ベルリンの夏休みの思い出(その2)

1月もそろそろ終わりですね。すべきことが多くあるのに、あっという間に時間が過ぎていってしまう…かなり焦っています。

さて、ベルリンの夏休みの思い出の続きです。

この旅行で訪ねてみたかった場所のひとつが、強制収容所跡でした。歴史の時間に学んだこと、アムステルダムで訪ねたアンネフランクの家、プラハで訪れたユダヤ博物館、映画で描かれたホロコースト…。そして、SMiRAの創始者でチェコからひとりイギリスに亡命された、故アリス・スルーキンさんとの会話ーーご家族はアウシュビッツ強制収容所で亡くなられました。

また、小さい頃読んだ『アンネの日記』や息子に買い与えた『The Boy in the Striped Pyjamas(縞模様のパジャマの少年)』が強く心に残っていて、ベルリン近郊に追悼博物館があると知り、是非行ってみたいと思ったのです。

ザクセンハウゼン強制収容所(Konzentrationslager Sachsenhausen)

ベルリン中央駅から北へ、電車とバスを乗り継いで1時間強。元ザクセンハウゼン強制収容所(1936~1945年)は追悼博物館として残されています。45年4月にソ連軍とポーランド軍によって解放されたこの広大な博物館も無料で、敷地の地図(無料)とオーディオガイド(€3.5)を借りて周りました。

白い司令塔を通って中に入ると、有刺鉄線がはられた壁と監視棟に囲まれた広大な敷地に、ぽつんぽつんと簡素なバラックが。中央奥にそびえ立つのは40mの記念碑ですが、それもひどく小さく見えました。殺伐とした風景の中、見学者たちはグループで言葉少なめに移動していました。

ここはアウシュビッツのように大量殺人を目的とした収容所ではなかったそうですが、9年間で20万人を収容。確認されているだけで2万3000人が強制労働、飢餓や病気、虐殺実験などで命を落としたそう…。その中には、ユダヤ人だけでなく、ロマなどの少数民族、反ナチス政治犯、同性愛者、犯罪者なども含まれていたといいます。

まず左側にあった診療バラックから見学。ここでは人体実験や女性囚人の不妊手術などが行われていたとか…。囚人たちの医療記録、彼らが描いた絵・手紙などが展示されていました。

中央にある「囚人のキッチン」がメインの展示室になっていて、1936~1945年までの収容所の様子を垣間見ることができます。印象に残ったのは囚人が着ていた青い縞のパジャマ。ゴワゴワした布地に、名前ではなく番号と印(ユダヤ人、同性愛者などの)が…人としての名前を剥ぎ取られ、人格も性格も喜びも悲しみも剥奪されてしまったんだなと…。右から2番目の写真(下)は食事として出されたパンを少しずつ貯めて作った作品(靴と花)です。

正面左側の壁の向こう側には、写真左から処刑場や遺灰の埋葬地。火葬場跡に建てられた白い建物は追悼施設となっていて、当時の設備が残され、資料が並んでいます。

全部を見て回ることはできませんでしたが、負の歴史の重みにどどっと疲れました。でも行って、自分の目で確かめることができて良かったと思います。あってはいけない現実がちゃんと存在していて、いつまたどこで現実となるか分からないから。昨日までお隣さんだった、友達だった、同僚だった人が、社会の空気の変化である日突然「忌むべき存在」となってしまう…そういうことが起こるのが戦争なんだと思います。

カイザー・ヴィルヘルム記念教会(Kaiser Wilhelm Gedächtnis Kirche)

ベルリン西部のショッピング街の近くに、1943年に空撃された教会堂と鐘楼が記念碑としてそのまま残されています。1961年には右隣にカイザー・ヴィルヘルム新教会堂を建設。2万以上のガラス窓を組み合わせた青いガラスの壁で知られています。また、新教会前のブライトシャイト広場では、2016年末に催されていたクリスマスマーケットにトラックが突っ込み、12人が死亡、50人が重軽傷を負うテロ事件が発生。広場への階段には追悼碑が設けられ、私達が訪れた時もロウソクが手向けられていました。

ポツダム会議が行われたツェツィーリエンホーフ宮殿(Schloss Cecilienhof)

1945年7月中旬~8月初頭までソ連の占領下だったポツダムのツェツィーリエンホーフ宮殿に、イギリスのチャーチル首相とアメリカのトルーマン大統領、ソ連のスターリン書記長が集合。意外にも、この宮殿はカントリーハウスの様な素朴な造り。トピアリーを配した中庭は広くはありませんが、可愛らしい雰囲気でした。ポツダム会議が行われたのは天井の高い大広間で、その両隣には各国首脳が泊まった部屋が。天気が良かったので、敷地の外の草原でピクニックランチを楽しみました。

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ベルリンの夏休みの思い出(その1)

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ベルリンの夏休みの思い出(その1)

遅まきながら、明けましておめでとうございます。元旦はゆっくり起きて、さてお雑煮でも作ろうかとのんびり構えていたら、能登半島大地震のニュースが!2日には海保機との衝突事故でJAL機が炎上している映像がトップニュース!日本では新年早々大変な年になってしまいましたね…亡くなった方々のご冥福をお祈りします。また、被災された方々、負傷された方々、家族を亡くされた方々に心からお見舞い申し上げます。

