にいる時や親と一緒の時は全く普通にしゃべるので、保護者は子どもの緘黙に気づきにくいと思います。

そして翌朝、再びプールへ。この日もまた楽しそうに水遊びに興じ、何と主人の誘いに乗って特大の滑り台に挑戦することに。私は高いところから滑り降りるのが恐いので、隣のプールで見学。すごい勢いで滑り降りてくる二人の姿を眺めていました。

主人に抱っこされて降りてくる息子は、結構楽しそうだったんです。が、水の中に飛び込んでから、しばらく上がってこない…。結構深いプールだったんですね。主人の焦っている様子がうかがえ、やっと息子の頭が出たと思いきや、すごい泣き顔!

フルスピードで水中に落ちたので、主人の手から離れちゃったんだそう――溺れはしませんでしたが、めっちゃ恐い思いをしたようです。で、それからは、絶対に水に入ろうとしません。私が抱っこして入れようとしたら、顔と体がひきつってました…。

「大丈夫、大丈夫」となだめても全然ダメ。公園で複数の犬に追いかけられてから犬恐怖症になったのですが、今度はプール恐怖症になってしまったのでした。

(すぐには恐怖症になってしまったことは判らなかったんですが、後にプールに連れていってみたら水に入るのを拒否…。息子の小学校には珍しく温水プールがあり、1年生から水泳の授業があるため、あちゃ~という感じでした)。

どんな子でも恐い思いをすることはあると思いますが、こんなに簡単に恐怖症になってしまうなんて。やっぱり抑制的な気質が関係してるんでしょうね。

小学校で新しいクラスや授業に馴染めるように、という親心が仇になって返ってきたエピソードでした。

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息子の緘黙・幼児期(4〜5歳)  ひとりだけ違うクラス?!

息子の緘黙記の続きです。

幼稚園では非常に引っ込み思案で、特に大人に対して言葉が少ない息子は(大人の見てないところで親友とは普通に話してました)、1学年3クラスある小学校(イギリスでは大規模)に、すんなり適応できるんだろうか?

心配になった私は、小学校の校長に手紙を書き「ものすごく引っ込み思案な子なので、M君と同じクラスにして下さい」とお願いしました。仲良し同士はたいてい同じクラスにしてくれると聞いていたものの、念には念を押したつもりでした。

が、入学体験日に発表されたクラス分けを見てビックリ!なんと、幼稚園のクラスから、息子だけが違うクラスに入ることに。ガーン、何故だぁ!

他の10人は全員同じクラスなのに、息子だけひとりぼっち…親友のM君とも離れ離れ。息子はひとりで大丈夫なのか?私の不安はいっきに増大しました。

(今思えば、これが緘黙を引き起こす原因となったような気がします)

急いで小学校の校長に面会を申し入れたんですが、校長は不在で副校長が会ってくれました。結果は--もう発表してしまったので、クラスは変えられないと…。何故そうなったのかという理由は、教えてもらえませんでした。

推測するに、私の家が道ひとつ隔ててギリギリ学区の外だったのが原因だったんだろうなと思います。というのも、最初は断られたんですが、2次選考で入学できることになったという経緯がありました。あと、延長保育の先生の意見もあったのかなと…。

母子体験入学に行ってみると、息子のクラスには違う幼稚園から来た子どもを集めてありました。息子が通っていた幼稚園は小学校の隣。付属幼稚園ではありませんが、後の2クラスは幼稚園からの持ち上がりという感じ…。

9月に入学した子ども達は既に友達関係ができてしまってるだろうし、そんな集団の中に後から入って大丈夫なんだろうか…。知らない子ばかりだし…。不安でいっぱいしたが、もう変更できないと言われてしまえば、どうしようもありません。

それでも、入学体験で同じクラスになる女の子のママと知り合いになり、「仲良くしてね」と言ってもらえて、ちょっとだけ安心。入学して1週間は半日授業、その後は給食を食べられるようになったら一日授業にするという方針。

保護者用のファミリールームもあるし、まさかの時はそこで待機すればいいや、と腹をくくったのでした。

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息子の緘黙・幼児期4~5歳(その2)

この子話せますか? 息子の緘黙・幼児期 4〜5歳(その2)

