緘黙(恐怖症)のスペクトラム

緘黙治療は長期戦になることが多く、人によって症状はそれぞれ違います。人前で話すことの恐怖だけでなく、人前でものを食べること、自分から会話を切り出すこと、電話での会話、対人関係の難しさなどがある場合は、それぞれの苦手分野を克服していかなければなりません。

以前の記事で書いたのですが、私は車の運転が苦手です。渡英後ずっとペーパードライバーだったのが、息子が生まれた後必要にかられてハンドルを握るようになりました。知らない道を運転するのが不安で、高速道路や片側三車線の道路に至っては、超怖いので避けているという状態。家の周囲15キロ以内くらいをトロトロ走ってるご近所ドライバーなのです。

新しい道でも、何度か通えばドキドキ感は薄れて平気になります。が、必要がない限り新しい道や目的地にチャレンジすることはないので、いつまでたっても行ける場所は増えません…。恥ずかしながら、知らない道に連れて行かれるのが嫌で、カーナビもひとりだと使わないという。

こんな自分は「運転恐怖症なんだろうか?」と考えてみると、そこまでいってないんじゃないかと思ってます。でも、人から見たらそうですよね…。同じ「運転恐怖症」でも、交通事故などの後に絶対車に乗れなくなった人から、私のように限られた範囲内だったら大丈夫な人まで、症状はいろいろじゃないでしょうか?

思うに、恐怖症も緘黙もスペクトラム状になっていて、「苦手」程度ですんでいる場合もあれば、何らかの引き金となる事件が起こったり、環境要因が重なって、急にどーんと重症になってしまう場合もあるように思うのです。

「○○障害」というと、とてもシリアスな印象を受けますよね?でも、「○○が苦手」「○○がすごく駄目」だったら、親も子どもも受けとめやすい。「苦手」を克服するためにはどうしたらいいのか?専門家に相談しなくても、自分なりに考えたり、親が対策をねったりできそうです。

私の場合、「まずインストラクターと一緒に高速に乗って練習すれば?」とよく言われるんですが、あの怖い思いをするのかと思うだけで気力が萎えてしまいます。それに、高速は主人に運転してもらえばいいし….。

先日、息子を車で20分ほどのところまで送っていった際、途中で道路工事をしていて、すごい交通渋滞。「帰りも渋滞だと困る~!」という私の言葉に、息子が携帯のカーナビをセットしてくれて、「大きい道はないから大丈夫」と去っていきました。

一抹の不安はあったものの、とにかく急いできたのでカーナビの案内通り進むことに。途中から大通りに出て、道路が4車線に。この時点で、既に身体が緊張し始め、胸がドキドキ…。すると、なんということか、先に信号付きの巨大なラウンダバウト(Roundabout 円形交差点)が見えてきたのです!

ラウンダバウトまで来た時は、もう頭が真っ白になり、サテナビの説明も殆ど耳に入らず!「一体、どの道に進めばいいの?!」とパニック状態。幸い、赤信号で前の車が止まったので、「助けて~!!」と叫びつつ、その車の後に続いたのでした。

何とか三車線道路を切り抜けて家にたどり着いた時は、もうクタクタ…。「もうカーナビはこりごり」と思い、また挑戦しようという気にはなれませんでした。ましてや、「やった!あのラウンダバウトを乗り切れた!」という喜びなど全くなかったです。

「苦手」を引きずっている人、特に大人は、自分の中で「苦手」との折り合いをつけて、限られた範囲内で対処している人が多いんじゃないでしょうか?「全て克服」までいかなくても、「この位でいいんだ」という程度に。

でも、車の運転と違い、緘黙は社会生活や自己評価に大きく影響してくるので、「この位でいいんだ」とは思えないかも…。

もし、あのラウンダバウトを使わなければならない状況に追い込まれたら?もし、誰かが側についていてくれて、「頑張れ、頑張れ」と応援してくれたら?もし、自分がもっと若くて、将来の必要性を感じていたら?