昨年の夏は家族旅行でベルリンに行ったのですが、旅行記を書いていなかったので、学校の冬休みに想い出して書き始めました。年が明けても、ウクライナ戦争もパレスチナ・イスラエル戦争(イスラエルのガザでの戦闘)も止まることを知らず…温暖化で地球が悲鳴をあげているのに、人間同士が憎み合って戦い合ってどうするのか…。ちょっと重い内容ですが、ベルリンの街に数多く残されているナチス恐怖政治や冷戦時代の爪痕をまず紹介させてください。

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戦争の過ちを繰り返さない精神

ドイツといえば、すぐ頭に浮かぶのはナチス政権とホロコースト(1933年~1945年 欧州のユダヤ人迫害・虐殺)ですよね? 首都ベルリンにはホロコーストの歴史や記憶を後世に伝える数々の慰霊碑や記念碑があります。学生や旅行者に学んでもらうためか、殆どが入場無料なのに感心しました。

ベルリンに着いた夕方は、まず冷戦時代に東西ドイツを隔てたベルリンの壁(1961~1989年)を観に、壁博物館(The Wall Museum)とイーストサイドギャラリーへ。博物館では当時の様子を写真パネルや映像で説明。西ドイツは英米仏の、東ドイツはソ連の支配下に置かれていたのは知っていましたが、東から西へと逃亡した約200名もの人たちが射殺されたとは知りませんでした…。

シュプレー河(Spree)にかかる赤煉瓦造りのオーバーバウム橋(Oberbaumbrücke)は東西ドイツを隔てる境界線でした。河沿いのミューレン通り(Mühlenstraße)に約1.3km続くイーストサイドギャラリーは、壁崩壊後の1990年に21カ国、118人のアーティストによって壁に描かれた作品が並ぶ世界最長のオープンギャラリー。特に有名なのはソ連のブレジネフ書記長と東ドイツ国家評議会議長ホーネッカーの『独裁者のキス』ですね。シュプレー河岸は市民の憩いの場となっていて、沈んでいく夕日が綺麗でした。右端は橋から見た元東ドイツの風景。

翌日は有名なブランデンブルク門((Brandenburger Tor)から出発する無料ツアーに参加。事前に予約しておいたのですが、勝手に観光名所巡りだろうと思い込んでいたのです^^;

すると、まず案内されたのが「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(Denkmal fur die ermordeten Juden Europas)」でした。約2万㎡の敷地に、高さの異なる灰色のコンクリートブロック 2,711基がグリッド状に並ぶモノクロの光景。曇り空の下、石碑の間の狭い通路を歩いていると、なんともいえない閉塞感を覚えました。

  

    左からブランデンブルク門と自由に歩き回ったり、腰掛けたりできる記念碑。記念碑の向こう側に見えるのは国会議事堂のガラスドーム

場所が特定できないのですが、次に行ったのはロシア様式の住宅街の中にある草の茂った駐車場。ガイド氏から、「ここはヒットラーとエヴァ・ブラウンが自決した総督地下壕の跡地」と説明されてびっくり。観光地化しないため、記念碑も看板も付けずにいるんだとか。次に、元ドイツ航空省本部で現在は財務省の建物、デトレフローヴェッダーハウス(Detlev-Rohwedder-Haus)へ。建物の前には第二次世界大戦時の巨大なモノクロ写真を配した記念碑が、回廊の壁にはロシアのプロパガンダ絵画が。

                    

    左から、デトレフローヴェッダーハウスと、チェックポイント・チャーリー(東西の境界線に置かれていた国境検問所)

ツアーの最終地は敷地がベルリンの壁と面する情報センター「テロのトポグラフィー(Dokumentationszentrum Topographie des Terrors)」。ナチス政治の中枢施設の跡地に、その恐怖政治の歴史を伝える情報センターが解説されたのは2010年のこと。センター内外に写真や文書で当時の記録が残されています。

ガイドの説明によると、壁の西側は西ドイツ政府の建物で、東からの逃亡者のため、就業後にトイレの窓からロープがたらされていたそう。壁沿いに歩いてみたら、壁に穴が空いて鉄骨がむき出しになっている箇所がいくつか…。ここで熱く語ってくれた南米出身のガイド氏に20ユーロお支払いして解散。センターを見学する前に、近くのチェックポイント・チャーリーに寄ってランチとコーヒー。ヘビーな内容に備えました^^;

   

     初日の夜は疲れ果てて、壁博物館の隣のレストランでバーガーを食べました^^; 中央はベルリン名物のカリーヴルスト(カレーパウダーをかけたソーセージ)。最寄り駅の果物屋台でビタミン補強

う~ん、ベルリンに着いて約1日半、予期せずなかなかヘビーな内容!でも、ナチス政権の責任を問うだけではなく、ドイツ国民がそのプロパガンダや勢いに同調してしまったことを反省し、自国の負の歴史に正面から向き合っているんだなと感じました。ここまで徹底してるとは驚きでした。

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