久々に「息子の緘黙」の続きです。

幼稚園の延長保育にも慣れてきて、卒園まであと3ヶ月あまり。お隣の小学校への入学も決まっていて、かなり落ち着いた状況でした。

でも、実は上手くいってると思っていたのは身内だけで、その頃息子は園でものすごく寡黙だったらしいのです。知らぬは家族とその周辺のみだったよう…。

当時、『サンダーバード』の実写版映画が流行って、再々々ブームが起きていました。人気バンドによる主題歌も大ヒット中。息子は声が出るトレーシーアイランドの玩具で、毎日ごっこ遊びに熱中。そのお陰で 英語もかなりスラスラ出てくるようになっていました。

イギリス人の子とも交友した方がいいと思い、入園時に乗り物遊びで仲良くなった子とママを自宅に招いたんです。その時、そのママから「ふうん、家では喋るんだね」と言われ、「???」。彼女はよくクラスで手伝いをしていたんですが、「あ、そうなんだ。園では大人しいんだ。私も保育園の頃はすごい内弁慶だったしな」位にしか思わなかったのです。

その後に、新しく同じクラスに入った日本人の女の子(母子ともに付き合いなし)のママに何気なく挨拶したら、「お宅の子、すごいユニークなんですって?」という謎の言葉が…。追いかけて質問するのも気が引け、大きなハテナマークを抱えることになったのでした。

あと、お迎えの時に延長保育の先生に、けっこう英語も話すようになったことを告げると、「園ではT君(親友)に代弁させることが多いので、自分でもっと発言するといい」と。後にT君のママ経由で、この先生が息子とT君を離した方がいいと言っていたことを聞きました。

1年3ヶ月の幼稚園生活の間、若い担任の先生からは特に何の助言もなく、まあまあ楽しくやってるんだとばかり…。その先生は1年終えた時点で退職し(海外に行くため)、新学期からは新しい担任になったばかりでした。

早生まれの息子は、新学期が始まる9月からではなく、1月から小学校に入学する予定でした。その1ヶ月ほど前、つまり卒園の1ヶ月前に、幼稚園で初めての懇談会が行われたのです。

担任が開口一番に言ったのは、「○○君、話せますか?」でした!

その時は主人も一緒だったのですが、二人とも驚いて「は?」という感じ。「もちろん話せます」と即座に答えたのですが、私は「内気で先生に何か言われない限り、言葉を返さないんだろうな」と捕えました。しかし、こういう大事なことはもっと早く言って欲しかった…。

息子は私がお迎えに行くと園内(教室の外)でもすぐに話し始めるので、そこまで寡黙だということには全く気付いてませんでした。それは、息子の親友&そのママも同じだったと思います。多分、大人のいないところでは、M君と普通に話していたんでしょう。

卒園の少し前に、1月から小学校にあがる早生まれの子のための卒園会みたいな催しがありました。10人くらいの子どもと保護者が集まって、担任が子どもの園での歩みを発表。ひとりづつ前に出て担任のところに行き、話す機会が設けられました。

恥かしいのか、全員が小さ目の声で先生の質問に答えていたという記憶があります。息子の番になってカメラを向けると、短かい言葉ですが、 ちゃんと聞こえる声で答えてました。なので、幼稚園では緘黙ではなかったと思ってます。

ちなみに、この幼稚園は自由主義で、子どもが好きな遊びを自主的にどんどんやらせ、遊びを通して学ばせるという方針。みんなで一緒に何かする時間は、読み聞かせをするストーリータイムくらいのもので、先生やスタッフの大人と話す時間はあまりなかったように思います。

今考えると、抑制的な気質が強い息子には、もっと家庭的で面倒見の良い、こじんまりした幼稚園の方が向いてました。でも、当時そんなことは全く思いつきもせず…。

小学校入学に一抹の不安を覚えた私たち夫婦は、小学校の校長に手紙を書くことにしたのでした。

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癇癪が悪化ー息子の緘黙・幼児期4~5歳(その1)

癇癪が悪化-息子の緘黙・幼児期4~5歳(その1)