そうなったら、私でも多分「仕方ない、やるか」という気持ちになるでしょう。ひとりでは仲々できないけれど、誰かと一緒ならモチベがあがりますよね?特に、時間をかけてスモールステップでコツコツ進むまなければならない場合には。

ダイエットでもそうですが、やはりひとりでやるよりグループに入ったり、仲間や専門家と気楽に話し合えた方が、絶対心強いと思います。

自分の経験から、まずは自分が「変わりたい」と思う気持ちが大きくないと、挑戦するのは

難しいものだなと思った次第です。そして、専門家でなくてもいい、理解してくれる人が誰か寄り添ってくれたら頑張れるなと。

 

 

 

 

国会議事堂内で場面緘黙の啓発イベント

7月6日(水)、ウェストミンスター宮殿(国会議事堂)内で、ルーシー・パウエル議員(労働党)とナイジェル・エバンズ議員(保守党)、そしてSMiRAが共催する場面緘黙の啓発イベントが開かれました。

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このイベントは昨年10月の場面緘黙啓発月から計画されていたもので、何度か延期された後、一昨日無事に開催されました。SMiRAの活動に感銘を受けた保護者が匿名で大きな寄付をし、その資金でこのようなハイグレードの啓発キャンペーンが可能になったのです。

参加したのは、大学教授や言語療法士などの専門家、SMiRAの役員、SMiRA会員の保護者、そして複数の国会議員ほか。2階のビッグベン側に位置する個室で、ドリンクとカナペがふるまわれ、和やかな雰囲気の中で啓発会が始まりました。

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    左から、『場面緘黙リソースマニュアル』の共著者、アリソン・ウィンジェンズさん、トニー・クライン教授、SMiRAコーディネーターのリンジーさん。『Tackling SM』の寄稿者やSMiRAに協力する専門家たちが大勢参加していました

最初の挨拶は、場面緘黙の著書を持つトニー・クライン教授。60年代に初めて緘黙児に遭遇した時の思い出や、場面緘黙を取り巻く状況がどのように変わってきたかをユーモアたっぷりに話してくれました。SMiRA会長のアリス・スルーキンさんは現在97歳というご高齢で、今回参加されなかったのですが、クライン教授は彼女の功績にも触れました。

次に、SMiRAに大きな寄付をし、このイベントの推進にも貢献したジョナサン・ストレイト氏が登場。保護者の心情とSMiRAを支援することになったいきさつを語りました。昨年は匿名で参加されていたのですが、今回は前に出て挨拶し盛大な拍手を浴びました。
IMG_20160706_133514娘さんが学校で話せない姿を見て愕然とし、学校側が手をこまねいているのを見かねてSMiRAに連絡したとか。娘さんの症状は、現在かなり改善しているとのこと。彼の寄付金のお陰でSMiRAのサイトデザインも一新し、昨年秋の啓発キャンペーンは効果大だったようです。
   

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その後は、SMiRAの役員や会員たちが、緘黙の子どもたちの声や保護者の心情を短い言葉で伝えました。特に、子ども自身が書いた文章や詩は、心にじーんと響くものが多かったです。

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   最後は、このイベントのホスト役を務めたパウエル議員が締めくくりました

近年、イギリスではNHS(国民保健サービス)の予算カットにより、子どものメンタルヘルスケアの予算も削られつつあります。そのうえ、先日の国民投票でEU離脱が決まり、政治的にも経済的にも不安定な状態――そんな中での啓発会でしたが、議員たちとのパイプが今後、場面緘黙の子どもたちの助けになることを願ってやみません。

<おまけ>

現在、国会議事堂として使われているウエストミンスター宮殿の歴史は、11世紀に遡ります。1529年に大火災が起こるまで王室の宮殿だったのが、修復後には議会や裁判が行われる場所に。1834年に再び大火事に見舞われ、1860年に修復した際に現在のゴシック・リバイバル様式になりました。

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     まさに豪華絢爛!バッキンガム宮殿にも勝っているような…。全長265mの建物内に1100以上の部屋と11個の庭があるとか…

仕事中の国会議員に混じって、観光客や社会見学できた小学生の一群など、人がいっぱい。至る所に警察官が立っていて、入る前に飛行場と同じようなセキュリティチェックがありました。

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           入口の大広間。1834年の大火を免れた天井の梁が荘厳です!

何とこの大広間の一角にはカフェと下院のギフトショップまであるんです。帰る前に、SMiRAの役員たちと一緒にお土産を物色しました~。もうこんな機会もないと思うと、ついつい真剣に。斬新なネーミングのアイテムも多かったです。

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下院のロゴ入りミントクリーム、”CHURCHILL’S” と名づけられたポートワイン、ビッグベンのTシャツ

 

 

久しぶりの海

7月最初の日曜日はすごく久しぶりによく晴れ渡り、初夏の気候が戻ってきました。といっても、もう夏本番ですが…。ブルガリアの友達が10日ほどうちに滞在していて、彼の希望でイングランド南岸にあるポーツマスまで出かけてきました。

彼のお目当ては、世界で最も古い乾ドックにあるネルソン提督の旗艦、HMS ヴィクトリー号。でも、私は軍艦には全く興味がないので、ひとりだけ海岸付近をぶらぶらすることにしたのでした。

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     まずは The Tenth Hall Tea Room で腹ごしらえ。カニのサラダを注文したら、カニ肉がはいった甲羅がドカンとお皿にのっかってきてビックリ。でも、美味しかったです

家族と友達にしばしの別れを告げ、カフェから歩いて3分くらいのところにあるサウスシー海岸へ。天気のいい日曜なのに人はまばら、めっちゃのんびりしてます。

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パステルカラーの海の小屋(?)がズラリ。着替えと休憩用です

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海岸沿いのプロムナードを歩いていたら、無料のバラ園を発見!さっそく入ってみると、色とりどりのバラがまさに花盛りでした。

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      バラのパーゴラにはクレマチスも這わせてあって、とてもよくマッチしていました。それぞれの花の大きさで随分印象が違うものですね
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バラ園の向こう側はすぐ海

お城や博物館がある海岸の西側に向かってプロムナードを歩いていくと、徐々に人が増えてきて、やっと賑やかな雰囲気になってきました。

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    オレンジと黄色の旗はライフガードのサイン。看板には、本日の最高気温や担当ライフガードの名前などが。水温は11度でした

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カラフルなアイスクリームスタンド

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16世紀にヘンリー8世が石材で再構築した城塞、サウスシー城。見学は無料

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お隣の公園では野外コンサートが行われていました

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大型フェリーでワイト島まですぐ

海岸沿いのカフェでひと休みして、午後5時ころに家族と合流。まだ海辺に行っていない彼らのために、再び海岸へ。最近は10時くらいまで明るいので、まだ夕方という感じは全然ありません。

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こんな時間になって、泳ぎ始める人がちらほら

以前ウェールズに行った時もそうだったんですが、イギリスでは夕方近くになってから海水浴をする人が多いようです。それほど水温があがらないので、海水浴向きの海ではないんですが、天気が良い日は午後になると水が温まるんでしょうか?ちょっと謎です。

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ひさびさに海を見て、太陽も浴びて、のんびりゆったりできた日曜日でした。

肌寒い6月も今日でおしまい

早いもので、6月も今日で終わりです。イギリスでは「Flaming June (燃え立つ6月) 」といって、1年で最も日が長くなり、気候の良い月のハズなんですが――今年はなんせ天気が崩れやすくて…。それに加えて、先週起こったまさかのBreixt!EU離脱が現実的になってきて、残留派が多いロンドンの空にはどんよりとした暗雲が立ち込めているかのよう。

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初夏なのに街が暗い…これからどうなっちゃうんだろう。ユニオンジャックは消滅?

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6月はバラの季節でもあるのに、雨が多くてすぐ花がダメになってしまいます。天気をみながら庭に出て、急いでバラの花がら摘み。また雨が降りそうな時は、咲きかけの花をどんどん切って、室内に飾っています。

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      ガーデンセンターで枯れかけていた時は、小さな花を咲かせていたAbraham DarbyとL.D. Braithwaite。立派に育ちすぎて、ちょっとというかかなり後悔中…

ジューンブライドに憧れるイギリス人女性も多く、6月からは野外のウエディングや披露宴がたけなわ。また、今月はロイヤルアスコット競馬やヘンリーロイヤルレガッタなど、イギリスの社交イベントも目白押しです。せっかくの野外イベントにこの天気は、本当に残念…。

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IMG_20160611_164930IMG_20160611_170914       仕事で初めてQueen’s Cupポロマッチを観戦したんですが、試合開始の2時間前から大雨!どうなることかと思っていたら、なんとか雨が止みました。でも、暗い…

今週からウィンブルドンテニス選手権も始まりましたが、世界中のテニスファンが「TVの画面が暗~い」と思ってるのでは? 今週末もなんだかお天気悪そう…。でも、太陽が顔を出せば、色彩がガラリと変わって緑が本当にきれいなんです。

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トトロが出てきそうなHighgateの森の入口。向かい側には瀟洒な家が並んでいまIMG_20160606_121502IMG_20160606_121548IMG_20160627_142611

           Highgae Woodの向かい側にある小規模なQueen’s Wood。古い家屋を改築した可愛らしいカフェがあります

同年代の友だちの重要性

前の記事で「場面緘黙の後遺症」について書きました。

やっと緘黙を克服したのに、仲間とのおしゃべりにうまく参加できない、社会的な場面での緊張がひどく人付き合いが苦手、という人が一定数いるようです。これは緘黙をひきずったまま社会に出た人に多く、早期発見・治療すれば、学校や社会生活に順応できる傾向が強いよう。