またまた記事の更新が遅れてしまいました。息子の緘黙記、やっと4歳に突入します。

イギリスでは5歳になる年から小学校が始まります。新学期は9月からなので、8月生まれの息子は学年でも一番若い早生まれちゃんのひとり。入学予定の小学校では、6月以降に生まれた子ども達を、9月ではなく翌年1月に入学させるいうシステムでした。そのため、幼稚園にもう1学期だけ行くことに。

ラッキーにも、4歳になった9月から週に2回延長保育してもらえることになりました。イギリスでは公立幼稚園の保育時間は1日2時間半。延長保育だと朝9時半から午後3時半まで預かってもらえるので、仕事で外出しなければならない時は大助かり。

園にいる時間が2倍になって、初めての給食も食べることになったのですが、割とすんなり順応できました。日本人の親友T君が一緒だったので、不安が少なかったと思います。また、夏休み中に、お弁当持参でT君、M君と一緒にサマープレイグループ(幼児を預けて、様々な活動を楽しませるもの)に参加できたのも、プラスになったかもしれません。

ただ、4歳を過ぎた頃から、家で癇癪を起こすことが多くなりました。夕飯前に遊んでいて切り上げるように促すと、嫌がって大泣きしたり、外出させようとするとものすごく抵抗したり――ささいなことで頻繁に腹を立てていたような…。何がそんなに嫌なのか、どうしてそんなに抵抗があるのか訳が解らず、私のほうが困惑して腹を立てることも多かったです。

これについては、「息子の緘黙・幼児期2~3歳(その1)」でも触れましたが、息子は行動や場面を切り替えるのがすごく苦手でした。自分のこだわりが強いとき――「こうしたい」「こうなるはず」と思い込んでいる時や、その時の状況が気に入っている場合は特に。

まあ、子どもだから当たり前といえばそうなんですが、癇癪が激しすぎ…。そして、癇癪をおこすのは、だいたい家にいる時や家族と一緒にいる時に限られていました。今思えば、幼稚園や友達の前では我慢していたのかな。あるいは、公の場でそんな大それたことはできなかったんでしょうね。幼稚園に長くいるようになって我慢することが増えて、それが家で爆発してたのかも…。

今でもハッキリ覚えているのですが、一度だけ園の前庭で大癇癪をおこして、周囲にいた子どもやママ達を驚かせたことがありました。園を出たところでミルクを飲もうとして、パックにストローを刺したら、曲がって入らなかったんです。見かねて代わりに刺してあげたら、いきなり大泣き!大人しいと思われてる息子がめっちゃ大声でわめいたので、皆さん目が点になってました(笑)。

後日、幼稚園で心理士の講演があり、癇癪について相談してみたら、次のようなアドバイスをしてくれました。

  1. 子どもは急に切り替えをするのが難しいので、事前に警告する
  2. 癇癪を起こしている間は何か言っても無駄。落ち着いてから、静かに話をする

大人でも何かに夢中になっている時、いきなり制止されたら頭にきますよね?だから、子どもが何かしてる時には、傍まで行って顔を見ながら「ご飯だから、もう少しで遊びはお終いね」と警告するといいそう。「あと1回ゲームしたら終りね」という風に、具体的に言ってあげると解りやすいですね。

また、泣き叫んでいる時に、なだめたり怒ったりしても、子どもは聞いてません。少し距離をおいたり、黙っている方が早く泣き止むそう。少し落ち着いたら、必ず声をかけて泣いた理由を訊いたり、子どもの行動が何故いけないかを話すといいようです。

切り替えが苦手なのは、新しい場所や行動に対する不安もあったと思います。ただ、実際にその状況に遭遇すると、割と平気なんですよね。「こうなったらどうしよう」と考えすぎてものすごく不安になるものの、イザやってみたら「な~んだ」と安心するパターンが多かったような。

心配性というか、想像しすぎというか――子どもなのに取り越し苦労が多い…。なんかとっても損な性格だなと思うのですが、考えてみると息子ほどではないにせよ、私もその傾向が強かったです。

子どもが癇癪をおこすと大人は困りますが、自分でどんな風にコントロールしていくのかを、学んでいく過程でもありますよね。うまく援助してあげられるといいですが、なかなか難しいです。