以前「発音・言語・コミュニケーションの困難を持つ子どもの支援(Supporting Children with Speech, Language and Communication Needs)」というコースを受講した際、子どもの言語の発達は18歳くらいまで続くと習いました。例えば、皮肉を理解し対応できるようになる年齢は11~16歳頃。身近で見聞きしたり、実際に使ったりと、実践を重ねるうちに自分なりの受け答えができるようになるのです。

家庭でもそうした体験はできますが、家族ではない他者との体験もとても大切。第三者の大人たちや同年代・同世代の子どもたちと接したり、コミュニケーションを取る機会が持てる場といえば、やはり学校です。そう考えると、学校は勉強するだけの場所ではないんだということが、ひしひしと感じられます。

色々な体験をしながら社会的なスキルを身に着けていく場――学校は子どもが一日の大半を過ごす社会であり世界です。何年間も通わなければならないのに、ずーっと口をきけず、ただ周囲の話を聞いているだけというのは、本当に辛い…。会話に加われないことで、会話やコミュニケーションの練習ができないだけでなく、自信を積み重ねていくことが難しいのではないでしょうか? 

不安になりやすい子どもにとって、学校環境はとても重要です。でも、どんな担任とクラスに当たるかは、誰にとっても宝くじのようなもの。学校で話せなくても、休み時間に一緒にいられる友だちがいること、クラスメイトと交わえることが、大きなポイントになってくるかと思います。友だちの有無は自己評価の問題にも関わってくるので、本当に大切です。

親が子どもの友達関係に関与できる期間は、それほど長くありません。頑張っても、せいぜい小学校の中学年くらいまででしょうか?でも、まだ小さいうちだったら、親が友達を作るきっかけを作ってあげられると思います。できたら、子どもが好意を持っている園の友達や学校のクラスメイトを頻繁に自宅に招き、一緒に遊ばせてあげてください。

私も息子が4歳半で緘黙になってから、クラスで一番好きだった子のママに協力してもらって、家に遊びに来てもらったり、一緒に公園に行ったりしました。息子は自宅だとすぐにしゃべりだしましたが、親が遊びの仲介をしなければならないケースもあるかと思います。子どもの緊張感を解くには、鬼ごっこや風船つきなど、体を使った動きのある遊びがお勧めです(『まず体を動かす遊びから』をご参照ください)。

息子の場合は、教室でまずその友達に囁くようになり、徐々に囁き声が大きくなって、話せる友達が多くなっていきました。学校側が同じグループになるよう配慮してくれたのが、功をなしたと思います。

うちでは息子が小6の時まで、だいたい週1回のペースで友達グループ(息子を入れて計5人)を家に招いていました。持ち回りで、週3回くらい順々に誰かの家に遊びに行ってたかな…。友達の家で早い夕飯(というか簡単ごはん)を食べて、6時半くらいに帰宅するんですが、友達の家族とも顔見知りになり、いい体験ができたと思っています。

子どもたちを身近で見ていて感じたのは、同世代でしか共有できない流行や文化があって、子どもだけの世界があるんだなということ。例えば、Dr Whoが流行っていた頃、グループ全員がカード集めやフィギュア集めに熱中し、番組が放送された翌日はその話で持ちきり。Dr Whoの知識がなければ話にのれないし、カードを持ってないと、ゲームの仲間には入れないんです。

こうした子ども同士の交流や会話は、親が絶対に教えてあげることができないものです。だからこそ、そのきっかけ作りを親が手伝ってあげられたらと思います。

<関連記事>

場面緘黙の後遺症?

まず体を動かす遊びから

 

場面緘黙の後遺症?

お久しぶりです。今月もなにかと忙しく過ごしているうちに、既に半ばを過ぎてしまいました…。ロンドンはここのところ天候不順で、雨が降ったりやんだり、かと思うと太陽が顔を出したり。一日のうちで、天気が猫の目のようにくるくる変わります。

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ご近所の黄バラが今年もいっぱい蕾をつけました

よく、「場面緘黙の後遺症」という言葉が使われます。緘黙は治っても、緘黙だった期間にコミュニケーションスキルや社会性を身につける機会を逸してしまったため、対人関係がなかなかうまくいかないというもの。

1対1だったら何とか大丈夫だけど、複数(3人以上)になると会話に入れない、どう対応していいのか判らない――特に、同年代のグループでの何気ない雑談が苦手、という人が多いようです。

本人にとっては、「会話に入れない」ことだけでなく、そんな自分への劣等感や、「友達ができない」、「信頼関係を結べない」といった孤独感や焦燥感が大きいのではないでしょうか?

緘黙になる人はもともと不安になりやすく、繊細で完璧主義の傾向が強いと思います。緘黙だけではなく、他の不安症や恐怖症(深刻になると障害に)を抱える可能性も大きいのです。それでなくても、対人関係がうまくいかなければ、誰だって不安になりますよね?

「緘黙さえ治れば」と思っていたのに、いざ話せるようになってみたら、状況はそれほど変わらなかった…。人がどう反応するかが恐くて話しかけることができない、人の目が気になって行動を起こせない—自分は駄目ってみんなに思われてるんじゃないか?

「他者から否定的な目で見られたり、否定的な評価をされることへの恐怖や不安」が非常に強く、長期間続いているようだったら、それは社会不安障害の可能性が大きいと思います。人と話さなければならない状況におかれた時、突然動悸がしたり、冷や汗がでたり、身体が震えたりという方は、パニック障害かもしれません。

 これらの不安障害がはたして「場面緘黙の後遺症」なのかどうか、「場面緘黙」だから「社会不安障害」になったのか、それとも、もともと不安症になりやすい気質ゆえに、同時に発症してしまったのか?それを分析するのは、とても難しいと思います。

 「場面緘黙」と他の「不安障害」はセットになっていることが多く、緘黙を克服できれば他の不安障害の症状も軽くなる傾向があるようですが、「場面緘黙」というのはあくまで「人前で話すことに対する恐怖や不」です。人の評価が気になってしかたないのは、場面緘黙とは別の問題なのです。

 「緘黙の後遺症だから仕方ない」と思い込んで、不安をひとりで抱え込まないようにしてください。勇気を出してカウンセリングを受けてみたり、心理士やセラピストに会って、話を聴いてもらうことで気持ちが楽になると思うのです。もちろん、セラピストとウマが合わないこともあるでしょう。でも、自分の気持ちを言葉にするって大事なことだと思います。

マギーさんのワークショップに参加した際、「悩みを打ち明けることで、本当に心が軽くなった」という話をしてくれた女性がいました。彼女も私のように外国人で、緘黙の子どもを抱えて現地の学校とやり取りするストレスや、母国の家族の問題など、色々な悩みを抱え込んでいたとか。

 そんな時、思い切ってセラピストにかかったことで、心の整理できて本当に良かったと言ってました。自分の問題を客観視できるようになり、「あなたは今イギリスに住んでいるんだから、母国の家族に対して実際にできることは限られている」というセラピストの言葉に、納得し安心できたと。

 「今まで自分がしたことの中で、最も有益だった」とも。実は、たまたま娘さんのピアノ教師との軽い会話の中でセラピーの話が出て、その時「ふ~ん、そんなに気軽に受けられるものなんだ」と感心したんだそう。

その時は自分がカウンセリングを受けるとは思いもよらなかったそうですが、イザ相談してみて前向きになれたと話す笑顔が、とても印象的でした。私も昨年色々あって、一時セラピストにかかることを考えたものの、金額に面食らってやめた経緯があるのですが、次に悩みができた時は実行したいなと思ってます。

 

緘黙児と学校

自分にとって、学校ってどんな場所だったかな?そう思い返してみると、特に小学生低学年の頃は、教師も上級生もなんだか怖ろしく、いつまでたっても馴染めない、とても窮屈な場所だったように記憶しています。

私は引っ込み思案で、文字通り内弁慶な子どもだったので、学校では絶対に地を出せず常に小さくなっていた覚えが…。小1の時、家ではしゃいでいる姿を見た担任から、「本当は、こんなに元気なのね」と驚かれたことがありました。「大人しくて、自分からはあまり話さない子」が、大笑いしながらベラベラ喋っていたので、ビックリしたんでしょうね。

先日、知人に頼み込んで、村上春樹の新書『職業としての小説家』を日本から送ってもらいました。この自伝的エッセイと称される作品には、村上春樹が小説を書く(小説家として生きる)理由や姿勢が真摯に綴られています。で、その中に『学校について』という章があって、とても共感するものがあったので、ここに書き留めておきたいと思います。

詰め込み式の教育システムを窮屈に感じていた村上さんにとって、学校で何人かの親しい友人を作れたこと、たくさんの本を読んだことが救いになったといいます。本の世界が一時的な避難場所となり、彼にとっての「個の回復スペース」であったと。

――現実の学校制度にうまく馴染めない子供たちであっても、教室の勉強にそれほど興味が持てない子供たちであっても、もしそのようなカスタムメイドの「個の回復スペース」を手に入れることができたなら、そしてそこで自分に向いたもの、自分の背丈に合ったものを見つけ、その可能性を自分のペースで伸ばしていくことができたなら、うまく自然に「制度の壁」を克服していけるのではないかと思います。しかしそのためには、そのような心のあり方 =「個としての生き方」を理解し、評価する共同体の、あるいは家庭の後押しが必要になってきます。――P210&211 第八回 『学校について』より

沈黙のうちに学校生活を送らなければならない緘黙児にとって、学校はやはりのびのびと自由に過ごせる場所ではないと思います。学校で常に不安や緊張を感じ、窮屈な思いをしている子どもだからこそ、「個の回復スペース」を持つことはとても重要ではないでしょうか?

でも、子どもの個性を伸ばし、自己評価を高めていけるような何か・場所を見つけるのは、そんなに簡単じゃないですよね?話さないことで、習い事をするにも支障がでてくるかもしれないし、学校の友だちや知り合いのいる場所を避けるかもしれないし。一番安心できる家が「個の回復スペース」になればいいですが、家にこもってばかりいては社会性が育たないし…。

ところで、習い事をさせるんだったら、なるべく早いうちに始めた方がいいように思います。小学校中学年になって周囲を意識するようになると、新たに集団に入って何かを始めるのが、結構難しくなってきます。その集団に、学校の友だちや知り合いがいる場合は特に。「やる気になった時に」と待っていると、同年代の子たちは先に進んでしまい、差を感じてしまうかもしれません。

子どもの好きなこと・得意なことを見つけ出して、伸ばしてあげる――口でいうのは簡単ですが、とても難しいです。うちは主人の仕事と趣味に影響されて、息子はすっかりPCオタクになってしまったので…。

ただ、それが漫画やPCゲームであっても、侮れないもの。もう4年ほど前ですが、息子はマインクラフトの個人サイトの管理人(?)をしていた時期があって、10人くらいの友だち・知人と一緒にバーチャルの世界で色々作って遊んでいました。また、漫画を描くのが得意な緘黙児が、漫画を友だちとのコミュニケーション・ツールにしているのを目の当たりにしたこともあります。

人に迷惑がかからなければ、何でもいいと思います。好きなもの・やりたいことがあったら、どんどん応援してあげてください。共通の趣味が、友だちとの接点になったり、なにかを始める原動力になればいいなと思います。そして、それが学校での疲弊を回復させてくれるものになればいいですね。

 

出生時のトラウマ体験と不安になりやすい気質

またまた更新が遅れてしまいました。緘黙を含めた恐怖症や抑制的な気質についていろいろ考えていたんですが、なかなか考えがまとまらず…。そんな時、最近知り合ったフィジオセラピストの友だちから、「不安症になる子って、出生時にトラウマ的な体験をした子が多いの。そういう子ども達には、ソマティック・エクスペリエンシング(Somatic Experiencing 体細胞療法)が効果的なのよ」と言われたんです。

そういえば、うちの息子も微弱陣痛と回旋異常があってお産に時間がかかり、最終的には心拍数低下が心配されたため急遽手術室へ。なんとか帝王切開は免れましたが、鉗子分娩となりました。私も大変だったけど、息子も相当大変だったろうなと思います。

私は息子の抑制的な気質は遺伝によるものが大きいと思っていました。生まれつき脳の扁桃体、アミグダラの反応しきい値が低いため、刺激に過敏に反応してしまい、不安になりやすいんだと思ってたんですね。でも、彼女は「不安を感じる時って、まず身体や細胞が先に反応して、それが脳に伝わって恐いと思うんじゃない?」と…。

むむむ、どうなんでしょう?緘黙のお子さんを持つ方に訊いてみたいんですが、出産の時は大変だったでしょうか?普通分娩で体重も平均的で、よくミルクを飲んでよく眠る赤ちゃんだったら、緘黙になったり、不安症にはならないものなのかな…。

ちなみに、息子はすごく癇が強い赤ちゃんで、それはそれはよく泣いたものです。7ヶ月でスリープトレーニングを始めて一晩中眠るようになるまでは、もう体力限界という感じでした。

4歳半で場面緘黙になり、7歳半でだいたい克服した後も、別に積極的になった訳ではなく、基本的にはシャイで慎重な性格です。成長過程で少しずつ不安の対処法を身につけているようですが、生まれ持った抑制的な気質というのは、根本のところは変わらないんじゃないかなと思っています。

でも、SE(ソマィック・エクスペアリエンシング 体細胞療法)によると、不安になりやすかったり、鬱になったりするのは、過去のトラウマ的な体験によって神経系がうまく機能していないから。でも、赤ちゃんには、もちろん出生時のトラウマ体験を記憶してない訳で。友人によると、身体と細胞が記憶しているということなんですが…。

ちょっと調べたところ、SEはアメリカのピーター・リヴァイン博士(Dr. Peter Levine)が体系化した、心理的問題を身体面から癒していく身体的アプローチとあります。特に、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療に有効ということ。

過去のトラウマを起草させるもの(トリガー)があると、脳から危険信号が出て身体が生理的に反応し、恐怖や不安を感じてしまう――抑制的な気質の人は、脳がちょっとしたことでも危険信号を出してしまうため不安を感じやすい?どことなく接点があるような。

SEで抑制的な気質が改善するということはあるんでしょうか?友だちはSEのセミナーに通っているようなので、次回会った時にもう少し詳しく訊いてみようかなと思います。

早期発見・治療の重要性

あっという間に時間が過ぎて、またまた更新の間が空いてしまいました。ふと気づいたらすでに5月も半ばちかく――いつの間にか前庭のイングリッシュローズの一番花が咲いてました。ここのところ20度を超える日が続き、春爛漫の花薫るような気候です。

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Mary Rose の一番花。今年はピンクの色がちょっと濃いみたい

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ご近所を歩いていると、色々な花との出会いがあります

ところで、しばらくブログを見ないうちに、いきなり文字の色が薄くなっているのに気づきました。字がボヤケてしまい、読みにくくてすみません!多分、WordPressをアップグレードした段階で問題が生じたと思うのですが、主人にきいても原因が判らず…。どうしようもないので、今回は太字にしてみました。

さて、4月20日に参加した場面緘黙ワークショップでは、「障害(disorder)」という言葉がすごく引っかかりました。Hクリステンセンによる研究データ(『場面緘黙のワークショップに行ってきました』を参照ください)を見ると、「分離不安障害」や「社会不安障害」など、併存する症状には殆ど “障害(Disorder)” という言葉がついています。

クリステンセンの論文の抄録をチェックしたところ、対象となった54名の子どもの年齢には触れてないよう。発症年齢を考えると、3~12歳くらいと思うんですが…。併存する障害があるかないかの判断は、DSM4を基準にして、子どもへのアセスメントと親への調査を通して行われたとあります。

併存している症状が、厳密に「障害」と名がつくほど深刻だったのか?話さない子どもに対して厳正な診断ができたのかどうか?また、何歳くらいの子どもが多かったのか?いろいろ気になります。

これに対して、年齢順に併存症をならべたマギーさんとアリソンさんのデータを見ると、最初の4項目(年齢が幼い順から)は「分離不安」や「全般性不安」など、”障害(Disorder)”という言葉がついていません。

「~症」と「障害」の違いについてマギーさんに質問したところ、「簡単にいうと、深刻な症状が長期に渡って持続し、生活に支障をきたすレベルが『障害』」ということ。例えば、「社会不安障害」だと、DSM-Vでは深刻な社会不安の状態が6ヶ月以上続く場合と定義されています(詳しくは『専門家に相談する必要性?』をご参照ください)。

2年ほど前に、《9歳の壁》について書きました(詳しくは『告知するかしないか(その3)』をご参照ください)。小学校の中・高学年になると、場面緘黙の治療は難しくなるといわれています。その理由は、プレ思春期に入る9歳頃から、子どもはものごとを対象化してみることができるようになり、自分と周囲を意識しはじめるため。その時点で、すでに何年も緘黙状態が続いて「話さない子」のイメージが固定化してしまい、自意識も強くなるため、話し始めることがより困難になるのです。

マギーさんとアリソンさんのデータにも年齢は書かれてないのですが、子どもが自分を客観視できるようになり、周囲と比べることが多くなるこのプレ思春期あたりから、併存する症状が悪化する可能性があるのではないか――そう思い当たりました。

例えば、入園したばかりの園児の中には、初めて母親と離れて大泣きする子がよくいますよね?それでも、大体の子は1ヶ月くらいで園に馴染みはじめるんじゃないでしょうか?こういった子ども達は「母子分離不安」はあるものの、「障害」まではいってないはず。

(1ヶ月以上経っても全く母親から離れられず、ストレスで心や体に不調が出てくるようであれば、「障害」になるのかな?その場合は、専門家に相談したり、入園を見合わせる必要もでてくるかと思います。年齢的な目安はありますが、子どもは一人ひとり違うので、我が子からのサインを見逃さないことが重要になってきそう)。

マギーさんとアリソンさんのリストをみると、「障害」という名がつく不安症は最後から2番めの「社会不安障害」。順番からいって、幼児期ではなくプレ思春期~思春期のころかなと想像できます。幼児期でも社会不安を感じている子は多いはずですが、それは家庭とは違う学校や園の雰囲気、知らない大人達に対する、感覚的・生理的なものが大きいんじゃないでしょうか?

それが、プレ思春期や本格的な思春期に入ると、より深刻化する可能性がでてくるように思います。その理由は、社会不安障害の定義は、「他者から否定的な目で見られたり、否定的な評価をされることへの恐怖や不安」というものだから。周囲の目が気になるようになり、自分についてより深く考えることができるようになってはじめて、「他者から見た自分の評価」を下すことが可能になるからです。

子どもの体と心が急激に変化する思春期は、誰もが悩みや葛藤を経験する時期。不安になりやすく繊細な緘黙児は、緘黙だけでなく併存症を抱えていることが多いのに、それに加えて、思春期特有の葛藤を抱えながら毎日を過ごさねばなりません。それが、かなりのストレスとなり、併存症が悪化しても不思議ではないと思うんです。

場面緘黙は早期発見・治療が重要といわれますが、それは緘黙の併存症を悪化させないことにも繋がるのではないかーー今回のワークショップで感じたことのひとつです。

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告知するかしないか(その3)

 

新しいガーデンセンター発見

5月の3連休も今日で終わりですが、日本ではまだGWが続きますね。ロンドンの今日の天気は曇のち雨。土曜日はよく晴れてポカポカいい陽気だったのに、また寒さが逆戻りした感じ。日が陰ると、とたんに肌寒くなってしまいます。

今日はどうしてもやらなければならないことがあって、家族を巻き込んで決行しました。それは――運転の練習。TAのエージェント経由で新しい生徒さんに日本語を教えることになったんですが、まず第一の課題は教える場所までちゃんと車で行き着けるかどうか…。

祭日の午前中だったら交通量も少ないので、10時頃に夫と息子をせかしてイザ出発。交通量の多い主要道路、A Roadをできるだけ避け、距離は伸びても片側1車線のB Roadを事前に選んでおきました。

そんなのカーナビをつけてひとりで練習すればいいこと――と思われることでしょう。でも、私は「初めて運転する道」「初めて行く場所」にものすごい不安を覚えるんです。ご近所の慣れてる場所だったら、全然平気なんですけどね…。

そのうえ、ロンドンでは郊外といえど駐車スペースを確保するのが結構大変。運転自体もヘタなので、「スペースを見つけられるか」「駐車できるか」にもドキドキしてしまうのです。多分大丈夫だろうけど、「道に迷っても息子が教えてくれる」「イザという時は主人に代わってもらえる」と思うと、不安が少し減るという…。保険のようなものですね。

きっと場面緘黙の子どもも、こんな気持になるのかも。もし免許を取った20歳頃に、バンバン高速に出て練習していたら不安を克服できたのかも--.でも、やっぱり性格上無理な気が…(イギリスではずっとペーパードライバーで、子どもを生んでから必要にかられて運転を再開しました)。それでも、なんとか自分なりに工夫して慣れることで、限定的ですが大丈夫になるのです。

ちなみに、私は日本の免許をイギリスものに切り替えたんですが、こちらで試験を受けたら絶対受からないと思う。自分でいうのも何ですが、2車線道路で隣にバスが来ただけで緊張しちゃうんです。息子を送り迎えする際、よく平気で横に乗ってるなと思います(笑)。

今日もなんとか目的地にたどり着き、駐車もできました。家族も慣れているのか、「ひぇ~」「なんで~」「怖っ」といった私の独り言もスルー。息子は長距離トラック運転のゲームにハマっているので、「こうした方がいいよ」とまるで教官。でも、「ああそうか」と納得できることも多く、ありがたくアドバイスをきいたのでした。

駐車した後、その付近にある Wolve Lane Horticultural & Garden Centre に立ち寄りました。複数の温室と(日本風の?)庭があって、サボテンなど熱帯植物の温室を一般公開。温室で育てた植物を販売するガーデンセンターとカフェもあります。

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北ロンドンの郊外に温室がずらり

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サボテンの種類が豊富で、花をつけてるのも多数ありました

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サボテン室のお隣はゴムの樹(?)のジャングルみたいになってます

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中庭には春の花がいっぱい。でも、噂にきいていた日本風の庭園は見つからず…

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アジサイ専用の温室もありました

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トマトやジャガイモなど野菜もいっぱい。袋で育てる便利な方法も(左)

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ここのガーデンセンターはかなりお得な値段設定

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帰宅途中でカフェによって、ブランチを楽しんできました